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僕に歌詞解釈の素晴らしさを教えてくれた曲~Merry Christmas(BUMP OF CHICKEN)~

BUMP OF CHICKEN。僕が人生で初めて本気で好きになったアーティスト。人生で初めて自分の金でCDを買ったアーティスト。リリース曲を全部聴いて歌詞も覚えたアーティスト。そんなバンプの一番凄いところといえば、突き詰めればキリがないが僕なら「歌詞」と即答するだろう。数あるバンプの楽曲の中でも、個人的に5本の指には必ず入る曲であり、一番「歌詞」が好きな曲について、少し語らせていただきたいと思う。

Merry Christmas。2009年リリースの15作目のシングルに、R.I.P.という曲とともにA面として収録された。その名の通りクリスマスソング。

カップリングとして「クリスマスソングを書いてくれ」とプロデューサーからオファーされた当初は強い抵抗感があった上に「幸せ感が溢れるものが書ける気は到底しなかった」という (wikipediaより https://ja.m.wikipedia.org/wiki/R.I.P./Merry_Christmas)

こんなエピソードがある。バンプのボーカルであり作詞作曲を務める藤原基央らしいエピソードだが、そんな意気込みとは裏腹に、曲には藤原基央の真っ直ぐでどこか優しいメッセージが込められている。



ところで、「クリスマスソング」といえば、何を思い浮かべるだろうか。山下達郎、マライア・キャリー、back number、愛する人への歌、寂しさと冬の寒さが思い浮かぶ曲、人によって様々だろう。特に日本においてはこれまでに、クリスマスというテーマは多岐にわたって曲に取り入れられてきた。日本人はクリスマスが好きなのである。
そんな名曲揃いのクリスマスソングの中でも、僕はBUMP OF CHICKENの「Merry Christmas」が史上最高のクリスマスソングだと自負している。


大半のクリスマスソングでは、恋人や好きな人へのメッセージやその情景が描かれる。「クリスマスという特別な日に特別な存在の人へ」という事なのだろう。しかしバンプのクリスマスソングは少し違う。歌詞の中にも恋人を連想させるフレーズは出てくるが、曲全体として「クリスマスという特別な日に生きる全ての人々へ」というメッセージソングになっている。


この曲の歌詞の世界観は、「君」「僕」の関係が出てくるというよりは、まるで「藤原基央」という語り手があらゆる「クリスマスを生きる人」にスポットライトを当てているようである。歌詞中にも様々な場面、様々な境遇の人間が出てくる。(以下の歌詞はすべてBUMP OF CHICKEN楽曲「Merry Christmas」より引用)


嬉しそうな並木道をどこへ向かうの 

冒頭の歌詞である。この人にとって何か嬉しいことがあったのだろう。しかし次の歌詞は

 すれ違う人は皆知らない顔で

と続く。誰かにとってはとても楽しいクリスマスだとしても、その他の大体の人間には関係のないことなのだ。その後も要所にクリスマスに彩られた街並みが描かれながら、美しいアコースティックギターの音色と鈴の響きとともに曲は進んでいく。

バスの向こう側で祈りの歌声
大声で泣き出した毛糸の帽子
待ちぼうけ腕時計赤いほっぺた
肩ぶつけて頭下げて睨まれた人
嘘つきが抱きしめた大切な人

これらの登場人物はどれも同じ人間という解釈も出来るが、僕は藤原基央というこの曲の主人公が、クリスマスの街を歩いて目に入った光景をそのまま唄にしているという気がする。幸せそうに誰かを待っている人、悲しい気持ちの人、慌てている人、色んな人間を挙げることで、聴き手の僕たちもその街にいるかのような臨場感を体感できる。登場人物に自分を置き換えることも出来る。「クリスマスを生きる"すべての"人」を描くのがバンプのMerry Christmasだ。

しかも、歌詞で描かれるのは人間だけではない。

ずっと周り続ける 気象衛星

なかなか「気象衛星」という単語が曲に出てくること自体少ないが、それをクリスマスソングの中に出現させるという意外性。クリスマスといえば、とても寒く、雨か雪が降りがちだ。そんな日に出掛けるともなれば、天気予報はとても気になる。この時代だからこそ簡単に予報を見て雨が降るか気温がどうだとかすぐに分かってしまうが、そこには予報を考えて発表する人がいて、予報を行うためのデータや写真を送ってくれる機械があって、その機械を毎日見張っている人もいて、、、

