MZ.Backyard underscore

※この文章はフィクションの名を借りた妄想であり、実在の人物、事件、団体等とは一切関係なく、また、軍事的・社会的・政治的・その他あらゆる常識を無視して書かれています。

※提督さんが提督室で何かやっている間、それ以外の場所でも、当然、何かが起きています。

 那智は提督室から乱暴に出て叩き付けるようにドアを閉め、足を踏み鳴らしながら隣のブリーフィングルームの中ほどまで歩いた所で、いよいよ乱暴に、整然と並べられた手近な椅子に身を投げた。意味不明な事を言われて着任の挨拶をしようとしたら、とんでもない目に遭った。まだ胸がムカムカする。特に提督らしき男の情けなさは何だというのか。あんな者が指揮官で、ここは大丈夫なのか。
 とにかく昂ぶった気分を落ち着けようと深呼吸していると、提督室から利根が出てきた。
「だーっはっはっは!那智、まだそこに居ったのか!今まで色んな連中があやつのフザけに振り回されたようじゃが、あんな過激な返礼をしたのはお主が初めてじゃろうて!」
 利根はゲラゲラ笑いながら歩いてきて、那智の隣の椅子に座った。愉快でたまらないように見える。実際、利根は愉快でたまらなかった。
「それで?」
 那智は仏頂面で言った。
「この場合、私はどのような処分を受けるのだ?」
「処分とは何じゃ?」
「あの男がここの最高司令官だろう?最高指令の提督を殴ったのだ。処分を受けて当然ではないか。……まったく、来た早々に処分とは、情けない」
「あの男には暴力を振るっても良いと言うたではないか」
 利根はからかうようにニヤニヤしている。
「暴力を振るって良い相手に暴力を振るった。何ら規律に反する事はしておらんぞ?」
「意味が分からん。公然と上官を殴って良いはずがない」
「……ふむ、確かにいちいち面倒くさい」
 ここの新入りに、ここのやり方を説明するのは、確かに面倒くさい。そして利根は、自分の役割はそこではないと考えている。ポケットからスマートフォンを取り出してコミュニケーションアプリを立ち上げ、誰かにチャットメッセージを送った。この時代に突然放り投げられた格好の那智には、利根が何を取り出してどのような事をやっているのか、全然わからない。
「何だ?その板のようなものは」
「これか?平成の電話じゃ」
「……電話?」
「論より証拠じゃ、まあ見ておれ」
 今度は音声通話を送った利根は、自分で通話に出ようとはせず、那智の頬にスマートフォンを当てた。那智の耳に呼び出し中の電子音が聞こえてきた、と思ったら、通話の相手が応答した。
『はい、電なのです』
「い、電なのか!?」
 那智は思わず周囲を見渡した。電は提督室のドアの向こうに居るはずで、こんなに耳元の近くで声がする事は考えられなかったからだ。
『あ、あれ?那智さんなのです!?』
「これ、頭を動かすな。平成電話の位置がズレる」
 利根が横から口を挟んで、那智の脳天を手で鷲づかみにして頭を固定して、すぐに離した。
「あ、ああ、すまん」
『那智さん、先ほどはたいへん申し訳ない事をしてしまったのです!お詫びいたしますのです!』
 必死の口調らしい電の声が聞こえてきた。当然である。電も那智を相手にやらかしたからだ。
「いや……過ぎた事はもういい。次から手柔らかに頼む」
『はいなのです!』
「しかし、何だこの道具は。これが平成の電話なのか?」
『え?この電話?そうなのです。電もびっくりしたのですが、平成では電話はこうなっているのです。……あ、はいなのです。那智さん、司令が替わって欲しいとおっしゃっているので、お替わりするのです』
「りょ、了解した」
 那智は思わず緊張した。殴ってお咎め無しらしい最高指令という立場の者とどのように対話していいのか、当たりがつかなかったからだ。
『……那智クンかね?』
 電話の相手が男の声になった。那智は腹をくくって、自然体で行く事にした。まずは殴ってしまった事を謝罪しなければならない。
「提督か。何の用だ?さっきは殴って」
『申し訳ございません!!』
 電話の向こうから叫び声が聞こえてきた。ついでにドアの向こうからも少し声が漏れてきていた。
「……は?」
