2023年10月19日からのこと
私はBUCK-TICKさんのファンで、わりと年季の入ったお魚(ファンクラブ名FISH TANKで、会員をFISH TANKERと称することから)です。
あの日からぐちゃぐちゃになった心を整理するために、忘れないでいられるように、この文を綴っています。
正確なレポートとかではないので、予めご容赦ください。
…まずは出会い。
学生時代に熱心なファンだった友人が「まずはこれを聞いてみて」と、ベストアルバム『CATALOGUE 1987-1995』を貸してくれました。
「知らない人たちだけど、とりあえず1回は聞いて感想を言わないとなあ」という完全なお付き合いで、アー写もろくに見ないまま再生したのですが、なんかいいかも…と突き動かされて、急いでサイトを見に行きました。
ジャケットで綴りを確認しながらYahoo検索して「全体的に黒い。この人たちがBUCK-TICK…え、髪の毛立ってる人がいる!?この人は頰にB-Tって書いてる?というかセンターの人目力強っ!」なんて、テンプレートのような第一印象ながらビジュアルにも心惹かれて、友人にCDを返したその足で、ショップに同じCDを買いに行きました。
それから何度も聞いて、他のCDも集め始めた頃にタイミングよくライブハウスツアーが始まり、大阪にも来てくれると聞いて、チケットを取ってくれたその友人カップルに連れられて、生まれて初めてライブというものに行き、生音に抱かれる感覚を知り、完堕ちしました。
決定打は『唄』だったと思います。
CDでは感じられない光と振動、生音と生声を全身に浴びて、クセになるしかありませんでした。
生まれて初めてファンクラブなるものに入会して、そのアー写だけのスタイリングだと思ったトサカとB-Tペインティングがデフォルト装備だと知り、高校時代の友人と兄弟で結成してから紆余曲折あっても不動の5人として活動しているというバックグラウンドも魅力的で、そこから数十年、ずっとずっと彼らの音楽に支えられて生きて来ました。
テレビの音楽番組にほとんど出演されないので、ライブ会場で会える時間がものすごく楽しみでした。
バイトを頑張って武道館や横浜アリーナに夜行バスで遠征して…客席に降って来たバルーンを胸に抱いて脳内再生しながら眠ったりする時間も幸せでしたが、就職してから東京に来れた時は、本当に嬉しかったです。
「東京は街で芸能人に会えるらしいから、いつかオフのBUCK-TICKさんともばったり会えたりするかも」なんて、ベタな期待もしていました。
まったくそんなことはありませんが。
新譜を出すたびに新しい世界を見せてくれて、マンネリ知らずで、35周年をゴールじゃなくて通過点として迎えられて、ツアーファイナル(仮)では群馬音楽センターの外壁プロジェクションマッピングを見上げながら、こんな素晴らしいバンドのファンでいられる幸せを噛み締めました。
特に…という表現が相応しいかわかりませんが、通えば通うほどボーカルである櫻井敦司さんの優しくて退廃的な歌詞と魔王と称される圧倒的なビジュアルと表現力に魅了されました。
ステージ中のMCはほとんどないのにボソッと囁く数ワードが可愛かったり温かかったり、ただただファンの幸せを想ってくれていることが伝わる真摯さが大好きで、辛い時も苦しい時も、敦司が美しいと言ってくれるこの世界は美しいのだと、信じることが出来ました。
そして、2023年10月19日、木曜日。
ホールツアーから間髪入れずにライブハウスツアーとファンクラブ限定ライブが発表された時は、嬉しいけどこんなハイペースで大丈夫なのかなと心配になったり、初日と2日目が平日で己の体力も不安になりつつも、何があるかわからないこの時代だから行けるライブには全部行くんだと、半休を2日使って土日で回復する覚悟でチケットを取りました。
