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パパさまよった 夏休み (全42篇)

子たちの夏休みが始まった頃から
夏の終わりにかけて生まれてきた詩です。

春から始まった連作『パパさまよった』の一部です。
     
目次のなか気になるタイトルがありましたら
クリックして読んでもらえると嬉しいです。



三十年後の映画


二十代なかばの昔むかし
芸術で世界を股にかけようと
映画監督になろうと決めて
フランスの映像学院へ
給費留学も決まった頃

目にする映画はすべて未来の夢だった
すべてが可能な 奇跡の学び舎
イタリア語もスペイン語も
映画館の暗がりのなかで覚えた
プロット・演出・衣装・音響・
美術・照明・カメラワーク
すべて吸収しようと前のめりに
輝かしいヴァーチャル人生を楽しんだ
最高のぜいたくな時に耽溺できた

あれから三十年経って
いま観る映画はどうだろう?
若き日の世間知らずな
色とりどりの夢たちを
よみがえらせる映画たち
美しく純なノスタルジアを
まじえたかすかな喪失感

かつて訪れたとおくの国々
懐かしい景色を画面に観ながら
想うのはやっぱり子たちのことだ
パパにとっては懐かしい人たち
彼らの住んでるこの地域を
いつか子たちも訪れられるか?
若い登場人物たちに子たちの
行方をほのかに投影しながら
画面とはまた別の夢を見はじめる   

いつかはこんな年頃になって
こんなふうに誰かに恋して
こんなふうに親といさかい
こんな出会いに恵まれて
こんな人生を選ぶのだろうか?
背丈が伸びて大人になってる
子たちの未来を夢想しながら
かすかにうずく胸の奥は
同時にときめくようでもあり



まねぶ


わしらぁふんとぉに こまったもんだわ
えれえしゅうからいわれたまんま
こうすりゃらくしてかせげるだかって
おろかなこんばか しっちらかして
えげつねぇまねも たんとしちまって
わりぃこん いっぺえ おぼえちまったな

そぉした おいめも ふまえてな
わしらぁいまでも みならいだもんで
むかしながらを まねしてまねぶしかねえだ
みおやさんたちみんなの んむうていたことな
そのエッセンスっちゃぁきっとまあ
このへんずらって あたりをつけてまねぶだよ


旅の荷物


幸せな夢の終わりは紛失だった
ネパール全土を旅したあいだ
ふたつにまとめて持ち運んできた
荷物のひとつを失ってしまう夢をみた
半分だけの荷物でいい
ネパールの山岳でこのまま
しばらく月日を過ごそうと思い決めた

よし覚悟しよう夢に照らしてもらって
失ったのは要らなくなったからなのだ
日々の暮らしのなかでここまで
持ち運んできた性格だとか技能とか
半分くらいはもう用がない
これからの世で半分はいさぎよく捨てて
今日からの旅をふたたびつづけよう



家族と別れる   (おまじないの詩)

だいじょうぶ
すぐにあえるから
そばにいるから
だいじょうぶ
ひとりでずっと
たのしくあそべる
だいじょうぶ
ひかりをとおす
おおきないのちを
いきているから
だいじょうぶ

貧しかった我が家では毎朝、母親が働きに出ていた。兄と私はおばあちゃんから哺乳瓶で粉ミルクを与えてもらって育った。父親はとおくの国にいて家にいなかった。帰国してからも遠くの街でひとり働いていた。幼い私はどうやらこの状態を消化できなかった。万病の巣みたいな虚弱児になった。食べ物を消化できないので、何も与えられずに、入院先のベッドで点滴を受けていた。保育園へ通うようになってからは、ひとりで絵を描くようになった。色んなところにひそんでいる神様、星空、山川、草木と語り合いながら、ひとりでも大丈夫な人になろうとした。心の奥に当時のさみしくせつない気持ちをずっと残したまま、そうした気持ちをいったん無きものにした。小さな子なりに世のなかで生きていけるよう自我を形成し始めた。


ねいろたち


朝からきこえる鳥たちのさえずり
たえまなくきこえる川の音
テントのファスナーをあけしめする音
あちこちで起きだしてきた子たちの声
炊事場の焚き火のまきがはぜる音
いただきますでそろえる子たちの高い声
蝉の絶唱
テントにあたる雨だれの音
流れきてまた流れゆく川の水
川の淵へ子たちが飛び込む水の音
つぎつぎと飛び込む子たちの歓声
お互いに呼び交わす声
広びろと解き放たれた声声声
花火の音とわらいさざめき
遠くキャンプファイヤーの周りの歌声

さようなら
生まれては消えていった音色たち
夏休みの想い出のなかへさようなら
この子たちがいつかまた
親になったとき子たちを連れて想い出す
ちいさかったころの
想い出のかなたへさようなら
またいつかチカラそえあって
子たちをみまもり
キャンプをできるつぎの世代へさようなら



口癖


子たちが問う
ことあるごとに「なんで?」と問う
そうなのだ
なんで我らは生きているのかこんなすがたで

子たちが「いやだ」と本音をもらす
たしかにときおり
こんなふうに生きているのがいやになる

「できない」と子たちはつぶやく
なるほどこれからさき はもう
こんなふうには生きていけないかもしれない

繰り返される子たちの声
なぜなのか
どうしたら皆で心地よく生きていけるか

おとなたち親たちだったら
すぐに応えてくれるはずだと
子たちは信じているんだろうか

つね日ごろからの
生きざまを
口癖のように問いかけられて

子たちにとって
いやなこと できないことも
まず真に受けてしまう親なのだった

ことあるごとに
世のなかを想い
我が身を想い
身につまされる親なのだった



生き直す


苦しいとき
これまでの身のふりを悔いてしまうとき
自分を責めてしまうとき ふと自問した
人生をどこかの地点へ巻き戻して
そこからふたたび生き直せるなら
それはいつから?
何歳のいつくらいから生き直すのか?

