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ワザワイ転じて山芋ウナギ ~とある女子高生の奇妙な回想録~ 其の7

 凍てつく寒さが少しずつ緩んでいくのが分かるぐらいになってきた今日この頃、それでもやはり自転車を走らせると、剥き出しの皮膚に当たる風が突き刺さるように痛いことはまだまだ変わらない。
 塾もなく、真っすぐ帰れる時はサッサと帰って、CUの曲を聞きながら、じわじわと芯から温まりたいと思っているのに、本日はお母さんからの命により、頼まれていた物を買いに寄らないといけない。
 なんでもそこのスーパーにたまに現れる食材があり、今日はそれが並んだとかで連絡が入り、買ってきて欲しいのだそう。そして、序に自分の好きなお菓子を買っても良いというお達しが出たのでホイホイと請け負ったのではあるが、ガンガン冷たい風が顔にぶつかりに行っている状態が続くと、少し後悔。
 とは言え、どちらにしても自分の食べる食材でもあるので、結局断ることはないのだが、人間、あまり暑すぎるところや寒すぎるところに晒されると、何よりも”帰りたい”が勝ってしまう。そうなると、とにかくマッハでスーパーに着くしかないが、こういう状況では、漕いでも漕いでも遠い感覚。
 漸く辿り着いて駐輪場に自転車を停めるが、こういう時に限って鍵が手袋の素材により滑り落ち、”拾う”という余計な”疲労”を呼ぶ工程が入ったりする。
 もう!
 カゴからカバンを取り出し、早足でスーパーの中に入って行くと・・・ああ、暖かい・・・
 そして店内に入ってすぐ、いつもの癖で携帯を見る。お母さんから更なるミッションが入っている。同じくスーパーで入手できる物だし、物自体も特に重くもないモノなので問題ナシ。
 スーパーに行くと、関係ない物も思わず見てしまう。特に目に付くのは野菜、果物、香辛料、調味料、パスタソース、袋菓子、和菓子、パンといったところだが、購入するワケではない。恐らく、買えるお金を持っていてもなかなかチャレンジもしないだろうと思う。根っからの貧乏性。
 興味惹かれる物を見ながら歩きつつ、まず最初のミッション物発見。本日仕入れがあったというレアキャラ、じゃなくてレア食材。ポップにもそのように書かれてある。
 どれを見ても大差がなく見えるにも関わらず、まるで野菜ソムリエのように部色してみる。どれだけマジマジ見てもやはり差は分からない。ならば、さっさとどれか手に取って次に向かえばいいのに、何となく違いを探そうとしてしまう自分の潔さの無さ。これを”時間の無駄”と言う。
 やっと決めてまた再び歩き出し、次のミッションに向かうも寄り道、寄り道。見たことのない物も山ほどあり、自分の家に無い物はどんな人が使うのだろうとか、どのぐらいの割合の人が使うのだろうとか思いながら見て回る。
 惣菜売り場まで来て、家で作らないようなお惣菜を何が入っているのかなど見ていると、”あ”ともう一つのミッションの売り場を通り過ぎたことを思い出す。
 他の物に気を取られ過ぎた・・・また元に戻るなんて何だか悔し。不覚。
 足早(である必要はないのだが)に売り場の方に向かい、ありそうなところを視線を上下左右にやりながら探す。
 とは言え、先程ここは通った。見たけど見逃した?目的の物を頭に置かずスルーしてしまった?
 ではない。ナント!黒糖の粉バージョンがない!すっかりぽっかりなくなってしまったのを、他の物を並べて埋めているではないか!それはサーっと見ただけだと見逃してしまうかも(泣)
 え~~~~~、無いとかマジで~~~~~、う~~~~~ん・・・
 棚の奥を見てみたり、黒糖塊などの下や後ろを見てみたが、やはり無い。棚を前に暫しボーゼンと佇み、大きく溜息を吐く。
 ぼんやりと脳が動き始め、確実に開いている大型ショッピングモールの食品売り場を思い出し、覚悟を決めてとりあえずミッション1のお会計に向かう。
 家と逆じゃ~ん(泣)と言っても、確実にありそうな所と言えばそこしか思いつかない。
 セルフレジに並びながら、現時点いる場所から大型ショッピングモールまでの道のり、駐輪場から食料品売り場までの距離等を考え、再びゲッソリ。
 スーパーを出ようとすると、一気に冷気が顔に覆いかぶさって来る。
 さぶっ!
 本当ならばこのまま自転車で突っ切って、家に帰って暖を取れたハズなのに、更に家が遠のく。一瞬、スーパーの出入り口で怯むが、意を決して駐輪場に行く。
 何も考えないように、というか、寒さで余計な思考が動かず、ただ只管ペダルを漕ぎ、目的地に向かう。
 途中、中学生と思われる体操服の男子の自転車集団が周りを確認せずに飛び出して来て、驚いてこちらがブレーキを掛けると同様か少し遅いぐらいに先頭の一人が急ブレーキを掛けた。
 どう見てもこっちが主の道だよね!?と思いつつイラっとしていると、その先頭の中学生が何のリアクションもなく走り去る。
 は?と思っていると、別の男子がこちらに”すいません”と言って会釈してから走り去り、思わずこちらも会釈。
 というか、何故に当の本人ではなく、別の子が謝るのだ?こういうのって一体、誰に教わるものなのだろう、と改めて思う。ただ、ちゃんと謝った方の子は、”ちゃんとしたお家で育ったのだろう”と思われるだろうな。
 しかし、これは全て親のお陰なのか?親が教えてくれなくても、それ以外で教わって身についている子だっているのでは?後者の場合だと、その周りの人たちのお陰なのに、教えてもいない親が評価されるのは違うのでは?
 などと考えているうちに目的地到着。
 駐輪場に自転車がズラリ。それを見て、レジも比例した状態なのではないかと予測し、一瞬ゲッソリ。しょっちゅう来るワケではないので、いつ、どの時間などが長蛇の列になるのかが分からず、ある意味掛けでしかない。
 もう来てしまったので、ちょっと高めのお菓子を買ってやろうと気分を切り替え、自転車を停めてカバンをカゴから取り出し、入り口に向かう。
 
 嫌な予感は的中し、理由は分からないが、食品レジには多くの人が並んでいる。
 マジか~~~~~、残念過ぎる(泣)あっちのスーパーで売り切れてなければ、今頃家の中かも~~~~~(泣)
 案の定、こちらの方には黒糖粉バージョンはしっかり置いてある。が、今週こちらは特価表示。
 ああ何という・・・時間の方は損だがお金は得。顔面に冷気を浴びる時間が長いが、お金は得。
 これをどう捉えたらいいのかが分からず、暫し頭は混乱を極める。こういう時、自分に都合の良い相殺が一瞬でできるようになると、恐らくもっといろんなことに時間を費やせるのだろうと思う。
 そして、”食べてみたかったお菓子”を見つけることにより、その相殺はあっさりと為される。なんと現金な。
 ホクホク顔で列の方に行き、ざーっと見て一番早く回って来そうに見える列に並ぶ。
 小さなことではあるが、先に並んでいる人のカゴの中の分量と、レジの人の手際などを見て、その算段が当たった時の喜び。誰に言うでもないし、理解してもらおうという気もないが、密かに嬉しい。そして当然のことながら、思ったより遅くなった時は小さくガッカリする。
 レジの列だけでなく、セルフレジもかなり並んでいるので、そいういう意味ではどの列も似たり寄ったり。リュックならともかく、肩にカバンをかけながらのセルフレジは割と邪魔臭かったりするので、ここはレジの列に”えいっ!”と並んで運頼み。
 ま、これは仕方ない。
 適当なところに並び、携帯をカバンから取り出し、自分の番が来るまで触り始める。
 前の人が進むのに合わせて進んでいたが、実際の進み具合を確認するのにふと顔を上げると、レジの向こうのサッカー台にいる客の中の一人の女性(女子?)と一瞬目が合い、疚しい事も何も無いが、妙な気恥ずかしさから目を逸らし、携帯の画面に視線を落とす。
 偶々とは言え、知らない人と目が合うとか恥ずかしさ以外のナニモノでもない。
 不思議なもので、怖い物見たさとは違うものの、一度目が合ったのは偶々と頭で思っていても、何となく確認したくなる衝動。
 携帯を見る振りをして、少し頭を上げ、恐る恐る視線だけを先ほどの方に向ける。
 あ、ヨカッタ、気のせい、気のせいw
 目が合った女性は袋に物を詰めており、偶々目が合っただけであったことを“ヨカッタ”と思いつつも、何に対して“ヨカッタ”と感じているのかも自分では理解できていない。
 レジで自分の順番に近づき、台に置いたカゴを前に滑らせ、携帯をカバンに入れて顔をふと上げると、再び先ほどの女性と目が合う。
 え、なぜ?
 先程の気恥ずかしさとは逆に、一瞬焦りと恐怖に包まれる。
 え?いや・・・いやいやいや、気のせいでしょ。気に入られた?いやいやいやいや、そんなワケはない。人の目を惹く見た目ではないことは、自分が一番よく知っている。
 何に心臓がバクバクいっているのかが分からないが、“落ち着け、落ち着け”と早打ちする心臓に声を掛ける。ゲームじゃあるまいし、連打は不要だ、自分の心臓。
 自分の順番が来たので、自分の自意識過剰さを気にしないよう、レジのほうに集中。とは言え、そんなに簡単に自意識過剰さを緩和できるなら、今までもっと時間を有意義に使えたハズ。
 とりあえず支払いを終え、サッカー台に移動するまでそちらを見ず、俯いたままカゴを持ち、その女性がまだいるとしたら、後方から確認できるサッカー台を選ぶ。
 前のスーパーで購入した物を入れている袋に、今清算したばかりの物をカゴから移し入れる。
 流石にもういないよね・・・
 荷物を持ち上げる勢いと同時に、先程の女性がいたサッカー台の方を確認。
 あ、やっぱり気のせいだ。良かった~~~~~w
 何が良かったのかは不明だが、何となく重苦しさから解放されたような軽快さに乗り、カゴを台の横に積み上げられているカゴに軽やかに重ねる。
 しかし、何だかめっさキレイな人だったな~。背がスラっと高くて、黒いストレートの長い髪に、切れ長の、でも大きさのある目。いいな~・・・
ん?ん~~~~~、ん~~~~~、前に似たような感覚あったな~・・・というか、キレイな人見るといつもこんな感じかw さ、帰ろ、帰ろ、お菓子が待ってる~♪
 
 帰宅してしっかり体が温まり、ギュッと縮こまった感覚に陥っていた脳も縛られた感が解けたところで、携帯でCU情報のチェックを始める。
 何やらオッサンの姿がチョロチョロしているが、慣れとは恐ろしいもので、こちらに害さえなければ無視できるぐらいにはなった。
 自分のお小遣いでは購入し難いお菓子を食しながらのCU鑑賞は格別。冬季限定となるとその時季しか食べられないし、かと言って貧乏性気質が邪魔をして、”えいっ!”と踏み切ることが出来ず、年中”期間限定”に手を出せず通り過ぎて行くお菓子の数々。
 CUのグッズでさえ、考えに考え、自分の中で厳選した物のみ購入し、大学生になってバイトができるようになり、もう少し出費の幅を広げられるようになったら、と夢を膨らませつつ、現状を生きている。後々、そんなに簡単にマインドが変わるワケもなく、結局いつも貧乏性が邪魔をして、大して変わらないことが続くとも知らずに。
 携帯の隅に表示されているデジタル表示の時間を見て、そろそろ勉強に取り掛かるか・・・と勢いで伸びをし、大きく息を吐き出した後、首を回したり前後に曲げたり、机を掴み、回る椅子の勢いを使って左右に腰を捻る。
 CU情報をチェックしていると、どうしても動画のほうに誘導されてしまい、その上動画というものは、次々興味のあるものを観させようと陰謀が渦巻いており、それに引き込まれないようにするのに自分で”切りのいいところ”を決めないといけない。所謂、”自制心”が試される。大抵自分の自制心の元は”CU”で、”CUが見たらなんと思うか”。
 CUは彼らの動画は観て欲しいと思うが、きっと、ファンの堕落した生活なぞはCUは望んでいないだろうし、彼らが努力家なのを知っているので、自分もそうあるべきだと思ってはいる。それを自分に言い聞かせるようにしていると、”CUが見たらなん~~~~~という言葉が割とスッと降りて来て、案外切りのいいところを作ることが容易にできるようにはなってきた。
 この年齢で肩こりなんてヤバいんだろうな、と思いながら椅子から立ち上がり、体を伸ばしたり捻ったり腕を回したりして気持ちばかりの抵抗を試みる。
⦅無駄なことを⦆
 でた、けど別にどうでもいい~、と思いながら”体を倒して横にぃ~byラジオ体操第一”をしながら何となく視線を右上に遣ると、ふと今日の大型ショッピングモールのレジでの光景が頭に浮かんで来る。
 ・・・あの目・・・
⦅魚の目⦆
 あ、こういう時は出て来られるとウザい。今何か思い出しそうだから邪魔しないでくれ。
 ・・・あ、何か出て来そう・・・
⦅う〇こ?w⦆
 バカの一つ覚えですかーってハナシ。う~ん、何処かで見た気が・・・どこだっけな~・・・・・う~~~~~~~~ん・・・
⦅こ!⦆
 あ”~~~~~~~集中力途切れるからやめて欲しい。今何か出そうなんだよ、何だっけ、何だっけ、何処で見たんだ~~~~~~~!?
⦅気のせいちゃう?⦆
 いやいやいやいや、どっかで見た。絶対見た。何だろうな~、この出そうで出ない気持ち悪さは!?
⦅便秘⦆
 え、便秘って”出そう”なんじゃなくて、出ないじゃないの?
⦅いや、出そうで出ない状態の便秘もあるっ⦆
 別にそんな威張って言わなくても。バッカみたいw
⦅自分の知識のなさを露呈しといて、相手茶化すとかハズいやちゃの~。シ
 ーユーとやらが知ったら、あ~残念、残念。あんさんらのファンなんかこ
 んなもんですわ~⦆
 あ~もうウザい、ウザい、ウザい!
⦅ほらな~、言い返されへん思たら”ウザい”で終わるやろ?あ~あ、シーユ
 ーはんらも可哀想にのぅ⦆
 ・・・落ち着け自分、落ち着け自分、深呼吸、深呼吸・・・ん?カワイソウ?・・・可哀想、かわいそう、”かわいそー”・・・あ、そうか!
 頭の中の靄が突然晴れたような、トンネルから抜けてやっと外に出られたような、突然目が覚めた感覚。
⦅“きらり”っちゅーんか。変わった名前やのぉ⦆
 折角思い出したのに。
「一々反応しなくていいんで(怒)」
⦅まあそう言うな、お前とワシの仲やないけ。そない鼻の穴広げんなやw⦆
 咄嗟に鼻を手で覆う。
「広げてないし」
⦅ビー玉突っ込めるんちゃうか~、ぐらい開いとったでw⦆
 んなワケないし。というか、そうだよ、保志さんだよ、綺良凛ちゃんだよ、そうだよ、そうだよ!わ~なんか、年上かと思った。
⦅ほしきらり?凄い名前やな~⦆
「やーまあ、今はそういう名前もフツーにあるしぃ・・・」
⦅えらい世の中やな~。昔やったらおちょくられそうやな⦆
「オチョクラレル?何それ。いい意味じゃないのは分かるけど」
⦅そんなんも知らんのんけ~⦆
「いや、知らないでしょ。標準語で喋ってくださ~いw」
⦅標準語やろ⦆
「や~や~や~、何言ってんだか(笑)ていうか、ちょっと黙っててくれ
 る!?」
⦅何言うてんねん、お前が勝手に聞こえてんのやんけ。ワシはいっつも自然
 体やぞ⦆
 あ~はいはいはいはい、さいで御座いましたね~、こちらが悪う御座いました、はいはい。ま、いっか、思い出したし。後で考えればいい。
「さぁ~て!勉強しよー--------っと!」
⦅勉強なんか黙ってやれや~⦆
「言われなくても、勉強中に大声で独り言言いながらしたりしまへ~ん」
⦅ヘンな関西弁使うなや~⦆
「あ~はいはい、さ、やろやろ~」
 英検の問題集を取り出し、オッサンが机の上でチョロチョロするのを吹き飛ばすように、ダン!ダン!と音を立てて置く。
 小学4年生。皆仲良し、だったはずの女子の雰囲気に徐々に変化が表れ、何となくグループができて行き、戸惑いを感じ始めた時期だった。
 その時は幸いりーちゃんと同じクラスであったこともあり、何となく戸惑いを感じつつ、不快なこともありつつも、後々に酷くなっていく女子の集団生活と比較すると、まだマシな生活を過ごした、と記憶している。
 その中で、今でも後悔していることの一つ。
 保志綺良凛。
 最初、“きらり”という名前にも驚いたが、その名前に違和感を感じさせないその造形美。色白で手足が長く、特に、少し丸みも持った切れ長の目に真っ黒な瞳が印象的で、真っ黒で真っ直ぐな肩まで伸びた髪質がその印象を更に強くしている。
 大人しい佇まいとは逆に目立ち、子どもながらでも“キレイだな~”と羨望の眼差しを向け、密かに“クールビューティー”と心の中では呼んでいた。
 ただ、業間も一人で図書館で借りた本を読んでいて、“一番仲がいいのは誰?”と聞かれても誰の名前も上がらない程。他のクラスにも友達がいたかも分からない。
 給食は班で食べ、クラスの人数は偶数なので、隣の席同士での作業には問題はなかったが、体育の時間に“ペアになって”と指示されると、いつも3人組でいる女子がジャンケンをし、仕方なく残った綺良凛と組むという構図になり、それを横目で見ながら勝手に自分を綺良凛に置き換え、自分がその立場だったら、と思うと胸の痛みを感じていた。
 自分の中で“クールビューティー”と呼びながら、何となく近寄り難い雰囲気を持つ綺良凛に声を掛けることができなかったが、一度、席が隣になった時があり、少し緊張しながらも「き・・・保志さん、よろしく」と声を掛けてみた。綺良凛が微笑んで軽く頷く姿に、”おおうっ”と声を出しそうになったのを我慢した。
 保志さんは成績も良く、担任からも厚い信頼を向けられていたが、その裏で「キラー(killer)」と名付けて悪態を付いているクラスメイトがいた。
 最初はその悪態をついているクラスメイトは“目立ちたい子”というイメージでしか見ていなかったが、次第に他3名のクラスメイトとその仲は強固となり、何時の間にかカーストの上に君臨。まるで自分がクラスを仕切っているいるかのような振舞いが増えた。
 特に、一番の中心人物は中学に入学しても、その中で波長の合う女子と徒党を組んでは勢いを増していき、高校を選択する際の一因ともなった。
 陰口の内容は最初は軽いもので、ただのやっかみだったかもしれないし、異色な感じに受け入れ難い何かがあったのかもしれないが、その傾向はエスカレートし、それに同調する女子もいた。
 ただ、自分には不快でしかなく、陰口を耳にする度、手を拱いているしかできない不甲斐ない自分を情けなく思った。
 ある日、業間にりーちゃんががやって来て、横の席で本を取り出しかけている保志さんに声を掛けた。
 用事なくて話し掛けるの、まだ緊張するのに、すごーい、りーちゃん、と羨望の眼差し。
 保志さんはりーちゃんのほうに顔を向け、“キュリー婦人”と答えた。
「伝記が好きなの?」
「そういうワケじゃないんだけど・・・」
「本が好きなんだ」
「・・・うん、そう、かな」
 うう~ん、何だか大人っぽ~い・・・
 二人の遣り取りを他所に、隣に座る保志さんを見つめる。会話の内容は全く入って来ない。それに気付いてか気付かないでか、保志さんの整った顔がこちらに突然向けられ、心の準備ができていなかったので、耳が一瞬にして真っ赤に染まる。
 うわ~、髪伸ばしておいてよかた(汗)耳隠れてなかったら、赤くなってるのに気付かれてヤバいわ。
「森北さんはどんな本読むの?」
「へ?」
 おほ~、声が裏返った!最悪!