17時半開場だから、規定の14時半で退社すれば先行グッズ販売に並んで横浜駅のモールでご飯も余裕…なんてうまくいくわけもなく、仕事が押して会社最寄りの牛丼屋さんで遅いお昼をかきこんで、Zepp横浜に着いたのは、17時過ぎ。
会員チェックを通過して、来場特典のリストバンドを受け取りました。
日付入りで会場毎に色が違うデザインでしたが、横浜の「黒」がどうしても欲しかったので、手首に付けた瞬間、めちゃくちゃワクワクしました。
グッズは終演後に買おうとコインロッカーに荷物を預けて、整理番号順に並んで、入場して、ドリンク交換して、FC限定のお約束で開場時間中にステージのスクリーンで流してくれる過去ライブ上映を眺めながら、18時を待ちました。
何百回も経験してきた、ライブのルーティンでした。
コロナ禍のスタンディングは床に立ち位置が指定されていて、押し合いもなく平和だったなあと位置取りをしながら懐かしく思ったり、急ぎの仕事メールを返している間に映像が終わってスクリーンが畳まれ、スタッフさんによるサウンドチェックが始まりました。
ドラムの音が身体に響き、もうすぐ…とドキドキして、マイクスタンドがいつものステージ中央ではなく上段のドラムとベースの間に置かれたので「異空のホールツアーと同じ『SCARE CROW』始まりかな?」と予想して、オンタイムで客電が消えた瞬間「始まる!」と心が躍りました。
ここから、記憶が朧ろです。(本題なのに)
『QUANTUM Ⅰ』が流れる中ステージバックに「BUCK-TICK FISH TANKER's ONLY」の文字が踊るように映写されて、アニイ、ゆうたさん、ヒデさん、今井さんがステージに登場して、たまに手を振ってくれたりしながら、それぞれの楽器をスタンバイ。
いつものように最後に現れた敦司は、漆黒のステージ衣装とマラボー(羽マフラー)を身にまとい、ゆっくりと階段を昇ってから、歓声の中でスタンドの前に立ちました。
そしてすべての音が止み、世界一幸せな時間が始まった、と思いました。
最初に流れたイントロは『SCARE CROW』。
ホールツアーで何度も聞いた曲でも、ライブにおいて同じパフォーマンスは一度としてないから、一音たりとも聞き逃したくない、どんな仕草も見逃したくないと思って、全神経を集中させて、孤独で気高いカカシに思いを馳せました。
嘆息しながら拍手を送り、2曲目。
『BOY septem peccata mortalia』のイントロで「ホールツアーのセトリと違う!」と察した観客のテンションが跳ね上がり、敦司が背中から倒れました。
「え?」と思いましたが、彼はマイクを離すことなく、身体を起こして、階段に座ったまま真っ直ぐ前を見て歌い続けたので、演出だったかなと、『ABRACADABRA』の『URAHARA-JUKU」映像もめちゃくちゃ格好良かったなと受け止めて、欲望と衝動に浮かれて腕振りをしました。
気付かなかった自分の目は、節穴でした。
歌い終え、ゆっくりとステージドリンクのキャップを開けて、一口飲む敦司。
客席に打ち水をしてくれないかなと期待しましたが、静かにテーブルに戻して、ステージに自ら運んできたマイクスタンドをセットして、演奏スタート。
3曲目は『絶界』。
声は出ていたのに、明らかに演奏とテンポが合っていなかった。
何度か耳元に手をやっていたので、イヤモニのトラブルかなと思いましたが、最後まで歌いきってくれたので、私たちも戸惑いながら拍手を送りました。
そのまま敦司は客席に背を向けて、ステージ袖に目線を送り、袖からスタッフさんが駆け寄って来ました。
いつもの敦司なら、有事は自分からスッとはけて戻ってくるのに、おかしい。
スタッフさんの腕が敦司の腰に回されて、なんだか話し込んでいるようで、メンバーも黙って見守る中、もう一人スタッフさんが駆けつけて脇を支えた瞬間、敦司の膝がガクんと崩れました。
悲鳴が上がり、息を飲みました。
そのまま敦司はスタッフさんに支えられながらステージから去り、ざわめきの中でまず今井さんが様子を見に行き、ヒデさんも後に続きました。
