6回目のお遍路(4/28夜~5/4朝)   高知から愛媛へ

 昨年のゴールデンウィークから始めたお遍路も、1年目を迎えることになりました。仕事をしながらの区切り打ちなので、なかなか前には進めませんが、それでも今回で、高知県から愛媛県へ向かえるまでになりました。今回は、5日間連続の遍路で、しかも毎日40~60㎞という距離の連続。自分で計画したものの、果たして最後まで歩けるのだろうかと、不安を抱えてのスタートとなりました。

28日(金)

 いつものように仕事を終えて、ザックを背負い、京都駅へ向かいました。5日間の荷物は、さすがにずっしり堪えます。急増している外国人観光客に加えて、連休前とあって、京都駅は大混雑でした。
 18時46分の、ほぼ満席状態の新幹線で岡山へ向かいました。新幹線車内で、持参していたお弁当を食べようかと思いましたが、混雑状態の車内で食べる勇気はなく、次の電車まで我慢。岡山駅で、前回より1本早い20:05分発南風25号で、高知へ向かいました。こちらの特急も新幹線ほどではありませんが、そこそこの詰まり具合でした。車内で腹ごしらえをし、高知に着いたのが22:47分、前回と同じ駅前のホテルでぐっすり眠りました。

29日(土)

 朝3:50起床。パンとゆで卵を頬張って、しっかり腹ごしらえを終えて、5:10分にホテルを出発、高知駅5:39分発土讃線で、前回最終の窪川駅へ向かいました。本日の天気予報は雨。今日は足摺岬先端までの行程のおよそ半分、44㎞を遍路します。7:59分、窪川駅に到着。終点の駅まで乗っているのは、皆お遍路さんのようです。
 途中、影野という駅に停車中、車窓から、かなり大規模な太陽光発電パネルが見えました。山間部のこのような場所でも、静かに進行している環境破壊。日本全国で、このような景色が広がりつつあることに、大きな危機感を持ちました。
 窪川駅をスタートしようと思ったら、既に小雨が降り始めていたので、すぐに雨の支度をしました。合羽を着て、ザックにカバーをかけて、いざ出発。まずは国道56号線で、中村を目指します。歩くうちに雨脚が強まってきましたが、今日はしっかり雨対策もしてあるので、ひるむことなく歩き続けました。10:20分、道沿いのお家の方が、自前の「お遍路接待所」を作っておられ、声をかけて頂きました。先を急ぎたい気持ちもありましたが、せっかっくのご厚意、ありがたく休ませて頂きました。頂いた南部煎餅の美味しかったこと!御礼を言って、再び歩きはじめました。
 そこからさらに6㎞ほど歩いたところで、さらに雨脚が強まり、お腹も減ってきたので、どこか雨宿りできるところが無いか、探しながら歩いていると、四万十くろしをラインという電車の駅が目に留まりました。四万十くろしおラインの伊与喜という無人駅で、屋根もあり、ベンチもあり、すぐ近くにお手洗いもあって、お遍路にとっては至れり尽くせりのスポットです。駅に入って、持参していた握り飯とお茶を頂きました。
 12:18分、腹ごしらえを済ませて出発、またひたすら雨の中を歩き続けました。途中から海岸線に出ましたが、海を眺めているような余裕はありません。ただ、前だけを見つめ、歩きました。およそ3時間ほど歩いたところで、そろそろ疲労も感じてきたので、道の駅「ビオスおおがた」で休む事にしました。15:50分到着、暖かいものが欲しくなり、ホットコーヒーとホットミルクを注文、美味しかったこと!
 少しほっこりしたところで、今夜の宿「ホテルクラウンヒルズ中村」を目指して遍路再開。あと11㎞ほどだと、言い聞かせてのスタートでした。ホテル少し手前のスーパーで、今夜と明日朝のご飯を買って、さらに雨脚が強まる中、19:00にようやくホテルへ到着しました。
 部屋に入って靴を脱いでみると、メッシュタイプの靴の中はずくずくで、少しでも乾くようにと、中敷きを外しました。雨の中の遍路は厳しかったですが、これでようやく88㎞のおよそ半分を歩くことができ、明日はいよいよ足摺岬までの遍路です。
 部屋で食事し、早々とベッドに入りました。

30日(日)