「えーっとぉ・・・いろんな国の童話とか~、神話とか~・・・何か見てみ
 読んでみたいと思ったやつを読むことが多いかなあ」
「童話とか神話も面白いよね」
「うん」
 うわ~、普通に話ししてるぅ(汗)
 3人は業間の間本の話をし、あっという間に次の授業の時間になった。
 りーちゃん、ありがとうだな~。
 高揚する気分を抑えつつ、いつものようにノートの端に落書き。童話、神話、伝記・・・
 その日の授業を全て終え、それぞれ散り散りに教室を飛び出して行く中、担任に呼ばれたりーちゃんが戻って来るまでの間、ランドセルを机の上に置き、窓の方へ行き外の様子を眺めている。
 りーちゃんまだかな~と思いながら待っていたので、後ろに気配を感じて振り返ると・・・ではない姿が4人も。
 思わず”ゲっ”という顔をしてしまったことに、気付かれたか気付かれていないか。自分じゃないよねとばかりに周囲を見渡すが、どう見ても4人の視線はこちらに向いており、こちらに近づいて来ている。
 漠然と押し寄せて来る不安。意味もなく全身に走る緊張。何かしたか、自分!?と頭の中が雑然とした状態の中から、記憶を呼び起こそうとするが、こういう時は何も浮かばない。
「ねえ、すばる」
「え~っと、なに?」
「キラーと仲いいの?」
「え?いや、別に・・・」
 心の中で、”キラーじゃないし”と反論。声に出しては言えないけど。
「ふ~ん」
 喋っているのは、一番の中心人物のみ。
 体を斜めにし、腕組みをして喋る姿は今考えると、只のクソ生意気な小学生にしか見えない。その後ろに同じようにして立っている3人は同等なのか、それとも上下関係があるのか。ついて来てと言われたのか、”そうだ、そうだ”で一緒にやって来たのかは不明。
 どういうパワーバランスでこういう構図になっていたのか、3人は何か弱みでも握られたのか、ジャイアン的に腕力で捻じ伏せたのか、全くもって分からない。よく分からないが、ただただ不安が生じてくる。
「あの子、仲良くしないほうがいいよ」
「へ?」
 仲がいいとも言っていないのに、突然”仲良くしないほうがいいよ”の言葉。どうしてそんなことを言われるのかが分からず狼狽える。
「だってあの子ってさあ・・・」
 ”だって”と言う時は、大抵いい言葉は続かない。
 
 中心となって保志さんの悪口(?)を話す憐花(れんか)は、何だか意気揚々としているが、こちらの耳に入って来る言葉は、トゲトゲしていて心地悪く、心臓に届く時には痛みを生じている。
 ただ、相槌を打ったり何かを聞き返したりといったこともできず、困惑や不安といったもので全身を固められてしまったように動けない。
 更に優杏(ゆず)と聖那(せな)が援護射撃を始めると、何故か自分が攻められているかのような感覚になり、自分に何が起こっているのかを認識することもできず、途中でふっと浮かんだのは”早くりーちゃんが戻って来ないかな!?”だった。
「わかった?ほんっとあの子最悪だからさ~、仲良くすんのやめときな」
 ”やめときな”って・・・こちらも別にそんなに仲良くしてもらってもいないし、そもそもで言うと、憐花たちとも特別仲いいワケではない。
 嫌なことをされたならともかく、保志さんから別に何も嫌なことはされていないし、寧ろ、今憐可たちに責められたような感じのほうがよっぽど嫌だった。が、言えない。
 憐華たちは言うだけ言い、”行こう”と踵を返し机の間を縫って去っていった。こちらの気持ちも意見も”Yes・No”さえも聞くことなく、保志さんへの悪口(?)を更にお互いが確認するように言い合いながら。もう一人、一緒にやって来た凛音(りおん)は一言も発さずだったが。
 台風一過。
 本当の台風なら、空気が澄んでクリアになったような爽やかさが漂うこともあるが、教室の中は掃除の後なのでキレイなのに、自分だけが台風に慄き、不安や恐怖で疲れてしまったような感じ。
 自分が密かに仲良くなりたいと思っているクールビューティーの、事実か嘘か不確実な、途中、脚色も相当入っているんじゃないかと思うような話を散々聞かされ、それで”わかった!?”と言われても・・・
「すーちゃん、ごめんね~」
 りーちゃんの顔を見て強張っていた全身の力が抜け、やっと息ができた気がした。
「すーちゃん、どうかしたの?」
「・・・りーちゃん・・・」
 何か言おうとするが、うまく言葉が出て来ない。どこから話せばいいのか、話してはいけないことなのか。
「今日ね、お母さんがオートミールクッキー焼いてくれるって言ってたか
 ら、お家来ない?」
「え、おばあちゃんのクッキー?」
「そうそう、すーちゃん好きでしょ?」
「うん、行く!」
 いろんな意味で嬉しかった。クッキーも嬉しかったが、それよりも、この気分のまま帰宅することが重すぎて重すぎて、頭の中がパニックを起こしていたので、とても有難かった。
 
 りーちゃんの家に行き、りーちゃんとりーちゃんのお母さんの温かいお招きを受け、美味しいオートミールとレーズンのクッキーと温かい紅茶で、漸く体に入っていた力が7割ぐらい抜けた感覚。
 3割は”聞いてもらいたい”という気持ちがある一方で、話してはいけないような気もしており、その葛藤のせいだ。
 一瞬、憐花に言われたことが頭を過り、そのタイミングで小さく吐いた溜息にりーちゃんのお母さんが気づいた。
「ね、すーちゃん、何かあったのかなあ?」
「え?」
「ちょっと元気無さそうだから・・・もし良かったら、おばちゃんに話して
 みない?ここだけの話にしておくから」
 そう言われ、他の子のお母さんだったら話はしないが、りーちゃんのお母さんは”言わない”と言ったらちゃんと約束を守ってくれる。りーちゃんのお母さんがそうだからだと思うけど、りーちゃんも同じく”言わない”と約束したら言わない。
 それが分かっていたから、多分、本当は聞いて欲しかったから、りーちゃんの家に来たのだと思う。クッキーだけに釣られたワケではない、決して。いやホントに。
 ”あのね・・・”と話し始めたものの、何をどう説明していいか分からず、まとめることもできず、言われたことをそのまま話した。
 その内容は、保志さんが①家は貧乏で給食費を払っていない ②母親の男遊びが激しく、家にいないことが多い ③保志さんも母親の男に手を出されている ④父親は893 ⑤家はゴミ屋敷でお風呂にも入らない ⑥中学生と遊び歩いている ⑦学年中の男子は自分のことが好きだと言いまくっている ⑧担任(女性)にみんなの悪口を言って、自分は可哀想と気を引いている、ということだけは聞き取ったので、それを伝えた。
 背ひれ尾ひれが付き過ぎて、何を言いたいのかが分かりにくかったが、話をしながらこういうことを言っていたな、と少し整理ができた。それにしても・・・
 自分が見るクールビューティ―と印象が違い過ぎて、話をしながら誰の話をしているのか分からなくなってきた。何かの大人のドラマの主人公ですか?
「すーちゃん、大変だったね。そんな話されても困るよね」
 りーちゃんのお母さんが言ってくれた言葉に思わず頷いた。
 そうなんだ、困るんだ、困ったんだ。そんなこと言われても。
「今は席が隣りだけど、保志さんとすごく仲いいわけじゃないし・・・保志
 さん、なんか大人っぽいって言うか、顔がキレイで・・・ちょっと見ちゃったりするし、どっちかって言うと仲良くしたいって言うか。あ、でも保志
 さんだけじゃなくて、クラスみんな仲良しでいいのにな~って」
 自分でも何言っているか分からなくなって、頭も気持ちもぐっちゃぐちゃなのに、りーちゃんも、りーちゃんのお母さんも”うんうん”と聞いてくれている。
「でもその・・・確かに同じ服をくりかえし着てるところはあって、お気に
 入りなのかなと思ってたんだけど・・・とか、前に何か先生が用意してく
 れたっぽいのわたされてたから、もし憐花が言うようにお金がないのかな
 あ、じゃあ合ってるのかなあとか・・・でも、別にお風呂入ってないよう
 なニオイとかもしないし、保志さん、あんまりしゃべらないのに、そんな
 先生にみんなの悪口とか言うのかなあとか・・・もし言ってたら、それは
 イヤだし・・・憐花は何で”仲良くしたらダメだ”って言うんだろう?お父
 さんが893さんだから?」
 あ~でもない、こ~でもない、と話をしながらどんどん深みに嵌りそうなところを、りーちゃんのお母さんが問いかける。
「何が一番イヤだった?」
「一番・・・?う~ん・・・4人で急にやって来て、本当かウソかは分から
 ないけど、すごい勢いで・・・何かをぶつけられたような、何か重たい責
 任とか・・・」
「そうだね~、勝手に”約束ね”と言って、破ったら怒る、みたいに感じるよ
 ね~」
 そう、そうなんだ。破ったら確実に怒るだろうし、かと言って、そもそも保志さんが自分と仲良くなりたいと思っているとは思えないから、約束も何もないのだ。
「うん。でも、仲良くなれたらいいなとは思ってたから、もし仲良くなった
 ら、みんなに嫌われちゃうのかな・・・」
「あたしはそんなことで嫌わないよ、すーちゃん」
 りーちゃんがそう言ってくれるが、言ってもたかが小学4年生。りーちゃんはきっと人を嫌ったりしないと思うが、クラスの他の子に嫌われたらどうなるのか、ただただ怖かった。
「梨穂はいつもすーちゃんの味方だと思う。ただ、不安は不安よね、そんな
 こと言われて。勝手に”仲良くするなー”って言われたんだもんね」
「うん」
 今思うと自分でも不思議だが、4人、というか3人に言われただけのハズが、何時の間にかクラスの子全員に嫌われてしまうかもしれない、という感覚に陥っていた。こういうのはどういう思考なんだろう?
 結局、何かあったら担任に相談するということにし、元々保志さんは近寄り難さがあって仲良くしてもらえる気がしなかったので、今は隣りの席ということでこれまで通りに接する、という結論に至った。何かあったらりーちゃんのお母さんも学校と話をしてくれると言ってくれたので、少し心強かった。
 それから、憐花たちが話をした内容については、本人の口から聞いたり自分の目でみたりするまでは信じないこと、他の子に話さず、ここだけの話にしておくことを、りーちゃんと、りーちゃんのお母さんとの約束にした。
 自分だけで抱えずに済んだことで、家に帰る時には少し気持ちが楽になっていた。
 その頃、どう見ても余裕のなかった自分のお母さんに話をしたところで、りーちゃんのお母さんのように寄り添ってはくれなかっただろうと容易に予測がついたので、りーちゃんがいてくれて本当に良かったと思った。
 というか、それは度々思うほどよくできた人間なんだ、りーちゃんは。同じ人間なのに、どうやったらこんな差が付くんだろう!?と実は小学生の時から思っていた。
 
 それから、保志さんを気にかけつつも、憐花たちからの正しいか否か不明な情報も頭から離れず、複雑な感情を抱きながら保志さんの隣りの席での日々を過ごした。
 元々、保志さんから雑談を振って来ることはなかったし、話をする時は授業に必要なことか、若しくは、りーちゃんがこちらの席へ来た時に話しかけた時ぐらいだった。
 保志さんはあまり多く話さないのですぐに話は終わるが、いつも憐花たちに見られているような、付き纏われているようなイヤな感じがあった。
 保志さんは本が好きなようで、一人で図書室に行くことが多かったが、りーちゃんはそんな保志さんと本の話をすることが楽しいらしく、保志さんが一人でいる時に話しかけていた。
 が、何故かりーちゃんは憐花たちに文句を言われない。何でだ?何なんだ!?この差は何!?いや、そのうち言われちゃうのかな!?
 と思う一方で、憐花たちの話をしたにも関わらず、サラっと保志さんに話しかけられるりーちゃんを”すごっ”と思った。自分と違って、威圧に屈しないタイプなのか、それともそれとも天然なのか。柔らかい感じと相反して、心臓に剛毛が生えているのか。
 もし逆の立場だったら、”自分も同じことをされるかも”と思うと、保志さんに話しかける勇気はないだろう。
 取り敢えず、日々チラっチラっと横目で保志さんを見ながら、”キレイな顔だな~”と密かに目の保養にしていた、とはりーちゃんにさえ言えず。
 それから暫くして、保志さんは最初隠していたが、どうしても隠し切れず、右手の袖から包帯が見えている日があった。
 思わず驚いて”どうしたの!?”聞くと、いつものように落ち着いた表情で、“ガラスのコップ、落ちて割れちゃって”と表情を変えず答えた。“大丈夫?”と聞くと“うん”と言ってできるだけ袖を伸ばして隠し、授業が始まるまで本を読み始めた。
 ”ガラスのコップが落ちて来て割れて切れたの?打撲だけ?”と、いろいろ聞きたかったが、聞けなかった。
 休み時間には既に、“キラーが手首を切って運ばれた”という話が回っており、流石にその話には呆れた。
 サスペンス、推理、警察、検事、弁護士モノのドラマ・アニメが好きな自分としては、右利きの保志さんが右手首を切るワケはないと思っていた。
 が、面白可笑しくネタにして話をする一部のクラスメイトにイライラが募るも、声を挙げて言えない。
 そこで思わずりーちゃんに思いをぶつけてしまった。
「保志さん、右利きなんだからリスカなワケないじゃん!何でそんな話にな
 んの!?」
「すーちゃん、すーちゃん、こういうのうわさにするのが好きな人っている
 んだよ。あたしもちがうと思ってるよ」
「でも、いくら何でもヒドくない!?」
「ヒドいと思うよ~。見たわけでも、保志さんから聞いたワケでもないの
 に、そんなこと言うなんてね」
「うん。ホント、ムカつく!どうしたらいいのかな!?」
「う~ん・・・先生に相談してみよう」
「うん、そうしよう」
 結局、小学生の頭では考えられるのに限界があり、どちらにしても広がってしまった無責任な噂を一人や二人で沈静化させるなぞ、まあ無理に決まっている。ヘタすると、火に油を注ぐようなことにもなり兼ねない。
 りーちゃんと一緒に担任のところへ行き、こちらがイライラを止められず感情的に話して内容がまとまらないのを、りーちゃんが冷静に状況を伝えてくれた。
 担任は話を聞いてくれ、事態の収拾に努めると約束をし、次の授業の準備をするよう教室に帰るよう促された。
 担任は事前に保志さんに話を聞いており、担任がクラス全体にヘンな誤解を生まないようにと事実を伝えたことと、手首から肘の間のところを5針も縫っているので、暫らく体育も休むことを伝えて話は終了。
 恐らく担任は、保志さんが体育などを休むと余計な憶測が回ることを危惧してのことだろうと考えた。この先生なら自分に何かあっても助けてくれるかもしれない、と思ったが、それ以上に保志さんと同じ状況に陥った時、保志さんのようにいられる自信は全くもってない。
 というか、保志さんはどう思っていたのか。あんな聞こえるような針の筵のようなコソコソ話、絶対耳に入っているハズなのに・・・
 そうするうち、保志さんが登校しない日が少しずつ増えた。
 やはり憐花たちが原因なんだろうか?と思うも、登校して来た時はいつものクールビューティーな井出達で、時間があると図書室へ行く。
 相変わらずこちらの視界に入る所でコソコソ、クスクスと何かを言ってはこちらを見ているので、保志さんにしているのか自分がされているのかもうよく分からない状態で、居心地の悪さから授業が終わるとすぐに席を立ち、りーちゃんのところに行ったり、トイレに行ったりして・・・その場から逃げていた。
 正直、何でこんなことしないといけないんだろう!?何で逃げなきゃいけないんだろう?ハッキリ言えない自分が情けない、とも思っていたが、同時に、憐花たちの行動も何が楽しいのかが理解できないし、どうしてあんな性格悪いのが”友だち”に困らないのか意味不明だと思っていた。
 自分としては、みんな仲良くのほうがいいんじゃないの?と思っていたが(今でも思っている)、その後、女子の中で生活する中で、益々その希望から遠ざかっていくのだが。
 少しずつ登校が減る中、席替えがあるまでは授業中隣り同士。共同の作業や課題がある時は、憐花たちの視線関係なく一緒に取り組めるので、この時ばかりは心躍らせて一生懸命取り組んだ。
 時々、見せて貰うを口実に、教科書をワザと忘れてみたりもした。我ながら小賢しく、今考えると恥ずかしい。そして、自分では分からないようにしていたつもりだったが、担任にはその意図がバレていたようで、学期末の通知表には『忘れ物が多い』の欄に○はついていなかった。
 担任はどうしてもうちょっと何か対応をしてくれないんだろう?と思ったこともあったが、憐花たちは先生たちの前ではいい子ぶるし、他の子で、自分と同じように凄んでいろいろ言われた子がいたとしたら、その子も仕返しがあるかもなどと思うと、仮に担任に聞かれても本当のことは言えないだろうし、聞いた話を本気で受け取った子もいるかもしれないし、保志さんとあまり関わりのない子もいたし、多分、警察ではないけれど、実際の場面を押さえないと難しかったんだろうな、と今は思う。
 プールが始まる頃、更に保志さんの欠席日数が増えた。
 隣にいないので、ペアで作業や課題をする時に相手がおらず、前の子や後ろの子と一緒にすることになり、何だかとてもアウェイというか、邪魔しているような感覚が拭えず、”来ない”ということが寂しさプラス苦痛を感じることもあった。
 他の子が休んだ時は、近所の子にプリントを託していたが、保志さんの場合は担任は誰にもプリントを託している感じはない。
 確実に、クラスにも保志さんの家の方向に住んでいる子はいるのに、何故だろう?といつも思っていた。担任に、家の方向は違うが持って行きたい旨を伝えると、”ありがとう”と言いつつも、一瞬困ったような表情が見えた。
 担任は、保志さんの母親の調子が悪いことで登校し辛い状況にあるので、担任が直接様子を見に行きがてら持って行っているから大丈夫なのだと説明してくれた。
 保志さんのお母さんが病気なのか、保志さんが学校に来られないぐらい状態が悪いというのはどういう状況なのか、もう少し詳細を聞きたい気持ちはあったが(多分、推理小説とかの読み過ぎで)、今のクラスの状況が理由では無いと知り、少しホッとしたのを覚えている。
 
 7月第一週の土曜日、その日はりーちゃんの誕生日で、りーちゃんの家で家族ぐるみで付き合いのある家族三組でBBQをすることになり、りーちゃん、りーちゃんのお母さん、学年が自分たちより二つ上の御木本大輝、自分たちより一つ下の大河とそのお母さんと共に買出しに出掛けた。
「あっつ~い」
「夏だから仕方ないじゃん」
「分かってるわい」
 大河と他愛の無い遣り取りを繰り返し、じゃれ合いながら歩く。きょうだいのいない自分としては、りーちゃんも、航くんも杏ちゃんも然り、大輝くん・大河兄弟の存在はちょっとした兄弟気分を味わえる稀有な存在。
 本当の意味での”きょうだい”ということを知ることはできないのかもしれないが、お陰様で、一人っ子でありながら寂しさを感じずに成長して来られたと思う。
「あ」
 大輝が遠くに何かを見つけ、顔を突き出し、目を細めて何かを確かめている。
「なに?」
「や、オレ知ってる子かも」
 大輝と一緒に目を細めながら、アスファルトで熱された空気と湿気を含んだ大気が交差し大気が揺れる中、ユラユラと近づいて人影をガン見。
「あ」
「あ」
「あ、やっぱ保志さんだ」
 あ、ホントだ。
「え、ていうか、大ちゃん、何で知ってんの?」
「へ?オレ、図書委員だもん。てゆーか、オレ、図書室の住人だから。毎日
 いたら覚えるって。って言っても、最近はあんまし来てないけど」
「へ~・・・」
 大輝は本というより図鑑だよね、と心の中で一応つっこんでみる。図書室には結構な数の図鑑が揃えられていて、それを片っ端から見ているある種のヲタク。
「すーちゃんたちは保志さんと友だち?」
「え?う~ん、まあ、そうかな?」
「そっか~。お~い、保志さ~ん!」
 ヲイ!大ちゃん!!イキナリか!声掛けるかどうか聞けよ~(泣)
 大河だけ何が起こっているか理解できず、母親の横で事の成り行きを眺めている。
 大ちゃんとりーちゃんが無邪気に保志さんに駆け寄るのに引っ張られ、少し遅れて自分も駆け寄る。
「保志さん、元気?最近、図書室来ないね」
 大ちゃん、図書館だけじゃないんだよ。学校にも来てないんだよ。
「・・・」
 暑いから気だるそうなのは当然だったし、元々超元気印!でもないので、覇気のない感じが通常運転だとは思っていたが、何と言うか、ちょっとボーっとしているような・・・
「特等席に保志さんいないと、な~んかさびしいんだよな~」
 え、大ちゃん、もしかして保志さんのこと好きなの!?と、その時は思ってしまったが、小学生の自分には、大ちゃんの”気遣い”だと気付くのに何年も掛かるワケで。
 大ちゃんのことばにうんうん頷いているりーちゃんと同じく、大ちゃんも大河も何というか、とてもいい子なのです。純粋培養のいい子で、御木本家のおじさん、おばさんを見れば、まあ、穏やかな家庭で育つとこんな風に仕上がるんですね、りーちゃんに続いて第二弾、ですよ。
 この三人と自分の間には、見えないハズの線が存在するように見える。
「保志さsん、今日私の誕生日なの。これからうちでBBQするんだけど、
 来ない?」
「・・・え?たん・・・生日?」
 え?いきなり呼んじゃう!?