四六歳
三二歳
二七歳
二一歳
一六歳
五十年あまりの色んな節目が想い出された
その時どきの時代風潮
過ごしていた国や地域
人生のどの時期にも
落ちくぼんだ辛い時期はあった

あの頃さまよい暮らしながら過ちをおかした
あの人に辛い思いをさせてしまった
たましいをそこなうようなことにおもえた
とりかえしがつくのだろうかとなやんだ

それではそうした人生のくぼみを
避けて通れるようにと
くぼんだ時期の少し前まで巻き戻したらどうだろう?
そんな思いにとりつかれることもあったのだ

せっかくのチャンスを逃したのかと悔やんだりもした
あのとき相手のさそいに乗っていたら
あのとき相手の手をとって強くにぎっていたら
そんな思いもどうしようもなく繰り返された

あれこれと思い返してたしかめてみた
あのころの自分がほかに何をできたというのか
やっぱりあれで仕方なかった
あれはあのままでよかったのだ
おおきないのちの流れのなかで必要だった
巻き返して生き直せるとしたって
そんなことをしたくはないのだった

くぼだまりでじっとしていたわけじゃなかった
おのれを悔やみ あらため 立て直して
おおきなよろこびしあわせにも恵まれた
出会いに恵まれ 仕事に恵まれ 仲間たちに恵まれた
辛いことばかりじゃなかった
人生の節目ふしめに天国の日々を生きられた
この恩恵をなかったことにはできないのだった
振り返れば過去のどこにもなかった
巻き戻しあらためて生き直す地点なんてなかったのだ

だまされてみそこなわれて
大切なものをうばわれた経験
理不尽と感じた体験も
あれで仕方がなかったのだ
実りはあった
よかったのだ
自分はこのようにいのちを尽くした
あのときはあのように生きるほかなかった

かえりみてどんなにひどい体験も
身ずからのひどい言動も
身ずからゆるすしかないのだった
このちいさな頭ちいさな見識を
抱えたひとりの人間がもしもせまい心で
身ずからをゆるせなかったとしても
いのちさんにはゆるしてもらうしかないのだった
もちろんこれは我が身ひとつのはなしではなく
あらゆるひとの つみ とが けがれは
いのちさんにゆるしてもらうしかないのだった

生き直すのなら
やりなおすのなら
今日この瞬間から

これまでを
活かしていくのは
いつになっても
これからなのだ



家出


どこにいたって
どこでどなたと暮らしていたって
こういう時はめぐりくるんだ
なんだこりゃ なにしてるんだこの自分
なに耐えしのんでがんばって
いい人ぶった父親像におさまる家庭科してるんだ?
話しかけても返ってくるのは生返事だけ
子たちをプールで見守るあいだも
子たちと図書館にいるあいだも
あてどなく せきたてられる心で
何者なのかこの自分
へえ わからなくなってきた
おい自分 どこにいるんだこの自分
夕食の鹿肉を焼いた後
車を運転できないパパは
やむをえず自転車に乗って
ふと家庭からさまよいだした
宵の田園の景色のなかで
死を想いつつ
とおくの家いえのあかりをみつめ
山向こうに照る月をみつめていた
そして結局
ふたたび我が家へ
自転車に乗って帰還してきて
それからどれだけ経っただろうか
居間のタタミをホウキでそっと掃くコツを
我が子に示してみせたりしながら
ひょろひょろのやせたからだで
こんなふうにまだ生きている
静かな心で思い返せば
あの日の月は佳き月だった
そういえば久しく散歩をしていなかった




我が身


いきてくれ
しにたくなっても
いのちまるごと
いきぬいてくれ
きみに言ってるだけじゃない
まずは我が身だ

感覚がなんかおかしいの
へんてこな声がきこえるの
人類を生きちゃってるの?
人生が迫ってくるの
にこやかにふるまいながら
まともなひとを
はみだしそうなの

子をまえにして
だれの身よりも
切実な我が身
どんなにボロくて
だめなクズでも
どうか我が身よ
ながらえてくれ



はざま


おおのかずおせんせい
私もどうにかこの我が身で
味わうことになりました

生と死のさかいめを歩く
生と死のはざまを踊る

私はちかごろ大切な人たちを
何人も亡くしてしまいました
死にまつわる多くの感情を味わいました

子たちと楽しくすごしていても
死をつつみこんで生きてるみたいな感じで
くるおしかったです

いまもなお 胸さわぎがして
こころのけじめがついていません

おおのかずおせんせい
ひとの生き方はやっぱり
上手くなくてもいいんですね

うたっておどって
くるおしいこの我が身を
ぶざまなときはぶざまなままに
活かしていくしかないんですね

あああ死がちかづいてくる
死にくるまれる つつみこまれる

生きてる自分と
死んでる自分の
はざまを歩いているときは
死の頬に触れられるくらい

すぐかたわらに
ときにあっけらかんと
私たちのみんなの死が
よりそい息づいているんですね



いとなみ


きのうとおんなじ
やまのむこうから
おなじお日さまが
のぼってむこうの
おなじやまなみに
しずんでいったよ

みおやさまだれもがきっと
そのまたみおやさんたちと
にかよったよろこばしさを
それぞれによろこびあって

ひととして 子のおやとして
おんなじようなあこがれや
あてどないきもちなんかを
あじわっていたんだろうな

日ごと あのやまからのぼり
あちらのやまへしずみゆく
日のひかりをながめながら
子たちともども この土地で



パパからいつかパパになる子へ


パパのお父さんは戦争で親を亡くして みなしごになってしまったんだよ。
これから話すのはパパが小さい頃にお父さんから聞かせてもらったお話。
きみのおじいさんがある日 寝るまえにお家の居間で聞かせてくれたお話だ。

「お父さんは今朝 壁がくずれて柱だけしか残っていない家のなかに
 ひとりだけ取り残されてる夢をみて くらくらしながら目覚めたよ
 日ごとめでたくお祝いだけして暮らしてる家はどこにもない
 幸せばかり味わいながら たのしく笑って一生を終えるひとはいない
 大声あげて「ママ」「来て」「いやだ」「行かないで」って
 大人でもたまにひと目かまわず泣き叫びたくなるときがあるんだよ

 とっても大事な誰かの元から追いはらわれて捨てられたり
 とっても大事にしまっておいた宝を誰かに奪われたり
 どんなにせつなく求めても学校へいくお金がなかったり
 そんな折おりのこころの姿は歳をとっても当時のまま
 大人たちのこころの裏の水底に取り残されているんだな
 これさえあったら何があっても幸せだから大丈夫なんて
 魔法のお守りがどこかに売られてるわけじゃないんだな

