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ワザワイ転じて山芋ウナギ ~とある女子高生の奇妙な回想録~ 其の5

「あ、お父さん!」
「お~、遅刻しよってからに」
「は?よく言うよ。お父さんがいっつも遅刻するから、こっちもそれに合わ
 せてワザと遅れて来たんじゃん」
「そうか?」
「そうだよ」
 一旦、東北の職場から戻ったお父さんと、駅から直結のデパートの前で待ち合わせ。中央改札から少し行った一番近いデパートの入り口左の壁に、黒のダウンベストにトレーナー、デニム、スニーカーにニット帽を被り、斜め掛けボディバックに紙袋を腕に掛け、腕組みをして立っている。
 デパートが開く前でも休日なのでそれなりに人が行き交い、人々の服装も厚みを増して来て、季節の移り変わりを目で感じる。夏より秋冬のほうが服装も好きだし、自分にとっては、漸く汗から解放されるので喜びも一入。
 その一方で、相変わらず露出部分の多い女子もいるし、本人が寒さを感じているか否かはどうでもいいが、視界に入られるとこちらが寒く感じてしまうのは結構迷惑だったりする。というのは、向こうにとっては関係のない話。
「しかしお父さん・・・もうちょとオシャレしたらどーなの?」
「う~ん、面倒臭い。仕事行って帰って寝るだけなんだからお洒落はいらな
 いだろ」
 お父さんの言うことは理解できるが、TVでお父さんと同じ年齢の芸能人を見ると、こんなに差があるのかと思わずため息。
 きっとお父さんは髪の毛も、お父さんの言う”散髪屋さん”というところでカットしてもらっているのだろう。いつも変わらない。”髪洗うのも乾かすのも楽が一番”なのだそう。清潔と言えば清潔なので、まあヨシとしている。
「ほい」
 こちらの話なぞ気にも留めず、持っていた紙袋を手渡される。
「え、荷物増えるから後からちょうだい」
「はあ?大した荷物じゃないだろ~」
「いいじゃん、帰りに貰うから~」
 お父さんは不服そうだが、渋々紙袋を持つ手を引っ込めた。
「母さん、元気か?」
「お母さんとメール遣り取りしてるじゃん」
「用事のある時だけな」
「元気だよ」
「また背伸びたか」
「半年前から一㌢も伸びてませんが。会う度それっておかしいでしょ」
「あ~、そうか」
「ほんといい加減」
「いい加減がいい加減」
「はいはい、聞き飽きた。はい、あっち」
 お父さんが言い終わるか終わらないかに言葉を被せ、デパートの中に入って行く。
 開店してすぐのデパートには既に客が入っており、考えていることはきっと同じ。人の少ない時間のほうが、いろんなお店入りやすいのだ。
 そしてもう一つ、お父さんは頓に人混みを嫌い、並ぶのを面倒がる。なので、お父さんと会う時は、自分の希望を果たすべく開店前に行く。人が多くて並ぶのと、開店前だから並ぶのとではその意味が違う。開店前に並ぶと、入店出来そうな時間の予測が立つ。
 お父さんの人混み嫌いはこちらの理解を超えるところにあり、小2の時に遊園地に行きたいと言った時、丁度土曜や日曜に休みがあった時も連れて行ってはくれなかった。しかも、”平日なら連れて行く”と言い、どうしても行きたいと言ったら、一度だけ仮病で学校を休むこととなった。
 その時は仮病を使ってまで学校を休むということにお母さんも随分反対したが、結局、お父さんの勝手な日程で施行され、お母さんは不承不承学校へ仮病の連絡を入れ、お母さんの職場へは子どもの発熱と虚偽の申告をし、結局は遊園地に出かけた。
 仮病を使っての遊園地行き、同級生にバレて責めらはしないかと自分が何度も言うものだから、みんなが登校する時間より早く家を出て夜遅く帰宅した。
 遊園地は楽しかったが、家族で行ったのは後にも先にもこの一回きり。
