物をかくことについて

こちらの投稿、Twitterの方でもリツイート、いいねしていますが、
まさにその通りだなと。

たくさんのものが書ける人だって、代々(数多の先代から)継いできた「タレ」があるわけで、「タレ」が自分の中にたくさん集まってきて、時間をかけて、人生の色々な経験と一緒に混ぜて、放っておいてこそ、「思考の発酵」が起こって「自分なりの」ものができる様になったり、「自分なりの」ことが言える様になるわけです。


ただ、私みたいな若輩者が気にするのは
その「発酵」の度合いがまだまだ足りてないんじゃないかな
っていうところなんじゃないかなって・・・。

でも、ここでこの投稿にあるように、「そこを押しのけていく」必要がある。

なんというか

「押しの強さ」、「諦め」、もしくは「戦略的な思考」というか、

そういった力を(人それぞれもちいる力は違う)使っていき、

オリジナルのものができるまで、自分の「発酵」が進むまでは
継ぎ足しだろうといいからどんどん出していかないと、って。

「発酵」は時間をかけて行うものだけれど、
「外に押し出す」ことだって時間をかけて行うことだから、
そんなにすぐにきれいにできるわけじゃないし、
いつかいつかって思っているうちにできないまま時間が過ぎてしまう。

自分の「発酵」を待つのはいいけれど、
自分の中のものを溜めておく、というのは


ちょっと違うかなとか思っていて。

溜めておく、というのは使うとなくなってしまうんじゃないかという恐れから来ている気がするんです。

溜めておくことはしなければしないほど、新しい情報が入ってくる。
本当に自分にとって大切なものは、
たくさん身体に入れていく中で澱のように自分の底の方に静かに沈んで、
時間を経て汲み上げられるものなんじゃないでしょうか。

情報って頭の中に留めておこうとしても出て行ってしまうじゃないですか。
物をずっと覚えていられるのってその情報を日々取り出しているからだし、
いくつかの情報をずっと留めておくのって新しい情報を入れることができないし、

情報は「古く」なるし、


結局のところ時間の変化と折り合いをつけながら、
川の流れのように日々色々な情報を出し入れし続けていくしかないのかなぁ。


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