「お母さん、いいよね?」
 りーちゃんが後ろを振り返り、りーちゃんのお母さんに同意を求めると、りーちゃんのお母さんが保志さんに近寄る。
「保志さん、梨穂の母です、初めまして。梨穂からいつもお話聞いてます。
 ホントにステキなお嬢さんね。保志さんがご迷惑でなかったら、お誕生
 日、一緒にお祝いしてもらえたら嬉しいな」
 え、マジで?りーちゃんのお母さんて神!?うちのお母さんなら、突然人数が増えるとなったら、”何で勝手に決めちゃうのよ!””何で先に言わないの!”と激怒するに決まっている。
 予定が予定通りでないと一度はキレるので、りーちゃんとりーちゃんのお母さんとの遣り取りを見る度、一体何が違うんだ?と不思議で仕方ない。
「うん、おいでよ。人数多いほうが楽しいよね」
 大ちゃんの誕生日じゃないぞ。
「おいでよ!」
 大河は流れで言ってるだろ。
 保志さんは視線を斜め下に落とし、何かを考えている様子。突然誘われても困るかな~・・・また、自分なら誘われる相手によるね。憐花たちのなら絶対行かない。
 しかし、7月とは言え既に夏日が続く中、伏せがちな目に長い睫毛が白い肌に映え、前髪ぱっつんの長い黒髪なのに重く見えず、やっぱりトータル的にクールビューティ―。いいなあ、お人形さんみたいで。
「あの・・・あたしなんかが行っても・・・」
「えー、何言ってんのー!?いいって、いいってー!」
 大河のお誕生日じゃないってば(汗)
「じゃ、今から買出しだから、一緒に行こー!」
「行こー!」
 むむむむむ、この御木本兄弟、グッジョブ過ぎて今日だけは大大大大感謝だぜ。
 あ・・・
 一瞬イヤな感じが頭を過り、周りをキョロキョロを見渡す。
「大丈夫。憐花たちはここからお家遠いから」
 小声でりーちゃんにそう言われただけでホッと胸を撫で下ろした。
 どうなってんだよ、りーちゃんの察しの良さ。ホントに自分と同い年なのか!?
 そして、りーちゃんの誕生日は、それはそれはとても楽しい宴で、BBQも美味しい、大ちゃん・大河のお母さんが作って持って来てくれた豆乳の抹茶&チョコアイスも美味しいかったし。
 保志さんが楽しめたかどうかは本当のところは分からないけれど、今回は人懐っこい大河の物怖じしない(恥ずかしいという感覚はないのか!?とも)感覚に救われたところもあり、みんなで、それこそワイワイ楽しんだし、普段見られないような激しくレアなクールビューティ―の笑顔を見られたという・・・その笑顔はまるで何かのCMでも見ているようでございました。
 週明け、いつも通り登校し、いつも通りに席に着いた。
 ただ、いつもと自分の気持ちが少し違っていて、保志さんが来たら憐花たちを恐れず話し掛けようと、りーちゃんの誕生日の保志さんの笑顔を見て勇気を出そうと心に決めた。
 が、結局それから保志さんは欠席を続け、一学期の終業式までずっと左側の席には窓からの日差しが差すだけだった。
 そして夏休み明け、保志さんが転校したと聞かされた。狐につままれた、というのはこんな感じかと、以前覚えたコトバをその時実感した。そのうち来ると思っていたし、いるものと思っていたのに、突然保志さんは自分たちの輪の中から姿を消した。
 憐花たちは、保志さんがウリ(憐花たちが意味分かって言ってたのかは不明)で捕まっただの、中学生の男子と家出しただの、あることないこと話をしながら勝手にキャーキャーと、既にいない保志さんをネタにバカみたいに盛り上がっている姿に苛立ちを覚えた。
 が、言い返すことも出来ず、ただただ自分の中でイライラするだけ。本当はドラマみたいに、机をバン!と叩いて”いい加減にしろよ!!!”と言ってシーンとさせたい。
 そしてまた、りーちゃんにブチブチ文句を言ってはりーちゃんはうんうん聞いてくれての繰り返し。あの時は本当にりーちゃんに迷惑を掛けたと思う。
「本当のことがどうとかじゃなくて、あることないこと言って楽しむ人って
 いるんだよ。でも、あの子たちは言い返したらよけいに何か言うかもしれ
 ないからほうっておいたほうがいいよ、ってお母さんが言ってた。それ
 に、お母さんもお父さんも保志さんはいいだって言ってたし、そうなんだ
 と思うよ」
 りーちゃんはお父さん、お母さんとそういう話ができるのかと思うと羨ましいし、道や考え方を示してくれる親がいるから、自分みたいに感情がぐちゃぐちゃにならずにいられるのだろうな、と子どもながらに思った。
 そして、ざわつく教室を担任が諭して沈静化させてくれると期待したが、特に取り立てて注意をするワケでもなく、勢いが収束するのを待っているようで歯痒かった。忘れ物が多いに〇をつけなかった担任は保志さんの味方だと思っていたのに、心の奥で小さく落胆。
 時間が経つに連れ、りーちゃんのように保志さんに絡めなかった自分にも落胆するが、結局、憐花には言い返すことはできなかったし、”あの時、あの時”と考えたとて、やっぱりできないのだ。そして、そういう自分を中学校を卒業するまで引きずることとなる。
 ”人間は忘れる生き物”と言っているのを聞いたことがあるが、全くその通りで、保志さんのいなくなった教室も通常運転で、一部の噂好きの興味はすぐに収束し、自分自身も次第に保志さんを思い出すことが無くなり、時が過ぎて行った、ということに気付いていなかった。
 そう、あれは多分保志さん。いや、絶対保志さん、間違いない。
 結構自分、過去写真から知人を見つけるのは一種の特技で、小学生ぐらいの顔からだと、後々の顔と比較して当てることは得意なのだ。まあ、大して何の役も立たないが。
 そうだよ~、遠目ではあったけど、なんだか美貌増し増しのお人形さんみたいというか、や~そうだよ、そうだよ、そうだよ~、マジか~。
 あれはこっちに気付いた?いや~、言ってもそんなに仲良かったワケじゃないし、こっちが勝手にクールビューティ―って心の中で呼んでて、キレイだな~とか思っていただけだから、偶々目が合ったんだろうな~。
 小学生だと、今ならそんな遠くに引っ越してなくても学区が違うだけで”遠く”と感じるから、もしかしたら保志さんもそのぐらいの距離の転校だったのかもしれない。
 りーちゃんに言ったら覚えてるかな~?
⦅ほらな~、脱線ワシのせいちゃうやんけ⦆
「は?何がよ」
⦅ワシのせいで勉強でけへんとか言いおってからに、オマエが勝手に脱線し
 とんのやんけ⦆
「は?もう終わったもん」
⦅あ~さいでっか。しっかし大前、ちぃさい頃からカスやってんな~⦆
 何を言うのかと思えば・・・
「ふん、どー-------せカスですよ、はいはい」
⦅お、認めた!えらいこっちゃ、地震来んでぇ、雷落ちんでぇ!えらいこっ
 ちゃ~!⦆
 オッサンが大袈裟にベッドの上を走り回るのを見ながら、正直このオッサンのことより、保志さんの元気な姿が見られたことがじわじわと嬉しく感じてきた。
 うん、ヨカッタ、ホントに・・・さ、寝よ。
 走り回るオッサンを無視し、布団をめくってベッドに滑り込む。
⦅何すんねん、オマエ~、覚えとけよ⦆
 はいはい、考え過ぎて疲れたし、寝る。
⦅おいっ!⦆
 知らない、知らない・・・
 
 今日はCUのファンミーティングの当落発表があり、相変わらず自分の運の無さにガックリ過ぎて、神や仏などというものをこれでもかとこき下ろして部屋の中で暴れかけたが、りーちゃんが当選だったので、一気に憑き物が落ちたかのようにスーっと落ち着き、暴れずに済んだ。
 それにしても、それにしても、それにしても、どこまでも無いチケ運に、いつか自分の人生自身に悪態をついて暴れるのではないか?とさえ思ってしまうこのリアル。
 りーちゃんいなかったら、行けなかったじゃん、自分(泣)
 模試も手ごたえはあったので、気分の良さの勢いそのままに、何となくファンミのチケットも当選になるんじゃないか!?などと淡い期待を抱いてしまったが、何が、ナニガ。
 この、『この度はチケットをご用意することができませんでした』という洗礼を受けてから、これから何回この滝業を受けなければならないのか。
 初めてのファンミですよ。中学生の時にお母さんを説得して、高校生になったら自分のお金であれば、という許可を得たというのに。
 そりゃね、りーちゃんが当たってくれたから行けますよ、嬉しいですよ。でもね、りーちゃんが当たらなかったら行けなかったワケですよ。ビギナーズラックとかあっても良くないですか?え?何だよ、自分にはビギナーズラックさえないのかよー----!!ですよ。
 Mutterを見たら、近場だけでなく他のところもエントリしたなどというファンもいて、4口エントリして3口当たったファンもいる。
 どういうこと!?何なんだよー--------!!イタっ!
 ・・・鉛筆・・・
⦅うっっっっさいなー-------!!ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃと。行
 けるんやからえ~~~~~~んちゃうんけ!⦆
「ちょっとぉ、鉛筆って結構キケンなんだからね!?目とかに入ったらどう
 すんのよ!」
⦅絶対入らへん。後ろから投げたからw まあ、後ろに目ぇあるんやったら
 知らんけどな~w てか、妖怪かっ!⦆
 ヒャッヒャッヒャッヒャッと頭の悪そうな笑い声で、机の上を転げ回っている。全く面白くないのに、バカじゃないの!?
⦅頭の悪そうって何やねん?頭の悪そうって、何で測んねん。アホちゃう⦆
「あーそーですねー、ハイハイ」
 あ、ここでこんなオッサンの相手をしている場合ではない。チケットゲットの後に、本丸が待っていることを忘れていた。
 次に立ちはだかる高い壁は、お母さんだ。高校に上がったらファンミに行ってもいいとは言ったが、それは、”いつでも、どこでも、誰とでも”を指すワケではなく、結局毎回毎回お伺いを立てないといけない。
 とは言え、今日は滝業の疲れがあるので、更なる修行を積むエネルギーはない。
⦅しょーもないことにエネルギー使うからの~ 笑⦆
 ハイハイハイハイ、もう何とでも勝手に言っててください。
 今日はその高い壁の帰宅がが遅くなることを聞かされていたので、夕食を取りながら録画してあるCUの映像を観るべく準備を進める。
 お母さんが書き残しているメモを見て冷蔵庫の中を覗き、すぐ目の前に小分けされラップをしてある器を見て、中を確認してからテーブルに置く。温めが必要な物はレンジに放り込む。
「え~っと、今日はちょ~っとぬか漬け食べたい気分~、ということで」
 糠床の入ったタッパーを冷蔵庫から取り出し、”うぉ、つべたっ!”と思いつつ、ちょっとずつねっとりした糠を掘り掘りしながら、適度に食べられそうな物を物色。
 お、これがいい感じに漬かってる~~~~~♪
 胡瓜を取り出して糠を洗い落とし、適度な大きさに切って小皿に乗せる、前に一切れをパクリ。
 ん~、んまっ♪
 いそいそと小皿をテーブルに置き、レンジから皿を取り出し、お箸を取ってテーブルに。
 録画していたCU出演番組をスタート。
 きゃー-----!!!!!!カッコいい~~~~~~!!!!! 
 お箸を手に持ったまま、歓喜に体を揺らす。初見でなくても、始まる度に毎度同じように声を上げる。
 何という至福の時。お母さんがいると、流石にご飯食べながら好きなものを観るとかは難しいもんね、フフ。偶にはこういう日も無いとね~。
 一瞬、高い壁を思い出し現実に引き戻されそうになったが、すぐに映像に頭も気持ちも持っていかれ、それどころではなくなった。
 ああ、何てシアワセ。油揚げ作った人天才。油揚げの卵巾着とか、卵と激しく相性いいよね~。
 きゃー-----!もうUの喋りがカワイ過ぎてどうしよ~~~♡年上だけど、カワイイとしか言いようがないw
 落選したことと高い壁のことを一旦忘れ、食べながら萌えポイントでキャーキャーを繰り返し、落ち着きの無い至福の時間を堪能していると、ポケットに入れていた携帯から音がし、映像を一旦止めて画面を開く。
『ユンジュン君、当選したって。日曜の第一部だから一緒だよー』
 あ~そーなんだ、良かったね~・・・って、何で日本人のあたしが日本のイベ外れんだよ~~~~~(泣)
 りーちゃんからのLINKに一気に現実に引き戻された。
 一瞬、自分の運の無さに挫けそうになるが、“いや、あたしも行けるもん”と言い聞かせてりーちゃんに返信する。
『やっぱしユンジュン君、運いいね~』
 やっぱし自分、運悪いね~。オコボレばっかし(泣)
 暫くりーちゃんとLINKやり取りをし、以前予告していたように、終わった後にお茶するのは大丈夫かと尋ねられ、CUへの思いをシェアできる機会を振るワケは無く二つ返事。
 特に、CUを愛する男子と話が出来るというのはとても貴重な機会なので、それを逃す手は無い。
 同性に好かれる人っていいよね~。
 一人ニヤニヤしながら携帯を傍らに一旦置き、再び再生ボタンを押す。
 いやー----!もうカワイーーーーーー!!どうしよ~~~~~!!
 ”どうしよう~~~~~!”と言ったところでどうにもできる物ではないが、勝手に口を突いて出てしまう。
 普段よりずっとゆっくりな食事状況で、こんなことをしているのをお母さんに見られたらチクチク言われるところだが、こういう日があってヨシ。
 ファンミーティングは当日にしか座席を知ることは出来ず、本人確認も実施されるが、学生の場合学生証だけでは受付けて貰えず、保険証まで提示を求められる。
 何を忘れても、財布と学生証、最後の高い壁はライブツアーの時よりはすんなり超えられたため、お母さんから渡された保険証を、これだけは忘れられない、と夜に準備、朝起きて確認、準備も全て整ってから確認、自転車置き場で確認。
 何度確認しても、実際忘れて参加できなかったファンの話を耳にしているため、“大丈夫”と言い聞かせても、自転車を駅に向かわせながら、斜め掛けしたカバンの中に左手を入れ感触で確認。実際、会場内に入ることが出来るまで不安は多少とも残る。
 今回のファンミーティングは、模試の結果もまずまずであったことと、ライブツアーではなく昼の間数時間で終わることもあってか、思いのほかすんなり高い壁から了承を得、保険証もすんなりと渡して貰えた。いつもこうならいいのに、と思わずにいられない。
 途中の道でりーちゃんと合流して駅に向かい、持ち物確認を再度した後ホームに向かう。
 同じ駅に同じファンらしき姿は見えないが、会場に近づくに連れ、それらしき姿がちらほら見えてくる。
 ライブの時ほど電車の中はファンで寿司詰めになることはないので、テンション上がり過ぎの雑音製造機の同胞も少ないし、一般の方々に心の中で“すいません”と呟かなくていいのは気分が少し楽。
 会場前に本日参戦組が集まり、受付が開始されるのを個々に待っているが、ライブと違って日時が分散されており、またファンミの箱が小さいので、長蛇ではあるものの一列に並び、近隣に迷惑がかかる程の大声ではしゃぐ声もない。
 今回は席運の乏しい自分が当たったチケットではないので、多少マシな席なのではないかという期待を持ちつつ、そうでない時は自分の会員番号を登録したからなのだろうと思うので、りーちゃんには申し訳なく思う。
 取り敢えずは多大な期待を持たないようと、やっとファンミに参戦できることを喜べと自分に言い聞かせる。
 というか、言い聞かせないといけない時点で、自分の心の狭さに落胆。りーちゃんがよく言う、”参戦できるだけシアワセだよね”の境地になかなか辿り着かない。どうやったらそこまで気持ちを持っていけるというのだ!?
 順番が回って来て本人確認が済むと、席が印刷された紙を2枚りーちゃんが受け取る。
 こういう時、普段は何の宗教に属しているかなど考えることも無いが、思わず“神様”と願を掛けてしまうのは、八百万の神思考が身に付いているためか。ただのクセか。
 時折自分でも“現金だなあ”と思うも、結局はその習慣は抜けることなく、寧ろCUのファンになってから頻発しているようにも感じられる。
 りーちゃんが受け取った座席の紙を覗き込み、二人で確認をする。
「・・・1階の・・・これ、どこ?」
「え~っと・・・真ん中辺り?行ってみないと分からないね」
「そだね」
 良席でないかもしれないことに落胆するでもなく、確実に残念な席と落胆するでもなく、ピンと来ない席番号に・・・無。ただただ席探しに会場の中に入って行く。
 最終的に席は良くも悪くもなくまずまずで、CUの繰り出す全てにアドレナリンからドーパミンからセロトニンにオキシトシンまで大量に分泌されたファンミーティング。
 箱が小さいので豆粒になることもなく、トロッコで動いても確実にライブより近い。
 彼らとの対決にステージに上がるような運は持ち合わせていなかったけれど、いつもは見られない更なる彼らの可愛さも、そして、いつも変わらずステキ過ぎる歌もダンスも最高潮で、計画を立てたスタッフに対しても、“ありがとう!!”と心の奥から自然と気持ちが湧き上がったファンミーティング。
 最高過ぎる!これは、今日はもしかしたら眠れないかも・・・ヤバっ!
 で、高揚感そのままに一日を終えられる、ハズだったのだが・・・何で思いつかなかったんだろう自分(泣)
 
 ファンミの高揚感に包まれながら、興奮を抑えながら見たこと、楽しんだことを最初から追いながら電車で移動し、りーちゃんに導かれて一つの店の前に辿りつく。
 何となく見覚えのある、いや、滅茶苦茶見覚えのあるこの佇まい。しかも、そこには列が出来ており、その列の人々はそこかしこにCUファンだと見受けられる物を携えている。
「え、マジで?」
「うん」
 りーちゃんを見つめると軽く頷き、感激の余りりーちゃんに抱き着く。CUが以前来たことのある、所謂”ゆかりの地”だ。
 うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~!ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい!
「少し時間に早く着いたから、もうちょっと待ってよう」
「うん、うん、うん、いつまでも待つ~~~~~!」
 りーちゃんが列ではない方に歩き出し、少し離れたところのお店全体が見える場所に移動した。
「並ばないの?」
「あ、予約入ってるから大丈夫だよ」
「え、マジで?何、ウソ、神!?ちょっとちょっと、りーちゃぁぁぁぁぁ
 ん!」
 再度りーちゃんに抱き着く。勢い激し過ぎて、りーちゃんがよろける。
 ああ何という・・・もう抱き着くしかないでしょ!ギューしかないでしょ!予約まで入れておいてくれるとか、どんだけ気が回るのよ~。Mutterでいつも見てるようなことが自分の周りで起きるなんて、大人の人たちがやることだと思って見てたのに、りーちゃん、実は見た目16歳の中身30歳とかじゃないよね!?
