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輸血拒否と自己決定

 東大が後期で論文試験を行っていた時代の出題(2008年)を紹介します。課題文というか資料は、実際にあった事件の判決です。受験生だけでなく、大人にも読みづらく、わかりづらい印象を受けます。しかし、意外なことに、受験生による問1(内容説明)の正答率は高いのです。それは、判決という文章は、論文の基本(判断+理由)に忠実な文章で、理由の正しさを論理的に(順を追って)説明するものだからです。基本をマスターした受験生ならば、構成も内容もクリアにみえるため、説明しやすかったようです。
 なお、太字処理した①自己の生命の喪失につながるような自己決定権は認められないに対する見解を求めた問2は、解答者の価値観(生命観、人間観、人生観、医療観などなど)が問われるため、内容面ではやっかいです。ただ、ここでも論文の基本(判断+理由)をおさえていれば、何とか解答できる仕掛けになっています。大切なことは判断そのものではなく、理由であること、それが思いつきではなくしっかりとした考察(異なる見解の検討、対処)をふまえたものであること、そうした思考力の確かさをはかる良問といえます。
 ちなみに、この判決は輸血拒否を認めたものと誤解されやすいのですが、正確に言えば「本件については認める」という内容です。一般的に輸血拒否という自己決定を認めたわけではないことに留意して読みたいものです。なお、自己決定の難しさは輸血拒否に限らず、生活、社会のさまざまな面でみられます。そうした広がりをもつのも、良問たるゆえんです。

次の文章は、ある宗教団体Aの信者X1が、輸血は受け入れないとの信条を医師に説明していたにもかかわらず、肝臓の悪性腫瘍を摘出する手術を受けた後、救命を優先する医師の判断により、麻酔で意識を失っている間に輸血を施された事件に関する、控訴審判決の一部である(控訴人X2はX1の子、X3はX1の配偶者である)。これを読み、後の問いに答えなさい。

