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パパさまよった 盛夏の巻 (全28篇)

『一文物語集』を執筆した頃から30年ずっと、執筆活動・創作活動が日ごとの生活習慣になっています。子育てしながら日ごと味わう万感をエッセイふうに綴ったこの連作詩が最新作。ここには梅雨の終わりから夏休みまえに生まれてきた詩を載せました。



好きなひと


とっても好きなこのひとが
よろこぶえがおをむけてくれたら
ほめてくれたらうれしいな
そんなねがいにせきたてられて
こんなことまでためしてみたり
あんなことまでしでかしてみたり

そしてとっても好きなひとから
きつくつめたくあしらわれたり
おたがいどうにもならないことで
あたまごなしにしかられちゃったり
すなおにあやまったらさらに
これぞとどめのいちげきみたいな
すてぜりふなんかくらったり

とっても好きなこのひとの
ちょっとした気圧変動で
むねは はげしく高鳴りはじめ
心臓が停止しそうなときもある
だからおとなは
こんなにおそれているのかな
だれかをとっても好きになることを



楽園


しあわせはときに
あじわうひとのむねをうずかせる
とりわけなじみのなかったしあわせ
かつてあじわったしあわせたちの
どれともひどくかけはなれている
あやうげな声と景色にみちた
めくるめく処女地のしあわせ

こんなところも楽園なのかと
そのささやかさにおどろくような
ひとめにつかない ほらあなの奥が
冒険をひそかに重ねてきた者たちの
すれっからしたこころをくるわせ
家族の日ごとのいとなみまるごと
ほねぬきにしてしまったりする



臨死


パパ、そうじゃないよ、と娘がしめす。
もう、いらないよ、と娘がごねる。
放っておいて、と妻がすねる。

娘はこちらをにらみつける。
妻はこちらを見ようともしない。
女子たちが伏せる冷たいまなざし。

そうしたわけでパパはときおり
臨死体験しそうな気持ちを味わいながら
ちょっとだけ祈るようになってきたんだ。

この死にそうな思いの底を蹴りつけて
笑顔の高みへたどりつくまでの時間が
せめてもうすこし短くなりますように。



人生


あてどなくさみしいくぼみを
うめようとしておどっていたら
あたまがきらきらしはじめて
いのちのそこからみたされてきて
ことばはどこかへきえてしまった
はれやかでふわふわとろけて
にじいろにうずまくひかりの
うなばらにうかびただよっていた

これまでの人生を想い起こすと
身がままにお祭りへ人を巻き込んだ
それだけでまとめられそうでもあり
はずかしさばかりこみあげてきて
いますぐきえてしまいたくもあり
胸しめつけられるなつかしさもあり
たしかにいのちはみたされていて
虹色のひかりの海をただよっていた




新生活


こんなふうにも自分は暮らせる
そんな不思議なひとごとみたいな事実があって
こんな暮らしを夢にさえ思うことなく過ごした日々
初めて家出をしたころから 今日ここまでの人生も
想いかえせば不思議な夢の集積みたいな感じがあって

こんなふうにも暮らせるんだって知っていたなら
あのころ あれほど ああしたことに 身勝手に
かまけなくても済んだのになんて回想しつつ
あんなふうにしか生きられなかった だからこそ
こんな暮らしに恵まれたんだと知ってもいる

人生で初めて味わう子たちとの暮らしのなかで
日ごと新しい驚きにみちたの暮らしのなかで
今日もまたこんなこころの現実があって
こんなふうにも感じて暮らせるこころがあって
不思議な夢をみているみたいで戸惑いながら




大丈夫


すんなりと息ができなくて
息たえだえになるくらい

めのまえのあらゆることが
そらおそろしく感じられるとき

いのちだからこそ味わえる
このおののきを味わいつつ

たちむかうなり うけいれるなり
なにかはじめるしかないんだね

だいじょうぶ わしらはもともと
あめつちをつなぐことのできるひと

むきだしのこころのいたみも
いずれはしずまり きえさっていく

やすらぎをえられないときがあっても
きっといつかはやすらかになれる

鳥たちの声にみみかたむけてみよう
水でのどをうるおしてみよう

たのしかったことをおもいだそう
こころつくしていのりつづけよう




この子たちに


なにをおもいわずらっているのか?
ひとつながりのおおきないのちのながれ
そのほかにはなにをうしなってもかまわないはずだ
すべてはすぎさってきえていく
この世のとみも ちからもさかえも いつかは枯れる

