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大師遺跡(縄文時代)

1 場所
 大師遺跡は、千曲川支流の南相木川と小河川である茂沢川が形成した南向きの平坦な段丘上にあり、面積はおよそ19000m²。南相木村の村誌編纂事業の一環として、2009〜2010年にかけて発掘調査が行われた。  https://goo.gl/maps/ZfSQt8qh9NBYayCK9

2 特徴
 発掘調査の面積はわずか500m²であったが、縄文時代では早期前葉から中期中葉の遺物が出土した。中でも多量なのが前期後葉諸磯式期のもので、住居址が8軒、土坑は35基に及び、あわせて膨大な量の土器、石器が出土している。
 この内、6.6m × 5.7mの大型竪穴住居址からは、 諸磯a式後半からb式の膨大な量の土器や、重さ40kgにもなる巨大な石皿、6本の磨製石斧、滑石製の玦状耳飾りも出土。また諸磯b式期中頃の別の住居址では、同時に廃棄されたとも思われる複数の土器(礫を乗せた浅鉢を含む)や、柱穴に正位で埋められた深鉢があり、住居を廃棄する際の儀礼的な行為を示している可能性もある。
 さらに直径約80cmの土坑には、底部付近を除くほぼ完形の諸磯b式の靴先状口縁深鉢が逆位で埋められていた。墓に埋納されたものとも思われ、緻密な文様が施された逸品である。  
 また、諸磯期に特有のまるで空飛ぶ円盤のような有孔浅鉢や、深鉢の口縁に付くイノシシ形の獣面突起も多数出土。石器では黒曜石に加え地元石材のチャート製の道具(石鏃や石匙、石錐など)も多量に見られた。
 小海町中原遺跡とともに、南佐久南部における縄文前期集落の存在意義を考えさせられる遺跡である。
 尚、縄文早期前葉の一つの土坑からは、中部地方押型文系の立野式と、 関東地方撚糸文系の花輪台式土器が出土。土器の年代測定や黒曜石の産地推定分析も含め、一部の界隈からはメインの諸磯期よりも注目された。さらに平安時代の住居址4軒も検出され、山間部の貴重な資料ともなっている。
 遺物の一部は、南佐久相木村公民館(図書館も併設)で展示されている。

3 ミニ案内
 南相木村には日帰り温泉施設「滝見の湯」があり、渓谷の景色とともに楽しめる。紅葉の時期が特におすすめ。
 また、南相木小学校前には、村で唯一の信号機がある。隣の北相木村には、信号機はない。
                           (藤森英二)

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