 遊園地の中では一瞬現実逃避をしていたと思うが、家が近付くとドキドキが止まらなくなり、家の中に入ってやっと大きく息ができたような感じ。
 お父さんが”大丈夫、大丈夫”と能天気に言うので、自分の中で”大丈夫、大丈夫”を繰り返し言い聞かせた。が、次の日学校へ行き、クラスの子から”昨日どうしたの?”と聞かれ、お父さんに言われたように”熱出た”と言い続け、担任から「もう大丈夫?」と聞かれた時には、ビビり過ぎと驚きが混じって飛び上がり、膝を机の下に打ち付けてしまった。
 一応「はい」と答えたものの、後ろめたさと、嘘がバレるのでは!?という不安感で、一日ずっと顔が引き攣っていたかもしれない。何か言うとボロが出るかもと思い、ほとんど”うん”とか”あ~・・・”とかで過ごした記憶がある。
 あの、休んだ次の日教室の戸を開けた時の、”一日”という空間を隔てた空気の違和感と、何となくクラス全員が自分の嘘を知っていて、仲間外れにされるのではという自分勝手な思い込みで疎外感を感じてしまうという不のスパイラルを引き起こしてしまう自分には、こういった嘘はもう嫌だ、とその時思った。
 暫くは、”遊園地”というコトバが聞こえるとビクっとなっていたし、毎朝学校に行って、周りから”おはよう”と言われるまでホッと出来なかったし、憂慮の日々が続いた。が、それはある日突然終息する。
 前日休んだクラスの男子が、「オレ、昨日〇〇ミュージアム行って来た!」と、学校を堂々と休み、家族で遊びに行った話をし始めたのだ。それは自分にとっては吃驚、驚愕、驚倒。
 聞こえた話では、その子の父親は基本土日は仕事で、どうしても行きたい展覧会がもうすぐ終わるとのことで、学校を休んで家族で行って来たそうだ。堂々と学校を休んでいるだけでなく、周囲も”学校休んでいいな~”という反応。”展覧会って何?”と一瞬思ったが、それよりも何よりも、嘘をつかずに堂々と学校を休んだことを公表していたことに呆気に取られてしまった。
 その瞬間、憑き物が落ちたような、重い荷物を下したような、何か気持ちが軽くなったような感じがした。それまで、何となく寝つけなかったり、不意に腹痛を起こしたり頭痛が起きたりしていたが、そういったこともなくなった。
 今思えば、どれだけ不安だったのかと思う。ありがとうだよ、小板橋君。因みに彼は中学受験をし、今もその高等部で生徒をやっているので会うことはないけど、本当に感謝。
 お父さんの人混み嫌いと並ぶことが嫌いというところを、子どもに合わせられない父親ってどうよ!?と思うし、お母さんもお父さんの意見に折れるのではなく、子どもの性質を理解して父親を説得するとかなかったのかよ!?とふと思ったりするが、もう諦めて来たことのハズ、と自分に言い聞かせる。
  
 今日も、デパートの上のレストラン街に新規参入した、人気の香港飲茶の店にお父さんを連れて行くにあたり、開店前に着くように予定を組んだ。
 休日は午前11時前からデパートのレストラン街の店々の前に人がポツポツ並び、昼食時間には入れなくなるのが常だが、ここの飲茶はTVでも紹介され、一度行ってみたかったが必然的に早くから列を成すと思い、お父さんとは早めに待ち合わせにした。
 エレベーターで上がって行きその階に到着して店に向かうと、案の定既に列が出来ており、きっとデパートの開店と同時に入って来た客なのだろうことが推測される。本当は自分もそのぐらいに来たかったが、そうなるとまず絶対に1時間は並ぶことになり、並ぶことが好きではないお父さんが邪魔くさくなることが想定できたので、取り敢えず開店後に向かうことにした。
 レストラン街はあらゆる種類の店が並び、少し前の改装工事に伴い、新たな客を呼び込むべくデパートもありとあらゆる策を講じ、新規の有名店も軒を連ねるなどしている。
 目的のお店も列は出来ているが、店内の座席の様子を見ていると、恐らく割と早めに入店可と確認。携帯をポケットから取り出し、Mutterに呟く。