程なくして戻ってきた今井さんが「ちょっと休憩」と言ってくれて、「はーい」と答える観客。
BUCK-TICKさんのライブで敦司以外のメンバーが言葉を発するなんてイレギュラーで緊張事態だと、お魚にはわかりました。
前列2人が戻ってこなくて、後列リズム隊のゆうたさんとアニイも何か言葉を交わして(口の動き的に「一回はける?」みたいな感じ)、ステージを降りていきました。
不安の中で客電が灯り、震える手で毎日着けている敦司デザインのシルバーネックレスを握りしめて待ちました。
数分してからスタッフさんが現れて、メンバーの体調不良によるライブの中止が告げられました。
深く頭を下げてくれましたが、早い判断に正直ホッとして、拍手して応じる観客。
「いいよー」「お大事にー」「敦司愛してるー」という声が上がる中、私も隣のまったく知らない人と「敦司が無事ならいいですよね!」と言葉を交わして、粛々と退場。
長蛇の列になっている後物販に並び(売り場スタッフさんたちは本来なら休憩時間のはずなのに、すぐに開けてくれたことに感謝しかないです)、パーカーとトレカと、ずっと再販希望をアンケートに書き続けて実現したトレカフォルダも2冊買って、来場アンケートに「また会える日を良い子で待ってますね」と書いて提出して、Zeppを後にしました。
メンバーの体調不良でライブが中止になるのは初めてではないですが、当日目の前で…というのは流石になくて、その夜に金曜公演の中止も発表されてすぐ、電車の中で翌週の名古屋公演チケットを取りました。
年内全部キャンセルして休んでくれてもいい、でも、もしもやってくれるなら絶対行くんだと、心に決めました。
ドキドキしながら、FCサイトから「メンバーメール」に応援メッセージも送りました。
その時にはもう敦司は空に行ってしまっていたなんて、想像も出来ていませんでした。
翌金曜日、会社で上司に「ステージでメンバーが倒れて中止になった」こと、今日の半休は別日にずらすことを話しました。
みんな身体だけは大事にしましょうね、と。
そのまま土曜を迎えて、年明けに延期したホールツアー名古屋公演の振替公演のチケット再販売日だったので、迷わず取りました。
金曜の時点で11月にあるゆうたさんの別イベントの中止が発表されていたので、不安しかなくて、ただ将来の約束が欲しい一心でした。
土日はポケgoの「80km歩く」タスクを進めつつ色違いバケッチャ探しのためにひたすら散歩する途中で神社に参拝して、敦司とメンバーの無事を祈りました。
10月21日は今井さんの誕生日で、インスタに顔写真プリントのケーキを上げてくれたのですが、これはきっとステージで、敦司がアカペラで歌うバースデーソングに合わせてロウソクを吹き消すはずだったんだろうなと、胸が締め付けられました。
色違いバケッチャには会えませんでした。
そして、音沙汰のないまま10月24日、火曜日。
仕事が押して遅いお昼を食べ終えて、午後の会議のことを考えながらお茶を飲んでいた14時ジャストに、FCからLINEが届きました。
「大切なお知らせ」の一文と、URL。
これは、絶対に良くないやつ。
息を止めてアクセスすると、サーバーエラー。
急いでXを開いたら、公式アカウントが同じ文面を投稿していて、既にたくさんの反応がついている。
他の人のコメントやトレンドでそれを知るのは、嫌だと思った。
LINEに戻って、何度も何度も更新ボタンを押した。
きっと今たくさんのみんなが同じことをしていて、こんなことをするからサーバーエラーになるんだよね、ごめんね、でも時間なんて置けない。
ようやく繋がり、真っ黒な画面に白い文字が映った。
数えきれないくらい楽しい情報が詰まっていたはずのそのサイトが、敦司の訃報を伝えてくれていた。
ああ、と思った。
とにかくお会計をしようとレジに行き、電子マネーのリーダーの調子が悪いと謝ってくれる店員さんに、大丈夫ですよーと笑って答えた。
