見出し画像

9月24日のマザコン27

ひとつ前の記事を読む  記事一覧

パート23から引き続き、「介護で必要だと思ったこと・もの」まとめです。

前章に続いて「これがあってホントに助かった……!」というもの。

そのひとつが、ほとんどの人が持っているとは思うが、もしなかったら大変なことになる……、「車と運転免許」。

私は9月24日に帰省して、次の日から一ヶ月、二ヶ月くらい、毎日車を運転していたと思う。
買い物、銀行、区役所、病院、不動産屋、老人向け施設……、それらをローテーションで毎日何カ所も回っていた。
私はもともと東京住まいで、駐車場は高いし車がなくても電車でどこでも行けるしで、自分の車は持っていなかった。
ただ運転免許は持っていたし、定期的に帰省する時には用がなくても実家の車で練習するようにしていたので、下手ながらも運転はできる。車庫入れは絶対に1発では決まらないし、道を曲がるのをよく失敗して(特に細い脇道や通り沿いの店舗に入る時に、あたふたして曲がれずに通り過ぎてしまう)、到着まで時間がかかるけど、時間はかかっても目的地にたどり着く程度の最低限の運転はできる。

例えば「親を連れて銀行と郵便局を回り、帰りにスーパーで食材を買って、午後は病院に行って先生に入院の相談をする」みたいな日があったが、車がなかったら、そのどこへも行けないのである。
タクシーでどこかしらに行ってまたタクシーで帰って来ることはできるだろうが、手間と料金を考えたら現実的ではない。まずひとつの銀行に行って、用が済んだら次の銀行に行くのに親を待たせてタクシーを捕まえて乗って指示して2件目の銀行に着いて、用が済んだらまた親を待たせて通りに出てタクシーを探して……、なんて。とてもやっていられない。
バスを使えば出費は抑えられるが、行ける場所が1日2、3箇所になってしまう。
例えば母の入院しているKM病院まで、車なら40分くらいだ。仮にそれをバスで済ませようと思ったら、まず家からバス停まで15分歩いて、市バスを待って乗車して浜松駅まで30分、乗り換えて病院最寄りのバス停まで20分、そこから病院まで徒歩15分。
しかも浜松駅から病院の最寄り停留所へ向かうバスは、1時間に1本しかない。そうすると平均すれば家から病院まで2時間くらいかかりそうで、往復となれば診察時間は含めずに行って帰るだけで4時間だ。

さらに、そんなに時間をかけるのに、「帰りにスーパーでお惣菜を買って行く」とか「区役所まで足を延ばして保険の手続きをする」みたいなこともできない。役所まで行こうと思ったら、乗り換えがあるので追加で片道1時間だ。
そもそも「家からバス停まで」「バス停から病院まで」がそれぞれ徒歩15分で、病気の親が、そんなに歩けない。必死でやればなんとかなるかもしれないが、「行きたくない」とゴネる親を励ましたり怒ったりしながら15分も……いや健常者で15分なので病人のペースなら30分だろう。なだめすかしてなんとか30分歩かせて、30分もがんばって歩かせた結果、「自宅の最寄りバス停」までしか着かないのである。
バス待ちの時間も考えれば、家を出て40分後にようやく最初のバスに乗れるくらいのものだ。これを最初から自家用車で行っていれば、もう病院に着いている。

大げさではなく、うちのような急性の介護トラブルが発生した時に、車がなかったら為す術がないのである。
もし浜松の実家に車がなかったら? 私がもし、運転免許を持っていなかったら? ………想像できない。私が最初の1ヶ月の間に車で訪れた場所、そこへ全部タクシーで行っていたとしたら、回るのに2ヶ月以上かかっただろう。入院費に匹敵する金額のタクシー代もかかっただろう。両親の処置は遅れて私の心身へのダメージも2倍になっていただろう。