「なあ、そんなことして一々面倒臭くないんか?」
「何が?」
「え~?今の子って、何でも今やっていること携帯で伝えるんだろ?」
「あ~、面倒くさいとか考えたことない。え、面倒い!?」
「お父さんはな」
「ふ~ん」
 別にちょっと打ってアップするだけだが、お父さんにしたらブログぐらいの感覚なのかもしれない。しかも、今は開店を待っているだけだから、特に何をしているワケでもないので、面倒と感じる感覚は理解不能。
 そしてお父さんは携帯のゲームを始めたので、各々携帯をいじって時間が過ぎるのを待った。ちらっと周辺を見渡したが、話をして待っているのは女子同士ばかりなり。
 ただ、この携帯ゲームのお陰でお父さんも多少並べるようになった気もする。いや、自分が小さい時は自分が携帯を持っていなかったので、各々携帯をいじって待つなどということも出来なかったワケで、今の年齢だからこの状況が成り立つとも言える。
「あ、開いた」
 店員が開店の声を前のほうの人に伝えたようで、人が少し動き出した。
 少しずつ前に進みながら携帯をカバンに入れ、割と早くに入店でき、お店の端のほうの二人用テーブルに案内される。
 内装は赤を基調に、ダークブラウンのテーブルと椅子、真ん中の方には回る円卓が幾つかあり、壁には文字や絵画の額、色取り取りの布、所々に赤に映える緑の深い植物が飾られている。
「わ~、何か香港って感じ」
 心を弾ませきょろきょろと店内を見渡し、テーブルの上に置いてあるものを手に取ってみたり、蓋を開けて中身を見てみる。開けてみてもそれが何なのかもサッパリ分からない。
「行ったことないのに?」
「TVで見たことある雰囲気のこと言ってんじゃん。ホント、情緒ないな~」
「そうか~?」
「そうだよ、雰囲気って大事でしょ~?」 
「今は何でもネットで見れんじゃん」
「直に触れるっていうのが大事なんじゃん」
「そうか~?」
「お父さんに同意を求めたのがそもそもの間違いだった。早く何頼むか決め
 よ」
「はいはい」
 お父さんとは大体いつもこんな感じ。通常運転。
 
「む。おお~・・・美味しい!」
 前食べたのとまた違って、皮がもっちもち、弾力すっご~い!中身もめっちゃ美味い~~~~~!!!!!この艶々丸々したこの風貌にこの味、ああ何という・・・
「そうか、それは良かった」
「うん、あ、これ蟹焼売だ。や~、デッカ~い、美味しそぉ~!!」
 自分のチョイスで注文した、海老蒸し餃子、フカヒレ餃子、蟹焼売、大根餅、咸水角(ハムスイコウ)、空心菜のXO醤炒め、ザーサイが次々とテーブルを占領し、圧巻。
 何だかキラキラしてる~!
 海老蒸し餃子の次に何に手をつけるべきか悩みつつ、その一方で、ここで躊躇していたら、折角の熱々が台無し、ともう一人の自分が言っている。熱々と言えば、後で小籠包も頼まねば。
 お父さんは昼間から生ビールを頼み、一瞬”オイっ!”と思ったが、お金を払うのはお父さんだし、まず空心菜のXO醤炒めから食べ始めたのでヨシとした。と同時に、いつも野菜から食べる自分は、艶々丸々の海老蒸し餃子に負けたので、ここは黙っておこう。
「おお、美味いなあ」
「でしょ~!?」
 お父さんの感想に引っ張られ、空心菜に手を伸ばす。
 んん~、んまい。人気のお店だけあるよね~。
「でしょ~!?」
 店内は満席でなかなか賑やか。少し中国語っぽいのも聞こえ、中国の人も美味しいと思うお店なのかも、とチラチラ周囲にも目をやる。
 時々、従業員の人が押すワゴンの蒸籠が気になり、チラっと目をやると正体不明な物が結構あり、その度にメニューに目を通すが、分かったものもあればよく分からない物もある。
「見た目的にあれは無理かも」
 お父さんにメニューを見せながら言うと、タコやイカ、ウニなんかも元々はそんなものだろう、と返って来た。いや、そうだけど。