おおきないのちのながれのなかで
この子たち みなが お日さまの戸口として
ヤミを身ずから照らし晴らせる日戸として
にこやかに生きていてくれたら
まずはそれだけで足りるはずだよ

いのちに いのちをささげたらいい
わが人生を まるごとささげて悔いはないだろう
どんなにつらいときも おおきないのちのながれに
このちいさなわが身をささげるつもりで
わしらおとなもまた晴れやかに暮らしていこう



無知


まったくわかっていなかったんだなあ
体験を積むって素晴らしいことだと思ってた

積んだものだし いつかはきっと崩れるんだよ
あえて崩さなきゃ出直せない時もあるだろう

高く積みあげて広げてやろうと思っても
この世での生命はいずれおとろえ終わっていく

いずれ我知らず ただひとつのいのちの流れに
この生命と体験を捧げ尽くして去っていくんだ

そこからさきそれぞれの生命がそれぞれに
何を体験することになるのか人知はおよばない

勘違い無知はもちろん覚悟のうえでなんとなく
こうなるんじゃないかっていうイメージはある

人生で最後の体験はきっと初めての体験になる
経験すべてがひとつに溶け合って産声をあげる




日ごとに記す


小学生になってぼくが日記を書くようになったら
おばあちゃんも日記を書くようになった

日記つけるってなあいいもんだなえ
こええこんがあったって(こわいことがあっても)
くやしいことがあったってみんな
日記つけてりゃしずまってくだでアハハハハ

何かを失ってもだいじょうぶ
いつくしんできた何かを失って
苦しい気持ちになってもだいじょうぶ
おばあちゃんだってとっても辛い思いをして
いきなり家を飛び出して線路の方へ走っていって
電車に身を投げようとしたことがある
そのあとでおばあちゃんは日記を書いていた

わしらは身ずから宝をひらける
誰かを想う気持ちを身ずから確かめて
想うチカラを誰かにそっと添えられる
宝をひらけば ほんのわずかずつであっても
身ずからヤミを晴らして暮らせる

そんな宝を
そんなチカラを
わしらは世のなか人のあいだで
見失ってしまう時もあるんだ
こころある人だからこそ
いのちのチカラが弱ってしまうこともあるんだ

あのおばあちゃんにもこわいことがあった
あのおばあちゃんにもくやしいことがあった
日ごとの暮らしのなかで
晴らしにくい名ヤミもたくさんあったんだろう

宝をチカラをあらためて
いのちの底から取り戻すのに必要なひと時
ひとり黙って吐息をしずめて
このひろいあめつちから
こころで受け取った想いを
ことばでたしかめるひと時

おばあちゃんは言っていた
こええこんがあったって(こわいことがあっても)
くやしいことがあったってみんな
日記つけてりゃしずまってくだでアハハハ




男女の家


パパのそばには
いつもママっていう女性がいて
パパはこの人がとっても好きで
男女ならではの刺激をいつも受け取っている

やがて親になる前提で私たちは同居しはじめた
世界一しあわせで心地よいかもしれない男女たちの
うちひと組として昼夜を過ごしているうちに
自然と子たちをさずかって親になっていた

三人目の子が生まれたあたりで両親として
フルタイムでフル稼働するようになってきた
あまり多くの欲求には対応できなくなってきた
男女ひと組の欲求にさける時間もわずかになった