 立派な大人になったってさみしさは尽きず果てしない
 夜更けに目覚めて自分の弱さにびっくりするんだ
 ママだってパパに甘えて泣きじゃくりたくなる時がある
 パパだってたまには「ママ!たすけて!」なんて叫びたくなる
 大人になって年月が過ぎて自信がついてどっしり安心してからも
 こころの奥底はあてどなくたよりないまま震えていて
 頼れる人のだれもいない荒地をひとりさまよっていたりするんだね

 小さい頃からあこがれて求めつづけた永遠の真実みたいな何かに
 相変わらずまだこの世のどこかでめぐり会えてはいないまま
 さみしい荒地をさまよい歩いて冷たい夜露に濡れてるうちに
 草木がしおれて枯れていくようにすこしずつ病み衰えて
 感動が消えてこころがうつろにぼやけていく人もいるんだろうね

 周りのひとのこころに沿って人交わりの経験を重ねていくうちに
 色とりどりに細やかに こころが綾なして育っていく人たちもいる
 おびえていたこころがそのまま うやまうこころになっていったり
 おそれていたこころがそのまま あわれむこころになっていったり
 母さんがたまに歌を口ずさんでいるときはそんな感じなのかもね」



ごめんね


こころのはなし、パパは、ごめんね、こころのうちで、これまで何度も、
きみたちのことをちょっとのあいだまったく忘れて行動していてその結果
(こころのはたらきとしてありのまま言うのなら一時的に)見捨てていた。
父が!子を!忘れてる! うかうかしてたらそのまま忘れ果てちまうぞ!
やむをえずだったし、わりとありふれた話だとしても、なんてこった!
きみたちが渾身全霊で親の注意を引こうとしていたまさにその時
パパもママも、きみたから、こころをそらして余所を見ていた。
きみたちには、ずしーんと、さみしい思いをさせていたかもしれないね。

こっちの都合でこころがさみしくゆらいで荒くれていたり冷たくなったり
弱くて何かと到らない、こんな親がきみたちの親でごめんね、我が子たち。
親としてはイラついたり とりみだしたりして悔やまれるようなことばかり。
そしてありがとう、きみたちと過ごせた時間は楽しい想い出にあふれている。

もうひとつ聞いてね、パパは、いつの日かいきなり世間体からはみ出して、
きみたちをまったくほっぽらかして自分勝手なわるい人間になっちまって
かっこいいのかわるいのか微妙なラインでおろかな者になるかもしれない。
その言動は善悪の彼岸、パパ渾身のメッセージにもなるかとも思います。
きみたちもいずれは天職を見つけ、胸はりさけそうな真心を抱えて
ほかの誰にもきりひらけない我が道をひらいてゆくんだね、ひとりで。
その道をとおる者たちが百年くらいはいったん途絶えたとしても。
あの親は、無道だとか、非道だとか、周りに決めつけられたとしても。



我が家の文化


写真集や映画をあまり観なくなって
パパはきみたちの写真を撮り始めた
きみたちの日頃の姿がこのまま
消えてしまうのが名残り惜しくて
ビデオ映像に残すようになった

きみたちの出まかせな仕草は
そのまんま素晴らしい天然ダンスで
パパママはきみたちと笑って踊って
きみたちの踊りにしみじみ見入ってばかりだ

振付しながら踊っていたパパママも
ダンサーたちを振り付けなくなった
舞台公演を観なくなった
舞台にも立たなくなってきた

スピーカーから流れてくる誰かの音楽
日ごとお家で録音物を聴いていたパパは
お家のすべてのアンプを止めてしまった
きみたちが今さえずるように口にする音や言葉
きみたちの口ずさむ歌をたのしむようになった

古代から最前列まで世界各地の芸術文化を
パパはこれまでこころを込めて味わってきた
そうした文化体験のはるか先には
きみたち子たちがお出ましだった

さけびささやきうまれてくるうた
もつれあい転がって大笑いするパフォーマンス
自作の文字で周りのみんなへ書き送る手紙
朝夕みんなでからだを揉み揉みしあう時間
文化の原点はこういうことか
素直にきわまるとこうなるのか人のいのちは
感動で胸がおかしくなりそうだ

いまの姿と重ねあわせて
きみたちの過去の姿を
写真や映像で目にすると
パパはもう んむぅねいっぱいで
立ちあがって踊りだすしかないんだな



秘密


こうしたひそかな にじいろに
あこがれるひとも いるのだろう

おろかなことをしでかした
くやんでも しかたなかった
おもいだしては はじいり ふるえる

すこしずつ こころはきっと
ゆるすちからを うみだしてくれる
こころは つぶさにこまやかに
やさしくひろく そだってくれる    

このむねのおく ひとしれず
いくえにも おりたたまれた
にじいろの秘密ゆえにこそ



かがみ


幼い日こころがどうにもならないとき
かがみをのぞいてみるようになった

どんなこころでいるときに
どんなまなざしで
どんな音色を聴いていて
どんな吐息になっているか
どんな言葉がふと生まれるのか

こころのうちがわに照らして
あらわれかたをたしかめていた

そのときどきの
相手のまなざし
といきから
相手のこころのうちがわを
おしはかるようになってきた
かがみをたよりに
もっとこまやかに



あたらしいさち


まさかこんなことがしあわせだとは
くつをはかせてあげる
漢字のかきかたをしめす
水タンクをともにはこぶ
おもってもみなかったさちを
きみたたちはパパへもたらしてくれた
これだけのことがこれからさきの
かすかな希望のひかりとなって
おとなたちの息をしずめてくれるとは

ごはんつぶをまきちらす
こちらがひろいあつめる
かなきりごえでいいあらそう
こちらがなだめしずめる
はしってきてあしにだきつく
そのままかたぐるましてしまう
これがしあわせ?
これがのぞんでいたことか?
なれていなくてびっくりしつつ
こんなきもちをもたらしてくれた
きみたちをついついあまやかして
はしゃぐにまかせたりしている