いくらかの貯金があったことと同様に、「うちに車があって私が運転できた」というのは、「このおかげでなんとか生き延びることができた」という重大な要素であった。
だから……、もしこれを読んでいる人で、将来家族の介護に巻き込まれる可能性があって、車移動が前提の地域に住んでいてなおかつ運転免許を持っていない人がいたら、来月にでも今月にでも、今すぐにでも自動車学校に入校した方が良い。
上で書いた「自宅から病院まで病気の親をなだめすかして1時間も2時間もかけてバスで通う」という絶望ルートを選択したくなければ、すぐに免許を取って、運転の練習をするべきだ。
「うちは父も母も本人が運転できるから大丈夫」とか、「運転できる兄弟がいるから自分はできなくてもいい」とか思っている人がいたら、それは非常に危ないことだ。いつか必ず、その「運転できる人」が倒れる時が来るのだから。家族で唯一車が運転できる、頼もしいお兄さん。そのお兄さんが事故で怪我をしたり心身を病んでしまった時には、他の誰かがお兄さんを病院に連れて行かなければいけないのだ。毎週毎週、何度も何度も。
「想像できる中で最悪な状況」というのは、想像の中にだけあるものではなく、現実に起こることなのだ。
自分は運動がからっきしダメで怖いから運転はしない、というポリシーの人もいると思うが、そのまま免許を取らなかったら、いつかお父さんやお母さんが死にそうになった時にも助けてあげることができない、ということは肝に銘じておくべきである。
うちの母親も、何回も途中の試験(考査?)に落ちながら、長く通って運転免許を取っていた。もし母が車を運転できていなかったら、私はもっと何年も前から、父をあちこちの病院に送迎するため浜松に住むことを強いられていたかもしれない。私が運転できることで家族は救われたし、母が運転できたことで私もまた救われていた。地下鉄のあるような大都市に住んでいるわけでもなく、タクシーを無制限に使えるような財産があるわけでもなければ、「車を運転できるか」というのは人生を左右する重大事なのである。

なお、私の場合は車に加えて、スマホ+Googleマップの組み合わせが非常に役に立った。
カーナビはどんどん情報が古くなるので、目的地を登録しようとしても検索で見つからないことが多い。うちの車のカーナビは区役所すら検索結果に出て来ない有様だ。
その点、Googleマップは情報が刷新されていくので、目的地を検索して出て来ない、ということは滅多にない。マップ上で目標を選択して「経路」→「開始」と進むと完全にカーナビとして道案内をしてくれるので、車載のナビより頼りになってしまう。
ただしスマホを持ちながら運転すると危ないし道路交通法違反なので、スマホホルダーをセットすると良い。私はエアコンの送風口につけるタイプのホルダーを使用している(こういうの)。元々旅行先でレンタカーを運転する時用に買ったもので、スマホを手に持たずに済み、しかも高めの位置で画面を見られるようになるので、とんでもなく重宝している。
車そのものに加えて、iPhoneとGoogleマップも「もし自分がこれを持っていなかったら……」と考えると背筋が寒くなる道具たちだ。

そして、もうひとつ。
私の介護の戦いにおいて頼もしいパートナーとなってくれているのが、パソコンだ。
現在は実家近くに借りた安アパートの部屋にデスクトップPCを置いてある(東京の部屋から運んで来た)が、9月から数ヶ月の間は、小さなノートパソコン1台が私の相棒だった。
今時パソコンでできることはほとんどがスマホでもできるので、スマホに熟達した人であればスマホだけでいいのかもしれないが……

パソコンやスマホは、情報のリサーチや買い物、それから孤立する介護生活の中で、メールやSNSを通じて外の世界(元いた世界)とつながるための窓口になってくれる。
情報のリサーチ。例えば「精神障害者医療費助成制度の仕組みと申請方法」について、インターネットがなかったら、どうやって調べたらいいのだろう? 銀行の支店や移転したばかりの区役所の所在地、何科の病院がどこにあってどこの病院が評判が良いのか、それをネットを使わずにどうやって知ればいいのだろうか?
インターネットがない時代にも、両親がかかったような病気はあった。その時代の人たちは、いったいどうやって介護を成立させていたんだろう……。