『先ほどは大変な失礼を働きました!てーとくはアタマが弱いので失礼に気がつきませんでした!この通りお詫びいたします!』
「……こ、こ、こ」
 那智の顔が困惑と怒りで真っ赤になった。さっきもそうだったが、この男は何を考えているのか。こんな事で軍隊を統率する事ができるとでも思っているのか。そもそも、この情けない姿勢は何であるというのか。
 言葉を失った那智を見て、利根がスマートフォンを那智の頬から放して、自分の頬に当てて提督と会話をはじめた。
「提督、利根じゃ。……そんな事をしたら、このカッチン玉が余計に慌てるだけじゃ。今だって上官を殴った処分は何だとか気にしておるのだぞ?ひとまず駆逐艦の洗礼を浴びせい。……吾輩らは下へ行っておる。木曾戦隊はどこまで戻ってきた?確認しておけ。……切るぞ?」
 スマートフォンを頬から放した利根は通話を切ってポケットに入れ、まだ困惑している様子の那智を見て溜め息をついた。
「これしきの事でそんなザマでは、ここではやっていけんぞ。もっとも、その為の駆逐艦のお出迎えじゃがの」
「あの男は本当に提督なのか?自己卑下の限りを尽くして謝罪してきたぞ」
「あやつこそ、まごうかたなき、我が鎮守府の最高司令官、提督である。最初に言ったはずじゃ。この門をくぐる者、一切の常識を捨てよ。……いつまでもこんな所に座っていても仕方あるまい、下に降りるぞ。何せここは精神汚染地帯のようじゃからのう」
 利根は椅子から立ち上がり、提督室と反対の位置にあるエレベーターへ向かって歩き出した。
「精神汚染だと!?」
 那智も慌てて立ち上がり、利根の後を追いかけた。
「精神汚染というのは半分冗談じゃ。そもそも最初は駆逐艦どもが提督をからかう為に那珂に吹き込んだ概念じゃが、提督に振り回されておるとこっちまでおかしくなってしまう。そこで、もう半分は本気という事じゃな」
 エレベーターの前に立った利根が呼び出しボタンを押すと、すぐに扉が開き、二人は中に乗り込んだ。
(あの場へ行かなければならない気はしたが、できる事なら頻繁に行きたくない場所だな)
 那智はそう思ったが、残念ながらブリーフィングルームが改装されて執務室となった時、那智は最初期メンバーとなり、提督と最も接触の多い人物の一人となってしまう運命にある。やがて那智も面白がって新人の着任フザけに乗ることになるだろう。諦めてもらう他はない。
「着任して提督に挨拶したまではいいが、提督からも、秘書艦の電からも、必要な事は何ひとつ教えてもらえなかったぞ。せいぜい着任許可、このくらいだ。階級はどうなっている。指揮命令系統は。私はどこに所属して、何をしたらいいのだ。そもそも私は貴様に対してこのような口のきき方をしていいのか?」
 二人を乗せたエレベーターは1階に向かって動き出した。密室になったので気が緩んだのか、那智の語気が多少荒くなってきた。
「そうしたもろもろの説明は、鎮守府に足を踏み入れた時点で駆逐艦が案内がてら説明する手はずになっておる。今日は事情があって駆逐艦の手配が間に合わなかったがの。仕方ないので吾輩が答えよう。まず、我が鎮守府に階級という概念は無い。鎮守府のフザけた所そのイチ、階級ナシ、じゃ」
「階級ナシ!?」
「階級が無い以上、我々に上下関係は存在せん。いや、ひとつだけ上下関係があったかのう。提督より我々の方が偉い」
「何だそれは……。もう滅茶苦茶ではないか」
 体の力が抜けるのを感じた那智は、エレベーターの壁に寄りかかった。
「提督は上で出撃しろと言うだけじゃ。実際に戦場で手足をフキ飛ばして帰ってくるのは我々じゃ。偉いのは兵隊である所の我々であり、なぜなら兵隊が居なければあやつは何もできん。これがあやつの理屈じゃ。まったくふざけておる。ちなみに、ドックは4つある。安心して胴体ブチ抜かれて帰って来い」
「ドック?直感的にどのようなものか理解できるが、4つもあれば十分だろう。それにしても、階級も指揮命令系統もなくて規律が保てるものなのか?」
「あの男の定めた決まり事は極めて少ない。事実上、効力があるのはふたつかみっつ程度じゃ」
