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暮らしについて(2023.05)

色々なことがつながっている、生活はラグ。
『結局、自分の暮らしを人任せにしちゃいけないと「いつ気がつくか」、タイミングがいつ来るかなんだと思うよ。』

久々に山岡家でいい話した



タイミング、
正直私も、いいこととはわかるがピンときていないことの方が多い。それらを無理にわかろうとも思っていない。
けれど、だから関わらない/やらないという訳でもない。きっとタイミングは、自分で掴みにいくもの...と思いつつ、
今自分がピンときていることを、誰かが掴める公開をちゃんとやってかないととも思っている。

のだけど、SNSが全然わからなくなっている。というか、SNSやってる/みているだけじゃ限界があるし、文章や動画や写真は、良くも悪くもリアルとファンタジーの狭間にあるものだな〜と、ここ数日でしっかり思ってしまっている。

結局、居ないとわからない。
リアルな繋がりがあってこそ届く表現がある。

最近は「地元や道東に戻りたいと思っているの?」という問いに、「全然わからないから、その場にいる時間を増やしていきたい」と答えています。

江別や札幌にはあたりまえにある文化が地元の町内には存在しない(ようにみえる/聞こえる)ことへの絶望感、それでも(だから?)、そこでの暮らしを諦めずにやってる先輩方や同世代の友達がいることの衝撃。
じゃあ自分はどうありたい?という問いに答えられるほど、言えることもわかることもない。

色々話したいし、つくりたいですね
カフェ来る人自体が少なすぎる、というはなし、結構辛い



『きっとこのまちも、さくらちゃんも、当時とは変わっているよ。さくらちゃんは自分のいる場や振舞いを選べるようになった。この街にはいいしがらみが、増えてきた感じもしている。』


そうだよな〜。
結局、色々な事が切り離せない。
コミュニティ、対話、料理、文章、写真、デザイン、本、音楽、、、
さくらちゃんが1番、どこで何をやって生きてるのかわからない友達!と言われたけど、私もよくわかんない、笑 
技術的にできることを少しずつ増やしながら、面白そうな事をやってみている生活です。(近々ちゃんとまとめたいと思ってはいる)

最近は自分がどうあると心地よくいられるか、少しずつわかってきた/いつも側にいてくれる人たちの想像力が豊かであることや優しさのおかげで調子がいいのですが、鬱であることは相変わらずのようで、薬はずっと減らない!
自分の内面も社会も、ちぐはぐなことが多すぎて、折り合いをつけるのが難しい。(という事なのだろうか)

揺らぐことが面白くもあるので、私自身は私の抱えている色々な問題を、残念には思っていないな〜というこの頃。

遠軽、北見、上川、津別、網走での出会いは、嬉しいものばかりでした。🙏

また会える時がいい日になるように、ぼちぼち生きていたいです。

日常のぴーしゅレベルが少し上がります。。!