ココロとカラダのせめぎ合い

※こちらの記事は、自分の考えを整理するために記載しています。頭の中で考えていても、結論が出せず、あーたーこーだしております。どうぞご容赦ください。


 フルタイムで勤めております。休みは基本的に土日祝。その土日に、よく泊りがけの予定が入ります。先週末も入りました。来週末も入ります。

 今週末、予定を入れるかどうか。ということを、延々と自問し思索し考える記事でございます。わたしの、わたしによる、わたしのための記事。これに尽きます。

 検討中の「泊りがけの予定」とは、研修合宿のような形式で、100人程度が参加、土曜日12時~日曜日12時まで24時間拘束され、基本的に建物から外に出ることはできません。会場は自宅から県外にあり、往復時間バスで10時間、バスの集合場所までも、車を乗り合わせていきます。

 バスは同じ研修に参加する者でチャーターしていきます。片道5時間なので、12時開始に間に合うようにとなると、バス待機場所への集合は朝5時台。繰り返しますが、「集合」時間です。集合場所までに30分ほどかかります。よって、起床時間は3時台~寝過ごしても4時半には起きなければ間に合いません。翌日に帰宅するのは、早くて翌18時~、一言で言えば、「土日はつぶれます」。

 その研修に参加すると、結果的にココロもカラダもすっきりと軽くなる。ただ、24時間他人と同じスケジュールを同じにし、大部分の時間を畳の上で体育座りか正座、寝る時も大部屋に雑魚寝。気にならないひとは気にならないのでしょうが、ヒトの目が気になるわたしにとっては、ビクビクと他人の視線におびえ、大部屋で罪のない物音(荷物のジッパーを勢いよくしゃーっと開けたりとか(笑))、に過敏に反応し、同じスケジュールを「こなさなければならない」強迫観念と戦い(体調不良等でなければ、基本的にスケジュールを勝手に休む(サボる)とかは認められていない)、肉体的にも心理的にも少々しんどい。もちろんそれを承知したうえで、自分にメリットがあると思うので、定期的に参加しています。問題はその頻度。

 先週も参加しました。来週も参加します。さて、今週は「いかにすべきか」。

 予定自体は空いています。そう、時間は空いているのです(涙)。参加申し込みは、まだ間に合います。なんなら当日直接会場に行ってもよい。チャーターバスにも空きがある。「行ける」環境は、悲しいほど整っています。

 行けばいいじゃない。ここで、精神的負担というストッパーが作用する。フルタイムで月曜日からお仕事ですよ。来週も行きますよ。往復計10時間ですよ、ゴロゴロとかできませんよ。体の疲れはとれますか?

 「うまく」ダラダラするのが苦手です。バスの移動中や、大部屋で雑魚寝する時間を活用して、「ダラダラ」ができない。体は常に緊張しています。なので、できれば研修参加する前後1日はゆっくり休みの時間をとりたい。仕事の日々の疲れもなかなか取れません。そこで、まとまった時間(週末)「ひとりで」「ゆっくり」「ダラダラ」する時間が、自分には必要なのです。

 先週も参加したし、来週も参加するんでしょう。だったら、戦略的に今週はお休みしてもいいんじゃない。

 実は過去に、4週連続でその催しに参加したことがあります。平日フルタイム勤務→土日合宿→フルタイム勤務……を、約一か月です。途中の祝日もなにかと予定が入り、数か月、1日オフの日がないなんてザラだったりします。自分で納得して参加したものですが、車輪をひたすらクルクル回し走るハムスターになったような心地がしました。だから、少し手加減しよう。合宿がいいのは分かっている、軽んじているわけではない。明日明後日、合宿に参加した場合、次に1日オフが取れる(予定)の日は、10月22日の祝日です。それだって、どうなるか……。仕事と合宿だけで生きてるわけではないですからね。習い事や人付き合い、当然「空いたわずかな隙間」にバシバシと入ってくることになります。

 ということで、「今回は行かない」が自分の中では優勢なんです。「迷っている」けど「行く」とは開催者にも伝えていない。「迷ってるなら行きでしょ!」とは言われましたけどもね。開催者だって、時間やお金のやりくりがタイヘンなことは十分に察してやられるので、「強制」はされません。ただ「行った方がいいよ」と勧められる。

 そう、「勧められる」。これが、この苦しみの一因となっています。

 なぜなら、わたしは本質的にその合宿に「行きたい」からです。毎週でも、1回でも多く、わたしはその合宿に行きたい。ココロの声が内側からガンガンと訴えかけてきます。行こうよ、ねえ行こうよ。今朝も夢でうなされました。「うぅーん、行かなければ……いや、まだ参加申してみしてないし(覚醒)」。安眠できない。疲れもとれない(苦笑)。

 過去、すべての声に従えたわけではありません。「行かなかった」ことで後悔したこともあります。だけど、イヤイヤながらできるだけ「行く」選択をしてきました。その結果、「よかった」「よくなかった」という二択があれば、間違いなく「よかった」、無理してでも、参加してよかった。それは確かに言えます。

 ただ、参加するにあたっての「アレコレ」が負担すぎて、わたしの二の足を踏ませます。先週も行きました。来週も行きます。今週も行くの? 正直しんどい。それでも「わたしは今回行かない」とならないのは、本質的に「行ける」余地が十分にあり、またわたしのココロが「行くべきだ」と強く思っているからでしょう。仮に「行かない」選択をした場合、ココロはとっっってもがっかりする。それが分かっています。およそ長い間「あの時行っておけば……」と後悔が続きそうです。また、行かなかったことで得られる土日の自由時間を「行けばよかったな」と後ろ髪引かれながら過ごす可能性も濃厚。それでは本末転倒です。では「行く」か?10時間バスに揺られ24時間建物に拘束、夜は雑魚寝、別の気苦労が待っています。

 行くべきか行かないべきか。行っても後悔、行かなくても後悔。今までは、こういう時「行って」いました。しかし、仮に初めて「行かない」選択をした際に、得られた自由時間を悔いなく過ごすこと。行かなかったことで後悔が生じても「あの時に行かなかったせいだ」と自分を責めないこと。それを決意したく、こちらの記事にしたためた次第です。

 行くか行かないか、あーだこーだしてるだけの記事にお付き合いくださり、感謝いたします。ありがとうございました。



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