 携帯に保存しているこのお店の画像を探し出し、CUの2人が食された物を確認し、検索にかけて更に確認をする。なぜならMutterを見ていると、偶にそのメニューが限定モノだったとか、そのメニューが無くなったなどということが生じているので、チェックをしておかないと、店内に入ってからガックシ、は悲しい。
 暫くしてりーちゃんが”そろそろ”と合図をしてくれたので移動を始めたが、ここは予約が入っているので堂々と行けばいいのかもしれないが、なぜだろう?店の入り口に近づくに連れ、何となく”すいやせん”的に前屈み的歩きになってしまう。
 それに・・・何となく並んでいるファンからの視線を感じる。そちらに視線を向けてはいないが、何となく視界の端にちらーっちこちらを見てコソコソ言っている様子が入って来る。
 それはこちらに向けてなのか、全く関係ないのか、声はハッキリ聞こえないので明確ではないが、きっと”なに、あの子たち。ガキのクセに生意気じゃない?”などという、飛んで来たらカツーンとでも音がしそうな悪玉なんだろうなと思いつつ、ここは見ない、聞かない、知らない、知らない。
 という気持ちとは裏腹に、実は優越感が心の中にあることも事実で、それを考えるとまあ、それに実は気付かれていて、見抜かれていて、それで悪玉をぶつけられたとしても、それは仕方ないかも、とも思う。自分の性格の悪さを実感する瞬間。
 さりとて、ここは譲れない。絶対譲れない。ここは、先に予約を入れていたモノ勝ち。勝ち負けじゃないけど、ここは計画的に物事を進めたりーちゃんの勝ち!であって、オコボレヲ貰っている自分が胸を張るべきことでもない。ので、やっぱり前屈みで”すいません”の姿勢は間違ってなさそうだ。
 先を歩くりーちゃんが、やや重そうな木の扉を開けるとカランカランとっドアベルが鳴る。もうそれだけでワクワクが止まらない。
て奥から黒髪を一つにまとめ、真っ白のシャツに漆黒のエプロンを身に纏ったキレイなお姉さんが、爽やかな笑顔を携えて出てきて、“いらっしゃいませ”と言って会釈をする。
 何やらりーちゃんがその店員さんと話をしている間、窓辺に陳列している装飾などに惹かれ、思わずじーっと観察。なんとお店の雰囲気にマッチしたことか。
 一体どこでこんなモノを見つけて来るのだろう、これは日本のモノなのか?などと思いならが見ていると、りーちゃんに声を掛けられ、店員さんの後ろについて行く。
 店員さんの後ろ姿がキレイだったので、”細いな~、いいな~、髪もキレイだし”などと思ったり、お店の雰囲気が木の温もりMAXで思わずキョロキョロ。自分でも何となく落ち着きないことは認識しているが、弾け飛ぶ好奇心、とでも言っておこう。
 店員さんがい立ち止まったので、テーブルに着いたのかと思いきや、”すいません”と言っているのが聞こえ、何だろう?と思って後ろから覗くと、人がササーっと散るのが見えた。やっぱりなんだろう?
 店員さんが再び歩き始めてすぐまた立ち止まり、”どうぞ”と誘導されたテーブルに『予約席』の札。
 おお~、態々予約席札があるとか、こんなの初めてかも~♪
 りーちゃんに促された席に座り、荷物は下のテーブルのカゴに入れるようで、いそいそと言われるままに行動。全て促されるままに動いているのは、妙に緊張しているからというか、何だかソワソワして落ち着かない。
 そもそもこういうお店に友だちと入るなんて、ある意味初めてじゃないだろうか。いや、お父さん、お母さんとでも入ったことがない。こんなオシャレなお店も初めてかも。
 辺りをよーっと見渡すと、左右のテーブルの人と目が合った、気がした。
 りーちゃんからそっと耳打ちされ、”え!?”と自分でも驚くほど大声を出してしまい、羞恥心から縮こまる。
「ウソ、マジで!?」
 テーブルの下に潜ってしまいそうなぐらい低い姿勢で、驚きと感動と興奮が入り混じって頭の中が混乱を来たしている中、ようやくりーちゃんに小声で返した。
「そうだよ。で、こっちがCが座ったとこ」
「うぉ、マジで、やば~~~~~~~~~」
 周りからの視線は気のせいではなく、確実にこっちを見ていたことを自覚。”こんな小娘が~~~~~”ぐらいに思われているのではないだろうか。そして自分は”やば~~~~~”しかコトバが出ない。
「あ、ちょ、画像、画像!わ~、どうやって取ろう!?」
 まずは立ち上がってUの座った椅子を撮る。後から考えると、これじゃあただの椅子を撮っただけじゃん!?だが、CUが座っただけの椅子でも神々しいワケで。
 ただ“座っただけ”の席と、その向こうに見える残像を写真に収め、上機嫌で席に座ろうとした時、店員さんが少し離れたところで、お水の乗ったトレイを持ってその様子を眺めている。
 どうやら自分が画像を撮り終わるまで待っていたようで、一転して恥ずかしさがこみ上げる。そそくさと椅子に座りペコペコと謝意を示すと、店員さんは慣れている様子で、笑顔でテーブルに近づいて来た。お水を置いたところで、りーちゃんが注文はもう少し後からとお願いする。
 気を遣わてゴメンよ~、りーちゃん(泣)
 CUが座ってたのと同じポーズで画像を撮りたいと言ったら、りーちゃんも”そうしよう”と言ってくれたので、テーブルの反対側に行き、携帯を置いてセッティングをしようと再度椅子から立ち上がるが、りーちゃんにポンポンされたので、横に座るりーちゃんに視線を向ける。
「何?」
「もう来るから」
「はい?注文?」
 りーちゃんが自分たちが来た方を見るので、釣られてそちらに目をやる。
 じーっと見ていると、やっぱりさっきの店員さん。何かちょっとはしゃぎ過ぎたか。少し落ち着け自分。ということで、また一旦座ろう。
「注文決めてなかったけど、CUと同じもの!で伝わるかな!?」
「大丈夫だと思うよ」
「じゃ、Uの食べたのって言ってみよっと♪」
「コンニチワ~」
「あ、来た。こんにちは」
 ・・・ん?んんんんん?おおおおお~、お?これはドユコトデスカ?
「ハヤカタ デスネェ~」
「ちょっとだけ早く着いちゃいました」
 再びテーブルの下に潜りそうな勢いでりーちゃんを引きずり込み、頭を突き合わせてりーちゃんを問い詰める。
「ちょっとちょっと、どういうこと~~~~~!?」
「前に”お茶しませんか”の話したでしょ?ユンジュン君が来るからって、乙
 藤君がこの席が取れるように予約してくれたの」
 うぉー-------マジかー-----!!りーちゃんが、じゃなくて、乙かよー---------!!!!!めっちゃ感謝して損したーー--ー!!・・・って、乙も来てるってこと?
 恐る恐る顔を少し上げる自分に、サッと姿勢を戻すりーちゃん。ユンジュン君に声を弾ませて話し掛けるりーちゃんに、まだ顔を上げきれず、横目でユンジュン君の方を確認する自分。
 ・・・おるっ!乙もおるがなー------!!いかんいかん、ムンクの叫びみたいな顔、見せたら絶対ツッコまれる。どうする?どうする自分!?
 ユンジュン君たちに今の表情を見られないように、ユンジュン君たちと反対の方に顔を向けて表情調整を行うが、苦虫を潰したような表情にしかならない自分に手古摺る。
 眉間のシワを指で伸ばしてみたり、口角に両手を当ててグイっと引き上げたりしていると、ユンジュン君の声でこちらに挨拶をするのが聞こえた。
「あ、お久ですぅ~。元気ぃ?」
 何か、チャラい子みたいな、ふざけた軽い挨拶みたいになってるし、顔が引き攣る、顔が引き攣る。おお~、さっきまでユンジュン君の後ろにいた乙が、横に並んでるぅぅぅぅぅ。これは取り敢えず、2人の間に視線をやって誤魔化すしかないでしょー-----(汗)
 心の中で、ユンジュン君は問題ない、ユンジュン君は大丈夫だから、と唱えながら、口角上げ過ぎの作り笑顔で2人が席につく一連の流れを見続ける。
 あははは~、乙が目の前かよ~~~~~~。やーまーそーだよねー、ユンジュン君はりーちゃんと遣り取りしてんだもんねー、お友達だもんねー、おっほっほっほっほー、頬骨が疲労感じて来た~~~~~(泣)
 
 予想だにしなかった光景。と言うよりも、予想できたはずなのにしなかった、ユンジュン君と、そして乙が目の前にいる光景。
 ユンジュン君がいるなら乙もいる、ある意味当然ぐらいに思っておくべきだったのに・・・不覚。CUの座った席に座りながら、挙がっていたテンションがひゅんと音を立てて一気に下がるという・・・一瞬にして現実。
 りーちゃん、何故言ってくれなかったんだよぉ(泣)と今更言っても仕方ないし、多分、乙が苦手だってこと、りーちゃんは知らないんだろうな~、というか、多分理解できないだろうな~、梨穂菩薩だし。
 作り笑顔でユンジュン君に気を集中させながら、二人を心から迎え入れるかのように振舞う。が、りーちゃんは当然ながら自然なワケで、自分の態度の不自然さがユンジュン君に気を遣わせてしまわないかと、服の中で嫌な汗が流れる。
 おうふっ、き、気持ち悪い~(苦痛)
「二人は席、どの辺りだったの?」
 うんうん、りーちゃん話続けて、続けて。その方が気が紛れるぅ。
「エ~トデスネ、アノ~、ヒダリ・・・ノ、ツウロヨコ?アノ~、サク ア
 ッタトコロ?コースケ、アッテル?」
 乙にヘルプを求めるユンジュン君に”うん”と返答し、指でテーブルの上にステージ、そこから続く真ん中の通り道両サイドの柵を描き、自分たちの居た場所を示して見せる。
「え、めっちゃいい!!何それ!?イミフなんだけど!!」
 思わず言って体を乗り出した後、ハッとして口を両手で塞ぎ、そそと座り直す。
「いい席当たったね~。羨ましい」
「ハイ メッチャ イイセキデシタヨ~」
 ユンジュン君の屈託なのない言葉に軽快な笑いが起こり、その瞬間は少し自然に笑えた。が、しかしこの先どのぐらいの時間か分からないが、夢のような席のハズが、何故か椅子がまるで生け花の剣山。
 おお~、折角の席だけど逃げ出したい、たい、たい、たい!
「フタリィハァ ドコ スワテマシタカ?チカカッタ~ デスカッ?」
「2階3階の人達から比べたら、アリーナだったし、良い方だよね」
 りーちゃんも席を示し、こちらに賛同を求めてきたが、不意打ちだったため、一瞬間が開いて”あ、うん、だね”と気の抜けた返事を返してしまった。
 店員が注文を取りに来て、先程話をしていたように先にりーちゃんが”Cがのメニュー”と言ってみたところ通じたので、りーちゃんが”いけたよ”と言ってくれ、本来ならそこで”キャ~!じゃあUのメニューで!”と勢いで言っちゃいそうだが、剣山の上に座っているものだから、すぐに反応できず。
「あ、あのっ!えっと~、ゆ、Uのメニュー・・・で」
 声が上ずった~~~~~~~~~!乙に弱みとか握られたくないのに、やっちまった~~~~~~~~~!!
 心の中では、椅子から勢いよく立ち上がり、頭を抱えて”うぉ~~~!”と叫んでいる。
 そんなことは知るや知らずか、ユンジュン君と乙もCUメニューを頼んでいる。
 いかんいかん、と気を他に向けるべく周りを見渡すと、ほぼほぼ同じ物がテーブルに乗っている。まあ、当然と言えば当然。彼らが食したものと同じものを食し、気持ちを同じくしたいのがファンの心理。
 聖地となっている店は、ファンが多く訪れると推測される日にはその材料ばかり山ほど仕入れているんだろうな、などとどうでもいいことを考える。いや、ふと思いついて考えることができる。
 女子のカオスな雰囲気の中を何とか生き抜く中で、このようにしてぼっち感とか疎外感とかの感度を下げて、その場を乗り切ってきたのは伊達ではない、と思う。ただ少し違うのは、女子に嫌われたくはないが、男子に嫌われたくないとは思ったことがない、ということ。さりとて・・・
 店内が高揚感と幸福感で充満しているように見え、自分もそのハズだったのに、と小さく溜息を吐く。
「すーちゃん、疲れた?」
「あ?いや、ぜーんぜん!CUに会えたんだよぉ!?ん~なワケないじゃん。
 初めてのファンミだし、も~最高だよぉ!ライブの時より近いしさ~」
 出てくる、出てくる、相手が誰でもCUのことになれば次々と思うことが出てくる。この状況では沈黙のほうが地獄だ、と思うと、余計に矢継ぎ早に次々と出てくる、出てくる。このまま突っ切ってしまえ!
 りーちゃんに同意を求めたり、視線をあちこちに飛ばすには大きなジェスチャーが最適と、どこぞの芸人さんに”欧〇か!”とツッコまれる自分を想像しつつ、ややヤケクソ感ありありで喋り続ける。
「お待たせしました~」
「あ、ありがとうございま~す!」
 料理を運んで来てくれたことではなく、インタラプトしてくれたことに対して思わず出たコトバ。マジでありがてぇ~(泣)
 店員さん2人が注文を確認しながら、それぞれの前にプレートを置いて行く。
 抹茶あずきのシフォンケーキの横にホイップにハーブが飾られ、ストロベリーレアチーズケーキには、お皿も含めたデザインのように苺ソースで模様が描かれていて、すばるはその可愛さに目を輝かせる。全てを置き終えた店員に梨穂子が何かを耳打ちし、笑顔で頷いた後に軽く会釈をして去って行く。
「ニホンノ コーユー サービッスゥ イイデスネェ~」
「へ?」
 まさか、キレイなおねーさんがスタッフ、っていうとこじゃないよね、ユンジュン君。
「どの店に行ってもおしぼりがあるなんて日本ぐらいだし、カフェで店員が
 会釈して去って行くなんて、他の国だったらよっぽど高級なお店しかない
 しね」
 あ、そこね。
「そう言えば、私も聞いたことある」
 自分もそういうのはネットで読んだことある。けど、乙の言葉に素直に反応することができず、取り敢えずりーちゃんの言葉に頷いておく。何だか首振り人形みたいになっている。
 りーちゃんが店員さんに画像を撮っていいか聞いてくれており、それを確認するとポケットから携帯を取り出し、目の前のプレートを画像に収める準備をし始めると、阿吽の呼吸でりーちゃんがスッと体が画像に入り込まないよう避ける。
 2人の前にサーブされたプレートを画像に収め、今度はりーちゃんのために画像に入り込まないよう体を避ける。それがどこのテーブルでも行われる。
 なので、許可を取らなくてもOKかなとは思ったが、そこはりーちゃん、ちゃんと店員さんに聞いてくれている。
 最初はそれが面倒で、りーちゃんからその提案をされてもすぐには聞き入れていなかったが、ある時Mutter上に店員として仕事をしている人の呟きがRMされ、“今日、撮ってもいいかと聞いてくれるお客さんがいて、何か嬉しかった”とあるのを見たことや、許可を得ず撮ることでトラブルとなっている人の話などを見たことがあって納得し、それからはできるだけ店側に確認するようにしている。
 ただそれも、“CUのファンはマナーがいい”と思われるよう、CUのためになっている自分に酔っている部分もある。ということにも自分にでも気づいてはいるが、”マナーがいい”と思われるように、のところを強調しておきたい。
「ユンジュン、ホットコーヒーとミルクティ、どっちがいい?」
「ン~・・・ミルクティ カナ?」
「ん、じゃ、こっちね」
 乙がミルクティをユンジュン君の方に寄せ、ホットコーヒーを自分の方に持って来る。乙とおそろにならなくて良かった。
 と思ったのも束の間、シフォンケーキはユンジュン君、チーズケーキは乙の前。
 え、乙とおそろとかイヤなんですけど(泣)
「ジャア タベマショッカ?ジャ イタダキマ~ス」
「いただきま~す」
 ん~、もうここは食べるしかない、飲むしかない、身も心もCUに向けろ、自分の空想、妄想力を発揮しろ!
 TVで見た食べる前の2人のトークなどを思い返し、食べ始めたタイミングと同時にチーズケーキの鋭角部分をフォークで切り、少しの苺ソースをフォークで掬って乗せ、一口目をそーっと運ぶ。
 レアスフレのくちどけとチーズの酸味と甘みの絶妙なバランス、そして甘酸っぱい少量の苺ソースの味が交差することにより、少しずつ味の形を変えていく。
「うまーい!!やだ~、りーちゃん、ヤバいよ、美味しいよぉぉぉぉぉ~~
 ~~~。ね~ね~、食べて、食べて!」
 思わずりーちゃんの腕を掴み、ユサユサと揺さぶる。
「ヤダー ハ イヤデス デショ?????オイシイ デモォ イヤデスッ
 カ?」
 ユンジュン君に聞かれ、思わずユンジュン君の方に顔を向ける。不可思議な動物を見るような目(と、勝手にこちらが思っている)。
「え?え~っとぉぉぉぉぉ・・・」
 そんなこと一々細かく考えて喋ってないから、よく分からないんですけど~(汗)
 取り敢えずニコっとだけ笑って見せ、りーちゃんに目でヘルプを訴える。
「ユンジュン。最近の日本はね、若年層、若い世代は“ヤバイ”でいろんな驚
 きを表現するんだけど、女子は更に“ヤダ~”も同じように使うんだ」
「ハア~ア。ジャア オドロクゥグライィ オイシカッタ デスネ。デモ
 オンナノコガ ツカウ デスカ。ニホンゴ イパイ イロイロ タックサ
 ンノォ ヒョゲン ガ アルゥノニィ モッタイナイデスネ?」
「ホントに」
 ホントに、じゃねーし。いいじゃん、別に。何なん!?
「英語に訳せない日本語も沢山あるって言うもんね」
 え~、りーちゃんまでそっち!?(泣)
「すーちゃん、シフォンもスゴい美味しい♪食べてみて」
 りーちゃんは通常運転で、こちらに抹茶あずきシフォンを寄せる。
 うん、もうここは乙のことは置いておいて、シフォンに集中だ。TVで見た映像を思い返し、Cの食べている姿を自分に憑依。
 シフォンケーキをフォークで切ろうとすると、ふんわりした感覚の中に微かに感じる反発があり、それに逆らい更にフォークに力を入れる。
 シフォンケーキとはまた違う柔らかさを持ったホイップを少し掬い、切ったシフォンにフォークを入れ、そろそろと口に運ぶ。ふわっとにふわっとが重なり、鼻から抜ける抹茶の香りと微かな苦み、小豆の味と微かな甘味、軽い爽やかなホイップが一気に和洋のどちらをも感じられる、不思議な感覚。
 恍惚・・・ん~、美味しい♡どっちも美味しい♪
 美味しさを全身で感じ、体が踊りだしそうなのを抑えながら、頭の隅で不意に”ヤダー”と言わないよう、引き出しに突っ込んで南京錠を掛けてみる。
「オオ~ オイシイデスネェ ウワァ」
 声のする方に目をやると、ユンジュンが抹茶あずきシフォンを食べながらケーキをまじまじと見つめている。
 男子でもこんなにスイーツに感動するんだ。そう言えば、CUも美味しいモノを食べる度に同じようなリアクションしてるな。あっちの人はみんなそんな感じなのか?それに反して、乙のこのリアクションの薄さ。感動とかするのか、この人種は?
 いやいや、乙のことなんてどうでもいい。何と言っても、CUの座った席でCUの食べた物と同じものを食しているワケですよ。もう気分はCUと一緒の時間を過ごしているのと変わらないワケですよ。頭の中はお花畑で、もう花びらなんて舞いまくっているワケですよ。二人の残り香まであるんじゃないかとまで思っているワケですよ。
 自分がそっちに浸っている間、りーちゃんがユンジュン君の話す日本語を話すペースに合わせながら話をしており、乙はどちらかというと、ユンジュン君が一生懸命日本語を喋ろうとするところをサポートしているといった感じ。
 りーちゃんはユンジュン君と話をしていて楽しそうだ。とってもいいことだ。乙が日本語サポートしていれば、適度に話もできるハズ。良い光景だ。
 そして自分には、乙が目の前にいても存在だけそこに置いて、空想、妄想で自分は違う世界にいることができるという能力がある!乙がいても大丈夫、自分なら乗り切れる!
