仮で東京戻ります(※Twitter文字数オーバーのため)

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「(※Twitter文字数オーバーのため)」とタイトルに入っている記事は、Twitterで呟く程度のことを140文字で収めきれないためnoteに転載しただけのもので、校正も読み返しもしていない軽めの投稿です。
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週末に東京に戻る。
浜松の部屋の場所を知ってる人、泥棒に入らないでね!!
もしくは、東京の部屋がすでに泥棒に入られてたりして。でも盗る物なんてなにもないけど。デパスはたくさんあります。睡眠導入剤もたくさんあります。冷凍の餃子もあります。

月曜日に、地域包括支援センターの人(イトウさん)に来てもらって、3者面談をした。
母担当のケアマネージャーさんというわけではないらしい。なんでも、要介護ではなく「要支援」の場合は、包括センターの担当地域に要支援の高齢者がたくさんいすぎるため、いちいち要支援になったからといってすぐ担当を決めることはないということです。なにかサポート(ヘルパーさんとか訪問看護とか)を受けることになったら、その時に担当が決まるそうです。もうさばききれないくらい、地域に要支援の老人があふれているらしい。もうこの国も寿命ですね。
でも、今回はまだ担当ではないが、イトウさんは4年前に母の担当のケアマネージャーさんだった人である。4年前は母はヘルパーさんも訪問看護も使っていたので、その時はイトウさんが担当になっていたのである。その後母は元気になって要支援も外れたため、イトウさんも担当ではなくなり、ただその縁で今回も面談には来てくれたのである。

結果的に、ヘルパーさんも訪問看護も、しばらくは頼まないことになった。
訪問看護はメンタルの病気の場合はあまり意味がなさそうということと、母は近場なら自分で車を運転して行けるため、ヘルパーさんに買い物を頼むほどではないということになったのである。調子が悪い日は寝込んでいるが、数日おきくらいで起きれるようになるので、調子が悪くない日に自分で買い物に行けばよい。ヘルパーさんに週何回も来てもらうほどではない。どうせ食欲もないし。ということになった。あと、母は貧困妄想が強いので、ヘルパーさんに払うお金ももったいないと言っていて、じゃあ自分でやってねということになった。
一応、サポートが必要になったらすぐイトウさんに電話をすれば手配してくれるということなので、これでとりあえず私がやれることはやり尽くしたと思っている。

ということで、週末から久しぶりに東京に戻ることにした。
Twitterのサブアカをフォローしてくれている人はご存知と思うが、私のストレスも相当なものになっている。母がお金の心配ばっかりしていて、私が「お金の話はイライラするからしないでくれ」ともう入院前から入院中から退院後も100回くらい言っているのに、それでも「お金がない、破産する、どうするんだ」みたいなことをしつこく言ってきて、それで私は何回かぶち切れている。3日ほど前も頭に来すぎて母を激しく罵ってしまった。Twitterに書いたが「母親ののしり隊」を結成したいくらいストレスが飽和状態なのだ。隊員が集まらなければ、私1人でだって活動するさ。
母が半分くらいボケているのを放置するのは気が引けるが、もうこれ以上自分の生活を犠牲にして親に付き合うのはイヤだし、これ以上つきあっていてもストレスが爆発してテーブルを持ち上げて母親をぶん殴ったりもしかねない気がするし、癌と鬱の入退院まで付き合って、包括センターのイトウさんと今後の方針を話すところまでやったのだから、もうこれでひと段落としたい。母を殴ったり殺したりしないためにも、しばらく距離を置きたいのである。

あと、今回母を罵りながら思ったのは、もう親子の縁を切ってもいいかなということ。
今までは、育ててくれた親を見捨てるなんてできるわけない、親が病気だったら自分が助けるのが当たり前、という考えだった。それで10年前はじめて母が鬱病になってからずっと自分も病気になりながらがんばってきたけど、今度という今度は、もう一生分親のために働き尽くしたと思った。4年前ももう一生分やった、と思ったんだけど、今年でその思いをさらに強くした。
もうこれ以上親のためになにかをやりたくない。自分が病気になって、自分の家にも住めずに地元に戻って人生を犠牲にしてがんばっても、親から報いを受けることはなく、さらなるわがまま、困難を押しつけられるだけだ。
私はこんなことをするために生まれて来たわけじゃない。
次にまたこれ以上の厄介事がやって来たら、親や親戚や施設からの連絡はすべてブロック・着信拒否して、介護も帰省も断固拒否して、親が狂おうが死のうが行方不明になろうが無視し続ける、という手段もありだというように、気持ちは変わってきた。もう十分がんばった。自分がそこにいなければ、離れたところにいれば、どんなに親が苦しんで地獄絵図になっていようが、自分は苦しくないのだ。むしろ今のところは、自分がいないところで両親が地獄の苦しみを味わっている場面というのを想像してみると、すごく気持ちがいい。せいせいする。ざまーみろという気持ち。
親と絶縁して親を見捨てて一人で生きていく、ということがここ数日で現実的に選択肢になったと思う。

東京の部屋で生活するようになったら、私の鬱病は良くなるかなあ。毎日親のところに行かなくていい、という点でひとつストレスは減るし、夜でも出歩ける、会える人も東京にはいっぱいいるんだ、家系ラーメンも食べに行ける、お店もたくさんある、という恵まれた環境の嬉しさでメンタルも徐々に良くなるといいのだけど。
本当はどんどん人と会ってお喋りをするのが精神の回復にもいいはずなのだけど、鬱病のためそこはいくらか躊躇してしまう。話題が介護とか病気の話くらいしかないし……。ごはん食べながらそんな話したい人はいないだろうな……
一瞬自立支援の延長手続きのために戻ったけど、それを抜きにすれば5月以来、半年ぶりに東京である。もうすっかり浜松の別宅の生活に慣れてしまったので、東京に戻るのが怖くもある。どういう生活をしていたかもう忘れている。今年は最悪中の最悪の年だった。
おいしいチャーシューメンが食べた〜い!


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さくら剛
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