日ごとかたわらの女から
ムダに刺激を受け続けている欲求不満な男が生まれ

そしてなるほど男女としての
ムダにありあまる色気と刺激と飢渇なしには
家族そろって越えにくいような山川が
私たちの進む道のりには点在しているようだった




親心


暮らしのなかに我が子がいるから
子たちのいのちを預かってるから
だからこそ心にひびく物語がある

どんなにうれしくほこらしいだろう
どんなにみじめでつらい気持ちだろう

とおくでうたわれたひとふしの歌や
ささやかれた物語を我が身にひきつけ
心がひとつにひびきあってしまうのだ

「人はそんなにつらい気持ちで
 なおも生きていられるんだろうか」

時には感動で家事もままならず立ち尽くす
子たちが目覚めるずっとまえ
真夜中に目覚めてそのまま眠れず
子たちのたてる かすかな寝息を聞いている

ふと気がつくと自分のこころを励ましている
いや どんなに辛くても だいじょうぶ
きっと生き抜いて子たちを護っていけるから




旅人


ひととしてのこころをたもてるように
こころあるひと日をすごせるようにこうして
ひとりしずかに ことばをつづっているあいだ
ひとはしごとやそのみかえりにつうじる道から
すこしはずれてあゆんでいく旅人さんになったりする

じゃがいもを掘る
本棚の絵本を整理する
歯医者さんで次の予約を取る
ヘチマとゴーヤの支柱を立てる
来週の集いの打ち合わせをする

炊事 洗濯 掃除のほかにも
家族みんなの暮らしのなかで
いまのうちに済ませておくこと
あとまわしにしたくないことは
とめどなくたくさんみつかって

あせってときに 遊ぶゆとりをなくしていたり
どんな仕事も重荷と感じてしまったり
あわただしく過ぎていくこんな日々のなか
どうしても いま こころにとっては
よそみできない しずかなこころの旅路があって




子たちの行方


子たちのゆくすえはきっと
満ち足りていて晴れやかだ

眠るまえに語り合って
一緒に想い描いてみよう

たとえば近くに心地よい
お湯と水の湧く土地に住んで

見晴らしよく風とおしよく
陽当たりのよいお家に住んで

仲間たちと歌って踊って
祭りの日々を生み出している

人として生まれ育ったこの
稀なる恵みに感謝しながら




美しい体験


旅の先ざきで味わった美しい体験
地上にひろがる色んな国々で
出会った忘れがたい人たちと
踊り 呑み 恋して チカラ合わせた
美しい想い出が いのちに 刻まれた

そのうちのどれも子連れではむずかしかった
子たちがいたら叶いにくいような夢だった

ちかごろは子たち三人と
一緒に寝て一緒に目覚める
パパーと歓声をあげて子たちが走り寄ってくる
この子たちがいとおしくて氣がかりで
長く離れてひとり旅してはいられない

これからの旅にかつてほど胸ときめかなくなってきた
これまでの旅ばかり想い出されるようになってきた
朝日のなか子たちの寝顔をながめながら
かつての旅の美麗な景色がこころに次つぎとよみがえる

ときめいて輝いていた かつての日々の想い出は
胸のなか はちきれそうにみなぎってありあまる

想い出はみんな はかなくて美しいまぼろしだ
まぼろしなのにあざやかすぎて胸がうずくのだ

身ひとつの頃のそうした記憶の数かずに
いま目のまえの子たちとの新しい暮らしが
とりまかれてじんわりとかがやいている

かつては身ずから知りようもなかった
新しい家族との新しい日々
慎ましくありふれた日々もまた
たちまち取り戻しようのない過去となり
想い出となって後方へしりぞいていく

いまこの瞬間の感覚と
とおく美しい想い出たちを
かさねてあわせてともに体験している私たち
ひとの暮らしの中ではこうして
丸ごとひとつの宇宙みたいな体験たちが
いくつもいくつも美しく
重なりあって綾なしている




たしかめる


今なにが起きているのか
子たちはなにを感じているのか
それぞれの心はどこへ動いているのか

この出来事は
どこから来たのか
ここからどこへ向かっていくのか

たしかめる
いま私たちは
子たちと何をできるのか

いままでの見方をこえて
ありのままはっきりといま
つぶさによく見て味わいながら

たしかめ続ける
あたらしいことばで
あたらしく立ち現れてくることを




過渡記


雨の日は雨を楽しみ
夢中になって読書する
海幸山幸は美味しくて
鳥たちの声は心地よい

子たちの言葉やふるまいに
楽しく笑って応えながら
仲間たちとの会話を
楽しんで暮らしている

暗い気分で落ち込んだり
ふさぎこんだりもしていない
憎しみも恨みも
他者への強い不満もない

おおむねしずかなまなざしで
身のまわりの物事すべて
ありのまま面白がって
受け容れながら暮らしている

なのにこんなにも日ごと
胸がうずくのはなぜなんだろう?
どこかしらいつも
生きづらいのはどうしてだろう?