 
 一人、空想、妄想の世界に入り込むつもりだったが、結果的に、いつもはあまり直接には聞く機会の無い、同性目線で話すCUの魅力に聞き入ってしまい、最終的に、乙の存在としてはともかく、最後は大満足のまま聖地での時間を終えた。
 聖地である店の外には、まだまだ後からやって来て順番を待つファンで列が成されている。
 イベントやライブがなくても来られる距離に住んでいるファンは別日でいけるが、ここぞとやってきたファンにすると、またいつこっちに来られるか分からないので、待ってその空気を味わえるのであれば自分だって並ぶ。
 自分の好きなアーティストのことしか分からないが、きっと、他のアーティストのファンたちも、何かイベントがある時のゆかりの地の外には、例外なく同じ光景が作り出されていると思う。
 特にライブのある時は、列に並ぶことが好きだと言われる日本人と共に、海外からの参戦組も根気強く並んで待つという意味では、これさえも一種のイベントかもしれない。待つことだって楽しい。
 ユンジュン君は今日帰国するとのことで、フライトの時間を考えて解散した。高校生でファンミに海外に出ることができるとか、一体何者なんだか、ユンジュン君。
 ドラマに出て来るような(と言っても、殆ど見ていないが)財閥の息子とか、金銭的に融通が利くだけでなく、一人で日本に飛ぶことに関して、親が絶大な信頼を置くような親子関係ができているのだろう、と思う。
 少し羨ましい。いや、かなり羨ましい。
「すーちゃん、乙藤君大丈夫だった?」
「え?」
 ユンジュン君たちと別れて歩き出してから少しして、突然りーちゃんかあら直球が飛んで来た。
「すーちゃん、もしかして乙藤君、苦手なのかな~って」
 え、わかるぅ!?まあ、顔に出るよねぇ、隠し切れないよねぇ。
「あー、うん、まあちょっとそう・・・かな?ん~、喋り方・・・とか?」
 だけじゃないけどね。
「どっちかというと淡々と話すもんね」
「ん~・・・」
 淡々とというか、冷淡々というか。
「ま、今日は乙藤君のお陰でCUの席にも座れたし、ヨカッタ、ヨカッタだ
 よ」
「それは確かに」
 そこは否めない。今頃まだ店の外に並んでいたかもしれないし、CUの座った席に座れず終わった可能性は鬼高いし。何か仮を作ったみたいな気がしないでもないが・・・
「それに、ユンジュン君に日本語喋らせてあげようと、ずっとフォローして
 たの見たら、結構面倒見がいい人かもしれないよね」
「んー、まあそーなのかなー」
 と一応言っておこう。というより、りーちゃんはユンジュン君とお話できて楽しかったハズ。乙のせいでその気分を台無しにするのは違うよな~、ということで・・・
「いや~、楽しかったよね~。スイーツも美味しかったしさ~」
「ホントだよね」
 乙から引き離せ、引き離せ。
「他の聖地とかも行ってみたいな~」
「全国にあるから、大学生になったら行こう」
「え~行く行く~♪」
 よっしゃ、乙から離れた~、ヨカッタ~、ヨカッタ~、CUの話に専念、専念。行きたい聖地、リストにしておかなきゃ~。
 というか、今回でよく分かった。Mutterとかを見ている時は、”いいな~”ぐらいにしか思っていなかったし、遠い遠い、自分には無縁な話だと何となく思っていたが、一つ行き出すと次々行きたくなるのね~、ヤバい、ヤバい。大学生になったらバイトでしっかり稼がないと。
 地元の駅を降り、駐輪場に向かう。一回100円は恐らく一般的だと思うが、お母さん曰く、昔は今ほど自転車が多くなく、駅前にこんな駐車場などなく、無料でズラっと停めていたそう。
 無料は学生にとっては有難いが、平日のあの駐輪場に見える夥しい数の自転車が今の駅前に停められることを考えると、停められそうなところもあまりないし、道路が埋まってしまうのでは?と思うので、有料で駐輪場があるのも仕方がないと思う。
 遊べそうなぐらいスペースの開いた休日の駐輪場。今小1や小2ぐらいだったら、ちょっと走り回ってみているかも。いや、もう小学生ではやらないか。
 小学生と言えば・・・ 
「そう言えばね~、りーちゃん、小4の時一緒だった保志さんって覚えて
 る?あの憐花たちが”キラー”とかって呼んでた・・・」
「あ~、うん、覚えてるよ。すごく大人っぽい、いつも本読んでた子だよ
 ね。確か、急に引っ越しちゃったよね」
 あ、そう、りーちゃんはそっちで表現するよね。何で自分はすぐマイナスの方言っちゃうかな~(泣)人間性だよ⤵
「うん、そう。それがこの間ね・・・」
 りーちゃんに、先日それらしき人を見かけた話をしてみた。
 引っ越した先が激しく遠方でなく、学区が違うぐらいや、隣の市ぐらいならそういったこともあるかもしれない、と言う。
 確かに。もう高校生なので、一人で電車に乗って違う土地にも行けるし、下手するとユンジュン君みたいに海外まで行く子だっている。小学生だって、遠方の私立に行く子は一人で電車に乗って通学するワケだから、何も不思議なことはない。
 久々に懐かしく感じてやって来たかもしれないし、人違いかもしれない。でもそこから、最近見かけた小学校の同級生の話で盛り上がる。
 派手になった子、逆に陰キャっぽくなっていた子、全く変わらない子、中学を卒業してしまうと更に散り散りバラバラになるので、今や会うことのない子が殆ど。
 たまたま同じ学区に住んでいたから偶々同じ学校に通い、学校の決めたクラス分けで、偶々同じ教室で一緒に過ごすことになるだけ。
 その偶々の中で考えて考えて、努力して努力して何とか学校生活を送ってきて振り返ってみれば、今や関わりがないという・・・何だったんだろうな~、あの時間は。
 と言いながら、今過ごしている高校生活も、後々は同じようになっていくんだろうなとふと思う。それでもやっぱりハブられたり、ボッチに耐えられる自分かと聞かれればそうではなく、穏便に3年間を過ごし、大人数でなくていい、数人だけでもずっと続く、思い出話ができる友だちが残ってくれたらいいのになと思う。
 家の玄関のドアを開けると、サンダルとお母さんのパンプスがあるので帰宅しており、一応”ただいま~”と帰宅を伝えて自分の部屋に向かう。
 帰りに何度も今日のイベントを回想し、りーちゃんと別れて自転車を漕ぎながら再び今日のファンミを回想し、漕ぐに連れ気分が高揚していき、そのままの気分で帰宅。
 CUの曲を鼻歌で歌いながら、自分の部屋のドアノブに手を掛けた瞬間、その手が止まる。
 今日のように気分が高揚していると、決まってオッサンはそれを潰しに掛かって来る。また出てくるぞ(正確には、オッサンの声や姿が認識できてしまう)と身構える。
 とは言え、そのまま部屋に入らないわけにもいかず、取り敢えず部屋のドアを少し開け、荷物をそろっと扉横の椅子の上に置いてキッチンに向かう。
 お母さんが洗濯物を畳んでいる後姿があるが、どう見ても外出をした服装のままで、いつも外出から戻るとすぐに着替えるのに珍しい。
「ただいま」
 再度声を掛けると、お母さんの背筋がピクンと伸び、全く気配に気付いていなかった様子が伺える。
「ああ、お帰り」
 嫌味の一つでも言われるのかと思ったが、何も言わない。
 お母さんは無意識か否か不明であるも、時々その時の気分によって、ライブやイベントなどのことを言うとミョーな嫌味を言う。が、今日はまた違う空気が母親を取り巻いている。
 冷蔵庫の中から冷えたどくだみ茶のボトルを取り出してテーブルに置き、マグカップを棚から出して注ぎ、レンジに入れて温める。まだ冷茶を飲むには寒すぎる。
 ボトルを冷蔵庫に戻す時にビニール袋に入ったパックが見え、“お、今日は『崔さんのチャプチェ』とわかめ玉子スープで決まりだ”と心の中で喜びつつ、反面、今日はお母さんも何か忙しかったのかなどとその後ろ姿を見つつ、立ったままお茶を飲む。
 お母さんはTVも点けず淡々と洗濯物を畳み続けているが、何となく妙な雰囲気を醸し出していることが感じられたので、飲み終わったマグカップをささっと洗い、食器乾燥カゴに伏せて部屋へ戻る。
 しまった・・・
 先程、あれほど警戒して部屋のドアを開けて荷物を置いたにも関わらず、お母さんの様子に気を取られ、心の準備なくドアを開けてしまった。
 椅子の上から荷物が引っ繰り返して落とされており、ベッドの上にペンライトをバットのようにして振り回している小さいおじさんがいる。
 あ”ー----------------!!!!!!!何しやがるっ!!
 
⦅ひゃっほい!⦆
 ひゃっほい!じゃねーわー。ペンラで遊ぶなよ。
 オッサンに対してもだが、荷物を椅子の上に置いた自分にも落胆。溜息を吐きながら、散らばったモノを取り敢えずカバンに入れていく。
 転がっているもう一本のペンライトを手に持つと、2人の楽しそうにカッコよく歌い踊る姿が頭に浮かび、勝手に顔の表情筋が緩み、気付くとニタニタと締まりの無い顔でペンライトを見つめる。
⦅キモイねん⦆
「うるさい」
 このようにして、いつもオッサンの声で現実に引き戻される。
 再び片づけを始め、散らばった物の中から今日行ったカフェの名刺を拾い上げ、4人でした会話を思い出しながら、再び片づけ離脱。
⦅お~、とうとうオトコマエと逢引かぁ⦆
 あいびき・・・肉じゃあるまいし、いつの時代なんだよ。自分は偶々知ってるけど、そんな化石言葉、通じるかっつーの。しかも、そんなんじゃないし、ウザ過ぎ。
⦅ひゃっひゃっひゃっひゃっ⦆
 ひゃっひゃっひゃじゃねーわー。
⦅でえとやん、でえとー⦆
「違うしっ!」
⦅照れんでもえ~や~ん、え~や~ん♪⦆
 しつこい。と思ったとて止まないから、反応しない、反応しない。いや、反応しないと思ったとて反応はしてしまうから、取り敢えず早く片付けてしまおう。
 オッサンが現れて(というか見えるというか、聞こえるというか)から暫くは、ただ闇雲に現れるだけかと思っていたが、次第に、勉強に集中している時には全く聞こえず、寝ている時も悪戯の痕跡はあっても起こされることもない。
 そして、携帯をいじっている時やCUのことを考えている時は、“これでもか”というぐらい横槍が入るが、必要に駆られて使っている時は全く現れない。
 そのほか、オッサンの手により部屋が散らかされている時は、お母さんが持って来た洗濯物がベッドや椅子の上に置きっぱなしになっている時で、流石にツアーTシャツを椅子に被せられ、MサイズがLサイズばりに伸ばされていた時は激高したが、オッサンにぐちゃぐちゃにされると後が邪魔くさいので、洗濯物が戻って来るとすぐに直している。
 ある意味、落ち着きのない猫を部屋で飼っている、ぐらいに思えば、それもまあ何とか乗り切れるが、帰ってすぐ荷物だけ部屋に置いて、戻って来たら散らばっているとなると、流石に可愛くもないオッサンを家猫妄想でスルー致しかねる。
 明日またいつも通りに朝のミニテストがあり、今日参戦した分を夜に集中して取り戻さないといけないが、高揚した気分を勉強に向かわせるのはなかなか難しいであろうことが推測される。
 ま、どうせきっとまたオッサンに阻止されるか。じゃ、せめて晩御飯、お風呂の時は今日のファンミの幸福感に浸ろっと♪ もしかしたら、CUが夢に出てきちゃうかも!?
⦅大丈夫や、阻止したる⦆
 見てる夢まで分かるワケないじゃんと思っているすばるは、せめて夕食、入浴の時は今日のファンミーティングの幸福感に浸ろう、と一瞬また離脱しそうになる意識を片付けに集中させる。
⦅おおっ!見える、見えるぞ~、オトコマエの姿が!お店を予約してくれる
 とか、ツレのフォローをさりげなくできちゃうとか、もう惚れるしかない
 やろ~!⦆
 聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。
⦅オトコマエってツレ思いやの~。いや~、オトコマエやな、いやいや、ほ
 んまオトコマエやな~⦆
 聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。オトコマエじゃない。
⦅感謝のないヤツって、しーゆーやらとかにも嫌われるんちゃう。あんなけええ思いさせてもろてやな、オマエ、さいっっっっっ悪やな⦆
「はあ!?ちゃんと”ありがとう”ぐらい言いましたけど!?」
⦅”ぐらい”て。しかもイヤイヤ言うたクセに、よう言うわ⦆
「”ぐらい”っていうのはただの言葉の綾じゃない。お礼はちゃんと言いまし
 たー」
⦅へん!ライブで会った人には、”きゃ~、もうありがとうございますぅぅぅ
 ぅぅ!”とかアホみたいなテンションで率先して言うクセに、今日なんか梨
 穂ちゃんがサラっと言い始めたから、”やべえ、自分も言わなきゃだ~(汗)”で言うたやろ⦆
「・・・いや、そんなこと」
⦅いや、あるね~。オマエ、ねちこいねん。そもそも、オトコマエの言うこ
 とは間違うてないのに、指摘されたら”イヤなヤツ”言うて、ほんで今日め
 っさ恩恵受けといて率先してお礼言われへんて、どんなけ性格悪いねん⦆
 ・・・そこまで言わなくても(怒)ていうか、口の悪い下品なオッサンに言われたくないし。
⦅性格悪いオマエに言われたないわ。そうやってな~、ワシに口悪いとか下
 品なとか言うて、自分の性格の悪さ誤魔化そうとすんなや⦆
 あー腹立つわー腹立つわー(棒読み状態)と言ってもどうせワケ分からん持論で何倍にも返されるのもウザい。ザっと片づけたらご飯食べよう。
 ファンミーティングも終わり、その余韻に浸る間も無くCUの活動が韓国内にシフトされ、その様子をSNSやMutterでチェックする日々。時折寂しく感じつつも、上がってくる画像や動画に日々狂喜乱舞。
 もうすぐ学年が上がるという現実を見ないようにしながらも、季節が進むことで否が応でも実感させられる中、CUが表紙になった雑誌が発売されるとFCからアナウンスがあり、学校が終わるや否や、そそくさと自転車を飛ばしていつものショッピングセンターに向かう。
 喜びの反面、既にFC更新のお知らせが来ており、またお金が飛んで行く妄想が頭の中に浮かぶが、とにかく雑誌をお迎えする事実だけを喜ぼうと、頭の周りに飛ぶ妄想を追い払う。
 3Fのエレベータ横の本屋へ向かい、ここにあるだろう場所に行き雑誌を探す。
 きゃー!あったー!!!や~ん、かあっっっこいぃ~~~~~!!どうしよぉ~、ヤバーい!!
 雑誌の山の中で一際輝く(ように見えている)表紙の2人を、じーっと見つめる。見つめる、とにかく見つめる。これでもかというほど見つめる。
 あ~~~~~かっこいい~~~~~♡ 神はどうしてこのような造形の人間を作ったのか。というか、この2人が神♪
 まだ手に取らず、とにかく雑誌の山の表紙を上から覗いて崇め、そろそろと雑誌を手に取ろうとした瞬間イヤな記憶が蘇り、雑誌を手に取る前に、用心深く周囲を見渡す。
 いないよね、うん、よし。
 深呼吸をしてから再び雑誌の表紙を見つめ、ここで中を一瞬見るか、結構大きい雑誌のため、また手から滑り落ちるという失態を運悪しく乙なんかに見られたら最悪なので、ここは中を見ず、サッサとお迎えして家にお連れするかを考える。
 記事自体は購入後家でゆっくり読むにしても、先にページを開いて素晴らしい造形の被写体を拝みたい衝動に駆られ、置かれた雑誌を捲ろうとする。
 が、再びあの忌々しい映像が頭に浮かび、ここは危険を回避するのが一番と、一つの山の上から三冊目を手に取り、傷がなさそうなのを確認してレジへ向かう。
 雑誌の入った袋を大事そうに両手で抱え、本屋の境目から一歩出たところで、右方向から声を掛けられ、声のする方向に顔を見遣る。
 ん?んんんんん?え、クールビューティ―!?
 少し前に食品売り場で見掛けた、長い黒髪のアーモンドの黒目が印象的な人物が目の前に現れ、ただ立ち尽くす。
「あの・・・森北さん、ですよね?」
「え、あ、はい。あの~・・・」
「よかった~、間違いじゃなくて。あたし、保志陽子です」
「保志・・・ようこ・・・?」
 えっえっえっ、誰ー-----!?クールビューティ―のお姉さんか妹かなんか!?軽くパニック。
 頭の中で記憶を引っ張り出そうと試みるが、頭の中がカオス。一転して不信感。自分の目の前で何が起こっている!?
「あの~、小学校の時、ちょっとだけ隣の席だったんですけど・・・」
 えと、えと、えと、や、保志綺良凛さんはそうだったけど、”ようこ”さんは存じ上げませんが、どちら様でございましょうか。
 保志さんと名乗る女子がハッとした表情をした。恐らく、こちらの動揺や不安感を感じ取ってのことだろうと思われる。
 その表情の変化も本当に薄っすらで、あまり大きく表情を変えない感じでも、ハッとしたことは分かる。見た目はやっぱりクールビューティーっぽいのだけれど・・・
「あ、ごめんなさい。名前変えて・・・同じクラスだった時は、綺良凛でし
 た」
 あ~~~~~~~、名前変えたの~~~~~、ビックリした~!勿論覚えてますよぉ、先日見て、そうかな?って思ったぐらいですよぉ~~~~~。そうか、そうか、名前変えたとかの可能性もあるのに、まーったく頭に浮かばなかった、テンパり過ぎでしょ~~~~~~、自分。
「あ、はい、あの、勿論覚えてます!」
 うわ~、声が上ずった~~~~~!というか、何か分からないけど、めっちゃ緊張してるぅぅぅぅぅ!
「ホントに?嬉しいです」
 少し照れたように首を傾げ、揺れる黒髪と黒目の艶から、“キラララン☆”という音が頭の中に響く。
 おうふっ!く、クールビューティー。嬉しむ姿も麗しや。何か高校生という年齢になって、キレイに磨きがかかってるわ、やっば、この透明感!
 というか、自分と会って”嬉しい”とか言われるとか、CUのファン友さん以外でもいるなんて、何か自分に起こっていることじゃない感覚。どうした、何が起こっている、自分!?明日死んじゃうとか、ないよね!?
 保志さんから”少し話ができないか”と聞かれ、思わず“うん”と頷き、保志さんはここへ殆ど来ることがないと言うので、3Fの一番隅にある、外が一望できるガラス張りの前の壁に並んだ椅子に向かう。空いていることを祈る。
 今日はラッキーなことに2席以上空いている。心の中で”よし!”とガッツポーズ。空いてなければまた探さないといけないし、今日は偶々、本当に偶々裕子さんに用事があって、英語の日が変更になっている。ので、放課後がフリー。
 ”今日は用事があるから、また”というのはかなり、非常に、激しく勿体ない気がするし、お互いの現状が分からないので、次また”少し話できないか”の機会が得られるか分からない。もしかしたら、偶々短期でこちらにいるだけで、滅茶苦茶遠方に住んでいるかもしれない。
 などと、いろいろなことが頭を駆け巡り、結論としては、この折角の機会を逃すと絶対後悔するだろうということ。なので、まずは椅子が空いていたことは幸先が良い。
 
 椅子に座ると、保志さんが“ちょっと待ってください”と椅子の上に荷物を置き、どこかへ行ったと思ったら暫くして戻って来る。
 手には緑茶とストレートティーのペットボトル。どちらがいいかと聞かれ、少し迷って”ありがとう”と伝えてストレートティーを選んだ。ペットボトルは温かく、何よりも、保志さんの、手渡す手、指先さえも麗しく・・・
 何てこった、同じ人間なのか?
 ペットボトルを受け取ると、ペットボトルの温かさであるにも関わらず、保志さんの手の温もりが伝わっているような、アニメのような妄想の中にいて、手の平から体の芯まで行き渡ると、”ほっこり”という文字が頭の上に浮かび上がる。恍惚・・・
 が、ペットボトルを眺めた時にハッと我に返り、お金を払おうとカバンの中から財布を取り出したが、自分が誘ったので、と静止された。普段、そんな対応をされることがないので、一瞬怯む。
 何度か払うことを伝えたが、何度も拒否をされたので、あまりしつこいのもどうかと思い、財布をカバンの中に戻した。
 これは良いのか?奢り、奢られはあまりすべきでないと幼少期から言われて来たし、大人からでなく同級生。良いのか?何となく、悪いことをしているような気分なのは何故だ?
