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自由に描きなさい

 小論文ってどう書いたらいいんですか?
 よくある質問の一つです。この言葉の前提には、書き方にはたった一つの正解があるという思い込みがあるように感じられます。こうした不安に乗じるように、世の中には書き方をめぐる諸説があふれています。でも、20代のときから「書く仕事」を続けてきた人間として、「まゆつば」とまで言いませんが、一つの書き方を教え込もうとするあり方に強い疑問を抱いてきました。

 大学も同様の疑問を抱いているようで、岩手大学医学部は以下の出題をしています(2018年)。この大学では一次試験で論文が課せられます。たぶん、多くの答案がまるで判を押したように「同じ型」であることに、出題者、採点者はアタマを悩ましていたのかも…「そうじゃあなくって『自分の型』を大切にしようよ!」…そんな声が聞こえてきそうな出題です。

筆者がいう「次の文章を読み、あなた自身の「自分の型」について、600字以内で述べなさい。

 この文章の筆者は、著名な画家の平山郁夫さんです。諸々の制約があるため掲載できないのですが、かわりに、ボクが解答例に記した要旨を以下に掲載しました。

「自分の型」は「自由に描きなさい」という助言を起点とし、「より早く多くの失敗を積み重ねる」ことで生み出された。これは失敗を続ければ「自分の型」ができるという趣旨ではない。そのつど失敗を認識し、分析して、解決策を探るという継続的な振り返りがあってはじめて獲得できるものだ。これが筆者のいう「学ぼうとする姿勢」である。

 平山さんが美術学校に入ったときに、先生方から言われたことが「自由に描きなさい」です。さらに「日本画の型をとにかく崩しなさし」とも…これは先生方の経験知のようなもので、learning from errors という学びの本質が表れています。もちろん、やむくもに失敗を重ねればいいというものではありません。「継続的な振り返り」があるから、失敗が糧になるのです。これは、絵を描くだけでなく、文章を書くことも同じです。

 なぜ、ありもしない正解や書き方を、生徒も教師も求めるのでしょうか?それは過度に失敗をおそれるからでは?その不安に応えようと世の中には諸説があふれ、どれが正しいのかみんなが悩み、さらに不安が広く・深くなっていきます。この悪循環を防ぐためにも「自由に描きなさい」なんですね。入試本番での失敗をしないためにも、それまでは、たくさんの失敗を重ねてください(^^)

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