正解ではなく、納得解で生きる時代

納得解で解決!社会を生き抜くのに必要な思考法!
正解のない問題たち。落とし所はどこにあるか?

 あなたは「正解」を出すことに固執していないだろう?長らく正解主義の組織代表格である”学校”に在籍し学んだ経験が、逆説的に我々の成長を阻害し、頭を固くしているのかもしれない。

 正解主義では答えは一つ。その答えを導きだせなかった場合は、バッテンをつけられる。そんな窮屈な世界にしばらく身を置き、正解主義という特殊な環境での競争に慣れてしまうと、社会の大半を占める”正解のない問題”へと取り組む力が弱くなってしまうのかもしれない。もしくは、いつまで経っても課題解決力を鍛えることができないまま大人になってしまい、困ってしまうだろう。


 僕自身も学校から社会に出て色々と学び直す中で、"皆が納得する答え”があれば正解は必ずしも正解ではなくて社会は回るという考え方での成功体験を得られたことが、ものすごい成長体験に繋がったと思う。

 

 逆にいえば、こういった納得解を出して前へ進むという仕事の仕方を学ばずにいたら、僕はいつまで経っても頭でっかちのままの社会知らずで、ほとんどの仕事を先へ進められていなかっただろう。

 

 あなたはどうだろうか?正解を出すことに囚われすぎて身動きができないなんてことが起きていないだろうか?

 仕事は進めて結果を出すことが大事だ。ある程度の合格点が取れればOK!

 今日はそんな例として納得解の説明をしたい。

○×問題の弊害。

 社会で働く、仕事をするということは、テスト勉強のように正解があるモノに対して○×ゲームをしているのではない。勿論仕事の内容によっては、○×が明確に決まっているものもあるものがあるが、それは価値が低いような雑用のようなものが大半で、価値が高い仕事ほど○×ゲームではない。

 正解が決まっている○×問題の正解を見つけるゲームは価値の高い仕事ではないのだ。

 では仕事とは何か?

 どんなことをいうのか?

 一つの答えとして、僕らは正解がないものに挑むゲームをしているということだ。

 だから、そもそも正解を探そうと考え行動することが生産性が悪いのだ。だって、ないものを探すのだから時間がかかる、というか永遠に見つからないことは目に見えている。つまり正解を探す時間は役に立たない。結局、遅れをとり、時間だけがかかって損する結果となるのだ。

 ではどうすればいいか?


 それは、ビジネスで関わる関係者らが、僕らの説明を聞いて納得するかどうかが大事であると頭を切り替えることだ。正解ではなく、納得解で人を巻き込み仕事を進めることが大事だ。

 

 正解なんてない、正解にするための努力をするか、しないかの選択肢しかない。こういった思考は生まれ持った才能ではなく経験から身につくのだ。

 今日はそんな納得解について説明したい。

納得解とは?納得解の必要性。

 皆さんも社会人になってから、関係部門の”落とし所を決める”なんてセリフをよく使わないだろうか?

 納得解とはまさにこの”落としどころを決める”ことだと僕は考えている。

 さて一般的にはどうか?


 納得解の定義は,

未検証だが、納得できる「解」。正解のない課題での解決案。

引用元:Hatena Keyword|納得解)

とされている。

 

 まさに先の例である。

 しかし、納得解が有用である場面は,ビジネスの世界に限った話ではない。友達関係でも普通に起きる話である。つまり、友人関係を通じて実はこの思考力は鍛えられるのかもしれない。しかし僕は深い交友関係や衝突などを避けて生きてきた人間だったので、社会人になる前の人間関係の中で、納得解を考えるという発想を身に着けるに至らなかったようだ。

いやはや、集団の中で生きることは本当に大事である。

#チーム競技の部活とか大事よな


正解のない課題は、世界にあふれている。寧ろ正解が出せるものの方が少ないし,正解があるものは多くの人が正解が出せる世の中だ。つまり正解があるモノに対して正解を出すことには、ほぼ価値がない世の中である。


正解が出せないものに対していかに考え納得解を出すか、それが社会人として求められる能力のようだ。

続きは、はてなブログからお読みください。


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