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普通に生きる

 大学受験における小論文試験は多様です。課題文が出題されて、それを要約・説明した上で、自分自身の考えを述べる…一般的には、そんなイメージかもしれません。しかし、テーマや短い記述が示されて、規定の字数内で構成や内容を自分で自由に考え、述べていく出題もあります。また、順天堂大学医学部のように一枚の写真や絵が示されて、各自が感じたことや思ったことを自由に述べるものもあります。これをボクは自由論述型と呼んでいます。
 そんな小論文試験を続けてきた杏林大学医学部2018年のテーマが「普通に生きる」です。課題文が出題されて…という小論文試験に対する固定観念があると、アタマが真っ白になります。また、自由論述型であることを知っていても、何を、どのように書いたら良いのか受験生は戸惑います。そして、ボクには「こういう問題はどう書いたら良いのでしょうか」という質問がよくあります。
 質問に対するボクの答えは単純で「自由に書きましょう」です。ただ、受験生にとって、この「自由に」が一番難しいかもしれません。それは、ずっと受動的な学びを続けてきて、答えを与えられること(インプット)に慣れてしまい、自分の中にある答えを探し出し、拾い上げる経験が少ないからです。これまでの習性をいったん脇に置いて、自分の中に答えがあることを前提に、それを引き出すようにすれば、「自由に」考え、書くことができます。
 ただ、いきなりアウトプットに切り替えるのはタイヘンですよね。そのため、ボクの授業では「マンダラート」の活用を勧めています。これは「マインドマップ」などと同じアウトプットツールの一つです。ネットには大谷選手が高校1年制のときにつくった「マンダラート」が落ちています。小論文試験の場合は、ここまで詳細なものは不要です。そこで以下のようなシートを示して、まずは自分のアタマを「ほぐす」ことを求めます。そのときの留意点は「思いついたことをランダムかつ簡潔に記すこと」です

「マンダラート」でアタマをほぐす

 テーマ「普通に生きる」をじっと見つめて、ああでもない、こうでもないと考えて、まわりに書き込んでみましょう。それがアタマを「ほぐす」です。
 コロナ禍を経験した皆さんは、実にたくさんのことを思い浮かべるはずです。コロナによって「普通に生きる」ことが奪われ、それゆえに「普通に生きる」ことの大切さを実感できたかもしれません。そして、「普通」というのは毎日の学校や家庭の生活であり、友人や家族とそもに過ごすことであり、大きな物語ではなくてもとても大切であることを知っています。また、毎日の食事も「普通」ですが、それは単に栄養を摂るだけでなく、もっともっと大きな意味があったことを、マスクをつけたままの「黙食」で痛感したはずです。こんな風にあれこれ考えてみましょう。ただ、このまま書き連ねたら作文になってしまうので、どこかに焦点をしぼり、それを深めていくようにしないと論文にはなりません。
 ちなみにボクが「普通に生きる」で思い浮かべたのは「ちびまる子ちゃん」でした🤣そして、これを起点に以下のような解答例を書いてみました。書きながらぼんやりと考えたのは、実に医学部らしいテーマだということです。「ちびまる子ちゃん」のように一人ひとりが「普通に生きる」ことを支えるのが医学・医療ですよね。それを学び、そこで働く人には「普通に生きる」ことの大切さを理解し、共感するとともに、強い使命感をもってほしいなあ…そんな出題者の眼差しを感じ取ったわけです。

 このタイトルから思い浮かべたのがTVアニメ「ちびまる子ちゃん」だった。まる子の家族と友だちとの、ほのぼのした日常生活を描いた長寿番組だ。まる子が暮らす「さくら家」は彼女と祖父母、父母と姉の6人家族だ。とりたてて大きな事故や事件もなく、毎日の生活がおだやかに流れていく。まさに普通に生きることに対する人々の共感が強いことが、長い人気を持ち続けてきた秘訣だ。
 ここで、ある疑問がわく。そもそも普通って何なのだろう。家族構成でいえば、「さくら家」のような3世代同居はもはや普通ではない。子どもと父母という核家族の方が多いはずだし、離別・死別により父子または母子家庭になった例もある。また、高齢化が進む中で高齢者だけの家族があるし、年齢にかかわりなく独居の人も増え続けている。家族構成をみるかぎり、もはや標準モデルとしての普通はない。家族や暮らし方は実に多様で、何か一つの形を普通と決めつけることはできず、それぞれが「普通」なのである。
 このように考えると、タイトルも「普通」に生きると表現すべきように思える。家族がいてもいなくても、病気や障害があってもなくても「普通」の生活であり、人生だ。一つの標準モデルを前提とした同調圧力は、特定の生活や人生を否定し、排除するおそれもある。金子みすゞの詩にあるように「みんなちがって、みんないい」のだ。
 だだ、「普通」に生きるのはとても難しい。自分の生活や人生の現状に一定の納得感があり、これに相応した肯定感があることが、「普通」に生きるためには不可欠だからだ。心が強い人はこうした自己認識を自分で持つことができるだろう。しかし、私を含めて世の中の多くの人たちは、「普通」に生きることができるほどに心が強くない。「普通」に生きるには、それを受容・応援する存在が必要だ。「普通」の生活や人生を支えることが医師の仕事だ。それをめざす私は、一人ひとりのかけがえのなさを大切にしたい。(798字)

©奥津茂樹

 杏林大学の入試は複数日程のため、2018年の論文試験はもう一つあります。テーマは「さわらぬ神に祟りなし」です。さて、あなたは、どんなことを感じ、思ったでしょうか?先を急がずに、まずはアレコレ考えてみましょう。

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