子たちのママへ


まさかパパまできみに叱られるのが
こんなに怖くなるなんて思いもよらず
とまどってどもったりしつつ
すっかりたよりにするようになった

出会ってくれてありがとう
恋に落ちてともに暮らすまでの一〇年
お互いにいろんな月日を過ごしたね
子たちを産んでくれてありがとう
この家族を生み出してくれてありがとう

きみたちがいなかったらこのパパは
こころに芸術コーティングした
さみしい迷子の大人だったよ
自分の都合と自分の事情がいちばんな
かわいた砂のひとつぶみたいな
荒野につるんといっぽんつっ立つ
棒杭みたいなこころで暮らしていた男

いまはこれだけ ここからはまたね
きみがいてくれたからパパとして
振り出しから生き始めちゃった夫より



やすらかに


きみたち子たちは朝ごと夜ごと
こころみだれて大声で泣く
ひとつの言葉を泣きながら
繰り返し叫びつづけたりする

実は親だって不安なのだ
これからの暮らし
これからの仕事
これからの世のなか

やすらかに寝息を立てている
きみたちのかたわらで
こころのさざなみを
しずめようとしていたりする

これからさきもきみたちが
やすらいで暮らせるように
親たちは何を支度できるか
何を手放すことができるか

どうかどうかやすらかに
宇宙に護られ育ってくれ
せめてきみたちもだれかを
護り育てる親になる日まで



遠くの河岸


みんなで何かを持て余したまま
なんとなくハッピーな夜ごとの宴
半日かけて化粧した人たちが
内側から鍵をかけてる豪奢な牢獄
文化のあぶくに酔いしれて
ほらきらきらしている照明器具
使い捨てられるのは食器のほかに
むきだしの恋するたましいたち

とおくアメリカで短身の
ゲイの作家が晩年に日ごと感じていたこと。
やっぱりゲイだったフランスの大作家が
かぶってきた世にも不思議な仮面。
世界の文化の中心地で虚飾だらけの社交界を
舐めまわした末にふたりの作家が感じていたこと。

こうしたことにこのパパもまた
こころから共感してしまうのはなぜだろう。
大都市の狂ったパーティーの夢を見て目をさます。
信州の夜の山里を吹き抜けていく風。
夜中に胸がいっぱいになる。

このひょろ長いからだのうちに
どうやら相変わらず独り身のこころを
はぐれ者のこころを宿したままパパは

今日も車の助手席から手を振って
「元氣でね、たのしんできてね」と
保育園へ学校へきみたちを送りだし
「おやすみなさい、いい夢みてね」と
夜ごといったんきみたちに別れを告げて
きみたちのとなりで別べつの夢をみている。




こころ


「やさしいこころ」
「つつましいこころ」
「あたたかいこころ」

つらいとき
せつないとき
こえにだしてくりかえそうか

きみたち子たちが
こんなこころで暮らしてくれたらと願うから
パパもまず我が身をなんとかしようとしてね

「つぶさにひろい
 ゆたかなこころ」

どんなにつらくてせつないときでも
こえにだしてくりかえしている

なにもたよりにならなくて
こころがうつろでからっぽなときも
だいじょうぶ どうにかなるよ




あまんどぅんかい


沖縄の宮古島で歌い継がれてきた民謡『なりやまあやぐ』の歌詞に「ばんぶなりやあまんどぅんかい」とある。私の妻はにっこりとして迎えてくれる、というような意味だろうか。かつてパパが三線を弾きながらよくうたっていた歌だ。夜遅くに仕事から帰ってきても、よそで遊んで帰ってきても「ただいま」と言えば「おかえりなさい」とにっこり迎えてくれる。そんな家族がいてくれることは日々どれほどの幸せだろうか。

笑顔


いってらっしゃい
氣をつけてねと
こころを込めて
投げキッスしたら

あまくかがやく
笑顔でママはこたえてくれた

パパはね どうやら
この 朝ごとの 笑顔だけで
ひとつのお家のパパとして
生き永らえていられるみたい



最高


大丈夫だよ自信をもって時めいていこう。
きみたちがママとパパにとって最高なんだ。

自分にとってかけがえのない最高な人たち、
そんな人たちにとって自分もまた
かけがえのない最高の誰かだってこと、
これが多分この世に生まれてきて
最高に幸せなことなんじゃないかしら。

きみたちはママとパパにとって
生まれた時から唯一最高の生き物だった。
初めから生まれるまえから最高だった。

だからパパはきみたちにとって、
きみたちの暮らす世のなかにとって、
最高に何かであろうとしちゃったりして
がんばりすぎて緊張しながらヘマをして
打ちひしがれたりしちゃうんだろうな。

そして自分に言い聞かせるんだ。
大丈夫だよ自信をもって時めいていこう。




けしき


この目がうつしだす景色
おうちの窓から見える空
緑あふれる周りの山やま
密林みたいな我が家の畑

なんて恵まれているんだろう
この土地できみたち子たちの
育っていくさまを見とどけられる

トマトが育って歓声をあげる
きゅうりをかじって歓声をあげる
黒白のとうもろこしに歓声をあげる

畑で朝から汗ながす家族
みどりあふれる信濃の山里
お家から見える日本の空
この目がうつしだす宇宙の景色



願い


あああ あのね
きみたち子たち
パパママはたまにクラクラするんだ

きみたちに恵まれたのは
こんなまさかな時代だったんだ
お祭りが過ぎ去った時代
売ってるごはんがヘンテコな時代
学校と人工頭脳と病院の時代
ポツンとばらばらな人たちが
生命までも使い捨てたりする時代
人類まるごとギリギリの時代

それでも生まれてよかったんだね
人生の終わりがどうあれ
すでにこの世で
歌をうたって花を育てて
家族で楽しい月日を過ごせた
これからだってまだ大丈夫
生き延びられるって素直に思える

あああ あのね
きみたち子たち
何があっても乗り切れるからね
樂しく元氣に生き延びてくれ
幸せな恋を味わって
子宝さんに恵まれてくれ
いやいや これはお願いじゃない
パパママも共にあやかりあおう
なるべく一緒に
樂しく元氣に生き延びよう

これがひとの生命だ
これが人の生活だ
これが日戸の人生だ
人類として生きるってのは
まさにこういうことだって
身ずから たしかめられるよう
ひろくゆたかに味わえるよう
いまを楽しんで生き抜こう

パパママはどんなふうにでも
きみたちにチカラそえられるから
最後の時まで日戸として
たましいをみがいていこう



はだか


きみたち子たちにのこすなら
はだかのパパをのこしておこう
背広も作務衣も寝間着も水着も
着脱自在な はだかのパパだ

ありのまま 素ののままがいい
おへそや ちくびを まるだしの
ママパパのすがた すのかたち
こころのうちにのこしていいよ



宇宙


きみたちのパパとどこか似かよってる人たち
こころの似ている人たちって
地球のあちこちにきっといて
そんな人たちがどうにか生きていられる理由?

