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オリエンテーリング臨死体験

オリエンティア Advent Calendar 2023 4日目🎄


〜自己紹介〜

2018年度入学のOGです。
大学時代の所属は東大OLKで、現在はES関東で活動しています。

直近ですと、全日本ミドルロングの広報・演出を担当しており、観戦ガイドを作ったり、会場ではインタビューをしたりしていました。

全日本にてinゼリーを運ぶ

そのご縁で本企画運営者の方と知り合い、お声がけいただき、書くことになりました。
お二方とも今年初めてお話したので、
出会いがこの歳になっても、続く。
本当にいい界隈ですよね…!

直近、自身のレースをしていないので、”そんな私が書ける内容とは?”とすごく悩みました。
かなり自虐的な内容になっており、お恥ずかしい限りですが、息抜き程度に読んで、こんな人もいるんだ~と、笑って、教訓にしていただければと思います。
また記憶が曖昧な部分もありますが、何とか捻り出して書いていますので、そこはご愛嬌ということで…。

それでは、私がオリエンテーリングで体験した「臨死体験」について。


第1章 〜初調査、蜂に追われる〜


私が初めて死ぬかもと思った体験をしたのは、1年生の夏、東大大会調査でのこと。
この年は倉渕のテレインを調査しており、入り立ての私は、毎日の調査を呑気に楽しんでいた。
その日は、強強オリエンティア種市さんについていき、テープを巻く仕事が与えたれた。

種市さんがテープを巻き、私がテープ袋を持つような形で、オリエンテーリング談に花を咲かせながら、仕事をこなしていた。


小さなコブ上の木だったと思う。
その木は、木の下に大きな穴が空いてる不思議な木だった。

他の木同様、種市さんが少し背伸びするような形でテープを巻き付けた。
私は巻き終わるのをボーっと見ていた。

すると目の前に虫らしきものが1匹、つーっと飛んでいるのが、見えた。
何気なく、「虫だな」と思ったのとほぼ同時に蜂だ。と気づく。

「種市さん、蜂が飛んでるかもです」
後退りしながら私が言う。
「え?ほんと?」
そう言いながらテープを巻いている種市さん。

一瞬のことだった。
1匹だったものが2匹、3匹と増えているではないか。

「2、3匹いるかもです。」そう大声で言い、後ろに逃げ出す私。
種市さんも流石にコブから少し離れた。

その瞬間、コブに空いていた大きな穴から、蜂の大群がわっと湧いてきた。

咄嗟のことで、私は持っていた袋を投げ出し、元来た道を全力で走りる。
それでも蜂は追いかけてくる。
どのくらい走っただろうか、種市さんの「もうついてきていないはず。」という声に安堵したのを覚えている。

これが1つ目の臨死体験である。

翌日、私が手から離したテープ袋を回収しに行ってくださった、先輩、夏林さんには感謝しかない。


第2章 〜伊豆大島の大冒険〜


一年生の秋口。
すっかりオリエンテーリングにハマり込んだ私は、難解テレインである伊豆大島の大会に参加した。

のちに、この出来事が、私がES関東に入るきっかけとなるのだが、それはまた別のお話。

東京発の船に乗り、伊豆大島に向かう。

初の伊豆大島にワクワクの私は、先輩方からどういうテレインなのか。
そして、伊豆大島のアイスが美味しいだの、以前あった捜索対象の事例だの、色々な話を聞き、到着を心待ちにして、その日は眠りについた。

※こちらからは少し話が汚いので、苦手な方は〜待ちに待ったレース!〜まで読み飛ばしてください。
翌朝、目が覚めたとき、自分の体が重いのがわかった。
外へ風にあたりに行く。
それでも、体が熱い。
そう、船酔いしたのである。

風に当たりながら、”伊豆大島早く見えて”と願うばかり。
数十分経った頃、島がやっと見えてきた。
”やったもうすぐ!” 歓喜したのは一瞬。
島が見えてからが長いのなんの。
「あとちょっとだよ。」そう優しく声を掛けてくれるキャプテンの隣で、必死に生唾を飲み、到着を祈った。

無事、なんとか耐え凌ぎ、到着。
しかし到着後、息つく間もなくバスへと乗りこんだ。

終わりの始まりである。

私が乗り込んだ席は、補助席の一番先頭。
朝食を取る選手もおり、お惣菜の匂いが漂う、生温かい車内。
酔いの醒め切っていない体に「冷静になれ〜。落ち着け〜。私はまだ大丈夫…!」と鼓舞しながら、再び耐え凌ぐ。

流石に峠を間近に感じていたので、袋を常備し、深く息をしながら鼓舞し続ける。
が、そんな時間も束の間。
その時がやってきてしまった。
同じバスに乗っていた方々には本当に申し訳なく思う。
幸いにも先頭だったため、周りの方が気づいた様子もあまりなく、事なきを得た。

そんなこんなで、
待ちに待った大会会場へと到着したのだった。

待ちに待ったレース!