 先程の”ありがとう”は、気の利かない自分の代わりに態々買って来てくれたことに対してで、まさか奢って貰えるなどと、これっぽちも、微塵も、ミクロも思っていなかったワケで。
 小学生の時と同じく左側に座る保志さんは、そのほっそりとした姿に小学生の時の面影を残してはいるが、到底同い年とは思えない出で立ち。年齢、誤魔化してませんよね?
 思わず見とれていると、“あのね”と保志さんが口を開いた。
「この間、食料品売り場で見掛けて、もしかしたらって思って・・・でも、
 今日こうして会えて良かったです」
「え、あ、あたしに・・・?」
 ”会えてよかった”ですってぇぇぇぇぇぇぇぇ!?聞いた、オッサン!?聞いた?聞いた?あたしに”会えてヨカッタ”なんて、ファン友とかりーちゃんのおばあちゃんとかにしか言われたことないですのよ、マジですか!?
 そこに”うん”と保志さんに頷かれ、声には何とか出さずではあったが、心の中では”うわ~~~~~~”と声を挙げ、花が舞う中で小躍りをする自分がいる。
 昇天してしまうのではないかという錯覚に陥りそうなふわふわした心地に包まれながらも、次にどのようなリアクションを取っていいか分からず固まる。
「あの~、住友さんもお元気ですか?」
「あ・・・りーちゃん?はい、元気です、元気です、あの、相変わらず良い
 人です」
 何言ってんだ、自分。
「あの~・・・大輝君と大河君は・・・」
「あ~、あ、2人とも元気だよ。2人とも中学から私立行っちゃって、特に大
 河なんてただの調子乗りかと思ってたのに、結構賢かったという落ち(笑)」
 あれ?ちょっと貶してる感じで印象悪い?こういう時、近況ってどういう情報伝えるのが正解!?というか、何話していいか分からないー----!
「そうなんですね。皆さん、元気そうで良かったです」
 クールビューティ―を横に、緊張と久々感による妙な距離感にそわそわしつつ、取り敢えずまず頭に浮かんだ”同い年なので敬語無しで話せないか”そ提案。
 保志さんは、”ついクセで”と苦笑しつつも快諾。
「クセ?」
「あ、今仕事してて、職場ではずっと敬語だから・・・」
「え、仕事!?何の!」
「え~っと、あの、看護助手してて」
「へ?」
 看護助手?看護助手って何!?看護師の助手?????と考えていると、先に保志さんが言葉を発した。
「あの・・・ずっと、いつか森北さんに会えたらお礼が言いたかったか
 ら・・・会えてヨカッタ」
「えーーーーーー!?あた、あたしぃ!?」
 え、何、なに、ナニ!?あたし、何かそんないいことした!?悪いことはしてないと思うけど、ドユコトデスカ!?
 自分では見られないが、超絶驚いた、可愛さの欠片もないような表情になっているであろう状態をどうしたものか、というこちらの懸念とは裏腹に、保志さんが”どこから話しをしたらいいのか分からないんだけど、聞いてもらってもいい?”と言うので、うんうんうんうんと超高速で頷いた。
 その当時、保志さんは母親と2人暮しで、その生活は荒れていて、母親を説明するとしたら、パチンコとアルコールの人。
 母親は毎日お酒、休みの日にはパチンコ、家事も殆どすることなく家の中はぐちゃぐちゃで、保志さんは物心ついた時から自分で洗濯をし、お米がある時は自分でご飯を炊き、冷蔵庫の中にあるものを食べて過ごしていた。時には、母親が買ったつまみしか無い時もあり、空腹から手をつけようとすると、母親から怒号と物が同時に飛んで来て阻止された。
「でもうちの母親、給食費だけは何とか払ってたの。それこそ外面は良かっ
 たから、そういうところで疑われたくなかったんだと思う。払ってないの
 に食べてる、って言う子もいたけど、それだけはなかったの」
 保志さんが少し微笑んだ表情が、こちらには余計に心苦しかった。確かにそんなことを言っていた子がいた記憶があったが、その当時、そういうことを言う子は直接言わずコソコソヒソヒソなので、保志さんも態々言い返す機会がなかったのかもしれない。
 保志さんにとっては、唯一まともに取れるのが給食で、その当時はちゃんと給食費を払ってくれているのは母親の愛情だと思い込んでいた。が、諸経費に関しては何故か母親に言えず、いつも自分で工面していた。今思えば、言えなかったのはやはり、母親の浪費癖を知っていたから。
 母親がパチンコに買った時は機嫌が良く、大量に食料や菓子を持ち帰り、毎回ではないが、時折保志さんにも”小遣い”と言って千円~1万円渡して来た。保志さんはその度に、いつ払えなくなるか分からない学校の諸経費のため、母親に絶対バレない場所を見つけて保管し、未払いも回避していた。
 時折、母親がパチンコで負けて更に酔っぱらって機嫌が悪い時は、保志さんに渡した“小遣い”を返せと攻め寄り、手を出されることも少なくなくなかった。
「でも、少しずつ知恵もついて、少しでも渡せば機嫌が直ることもわかって
 からは、そういうことも減ったんだけど(苦笑)」
 ”だけど(苦笑)”じゃなくてー----!めっさ児童虐待じゃないですかっ!うちのも結構怒ったらヤバいけど、ちょっとタイプが違う(汗)
 日用品が足りなくなっても、母親は気まぐれに自分が気づいた時にしか買わず、保志さんが成長する中買い替えが必要な物を訴えても機嫌のいい時しか聞いて貰えず、隠していた小遣いと、母親は酔っぱらうとお金や小銭をテーブルに適当に置くことがあり、それを拝借してはそれで調達していた。
「でも、本当にどうにもならなくて、一度小2の時に100均で万引きしたこ
 とがあるんだけど、今考えたら、挙動不審な小学生が1人いたら、誰でも
 不審がるのにね」
 ”ね”じゃなくて、何でこんなに淡々と話してるんですかー!とツッコみたいが、保志さんの美しい横顔と話が掛け離れ過ぎて、イマイチ頭の中が混乱気味。
 結局、保志さんは店員に見つかり、母親の電話番号を聞かれるも答えず、咄嗟に、母親の仕事場の電話番号も知らなかったので、渋々学校の担任の名前を告げ、担任が店にやって来て対応してもらった。
「先生には申し訳ないと思ってたんだけど、母親にだけはバレたくなかった
 から」
 自分でも、お母さんにバレた後、あの金切り声で怒鳴られ続けることを考えると、一番バレたくないので、何となく言わんとすることは理解できる。
 その時の担任は女性で、部類としては優しい方。名前を聞いて、確かその当時30代で、子どもが1人いる先生だったと記憶。
 結局、その先生はお店に対応してくれた上に、保志さんが盗ったワケを聞いてそこでそれを購入してくれて、他に必要そうな物も買いに一緒に行ってくれたそう。
 それって自腹なんだろうか、学校がどういう組織かよく分からない学生ではあるが、TVでよく見る”経費”とやら扱いにして貰えるものなのだろうか。なんてことは聞けなかった。
 その担任は、困った時は万引きではなく担任に言うよう優しく諭してくれた。
 靴下に穴が開くと頑張って自分で繕い、下着のゴムが切れると自分でゴムを入れ直し、ヨレヨレになっても履き続けるも限界が来て、その担任によって使い古された下着たちが新調されても母親は気付かなかった。なぜなら、保志さんは自分で洗濯をしていたから。
 保志さんはその担任にもいつかお礼を言いたいそうだが、今どこで勤めているか探しようがないと言った。確かに、あの先生は自分が小5の時、第2子を妊娠したとかで産休に入ったのは覚えているが、それ以降どこにいるのかは知らない。
 そのほかにも、母親はお酒により被害妄想が酷くなることがあり、暴言と物の壊れる音が壁の薄いアパート中に響き渡り、住人達が駆けつけ保志さんを助けてくれたりした。
 母親が機嫌がいい時は、パチンコに勝った時と彼氏が出来た時。彼氏が出来ると彼氏の家に入り浸り、家に時々帰宅する程度で、またお金を置き、再び外出。
 保志さんは暴れる母親がいないことに安堵し、母親がいなければ部屋が荒れることはないので少しずつ片づけをし、一人暮らしのような生活をしていた。
 寂しさよりも、お金が無くなっていくことの不安のほうが強かったと話してるけど、一人暮らしというより放置子ですよねぇ!?え、それって先生たちは知ってたのかな!?
 何度か母親が保志さんに可愛い服と靴を購入して帰宅した時があったが、それは母親に彼氏ができ、結婚したい相手と週末合わせる時だった。
 その時保志さんは幼いながらに、母親がこの男性に気に入られたくて自分を着飾らせ、良い母親を演じようとしていたことを認識し、母親に喜んでもらおうと、その男性の聞かれることには母親の印象が良くなるよう自分なりに考えて答え、最後まで笑顔で時間を過ごした。
 そういう日は母親も一日中機嫌が良く、母親の笑顔が続くならと、保志さんもその男性とうまくいくことを望んだ。が、隠したところで性根は変わるはずもなく、結局”結婚したい相手”と結婚に至ることはなかった。
 パチンコ、アルコール三昧の保志さんの母親がどのようにその性根を隠そうとしたのかが気になるが、ギャンブルやお酒は根本治療が必要だと聞いている。話を聞く限り高校生の自分でさえ、まあうまくいくワケないよね、と思ったが、うまくいかないと母親は保志さんのせいだと激しく罵倒したということで、まだそんなに多くを聞いていないハズなのに、保志さんの母親にイラっとする。
 そういう生活の中で、男がいないと母親はやっていけないのだろう、自分が存在すること自体が母親にとっては害なのだろうと受け止めていたそうだが、何か・・・どっかで似たような話を聞いたことあるような、ないような・・・
 
 そんな中、アパートの右隣に住む高齢の女性が保志さんのことを気に掛けてくれていて、母親がいないことを確認した上で時折食事に呼んでくれた。
 以前、その女性の家で食事をさせて貰ったことを知った母親は、自分を侮辱したと保志さんは激しく罵倒し、それを知った女性は、母親がいない時を見計らって保志さんに声を掛けてくれた。
 そのアパートを離れなければならない時は涙を流して見送ってくれて、“またいつでもおいで”と言ってくれた。その女性が現在ケアハウスで生活していることを後に大家さんから何とか聞き出し、今は時々そのケアハウスを訪れ、話をしたり、食事に出掛けたりし、恩返しをしている。
 そんな生活の中で、保志さんは学校では友達を作らないようにしていたと聞き、思わず”え?”と言ってしまった。友だちがいないことの不安がない・・・?
「友達ができると必ず家族の話が出るでしょ?私、作り話とかできるタイプ
 じゃなかったから・・・それなら、友達いない方が楽だったの、何も聞か
 れなくて済むから」
「あ、な~る・・・ほど」
 友だちがいない方がいい・・・楽・・・衝撃。いやまあ確かに、親が離婚するか否かの時とか離婚直後とか、仲いい家族の話をされるのは辛かったし、家族のこと聞かれると辛かったけど、それを上回って友だちがいない自分、ぼっちの自分の方が辛いと思ってたからな~・・・いや、衝撃。
 クラスメイトの一部が、陰で保志さんを「キラー」と呼んでいたことも、あることないこと噂していたことも知っていたが、保志さんはそんなことよりも、学校を終えて帰宅した時の母親の状態を考えるほうが不安だった。
 保志さんにとって学校の図書室は、自分が住む世界とは全く違う世界が広がっており、現実を忘れることができる唯一の場所だった。そして、本を借りるのに金銭は発生せず、自分の置かれた状況を考えずに済む。
 といった話を聞いているうち、友だちがいらないと思っていた保志さんに話しかけていた自分、物凄く迷惑な存在だったのでは?と思った途端、血の気が引いていくのを感じた。
「でも・・・」
 でも?
「私、クラスで浮いてたでしょ?服も同じ物着てることが多くて”汚い”とか
 言われて。母親がいない時でもちゃんと洗濯はしてたし、シャワーもして
 たし、”ママ”にやって貰ってる子たちに言われたくないって思ってた。1人
 でも別に困らないって思ってたけど、特に体育の時の”ペアになって”は困
 るというか、ペアでやることに関しては1人ではどうしようもなかった
 し、担任によってはそれを見て困った顔するのがいたから鬱陶しいなって
 思ってて。でも、森北さんと住友さんと同じクラスの時はいつも“一緒にや
 ろう”って声掛けてくれて」
「え?・・・あ~、いや~」
 自分が赤面していくのが分かり、耳が熱い。
 いやいやいやいや、勝手にクールビューティ―なぞと呼んでいたなんてバレたらちょっと恥ずかし過ぎますが。何と反応すればいいのだ!?
「友達作らないと思ってても、私を気に掛けてくれている人がいるっていう
 のは、やっぱり嬉しかったんだと思う」
 うわ~、”嬉しかったんだと思う、思う、思う、思う、思う・・・”が頭の中をエコー!落ち着け、じぶーーーーーーん!あんまり褒められたことのない自分には、何だかむず痒い。
「それに、住友さんのお誕生日、私にとっては一番の楽しかった思い出な
 の」
 え、え、え、マジで!?え、あの無理くり誘った感じの、あのお誕生日会?ですか?
 保志さんの記憶しては、このようなものだそう。
 りーちゃんのお誕生日会には、普段の生活では体験することのない家族の姿があり、活字の世界に現実逃避の日々の中、本の中で読んだことがあるような世界が目の前に存在している。
 クラスメイトがいて、大輝、大河という無邪気な兄弟がいて、自分に向けられる柔らかい心に戸惑いつつも、家族や友達として過ごした時間。
 そして、りーちゃんのお母さんはとても気を遣ってくれて、いきなりBBQではなく、胃に優しい物から食すよう取り計らってくれたり、要所要所で水分を摂るよう促してくれたり、帰りには、残った物とその他冷蔵庫にある物などを大きなタッパー二つに詰め、保冷剤と共に持ちやすいように準備をして持たせてくれた。
 その日は、保志さんの中では沢山食べたほうだったのに、更に食料を持たせてくれ、面食らった。でも、そのお陰で暫くまともな食事を取ることができたと言う。
 りーちゃんの誕生日の少し前から夏休みが始まり、給食が食べられない分家で食事を取らなければならなかったが、再び母親が彼氏のところを行き来するようになり、お金を置いて行く時もあれば無い時もあった。
 基本的には冷蔵庫の中にあるもの、母親が置いて行ったパチンコの景品のお菓子などを少しずつ食べ、何も無くなると隠しておいたお小遣いで、出来るだけ少額で何かを買って凌いでいた。丁度その時は、隣の高齢女性は親戚の家に出掛けていて、食事に誘われることもない状態だった。
 母親が帰宅すると部屋の中が荒れるので、暑さで片づける気にもならずその部屋をボーっと眺めると空虚感に襲われ、気付いたら外を歩いていて、その時にりーちゃんの誕生日にと声を掛けられた。
「森北さん、“これたべた?”“これオイシイよ”“これ食べてみて”って次々持っ
 て来てくれて、すぐお皿がいっぱになっちゃって」
「そ、そうだっけ~・・・」
 思い出してフフと笑う保志さんと、その一方でやっちゃっている自分を想像し、苦笑。
 何となく思い出して来たが、大分、結構、相当恥ずかしい。微塵も思い出さなかったとしても、自分がやっていることは想像に難くない。
 喋ってみたくて仕方無かったから、多分それで次々持ってったんだろうな~、恥ずかしいぃぃぃぃぃぃぃぃ。ここにオッサンいなくてヨカッタ~。絶対イジられまくってる(冷汗)
 保志さんにとってそれも楽しい記憶であること、自分とりーちゃん、大輝君と大河の4人で途中まで保志さんを送って行き、”ここまででいい”と伝えた所から先を歩き、振り返って見てみると、4人がずっと手を振ってくれていた姿を今でも覚えている、と大人が遥か遠い幼少期を思い出すぐらい遠くを見つめ、話をしている。
 保志さんが帰宅後は、楽しいと感じた分ギャップが激しく、家のドアを開けた瞬間に現実に引き戻されたが、持たされたタッパ―の存在は無視し、“あれは夢だったんだ”と自分に言い聞かせた。
 母親は彼氏の家と行き来をしていたため、りーちゃんの誕生日のことも、食事を貰って帰ったこともバレずだった。が、或る日母親がいつも通り酔ったまま帰宅し、更に酒を煽り被害妄想を炸裂させ、終いには“殺してやるー”と叫びながら包丁を振り回し始め、保志さんが止めにかかる。
 その声に驚いたアパートの住民が警察に電話をし、暴れる母親はやって来た警察に拘留され、保志さんは警察経由で児童相談所に連れて行かれた。
 児童相談所は初めてではなく、以前にも母親が警察にお世話になった時に一度行っていた。
 暫く一時保護扱いだったが、母親は入院することになり、最終的に保志さんは施設入所、転校を余儀なくされた。
 保志さんはそれまでも一人で生活しているような状態の日もあったが、以前、“だから大丈夫”と伝えたところ、母親のネグレクトが疑われ、回り回って最後は母親の怒りの矛先が自分に向けられることを知ったので、今回はそれを言わずに素直に従った。
 あの夏休みが終わった後、保志さんが転校したのはそういう事情があったのか、ということを初めて知った。
 
 母親が退院の際、母親は保志さんとの生活を懇願し、保志さんもそれを受け入れたので、児童相談所経由で一緒に生活するためのプログラムをこなし、再び生活を始めた。が、基本的なことが変わるワケはなく、結局荒れた生活に逆戻りし、母親が再び入院。
 それを繰り返すうち、児童相談所も小学校卒業までは施設で過ごすことを提案。母親は児童相談所に対し、何度も電話で怒号を浴びせていたが状況は変わらず、結局小学校卒業まで施設で過ごした。
 中学生で母親の元に戻ることになり、最初は保志さんに食事を作ったり、洗濯をしたりと母親を演じてみたものの長くは続かず、元の木阿弥で、今度は自分から施設入所を選んだ。
 施設の居心地が良かったワケではないが、大学は無理でも高校は卒業しておきたいという気持ちから、勉強ができ、睡眠が摂れる環境を選んだだけだった。高校を卒業しておきたい理由は、最終的に、自分が母親の面倒を看ないといけない、自分が養わないといけない、そのためには就職をしないといけない、そういう思いが頭の隅にあったから。
 幸い、時折TVで聞くような、施設スタッフからの虐待だの性虐などはなかったこと、同じ施設の中にいる子たちとも取り立てて仲良くなることもせず、ただ只管勉強をしていた。勉強をしているとあまり人は話し掛けて来ず、同じように勉強をしている子との関わりのみになり楽だった。
 施設のスタッフにも特に心開くこと無く、差し障りのない、最小限の関わりだけを保った。保志さんの心を覗こうと寄って来る職員も居たが、他に手の掛かる子たちもいたからか、次第にそれも無くなった。
 が、受験を考える頃になり、先輩たちからいろんな情報を得る中、自分なりにいろいろ考えていたところ、再び職員が頻繁に関わって来るようになり、煩わしさを感じるようになった。
 受験なので進路を決めないといけないということもあり、仕方がないと思っていたが、ある日、偶々通りすがりに職員たちが話している内容が聞こえてきて合点がいった。
 保志さんの成績だと公立のA高校(って、その学区内でトップの高校ではないかっ!)は堅いと言われ、合格すれば自分たちの評価が上がるのだと。”評価って何!?”と思い、聞こえて来た話を総合し、自分を何かに利用しようとしているんだということは何となくわかった。
 実は公立のB高校(と言っても、その学区内で2番目ってことではないかっ!)を狙い、そこで勉強を頑張って大学の推薦を得、返還不要の奨学金を獲得しようと施設にいた先輩の話などを参考に考えていたところ、職員がA高校を受けさせよう、受けさせようとするのが分かり、結局A高校を受けるしかなくなった。
 母親も含め”大人なんか”、と何となく大人の事情に使われることに抵抗を感じ、職員の希望通りにA高校を受験し、結局、出鱈目な回答を記入して不合格にした。
 え~~~~~~!?もったいな~~~~~いっ!と声に出しそうになったが、態と不合格にしたということだから、それをするとイヤがられるかもと思い、言葉を飲み込んだ。
「・・・お、おお~、何か・・・思い切ったね」
 こ、この言葉で大丈夫だった?何が正解!?