きっとかぎりなくたくさんの
あれやこれやの理由のなかで
まず思い当たるのは
御祖さん
おばあちゃん おじいちゃん
おかあさん おとうさん
御祖さんたちから受け継いだ何かしらの宝

いのちのあじわい方
うみやまとのつきあい方
あめつちとのすごし方
こうして日ごとにつづれることばの宇宙




周りのみんなの目を惹いて
このまんま空飛べるんじゃないですか
なんて初対面の学生たちを夢中にさせて
サインを求める女子高生の行列ができて
ファンの子たちにお持ち帰りをせがまれる
人生のなか ひと度くらいはそんな感じで
もてはやされて ちやほやされる
ときめくスターなダメ人間になってみようか

パパもかつては海の向こうの島じまで
海幸山幸の美味しい遠くの国ぐにで
そして懐かしい京都のまちで
ときめくスターを自演していた頃があったよ

行く先ざきのあらゆる出会いを原動力に
軽がるとアートの波間をただよっていた
どなたにもわかりやすいことだけ口にして
その場その場の人気を集めて
半透明に なかば素どおりするように
人びとの暮らしてる部屋を泊まり歩いた
自分はいますべてのチカラを捧げつくして
世のなかみんなを元氣にしている
他のだれにも出来ない仕方で
みんなを励まし社会貢献しているんだって
そんな信念を燃料にして
いのちを張った天才ごっこにかまけてた

行く先ざきの大きなまちで
出会ったばかりの応援者たちが
アーティストとしてもてなしてくれる
終演後 舞台へ向かって人びとが
拍手喝采を送ってくれて
そのあとで招待されたパーティーで
また盛大な拍手を浴びて
文化的な うるんだ瞳に囲まれて
愛されて尊重されてる自分がいて

観光名所へ案内されて
照明を浴びて取材を受けて
ナイトクラブへ連れ込まれ
また盛大な拍手を浴びて
皆がきらきら笑いの発作に包まれて
お祭りがまさに誕生している
その瞬間に居合わせて
高揚している笑顔ばかりが溢れていて
酒瓶の底が跳ねあがり
あたりいちめん恋がふわふわただよっていて
これがアートに人生ささげたご褒美みたいな
絶頂感だ 安心感だ 達成感だ 陶酔感だ
とにかく感動してばっかりの日々だった

おいしかったよ たのしかったよ
明日からもそのつぎの日からも
果てしなく末広がりな まぶしい未来
人生ひとたびけでいいから きみたちも
そんなスターな人間のクズになってみようか



吃音


思春期のはじまった頃みたいに
パパ、どもるようになってしまった。

きみたち子たちのお母さん
つまり自分の妻にだけドモっているらしい。

次どうするか いきなり質問されたとき
求められた些細な仕事でしくじったとき

どうしても伝える必要のあること
多分、愛に関わる事柄で胸いっぱいのとき

切実な話をさておき事務的に連絡するとき
どもるのは どうやらいつも そうしたとき。

大人のくせして子たちよりもっと
ぎこちなく つたない パパの舌先が

今日も程よくド、ド、ド、ドモって
つっかえがちな いのちの道をとおしてる。



満月の夜明けに


これほどの感動を
ありあまる くるおしい感動を
こころに抱えてしまったままでも

なんてこった こころは破裂せず
この世から廃人として廃棄もされず
むしろ たましいの うるおう気配だ

夜になるたび ひどく感動におそわれて
寝しずまった家族のなか
ひとり眠れないでいるパパがいる

なんとかこころを落ち着かせようと
庭へでて夜風にあたり天の川を仰いだり
田んぼのなかの暗い夜道を歩いたり

歩きつつ踊って汗をかいてみたり
風呂場のシャワーで水を浴びたり
弱音でエレピを弾いてうたってみたり

人間の文化の源流はどうもこのあたり
このくるおしい嵐みたいな感動だ。
実体感を麻痺させないで享受しよう。

ひとだからこそ はてしない。
もうすぐカトリーヌ三世が呼びにくる。
我らの暮らしも思いかえしたら神話みたいだ。

ゆたかに水の流れゆく山奥の安川原。
現に起きてる奇跡を日ごと みとめよう。
しあわせは ほかと くらべられない。



パパの生き方


よし生きよう
天地創造の不思議を生きよう
これまでもずっとそんな気持ちで生きてきたパパは
向かう先どこにでもポエジアの感動があった
何もかも星空のもとに眺めてしまうのは仕方ない
すぐに小さな子みたいに揺らいでしまうのも仕方ない
こういうひとが世のなかにいるのも仕方ないのだ
実業家とかスポーツ選手の生き方ともちがう
ぶざまにころびながらでもいい
勝ち負けの彼岸で踊っていくのだ
思いっきり夢中になって天職を生きてみるんだ
世のなかでささやかな役割を果たせるかもしれない
パパなりにひとつの例を生きておく
いずれ身ずからためしてみようね



夏休みあとの巻


初めての文字


叫びみたいなささやき声が
とおくにちかくにきこえてくる
声の中身はいろんな世界とひとつながりで
例えばね 昨日の夕べ 家族のなかの出来事だ

夏休みの最後の絵日記で
きみの書いたひらがなたちが
あんまりきれいでかわいらしくて
そろそろ漢字を覚えてみようかとパパは
六歳のきみに持ちかけてみた
パパが書いたお手本をもとに
書き順をたしかめながら
生まれて初めてきみが書きだす漢字たち
書くたびにもっともっととせがみつづけて
わずかのあいだにきみはたくさんの
漢字を記して覚えてしまった
数えてみたら横一列に四十九文字
新しい文字をきみは帳面に記していた