 お父さんは時々まともなことを言う。が、”更に遡れば、どの食べ物も動物もそうだろう”などと言い始めたので、やはりお父さんに情緒的な部分の共感を得るのは難しいことを再確認した。
 そういうことではなく、ただ単に”そうだなあ”でいいのに、何故に”そもそも論”を出して話をぶった切るのかイミフだ。とは言え、別ジャンルでの話になると逆にそれが功を奏し、お母さんより話が進むこともある。ので、まあ自分が其々に話す内容をチョイスすればいいだけのこと。
 とは言え、こんなに美味しい物を目の前にして、咄嗟にそんな算段立てられるワケがない。しかし、行きたいお店に連れて行ってくれるのは、偶に会うお父さんの方。物事とは、そう都合よく進まないということだ。
 お父さんが注文したホタテ貝柱と卵白の炒飯が運ばれて来た時、店員さんの向こう側に、まだ就学前と思しき男の子が一生懸命食べる姿を、愛しそうに見ている両親、祖母らしき家族に目が留まった。
「そういやさ、松山のお祖母ちゃんって何してんの?」
 松山には、父方のお祖母ちゃんが住んでいる。正直、あまり会ったことがないので、記憶というほどのものもそんなにない。お祝い、という物も特に貰ったことはなく、ある日突然ポンとお菓子が送られて来ることが稀にあり、その意図もよく分からない。ただ、お菓子は有難く頂いている。
 なので、”お祖母ちゃん”というより、”お祖母ちゃん”と呼ばれる遠くに住む親戚、のような位置付け。
「お祖母ちゃん?ん~、元気なんじゃないの?」
「ないの?って。行ってないの?」
「東北からじゃ遠いからな~」
「そうだけど・・・元々あんまり会ってなくない?」
「ん~・・・まあ、何かあったら連絡あるだろうし。何、会いたいんか?」
「え?・・・いや、会いたいというか、よく考えたら最後いつ会ったっけと
 思って」
「遠いからな~」
「まあ・・・うん、そうだね~。おおっ!この炒飯もうんまっ」
 お父さんには姉、所謂伯母もいるが、年齢が離れており、また佐世保に住んでるという距離的なことが理由なのか、あまり話を聞くことがない。その伯母には子どもがいて、自分の従姉になるハズだが、まだ一度も会ったことがない。
 小さい頃は、遠く離れているとそんなものと思っていたが、成長するに連れ、それは親戚の関係によるものと分かって来た。ただお父さん曰く、別に喧嘩をしたとか、お母さんの方みたいにやんごとなき事情があるワケでもなく、只単に”何かあれば連絡が来るだろう”感覚の人ばかりなのだそう。
 と、更に追加の生ビールが運ばれて来て、丁寧にテーブルに置くのを目で追う。自分でもよく分からないが、外食時はいつも運ばれて来た時に思わず黙ってしまう。不思議だ。特に聞かれては困る話をしていなくても、何故か黙ってしまう。
「てゆーか、いつビール頼んだの!?」
「さっきトイレ行った時」
「昼間っから・・・」
「まだ二杯目だろ~、これで終わりだから」
「もう二杯目-!」
 思わずため息。
 うちの両親の離婚は、積極的に仕事を取りに行かず声が掛かるのを待ち、昼間にパチンコやスロットに行くか飲酒かのダラダラとした日々が続いたことがあり、紐のような状態だったことが主たる要因ではあるものの、昼間の飲酒はその時期の象徴のようなもので、お父さんがお酒を多く飲むのは今もいい気はしない。が、もう注文してしまったものは仕方ないし、今は仕事をしているし、ここの支払いはお父さんだし、取り敢えずヨシとしておく。
 気を取り直し、更に食を進めていると、先程視界に入った家族が食事を終えて立ち上がり、仲睦まじい様子で店を後にした。家族みんながその子と手を繋ぎたがる感じがしたというか、一瞬、みんながタイミングがズレてはいたいたものの、手を伸ばしていた。選ぶのはその子。
