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憧れのはじまりは


1.あの日

2011年3月11日。

高校2年生。
当時テスト期間だった私は友達と
マクドナルドでポテトを食べていた。

馬鹿みたいに笑ってたら、突然地震がきた。
お店はすぐに停電して、店内のラジオの音が変に響いて、なんか異様だった。

慌てても仕方ないと残ったポテトを食べて
駅に向かう。(食べたんかい!と今では思う笑)

しばらくして季節外れの雪が降って来た。
もう地面の雪も溶けて春が近付いてたのに
何が起こってるんだろうと不安に駆られる。

電話が繋がらなくてしばらく途方に暮れて
臨時のバスに乗り込みんだ途中で繋がる。

中間地点で母親と落ち合った。
信号の停電とどこまでも続く
道路渋滞に底知れぬ不安が湧き上がった。

寒くて暗い家に着いて気付く。

「ねぇ、お父さんは?」

と聞くと「いないよ」とあっさり母親が話す。

2011年3月11日 東日本大震災

その日父は帰宅しなかった。
そしてしばらく帰って来なかった。

私の父は陸上自衛官だった。

被災状況も連絡手段も安否確認も
よく分からないまま被災地へ行った。

迷彩服を着た人達の仕事を
私はこの時初めてラジオから知った。

2.陸上自衛官って工事の人?

記憶の中の父の手は
大体いつも泥だらけか油まみれで
しかも夏でも暑そうなズボンを着ていた。

潔癖な私は一言で言うと、「ありえない。」

父は急に怒鳴ったりするから苦手で、
そんな人がする仕事は男の仕事だと
思い込んで、まるで興味がなかった。
力仕事の工場で働いてる人だと思っていた←

まさか自分が同じ職に付くなんて
想像すらしなかった。

3.女性自衛官を初めて見る

これは少しズレて話が戻るけど、
幼い頃に行った秋田駐屯地記念日で
男、男、男、男。の中に
初めて女性自衛官をみつけた。

タイトスカートの制服は男性ばかりの駐屯地で
すごく目立っていた。

そこに小さい子供が走り寄っていって
嬉しそうに抱っこされる一瞬を見た。

(ここに女の人がいたんだ。)
(しかもお母さんなんだ。)

惹きつけられる様に目が離せなくて
ただ、普通に我が子を抱き抱える女性が
眩しくて、映画みたいだなって思った。

我が家の父とは違う自衛官の姿をみて
温かくて素敵な仕事だと感じた。

自衛官ってなんだろうと興味が湧いたのは
確かこの時で、小学生くらいだったと思う。

「お父さんって何する人?」

そう聞いてもいつも具体的には教えてくれない。
辞書で調べるまでもないくらい小さな興味は
その内なかったみたいに忘れた。

3.ラジオから知る。

東日本大震災の時。
父は1ヶ月ほど帰ってこなかった。
ラジオから津波の話を聞き
TVからは被災者の話を聞き
どこからも自衛隊の話を聞く様になった。

父が不在の中、母が家を守った。

母のパート先はスーパーで、停電しているにも関わらず、食料を求める人で混み合っていた。

母は私達の食料を買って帰宅してから
また慌ただしくパート先へ向かっていき
残った姉と弟と3人で過ごした。

(お母さんすごいな、たくましい。)
(でもお父さん、大丈夫かな)

実は不安で口に出せなかった。

いつも偉そうな父が家にいない。
母も文句も言わない。
うーん。この気持ち、よく分からないけど

「私って何も出来ないんだな」って感じた。

4.自衛官ってすごい。

そう思ったのはこの震災がきっかけ。

苦手だった父が文句も言わずに
困ってる人の役に立ってるかと思ったら

馬鹿にして誤魔化したい様な
誇らしい様な不思議な気持ちでした。

長くなったけどこの時、
記憶の中の女性自衛官の姿も甦り

(女の人も派遣されるのかな)

と、想いを馳せたのが私の憧れの始まりです。

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