「気をつけて」と「ご安全に」

※こちらの記事は、言葉のあまりに細やかなニュアンスについて心行くまで語り上げる、自分の自分による自分のための自己満足記事でございます。どうぞご容赦ください。

 待ち合わせに自転車で向かいました。メンバーと合流して「駐輪場に自転車置いてきますね」
 そこでこんな言葉を掛けられました。
「ご安全に」

 一瞬「ん?」と思いました。そして、「ああ」と納得しました。「気を付けて」の代わりに、「ご安全に」。
 聞くところによると、「気を付けて」だと「(事故に遭わないように、などといった)忌み事を暗に想定している」ようなニュアンスを含んでいるので、「ご安全に」を使ったのだ、と。
 プラスの言葉遣いをしようというご配慮だったようです。言葉には言霊が宿っている、という話も聞きます。

 確かに、最初はなるほどと思い、自分も「気を付けて」の代わりに「ご安全に」と使った時期がありました。
 だけども、どーも座りが悪い。しっくりこない。
 そこで、「何がこのモヤッとの正体なのか」を好き勝手に思索してみた次第です。

 以下は、個人の好き勝手な一意見を延々申し述べております。どうぞご容赦を。

 まずは、「気を付けて」。
 言外に(事故に遭わないように)といった、忌み事を想定しており、それが相手にも潜在的に伝わってしまうので、よろしくない、ということでした。
 事故を前提としている、というのが少々乱暴なように思います。そもそも、この世は本来、雨が降るか槍が降るか、いつミサイルが降ってくるか、何が起こるか分からない、備えるにも限界がある、「平穏無事」ではない世界です。
 「杞憂」という言葉があります。「空が落ちてくるんじゃないか」と憂う男の故事です。「空」を「地震」や「大雨」「津波」に変えてみれば、少し現代日本の感覚に近づくでしょうか。
 東日本大震災の前日に、震度5の地震が起こりました。自分は西日本居住者なのですが、3月10日、テレビのテロップで地震速報が流れたのを覚えています。中越地震なんかも数年前に起こっていて、東北の方だいじょうぶかな、と思いました。
 その翌日に大震災が起こって、「あの前日の揺れは「前震」だったのだ」と結論づけられました。だけど、3月10日の時点では、その地震が翌日の本震の前兆などと、少なくとも気象庁などの天候科学の精鋭機関でさえ、予測し得なかった。現在の予測技術では判断が難しいようです。
 「杞憂」の故事のように、心配したってなるものはなる、ならないものはならないし、「わかる」ことと「わからない」ことがある。そういうある種の開き直りの上に、わたしたちは生きています。
 「気を付けて」には、たとえば、小さな子供が外にしゃーっと飛び出していく背中に、母親が「気を付けて!」と言葉がけするイメージがあります。
 「気」とは意識や認識、を「付ける」というのは、しっかりと今に保つということ。
 自分の衝動に任せて走り回る子供に、周囲の状況を見るように促す言葉、また大人であっても「スマホ歩き」等で気もそぞろになっている状態に対して、冷静に周囲の状況確認を促すような、注意喚起の言葉であります。
 先にも述べたように、わたしたちは1分先の未来でさえ、「分からない」ものです。備えるにも限界がある。
 ただ一瞬一瞬過ぎていく時間の積み重ねを振り返った時に、「ああ、この一か月は何事もなく平穏無事に過ごせた」という結果を認識しているに過ぎない。
 わたしたちの認識できる世界は、自分の五感を通して、その瞬間その瞬間に体感している世界です。
 ただ、ともすれば「10分後のバスに乗らなきゃ」「明日までに○○しなければ」「あの時、ああいっていればよかった」など、過去や未来のアレコレに振り回されがちです。
 そんな気もそぞろな状態を、必ずしも平穏無事ではない、刻一刻と移り変わる「現在」に引き戻し注意喚起する言葉。それが「気を付けて」ではないかと思うのです。

 一方、「ご安全に」。
 こちらの言葉が「プラス言葉」だということで、「気を付けて」に置き換えることに、モヤッとを覚えた次第なのですが。
 「安全」って、自分の自助努力でいかんともしがたいですよね。環境依存です。交通ルールを完璧に守っているから交通事故に遭わないかと言われると、答えは「ノー」です。信号待ちしてたら後ろから追突、などということもあります。知人は車と自転車の事故で「0対10」の過失割合の交通事故を経験したことがあるそうです。車の過失が「0」です。これがかなりのレアケースということは、車を運転されている方なら分かっていただけるでしょうか。(自転車の方はボンネットに乗り上げたそうですが、命に別条はなかったとのこと)。自分に落ち度がなければ、「安全」という結果が得られるわけではないのです。
 「安全に」という言葉は、「何が起こるか分からない世の中で、安全という結果があなたにもたらされますように」という祈りの言葉のように、わたしには受け取られます。
 祈りって、「応援」の意味で使うこともありますが(「仕事の成功をお祈りしています」など)、「ご安全に」に込められた祈りは、「あなたの移動中の安全を天にお祈りしています」といった御祈願のニュアンスが強いかと思われます(私見ですよ)。
 相手の注意喚起を促す「気を付けて」か、平穏無事ではない世界で相手の平穏を祈る「ご安全に」か。
 ここは、完全に個人の主義思想になりますが、わたしは自分でできることがあれば、できる限り力を尽くしたい、と考える人間です。
 ですので、自身の注意喚起を促す「気を付けてね」の方が、使っていてしっくりくるな、という結論に達したわけでございます。
 「気を付けて」に変えて言葉がけするのなら、「ご安全に」よりも「ごゆっくり」の方が、自分はしっくりきます。
 「足元ごゆっくりどうぞ」とか。これなら、事故などの忌み事は想定していないし、お相手の自助努力の範囲内で「ゆっくり」とお心がけいただけるし、相手への気遣いも伝わるかな、どうでしょうか。やんちゃな子供には使いにくいですけどね。完全に自己満足の結論です(笑)。

 余談ですが、こちらの記事を書くにあたり、ネット検索したところ、「ご安全に」は、発電所などの危険な業務に就く従業員同士の声掛けで、ドイツ語の「ご無事で!(Gluckauf)」が由来とのこと。
 危険が前提の仕事場で、今日明日の職務を無事に終えられるか不透明である、相手の無事と天への祈り、そして当然ながら同僚への注意喚起を内包した言葉であるのだな、と改めて感じた次第です。







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