 朝3時起床。予定通り4:00に出発。靴は未だ湿ったままで、脚も痛く、今日の44㎞を歩くことができるのか不安で一杯です。歩きはじめると、これまで感じた事の無かった、左大臀筋あたりの痛みが辛く、しばらくお尻をさすりながら歩いていました。四万十川に沿ってしばらく歩き、川を渡って川沿いを歩き、間崎という地区に入ってしばらく歩いていると、「大文字」という道路標識が見えました。ふと山の方に目をやってみると、ほんの20mほどの小高い丘に、「大」の文字を発見。立札によると、応仁の乱を逃れて中村に下った、一條教房の息子、房家が、父や祖父の供養を兼ねて始めたと書かれてありました。今でも、8月末頃に送り火が灯されているそうです。
 ホテルを出てからおよそ4時間、18㎞ほど遍路した地点で、ローソンで二度目の朝食タイム、握り飯を頂きました。休憩していたとき、隣のベンチで座っていた青年も歩き遍路で、しかも野宿しながらの通し打ち。歩き遍路通しは、とても親近感を覚えます。
 10:00に大岐海岸を通過し、全長1.6㎞もある長い長いトンネルを経て、11:40、再びローソン休憩。昨日のダメージが残っているためか、長時間の歩行がとても辛く感じます。このローソンから足摺岬の金剛福寺まで、あと13.0㎞。最後の力を振り絞ってあるけるように、コーヒーとレモンケーキを食べ、足のストレッチも入念に行いました。
12:00にローソンを出発し、半島の西海岸をひたすら南へ向かって歩きはじめました。そしてようやく15:00、岬先端にある38番金剛福寺に到着。2日間かけての長丁場でした。
 今日の宿がこの近くだったら嬉しかったのですが、明日の行程を考えて、今日はもう少しだけ距離を稼ぐため、お昼に立ち寄ったローソン付近にある、土佐清水漁港までの13.0㎞を遍路、今来た道を戻ります。38番の金剛福寺から39番延光寺の遍路は、唯一の打ち戻し区間があって、同じ道は帰りたくないものの、歩く距離などを考えると、ほとんどの歩き遍路さんは、打ち戻しを選択されるそうです。16:00、お寺を出発し、今やってきた道を歩きはじめました。昨日からの足の疲れもさらに増大し、頭の中を空っぽにして、ひたすら歩きました。
 18:30分、今日の宿「ビジネス南粋」近くのスーパーで、買い出しし、19:00分、宿に到着しました。今日の宿は、広い和室で、ちゃぶ台もあって、足をゆっくり延ばしてくつろぐことができました。狭いホテルの部屋よりも、開放感があって、それだけで疲れがとれるように感じたのでした。

5月1日(月)


 今朝も3時起床。いつものようにパンを頬張って、4:00分出発。今日は天気も最高で、今度は暑さが心配です。今朝も昨日歩いた道をひたすら戻り、7:00過ぎに昨日も休憩したローソンに立ち寄って休憩をとりました。ここから5㎞先の番外札所「真念庵」を経由し、三原村を経て、延光寺を目指します。真念庵は、1600年代に建てられた大師堂で、以前は宿坊もあり、遍路する人はここへ重い荷物を置いて、軽装で足摺岬の金剛福寺まで遍路することが出来たそうです。そんな、打ち戻し区間ならではの番外札所には、8:17分に到着しました。真念庵は今は無人となっていて、地元の方々がこの庵を守っておられ、お札も近くの民家の大塚様というお宅で授かりました。8:30分に出発し、9:20分、およそ4㎞先の三原村にあるお遍路さん休憩所に到着しました。遍路途中には、このようなお遍路さん休憩所が所々に設けてありますが、ここの休憩所は、とても美しく保たれていて、テーブルの上にはお花までが活けてあって、非常に気持ちの良い休憩所でした。
 9:30分再び歩き始めます。歩くうちに三原村役場近くのやまびこカフェの看板が目につき、お昼はここで頂こうと、カフェを目指して歩きました。カフェまでの道すがら、何軒か、どぶろく製造所という小さな小屋が在りました。後で調べると、この三原村は、どぶろく製造の特区をとっておられ、村をあげて、新しい産業育成に取り組んでおられるようです。11:45分、お目当てのやまびこカフェに到着、日替わりランチを頂きました。ランチを頂いているときに、ふと横を見ると、どぶろくの瓶がディスプレイされていたので、可能であれば少し分けて頂こうと、職員の方に聞いたところ、どぶろくは、要冷蔵、瓶のキャップ部に小さな穴が開いていて、瓶は寝かしてはいけないのだそうです。宅配は可能とのことで、自宅用にどぶろくを購入しました。
 お腹も一杯になり、どぶろくも手配できたので、12:30、歩きはじめました。延光寺さんまであと11㎞です。そこからの道は下り道で、こんなに登ってきたのかと思う位、ひたすら道を下りました。15:00分、延光寺さんに到着し、お参りをして15:45、今日の宿に向かいました。宿毛市にあるホテルアバン宿毛まであと7.5㎞です。ところが、ホテルへ向かう道中、胃が痛み始めて、なかなか前へ進むことが出来なくなってしまいました。極端に歩行速度が落ちたため、ホテルへ着いたのは17:50。胃が痛くなったのは、背負っていたザックのお腹のベルトがきつすぎたのが原因のようでした。部屋でザックを降ろし、ベッドで休むうちにすぐに回復、この日はホテルの敷地内にあったファミリーレストランで、久しぶりにゆっくり食事を摂ることができたのでした。21:00分就寝。