 本件のような手術を行うについては、患者の同意が必要であり、医師がその同意を得るについては、患者がその判断をする上で必要な情報を開示して患者に説明すべきものである。もちろん、これは一般論であり、緊急患者のような場合には、推定的同意の法理(注1)によるべきであるし、その説明の内容は、具体的な患者に則し、医師の資格をもつ者に一股的に要求される注意義務を基準として判断されるべきものである。
 この同意は、各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権に由来するものである。被控訴人らは①自己の生命の喪失につながるような自己決定権は認められないと主張するが、当裁判所は、特段の事情がある場合は格別として(自殺をしようとする者がその意思を貫徹するために治療拒否をしても、医師はこれに拘束されず。また交通事故等の救急治療の必要のある場合すなわち転医すれば救命の余地のないような場合には、医師の治療方針が優先される)。一般的にこのような主張に与することはできない。すなわち、人はいずれは死すべきものであり、その死に至るまでの生きざまは自ら決定できるといわなければならない(例えばいわゆる尊厳死を選択する自由は認められるべきである)。本件は、後腹膜に発生して肝右葉に浸潤していた悪性腫瘍であり、その手術をしたからといって必ずしも治療が望めるというものではなかった(これは、現に当審係属中にX1が死亡したことによっても裏付けることができる)。この事情を勘案すると、X1が相対的無輸血(注2)の条件下でなお手術を受けるかどうかの選択権は尊重されなければならなかった。なお、患者の自己決定は、医師から相当の説明がされている限り、医師の判断に委ねるというものでよいことはいうまでもなく、また、医学的知識の乏しい患者としては、そういう決定をすることが通例と考えられる。そして、相当の説明に基づき自己決定権を行使した患者は、その結果を自己の責任として甘受すべきであり、これを医師の責任に転嫁することは許されない(説明及び自己決定の具体的内容について、明確に書面化する一般的な慣行が生まれることが望ましい)。
 輸血(同種血輸血)は、血液中の赤血球や凝固因子等の各成分の機能や量が低下したときにその成分を補充することを主な目的として行われるものであり、ショック状態の改善、事故や手術の際の大量出血による生命の危険に対して劇的な効果を収め得る治療手段であるが、ときにウィルスや細菌などの病原体による感染症や免疫反応に起因する副作用などがある。したがって、医師が患者に対して輸血をする場合には、患者又はその家族にこれらの事項を理解しやすい言葉でよく説明し、同意を得た上で行うことが相当であるとはいえるが、手術等に内在する可能性として同意が推定される場合も多く、一般的にそのような説明をした上での同意を得べきものとまではいえない。しかし、本件では事情が異なる。X1は、Aの信者であったところ、Aに属する患者は、その宗教的教義に基づいて輸血を拒否することが一般的であるが、輸血拒否の態度に個人差があることを看過することはできない。また、単に無輸血といっても、絶対的無輸血と相対的無輸血の間には質的に大きな違いがあり(また、Aの信者であっても、血液製剤のうちの一部のものは、個人の判断で許容できるとしているし、血液の貯蔵を伴わない自己血輸血の一部の方式も同様に許容できるとしている)、医師は、Aに属する患者に対して輸血が予測される手術をするに先立ち、同患者が判断能力を有する成人であるときには、輸血拒否の意思の具体的内容を確認するとともに、医師の無輸血についての治療方針を説明することが必要であると解される。
 さらに本件においては、次の事実が認められる。X1は、昭和4年1月5日生まれであって、病院Bに外来受診しその後入院した当時63歳であり、判断能力を有する成人であった。被控訴人Y1は、X1の担当医師団の責任者であり、X1の外来受診の際に対応して入院治療を承諾し、本件手術のメンバーを決め、術前検討会を主宰し、本件手術の執刀医として最終的な責任者となった。被控訴人Y2及び同Y3は、X1の主治医として、入院中のX1の日常的な診療に直接携わった。被控訴人Y4は肝臓外科専門医として.彼控訴人Y5及び同Y6は麻酔医として、本件手術及び本件輸血には関与したが、その関与する局面は限定されたもので、X1及びその家族と接触することはなかった。被控訴人Y1、同Y2及び同Y3は、前記認定の経緯から、X1がAの信者であって輸血拒否の意思を有していることを知っていた。被控訴人Y4は、X1がAの信者であることを知っていたと推認されるが、同Y5、及び同Y6については明らかでない。被控訴人Y1は、X1が病院Cで無輸血手術ができない旨言われたため、病院Bに受診することとなった経緯を知っていた。被控訴人Y1は、X1の外来受診当初から、X1の肝右葉付近に巨大な腫瘍があることなどの所見を得、その摘出手術が相当困難なものとなるとの感じを抱き、控訴人X2に対して「いざとなったらセルセイバー(注3)があるから大丈夫です。」と告げた(なお、これらの事実から、被控訴人Y1は、この腫瘍を摘出する本件手術をするに当たっては輸血以外に救命手段がない事態が発生する可能性のあることを認識していたものと推認できる)。被控訴人Y2は、輸血以外に救命手段がない事態になれば患者が誰であれ輸血する考え方を個人的に抱いていたところ、平成4年9月7日、X1に対し緊急時には救命のために輸血する方針である旨を告げ、X1から「死んでも輸血をしてもらいたくないし、必要なら免責証書(注4)を提出する。」旨言われたが、そのような証書を貰っても仕方がないと返答した。被控訴人Y1及び同Y3は、そのころ、カルテの記載又は被控訴人Y2からの報告によりX1の右発言を知った。被控訴人Y1、同Y2、及び同Y3の三名(以下「被控訴人Y1ら3名」という)は、術前検討会において、X1の生命に危険な事態が発生した場合には、輸血の実施を考慮することとし、濃厚赤血球等を準備することとした。被控訴人Y1ら3名は、平成4年9月14日に、X1、控訴人X2及び同X3に対し、手術説明をし、その際、控訴人X2から免責証書の交付を受けた。
 以上によれば、被控訴人Y2は、一応相対的無輸血の方針を説明していると認められるが、X1がこれに納得せず、絶対的無輸血に固執していることを認識した以上、そのことを他の担当医師特に責任者である被控訴Y1に告げ、担当医師団としての治療方針を統一すべき義務を負い、その内容がX1の固執しているところと一致しなければ、自ら又は被控訴人Y1を通じて、X1に説明してなお病院Bにおける入院治療を継続するか否か特に本件手術を受けるかどうかの選択の機会を与えるべきであった。そして、被控訴人Y1、同Y2及び同Y3は、無輸血で手術を行う100%の見込みがないと判断した時点で(少なくとも術前検討会の後X1及び家族への手術説明の際には)。担当医師団の方針としてその説明をすべきであった。しかし、被控訴人Y4、同Y5、及び同Y6は、担当医師団の責任者たる被控訴人Y1の決定指示に従う立場にあり、X1及びその家族と接触その意思を確認する機会も、治療方針の説明をする機会もなかったから、右説明義務を負うことはない。
(東京高等裁判所判決平成10年11月9日高等裁判所民事判例集51巻1号1頁以下より。表記その他若干の変更を加えた。)

(注1) 医師が手術などを行うに際して患者が自ら意思表示をすることができない事例においては、現実には患者の同意が存在しないが.もし患者がその場にいて事態を正しく認識していたら同意を与えただろうと客観的に推定できる場合には、その行為は適法な行為として正当化される、とする法理。
(注2) できる限り輸血しないこととするが、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血する治療方針。これに対して、手術中、輸血以外に救命手段がない事態になっても、一切の輸血をしない治療方針を、絶対的無輸血という。
(注3) 出血した血液を吸引の方法で回収して、生理食塩液で洗浄し、濃厚洗浄赤血球液として患者の体内に返血する自己血回収装置。ただし、手術で大出血を起こした際には、あわせて輸血を必要とする場合が多い。
(注4) 輸血を拒否することによって今後発生するかもしれない、死亡その他の障害に対しては、医師や病院に一切の責任を問わないことを約束する文書。


問1 本文において、裁判所は、どのような理由で、どのような判断を導き出したのか。説明しなさい。
問2 あなたは、下線部①(引用者註:文中太字)の見解について、どのように考えるか。理由を示しながら、600字以内で論述しなさい(その際、判決の考え方に、しばられる必要はない)。


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