色々あった到着までの道のり。
その色々も吹き飛ばすほどに、テレインへの高まる期待。
体調も期待から湧き出る幸せホルモンで万全になり、レースへと向かった。

テレインは噂通り難しく、地形を読むのに多くの時間を要した。

中盤あたりまで進んだだろうか。

やはり、そのレースは難しかった。
もう少し楽しみたいが、競技時間もオーバーしそうだ。
以前捜索対象の方もいたという話も聞いたし、
なんだか頭が回らなくなってきた感覚もあった。
”棄権しよう…。”そう思い、救護所へと向かった。

救護所にいた運営者の方に棄権する旨を伝えた。
「一緒に帰ろうか。」と提案してくれたが、怪我をした訳でもなかったので、有り難いながらお断りし、
「ここをずーっと西へまっすぐ進んで、大きな道に乗って帰ってね」と言われ、それを守って帰路についた。

西に。ひたすら西に進んだ。
それ以外に考えられる余力があまり残っておらず、
”西”それと”大きな道”。ただそれだけを考えて進んだ。

進めど進めど続く、森。
しかし自分がイメージしていた大きな道に当たることはない。

”もっと西なのか?”とさらに西に…。

もう後戻りできないところまで、来たように思った。
地形を読もうと地図を開いても、現地と合うことはなかった。

血の気が引いた。
やってしまった…。
本当にやってしまった。

捜索…? 警察…? そして思い浮かぶ両親の顔。

嫌な考えと、申し訳ない気持ちで溢れてこのままいなくなりたいような気持ちになった。

呆然とその場に立ち尽くし、少し時間が経った。
冷静さを取り戻し、どうやったら帰れるかを真剣に考えた。

”「テレインで迷ったら高い位置から現地を俯瞰して見る」“
誰かに言われたその言葉を思い出した。
“そうだ。高いところにいこう。”
後から分かったことだか、私のすぐそばに見えた高い場所は三原山であった。

“兎に角、高く。視界が開けるそこまで。“
それだけを考え上った。
するとそこからは、テレインを一望することができ、
大島温泉、そして遠くの山にいる撤収者をも見ることが出来た。

“あっ。よかった…。人がいる。帰れる。“
少しばかり、そう思ってホッとした。

「…おーい。だれか(小声)」

こんな言葉、人生の中で叫んだことがあるか?
躊躇いと恥ずかしさで声が萎縮する。

しかしながらそんな場合ではない。
躊躇いつつも危機感を感じ、少しずつ、聞こえそうな大きさで叫ぶ。
最大限自分の中で大きな声になるまで。

その頃には、躊躇いなんてなかった。
“生きて帰りたい。誰でもいいから気づいて。”
という祈りだけ。

どれだけ大きな声で願うように叫んでも聞こえず、
再び落胆し、目には涙も浮かんでいるのがわかる。
そんな自分を“諦めてはだめ。絶対に帰る。“と鼓舞し、再び帰れる方法を考える。

大島温泉が見える。
つまり私が進むべきは北に真っ直ぐ。

しかし、”目も前に広がる灌木林に惑わされず、真っ直ぐ北に進めるのか?”
そんな不安もあった。
と同時に、この時ですら西に進む事以外の選択肢を選んでいいのか、そんな疑念がまだ頭の中にあった。

しかしやるしかない。と自分に言う。
覚悟を決めた私は、北に進む事にした。

意を決して、北に走り出し、大声で「誰かー?」と呼び続けた。
何度もコンパスを見て、誤らないように。

どれくらい走ったか、遠くから微かに声が聞こえたように思った。

耳を澄ました私に、今度は鮮明に。
「しおりちゃーーーん!」

心臓が止まりそうなくらいの動悸がした。
すぐさま私も「ここですーーー!!!」と返した。

大声で疎通を図り、捜索してくださっている運営者の方と落ち合うことが出来た。

なんたる幸運。
そしてなんたる失態。
探してくださったES関東の方々には本当に頭が上がりません。

会場に戻ると、心配する大学の先輩、ES関東所属のOLKの先輩方。
申し訳なさと同時に安心から、熱いものが頬を撫でた。

6時間以上にも渡る私の伊豆大島大冒険は終わった。

「怖かったね。無事でよかった...!」
「あと少しで、車で探しに出るところだったよ。」
など様々に声をかけてくださる先輩方。
このような経験は後にも先にも、これ限りですが
本当にご迷惑をお掛けして申し訳ないと思っていますし、感謝の気持ちが尽きないです。


