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食べることは、生きること

新しいメディアを始めるときって、ちょっと背筋が伸びます。
小さなサロンを運営して13年の料理家が、noteという新しい試みに際して、所信表明演説のごとく書いてみたつれづれ投稿です^^

「昔のブログのほうが面白かった…」⁈


「真帆さん、昔のブログのほうが面白かった…」
なんて、誰からも言われていないけれど^^
いや、実のところ、私自身がそう思うのです。

メルマガもそうかな。
もっともっと自由に言葉を出していた…。

 
私がサロンをスタートした13~14年前は、
ネット空間は、まだ新しき「サブカルチャー」の域で
この世のどこかにいるであろう、私の書く言葉が響く人に向けて!と
未知の素敵な何かに出逢えるという青い期待感、ドキドキ感、ワクワク感を、えいっとマウスの人差し指に託して投稿していたことを思い出します。

 
もちろん、サロン設立当初ですし、
幼き子を抱えての毎日でしたから
自分がやりたいことを表現しきれていない!と
いうある種の苛立ち、からの一生懸命さもありました。
 

ちょっと脱線しますが
当時、サロンでどのようなサービスを提供していたか?を書きますね。

ごはんの美味しいヒーリングサロン「さろん楓」は、
家族関係で悩んできた方への個人カウンセリング、グループカウンセリングを提供することからスタートしました。

…「ハンドリフレクソロジー」をして、からだをリラックスさせて、
自分の知らない自分に出逢うきっかけとして、
「オーラリーディング」や「木のリーディング」をしてから
最後に「マクロビごはん」を共に食べるというセッション。

まぁ、思えば、当初から「ごはん」をサービスしていたのですね。
 
その目的な何だったか?と言いますと…?
「感じる力」を取り戻す でした。

Don't think, Feel!
考えるな、感じろ!
とは、有名なフレーズですが、
私は30歳までこの違いをまったくわかることなく生きていました。
とあるきっかけから
この「感じる」ことが人生に及ぼす大きな意味を知りました。

自分が生まれ育った家族の苦しさや
人生におけるいろいろなことを頑張ってもなぜかツラいばかり…という謎は、感じることの抑圧だった…とその理由や謎を紐解くことができていったのです。

そこから、目に見えるもの、感じるものががらりと変わっていきました。
ちょうどその頃は、幼子を育てていたので、
子ども時代に自分が得られなかったものを自分にも与えながら
取り戻しながら、
取り戻せないものは嘆きながら、
これから人生をスタートする幼子に「感じる」ことの自由さだけは保障したいと日々を過ごしていました。

「ない」と目に見えてわかるものは嘆くことができるけど、
「ない」ことさえわからないと嘆くこともできない。
だからこそ、「感じる力」の大切さを訴えずにはいられない、そんな想いでした。
多くの方があまり食べたことがないであろうマクロビオティックのごはんを
サービスしていたのもそんな想いからです。

食べることは安心しないとできない大いなる癒しであり、
味わうことから始まる感性の衝撃って、大きいということは
根拠もなく確信していたことでした。

ただ、こういうことって、
私自身がその体験を経てきたから、ようやくわかったわけで、
人に言われても、本を読んでも、なかなかに腑に落ちない。
身をもって、体験するしかない。
しかも、それを人と共にいるときに、感じることが大事。

自分が感じたことを感じ、
それをそのまま人に受け止めてもらう必要がある。
「私は私の感情を感じていい」
「それは誰からも侵害されない」ということを
確実に体験する場が必要だ!と思って、
ライターとして本を書くのはやめて、サロンを立ち上げたわけです。
そんなニーズがあることさえ、誰も知らないわけですから
その必要性を訴える必要がありました。
だから、自分自身の体験を含めて書いていたのです。
というか、それを書くしか方法がなかった。

それが当時のブログでした。

ちなみにこれね!

…長くなりました。

今思うと、当たり前にもっと注目されたい!という承認欲求もありましたね。

当時はまだ、職業ライターとしての仕事も請け負っていたので、
クライアントのためではなく、自分の文章を書くための時間と体力を
捻出することから頑張っていたっけ。

そう考えると、自分の想いを伝えることに対して、
ものすごくハングリーだったわけです。


では、今、そのハングリーさがないのか?失ったのか?と、
自分に問うてみて、出てきた答えは?


ハングリーさを失ってはいないのよ


自らに問うた答えは…
いつしか、私は、気が付かないうちに
ものすごく幸せなカタチで仕事をするようになっていたのだな
ということでした。


表現したいことを日々、料理として表現することができ、
それを、お客様に期待して頂き、求めて頂き、喜んで頂いている。


料理教室や講座では、私が語り、伝えることを
それぞれに受け取った参加者、生徒の皆さんから、
食べることに対する日々の習慣が変わった、考え方、感じ方が変わった、からだが変わった、家族が変わったという嬉しい変化の報告を頂きます。


確実に、叶えてきた願いがあったということです。


そして、表現すること、伝えることにエネルギーを燃やせて、
ある種の満足感を得ている自分がいる。


だからこそ、この幸せなカタチを
より広く、大きな輪にしていくために、
店舗という、わかりやすく、いろいろな方に開かれた場を持とうとしているわけです。


オンライン化が叫ばれるこの時代に。
世界の片隅で癒しの必要性を叫んでいただけの私が。


今、野望があるのです。

今、野望があるのです。
そういう意味ではまったく満足はしていないです。


というわけで、今既に出逢っているお客様や仲間たちだけではなく、
まだ見えぬ(まみえぬ、と読んでね^^)方たちに、
私が、どんな想いで何をやろうとしているのか?ということを
言語にして伝えてみようとnoteを始めることにした次第です。


サロンを始めたときの初々しくも粗雑で、それゆえのフレッシュなエネルギーとは今はやはりちょっと円熟味(?!)が増していて違うのですが、再び、小さくドキドキしながら、今思うこと、そして、敢えて今まで言葉にしてこなかったことを書いていきたいと思います。


次からは、ある方が解説してくれた私の「野望」なるものを5回にわたってお届けしたいと思います。

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