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(おまけ)「エンパワーメント」の呪縛

※11/30に書いた文章です。

中村さんのトークセッションの中で、「エンパワーメントって押しつけなのか?」「メンターが必要ない人もいるのではないか?」というお話が出ていました。心当たりがあったし、今後も使い方を考えないといけない言葉だと思っています。

大学生のある夏、高校生向けの教育プログラムに関わっていました。

プログラムの中で、「高校生のロールモデルをつくる」「高校生をエンパワーメントする」という言葉がときどき使われていたのですが、その度に私は違和感を覚えていました。どうしても、その言葉に「高校生の目標になる人を見せてあげる」「高校生には力がないから、力を与えてあげる」というイメージがありました。

また、4月に友人と、高校生向けにラジオをやろう〜という話になって、企画会議をしていたときのこと。

ラジオのコンセプトを考えていると、友人は「高校生をエンパワーメントするラジオにしたい」と言いました。確かに、わかりやすい!と思いつつも、私は「エンパワーメントを他の言葉に言い換えられないか?」と提案しました。「高校生に力がない」という意味で使っているわけではないことは分かっていましたが、どうしても「エンパワーメント」という言葉が引っかかってしまうのです。

SDGsの目標5「ジェンダー」の中でも、「ジェンダー平等を達成し,すべての女性及び女児のエンパワーメントを行う。」という言葉が出てきます。このときの「エンパワーメント」は、どのような意味で使われているのでしょうか?また、みなさんはこの言葉にどのようなイメージを持っていますか…?

↓持続可能な開発のための2030アジェンダ
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/pdf/000270935.pdf


本来であれば「その人が本来発揮できる能力を持っている」ことを前提として使うべき(?)言葉である「エンパワーメント」。(そうじゃなかったら、「女性をエンパワメントする」って「女性は能力不足だから、力を与える」という恐ろしい言葉になってしまう)

特に女性や子どもなどの弱い立場になりやすい人たちに向けて使うときは、気をつけて使いたい言葉です。

言葉は、可能性を広げることもあれば、呪縛にもなりうることを忘れないでおきたい。

※「エンパワーメント」「ロールモデル」については色々調べてみているのですが、私の力不足で、まだうまくまとめられていません。また、調査不足で、今回は「違和感がある」とだけ書き残しておくことに。今後調べていきたいテーマの1つなので、コメントいただけたら嬉しいです。

おわり


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