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タテ書きとヨコ書きの話

 今朝の朝日新聞の(耕論)タテ書き絶滅危惧?は、なかなか良いテーマでした。ボクが働く予備校ギョーカイでも教科や講師が両者に分かれます。また、同じ慶應義塾大学でも法学部や文学部の論文試験はタテ書き、他の学部はヨコ書きと出題形式が違います。

 かつて、このテーマを取り上げた論文試験があります。岩手大学医学部2016年の出題です。課題文の掲載は著作権の関係でビミョーなので、以下にボクが書いた解答例を転載します。1段落の記述を読めば、課題文/筆者の主旨はわかると思います。筆者はタテ書き派で「縦に書け、縦に考えよ」と主張します。これについて各自の考えを述べる出題でした。

 筆者によれば「縦」とは「文字を立ち上げる」ことであり、「横」とは「文字のバリエーション」である。文字とは「対象世界」に対して、もう一つの世界を生み出すという。いま小論文を書いている私も、筆者という「対象世界」に対して、自分の考えという「独立した世界」を書こうとしている。しかし、「縦に書け、縦に考えよ」という筆者の強い口調に、どこまで自由に書くべきか苦闘している。
 筆者がそうであるように「縦」とは、自らの世界を描き、生み出していくための柱のようなものだと私はイメージする。同じように木の幹も「縦」であり、この文字が示すように「縦」がなく枝や葉だけでは根をはれず、立ち行かなくなってしまうだろう。一本芯が通ったという表現があるが、他とは異なる「独立した世界」には揺るぎない信念が確かに必要だ。
 しかし、いま苦闘している私がそうだが、「縦」の強さ・揺るぎなさは、もう一つの「独立した世界」を自由に描こうとするときの妨げになる。「縦」を信念とするならば、人が生きていく上で多様な信念があってよいと私は考える。それが人生や社会の豊かさを生み出していくからだ。その多様さ、豊かさを育んでいくためには、「縦」の強さではなく、「横」のしなやかさこそが必要なのではないか。「横」は対立した「縦」を結びつける役割も果たす。だから、私は筆者に対して「横に書け、横に考えよ」と言いたい。(581字)

 論文試験は受験生の思考の論理性だけでなく、着眼(課題発見)の独自性をはかります。この出題は、後者(独自性)に力点がある印象を受けました。「縦に書け、縦に考えよ」を起点に内容を「深める」こと/視点を「広げる」ことが、この出題における独自性です。

 こうした出題が多いことから、ボクの解説では、上記のイメージ図を使ってクリティカル・シンキングの引き出しを試みます。Xを起点として、同じ方向でを「深める」のか?Xとは異なる視点でYやZへ「広げる」のか?と、生徒さんに問いかけるのです。ちなみに以下の解答例は、「広げる」方向で展開し、筆者とは真逆に「横に書け、横に考えよ」と主張しました。

 論文には正解はないので、タテでもヨコでも、主張に明確な判断と理由があれば正当に評価されます。ちなみに課題文はヨコ書きでした。そこに、タテでもヨコでも、どっちでもいいよ…という出題者の構えが示唆されています。避けるべきは両者の説明に終始したり、判断停止に陥った答案です。あなたはタテ書きとヨコ書きのどちらでしょうか?それともTPOに応じるのでしょうか?考えてみましょう。

 ちなみにボクはヨコ書きが基本です。ただ、祝儀や香典に氏名を記すときは、さすがにタテ書きにしますが…(笑)

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