家族って言っても平等じゃなかった私の家
私の年齢として、だいたいゆとり世代と認識して貰えればおk
私の家は、3世代同居だった。
祖父母と同居で、何事にも祖父祖母にお伺いを立ててから決断する、そんな法律があった。
そのことによる弊害は、たぶんめちゃくちゃ甚大。
本当に色々な悪があったけど、
特に、子ども(つまりわたしたち)の習い事について。
私は子どもの頃、バレリーナに憧れ、バレエを習いたかった。
もちろん母親に話した。
しかし、その希望は受け入れてもらえなかった。
理由は、祖父母がダメだといったから、という、今思えば理不尽極まりないものだった。
幼い子どもだった私は、それなら仕方ないんだ…
と諦めた。しかし、なんで?とは思っていた。
それから、ピアノに出会い、何故かピアノは習わせて貰えた。
通っていた幼稚園の先生が副業でピアノ教室をやっていたため、そこへ通っただからだろうか。
そして数年後、妹がバレエを習うことになった。
妹は余程強くお願いしたのだろう。と、羨ましく思いつつ、自分のお願いの仕方が弱かったせいで、習わせてもらえなかったのだろう、と納得する事にした。
その後、私は県内一の進学校に進む事になったが、
それについても、祖父母は色々反対したそうだ。
そんな高校へ行ったら、大学に行かせないといけなくなる!
女に学問なんか必要ない!
と。
そうなのだ。
習い事に反対したのも、女に習い事なんて!
という事だった。
しかし、ピアノがokだったのは、お琴などの感覚だろうか。
女の子はお金をかけず、家事などを仕込み、さっさと嫁に出す
そういった時代の価値観を、大切にしていたのだろう。
明治以降の家父長制では、家長が絶対的な権力を持つ。
じじいは、そうした家長として、我々家族を率いていたのだろう。
今年の正月は、新型コロナの感染者が減ってきた影響で、帰省した人も多いらしく、義実家の嫁姑問題などでの阿鼻叫喚のツイートが結構見られた…
私が子どもの頃も、正月になると押し寄せる親戚どもの饗宴に、嫁である母が料理洗濯洗い物など、まるで奴隷のように働いていた。
そういった嫁の辛さ、姑という生き物の醜さ、幼い頃から存分に味わってきた。
なぜ、母はこんなにしてまで耐えているのだろう?
こんな理不尽に耐えられるのだろう?
と、幼いながらも疑問だった。
一つは、嫁とはそうあるもの、と日本社会の伝統的な価値観で育ってきたから。
もう一つは、何か反論すると、家を追い出されるかもしれないという恐怖心から、だろうか。
そもそも、
母の世代は、結婚したら仕事を辞めるのが一般的で、
仕事といっても、一般職のようなものにつく人が大半だった。
また、祖父母のような「女に学歴などいらぬ」という価値観があったので、
就く仕事が非常に限られていたのだろう。
そして、
大学や高校に進学するお金が負担である家庭も多かったんだろう。
ああ、この国で、女に人権なんてなかったのかもしれない
そうに気づいたのは、最近だ。
それくらい、根深く、当たり前のように染み付いていた。
今、母は言う。
時代だからね、仕方なかった。
それは、確かに、そうだろう。
それを生き抜いてきた母は、確かに賞賛に値する。
しかし、
母の娘である私でさえ、その、祖父母の古い価値観に支配された環境で生まれ育つことによって、様々な被害を受けた。
子どもは環境を選べない。
しかし、親である母は、大人だったのだから環境を選べたはずだ。
緊張感のある家庭で育つことは、子どもに悪影響しかない。
肉体的でなくとも、常々誰かが怒っている家庭環境は、子どもの心に大きくダメージを与える。
時代だから仕方ない、そんなもので片付けてはいけない。
子どもである時間、その人生は一度きりなのだから。
時代だったから、というのは、被害者側が加害者を赦すために使うストーリーだと思う。
ただ、自分自身も知らず知らずのうちに、誰かの権利を傷つけてしまっているかも知れない。
たとえば、今は昔よりはまだマシなんだよ、とか。
今の時代は、色々なこれまでの価値観を覆すような勢いが、いい意味でも悪い意味でもある。
だからと言って、「今までよりはマシ」なんて妥協せず、
より良い世の中を作るために、今年も色々なことを追求していきたい。
それは、今もう大人である自分自身に、厳しく問い続けていきたいことだ。
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