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共感と同情の違い(現在もやもや中)

実は中村さんが「共感と同情があるならば、fermataは共感で動いていきたい」とお話されていたとき、私はきっと、きょとんとしていたと思う。共感と同情の違いが、分かるようで分からなくて、その時は具体的にイメージができなかったからだ。

気になったので、少人数で話すときに周りのメンバーに聞いてみた。

すると、「同情は、共感するフリをして、相手と自分の間に線を引かれてしまうイメージ。相手に悪気がない分、イライラの幅が大きい。自分がマイノリティ側になった場面で分かるかもしれない。」などの意見が出た。「相手の話を聞きながらも、自分ごとにはしない」感じだろうか。


私は過去に、人の話を聞いていると共感しすぎて疲れやすかった経験から、意図的に「同情」でおさえる術を身につけていた時期があった。ひとつひとつ共感していると自分が崩れてしまいそうなとき、「自分の目の前に線を引いている」ことをイメージすることもあったくらいだ。

自分にやさしく(=自分を守りながら)線引きしないって、どこまで可能なのだろうか?

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