 エレベーターは1階に到着し、扉が開いた。エレベーターから出ると、がらんどうの空間が広がっている。この建物に入った時もそうだったが、那智は改めて、鎮守府の中枢と説明された管制棟なる建物の1階がこんな有様でいいのか、と思った。
「したがって、ここは規律どころか秩序もへったくれもあったものではない混沌状態に陥る危険が常にある、という事じゃな」
 ポケットからスマートフォンを取り出した利根は、立ち止まって再びコミュニケーションアプリを立ち上げ、誰かにメッセージを送った。
「……その平成の電話は、持つのに何らかの条件はあるのか?」
「無い。鎮守府の総員がこれを持つ。今日、明日にもお主の分が支給されるはずじゃ。詳しい使い方はその時に教えてやる。何せ平成電話の教官は吾輩じゃからのう」
「今やったのは何だ?技術が進歩して平成の電話はそのような形になった、ここまでは分かった。それだけではないようだが?」
「文字を送る事もできる。音声も含めて通信そのものは暗号化されておるが、使う者は気にする必要がない。平文でやりとりできる。任意の複数の相手に同時に送信する事も可能じゃ。かなりの長文も一瞬で届く。ちなみに、複合化の権限はこの平成電話に対して個別に割り当てられる」
「ここに人間はどのくらい居る?」
「現時点では、提督ただ一人、じゃ」
「……我々の規律と秩序は我々自身で構築せよ」
 那智はつぶやくように言った。
「お主、バカではないな」
 利根はニヤリと笑った。いつの間にか、何もかも見透かすような鋭い眼光を放っている。那智をここまで案内してきた時の利根とも、提督室で笑い転げていた利根とも違う。
「バカではない?何だ、それは」
「怒るでないぞ?褒めておる。頭脳明晰は吾輩の専売特許のようじゃ。じゃが、吾輩の話について来ることができる時点でお主はバカではない、そういう事じゃな」
 利根は管制棟と呼ばれる建物の出入口の方へ歩き出した。那智も慌てて後を追った。
「その頭脳明晰というのは何なのだ……」
「我々の中には特殊な事情を抱えている者も居るのじゃ。見返りはあるようじゃがの。電もその一人じゃ。多少の暴走は大目に見てやれ」
「ひと『り』?それは人間の数え方ではないのか?」
「我々をどのような言葉で数えるかは駆逐艦に教えてもらえ」
「何でもかんでも駆逐艦か、ではそうさせてもらおう。……電もただの駆逐艦ではないな。さっきのあれは一体何だ?」
「……吾輩が、我々の中において、掛け値なしに、嘘偽りなく、心の底から尊敬できる、ただ一人の存在が電駆逐艦。とでも言っておくかの」
 二人が喋りながら管制棟の外に出ると、二人の女の子が待っていた。駆逐艦だという事はすぐに分かった。片方の茶色の髪をした駆逐艦は睦月、もう片方の白髪で帽子をかぶった駆逐艦は響である。これも那智には即座に識別できた。
「それで」
 睦月は溜め息をついてから言った。
「今度の司令は何をしたにゃ?」
「まず提督がやらかし、次に電がしでかした。……あの秘書艦暴走は何とかならんのか?吾輩も首を絞められたぞ?」
 管制棟の中で目を鋭く光らせていた利根は雰囲気を一変させ、ただの重巡に戻っていた。
「電ちゃんもやってしまったのかにゃ……」
「仕方ないよ、流石の電も司令の隣に居るとああなってしまうのです、電の口癖じゃないか」
 睦月と響はうんざりした表情になった。
「ま、それを受けて那智は鉄拳で返礼したがの」
「おおー!」
「хорошо、そいつは素晴らしい!」
 二人の表情が明るくなった。
「……それでいいのか」
 あの提督は尊敬的なものの一切を受けていないのか。那智は軽い目眩を感じた。
「一発殴っただけかにゃ?」
「拳で殴って床に倒した、それで十分なのではないか?」
「甘いにゃ!」
 睦月は片手を上げて、人差し指を突き出して那智をピシリと指さした。
「倒れた所に追い打ちをかけて腹につま先蹴りを5回、そして悶絶している所に襟首を掴んで無理矢理立たせてみぞおちに渾身の拳を10回!あの覗き魔変態レイプ魔司令にはそれが相応しいにゃ!」
「覗き、変態、レイプ……。それを全てやったのか」
 いよいよ那智は目眩を覚えてきた。
「全部、誤解、こじつけ、捏造だけどね」
