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西一里塚遺跡群(弥生時代)

1 場所
 佐久平駅の南方、濁川右岸の佐久市平塚に所在する。中部横断道佐久中佐都ICのやや北側北側にある。その名前の由来は、遺跡付近には中山道が通っており、かつて一里塚があったことによる。中山道は岩村田宿からこの今はなき一里塚を経て塩名田宿へ向かっていた。

2 特徴
 昭和初期から知られていた遺跡だが、昭和47・48年には圃場整備事業に先立ち、隣接する持田遺跡とともに発掘調査が行われた。佐久考古学会の会員も参加している。この調査では千曲川流域ではじめてとなる弥生時代の環濠が発見されたことにより一躍注目を集めた。
 平成15~18年にかけては、中部横断自動車道及び県道改良工事に伴う発掘調査が県埋蔵文化財センター・佐久市教育委員会により数次にわたり実施された。
 この一連の調査により、本遺跡は起伏に富んだ地形上に展開していることが判明した。
 台地部や塚原泥流の残丘部(流れ山)には竪穴住居棟による集落跡や方形・円形周溝墓などの墓域となっているのに対して、弥生時代には自然流路が走る低地部では古代以降は水田跡として利用されていた。
 遺物も多彩で、弥生時代には鉄剣や鉄釧、人形土器の他、佐久では珍しい木製鍬身・鍬柄など希少品が出土している。

3 ミニ案内
 遺跡の大半は中部横断道や県道となっている。遺跡近くの国道141号バイパス沿いには飲食店が多い。なかでも中国料理の「桃花」はメニューも豊富で、特にボリュームがある日替わりランチメニューはおすすめ。また、佐久市には、信州みそ発祥の地とされる安養寺味噌を使ったご当地ラーメンである「安養寺ら~めん」を提供する加盟店が17店あるが、その加盟店のひとつでもある。国道141号沿いでは他にも「麺や天鳳」でも食べられる。それぞれの店に特徴があるので、安養寺ら~めん巡りも楽しい。安養寺餃子もある。
                         (桜井秀雄)                           下の写真は鉄釧と昭和47年の調査風景

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西一里塚遺跡第1次調査風景(昭和47年)

          

      



 

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