周りに合わせて調子に乗れず
耳を澄ましてうつむいている
胸いっぱいでせつなくなる
かすかなおびえがしのびこむ

息はしずかで整っている
それでもなお大風みたいな感動に
いきなり襲われふりまわされては
とまどっている胸の奧処だ

あめつちがゆらぎはじめて
ひとの世の大きな流れが
激しく移ろい変わっている
いまこの時期を潮時として

くぐる必要のあるトンネルを
こころがつぶさにくぐっているのか?
出口から広がってるのは
どんな新しい世界なんだろう?

したわしく
ひかりあふれる世界だろうか?
あらゆるものから
ひかりあふれだす世界だろうか?




生死


親たちはいま日ごとに老いて
いつか迎える死に近づいている

子たちはいま日ごとに育って
身がままに生きる自由を広げている

掛時計の秒針が時を刻む
庭のなか小川の水が流れていく

親子の暮らすお家のなかでは
生と死が重なり合って進んでいく

おとなりさんがインゲン豆と
キュウリを縁側へ届けてくれる

生死にはさまれ 永遠に包まれて
いまこのひと時を味わういのち



お家の洞窟


父は早起きしていのちを整え
次つぎと起きてくる子たちとたわむれて
おもらしで濡れた布団を干し
オムツを手洗いして洗濯機をまわし
味噌汁とオジヤを作って朝ごとの器に盛りつけ
五人みんなでいただきますの歌をうたって踊り
食後には子たちに登園と登校の支度をうながし
父はいつものとおり助手席に座り
母はいつものとおり運転席に座り
小学校へ向かうバスの停留所へ長女を送り
お山のふもとの保育園へ次女を送った。
このありふれた幸せに何の問題もないはずだ。

帰宅して洗濯物を干してから末っ子の長男を連れて
おいしい伏流水をポリタンクにたっぷり汲みに行き
馴染みの美味しいパン屋さんでバゲットを買い
母=私の妻はそのまま長男=赤ちゃんを連れて
一年生のお母さんたち八人のお食事へ出掛けて行った。

庭の畑へにんじんの種を蒔いてから
父=私はパソコンでワクチンについての最新記事をひらき
ひととおり読み終えて階段を降りていくと
玄関の床に置かれたピンクのボールが
風もないのに魔術みたいに前後に揺れて動いている。
まさか……と思って調べてみたら風はあった。
真っ直ぐに閉まらなくなった戸口から
かすかに隙間風が吹き込んでいた。
近頃は音楽も小説も感動しすぎてすべてがこわい。
午後には雨になるかもしれない。
雨おとを聞いたら布団をすぐに取り込もう。

近くに誰も家族の声が聞こえない。   
何をしていてもなんとなく胸がいっぱいで
家にひとり残されて父はおびえている。
何不足があるわけでもなく満ち足りたまま
人生には時どきこんな
ひとりぼっちの洞窟みたいな時がある。



片隅から


親たちが穏やかに細やかに
子たちを見護り
暖かい心で包み込んでいると
子たちもまた
やさしく落ち着いて
幸せそうに周りのいのちを
思いやるようになるのだった

パパママふたりが
こころの持ちようをあらためて
しんと晴れやかに
澄んだこころでいられたら
日戸として生まれた今を
子たちはまるごと
心地よく和やかに味わえる

ちいさな国の山里の
片隅の小さな家から
世界はたしかにこんなふうに
天の国へ少しだけ近づいていく



まなざし


のるちゃんはとても元気で時にこちらがしんなりするくらい
ひっきりなしに動きまわってしゃべりつづけてにぎやかです。
お姉さんのたあちゃんと三連休で日ごと遊びつくした末に休み明け
ひとり熱をだしてとろりんとしたまなざしになって寝込みました。
パパもママもこのところ のるちゃんに少し厳しかったかもしれない。
大人のこころにはうっかりすると義務感や焦燥感が紛れ込みます。
甘えさせてあげるゆとりが足りなかったのかもしれない。

