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ゆるっと歌の自分らしさとテクニックと表現について。

自分らしさってなんやねん。

初めましての方は初めまして、どうも歌って撮ってイギリスで育ちました桜田有 (サクラダ ユウ)です。

前から抱えてた悩みで、きっと歌やってる人は結構抱えてる悩みだと思うんですけど、自分らしい歌ってなんなのかはっきりとわからないんですよね。

やれここの癖が独特だとか、ハスキーだとか、透明だとか、ビブラート、しゃがれた声、キンキンした声、色気がすごいとか、ウィスパーボイスだとか、まあとにかく色んな言葉が出てくると思うんですよ。そしてこういう表現力の一部となるものがその人らしい歌声につながると思うんです。まぁだいぶ当たり前のことなんですがね。

んでじゃあなんで自分らしい歌声が大事になってくるかって自分らしさが確立してないと一人のアーティストとして確立できないと思うんです。じゃないとカラオケで歌ってるのと正直変わらないし。

自分もそんな脱カラオケをするためにも歌のレッスンをしばしお休みしてる間に表現力の特訓を始めました。しゃがれてみたりここの歌詞を話すように歌ってみたり、そんなに好きでもない自分の声質について考えてみたりと1年間。

そうしてあーでもないこーでもないと納得のいかないままに気づけばあれ?なんか違うと耳から大事な知らせがこの前届きました。

歌下手になってね?

いやでも表現力は良くなったはず、そう、信じたくない!下手になっただなんて!と友達がこの疑惑を否定してくれると一縷の望みをかけて録音した歌を書き出して一斉送信。

1秒でも早く聞いてくれ!と催促して得た曲の感想。音楽友達には「本家の真似して変な感じになってる。後最近練習サボってた?」とズバッと指摘され、音楽素人な友達にも「前の歌い方の方がなんか好き」とザクッと言われ、ジャンボ食べた時の食感を期待してた私にとっては大根に殴られたような気持ちになりました。

やはり歌下手になってた。

これは由々しき事態だと歌の先生に久しぶりのレッスンを申し込み、変なお腹の使い方してたことが発覚。よかったよかったとひとまず自分の不調の原因を知り安心したのもつかの間、本家の真似して変になってると言われたことが気になってそのことについて聞いてみるとうっすら気づいてた概念についてドーンと説明されました。

それが今回の主題であるテクニックと表現力について。

結論から言うと100表現と100テクニックは共存できない。らしい。

さてここで表現力に重きを置いた100表現な人と逆に100テクニックのような人を一個の線の両極端に置こう。

テクニックが100振り切ってる歌はクリーンで安全すぎて随分とつまらないし、表現力が100振り切ってる反対端にいる人は歌声が安定しない。表現力を極めれば極めるほど使えるテクニックが減り安定性は落ちていくし、テクニックを極めれば極めるほど表現力が落ちてつまらなくなっていく。

まぁだからテクニック極めた後にうまい具合に表現力混ぜて 真ん中からテクニック側までの間に自分の歌の置き場所探してみるのが一番健全な形らしい。そしてそれが自分らしさに繋がると。

何故そういうのが健全か。
洋歌手でいうならAdeleとか邦歌手でいうならamazarashiのボーカル:秋田ひろむとかがいい例えになると思うんだけど、表現力側にかなりスペック振ってる歌手で成功してる人もいっぱいいる。けどそういうテクニックを落とした歌いかたはどうしてもどっかで喉を壊すらしい。実際Adeleとか喉の手術何回かしてるしね。そういう歌い方を推奨しないのは歌の先生としては不思議でなかったんですよね。

でもそういう人ってきっと歌を歌う上で何かしらの決意があるんだろうなぁと思う。

それがその人の色を作り上げているんだと思うし、歌を歌うバックグラウンドにはきっとみんな違うものをみんな抱えているだろうからどういう歌い方を自分らしい歌い方にするのかには結局正解はないんだろうね。

一人のアーティストとして尊敬してる先生にカバーをする上で本家の雰囲気とは離れた自分の歌い方をすることも間違ってはいないよ、と一言もらって今までなんかいろいろと縛られてたんだなぁと感じました。

久しぶりに再認したものも多かったし、テクニックと表現力の関係についての話が個人的に面白くて記録に残したくなったそんな歌のレッスンでした。

そうして残ったのは自分のとりあえず目指したい歌い方の輪郭が見えてきた気がする桜田でございます。

さて歌い直してきまーす!!


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