ここで泣いたら、決済に手こずって泣き出したヤバい人になるなと思いながら。
店の外に出たら空は青くて、ここに敦司がいるのかなと考えたら、涙が溢れそうになった。
まだ早い。
会社に駆け戻り、「午後から在宅に変更させてください」と相談しようとして、席の近くで同僚と話していた上司のところに行って、口を開いたけれど、喉が詰まって言葉にならないまま、いきなり帰り支度を始めてしまった。
聞き返されても、もう立ってすらいられなくて、机に縋り付いて崩れ落ち、嗚咽しかできなかった。
敦司は最期まで、ちゃんと立っていたのに。
開いたままだったスマホ画面を渡して、文面を読んだ上司に「…この間、ステージで倒れたって言ってた人?」と確認されて、やっぱり私だけに見える幻じゃなかったと実感して、もうダメだった。
すぐに空き会議室を押さえてくれて、箱ティッシュとお水をくれて、号泣する私が少し落ち着くのを待って、今日は帰れと送り出してくれた。
この世界は優しい。でも、敦司がいない。
涙をこらえて電車に乗り、家に帰ってすぐ異空を流しながら、ようやく声を上げて泣きました。
合間にリモートワークで急ぎの案件だけは対応しながら、ただ泣きました。
早すぎる。
「名古屋に行けるかな?」「皆さん身体に気を付けて…って、おまえだよって感じですね」のフラグなんて、回収しなくて良かったのに。
還暦の年に真っ赤なステージ衣装を着てくれるのを、楽しみにしていたのに。
「忙しいけど、亡霊になってもステージをやってやる」って言ってたよね。じゃあやってよ。
せっかく買ったトレカフォルダ、活用させてよ。
あの神社、御利益ない…でも、お祈りした時点で間に合ってなかったわ。神様ごめん。
でも連れて行かないでほしかった。
水曜日、泣き腫らした目で会社に行ったら、黙って心配してくれる人、気を落とさないでと励ましてくれる人、大丈夫?と聞いてくれる人たちがいました。
敦司はいない、でも、世界は優しい。
私は、ここで生きていく。
というわけで、半休で名古屋ライブのはずだった今日を終日休みにして、こうしてnoteを綴っています。
今井さんとゆうたさんがBUCK-TICKを続けてくれると、たくさんのみんなが人生を賭けて愛して来たバンドはなくならないと、約束してくれました。
こんな幸せなことはないと思うから、今はどうか、周りの人たちが4人のことを守ってくれますように。
どうか、どうか無理はしないでくれますように。
脳幹出血。
生活習慣の乱れ、ストレス、高血圧が引き金で起こりやすい病。
生存率は限りなく低い。
そんな状況で、敦司は命懸けで歌ってくれていた。
いつも「皆さんの大切な時間を使ってコンサートに来てくれてありがとう」と言ってくれていた敦司が、最期の時間全部を、私たちファンのために使ってくれた。
ステージで死ぬのが本望なのかは計り知れませんが、誇り高く歌う姿は、めちゃくちゃ格好良かった。
あの3曲を聴けたこと、もしかしたら敦司が最期に見た景色の一部になれたかもしれないことは、私の一生の誇りです。
もちろん、敦司の目には来れなかった方達の姿も映っていたと思います。
格好良くて優しくて、ニャンコが大好きな可愛い魔王様。
偲ぶ会に参加出来たら、心からの御礼と、くるみちゃんとガッちゃんを寂しがらせちゃダメだよと伝えたいと思います。
本当にありがとう。
私は身体を壊して「このままだと心臓が止まるかもしれない」と言われた時に、BUCK-TICKさんの歌が、敦司の歌が聴けなくなるのは嫌だと真っ先に思って、回復に専念した時期がありました。
死ぬのは怖い。
ただ、その先に敦司がいるなら怖くなくなったかな、なんて、怒られそうなことも考えています。もちろん、まだまだやりたいことがあるので、心身大切にしますが!
櫻井敦司さん。
本当に、本当にありがとう。
どうか、安らかに。
一生、愛してます。
以上!
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