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リアル体験(3) お寺

 自分はお婆ちゃん子だった。
ちび◯る子ちゃんの家みたいに、お爺ちゃんお婆ちゃんといっしょに暮らしていたこともあって、小さい頃は自分の寝室よりもお婆ちゃんたちの部屋で寝ていた時期もあったし、自分が100歳まで生きるならお婆ちゃんには200歳まで一緒にいてほしいなんて言ったこともあったのを覚えている。
そんなときお婆ちゃんは「それじゃあ長生きしにゃいかんね」と優しく笑っていた。

 そんなうちの爺ちゃん婆ちゃんは、けっこう信心深い人たちだった。
世代的にもともと信心深い人たちがほとんどなんだと思うのだけど、その昔不幸な事故で家族を失ったことがあり、そのときに近所のお寺さんにお世話になったらしい。
自分の知っている限り爺ちゃん婆ちゃんが元気なうちは、お寺のお地蔵様の装飾(?)の旗や前かけを作って奉納していたり、畑で取れた野菜を持っていったりしていた。
爺ちゃん婆ちゃんが亡くなったときにはもちろん、そのお寺にお願いをして法用をしてもらったのだけど、そのたびにお寺の住職からは「生前はうちも大変お世話になった」と声をかけてもらったりした。

 一方の自分はそんなに信心深いわけではないと思う。
何をもって「信心深い」と言うのかすらよくわかっていないけど、一言で言えば「無神論者」だろうか?
京都とかの観光に行ってお寺や神社に寄ったときなんかは普通にお賽銭も投げるけど、神様に何かを願うためではなくて、そのお寺や神社の維持費の足しに…と思ってお賽銭をしている。
だいたい神様が実在していたとしたって、色んな人が参拝して祈っていくなかの一人ひとりの願いを汲み取ってくれるとも思えない。
それだったら…いつから、どんな謂れで存在しているのかも知らない神様よりも、自分をかわいがって育ててくれた爺ちゃん婆ちゃんに手を合わせた方が喜んでくれるだろうし、見守っていてくれるだろうと思う。

 そんなわけで、お寺が近所なこともあって、自分は爺ちゃん婆ちゃんのお墓参りには足繁く通っている。
墓前に供えてあるシキミの水換えをしたり、萎れてきたら新しいシキミに交換したり、そのついでに「家族の健康と平和を見守っててね」と手を合わせてお線香を炊いているのだ。
 とは言えわりと適当な性格なもんだから、規則正しくお参りに行ってるわけじゃなくって、早起きしてジョギングに行く前に寄ることもあれば、前の日に飲みすぎて夕方になってお参りに行ったり…と信心深い人からしてみれば、ずいぶんと無作法なお参りなんじゃないかと思う。

 …でその日、自分がお墓参りに行ったのは日も傾きかけた夕暮れ頃のことだった。
秋も深まって来たくらいの時期で、日が傾いて肌寒くなってきていたのを覚えている。
そのお寺は本当にうちから近いこともあって、お墓参りに行くときは歩いていったりチャリで行くことも多いのだけど、その日は車でお寺へと向かっていた。
理由はもう覚えていないけど、用事があってどこかへ出かける前後にでもお墓参りに寄ったのだと思う。
 お寺の駐車場には西日も入ってこないので、駐車場はすでにうっすらとした夕闇が広がっていた。
いつも通りに車を止めて車から降りたところで、かすかに人の声のようなものが耳に入った気がした。
耳を澄ましながらゆっくりとあたりを見回してみる。
駐車場に他の車はなく薄暗い空間が広がっているだけで、自分以外の人影は見当たらない。
不思議に思いながらも迫りくる夕闇に追い立てられるように墓地へと向かった。
 いつも通りにお墓参りを済ませて駐車場に戻って来る。
ほんの10分ちょっとくらいの時間だったと思うが、秋の夕日の歩みは早く駐車場の夕闇はさらに濃度を増していた。
車の鍵を開けお参りセットを片付けて車に乗り込もうとしたところで、またしてもかすかな人の声を聞いたような気がした。
何を言っているのか、男の声なのか女の声なのかもわからない微かな声。
なにか嫌な予感を感じた自分は、もう一度車を降りると気配を殺して周囲の様子をうかがった。
やっぱり誰もいない……
静かに耳を澄まし続けてもなにも聞こえてくる気配はない。
 もしかしたら車に乗り降りするときに、なにか物音がしていてそれが人の声っぽく聞こえたのだろうか?
今度は意識のアンテナを広げた状態で車のドアを一度開閉してみる……
すると自分の斜め後ろの方から「ぉーぃ…」と言う小さな声が確かに聞こえた。
おっかなびっくりに声のした方へ近づいてみるとそこには……お婆さんが倒れて動けなくなっていたのだった。
急いでお寺の中に声を掛けると住職を呼んで2人でお婆さんを助け起こし、お寺の中へと運び込んだ。
 そのお婆さんはお寺のお婆ちゃんだった。
うちの爺ちゃん婆ちゃんが生きていた頃には自分も何度か会ったことがあったけど、それからすでに10年以上になるからもうけっこうな高齢で、出歩くことも少なくなっていたらしい。
それでも働き者のお婆ちゃんは庭の草取りをしようと表に出て、庭に置かれた飛び石に足を引っ掛けて茂みの中に倒れてしまい、そのまま動けなくなってしまっていたようなのだ。
特にどこかを痛めたような怪我はしていなかったのは幸いだったけど、茂みが邪魔をして身動きがとれず、周りからも目の届かない場所で助けを探していたのである。
どんどんと暗くなり、肌寒くなっていく不安のなか、物音や人の気配をたよりに助けを求めていたのだろう。
注意していなければその声にも気付けなかったし、夕暮れ時にお寺から聞こえてくる正体不明のかすかな声なんて、怖がられて素通りされていた可能性だってあるし、自分が気づけていなかったらと思うと改めてホッと胸をなでおろしたものだった。

 それから半年くらい経った頃だったか、うちの両親からそのお婆ちゃんが亡くなったという話を聞いた。
詳しい話を聞いたわけじゃないけど、家族と一緒に過ごして、家族に見送ってもらうことができてよかったと心のなかで手を合わせたのだった。

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