「何かイヤだったの。あたしの為じゃなくて、というか・・・自分たちの評
 価?みたいな。もう大人は誰も信じられないって思ってたし」
「はあ・・・」
 まさかテストに出鱈目を記入したなどと職員は知るはずもなく、愕然としていたが、保志さんはその姿を見ても特に何も感じなかった。
 二次募集などもあり、職員も説得もあったが、どうせ自分の希望は通らないと思い、話をすることも面倒で授業もないので、施設を出て家に戻ることを希望。
 母親は相変わらずの生活をしていたが、保志さんは正社員は見つけられなかったもののアルバイト2つを掛け持ちし、家にいるより仕事をしているほうがいいと思い、仕事と家を往復の日々。
 母親は夜の仕事なのであまり関わる時間はなかったが、明け方酔っぱらって帰宅する母親によって生じる騒音に起こされ、朝から母親の介抱をし、布団に寝かせてアルバイトに出掛けなければならなかった。
 アルバイトのお金も家に入れろと母親に言われ、半分以上を家に入れていたが、それでも最低限必要な物は自分で購入することができ、母親は相変わらず暴言、物を投げるなどの暴力はあったが、保志さんが成長したこともあり、児童相談所が来て一時保護された時のような生活を送ることはなかったので、これで何とか過ごせると思ってやってきた。
 母親は次第に保志さんのお金を当てにするようになり、夜の仕事にも行かなくなった。家では気付くと財布からお金を抜き取られ、家に戻る時は財布を小銭だけにしていると怒り狂い、ある日の夜遅くに、とうとう母親に幻聴や興奮状態が現れ救急搬送。
 救急搬送された先で、母親がアルコール依存症により肝障害と糖尿病を発症していること、アルコール専門医受診も必要であることを告げられる。
 一旦、救急搬送されたところで入院はしたものの、お金のことやその他諸々どうしたらいいかが分からず、かと言って相談できる大人もいない。その間、アルバイトにも穴を空けてしまい迷惑をかけ、辞めなければならなくなった。
 入院中に寝ている母親を見てボーゼンとしていると、病院のケースワーカーという人が声を掛けて来て、それ以降、家庭環境や収入状況、保志さんの気持ちetc.いろいろ話を聞いてくれ、大人は信頼できないと思っていた保志さんだが、お陰で母親の入院関係に関しては何とかなることになった。
 少しホッとした時に、ふと、病院の壁に貼ってある『看護助手募集・年齢不問』の紙が目に止まり、仕事内容をネットで調べ、どこに言えばいいか分からなかったが、取り敢えず受付に行った。
「すごい行動力だね~」
 いや、マジで。
「バイト辞めなきゃいけなくて、収入なくなるから必死です(笑)」
 あ、クールビューティ―が笑った!う~ん、こんな話の中、非常識だけど・・・美しいなあ~・・・
 受付に行き張り紙を見たことを伝えると、受付は驚いた表情の後で、苦笑した表情で“未成年の方はちょっと・・・”と返すも、何度も”年齢不問と書いてある”と食い下がると、受付の人が内線で誰かを呼んだ。
 暫くして、白い大きなフリルのブラウスに、ライトグレーのジャケット、黒の揺れるロングスカートを身につけた上品な感じの女性が現れ、保志さんんい微笑み、“こちらへどうぞ”と言われるままに付いて行った。
 会議室のような場所に案内され、導かれるままに入り口付近の椅子に座る。何を言われても引き下がらないと腹を括っていると、その女性が志望の動機を聞いて来た。
 ”聞いてくれるんだ”とそこからその女性の誘導により、現状や今考えていることなどを必死で伝え、結局、必死過ぎて何を話したのか覚えていない。
 ただ、今看護助手をしているのはその女性のお陰で、その女性は実は院長の“奥様”で、病院での採用は”奥様”が担っているのだそう。
 “奥様”の見立てが凄いのか職場の人たちは皆良い人で、最初は言い知れない違和感や心地悪さを感じていたが、まだ働き始めて1年も経っていないのに、仕事は大変だが、看護助手として仕事ができていること、そこで働けていることに感謝をしている、と話す。
「何か、自分のことばかり話をしてしまってごめんなさい」
「あ、いや、そんな・・・」
 逆に、自分なんかにして良かったのか?と思うぐらいの内容なんですけど。ただ、途中で何度も”どこかで聞いた感”が・・・気のせいか?
 というか、それよりも何よりも、結構山盛りな話をこの短い時間で整理して話せる保志さん、やっぱり頭いいんだ。高校行ってないのか~、勿体ないな~。
「あ・・・あの~看護助手?・・って、看護士と何が違うの?」
「看護助手は、医療行為無しで、いろんなお手伝いをするんです」
 保志さんは現在やっている仕事内容を簡単に説明し、奥様の勧めもあって、今は看護士を目指しているとそう。
 仕事は社員として雇ってもらっているので、仕事をしながら高校卒業認定試験を受ける予定で、給付型奨学金を受けられるよう勉強も頑張る、と保志さんが話すのを聞きながら、”地に足付いてるな~”と、自分のイケてなさを再度確認。
 その勉強も“奥様”の計らいで、分からないことがあれば“長男さん”が時間の合う時に教えてくれることになっており、“次男さん”は同学年であることもあり、“奥様”を通して授業のノートのコピー受け取り、休日にはそれらで勉強をしているのだと言う。
「何か、いい人達だね」
「本当に院長家族に助けられて、自分は幸運です。感謝しかないです」
「幸運・・・」
 え?でも・・・既に結構、波乱万丈な気がする・・・などと言い掛けたが、やめておこう、余計な一言だ。
「お母さんといたら仕事も勉強もできなかったと思うから」
「あ~・・・」
「保志さん、頭いいもんね」
「そんなことないよ。本読むか勉強するかしか、現実逃避する方法が無かっ
 ただけで・・・」
 勉強が現実逃避とか、スゴ過ぎるんですけど。自分の現実逃避・・・妄想、空想ぐらいしかないかな~・・・(苦笑)
 今は、再び母親が戻ると元の木阿弥となることが予想されるとアドバイスを受け、“奥様”の勧めで、病院側の借り上げた女性単身用マンションに一人暮らしをしているそう。
「ひ、一人暮らし!?マジで!?」
 うわ~、一人暮らしとか憧れるけど、今できるか、と聞かれたら・・・ちょっと自信ないかな~・・・
 母親はその病院は既に退院しており、別の病院に入院中だそうだが、アルコール依存の治療は長期に渡ることや、何度も挫折をする人も多いこともあり、退院しても現住所を伝えず、まずは保志さんの生活基盤を作ることを提案されているのだとか。
 この辺にくると、”そうなんだ”としか言えないというか、もうワケの分からない世界。
 ”奥様”曰く、母親が寂しそうな様子であっても、一緒に住みたいと泣いても、母親に何かあったらどうしよう!?、という気持ちがあっても、共倒れになっては意味がない、と。
 共倒れ・・・何だ、共倒れって!?と思ったが、もう聞いたところで話に付いて行けないのでやめておいた。
 何にせよ、保志さんは滅茶苦茶な母親であっても、施設に行くほどの状況にされた母親であっても見捨てることはできず、それどころか滅茶苦茶心配もしていて、与えられた状況に感謝して、一生懸命目の前のことをこなしながら、目標も持って頑張っている、ということだ。
 自分の目に狂いはなく、やっぱり保志さんはクールビューティ―だったということだ。自分の見る目、スゴくない!?
 
「あ、あの~・・・ちょっと聞いてもいい?名前変えたのは・・・」
「あ~・・・変えたというよりも、通称を」
「ああ」
「何かキライだったの、普通のどこにでもある名前が良かった。目立ちたく
 ないのに“ホシ キラリ”なんて・・・冗談としか思えないよね。子どもの
 ことなんて何も考えてない」
 ん~確かに。”ホシ キラリ”って、カーストの上にいたら”カワイイよね~”って言われそうなのを、逆だと”ホシ キラリだって(笑)”とか、陰で”キラー”と呼ばれたりってなっちゃうんだろうな~。名前って・・・
「病院でも”えっ?”って振り向かれるし、目立つような名前付けるなら、目
 立ってもいいような生活環境整えてくれれば良かったのに」
 や、正に正論でございます。自分が同じ名前だったら、絶対絶対絶対いじられてる。多分、耐えられない。
 自分の名前は、”え、男の子の名前じゃないの?”と聞かれるぐらいで特別変わった名前じゃないし、男子に”くるみ”とか”ひまわり”とか”さくら”って子いたし、そういう意味ではヒエラルキーに影響がない。
「あ~、それで“ようこ”に。どんな字書くの?」
「太陽の“陽”に子どもの“子”。って言うと照れくさいんだけど・・・」
「ううん、いいと思う」
 太陽の”陽”、日の当たる所、清いとか澄むとか、確かそんな意味だったと思う。いつだったかな~・・・何かTVのクイズ番組で見た、”陽”の意味。
「ホント?」
「うん」
 おおうっ!クールビューティ―が微笑む度に、キレイ過ぎて固まってしまう。ん~~~~~眩しい。もしかして自分て、滅茶苦茶オッサンなのでは!?
 保志さんはこちらのパニックに気付いていない様子で、“ありがとう”と言って再び外へ視線を戻し、ペットボトルのキャップを開けて口を付ける。
 指もほっそ~い・・・何と羨ましい・・・いやいやだからー、ヤバい、ヤバい、マジでオッサンになってしまう、自分。
 頭を左右に軽く振って我に返り、ソファーを座り直して同じようにペットボトルの蓋を開け、ゴクゴクといこうとしたが、クールビューティ―のキレイな飲み方を見て、そ~っと飲む。
 ペットボトルはあっという間に冷めてしまうので、なかなか冷めないボトルとかできないのだろうか、などと考えながら蓋を閉める。
 既に外は真っ暗で、目の前のガラス張りの全面に、まばらに歩く人の姿が映っている。
「あの、でも、何でって言うか、その・・・そんな大変な話、あたしに?」
「あ・・・ゴメンなさい。本当はここまで話すつもりなかったのに・・・重
 かったでしょ、ゴメンなさい」
綺良梨がすばるの方に向き直り、頭を深々と下げる。黒いストレートの髪が艶やかに揺れる。
「あ、全然大丈夫、ホントに。そういう意味じゃないの」
 慌てて、保志さんに顔を上げるよう促す。
 いや、マジで一回近からず遠からずなのを耳が覚えてるから、ホントに。
 あ~、あたしってバカだ~、やっぱりバカだ~、全然大丈夫なのに、ホントに大丈夫なのに、もぉーーーーー、クールビューティーに謝らせるとか、
最悪だー、こんな大変な話してくれたのにぃー----!
「いや、あの、そんな大事な話、あたしなんかにしてもいいのかなって思っ
 て、いや、あの、ホントに」
「ゴメンなさい、ここまで話すつもりなかったんだけど・・・森北さん、優
 しいから」
「え、あた、あたし!?いやっ、そっ、そんなことはないと・・・思・・・
 うけど・・・」
 あ、あたしが優しいですってぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーー!?オッサン、聞いてる!?あたしが優しいですってー!!いつもボコボコにされてるばかりじゃねーぜ、ふんっ!
「ううん。席が隣りだった時も」
「席・・・」
「教科書、わざと忘れてるんじゃないかって・・・先生がそんな感じのこと
 言ってたことがあって。”仲良くなろうとしてるんだと思うよって”」
 んがーーーーーー!!うっそーーーーーーーーん!!そ、そんなこと、先生分かってたとしても言うかー!?は、はず、ハズいーーーーーーーーー!!先生、バカじゃないのーーーーー!?それ言うかーーーーー!?もう耳から湯気出てるしっ!服の中、汗だくだしっ!!あー---もうっ!!
 頭から顔から恥ずかしさが噴出し、体は硬直、背中に滝汗、口の中は乾燥地帯。何か言おうにも言葉にならず、全身がパニック。恥ずかしさでプスプスと音を立てて燃えカスになりそうな状態。
「あの当時は、毎日ただ生きてるだけだったから深く考えるエネルギーはな
 かったけど・・・施設に行った後も時々思い出すことがあって・・・あ
 あ、あたし、嬉しかったんだな~って」
 自分の頭がボン!ボン!と爆発を繰り返し、何とか状態の収拾を図ろうと、思わず両目を瞑り、両手で耳たぶを横に引っ張り、意味不明な行動を取る。
「ずっと、いつか会えたらお礼を言おうと思ってたから・・・良かった」
 頭が機能停止になりかけているところに、更に保志さんの微笑みが降り注ぐ。
 いや、ホントにマジでヤバい。恥ずかし過ぎて意識が飛びそう・・・何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、こんなワケわかんない行動してたら、変な人と思われるーーーーー!!良い思い出にされてるのに、何てことー----!
 折角こんなに喜びが溢れ出そうな言葉をかけてくれているのだから、何とか気持ちを返さなければ、と気持ちを立て直し、漸く何とか保志さんの方に顔をやり、何とか微笑み返した。
 お~、絶対、顔引き攣ってる、引き攣ってるの、絶対バレてる~(泣)何か言え、オレーーーーーーーー!!そうだ、喜びだ!喜びを伝えろ!
 何とかバレない程度に深呼吸をし、一瞬目を瞑って口を開く。
「ホント、偶然でも・・・会えて良かった」
 すばるは漸く言葉を返せたことで、全緊張感は解けないものの、バレないように小さく安堵の息を吐き、初めて息が止まっていたことに気付く。
「ううん、偶然じゃないの」
 は?何、なに、ナニ!?どういうこと!?待ち伏せ?態々探偵雇った?いや、そんなワケはないから、え、どこから?????
「この間、食品のところで見かけてその話を奥様にしたら、制服がコウスケ
 さんと同じ学校だって聞いて」
 んーーーーーーーーと、あのーーーーーー、その、同じ学校の制服で、名前がコウスケで、親が医者!!いや、”コウスケ”なんて他にもいるかもしれにない名前だ。親が医者の”コウスケ”、他の学年にいるかもしれない、かもしれない!けど、この流れ、嫌な予感しかしませー---ん!!!
 恥ずかしさで爆発していた頭がス―っと血の気が引いたようになり、これが山なら、垂れ流したマグマが流れながら冷やされて石になっているであろう状況。
「奥様が聞いて下さって、コウスケさんから、今日の夕方、この本屋にいた
 ら会えるかもしれないって伝言貰って」
 あっはっは~ん、間違いないよね~、そうだよね~、そんなところで繋がりとかいらないんだよ~、マンガかよ、おい!!
「あ、そ~なんだ~~~~~、あはは~、その“コウスケさん”ってCUのファ
 ンのだよね~」
「よくは分からないんですけど、今日何かの雑誌が発売だから来るだろうっ
 て」
 そーだけど、そーだけど、そーだけどー----!行動読まれてるとか、イヤ過ぎて泣く。
「そっか~~~~~、その病院で働いてるんだ~~~~~」
 精一杯笑顔のキープに努める。が、きっと引き攣っている。滅茶苦茶引き攣っている。よりによって、よりによって、よりによってヤツかよー-!!
 ああ、愛するCUの雑誌発売日だからと、へこへことここに出没。アイツの予想通りに動いてる自分がバカ過ぎて(泣)
 保志さんに余裕ができたら、今度はりーちゃんも一緒にお茶しようという約束をし、保志さんとショッピングモールで別れた。
 携帯は最低限利用のものでLINKやMutterはできないとのことなので、電話番号とメールアドレスをお互い交換した。
 LINKとMutter使えないとか、今の自分なら無理だな~。CUの情報得られないし、チケ探しもできない。ファン友も今の自分にとっては、掛け替えのないない存在。保志さんは、自分を持っててすごい。やっぱクールビューティーは、見た目から根っこからクールビューティなんだな~。見た目と中身に齟齬を来たさない。
 自転車を飛ばしながら保志さんとの会話を思い出し、ニヘラニヘラと締まらない表情になったり、途中でヤツの顔が邪魔をし、苦虫を噛み潰したような表情になったり。これが日中なら、目撃した周辺の人間はモーゼの海割り状態だったに違いない。
 
 保志さんとの会話をリプレイしているだけであっという間に家に着き、一瞬自分の部屋のドアを開けて鞄とコートをドア横の椅子の上に置き、そのまま一旦トイレに向かう。手を洗ってから再度部屋に戻り、まだオッサンの声が聞こえなていない間に部屋着に着替える。
 いつもなら真っ先に部屋で雑誌を拝むところだが、今日は何となく先にご飯を食べてしまいたい気分。気も漫ろなので、雑誌はいろんな気持ちがスッキリした後に堪能したい。
 一旦キッチンに行くと、隣の部屋でTVを見ながらお母さんが洗濯物を畳んでいる。
「ただいまー」
「あ、お帰り。今日、いつもより遅かったんじゃない?」
「あ、うん。小学校の時の友達に、ぐ・・・うぜん会って」
「へ~、良かったじゃない」
「うん」
 あまり情報を提供するとあれこれ聞いて来られて面倒なので、ご飯を食べようか一瞬迷ったが、適当に返せばいいかと、箸を出して来てテーブルの前に立つ。
 テーブルの上にある、サニーレタス、ブロッコリー、ミニトマト、晒し玉ねぎが乗ったお皿を見つめ、キョロキョロと周りを見渡す。見計らったかのように、”シチューあるから、温めて食べて”とお母さんの声。
「うん」
 コンロの前に立ち、両手鍋に作ってあるシチューを火に掛ける。シチューがクツクツ言い出すのをボーっと待ちながら、“あ”と思わず声を出す。案外その声は大きかったようで、母親が“何?”と聞いてきたのを咄嗟に“何でもない”と返事する。
 ん~~~~~、保志さんのお母さんに近からず遠からずは、うちのおばあちゃんだったか~。ちょっと前に図書室で見た背表紙に”毒親”ってあったから検索したけど、あれなんだろうな~。
 以前、お母さんから捲し立てるようにカミングアウトされた、男に惑わされながら、お母さんを蔑ろにしてきたというおばあちゃんの姿が、ドラマの予告編のように、断片的な映像が頭の中で流れる。
 いやいやいやいや、自分は凡人、凡人、悲しいぐらいに凡人。見た目が可愛いワケでもなく、モデルにスカウトされるようなスタイルもなく、飛びぬけて頭がいいワケでもなく、全国大会に出るほど身体能力が高いワケでもなく、とんでもない特殊能力なんてもっての他。マザーテレサのような大変な人たちを救済したい精神で溢れているワケでもなく、大企業を起こせるようなカリスマ性もなく、ドラマなぞになることのない凡人、凡人。
 自分の身に直接降り掛かってはいなくても、おばあちゃんのように”毒親” っていうのは、なんだかんだ、いつの時代もどこかしこにはいるということだ、いいことではないけど。
 名前も・・・本人が苦痛と思えば、いくら親の思いでつけたとは言え、背負えないほどの名前を与えられるというのは苦痛に違いない。
 小さく鍋の淵のほうからクツクツ音がし出したことに気付かず、ぼーっと考え事をしていると、グツグツと大きな音を立て始め、初めてかき混ぜていないことに気付く。
「おわっ!!」
 慌てておたまで焦げないようにかき混ぜ、底の方に微かにこびり付きかけている感触があったので、おたまでこそげ取り急いで更にかき混ぜる。
 おたまで具材を掬いあげると、おたまの淵にこそげ取ったシチューの塊が少しだけついてついていたが、クリーム色であったことにホッ。
 セーフ。焦がしてたらまた怒られる。ヤバい、ヤバい、考え事しながらはやっぱダメだわ。もう熱々だし、取り敢えず食べることに専念しよ。口の中、デロデロになってしまう。
 テーブルの上に準備してあるスープ皿に、お玉でゆっくり移していく。クリームを纏った鶏肉やジャガイモ、ニンジンの中に鮮やかに映えるブロッコリー。これは時間が経つと色が微妙になるので、今が丁度良い。
 お、今日はマッシュルーム入ってる♪ 嬉しい~♪
 シチューの入ったお皿をテーブルの上にそろ~っと置き、鍋とおたまをシンクに置き、後で洗いやすいように水をひたひたにする。
 テーブルにつき、一応お母さんに聞こえるように“いただきます”と言い、サラダから手を付ける。
 洗濯物を畳み終えたまま、バラエティ番組を見ているお母さんの後ろ姿。
 やっぱ、出会う人によって人間って変わるんだろうな~、いや、変わるよね~・・・うん。うちのおばあちゃんより保志さんのお母さんのほうがキツイ、かな~・・・てゆーか、自分が保志さんの家で育っても・・・いや、あんな風には絶対なってないな~・・・う~ん、想像つかない。
 今は平穏っちゃあ平穏な風景・・・ご飯食べて、学校行って、帰ってご飯食べて、そこにお母さんがいて(あんまりいろいろ話したくはないけど)、フツーにTV観て・・・これが“当たり前”じゃないっていうのは・・・
 熱々のシチューを、少し冷ましながら口に運ぶ。刺激のないマイルドな味わい。でも、”美味しい”が分かるし、飽きない。フツーに美味しい。
 保志さん、今は温かいシチューとか食べれてるのかな~・・・一体、フツーって何なんだろうな~・・・
 TVの音は只のBGMと化し、聞こえてはいるがことばの理解に至らず、お母さんから“これ、可笑しいよね”と話し掛けられるも、“あ、聞いてなかった”
と返し、ふと目の前の皿に目をやると、気付かない間にシチューのほぼ半分を食べ進めている状態に驚く。
 いつの間にっ!