今年の大会も難易度の高さが伺えるかと思いますが、
みなさんには何事もなく無事に帰ってきてほしいと思います。

第3章 〜疲れ果てて、クマに怯えながら〜


2年生になり、自分の代の大会準備が始まった。
私たちは新規テレインで大会が開きたい。ということになり、足尾での調査を粛々と進めた。

そこに詰まった青春とも言える、苦労や楽しかった思い出の数々は置いておくとして、臨死体験に纏わる一日を振り返ろうと思う。

前情報として、足尾テレインは熊が生息するテレインである。
つまり、熊といかに共存しながら調査を進めるかが鍵となる。←自論です。
また天候が変わりやすく、濃い霧がかかる日も多かった。

その日は天候が悪く、霧がかかったそんな日だった。
同期の松嶋くんとテレインに入っていた。
松嶋くんは救護パートチーフで、同期の中でも特に熊対策の色々な知見があった。

「霧がかかってるから熊に出くわしたら怖いよね。」
そんな話をしながら、調査を進めていた。
にしても濃い霧だな〜。なんて考えていたら、
悪い予感は的中したのである。
微かに、「ぐ〜」後ろから唸り声の様な音が聞こえた。
が、きっと聞き間違いか何かだろう。と思った。

すると、松嶋から「唸り声、聞こえたよね。」との声。
お互いに近づき、調査を中断するかを考えた。
すると、また微かに聞こえる唸り声のような何か。

流石にやめようと言う判断になり、足早にテレインを後に道上にでた。
森の中よりも強く感じる雨。
道上にいても、すぐに回収車はやってこない。
雨を少し凌げるような場所に身を潜めた。
天候も少し荒れてきたのか、雷の音も聞こえたように思う。

熊の唸り声、霧に雷、心臓はばくばくしているのに
体は疲労の方に正直で、意識が遠のいた。

こんなに不安なのに、寝てしまったっ。
焦りはあるが眠い。
「松嶋ごめん。寝ちゃいそう」
そう言い、私は横たわって寝てしまった。

こんなに危機的状況なのに寝てしまう私は、この頃から神経が図太くなってきていたのだと思う。

この章は短いがここまでである。
後に回収車がきて無事に調査宿に戻った。
そんな危険あり、笑いありの楽しい調査であった。

第4章 〜トンネルから見た景色〜


時間は流れ、今年の全日本運営での話だ。

4月。その週の運営の動きとしては、土日で試走をする事になっており、土曜に予定があった私は、日曜参加で試走に臨んだ。

半年以上ぶりとか言う、久しいオリエンに構えた気持ちで走り始めた。
1、2ポと思っていたよりもちゃんと進めていたので油断したのかもしれない。

ルートを検討し、しっかり進めているはずだった。
しかし自分が思う道が見えない。
何度地図を読み直しても自分がいる場所は正しく見える。
”えっなんで。”そう思いつつも辺りをよく見渡した。
すると遠くの方に、遠くて本当に小さいが自分が乗りたい舗装路が見えた。
遠すぎて、そして想像より低い位置にありすぎて、”あれに降りるの?え?まじ?”と絶句した。

勘がいい人はお気付きかもしれない。
その通りである。
私は会場近くのトンネルのある尾根上にいて、その下に伸びている舗装路に降りようと考えていたのだ。
しかも恐ろしいことに、この時点ではまだ自分がいる尾根の下にトンネルがあるということを知らないのだ。
というかこのテレインにトンネルがある事すら知らなかった。

”試走ってこんなもんなんだ。”
”試走なんてもうしないぞ…!?”
そんなことを考えながら、
”仕方がない。意を決して飛び込むのがオリエンテーリングだ。”
などと謎の理論で自分に暗示をかけ、舗装路に向かって突き進んだ。
※きけんです。絶対に真似しないでください!