 あっさりと響が言った。那智の目眩はさらに酷くなった。まったくの蛇足だが、そのうち提督に対する形容が一呼吸で言い切る事も難しいくらいに長くなるとは、この場の全員が予想できていない。
「睦月、今のネタは使える。誰かが来た時にこれを仕掛けよう」
「了解にゃ!」
 腕を降ろした睦月はガッツポーズをして見せた。
「まあ……好きなようにするんじゃな。吾輩は知らん」
 まったく他人事のように利根が言う。
「利根さんは、那智さんにどこまで教えたにゃ?」
「この門をくぐる者は一切の常識を捨てよ、提督には暴力を振るってもよい、この鎮守府に階級なるものは存在しない、この程度じゃの」
「じゃあ、暴力から行くかい?」
「そうだにゃ。……那智さん、いいかにゃ!」
「何だ?」
「我々は戦争のためのフネ、つまり暴力を司る側面があるにゃ。戦闘は楽しいかにゃ?」
「戦闘か?」
 那智は自分が戦場で戦っている場面を想像した。会敵し、砲火を交え、敵を殺し、時として自分も甚大な被害を受け、もしかしたら沈むかも知れない。そこにどうしようもなく抑えきれない愉悦感を覚え、思わず口の端がつり上がった。
「……この上なく楽しい行為であると想像する」
「正しいにゃ。睦月は何度も戦闘を体験したにゃ。戦闘は最高に楽しいものにゃ。頭の中が空っぽになるほど素晴らしいにゃ」
「だからこそ、この暴力を味方に向けてはいけないというのが鎮守府の方針なんだ。これは提督命令なんだけれど」
 響が睦月の言葉を引き継ぐ形で言った。
「拳で語り合って深まる友情もあるだろうから殴り合いの喧嘩までは禁止されてはいないけど、まず甲板整列の類いは厳禁。無意味もしくは不条理な暴力は論外。そして誰か一人を標的にした、一方的かつ嗜虐的な暴力は、それが肉体的なものであれ精神的なものであれ、この一切を禁止する。ここまではいいかい?」
「なるほど、それなりに理はある。了解した」
「まだあるにゃ。いいですかにゃ?我々が暴力を振るっていいのは、敵ばらと……そして司令だけにゃ!」
 最後の一言が決まった。那智は膝から力が抜けて、その場に尻餅をついてしまった。あまりに非常識すぎる命令に、背中がゾクゾクする。
「い、一体どうなっているんだ、ここは!」
「じゃから言ったであろう、提督には暴力を振るっても良いと。……全て、提督が決めた事じゃぞ?」
「およー、そこで倒れられてしまったら後が続かないにゃ」
「やっぱり最初に一気にヤって、その後でフォローした方が良さそうだね。今度みたいに手空きの全員を工廠に釘付けにしておくのは良くないって、明石さんに言っておくよ」
「那智さん、大丈夫かにゃ?」
「な、何とか、な……」
 那智はヨロヨロと立ち上がった。
「詳しい事は鎮守府を案内しながら説明するにゃ。響ちゃん、どこから行くかにゃ?」
「そうだね……まずは間宮さんの所でお茶でもしようか。港や工廠は最後でいいと思う。明石さんに捕まっちゃうだろうし」
「了解だにゃ。那智さん、ご案内するにゃ」
「那智さん、歩けるかい?肩を貸そうか?」
「いや……大丈夫だ」
「利根さんはどうするにゃ?」
「吾輩は少々ヤボ用がある。工廠も途中ですっぽかして来たからの。ヤボ用を済ませたら工廠へ行く。明石が何か言ってきたら、すぐに工廠へ戻ると言っておいてくれ」
「Понятно」
 睦月と響は、足元がおぼつかない様子の那智を連れて、間宮が切り盛りする食堂の方へ歩いていった。利根は3人とは反対の方向へ歩いて行き、3人の姿が見えなくなった頃合いを見て引き返し、管制棟の建物の陰に隠れた。
 すぐに提督と電が管制棟から出てきた。出撃から帰ってくる木曾戦隊が港に戻って来るのを迎えに行くためだ。この二人、特に提督はいつもこうだ。戦闘でズタボロになった彼女たちを港で迎えて、無残な姿を見ては反吐を吐く――もっとも、最近はすっかり慣れてしまい反吐も出なくなったらしく、慣れてしまった自分に強い嫌悪感を持っているようだが――。それが提督にとって何を意味するのかは、鎮守府の全員が知っている。知っているからやらせておく。
 利根は隠れた場所で二人をやり過ごし、無人になったであろう管制棟の中へ入っていった。

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