地球ではいろんな事態が持ちあがっていて
こころある人たちの世はもう三年ほどで
すこしずつ崩れはじめるのかもしれない
それでもパパはきみといっしょに
こうして文字をたしかめたのしむ
パパがていねいに手本を記して
その下にきみは生涯はじめてその文字をなぞる
丸いおりたたみ机にならんでふたり
くさかんむりをたのしんでいる


そして色の名前をみっつ



はじめてたしかめる言葉


ふたりの上には

があって
天気雨
が降ったりする
ずっと口ずさんできたみたいに
書き順をたしかめる歌たちが
パパの胸から生まれてくる
親密なお祭りみたいな遊びのひと時
家族みんなが机のまわりに
ひとりずつ集まってきて祝ってくれる
今までの人生で耳にした音楽すべてと
はかりあえるほどに尊いひと時
来世があるとしたらこうした時の記憶こそ
かすかにであれ継がれて残っていくんだろう

将来という時がもしもすっかり細らんで
この世がすさんでこわれてしまって
きみが漢字を使いこなせる
未来が薄くとおざかっても
それでもいいのだ胸いっぱいに
いまは永遠の至福の時だ
新しいひとのこころにこうしてはじめて
文字が受け継がれ刻まれた時
かずしれないこころとこころが
ひとつにふれあいとけあった時を
忘れないよう失わないよう
こころは とおくに ちかくに かすかな
叫びみたいなささやき声をきいている



芸術の波


せっつかれる
波がせまってくる
家族みんなとお休みの部屋で
からっぽのしずかなこころで
ねむりをむさぼっていられたのに
お部屋のまっとうなお片づけ
畑のまっとうな草むしり
そうした日ごとのあたりまえを
たのしんでいられたはずなのに
うわあああ
やっぱりまたしてもせまってくる
ちいさなちいさな夜光虫たちの
ひしめきあったうねりみたいな
この波はどこからせまってくるのか
おだやかな悟りの暮らしに憧れても
この波がまたさわさわと
我が身をいざない運び去ろうとする
清らかな悟りとはまた別なほうへ
季節のない奇妙な離れ小島のほうへ

お父さんしっかりしてよ
空耳なんかに耳を貸さないで
寝言ばっかり口にしないで
さざ波だとか言い訳をやめて強くなってよ
眠りながら波にゆられて泳いだりする
へんな癖からは卒業してよ
たとえばそうした言葉でいずれ
我が子たちから いさめられるまでと
かりそめの期限をきめつつ
せっつかれるまま
せまられるまま
夜更けにひとり
芸術のうようよしている
なじみの小島へ泳ぎでてゆく



パパの代わりに


Aiだったらよかったのかな?
パパの代わりによくできたロボットが来たら
ママさんはもっとゆったり楽だったのかな?

中身もろともパパは立ち退いて廃棄処分だ
代わりにしっかり教示を受けたロボットがくる
そりゃもう便利で面倒がなくて安心できる

車の運転・掃除・洗濯・お料理もすべてお任せできる
することすべて効率的でミスがない
野良での仕事も食品加工もすべてお任せ

知性ゆたかに子たちの勉強も見てもらおう
アイロンもかけてもらおう縫い物もお任せしよう
必要だったら硬度はともかく角度やサイズも調整できる

せっかくこしらえものなんだしついでに
元パパよりもだいぶ美男でお肌も髪もつやつやで
しわを伸ばして二十歳ほど若く作るのもありじゃないかな

こころがないから余計なことも口にしなくて従順だ
あれやこれやの気まぐれな欲求もなくイビキもかかない
雨にも負けず風邪にも負けずいつも静かに笑っていられる

ぶつくさごねたりしないからいちいち返事もしないでいい
個人のやっかいな癖だとか趣味に干渉してくることもない
かたわらで休みたいだけ休んで楽をできるのだ

そうしたら朝からゆっくりコーヒーを入れて雑誌を読める
たのしめるかぎり楽な範囲で子たちの世話を楽しめる
ゆとりが生じて瞑想できてストレスもなく笑って暮らせる

読みたかった漫画を読んで気になっている映画を見て
エンタとアートのいまをチェックして文化生活を楽しめる
水曜日には社会に貢献ボランティア活動にも専念できる

Aiが進化していけばこんなふうに快適なパパが手に入る
ただいまの古びたパパはどこか遠くに捨ててきて
ロボットのパパが代わりにお家に来たらどう?

