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ガチャとガシャ(街スナップでふと感じた事)

街でガチャポン(懐かしくて撮りました)を見た時にふと、ソーシャルゲームのガチャとガシャって何が違うんやろうとふと思いました。

ただ、ググるとそれを調査したが記事ありましたのでそこについては下記アカギさんのブログをご参照下さい。(じゃあ、タイトルにするなよ!)

リンク先
ガチャとガシャの違いとは?その答えは商標制度にあった!
https://yoshi-seventh.com/archives/1300

個人的に言えば、昨年半ばまでやってたスマホゲームとかでよく目にします。(ドラゴンボール系はガシャで、他ゲームはガチャってイメージ)

まぁ、呼称はどっちでも良いのですが(なら何故タイトルにしたんやろ)これって要はどんなヤツ(モノ)が出てくるかわからないってのがミソですよね。運が良ければめっちゃ能力高くて激レアとか、ありきたりな雑魚とか様々。

なんか、【人生】に近いような気がしませんか?(自分はそんな風な考え方でした。)

どんな才能を持ってるかわからない。
星1クラスか星5クラスかわからない。
持たせてもらえる武器があるかも分からない。

自分には才能が無い。得意な事は特になし。
子供の頃から誰かを妬むことはなかったけど、才能みたいなものに自分は無縁だと自然と受け入れてました。(俗に言うかわいくない子供ですね。)

例えば、小学校1年生の運動会の徒競走では走る前から親に「脚の速い○○がおるから良くて(4人中)2位か、まぁ3位くらい」と話をして「走る前から何で諦めるねん!」とよく叱られました。(今でも、昔のエピソードトークで言われます。)

星1とまではいかないかもしれないけど、星2か良くて星3クラス。星5には絶対に勝てない。
(子供の頃はソシャゲが無かったけど、この考え方に近かったと思います。)

こんな、悟り世代的な考え方って自分以外にも結構居たんじゃないかなと思います。

ただ、最近その考え方も意味が無いな〜と思うようになりました。というのは星5や星6でも、はたまた星1でも人生においては皆んなゴールが一緒だからです。うん、【死】ですね。

死ぬその時までに才能云々と言ったり、環境に不満を言い続けても結局皆死にます。駅ですれ違う超絶美人さんや超絶イケメンさんでも皆100年後には死んでます。(バイオテクノロジーによって伸びるかな?それも面白いかもですが。)

それって、意外と短いんですよね。現世人類と言われるクロマニョン人もn万年前なので人類史でいうとほんと大した事ないくらい短い。

じゃあ、その短い人生の中でせっかく意思を持てる(表出できる)動物として産まれたのだから、もっとやりたい事、好きな事に熱狂できたらどんだけ幸せなのか、有意義なのかと思うようになってきました。

星1として排出されても、レベル99にしたら何か役に立つかもしれない。星1が星3とか星4クラスに進化するかもしれない。そんな意思や熱量を持って進化できるのは人間の特権です。(自分もそんな偉そうに言えたもんじゃありませんが。)

ただ頑張るよりも楽しみながらやるとか、熱狂する方が進化するのかなと最近感じます。

そんな事を考えて今年は自分が進化したい!
星2スタートは進化の過程を味わえる分、
星5スタートより人生楽しめる気がします。
それをモットーに生きて行こう。





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