自衛官時代前半5年。


たくさんの想いがあった自衛官時代。

10年間のうちの前半5年は私にとって
とても長く苦しいものでした。

在職中、実は感情が湧かなかった時期が
しばらくあり、自分には価値がないなと
思っていた時期があります。

当時女性自衛官が少なく、頼りになる女性の先輩はいましたが、管理職に女性隊員はいません。

自衛官は基本寮生活。プライベートと仕事はほぼ延長線上にあることが多い。

所属の場所は班が分かれていて、仕事以外の困った事や悩みを班長に報告して解決することになっています。

3年目辺りの頃。

私は卵巣出血というものを頻繁に起こし
腹痛で立てなくなる事が何回かありました。

女性が毎月排卵をする時に
卵子が勢い良く排卵し傷口から出血するもので
お腹に血液がたまることで腹痛が起きます。

酷い時は200ml以上の出血と痛みで
立てなくなり入院をしました。

医師からは原因は不明。
どこか悪いわけではない。

と言われます。

(どこも悪くないのに腹痛だなんて)

「職場になんて言えば良いですか?」

と、医師に食い気味に聞いていました。

排卵の説明なんてしたくないし
毎月起こるかもしれない不調なんて
迷惑がられるに決まってる。

しかし結局、体を冷やさないように。
安静にするように。と言われるだけ。

自衛官は体調管理が基本。

体の不調で通院したり仕事を休む時は
その結果も上司に報告しなければなりません。

当時の男性上司には

「はいはい、ホルモン的なやつね」

と流されました。
被害妄想かもしれません。
しかし、明らかに迷惑そう。

周囲にはなんて思われているだろう?と
常に気にして生きていました。

みんなといてもどこか孤独を感じていたし
実際、少し孤立をしていたと思います。
男性とどうコミュニケーションをとれば良いのか良く分からず、悩んでいました。

当時、男性に負けたくない反骨精神から
意固地になっていた時期。

可愛くなくて、目障りだっただろうなぁと
今になって思います。笑笑
もっと肩の力を抜いて楽しめばよかったのに。

この頃私は結婚を考えていました。

しかし将来子供は授かれるのか?
という不安が常にありました。

体質改善で鍼治療に通います。
冷え症が酷く、子宮機能が低下。
半年間治療に通い我が子を授かります。

つわりも嬉しい程でした。

これから幸せになれる。頑張ろう。
そんな想いでお腹を撫でていました。

しかし、初期の段階で発育が悪く流産。

(私の身体のせいだ)

初期の稽留流産は誰にでもあること。
しかし私は自分を責めました。

日増しにつわりがなくなり
胸の張りがなくなる。

「手術の付き添いが必要ですので旦那さんに来て貰って下さい。」

医師から言われます。

術後1週間は痛みで動けないと言われたので
同じ職場の旦那の協力が必要でした。

そのことを上司に伝えると

「お前1人じゃ本当にダメなのか?」

と、旦那を訓練に行かせるように言われます。

私が感情的になると「分かった、わかった」と
また迷惑そうにあしらわれます。

正直、この頃自分が何を考えていたのか
よく覚えていませんでした。

BJで自分の過去を振り返らないと
思い出せなかった程に忘れていた話です。


手術中に麻酔が切れて
「やめて!」と叫んでいました。

痛くてつらくて暴れました。
看護師さんに抑えつけられて
ごめんね。こんな事あまりないんだけどね。

と言われます。
待機室へ案内されて横になりました。

隣はカーテン越しに診察室で声が丸聞こえ。

「ほらわかる?これが手です。」

薄い壁からはエコー写真の説明をする医師の声

「ありがとうございます」
「すみません、嬉しくて」

と泣いて喜ぶ女性の声がすぐ近くでしました。

何とも言えない気持ちになって
色んな人の顔が浮かんでは消えます。

「体を冷やすな」
「ホルモン的なもの」
「1人じゃだめなのか」
「本当に痛いのか」
「ごめんね」

今まで言われた言葉を心の中で反芻して
声を殺して泣きました。

(全部私が悪いんだな)

誰かを恨む気持ちも湧きませんでした。

落ち着いた頃、仕事に復帰し

夫婦で同じ部署にいてはいけないとの事で
私は部署を異動することになりました。

新しい職場で残りの5年がスタートします。

当時一緒に働いていた女性自衛官の先輩が、かつての男性上司と同じポジションにいます。今ではたくさんの後輩を支える立派な管理職で、私の自慢の先輩です。

今は制度も整い、女性自衛官は年々増えています。自分を責めることなくイキイキと働く後輩が今後も増えてくれると嬉しいです。



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