口調ばかりは淡々と切実な心地で四歳の娘へ訊いてみた
そうなったら のるちゃんは嬉しいかなあと訊いてみた
五人家族の寝室でふたりだけ寝つけずにいる宵だった

「うんいいよ でも本物のパパがいい
 お家の誰もみんなロボットじゃないほうがいい」
どうしてなのか訊ねてみたら答えはわりとシンプルだった

寝るまえの足首コッキンしてもらう時
ロボットの手はちいさくて冷たいから
パパの手はおおきくて暖かいからパパがいい

おやすみなさい いいゆめみようねと
就寝の挨拶を交わしてまもなく娘は眠りについたらしい
ずっと寝不足だったパパもまた充電がきれて眠りについた



神さまへ


朝っぱらからまたすぐ近くに救急車の音
夜中にも空耳なのかと疑うくらい
音は夜ごとに山あいの里にこだまする

目のまえのこと ひとつひとつを丁寧に
日ごといくたびか そう心がけつつも
ちりのまがいに こころは はやる

ひとのいのちと いのちのあいだに
今日もびっしりはりめぐらされて
枝分かれしていく こころない迷路

こんな状況で自分に何かできるんだろうか
うかうかと歳を重ねて体力はだいぶ衰えた
あがき もがく熱量も かつてほど残っていない

こんな夕暮れ星人が実のパパとして
きみたち子たちに生き様をちらつかせ
ありのまま本音の波動を浴びせているのだ

足元のコンクリートから噴きだす焔と
上空から放たれる熱線に焼き焦がされて
吹く風にびらびらたなびくボロ布さん

パパの服にもズボンにも穴が空いている
我が家の布はおおかたどこかが破れている
ママの下着も古くなってきてぼろぼろだ

髪の毛もぬけていく歯もぐらついていく
理念はあやふやになって修行もできない
神さまに誇れるところがないんです

こうなってしまってはもう神さまに
護りたまへとお願いしたり
甘ったれてる段階じゃないかもしれず

こちらが神さまの燃料肥料になるほかない
神さまには見えないチカラが必要だから
念力でお力添えしてあげられるはずだ

なおも足元をふらつかせながら
そんな想いで玉ねぎの皮をむいています
ねえ だいじょうぶ ですよね 神さま



うしろのほう


どこかでうしろめたいのだ
大人がひとりで芸術活動していることが
みんなに尽くして世のなかを居心地よくする装置をつくる
そんな名分はもはや子供っぽい言い訳にしか感じられない
むしろどれだけ周りの人たちに尽くしてもらって
ほどよい居心地を確保してもらってきたことだろう
差し引きゼロになっていないかいつも氣になっていたじゃないか
こころのうしろがあやふやになってすっきりしない
すっきりしていることにして すっきりを演出するのはもう懲りた
どこかがうしろめたいのだ
芸術活動は人間ならではの深いふかい充足感と関わっている
だからいっとき家族みんなからよそ見して
ひとりだけ充足してしまうのがうしろめたいのかもしれない
胸を張るなら張れるパパだっているんだぞとは思いつつ
実際にそうばかりとはいかなくて
猫背になって立ち尽くしたりしてるじゃないか
きみたち子たちもこんなパパさんと暮らしているうち
自分についても人についてもこんなぐあいに
うしろのほうをたしかめながら暮らす月日が来るんだろうか



ざんざんぶり


わしはまったくしらなんだだよ
パパになるってどういうこんだか
どんなきもちになるこんだかな
パパとしてオムツをあらってほす
パパとしておみそしるをつくる
パパとしておるすばんをする
いまもよくしっちゃいねえまま
ざんざんぶりのあめのなかひとり
はだかになってパパはとびだした

まっぴるまでもしかたなかった
あらいながさなきゃいけねえだ
とりもどさなくちゃなんねえだ
ざんざんぶりがきもちいいだよ
びしょぬれのかみがきもちいいだよ
このまんまパパはげんかんさきで
のたれじんでもいいくれえだよ
あめのしずくがざんざんぶりだ
きっとうまれかわっていくでなパパは




ある日


このひと日
子たちと寝るまえのつかのま
うたいながら
たなこころそえあって終わるひと日

この日のためにだけであっても
生まれてきてよかった恵まれていた
そんなある日が
日ごと夜ごとに続いていく

タイのあら肉を
指でつまんで
一歳のきみの口元へ運び
はじける笑顔で味わってもらう

我が身の値打ちを想って
朝も昼もくじけそうになりながら
それでもこの日が永遠に
次の日へ連なっていく奇跡



おとずれ


恵みの夜とリルケはいう
創造の奇跡が訪れてくれる夜だという
違うね それは
詩に襲いかかられて
眠れないまま立ち尽くしたり
灯りを消したちいさなひとつの部屋のなか
つぶやきながら行ったり来たり
横たわったら胸が痛んで すぐ跳ね起きる
インスピなんて邪魔なだけなんだ
恵みの夜と呼べるんだったら
呪いの夜とも呼べるはずだろ
ありのままいのちの美音が
雑音みたいに押しよせてくる
よくわからないひとかたまりが
こころのうちにありあまりすぎてねむれない
きみたち子たちしばらくごめんね
どうしようもない言葉たちがおしよせてくる
どうしようもなくパパに身ぐるみしみわたってくる



だいじょうぶ


この世の流れを根元から
つぶさにひろく変えていけると思ってた
みんな晴れやかに余すところなくチカラ添え合い
お互いに許しあっていく世のなかをきっともうすぐ招来できる
この自分たちで めでたくきらきら 歌って踊って物語りあって
きっと世界に大変革を成し遂げるからだいじょうぶ

しっかりとそう信じ込んで生きてしまったパパだった
ひとりきりから大変革を始める自信にあふれていた
一歳のきみに向かって今朝はやくから
「ごめんね」と大泣きしていたのはそんなわけなんだ
かつてのパパは何も知らずに夢をみていただけだった
この世の大きな濁流をせきとめるには能なしだった
だからってこのどうしようもない流れのなかに
きみたちを置き去りにするわけにもいかないんだ

チカラ不足のお調子者だったかつての自分
自信をなくして立ち尽くしている今の自分
情けなくて悔しくてパパがぼろぼろ泣いていたら
きみはにっこり「パパ」「パパ」と呼びかけてくれた
一歳のきみに だいじょうぶだよと ゆるしてもらった

パパはきみたちに生かしてもらっていたんだね
世のなかの流れを大きく変えられなくても
こうして日ごと きみたちによりそって
いっしょに生きているだけでかまわないんだ

もうすぐ四歳になるきみはこう言った
パパにはカタナが「タチ」があるからだいじょうぶ
お化けを切っちゃえるからだいじょうぶ
みんながいるから五人いるから家族が五人
パパママたーちゃんちーちゃんと
のるがいるからだいじょうぶだよ
そう言ってしっかりこちらを見すえてくれた
そのとおりきっとだいじょうぶ
朝っぱらからしゃくり泣いてもだいじょうぶ

「大人だって泣くんだよ」と
六歳のきみは状況を解説してくれた
いつもと同じような朝だった
パパがいつでも九十九円で仕入れてくる
タイのアラを煮つけたごちそう
この朝ばかりは泣きながら煮つけたごちそうを
一歳と三歳のきみたちはふたりですぐに平らげた
残った骨は今日も野良猫ちゃんへあげた
昨日のニジマスの骨も猫ちゃんは
きれいにしゃぶって平らげていた

保育園へ向かう時間が近づいてきて
パパはまだ泣きやむことができないままで
せがまれて泣きながらきみを抱っこしたら
暖かくて重たくてあまりにも幸せだった
あなたは世のなかを変えてるよ と
昨夜あまり寝ていない妻は台所でつぶやいた
相変わらずどうしようもないパパのまま
家族みんなに精一杯はげましてもらった