パソコンは他にも重要な使い道があって、それは「メモを取る道具」としてだ。
アナログにノートと鉛筆で書いてももちろんいいのだが、入力のスピードや文章の修正・整理という点で、情報戦である介護を戦うにはパソコンの方が圧倒的に有利である。
少なくとも私にとっては、介護の世界はまったく未知で、新しく触れる世界であった。
だから、日々新しく入って来る情報が、すごい量になる。
まず両親の日々の様子や病状を記録しなければいけないし、病院に行けば先生からの指示や相談した内容や入院時の注意事項やコロナ下での面会ルールを書いておかなければいけないし、地域包括支援センターや区役所の医療福祉課の人となにを話したか、精神障害者医療費助成制度や介護保険制度や自立支援医療制度や精神障害者保健福祉手帳制度や高額介護合算療養費制度や高額療養費制度はどんな制度でうちはどちらの親の分をいつ申請したか、入院した親のスマホを一時休止するには、東京の住民票を浜松で取得するにはどこでどういう手続きをすればいいか、うちの資産は合計いくらで今後の医療費の見通しはどれくらいか、宅食はどういう頻度で届いて支払いはいつなのか、両親にはどんな持病があって精神科以外に通っている病院はどことどことどこで次はいつ予約が入っているのか、今日見学に行った老人ホームはこういう特徴で昨日のところはこんな雰囲気で食事はこういう形でこんな決まりがあってうちから車で何分で………。

とにかく、うちの日々の様子や、あちこちで話をしたり役所や保険会社やいろんなところに電話で問い合わせたりして得られた膨大な情報を、精神的に追い込まれている中で、きっちり処理しなければいけないのだ。
ほとんどが自分は初めて接する未知の分野の知識のため、メモを取らなければ翌日には忘れているだろう。心が弱ってくると頭も働かなくなってくるので、書かなければ情報を保持できない。
私は病院や役所など外で話したことは帰ってすぐ、電話で問い合わせたことは電話を切ってすぐ、1日の出来事や両親の様子に関しては1日の終わりに、パソコンを使ってGoogleドキュメントに記録していた。
Googleドキュメントならweb上に文書が保存されるため、「パソコンで記録したメモを、外出先でスマホで確認する」ということができる。そしてその場でスマホから文章を修正したり追加することもできるのだ。

私は普段から、思いついたアイデアをその場でメモするためにGoogleドキュメントを使っており、また文章を整理して書くということも一般の人よりは得意である。なにしろ本職だ。
そういう点で、私は医療や介護の従事者ではないが、しかし自分の職業が介護において有効に働いた部分はあったと思う。
私は帰省するとよく母にパソコンの使い方を教えていて、母は私に聞いた内容をその都度ノートに手書きでメモしていた。ところが母は文章の構築能力が皆無で、いつも「ただ単語を並べただけ」というような支離滅裂なメモになってしまっていた。だから、それを後から見てもなんのことを書いたのか自分でまったく理解できていなかった。
もし私もそうであったら、パソコンで記録したメモが意味をなさず、メモが意味をなさなければ情報が一切保持されないので、病院で相談したこともあちこちに電話で問い合わせたこともまったく無意味だったということになる。
これも「もしそうだったら」と想像すると背筋がゾッとすることで、自分がたまたまその能力を持っていた幸運に胸をなで下ろしている。

しかし、ここまで書いてみて、ふと思った。
私は今回挙げたものたちをたまたま持っていたが、母は、メモもまともに書けないし、Googleマップもパソコンもインターネットも使いこなせないし、Twitterのつながりが多いわけでもない。そもそもSNSなどやっていない。
そんな、私だったら「想像するだけでゾッとする」という不利な状況が重なっていながら、それでも母は父の介護を一人でやるつもりだったのだ……。
それらを持っている私という家族がいたのに、私に頼れば自分の負担は軽くなることがわかっていただろうに、それでも母は私に迷惑をかけまいと、ゾッとするような不利な環境の中で一人でがんばっていたんだなあ……。
だから苦しみが限界を超えて、精神を病んでしまったのだ……。

治って欲しいなあ。
そんなにがんばった人は、残りの人生を楽しく生きる権利があるんだ。
もう一生分の苦労をしたんだから、元気に帰って来て、今度こそ父のいない家で自由に、自分の人生を生きて欲しい。


次の記事 9月24日のマザコン28

もし記事を気に入ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。東京浜松2重生活の交通費、食費に充てさせていただきます。