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人の死の扱いは難しいです。死者の数が問題なのではない。納得できる死かどうかです

 コロナや環境、難民問題で、私は人の死を考えることが増えました。
 
 そんな中で、私の考え方は「死者の数が少ない方が良い」という単純なモノでした。しかし間違っていました。人間の感情(あるいは価値観)はそんな単純なものではない。
 1人の死よりも10人の死が望ましいことがあるのです。重要な点は「納得のいく死」かどうかでしょう。
 おそらく多くの人の賛同を得られそうなのは、10歳の死と80歳の死は違うと言うことです。
 また「自分が運転している自動車の事故による死」と「飛行機事故による死」も違うらしい。
 老衰とガンも違うでしょう。さらには喫煙者が肺がんで死ぬのと、喫煙者の家族が肺がんで死ぬのも違うでしょうね。

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 もっと大雑把な話をすると、安楽死と理不尽な死は違う。
 モスレムの死と無宗教者の死も違うと思います。

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 しかし人間の死生観は個人差がありすぎて、はっきり言って手に負えないです。
 特に日本で、死を扱うのは難しいようです。その一方では、言い方は悪いですがモスレムの死は単純です。アラーの思し召しで天国に行くので、それだけに対応すれば良いし、悲壮感が無いと言えばない。

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 この話に結論はありません。
 しかし、この議論に直面しなければいけない「事態」が、あるいは起こったかもしれないのです。病院におけるトリアージです。
 コロナの死者がスペイン風邪並だったら、これは大問題になったでしょう。
 これも特に日本社会は、トリアージの概念に慣れていない。多くを救うために、目の前の患者を見捨てることが、果たして医者に出来るのか。これは疑問です。
逆に米国などは軍医が(戦場で)トリアージを行うので、これは常識的な処理です。この差は大きいですね。

 


 

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