パパは夜おそくに たあちゃんとライトを持って玄関先の庭へ出て
おおばこのきれいな葉っぱをたくさん摘んできました。
その葉っぱをママとパパとでのるちゃんのからだに貼りつけました。
ひたいと胸とおなかに。膝の周りと足の甲に。そしてもちろん
足の裏にも貼りつけて溜まった熱をおおばこさん吸ってもらった。
それからひと晩たなこころをたなこころに重ねてチカラかよわせたり
いまこそまさしくっていう潮時を見はからってのるちゃんの
頭のうしろにたなこころそえて熱をおろしたりしました

翌朝いったんさがった熱がふたたび少しだけあがってのるちゃんは
ときおりかぼそい声を漏らしながらぐったり横たわっていました
いつのまにか長く伸びた三歳児のまつげに思わず見とれていたパパ。
のるちゃんのただしいんと澄んでいる黒いひとみとパパの目が合って
そのままお互いまばたきもせず長い長い時がすぎてゆきました。

こんなに不思議なまなざしを持って生きている我が子になら
人生捧げちゃっていいんじゃないかっていう思いがふと湧いてきました。
何かのためになら死ねるなんて思うのはわりと安易な発想で
死ぬのにかかる手間は一瞬だけだからヒロイックな自殺と変わりない。
人生を捧げるのには長くつぶさに一生ぶんの月日がかかるんです。

のるちゃんの目とパパの目と無言でじっと交遊しているうちに
勇気とか希望とか呼べるような何かが胸の奥に芽生えて
頭の芯がしいんと痺れて真っさらの白いひかりになっていきました。
これまでそこに居座っていた灰色のダンゴムシみたいな孤独な虫が
どうやらパチンとはじけて消えてしまったようでそこから先は
心地よくしいんと痺れるひかりだけが頭の芯に真っ白く残っていました。




見守る親たち


大雨を
その後に続く日照りの暑さを
移ろい変わるお天気を
頭ごなしに叱りつけたりできないね
天然の天候の
ご機嫌をとるなんてことはできないね

大自然みたいに自分たちの
本性とそっくりな子たちをいとおしく
時には苦にがしく見守りながら
我ら親たちは胸いっぱいで
子たちから目を離せなくなり
時に遠いまなざしをして
子たちから目をそらす

子たちはあまりに親と似ていて
深慮も足りず遠慮も足りず
気まぐれだったり
わがままだったり
言いつけられたことをすぐに忘れ
手をつけたことをすぐにあきらめ
欲張りでお調子者で
甘ったれで

そして古代の神様みたいに
ありのままむきだしのまま
まわりのいのちとひとつながりに
おおきくひらいた目を輝かせ
歓び 叫び 走りまわり
身ずからのチカラをありったけ
宇宙へ捧げて遊んでる



居場所


きみには居場所があるんだよ
この家族のなか人の世のなか
地球の生態系のなか銀河のなか
この宇宙のほんの片隅できみは
これからおおきないのちの流れに
想うチカラをそえていく
少しずつチカラを解き放っていく

今まで防御していたんだね
頑張って頭でかんがえて
身につけた技術だとか能力
プライドとか教養なんかで
傷つかないよう怖くないよう
大人を演じてきたんだね
そうした防具をきみはこの歳で
いったん全部はずしてしまった
だから怖くて当たり前なんだ
弱々しくて寂しくて心もとない
だって裸で剥き身なんだもの

世のなかに放りだされて
安心できる居場所を探して
きみはチカラを抑えてきた
もしも今いるこの場所がきみに
まるで場違いと思われても
やっぱりきみの居場所はここだ
どんなに違和感だらけでも
ここできみはこれまでを捨てて
新しくチカラをひらくことになる

いまと同じこの場所できみは
いつかまた
いのちの声を聞くだろう
ほら
やっぱりここでよかったね
しっくりできる
ぴったりできる
きみの居場所はここだったね
あのときにこころを決めて
ここから出直せてよかったね
きみの生み出した
きみの世界へ
おかえりなさい



