おっぱいという言葉が持つ破壊力について
小学生の休み時間、僕は仲の良い友達Tと滑り台の上に立っていた。Tはクラス1のお調子者で、誰からも好かれていた。僕はTが大好きで金魚の糞のようにいつもくっついていた。
どういう流れかは分からないが(なんせ小学生と脈絡は相容れないものだから)Tは、僕と彼、どちらがより大きな声で「おっぱい」と言えるかという勝負を挑んで来た。
先鋒のTは校庭中に響き渡る声で「おっぱーーい!」と叫んだ。恥も外聞も無いとは正にこのことだと思い知らされた。
次は僕の番だった。僕は肺から息を大きく吸った。しかし、その言葉を出そうとした瞬間、一気に空気が萎んで行った。
「ぉっぱぃ」独り言でも小さいレベルだったと思う。恥ずかしくて、恥ずかしくてしょうがなかった。
月日が経ち、大人?になった今もおっぱいという言葉が恥ずかしゃーて言えない。どうしてもその部位を言わなきゃいけない時は「胸」とだけ述べる。おっぱいという言葉のエロさは尋常じゃない。これを考えた人はキングオブエロである。
まぁ、僕は「ちんこ」も恥ずかしくて言えないのだが。それは流石にウブ過ぎないか?生娘か?
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