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僕が撃たれた話-3-

急いで輸血がされました。そのためか、朦朧とした意識が徐々に和らいでいくのが分かりました。でも、痛みは強くなり、止血がうまくいってないのか、ボタボタと血が垂れています。早く何とかしてほしいと思いながらも、僕自身は何もできず天井を見上げていました。しばらく待たされました。

友だちが駆けつけてくれました。僕の哀れな姿を見て、「タケシは勇敢だ!」と褒めてくれました。僕は話せなかったので、紙に「i am lazy boy」と書くと、笑ってくれました。それから僕は手術室へと運ばれ、口にマスクを当てられました。まぶしい光を網膜に感じた途端、すぐに意識が飛びました。次に気が付いたときには、薄暗い蛍光灯で照らされ病室に寝かされていました。隣に友だちがいました。ずっと付き添ってくれていたみたいです。「ありがとう」と言いたかったのですが、声が出ませんでした。

医師が僕のそばに立っていました。僕の撃たれた右下あごは、ボロボロだったため、手術により除去されました。骨だけでなく、歯も歯茎もなくなりました。さらに、気道を確保するために気管切開をされ、そのため、声も出せませんでした。2日後、僕は日本大使館が用意したチャーター機でスリナガルからデリーに搬送されました。

気管切開が苦しくて、まともに睡眠ができない。食事もとれない。点滴だけで生きながらえていました。喉が渇きました。医師にそのことを(筆談で)告げると、太めのチューブを無理やり鼻に突き刺しました。苦しくてジタバタすると、挿入したチューブにリンゴジュースを流し込みました。胃の辺りに冷たい感触が伝わります。こんなんだったら、余計なこと言わなければ良かったと後悔しました。日本から友人が二人、駆けつけてくれました。僕のひどい姿を見て、彼らは励ましてくれました。

「顎の骨ってなくなっても、再生できるみたいだよ。だから、今はゆっくりと休んで、治ったら、また取材に行けばいい」

取材に行ける?寝たきりでどうすることもできない状態で、友人の言葉はひどく残酷でしたが、また取材に行けると思うと、元気が出てきました。被弾してから、3週間後、デリーで二度目の手術を終えて、日本に帰国しました。さて、ここからが大変です。静岡の専門医の先生は、「銃で撃たれて顎を欠損した人は初めてだよ」と笑いました。「でも、癌や腫瘍で顎の骨を失う患者はいる。そういった人たちは骨を再建するんだけど、うーん、桜木君は範囲が広いから、そうだなあ、肩甲骨の移植だな」と僕の肩を叩きました。

生まれて初めての手術が、こんな大がかりになるなんて、僕は緊張しました。被弾してから、約3か月後、東京医科歯科大学で肩甲骨を三分の一ほど切除して、左顎に移植しました。肩甲骨の血管と残された顎骨の血管とを繋ぎ合わせることで、骨は生きるみたいです。15時間かかりましたが、手術は無事に終わりました。リハビリを経て、入れ歯も作り、1年ほどかかって、元通りの生活に戻れました。

ただし、国内の治療費はまだしも、インドで使用したチャーター機が90万円、デリーでの医療費が120万円ほどかかりました。カシミールでは国立病院での治療だったので無料でした。海外旅行保険には加入していましたが、紛争地であるカシミールは対象外でした。僕は、金を稼ぐため、すぐにトラックのドライバーとして働き始めました。ただ、海外での治療費は怪我の理由はどうであれ、日本で加入している国民保険がききます。なので、先払いでしたが、何か月かすると、9割は戻ってきました。それでも、チャーター機だけは保険の対象外であり、自費でまかないました。

喉元過ぎれば熱さを忘れるってことわざがありますが、僕はまた次の取材に向けて準備をしていました。どこがいいかなあ。周りの人は「あれだけの怪我をして、また行くのか!」とあきれていましたが、あれだけの怪我をしても、まだ取材に行きたいと思う、そんな僕自身に僕が一番びっくりしていました。辞めるという選択肢はありませんでした。

ここからは、自著の宣伝になります。15年くらいかけて初版は完売しました。再版もありませんので、図書館なんかで置いてありましたら、手に取っていただけたら幸いです。この本の出版の経緯は以下になります。

カシミールでの取材をまとめた初の書籍

友人の編集者に「撃たれたのはいいチャンスだから、本でも書いてみたら」とアドバイスされました。実際に書き上げて、「小学館ノンフィクション賞」に応募しましたが、二次で落選。そんなとき、ふと目にしたのが新風舎ノンフィクション賞でした。ダメ元で出したら、大賞を受賞しました。出版と共に副賞として100万円をいただけることになりました。でも、賞状と契約書が送られてきただけで、その後は何も連絡がありません。受賞から半年後、新風舎が民事再生法を適用というニュースが飛び込んできました。

「申し訳ありません。今回の受賞はなかったことに。こちらも今は大変な時期でして、えっ、100万円?それもなかったことに。ただ、契約は破棄されたので、他社への売り込みはまったく問題ありませんので」

ようやくつながった新風舎の担当者にそれだけ告げられ、電話が切れました。絶望しました。それから何社も手持ちで売り込みをかけました。記事と違い、書籍となるとハードルが上がります。なかなか首を縦に振ってくれる出版社は見つかりませんでした。それでも、興味を示してくれたのが彩流社でした。ただし、出版の面倒はみるけど、その代わりに初版の印税はゼロが条件です。文句なんてありませんでした。頭を下げてお願いしました。

2500部刷りましたが、無名のジャーナリストの作品、しかも舞台がカシミールとなると、誰も手に取ってくれません。担当編集者には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、15年かけて、ようやく初版が無事に完売いたしました。購入していただいた方、本当にありがとうございました。一応、増版の話を編集者の方からいただきましたが、お断りしました。なぜなら、増版できるほどのカシミールの知識を今の僕には持ち合わせていなかったからです。

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