神さま


夢みて願って生きていこう
しずかにつよく願いつづけよう

ひとの世のいのちを
はじめからあらためるチカラを
あめつちをつなぐチカラを
ぼくたちは受け継いできたんだから
     
世のなかでは そっと隠すようにして
とおいむかしのみおやさんから
受け継いできたんだから

雨よふれと願えばきっとその夢は叶う
ひかりをと願えばきっと日はのぼる
願えるかぎりの夢を願っていいのだ

ぼくらの願う夢こそが
まさに全能の神さまだ




叱られて


パパにもママにも願いがある
困ったことに
不安や焦りも湧いてくる

心のままをたしかめながら
君たち子たちの
心のままに応えている

完成しているわけじゃない
いつも最適に調整されて
安定している機械じゃない

我を忘れて叫んだり
寂しくて泣きじゃくったり
おっぱいを吸いたがったり

びっくりこわい目にあうと
ちょっとだけ
お漏らしをしたり

親たちもまた
いのちに子供を宿したまま
そだちかけてる生き物なのだ

ママが子たちを叱りつけると
自分の未熟を叱責された
ような氣がしてパパはたじろぐ

子たちへかけた言葉はみんな
透明な投網となって上空へのぼり
パッと広がって頭の上に降ってくる



さまよう人びと


   1

ここにひとりの人がいる
お日さまの戸口になれるから
日戸って呼ばれているんだという
ヤミがどこかに生まれても
照らして晴らせる日戸なんだという

元もとは日戸だったのかもしれない
誰もがヤミを晴らせる存在
本当に日戸だったのかもしれない
だとすれば私たち人間たちは
だいぶ品くだって衰えてきたんだろう

   2
          
かつては飛び跳ね走って踊れた人類が
ふたたびよちよち歩きをはじめ
這い這いをはじめたようなものかしら

ヤミを身ずから晴らそうにもその
方法が まわりくどくなり ぼんやりしてきて
学校とテレビで教わったとおりに病院へ行き
産むにしても癒すにしても いのちについては
他人にまかせ薬にゆだねるようになってきた

人類は赤ちゃんがえりして欲深く
わがままでおろかになってしまったのかな
天然の本能はねじ曲がってみだらになり
ムダにカッコをつけるようになったのかな

   3

日戸なんだからなんとか清めて晴らせないかと
世のなかの人と人とのあいだがらを
少しでもきれいにしようと磨きながら
このはてしなくあてどない世を
今日も過ごしていく人たちがいるんだね

こころあるそんな人ほど胸のうちに
せつなくてさみしいおもいをいだきつつ
しっくりする居場所がなかなか見つからなくて
家にいてもたゆたいさまようたましいを
分かち合える相手をとおくに探しているのかな

切実に日戸になろうとしている誰かを
私はずっとずっと探し続けてきたんだよ
河の流れが人類によってどんなによどみ
海原が人類によってどんなに濁ったにせよ
ヤミをを払い清められるのもまた人類だから

   4

はげしい雷雨の後で川の水はあふれ
朝日がこまかく波間にきらめき
ここに私たちひとが またひと日をはじめる



花のみち


曽祖母ふみのまた母親も
その母親も父祖たちみんな
花さきあふれる我が道で
色とりどりを愉しみ愛でた
ここちよく何十年も
夜ごとめでたく
美しい香りにむせながら
あらんかぎりの種を散らし
とろけるような
めくるめく朝を過ごした
愛おしさのしみじみ
あふれでる朝だった
つつしみなく身がままで
おろかであったとしても
たしかにこれでよしだった
ぴったりで大好きだった
いのちはきわまり
末広がりにかがやいていた
それぞれの花それぞれに
花さきみだれる道だった