一歳の子であっても
三歳の子であっても
ひとりの時間をなかなか持てない主婦であっても
生きてあるかぎり世のなかを
わずかにであれ変えてくれている
生きよう生きよう生かしあおう
だいじょうぶ
はげましあって
いのちをつくして生きていこう
さいごまで
なるべくよりよく生きていこうと
こころを決めたパパだった




幸せノート

せつないことや眠れない種を
こころのうちで拾い集めても仕方ないので、
我が家の暮らしはたしかに日ごと
ほかとは較べようのない幸せに充ちてるはずなので、
これこそたしかに幸せと感じたことをひとつずつ
これからノートに記して残していこう、

そう思い立ったのは家族五人で夏の日の朝
地元で採れたクリのはちみつを
久しぶりのヨーグルトに添えていただいている時のことだった。
ああおいしくて幸せだとお互いの顔を見合わせた。
ささやかながらたしかにこれも最高の幸せなのだった。

よし、ここからだ。この体験を記録して
これからずっと続いていく幸せノートの出発としよう、
そう思い立ったのではあったが……それから先はもう
記録のために机に向かう余剰時間は消えたまま
幸せなな夏休みの日々があふれかえっていったのだった。

 2

映画一本を老夫婦割引で観られるくらいのお値段で中古テントを買った。
この五人用のテントを車に積んで次の日から五人で遠くへ旅に出た。
山奥のひとけないキャンプ場を見つけてひと家族だけの貸切で泊まった。
テントの組み立てセットのなかには固定用のペグが入っていなかった。
テントの端に麻紐で石や丸太を結えつけて大風の音を聴きながら眠った。
暑熱のひるまは宝玉のゆたかな海辺に出向いてぜいたくな波に揺られた。
夕焼けのまえに山奥へ戻って貧しいなりに豊かな煮炊きを楽しんだ。
手持ち花火を地面に挿してテントの中から花火のショーを楽しんだ。
眠れないまま暗いなか天岩戸をひらく神代語りが始まって喝采を博した。
夢にさえ見たことのない体験ばかりで子たちは幸せの絶頂だった。
百人余りで揃いうちする三年ぶりの太鼓まつりにも出かけていった。
半世紀まえにパパの太鼓のお師匠さんが始めた地元の祝祭だった。
感激のあまり呆然として子たちは次の日もお祭りに行こうとせがんだ。
次の日も雨は降らずにまた同じ太鼓の響きをもっと近くで楽しんだ。
台風の近づくなかでその次の日も雨は降らずに花火大会を楽しんだ。
小さい頃からパパが親しんだお盆恒例の轟音とどろく諏訪湖まつりだ。
実家の兄さんと家族五人で花火を楽しんで次の日は野良仕事をした。
それからふたたび支度をととのえ車に乗って夏休み最後の旅に出かけた。
大切なお友達のお家に仲間たちの家族で集まって気楽な合宿を楽しんだ。
東北の妻の実家にも泊まって子たちとお墓参りや親戚まわりに出かけた。

 3

ひと連なりにつづいていく幸せなとき
幸せな想い出にむせかえるような日々を過ごして
お家に帰ってきて夏休みは終わった
子たちにとって初めての体験ばかりだった
パパにとっては三〇年ぶりに楽しむ夏休みだった
想いもおよばない夢みたいな日々だった

夏休みが終わって二日後に一歳の子がしきりと
パパの手を引っ張って家の外へいざなう
車の助手席へ座れというのだ
助手席に座ってドアを閉めろというのだ
そのままきみはパパの膝のうえでじっとしていた
ふたりで助手席に座って過ごそうというのだ
あの濃密な旅また旅の続く日々を取り戻そうというのだ
またどこかへ出かけて冒険しようというのだ
それほどに夏休みの日々はきらきらと輝いていたのだ
聞こえてきた声や音
あちこちの景色
ふとしたときの表情
笑いころげている仕草
想い出すだけで胸がいっぱいになるのは
この年頃の家族みんなの夏休みは
一回かぎりでもう二度と味わえない
これが最後なんだって知っているから

 4

いまこの瞬間の幸せを
感じるこころが鈍っていたとき
ひとりぼっちでさみしかったとき
かつての幸せな月日を想い起こして
胸ひきさかれる想いをしたことがあった
      
ふるさとの懐かしい山小屋での出来事をふと想い出す
幼なじみの親友と美しい日々を重ねてきた小屋
想い出あふれる山小屋での出来事だった

もうあの美しく輝かしいときは決して戻ってこない
あの輝かしい時間をふたたび生きることはできない
このことが胸に迫ってつらかった
くるおしくてじっとしていられなかった
もう二度とあの頃の自分たちには戻れない
どんなにくるおしく願っても
もうあの頃の心であの時代を体験できない
小さな小屋の天上の低い二階で
あえぎながらふるえて暴れた
涙がぼうぼうあふれてきた
      
そのとき小屋の窓の外から
不思議な声が聞こえてきた
フクロウの鳴き声だった
窓を開けると目のまえにフクロウがいた
お互いの目と目が合ってふとひらめいた
今この瞬間の自分は充分にしあわせだ
こんな素晴らしい場所でひとり自由に
こうしてひらめきを受けている
今この瞬間の幸せは
今だからこそ味わえたのだ

 5

さみして くこわくてたまらない時は
今だからこそ味わえる幸せを探ってみる
どんなにわずかな幸せでもいい
いま味わえる幸せの感覚に身をゆだねてみる
きっと今この瞬間あの頃には知らなかった
新しい幸せを味わうことが出来るはずだ

過去の幸せな想い出のなかへ
目と耳をふさいで逃げ込まないでも大丈夫
今どんな境遇にあったとしても
今この瞬間の幸せは今だけしか味わえない

かつての幸せとは較べられないし測りあえない

ひとつひとつの幸福感の極まりを
つぶさな言葉で記すのはいまやめておこうか
あらゆる幸せはいったん忘れるに任せていい
あふれるばかりの幸せを記した幸せノートは
心のなかの湖で小舟にそっと浮かべておこう
   
家族みんなの幸せ
そしてこの世界みんなの幸せ
それぞれにこころを澄ませて想い描けば
にじいろの絶景がこころのうちに広がっていく
人のかたちをまとって息づく幸福帖が
幸せないまを味わいつつ
幸せなかつての想いを呼び起こす



       

       『秋の巻』に続く


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