死を覚悟しながら、掴むところもない雨上がりの泥濘んだ急斜面を滑り下り、なんとかトンネルの上についた。
私は思った。
”なんだこの石の人工特徴物は。記載にないじゃないか。”
そして縁まで辿り着いた。
そこから見えるのは、自分が乗りたかった舗装路。
でもかなり高さがある。
周りには生い茂った薮とトンネル脇の急斜面。

気がとっくに可笑しくなっていた私は、
喉から手が出るほどに乗りたい、その見えている舗装路に向かって、ほぼ垂直の斜面を滑り降りた。

持っていた物なんて全部自分から離れ、地面に落ちた。
いいじゃないか。自分が乗りたかった道に乗れたのだから。
足がジーンと痛い。
”よかった生きてて。”
そして次のポストに向かって再び走るのであった。

レース後。日曜入りの試走者にはトンネルの存在を事前に伝えそびれていたと風の噂で聞いた。
「?!!え、それじゃん」
その話を聞くまで、斜面をたくさん下ったな。くらいで
私は真っ当なことをしたと思っていたのだから。
いつからか私の危険認知能力は失われていたのだろう。

みなさんは死など感じず、安全にオリエンテーリングを楽しんでください。


番外編 〜インカレ遠征:同期との恐怖ドライブ〜


この話題はOLK内では擦りに擦られて、同期世代ではあまり知らない人がいないのだが、ついでに書いておくこととしよう。

この一件で、私はあんまり運転させてもらえない人になりました。

2年生の秋、中津川で行われたインカレにいつものように向かった。

私の配車は、当時免許取り立てだった私と、同じく初心者ドライバーの同期藤原の2名が運転手。
最初の運転は私が担当し、途中で藤原に交代すると事になり、助手席に藤原が座った。

私がこの遠征で犯したミスは4つほどあった。
だが長くなるので、特に大きな2つだけ書く事にしよう。

1.ETCを借りていないということを把握しておらず、
しかしながら、料金所のETCレーンの開閉バーが空いていた為、通過してしまった件。

料金所通過後、何気ない会話の続きで、
私:「てか、ETC入ってるよね〜?」
ふじ:「えっ、この車ETC入れてないんやで?」
みたいなやり取りから発覚した。

我々が入った料金所が高速の端っこであったため起こったようで、次の料金所で相談したら何ごともなかったかの様に処理された。
初めてのことにすごく慌てたし、その場ではなぜスムーズに処理されたのか理解できなかった。

後に車内で後輩くんが調べて教えてくれました。


2.高速道路の分岐で次の行き先が分からず、ゼブラゾーンで停車してしまった件

初心者ドライバーすぎた、当時の私はまだナビを見ながら走行することができなかった。
そのため次の行き先は分岐の度に、「次こっちだよね」などと助手席にいる藤原と連携をとりながら進んでいた。

その時も、分岐がいつものようにやってきた。
しかし隣で藤原くんは唐揚げ弁当を頬張っている。
「あれ。これどっちだっけ?」
そんな言葉に驚いたような表情。
「え、ちょっとまって。」
そう確認してくれている内に分岐はどんどん差し迫る。
「え?どうする?どっち??」
焦り、どうしようもなくなった私は、あろうことかゼブラゾーンに留まってしまったのだ。

今なら、間違った経路に入ってしまってでも、進んだ方が良いとわかる。
しかし、その時の自分は、乗ってしまったら降りられない。別の地域に行ってしまう。
と思っており、一番やってはいけないことをしてしまったのだ。

すると、停車した勢いで藤原くんの唐揚げが弁当から飛んでいき、焦る私とは裏腹に助手席の下に落ちていく唐揚げに焦る藤原。

「あっ!唐揚げ、唐揚げ」唐揚げを拾い上げる藤原。
「どっちいけばいいの泣」

ごめんごめん。とちゃんと経路を確認してくれました。
そして、この後ほとんどの運転を藤原くんが引き受けてくれました。
今では笑い話になっていますが、確認まで任せていた上に、その後の運転も本当にありがとうと藤原くんには感謝している。
ありがとう!


おわりに


こうやって振り返ると本当にやばい人でしかなくて、
これが世に出ること、そして残ることがとにかく怖い…。
しかしこの企画に呼んで頂かなければ、まとめることもなかったでしょうし、ある意味浮かばれたのかもしれない。

拙い文章だったと思いますが、最後まで読んでくださった皆さん、そして声をかけてくださった運営者の方、
本当にありがとうございました!
これを読んでもぜひ仲良くしてくれると嬉しいです> <

※反省は全てのことにおいて深くしておりますので、
決して笑い話で終わりにしているだけにしているわけではないです。
それだけは何卒mm

「無知は一番の罪!」です。
教訓にして、みなさんにはぜひ安全に過ごしてほしいと思います。


おわり



















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