わらび神


子たちと暮らして励みになるのは
ともに子をまもり 育てている
仲間たちの笑顔だったりする

親たちは子宝という
至福の宝に恵まれる
これこそが宝のなかの宝だという

わらび神という神を天から授かって
親たちは真心を合わせチカラ合わせて
神そのものを預かり育てていくのだという

かしこみかしこみ うやまおう
いのりながら まもりぬこう
子たちは神で 女の子たちは女神だからね

ひとたびかぎりの人生のなか
大切な誰かとのあいだに恵まれる
このうえなく大切な宝なんだから

所かまわずうんちをする神
夜更けに大声でなきわめく神
ご飯粒をまきちらす神

駐車場を走りまわり
大切な食器をつぎつぎと割り
障子を破きまくる神

こんな子宝さんたちを
ありのまま神として受け容れ
時にうやまい おそれながら

我ら親たちは互いの心を
身ずからつぶさに少しずつ
育てて押し広げていく

家計について考えながら
子たちの明日をおもんばかって
なかなか寝つけない時もある

神につかえるものとして
我が身の越し方をふりかえり
あまりのひどさに呆然としたり

張り詰めてばかりじゃだめだ
楽しくゆったり落ち着こうと
お酒を呑んだら呑みすぎたり

階段から落ちそうな神から
つい目を離してケガをさせ
自責の思いで食欲を失ったり

ゆとりを見つけて声をかけ合い
わらび神たちを主役にすえて
お祝いや祭りの支度を楽しんだり

宝をまもり神を育てた月日はいつか
エッセンスだけ漉し取られ
おおきないのちの流れのなかに

滋養となって注がれて
次の子たち次の神さまたちの
御守りとなって行くのだろうか




育児の時間(さまよえるママ)


もしもこのパパが女の人で子たちのお母さんだったら
まるっきりダメな母さんだったかもしれないのだ
流し台でお気に入りの器さんたちを洗うのは好き
でもお料理の献立は計画もなくでたらめで
汁物をこがし 食材は傷み 漬物は旬を逃して臭くなり
洗濯物はしわだらけのまま畳みきれずに床へ散らばり
部屋の隅に埃は溜まって毛玉みたいになり
玄関もトイレも浴室もごちゃごちゃとして
月ごとに隅々まで磨き上げられている気配もなく
天井の端っこに蜘蛛たちが巣をかけていたり
お料理を置きっぱなしで酸っぱくさせたり
畑の草取り・種蒔きがひと月遅れていたり
手いっぱいのままどこにも手をつけられていなくて
どこから手をつけていいのか途方に暮れて
勘が鈍って気が利かず 必死にがんばっては滑り
ビールをひと缶開けてから台所に立つようになり
お家に帰ってくると甘ったれて漫画を読み耽り
そのあとで焦り あわてて落ち着かなくなり
特に急ぎでもない些細な縫い物にかまけてしまい
いただいた出産祝いのお返しは一年あまり遅れ
夜更かししたパソコン作業はデータを消してしまい
周りを励まそうとしてお調子者だと噂を流され
子たちの泣き叫ぶ声に運転席で途方に暮れ
真夏に食材を冷蔵庫に入れ忘れてしまってがっくりし
感情に任せて子たちを金切り声で怒鳴りつけてしまい
夫をねぎらうゆとりもなくむしろ冷ややかにふるまい
朝ごと夜ごと部屋を散らかす子たちにイラつき
こっそり甘いものを買い置いて夜中にむさぼり
気がつけば粉物や油物の料理ばかりが多くなり
頑張って家族サーヴィスで出来るママを演じたあとでは
子を学校へ送って帰ってそのままばったりと寝入り
夕ご飯はそうめんとかインスタントラーメンが多くなり
うつらうつら絵本を読み聞かせているうちに寝落ちし
寝不足になると効き目のない小言ばかりが多くなり
観たい映画を観る時間を取れないまま家出したくなり
我が子がこんなママの子に生まれたのが気の毒で
料理上手や片付け上手のママさんに会うと落ち込み
自分に価値を見出せなくて食欲もうしない
うつうつと自虐の罠にはまって髪はぼさぼさになり
もう死んじゃいたいなんて思うようになって
それでもやっぱり我が子を残して死ねない
家族も周りのみんなも末長く迷惑だろう思い直し
ひょっとしてこんな自分てこのさき一生ダメママのまま
子たちに依存して子たちをダメな子にしている最中?
そう思ったらもう切羽詰まってすがれる人を探し回り
誰にも相談できないまま図書館で森田療法の本を借り
シュタイナー関係の本やスピリチュアル本を読みふけり
道端の道祖神や仏像に手を合わせ ご先祖さんたちに祈る
もしもこのパパが女の人で子たちのお母さんだったら
そんなふうにさまよえるママだったかもしれないのだ
かたやそんな不毛な仮定を外して隣のリアルを見てみると
実在の我が家のママは前向きで周りをよく見てよく考えて
元気に朝晩よくはたらく立派で魅力的なお母さんなのだった




『夏休みの巻』へ続く






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