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スピリチュアルへの道⑥ご縁とは(パチプー生活)

流産した後、派遣の仕事の時に加入していた社会保険を任意継続していた
医者が診断書を書いてくれ、しばらく傷病手当をもらえることになった

身体的には病気というわけじゃない
流産といっても経膣で取り出したので負担は少ない
ただホルモンバランスが崩れてしまったこともあり、家に引きこもり軽い鬱のような症状となった

何をする気にもなれない
外に出て子どもを見ると暗澹とした気持ちになったりした

そんなわたしの様子を見て夫はパチンコに誘った。結婚前から夫と時々パチンコには行っていた。

駅前のパチンコ屋は当時毎週火曜がレディースデイ。女性専用台が何台か用意されて、めちゃくちゃ回るので朝から晩まで座っていれば、ほぼ勝てた。

やることもないので毎日パチンコするようになった。知らない人ばかりだし、誰とも喋らなくてよくて時間潰しには最適だった。

そのうち人間観察するようになった
弁当屋の夫婦はいつも閉店間近の9時とか10時にやってくる。奧さんは朝早くからの仕事で疲れてるのだろう、いつも居眠りしながら打っていた。
大当たりして、はっとして目覚めてる姿を何度も見かけた

昼間3、4才の女の子がいつもいた。
女の子は色んな客の膝の上に乗せられていた。お母さんはいつも負けていたから、常連さんたちは女の子にお菓子買ってあげたりおもちゃの景品をあげたりしていた
今では子どもがパチ屋に出入りしてるなんて考えられないけど
当時は子どもの入店にも厳しくなくて、常連さんみんなで女の子の子守してるようなアットホームなホールだった

社交的な元夫を通して、少しずつわたしも常連さんたちと打ち解けていった。
米屋の南雲さんは勝ってるときは時々お昼をご馳走してくれた
テーラーで紳士の森田さんは出てる時はいつもコーヒー差し入れしてくれる
回る台に空きがないときは、例の女の子と遊んで時間潰したり
タクシー運転手の古賀さんは私たち夫婦を横浜まで車で連れて行ってくれて
隠れ家フレンチをごちそうしてくれたこともあった

しがらみのない関係の中で、心も身体も癒されていった
今では誰一人と連絡取っていないが
当時のわたしにはかけがえのない人とのつながりだった

ずっとつながるご縁、切れてしまうご縁、切れてもまたつながっていくご縁
そんなご縁の一つ一つが複雑に絡みあい、人生に彩りをあたえてくれる

上とか下はなくて、長いか短いかも関係なくて、どれも大切なご縁

深いか浅いかの違いなのかなと感じている



























































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