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2023/3/18 海

海に行きたい。

京都の市内に生まれ育ち、距離としては海はそんなに身近ではない人生だった。それでも、気付いたら僕は海に帰りたいと毎日のように思っていた。

大学の頃寺山修司の詩集を読んで衝撃を受けた。彼の海についての詩がどれもとても美しく、そして異常なほど身と心に馴染んだからだ。電車で読みながら気付いたらボロボロと泣いていた。それ以来その詩集がずっと心の片隅にある気がする。今も大切に想っている。

20歳になった瞬間、僕は海を見ていた。直島という土地で、ただ椅子に座って真っ暗な海を見ていた。街の喧騒も人の話し声も無く、ただ波音だけが聴こえていた。

晴れている日の海も好きだが、曇りの日の朝の海が1番好きだ。空と海の境界線が薄くなり、溶け合っているのを見るのが好きだ。何度も何度もカメラを構えて写真を撮る。後から見返したら全部同じなのに。

海に行く度に波の音をスマホに撮り納めておく。本当に気持ちが沈んでいる時に聴くために。その音を頼りにして、記憶の中の海に帰れるように。

エンディングに海に辿り着く映画が好きだ。僕だって自分が映画を撮るなら絶対海に辿り着く終わりにしたいと思うだろう。きっと「ありがちだ」ってダメ出しされるだろうけど。

『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』という映画が好きだ。天国では、みんなが海の話をするらしい。海を知らないときっと仲間外れにされるから、死ぬ前に海を見に行こう。

いつか海の見える小さな家に住んで、毎日同じ海を見て生涯を終えたい。写真撮ったり、絵を描いたりするのも良いかもしれない。その時好きな人と住めたら良いかもしれない。僕が死ぬその日にはどうか窓を開けておいて欲しい。僕の骨は海に撒いて欲しい。

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