5月2日(火)

 3:00起床。4:00出発。相変わらず真っ暗な中を、ヘッドランプの灯をたよりに国道を歩きます。5:20分、高知県からついに愛媛県に入りました。ようやく愛媛まで来たかと思うと、感慨深いものがあります。6:20分、国道沿いのローソンで休憩し、8:38分、愛媛最初の40番観自在寺に到着しました。お寺に着く少し手前で、女性が「もうすぐですよ」と声をかけてくださいましたが、門をくぐろうとしていると、その女性が走って追いかけてこられるではありませんか。何だろう?と思っていたら、手作りのコースターをお接待でくださろうとしていたのでした。お礼を言って、お話していると、その方のお歳が85歳と分かり、二度びっくり。全速力で走られて、大丈夫だっただろうかと、心配になりました。それにしても、有難いことです。
 お参りをして、9:30分出発、この日はお寺はここだけで、あとは今夜のホテルまでの20㎞を歩きます。海岸線の外室手バス亭の夕日スポットを11:20分通過、13:00分、さらに6㎞先のゆらり内海という温浴施設に到着。今日はここでゆっくりランチを頂くことになりました。これまでのランチは、おにぎりを頬張る程度だったのですが、今日はかつおの刺身御膳という超ぜいたくなお昼。かつおの刺身はもちもちしていて、この辺りで養殖されているヒオウギという貝の天婦羅もなかなか美味しく頂きました。13:30分出発、今日の宿ホテルアイリンまで、あと14㎞です。
 16:11分、ホテル手前のAコープで買い物をして、17:00ホテルに到着。今回色々なホテルに宿泊しましたが、今日のホテルが最高でした。室内も広く、テーブルもあり、洗濯機なども使うことができ、こんなに至れり尽くせりで、歩き遍路割引価格は、2人で8500円也。これまでたまっていた洗濯物もきれいに洗って乾燥させることができ、この夜は気持ちよく休むことができたのでした。

5月3日(水)

 今回の最終日。今日は3カ寺。次回の遍路をなるべくスムーズに始めるために、この最終日も目いっぱい、歩く予定にしていたので、少々時間不足になる可能性が高いということになり、この日はいつもよりさらに早い、2時起き、3時出発となりました。相変わらず表は真っ暗闇ですが、歩くことに集中するには、暗い方が良く、またお日様もでていないので、暑すぎることもなく、この日も順調に歩きはじめました。およそ11㎞先の宇和島市街を抜け、41番龍光寺に到着したのは、7:40分。さらに3.5㎞先の仏木寺には8:40分に到着しました。
 今回、ほとんどの道が国道だったので、せめて一度ぐらいは、遍路道を歩きたいと思い、43番明石寺へは、峠越えの遍路道を歩きました。歯長峠を経て、12:14分、予定よりも随分早く、明石寺に到着し、今回最終の最寄駅、卯之町駅についたのは13:30でした。

 予定よりも随分早く到着することができたので、卯之町駅の待合室で、着替え、2本ほど早い電車で、松山市へ向かいました。松山駅前にある温浴施設で、足を伸ばして湯船に浸かった時の開放感、最高でした。
 この日は、このまま電車で京都まで戻ることもできたのですが、東予港からフェリーで大阪南港まで帰ることにしたので、遍路最後に、ささやかな旅行気分も味わうことができたのでした。

 遍路道の海沿いの道には、津波タワーが整備され、また山の上へスムーズに駆け上がれるように、道も整備されているのを多く見かけました。遍路から帰ってから、北陸地方で地震があり、がけ崩れも起こしましたが、四国の道を歩いている際に、同じような地震に遭えば、たちまち被災することは確実です。遍路とはいえ、常にそのような危険と隣り合わせであることを、充分認識しておかなければならないと、感じました。


 次回は6月を予定。



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