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23歳A面/B面

A面

 これから1年経った。

▶︎21歳
「縛り」が強く、「心地よさ」の選択範囲が狭い小さな組織や、
「何もない」「未来はない」と言われるような、「特別に思えるものが、何もない」
中でくらす、大好きな家族、友達、親戚、仲間、自分自身へ
それでも、あなたが大切にしたいことやものが大切にされて、特別なものと感じられてほしい。

自分にとっての「特別」に出会いづらい、出会えてもやりづらい現実
そういう経験から湧いてくる諦めや絶望は、とても根深いから。

▶︎22歳
変わらない判断基準でリスペクトさせられる、させている感覚があった。
それは田舎だけ、ここだけ、だと思っていたけれど、案外どこでもそうだった。

若いから、実績がないから、おんなのこだから、という理由をつけられて、形になっていないものは今でも沢山ある。仕方がないよね、と思うことしかできない。弱いな。
けど、そんな自分が嫌いなわけではない。こんなことで嫌いになっていたら、きっといつか自分のことを殺してしまう。

そんな中でも、わたしの想いを大切に聞いてくれて、手をとってくれたり背中を押してくれたひとたちがいた。
この1年で大きく社会の動きが変わって、人とのつながりが数的には少なかったけれど、圧倒的にとても素敵な出会いや、誰かを、何かをリスペクトする機会が多かった。

尊敬している人たちに育ててもらうことを、今まであまり経験したことがなかったので、今でもそのご厚意(?)をどう受け止めたらいいのかよくわからないでいる。

期待に応えたい、この場や人から学べることは全て学びたい、はやく強くなりたい、そう思い過ぎてしまう。
だんだん元の軸がわからなくなって、「なんか今を生きてるな〜ワラ」という気持ちでいる時間が長い。

はやく強くなりたい、とはまだ思う。けれど焦ってはいない。育ててもらうことの主語が他人だった感覚(育ててくれる人がいるので頑張るといった感じ)があったけれど、今は「自分が育つために、尊敬する人のもとへどう行くか」という感じがしている。
きっと軸ができつつある。

▶︎21歳
人生は1回だけらしいのに、産まれる場所も親も時代も選べない
生きる場所を自分で選択できる期間も、長いようで短い。
何かに縛られた中で、自分なりの心地よさや、自分にとっての特別を見つけるしかない

▶︎22歳
必要なのに、足りないことがありすぎる。「必要だから」やっていることばかりで、自分にとってそれをやることが、ここで生きることが心地いいのか、特別なのかはわからない。わかるものではないのかもしれない。そもそも、自分の中の心地よさや特別なものがなんなのか、よくわかっていない。
ただ、数年後に、心地よさや特別であるような感覚がハッキリと生まれることを信じてはいる。

最近は心地いい。本当にここ1ヶ月で思うようになった。相変わらず必要だからやっていることばかりだけれど、それが本当にいいと思ってやれている。嬉しいこと。

あなたが大切にしたいことやものが大切にされて、特別なものと感じられてほしい。
というのは、綺麗事でしかないのかもしれない。というか、なんかむずいな〜!!!!特別に感じるということ。
私が本当に願っている、ほしい感覚は、特別とはまた違うのかもしれない。いつか言語化できるようになるかな。

「大切にしたいことやものが大切にされる」ということを特別に感じられる心を持っていたいけれど、特別ではなく、当たり前であってほしいと最近は思う。なので、いまもまだ、最悪!と思うことも山ほどあるけれど、ここで、少しでもそういう輪が広がってほしいという気持ちで、働いている。

人に感謝することに疲れてしまい、同居人が夕飯をつくると言ってくれたけれど、夜ご飯はカップラーメンにした。してもらった。
生まれてきてくれてありがとう、おめでとう、と、この日に言われること。言ってくれる人がいるということ。
お疲れさま、よくここまで生きたよ。生きててよかったね。という気持ち。いろいろある。落ち着きたい。

本当に今年もよく生きた。短期的にというより大学4年間、かなり無茶をしていたなと、今になって思う。流石に精神的に限界で日常生活もままならず、春先から病院に通っている。薬を飲み始めて半年、やっと、やっと!頭がキレるようになってきた。
しっかり鬱になり、自分でも自分の現状を受け止められず、周りの人が差し伸べてくれる手を掴むことも嫌で、反抗期の年頃娘のような時期もあったけれど、それでも側にいてくれた人たちに救われた。あと美味しいお酒。笑

さくらは大分さくらで居られるようになったと思う、よくできました。

今年はじゃんじゃかタネ撒いてじゃんじゃか収穫して次のステージ行くぞ💢と思ってるけど、そうする為の手段として仕事をやったりはしないように、大切なものやひとを大切に、丁寧に、想いをもてるぶんだけ、けど生活はできるように調整して、心身共に自分を殺さないように生きたい(むずかしそー)

いや〜〜〜マジでワシはワシですが?とは思えるようになりました。
が、仕事のやりかた(?)はむずかった!

生活はできた。口座残高を気にせずいられるくらいには。けど、完全に働きすぎだったし、ロボットみたいな時期もかなりあったな!笑
できる限りゴキゲンでと思いはしていたけれど、せかせかしていたり不機嫌な日も多く、近い人にはかなりストレスをかけていたかもしれないと思い、反省。
仕事の捉え方をいろんな人から教えてもらい、最近は働き方改革に取り組み始めました。あんまうまく行ってないけど。

ということで

今年は、「フリーランスとはいえ生きていくほどの基礎収入が約束されている状況」で働ける最終年度かもしれず、「ここでどれだけ強くなれるか」的なことはテーマとして大きくある。1年後何を思いどう過ごしているのか、全く想像がつかないし、特にこうあってほしいというような理想もない。
就活も楽しそうだなと今更思い始めているので、もしかすると就活しているかもしれないし、ただぼんやりしているかもしれないし、バリバリ仕事をつくって働いているかもしれない。
この1年で、いろんな幸せがあるなということを体感したのでそう思うのだろうと思う。
けれど、「自分がどう生きたいのか」は問いとして持って過ごしたい。日々。

B面


23歳になりました。
「ピチピチのにじゅう(✌️)に(✌️)歳です!」という自己紹介がもうできないというショックに引きずられ、なんとなく憂鬱だったのだけれど、
いつも大切におもっている人たちからのお祝いに、ハッとさせられた1日でした。笑

言葉、zoomの❤️、美味しい食べもの、かわいいもの。どんな形であれ、愛!嬉しいです。
口下手な母からは、コメント付きの(物理的にも気持ち的にも)重量感のあるアルバムなどが贈呈されました。笑
改めて、23年は短いようで長かったんだねと思う。

これまで私を生かしてくれた全ての人、ものごとよ、どうもありがとうという気持ちです。

ちなみに(?)22歳の私から23歳の私へは、短歌をプレゼントしました!
大好きな歌人 岡野大嗣さんの、「音楽 」という歌集から、自分の声も大切に聴くの抱負をこめて。

名曲をいつか作るんだろきみは嫌いをきちんと嫌いでいてよ

寝れていてごはんも食べれていてほしい シャンプーを流しながらよぎった

さびしさはさびしくなさの顔をしてゆぶねにひそんでたりするのです

日常のぴーしゅレベルが少し上がります。。!