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独立自尊を理解する

以下は10年以上前にネットで拾った文章です。
慶應義塾大学への入学を希望しているのに「建学の精神」を知らなかったり、それが「独立自尊」であることは知っていても意味をつかめない受験生が大勢いました。そこで、この文章を素材にしたテストを作成し、取り組んでもらいました。実際に、論述力試験の過去問を読み解くと、ここでいう「独立自尊」を踏まえた出題が多くあります。若い人だけでなく、大人でも難解な文章かもしれません。でも良い文章です。
予備校講師が本業ですが、いろいろなところで文章を書く仕事をしてきました。朝日新聞出版『J ournalism』(2009.3 no.226)に書いた論文「市民の立場から
制度の可能性と限界を考える」(特集:情報公開を使った調査報道)でも、ここでいう「独立自尊」を引用しています。

 福沢諭吉は明治の思想家である。が同時に彼は今日の思想家でもある。福沢を明治の時代的特殊性から理解し、彼を歴史的過去に定着させようとする者は多く彼のうちに啓蒙的な個人主義者のみを見る。彼の個人主義は時代的役割を-それがいかに巨大だったとはいえ-既に果し終ったとされる。他方福沢を今日の思想家となす者は多く彼のうちに国家主義者・国権主義者を見る。そうして福沢を数少なからぬ日本主義者の系列に加えて、福沢精神の現代性を強調する。いずれにせよ彼の「個人主義」と「国家主義」はバラバラに切り離され、一は歴史的地盤に固着し、他は歴史的地盤を離れて自在に浮動するがごとくである。
 しかし、福沢は単に個人主義者でもなければ単に国家主義者でもなかった。また、一面個人主義であるが他面国家主義というごときものでもなかった。彼はいうべくんば、個人主義者たることにおいてまさに国家主義者だったのである。
 国家を個人の内面的自由に媒介せしめたこと―福沢諭吉という一箇の人間が日本思想史に出現したことの意味はかかってここにあるとすらいえる。国家的観念ないし統一国家的な意識が思想として福沢以前から存していたのはいうまでもない。しかし大事なことは、彼が独立自尊の大旆たいはいを掲げるその日までは国民の大多数にとっては国家的秩序はいわば一つの社会的環境にとまどったという事である。国民は祖先代々住んで来たこの環境に対して本能的習慣的な愛着を感じてはいたであろう。だが環境は環境として個人にとってはどこまでも彼の外にあるにすぎない環境の変化は彼にとって畢寛ひっきょう自分の周囲の変化であって自分自身の変化ではない。国民の大多数が政治的統制の単なる客体として所与の秩序にひたすら「由らしめ」られているかぎり、国家的秩序は彼らに環境として以上の意味を持ちえず、政治は自己の生活にとって何か外部的なるものとして受け取られるのは免れ難い。しかしながら、国民一人一人が国家をまさに己れのものとして身近かに感触し、国家の動向をば自己自身の運命として意識するごとき国家にあらずんば、いかにして苛烈なる国際場裡に確固たる独立性を保持しえようか。もし日本が近代国家として正常な発展をすべきならば、これまで政治的秩序に対して単なる受動的服従以上のことを知らなかった国民大衆に対し、国家構成員としての主体的能動的地位を自覚せしめ、それによって、国家的政治的なるものを外的環境から個人の内面的意識のうちにとり込むという巨大な任務が、指導的思想家の何人かによって遂行されねばならぬわけである。福沢は驚くべき旺盛な闘志をもって、この未曾有の問題に立ち向った第一人者であった。
 秩序を単に外的所与として受け取る人間から、秩序に能動的に参与する人間への転換は個人の主体的自由を契機としてのみ成就される。「独立自尊」がなにより個人的自主性を意味するのは当然である。福沢がわが国の伝統的な国民意識においてなにより欠けていると見たのは自主的人格の精神であった。彼が痛烈に指摘したわが国の社会的病弊―たとえば道徳法律が常に外部的権威として強行され、一方厳格なる教法と、他方免れて恥なき意識とが併行的に存在すること。批判的精神の積極的意味が認められぬところから、一方権力はますます閉鎖的となり、他方批判はますます隠性ないし傍観的となること、いわゆる官尊民卑、また役人内部での権力の下に向っての「膨張」、上に向っての「収縮」。事物に対する軽信、従来の東洋盲信より西洋盲信への飛躍。等々―こうした現象はいずれも自主的人絡の精神の欠乏を証示するものにほかならなかった。もとより国家的な自主性が彼の最終目標であった事は疑うべくもない。しかし「一身独立して一国独立す」で、個人的自主性なき国家的自立は彼には考えることすらできなかった。国家が個人に対してもはや単なる外部的強制として現われないとすれば、それはあくまで、人格の内面的独立性を媒介としてのみ実現されねばならぬ。福沢は国民にどこまでも、個人個人の自発的な決断を通して国家への道を歩ませたのである。その意味で「独立自尊」は決してなまなかに安易なものではなく、かえってそこには容易ならぬ峻厳さが含まれている。安易といえば、全体的秩序への責任なき依存の方がはるかに安易なのである。福沢はわが国民は「独立自尊」の伝統には乏しいとはいえ、その倫理的なきびしさに堪える力を充分持っていると考えた。つまり彼は日本国民の近代国家形成能力に対してはかなり楽観的だったのである。彼逝いて約半世紀、この楽観がどこまで正当であったかは、今日国民が各自冷静に自己を内省して測定すべき事柄に属する。福沢の近代的意義の問題はその後にはじめて決せられるであろう。(昭和十八年十一月二十五日)
(丸山真男「福沢における秩序と人間」筑摩書房『現代日本文學大系』所収)

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