こう考えれば、気象衛星に関わっている人たちも「クリスマスを生きる人」なのである。


そんな「クリスマスを生きる人」に向けた主人公の感情として、こんな歌詞が途中で出てくる。

いつもより一人が寂しいのは いつもより幸せになりたいから 比べちゃうから

やはりクリスマスは特別な日だ。大切な人がいる人にとっては、その大切な人と過ごしたい日だ。相手とは恋人かもしれない。家族かもしれない。友達かもしれない。そんな人が街に溢れているのを見て嫉妬している。ある意味では「クリスマス」そのものに嫉妬しているとも取れる。クリスマスがそもそもなければ、わざわざ12月25日に予定を開けて大切な人と過ごそうとはならないから。

街はまるでおもちゃ箱 あなたも僕も 誰だろうと飲み込んでキラキラ光る
許せずにいる事 わからない事 認めたくない事 話せない事 今夜こそ優しく出来ないかな 全て受け止めて笑えないかな

そんな嫉妬を抱える主人公も、やはり優しくになりたいと願っている。人は誰しも迷いや不安、怒りを抱えながら、僅かな楽しさを得る為に、守るべきもの為に生きている。そんな大変な毎日を送っているんだから、せめてクリスマスぐらいはキラキラ輝いていたい。ただの365分の1日だけど、今日だけは全て受け止めて笑いたい。希望と優しさに満ち溢れた歌詞を据えて、曲はいよいよクライマックスへと入っていく。


信号待ち流れ星に驚く声 いつも通り見逃したどうしていつも だけど今日は嬉しかったよ 誰かが見たのなら素敵なことだ

最後の大サビ。ここの歌詞だが、今までの「クリスマスを生きる人」を歌ったというよりは、ここだけは主観的な言い回しになっているので主人公自らの出来事なのではないかと思った。

キーも転調し一気に盛り上がるというのに、ものすごくネガティブ。流れ星を見逃してしまっている。「幸せ感が溢れるものが書ける気は到底しなかった」という藤原基央の言葉通りになった。世のクリスマスソングみたく幸せな歌詞とは思えない。でも、藤原基央の優しさも同時に見えてくる。誰かが見たのなら素敵なことだと、クリスマスの今日は言えたのである。誰かの幸せを、自分のことのように嬉しく思えたのである。

そんな風に思えたと伝えたくなる 誰かにあなたに伝えたくなる

誰かに伝えたいと、そう思った主人公は、こうして「Merry Christmas」として聴いている僕たちに報告している。ある意味、僕たちにその幸せを共有してくれている。

優しくされたくて見てほしくて すれ違う人はみんな知らない顔で

でも結局は、自分にとってはとても楽しいクリスマスだったとしても、その他の大体の人間には関係のないことなのだ。歌い出しの部分とこの歌詞は同じだが、意味合いが全く違う。「嬉しそうに並木道を行く」人を見て何となく抱いた感情か、「自分だけ幸せを味わえなかったが、誰かが見たのなら素敵なこと」と思えた上での感情か。


イヤホンの向こう 同じラララ

この曲の最後の歌詞である。歌っている藤原基央にとって、イヤホンの向こうといえば僕たち、聴き手のことだ。この文の冒頭で、『まるで「藤原基央」という語り手があらゆる「クリスマスを生きる人」にスポットライトを当てているよう』と言えた根拠でもある。ラララという漠然とした声にのせて、「僕はクリスマスを楽しめたから、君も楽しんでね」と伝えてくれている気がする。


単に「好きな人」「大切な人」との思い出やその人へ抱く感情を歌ったような、ありふれたクリスマスソングではない。

BUMP OF CHICKENが送るクリスマスソング「Merry Christmas」とは、愛する人がいる人、いない人、クリスマスを純粋に楽しむ人、クリスマスなんか関係なしに頑張る人、そしてBUMP OF CHICKENの曲を聴いてくれる人。全ての人に向けられたクリスマスソングなのである。クリスマスの素晴らしさとともに、BUMP OF CHICKENの歌詞の奥深さを、優しさを、痛烈に感じられる曲である。

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