愛されるということ
あ、なんか重そうなタイトルになってしまった。
1発目は、子どものころの話をします。
軽い気持ちで読んでくれればいいと思います。
1番古い記憶は、両親のケンカをクローゼットの中から窓ガラス越しに見ていたこと。
当時は怖かったけど、今思えばDVのいろんな兆候が出てきてたんだなと思うの。
とはいえ、わたしは直接暴力を受けたことはなくってさ
暴力の矛先はいつも母で、その八つ当たりみたいな感じで怒鳴られたり物を投げつけられたりしてたくらい。
それでも、なんでなんだろうね
小学生前半くらいまでは別に嫌いじゃなくって、遊んで遊んでー!ってやってた気がする。
決定的な出来事が、小学4年生のときの誕生日。
「お前の誕生日なんかどうでもいい」的なことを言われて、そこから全くも口を聞かなくなった。
だんだん、「他の家となんか違うっぽいぞ」って気がつきだしたのが中学生のとき。
友達や彼氏との電話中に線をぶっこぬかれたり、お財布からお金を抜かれたりしてた。
なるほど、学がないからあんな風になるんだな?
と、超絶失礼な思考回路だったわたしは、当時の彼氏(他校)と同じ進学校に行くために猛勉強をして無事に入学しました。
(入学したらそいつは別の高校に行っててびっくりした)
高校〜大学の間が1番父が荒れてた時期で、家にお金をほとんどいれず、出会い系なんかもやって好き放題だった。
その期間、わたしはバイト三昧で家にいるのが少なかったから八つ当たりの矛先は弟に向いてたみたい。
最近聞いた。まじごめんって思う。
それでもなぜか母は父親と離婚してくれなくて、どうしたらあいつと離れられるかをいっぱい考えてた。
どうしたらあいつを社会的に抹殺できるのかとか、合法的に消す方法はないのかとか。(なかった)
ある日の朝、玄関先で父親がお金をせびって暴れてたので、包丁むけて今すぐ出てけって追い出した。
母を守ってあげたのに、なぜか怒られた。
怒る理由も分かるけど、なんか受け止められなくって、そのままメンヘラを発動して学校に行くのをやめた。
でも、母には泣かれるし、なんか気まずいしで1週間で学校に行って、友達にめちゃくちゃ泣きついた。
進路を決めるとき、テレビでミスチルがタガタメを歌っていて、学校の先生になろうって決めた。
父親みたいな大人を作ったのはその親のせいでしょ?そんで、そういう親を輩出しないためには、もっと遡って幼少時の教育が大切なんだって思ったから。
高校3年の冬、父方の祖父が亡くなって、長男である父親が謎のフィーバーを起こした。
余計にやりたい放題で、家庭内でのわたしの役目は警察を呼ぶことだった。
そりゃ受験なんてボロボロで、なんとか県内の私立大に滑り込める程度。
奨学金で通いながら、塾のバイトを始めた。
(すぐに当時の教室長と付き合って、ずるずると軟禁されていくけどそれは別の話)
その頃にはバイト代でも父親より稼いでいたし、ほとんど顔も合わせないしでのびのびやってたんだけど、たまに大学の先生から学費の入金がないって呼び出されたりしてずーーんってなってた。
卒業して、結局普通の会社員になったんだけど、ある日母から家族会議を開くって連絡がきて、帰ったら離婚会議が開催されてた。
なんでも、父親が女つくって別れたいと言っているらしい。うける。
「え?お前から?」って思ったけど、わたし的には飯うまな展開でワクワクしてた。
いろいろ揉めたみたいだけど、すんなり離婚。父親が出て行くかたちで、慰謝料のかわりに実家には私たちが住んでいいことになった。
弟がまだ対象年齢だったから、母子家庭の手当ももらって、なんなら結婚してたときよりも余裕のある暮らしができてた。
「早く離婚しとけばよかったー」なんて母も言ってて、ちょっとむかついた。
わたしも結婚して、ちょっと経った頃。
また事件がおきた。
なんでも、実家を売るから1ヶ月以内に出て行けと父親がやってきたらしい。
どんな嫌がらせをされるか分からないから、急いで同居できる家を借りた。
入居日も決まり、やっと最低限の荷物を移動したところで、いつのまにか実家は売りに出されていた。
卒アルも、友達との写真も、教員免許も
実家に保管してたものは全部移動する前に処分されてしまってた。
ちょっと切なかったけど、
今でもちょっと切ないんだけど、
まあいっかってかんじ。
それ以来、あいつの消息は不明で、生きてるのか死んでるのかも分からない。
だらだら書いちゃって、やっとまとめなんだけど
こんな環境下で、わたしが真っ直ぐ育ってこれたのは母の愛情がめちゃくちゃでかかったからだと思う。
それに関してはめちゃくちゃ感謝してるんだけど、母にはちょっと怒ってる。
わたしは、こうなったのは全部あの父親のせいで、あいつさえいなければってずっと思ってた。
でも、大人になって結婚して、ちょっと見方が変わったんだよね。
母がもっと話を聞いてあげればよかったんじゃない?とか、やっぱり離婚に踏み切るの遅かったんじゃない?とか。
父親はなんらかの心の病気だったんだろうなって思うし、母親も知識がまったく足りてなかったと思う。
だから、わたしは今でもたくさん学ぶし、旦那のことは大好きだけどいつでも離婚ができるように働いてる。
これが正しいって信じてる。
1個だけ、あーあって思うのが
今もたまに父親の夢を見るんだけど、
夢の中ではいつも口喧嘩をしてるんだよね。
「〜してくれなかったくせに!」っていつも言ってて、愛されたかったんだなって突きつけられる感じがする。
ほんとに目覚めが寂しくてならない。
かわいそうだから、あの頃の自分のことは全部肯定してあげるって決めてる。
愛されたいって欲求は、たぶん一生つきまとってくるんだろうな。
親になって、やっとこの感情と向き合えるようになったので書きました。
えへ。
長くてごめんね。
読んでくれてどうもありがとう。
またね。
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