死生観について

 何気にこれをメインにして書いたことなかったなぁって。なんとなーく思った。
 死生観とは?はてさて、定義づけのお時間です。私の中では理想の生きる上での指標、死ぬ基準である。「こう生きたい」と「こんなことがあったら死にたい」かなぁって。これは本当に定義が難しいなぁであまり触れられなかった。というのも、宗教の問題が絡んでくるからである。「個人」の固定観念は比較的面白く聞くことができると思うのだが、「集団」の固定観念にとらわれつつ話すというのは難しい。これが常識でありその人の周りの普通なのだから。その話は一旦置いておこう。ここまでいくと本質からズレる。そして、宗教は色々あるから。全てを理解していない私が話すの何か違う。
 
 これまでの地獄はないんじゃないか?とたまに考える時があった。だが、私は今それなりに幸せに生きている。そして気づいた。
 生きている間は「死」に逃げることができるが、もし死後の世界で昔みたいな嫌なことがあったとしたら、どこに逃げたらいいのだろう。誰にも追われない逃げ場など存在しなかったら?それはすごく怖い。あの時、ちゃんと逃げれる場所(死)があったから生きて来れたのかなと思う。もし、死後の世界があって、それが幸せじゃなかったらきっと後悔する。
 「死」というものは唯一人間が1人で成し遂げられることだと思う。生きるためには様々な人の様々な力が必要になる。食事を例に挙げよう。自給自足という言葉があるが、それは必ずしも1人でできるわけではない(田舎暮らしのスーパーおじいちゃんとかは除く)。自給自足の生活もきっと先人の知恵を元に、誰かの道具、誰かの支えがあって成り立つと。その時点で「生きる」ためには「誰か」が必要である根拠が示せたのではないかと考える。これ以上にもっといい例があると思うがそれは各々考えるということで。

 だが「死」はどうだ?誰かの力を借りるか?医療の力で安楽死はできても、誰かと心中をしても、結論を出すのは自分の体だ。死ぬか、死なないか、決められるのは自分だけ。太宰治を例にする。彼は何度も心中しようとしたが失敗している。きっと彼の方が死に憧れを抱いていたはずなのに。生命力の差で生きてしまったのだ。誰かの力を借りても死ねない時がある。
 あー!人生ー!きびしー!!!!!死にてーーーー!!!でも死ぬの怖えーー!!!逃げ場ない!?魂だけ残ってもいやだー!!!!幽霊とかになったらもうさ、ここに残るわけじゃん??逃げとかじゃないよね。もうさ、終わってんなー!それはそう考える俺の性格なのか、この地球とかいう謎の物体のせいなのか、魂とかいう得体の知れないものなのか。

 まじで普段の配信の頭ぽわぽわトークとは思えないほどズケズケ言ってしまうネ!ちゃんとしたプラットフォームで、これについて話すことをちゃんと伝えて、ネームバリューで来た子が後悔しないようにしなきゃっ!!って思った!

 あと、これは好む人はすごく好む話なので記録に残しておきたい!!!配信内じゃ言葉を選んじゃうから。これは今言葉を選んでいないをイコールで結ばないで欲しい。わがまま〜!めんご!配信より素直な言葉というか、考える時間を経ての言葉だから、比較的これは話題として出していいか否か。柔らかい表現にした方がいいか。あえて率直に出てきた言葉を紡ごうかと模索した上で君に伝えている。
 そして私もここを深掘りしたい!でも配信だとなぁ、今入室してくれた子にあらましを説明できる語彙力を持ってないから。こういう頭使う(多分)の話をしたいときはnoteというプラットフォームを使います。そっちの方が楽だから。

Discord持ってる人はDiscordでもいいし、TwitterのDMでもいいし、ここのコメントでもいい。なんなら配信に来て「ここ!もっと聞かせろ!!」と言ってもらってもかまわん。
 深掘りして欲しい所、気になった所・質問、君の意見、たくさん聞かせてください。多分、私に必要なものはたくさんの価値観です。たくさんの価値観を知ることで私の世界を広げてください。そうしてくれたらわたしがもっと君の世界を広げることを約束しましょう。

 なんかさ!!!これ!!!楽しい!!!
 私は死を考えたとき、1番生きていたのは同情の言葉でも、優しい対応でもなく、ただ自分の感情を語る場面である。言葉だけじゃ救えない。行動だけじゃ救えない。薬でもなんでもなく、ただ自分はこう考えていて、こういう事があって、だからすごく嫌だった。だから生きているのが嫌になった。というそれ。根本を知ることだった。哲学の話をした。絶対これ答えないじゃんwみたいな。人間って考える葦らしい!なんでぇ!?!?とか、この本のこの部分にはこういう意図が!!とか、WHOの健康の定義は難しすぎる!!!とか、そんなくだらない話。でも不思議と結論を出したくなる話。これを理解しないと人生辞めらんねぇな!みたいな話をしていると、不思議と嫌なことを忘れられるもんだから。答えのない問いを考え続ける。人生って多少曖昧な方がきっと面白い。難しいことなんて考えるもんじゃないが多少立ち止まりたい時、どうだっていいことを本気で考えてみる。

 その時に話し相手がいた事がきっと私の人生の幸せに繋がっているのかなぁとも考える。あの方々とはもう関わりがなくなってしまったけども。あの時、くだらない会話に付き合ってくれたことは未だに感謝している。ありがとうね。いつかこれを見た時にでも、(まぁまぁな確率で辿り着かないだろうけど)あぁ、こいつまだ生きてるんだ〜くらいに思ってくれると幸いです。

サポートしていただけると嬉しいです。 未熟ではありますがこれからも頑張ります!