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[ソウル暮らしのおと]波瀾万丈な汝矣島(ヨイド)の歴史

今日は、ここKBS本社のある「汝矣島」についてのお話。
この小さな島が韓国のマンハッタンと呼ばれるに至るまで、波乱万丈な汝矣島の形成史についてです。

ソウルの漢江の中州の汝矣島。朝鮮時代は王室の家畜を飼育する牧場として使われていました。

初めて開発の手が入るのは、日本の植民地時代だった1916年。この地に「京城第2飛行場」が作られました。
韓国初の飛行士アン・チャンナムがプロペラ機で飛び立ったのも、また、ベルリンオリンピックで金メダルをとったマラソンのソン・キジョン選手が帰国したのもこの飛行場でした。
解放から3日後の1945年8月18日、韓国光復軍の特攻隊員たちを乗せた飛行機C-47がここ汝矣島の飛行場に降り立ちました。この飛行機はその年の11月、大韓民国臨時政府の金九主席が帰国した際の便としても使用されました。
現在、汝矣島公園には、このC-47が当時の姿のまま展示されています。

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1960年代後半から本格的に汝矣島の開発がはじまります。
汝矣島の周りを堤防でとり囲む輪中を建設され、広く確保された土地に国会議事堂や高層ビルが建てられました。

その後、70年代に入り、当時の朴正煕大統領が汝矣島の真ん中に広場をつくるよう指示します。
ところが、花壇や緑のある広場の計画は却下され、朴大統領はだだっ広いアスファルトの広場づくりを命じます。
南北関係が緊張状態にあった当時、この広場を有事の際に軍用飛行場として使うという計画があったのです。
当時の広場の名前は「5.16広場」。朴正煕政権が始まった5.16軍事クーデターの名を冠した広場だったわけです。

その後、全斗煥政権で「汝矣島広場」に名前が変わりました。1983年には、KBS主催の南北離散家族の出会いの場としてもこの広場が使われました。

ここが民衆の広場として記憶に刻まれたのは、軍部独裁が終わりを告げた1987年の大統領選。金大中候補の遊説に130万人の市民が押し寄せたのです。
以来、汝矣島広場は韓国民衆の集会の中心地とされてきました。

ここが、現在のような公園に生まれ変わったのは1999年です。いまでは、昼休みに羽を伸ばす会社員や住民たちの憩いの場所となっています。

国会議事堂が建てられた汝矣島は、時代の移り変わりとともに、政治だけでなく金融と放送のメッカとなっていきます。
KBSを筆頭にTBC、MBC、SBSなどがつぎつぎと入り、いっとき汝矣島は放送産業の代名詞でした。また、韓国証券取引所、韓国産業銀行などが場を占め、金融の中心はそれまでの明洞から汝矣島にうつり、韓国のウォール街と呼ばれました。
いっぽうで、1971年に汝矣島に建てられたシボムアパートをはじめ、高層マンションブームの先駆けとなりました。

こうして、小さな中州に過ぎなかった汝矣島は、 近現代史の激乱のなかで、権力が変わるたびに機能が変わり、政治・経済・メディアの中枢として開発されていったのです。

そんな汝矣島のみどころもいくつか紹介しましょう。
まずは、放送局として唯一汝矣島に本拠地をとどめている韓国放送(KBS)。KBS本館に設置されている「KBSオン」は、テレビ・ラジオの制作過程を知ることのできる誰でも訪問可能な見学施設です。

そして、KBSのすぐ隣の汝矣島公園。緑に囲まれた散歩道をのんびり歩けば、都会の喧騒を忘れてリフレッシュできそうです。

汝矣島の摩天楼の代表的なビルたち。まずは2000年台初めまで韓国で一番の高さを誇った63ビル。最上階の展望フロアから漢江エリアを一望できます。
そして、2012年にオープンした汝矣島IFC。独特の建築デザインが美しいショッピングエリア「IFCモール」で、お買い物や食事も楽しめます。
さらに、今年7月に完工したばかりのパークワンは、地上69階建て、韓国で3番目に高いビルとして、これから汝矣島の新しいランドマークとなりそうです。

[KBS World Radio「土曜ステーション」2020.10.03放送]

http://world.kbs.co.kr/service/program_main.htm?lang=j&procode=one