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暮らしについて(2023.11)

綺麗な秋晴れで、凍れた空気がツンとする。
「また江別から来てすごいね」と声をかけてもらって、曖昧な返事を小さくして実家に帰る。

近所の方が私が帰省することを知ってお裾分けしてくれたという牡蠣がお出迎え。酒蒸しにしてもらって沢山いただく。「こっちの味だ」とおもう。

「のんでのまれていいモンは酒だけだ、乗り越えるべきモンはオラにはわからんが、まあ、がんばれよ」と、祖父が別れ際に。
つまり、自分や周囲のことを大切にしなさいということなのだろうと思う。

久々に高速ではない道を3時間走り、まっすぐトリノメ商店へ。新書の選書も、まちの方々の古本コーナーも、すてきで圧倒される。

2日間お世話になるシェアハウスの居間に、自分の家かのように居座っていると、「疲れたあ、」とみっきーさんが帰宅。アップルパイが食べたい旨や、明日としきさんが来ること、リンゴがトリノメにある会話をして、お菓子を作る気になる。
閉店5分前のツルハにかけ込み、砂糖や小麦粉、卵を買い、遅くまで営業されている喫茶店でピラフなどをいただく。
シェアハウスに戻り、住人の方々を巻き添いにしてお酒を飲んだりする。

迷いを淡々と話しあい深夜3時。「魚捌けますか?」に、練習中と答えると出てきたカジカ、楽しそうな会話をききながら煮込むリンゴのコンポート、朝の散歩。スーパーで、部屋の時計が1時間遅れていることに気がつくけれど、残念には思わない贅沢。

タルト生地を仕込んで、両国でごはん。白米の美味しさとおかずの美味しさがしっかり両方ある素晴らしさに震える。

🤤

トリノメでりんごタルトをつくる裏でとしきさんがコーヒーを淹れていて本当に嬉しい。
いつも知らない世界がそこにあって、私もうかうかしていられないというか、同じように驚くけれどおちつくたべものを作れるようになりたいと常々思う。

お菓子をリクエストしてくれたみっきーさんが美味しそうに食べてくれてホッとしたり、「まだある?」の声が明るくて嬉しかったり。
大変だけど頑張りたいし、続けたいし、諦めはつかない。つけない。

✌️

ヘトヘトで温泉。星が綺麗でぼんやりとしてしまう。

夜は海鮮のリクエストをして、1軒目へ。カレイの刺身が苦手だったけれど、昨日は物凄く美味しくてびっくりする。ここで最初に出会いたかった。

嫌いだったバナナジュースを、本当に美味しいと思う経験をしたのも浦幌だった。松屋のバナナジュースを超えられる自信があまりにもなくて自分では一度も作っていないけれど、覚えているうちに練習しないとねえ、と、しんとした店を眺めておもう。

友人の家に帰宅しカジカ鍋をつくる。
美味しいねえ、と言いあいながら食べるのがまた沁みる。
美味しいお酒をのみまくって、しんどい話をどんどんして、歴代教師のものまねをゲラゲラ笑って、地元で育ったことを年々憎みきれない。
あのころはクソ最悪「だった」よね〜と、言えるようになるためのことをやっていきたい。

「赤とんぼ」が流れるゴミ収集車が家の前を通って目が覚める。朝から夕焼けのことをおもうのは不思議な感じ。ぱたぱたと片付けて、散歩へ出かける。お寺の掲示がとてもよかった。

🥺

「生還しようね」と3つのキットカットにボールペンで書く。書かないと、酒以外のものにのまれてしまいそうだった。

自己犠牲の連鎖に加担したくない自分の自己犠牲、幸せや豊かさの軸の多さ、選べないこと、許せないこと、リアルの怖さ、、、
「闇堕ちさせてたまるか」と怒っていたり/それでもめちゃくちゃやってる友達がいることの救い 
わたしの手元には何があって、どんな形で友達に貢献できる?

まずは深刻さから目を背けずに生きていることだと思う。大切にしているものを信じて暮らすことをどうしたらできるのか考えることかもしれないし、色々な評価や期待に応えられない・応えられなかった自分のことをからっぽだと思わないことかもしれないし、丁寧にみえるものを増やしていくことかもしれない。

悔しいことも、どうにもならないことも、この半年でとてもありありとしてきていて、誤魔化しがきかなくなるまでひとりで抱えて来てしまったことは大失敗だったなと、がっくりしている。
ちょっとしたもやとか傷つき、まじで遠慮せずに声かけよ・声かけてくれと思う、、、良い日々でした

日常のぴーしゅレベルが少し上がります。。!