 
 食事を終え、お母さんから手渡された洗濯物を抱えて部屋に向かい、部屋の戸口で一瞬立ち止まる。
 ・・・今日みたいなことあったら、絶対オッサン暴れるな。どうしたものか・・・いや、対策なんて立てようはないな。
 左の眉がピクピクするのを実感しながらフー!と大きく一息吐き、“今更じゃ”と気合を入れてドアを開ける。
「言うことあるならサッサと言え、このクソ親父!」
 勢い込んでじーっと部屋を見渡す。
 ・・・どーせ後から出てくるクセに
 少し気が抜けたように部屋に入り、洗濯物をベッドの上に置き、ドア横に置いてあったコートをハンガーにかけ、机の椅子に座る。
「さて・・・」
 いつもなら一も二も無くCUの載った雑誌に手を伸ばすが、鞄の後ろに隠れた状態で置いたまま。
 椅子にもたれ掛かり、無意識に回転椅子を左右に動かしている。
 お母さんから聞いたおばあちゃんの話が土台にあるので、何の聞きかじりもないまま保志さんの話を聞いたとしたら、今日みたいに冷静には聞いていられなかった可能性がある。
 ただ、話を思い出して映像化できてもそこに感情が着いて行かない。保志さんの生活を考えると、その大変さは如何許りか。友達が居ない方が楽と感じてしまう感覚、陰で悪口を言われていても、あること無いことを言われても反論もせず、誰に愚痴を溢すでもなく。
 聞いてくれていいハズのお母さんはその役割を果さず(まあ、自分もお母さんにはあんまり言いたくないかもだけど)、自分の中で如何に消化するか、いや、スルー・・・でもない。”無”になる、だ。
 今の年齢でも自分がその状況下に置かれていたらと考えると、想像を絶する。ドラマや映画の話か!?と思ってしまう。
 そんなことが頭を占める一方で、ふっと保志さんから”嬉しかった””優しい”と言われたことも同時に思い出し、勝手に口角が引き上がる。そして当然、他のことも頭を過る。
 バレてたとか、先生、何言ってんだよ!てか、いや、でもとにかく恥ずかし過ぎて終わってるぅぅぅぅぅぅ!!
 椅子に座ったまま頭を抱えて蹲り、いろんな感情が巡り、一人気恥ずかしさに悶える。
 パスっ!
 乾いた音と立てて、すばるの背中に何かが当たる。
 ・・・そうきたか。
 体を起こし、机の上の方を見る。オッサンがペン立ての淵に立ち、こちらにペンを投げようとしている。
 即座にオッサンからペンを奪い取ろうとし、当然のことながら空振りをしてペン立てに手が当たりガシャン!と耳を劈くような音を立てて倒れ、ペンや定規などが散らばる。
「もおぉ~~~~~~(怒)」
 イライラしながら、ペン立てに中身を戻していく。
⦅よお、ご機嫌やな⦆
「どう見たら機嫌良く見えるのよ。あんたのせいで最悪よ」
⦅で、あのオトコマエにお礼言うたんか?⦆
「は?」
⦅お礼やんけ。オトコマエのお陰で、そのくーるびゅーてーとやらに会えて
 やで、ほんで、“優しい”とか“嬉しかった”とか言われて、そんなけヘラヘ
 ラしとんやろー?ほなオマ、お礼ぐらい言うんが礼儀ちゃうんけ⦆
「礼儀って・・・何でアイツにお礼なんか。ただ単に、人の行動を人に教え
 ただけじゃん」
 アイツが保志さんを連れて来たワケじゃないし。しかも、あの本屋に出没する的な情報伝えるとか、掛けじゃん、それ。優しさでも何でもない。来なかったらどうすんだっつーの。
⦅結局当たってたやんw⦆
「もしも、の話よ、仮定の!何かの用事で行かないかもしれないじゃん」
⦅いや、行くってw⦆
 ”もしも”っつってんだろーが(怒)
⦅Mutterに”今日お迎え~♡”って打ってたやん⦆
 ・・・りーちゃんのアカ辿って確認したってか。自分の予想で、じゃなくて、人のアカ経由でMutterで見たってか。自分の手柄みたいに言ってんじゃねーよ。
⦅え~やん、くーるびゅーちーに会えて、”優しい”とか”嬉しい”とか言われ
 て。しょーもなw ホンマやったら話しにくいよーな話も打ち明けられ
 てやな、褒められてやな、ほんなけえーもん貰といてやな、ほんでお礼も
 言わんてどないやねん)
 横目に、机の上で小さいおじさんがツーステップでクルクル回っているのが見える。
「しつこいな~」
 口を歪ませ、“ふん”と鼻を鳴らして一息吐き、鞄の中から携帯を取り出そうとする。
⦅あ~、ケツの穴ちっさ~。小物やな、ケツの穴は毛穴サイズか?(笑)あ
 ~、クソやな。感謝の気持ちも伝えられへんとか、クズやな~。一生くー
 るびゅーちーなんかに追っつかへんわ⦆
 元々追い付く要素なんかありませ~ん。
⦅開き直っとるwwwCUとかちゅーんは、そういうヤツ嫌いやろな~、礼儀
 正しい言うとったしな~、好青年なんやろ~、お礼も言われへんようなヤ
 ツ、嫌いやろな~、気の毒やな~、こんなんがファンとかな~、ファンの
 質が芸能人の質、てか~?w⦆
 オッサンが、ベッドの上でゴルフの素振りを繰り返しているのが視界に入るも、無視して鞄から携帯を取り出し携帯に集中しようとするも、オッサンの声が集中力を遮る。
 いや~、そうだね~、― あ、そーだ、どうせアイツの連絡先も知らないしぃw
⦅何言うとんねん、りーちゃんの“あかうんと”とかゆうのんから話できんね
 やろー。文明の利器発展しとんのに、オマエ、頭のネジ外れて脳みそ垂れ
 流しとんちゃうんか~いw⦆
 ああ、きっと、今自分の顔は”苦虫を嚙み潰した”ような感じなんだろう。
⦅いや~、くーるびゅーちぃも気の毒やな~、こんなカスにお礼なんか言う
 てな~、つーか、知らぬが仏っちゅ~んはよう言うたもんやな~、もう会
 わんほうがボロ出んでえ~わな~⦆
「てゆーかさ、あんたに関係なくない?」
⦅ん・・・・無いなあw⦆
 だったら放っておいてくれよってハナシだろ。
⦅いやん、独り言ですやんw⦆
 ウザ過ぎ。トイレ行こ。
⦅う〇こか?⦆
 オッサンがウルサイからだろがー-------!!
 聞こえる声が面倒過ぎて、勢いよく椅子から立ち上がり部屋を出た。
 
 お茶を取りにキッチンに行くと、隣の部屋のTVが点いたままお母さんがソファーに寄りかかって転寝をしている。
 何か最近、お母さん、疲れてんな~。
 そろ~っとTVのリモコンのところへ行き、TVを消してまたそろ~っとキッチンに戻り、冷蔵庫の中にある、どくだみ茶を入れた冷水ボトルを取り出し、マグカップに入れてレンジに入れる。
 ”どくだみ茶”と聞いて「は?」と聞かれることがあるが、まあ、味は嫌いじゃない。家にいつも置いてあって、夏は麦茶だが、冷水ボトルにどくだみの時期だったり、ルイボスティーの時期だったり、ハジメマシテなお茶の時もあるが、結構クセがあっても飲めるし、体に悪いものはないので気にならない。
 ”チン”の音にお母さんが起きるかもとは思ったが、この季節にキンキンに冷えたお茶は無理なので、ここは致し方ない。
 このレンジの稼働音”ブーン”というのは、レンジにかけているということを忘れさせないために鳴っているのか、それとも音を失くす研究よりも、他のことに尽力する必要があるということなのか。神経質な人ならこの音で目覚めるかも、と時々思う。
 電子レンジというものが出来てから結構な年数が経っているハズだが、もしかするとこれでも結構小さくなった方なのかも、などと考えていると”チン”と鳴った。思わずお母さんの方を振り向く。
 ・・・あ、やっぱりうたた寝だから起きるよね~・・・
 お母さんがゆっくり体を起こし、その辺をキョロキョロ見ている。今、自分がどういう状況にあるのかを確認している。
 昼寝やうたた寝は気持ちはいいが、起きた時にいろんな錯覚が生じ、自分は時計だけを見て慌てて飛び起きて、制服に着替えてキッチンに行くと、TVは夕方の番組だったということがある。
 昼寝やうたた寝に関しては、起きた時にしっかり現状把握をしないと、マヌケな状況に陥ることを経験で知っている。恐らく、お母さんもそうなんだろうな、と見て思う。
「あ~・・・自分の洗濯物、持ってって」
「うん」
 レンジを開けようとした手を止め、洗濯物を取りに行く。
「疲れてるなら、早くお風呂入って寝たら?」
「う~ん、まあそうね~・・・」
 お母さんは漸く体が目覚め始めたようで、”よっこらしょ”と言ってソファーに手を付き、一旦ソファーに腰掛け、ふぅ~と一呼吸してから洗濯物を抱え、再び”よっこらしょ”と言って立ち上がり、キッチンを通って廊下の方に歩いて行く。
 お母さんの後姿を見つめながら、“仕事が忙しいのかな。疲れてんな~。年かな~”などと思いつつ、受け取った洗濯物を持ったまま、レンジの中のマグカップを取り出、すぐに部屋に行こうと思ったが、オッサンの姿が頭に浮かんで躊躇。
 う~ん、今部屋戻ったら、ぜー-----ったいオッサンがウザい。う~~~~~~~~~ん・・・
 ふいにポケットから携帯を取り出して画面を見ると、メールアイコンに③の表示。“どうせまた迷惑メールだろう”と思いながら開いてみると、その内の一通は保志さんからだった。
 え、マジで!?
 いそいそと開いてみると、“今日も大事な時間を本当にありがとう”という短い文であったが、”も”に関して暫し考える。
 小学生のあの時の分も込められているのかな?というより”大事な時間”とか言ってもらったとか、感動過ぎるんですけどー-----!何それ、何それ、何それ!?自分の生きてる時間のほんの一瞬を、”大事”ですってぇぇぇぇぇぇ!?・・・ヤバい、泣きそう。
 取り敢えず返信を試みて文字を打って読み返すが・・・長い。保志さんのと比べるとくどくどと長い。クールビューティに面倒くさい子と思われたくないので、必要の無さそうな部分を削除していく。
 う~ん・・・まだ長い・・・
 ああでもない、こうでもないと文章と格闘しながら、結局一旦全消し。
 シンプルに、シンプルに・・・
 再び空欄になった画面見つめて深呼吸し、『こちらこそありがとう。お仕事と勉強頑張ってね。時間ができた時でいいので、またメールください』と打ち、読み直して『またメールもらえたら嬉しいです』と打ち直し、再度読み直してから送信ボタンを押す。
 う~ん、どっちにしても催促っぽくなってるかな~・・・でも、絶対こっちより保志さんのほうが忙しいから、こっちからしたメールが超忙しい時だったら、と思うとこっちからは遠慮した方がいいだろうしな~、正解がわからな~い。
 再び今日の出来事が勝手に思い出され、保志さんの過酷な過去が映像として想像されるが、少し傾けて微かに浮かぶ笑顔に伴って、艶やかな黒髪が揺れる今日のクールビューティ姿でかき消されてしまう。
 あ、そうだ、りーちゃん。
 今日の報告をとLINKを開くも、何をどう、どこまで伝えるかが頭の中で纏まらない。会った時でいいか、とも一瞬思ったが、その前に偶然保志さんとりーちゃんが会って、自分と会ったことを話したとしたら、りーちゃんにすれば、なぜ会ったことを隠したんだろう、と思うかもしれない。
 しかし、りーちゃんとは言え、保志さんから聞いたことを具に伝えるのは違う気がするので、何を伝えるか。
 ただ、りーちゃんの性格だと、“会って話できて嬉しかった”だけでも、それ以上話の内容を詮索してくることはないだろうし、恐らく、”元気で良かったね~”で終わると思う。ので、現在何をしていて、余裕ができたらまた会おうと話をしたことだけをりーちゃんに送信。
 自分なら、何を話したのかとか聞きたくて悶々としちゃうだろうな~。て
ゆーか、聞きたくならないのかなあ、りーちゃんて。聞かないほうがいいと思って聞かないのか、それとも必要なことは話してくれるだろうと思ってる?ただ単に気にならない?・・・う~ん、どっちにしても、自分もそうな
れたらもっと楽なんだろな~、どうしたらなれるのかな~。思考?性格?そう言われたらどうしようもないな~。
 などと思っていると、画面にLINKにりーちゃんから返信。《元気なら良かった~ 突然引っ越しちゃったからね また会えたらいいね》とあり、概ね思っていたような感じ。それ以上を聞いて来ないし、LINKのみならず、そこにいてもすぐ”良かったね~”と言えるりーちゃん、尊い。
 しかし、逆になぜ更に聞きたくなるのか?ただのネタ探し?好奇心?優越感に浸りたい?人の不幸は蜜の味?いや、そんな感じばっかじゃないよな~。コイバナだって更に聞きたい子は多いし、何か起こった時も、なぜそうなったかを知りたいという感じの子もいるよね。う~ん、理由は様々というところか。何だか締まりわる~い。
⦅ケツの穴か?w⦆
「は?えっ!?何でっ!?」
 キッチンにいたハズが、気が付くと部屋の中にいて、机の前の椅子に座って携帯を眺めていた。外ではできるだけ携帯を見ながら歩くことはしないようにしているが、いろいろ考え過ぎていたとは言え、習慣とは恐ろしい。
 何の考えもなく、オッサンという口汚いのが巣くっている部屋に、鎧も付けずに飛び込むなぞ、いつぞやからしていなかったと言うのに、不覚。
⦅良かったね~♪⦆
「キモいわっ!」
⦅お、ツッコミか?w⦆
 ツッコミじゃねーし。打消しだよ。あ~、疲れる。
⦅若いのに体力ないな~⦆
「あんたのせいでしょうがっ!」
⦅お、ツッコミ?w⦆
 ・・・
⦅なんやねん、おもんないやっちゃな~⦆
 おもんなくって結構です。
⦅オトコマエ~⦆
 あ~、忘れてたのに、最悪。
⦅何言うてんねん。思考とか性格とか言う前に、お礼の一つも言われへんの
 は、それ以前の問題やでぇ⦆
 これ、しなかったらずっと続くんだろうな~、ウザいな~。とゆーか、今回のことでヤツにお礼を言う必要ある!?仮に言ったところで、どーせ塩対応されるだけでしょ。
⦅塩対応されるから言わへんねんや、ふ~ん。オトコマエが言わんかった
 ら、今日の喜びは得られへんかったのになあ。これが気になるイケメンだ
 ったら、一も二もなくお礼言いに奔走するんやろなあw⦆
 そう言われてしまうと、そこは否定できず。これがCUなら、意地でも連絡を取って”CUのお陰ですぅ!”と伝えているだろう映像が頭の中を流れている。
 理性と感情のせめぎ合い。実際は見ているはずもないCUが、自分の今の姿を見ると幻滅するかもしれない。彼らを習って礼儀正しく、品行方正を目標にはしているが、理性と感情の落としどころに葛藤が。
 しかし、このままだと穏やかな睡眠を邪魔されること必至。ここは悔しいもクソもない。穏やかな睡眠のためだ。
 一瞬躊躇するも、Mutterのアイコンをタップし、りーちゃんのアカウントから乙のアカウントを探し出す。見覚えのあるアイコンを見つけタップすると、どうやら今呟いているらしき様子が伺える
 てゆーか、ここで遣り取りしたら、誰かに見えちゃったりするじゃん、コレ。かと言って、相互フォロのお願いをしたところで(したくはないが)了承されるとも限らない。それに、相互フォロをしてしまうと、自分が呟いているのも即見られてしまうということだ。それはイヤ過ぎる。ここは何となく”それ”とわかるような文面を、呟いているところにコメしちゃえばいいか。
 あれこれ考えていると次第に疲れて来て、ややヤケクソになりつつあり、結局、『☆さんと話しました。ありがとうございました』と打ち、何となく”ありがとうございました”を躊躇し、消したり他の言葉を入れたりしていると、ヘンなところでオッサンに送信されてしまった。
「マジか~~~~~~(泣)」
 乙の呟きとは全く関係ないコメで、しかもヘンな文章なので、他の人は”は?”となるかもしれないが、もうそんなことはどうでもいい。変な文だろうと何だろうと目的は果たした。
 少しして自分のコメに返信が来た。乙からだ。一応意味は分かったらしい。が、『それはどうも』、という言い回しに何だかイラっ。
 やっぱ、態々お礼なんかいらんかったじゃん、ムッカつく~~~~~!!
 ベッドにダイブし、ベッドを叩く、叩く、感情のコントロールのため叩く、叩く、叩く。
⦅ベッド壊れんでw⦆
「うるさいっ!」
 数日後、保志さんからメールが届いた。
『宏介さんから、森北さんから私と会えたことのお礼のことばが来たと聞き
 ました。私が勝手に願ったことだったのに、ありがとう』
 メールを開いた途端、思わず”こ、こうすけさん!?”とツッコんだが、再びメールが来たことだけでなく、保志さんから再び“ありがとう”と言われたことに、何となく照れと喜びで全身がこそばい。
⦅なんや、その締まりのない顔は~⦆
「放っておいてくれる?」
⦅ワシのお陰やな⦆
「ふん!」
 何か、腹立つな~。
⦅素直に“ありがと~”言われへんとか、やっぱ性格悪いのぅ⦆
「どうせ性格悪いですぅ」
⦅その開き直りが終わってんな⦆
「どうせ終わってますぅ。ていうか、お礼なんか自分で催促するもんじゃな
 いと思うけどー」
⦅何言うとんねん。オマエが常識知らんから教えたってんねゃ⦆
 フン、別にオッサンになんか教わらなくても知ってますぅ。
⦅いやいやいやいや、ワシのお陰やのに、”ありがとう”も言われへんとか、
 しーゆーとやらがここに居てたら、どう思うかの~w⦆
 何でもかんでもCU出したらいいと思うなよ、オッサン。
⦅お~、しーゆーも気の毒になあ。こほ~んなお礼も言われへんようなヤツ
 がファンとか。あ、CUも所詮その程度のヤツらやねんな~、大したことな
 いな~⦆
「ちょっと!CUを悪く言うのヤメてくれる!?」
⦅いやいやいやいや、言わせてんのはオマエやしw⦆
 このままいくとずっとCUのこと悪く言い続けるよな~、このオッサン。ホント、性格悪い!んんんんんんん~~~~~~~~~・・・
「X〇※▽≠」
⦅はあ?何言うとんかわからんわい⦆
「あーりーがーとー!!」
⦅そんな大声で言わんでも聞こえとるわいw⦆
 はぁ・・・ああ言えばこう言う・・・
⦅そのままそっくり返したるわw⦆
 ・・・溜息

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