 自分はどちらかというと、その”手”を探していたような気がする。寧ろ、手を外された記憶のほうが強く残っているのは何なんだろう。
「ねえ、お父さん、お母さんのほうのお祖母ちゃんって覚えてる?」
「あ~、うん。何で?」
「いや~、今はそうも思わないんだけど、昔はさ~、友達がお祖父ちゃん、
 お祖母ちゃんから何か買って貰ったとか、どっか連れてってもらったとか
 話してるの聞くとさ~、何か、何でうちは何もないんだろう?って思って
 たからさあ」
「あ~、すばる、そんなこと言ってたな、うん」
「うちん家ってさ~、生まれた時にはお祖父ちゃん両方いなかったし、お祖
 母ちゃん達も何かさ~、ちょっと変わってない?お母さんの方のお祖母ち
 ゃんていっつも顰めっ面でさ、病院のベッドの上でギャーギャー言って
 た記憶ばっかりだし、何と言っても・・・」
 少し前に思い出した”激しく恐かった人”という印象を付け加えようとしたが、何となく一旦やめる。
「何と言っても、何だ?」
「いや、何か煩いメージしかなかったから、病室に入るの嫌で入らない時も
 あったけど、ちょっと前に昔のお祖母ちゃんの話聞いてさ、あれは病気に
 なったからじゃなくて、ずっと昔からなんだと思ったね。お父さんにも煩
 さかったの?」
 お父さんはビールを口に運び、ゴクリと呑み込んで一息ついて、顔を左斜め方向に傾け目を瞑る。何かを思い出しているのか、今飲んだビールを味わっているのか。
「う~ん、お父さんには優しかったし。母さんから話は聞いてたけど、”煩い
 おばあちゃん”の姿が想像つかなかったんだよな。けど、ある日病室にお父
 さんが遅れて行った時、病室に入ろうと思ったらお祖母ちゃんの怒鳴り声
 が聞こえてな、ああ、これか~と思ったな」
「お父さんがいると何も言わなかったの?」
「うん。だから、お母さんが怒鳴られてるところにお父さんが入ってったら
 ピタっと止まってな」
「え、何それ。何でお父さんには優しかったの?」
「それは分からん」
「分からん、って」
 そう、お父さんってそうなのだ。我が父親ながら理解不能。話は聞いてくれるし、たまに”なるほど”な回答もくれるが、分からないことは”分からない”で終わってしまい、それ以上考えるということがない。何故だ!?
 と、目の前に新たに真っ白い器に山吹色の艶々としたマンゴープリンが運ばれて来て、思わずこちらの目もキラキラ(してたと思う)。きゅるるん♪という音が聞こえて来そうな、超らぶりーなマンゴープリン。
「で、チケットのお金は間に合ったのか?」
「あ、うん、ありがと。早めの誕生日分のお金で何とか。後は、お年玉で交
 通費とかいろいろ」
「お年玉か~」
「うん、お年玉」
「その時季、こっちに戻って来られてるかどうかわからんぞ?」
「え、いや、ちょっとないと困るんだけど。娘が楽しくキラキラいられるの
 はCUのお陰なんだよ~!?寄付をお願いします」
 ワザと畏まって、深々と頭を下げて見せる。
「ちゃっかりしてるよなあ。まあ何とかするわ。で、お母さんにはライブの
 こと、言えたのか?」
「え?あ、うん、何とか」
 あれは、”何とか”というか・・・
 食事の後にお父さんの趣味み付き合い、純喫茶でお父さんはホット、自分はホットのレモンティーで軽くお茶をした。
 実は昔からお父さんに連れて行かれるのが純喫茶だった為、今どきのカフェはちょっとキラキラが過ぎて落ち着かない気分になることがある。かと言って一人で純喫茶に入る勇気はなく、今やお父さんと一緒ぐらいでしか入らないので、久々な感じにホッとしている自分がいる。
 店にいるのはおじさんが多いが、新聞や雑誌を広げ寛いでいたり、携帯やパソコンに向かって集中しているサラリーマンがいたり、女子のはしゃぐ声やキンキンと耳に響くような声がしないので、ゆっくり寛ぐことが出来る。
 ソファーやテーブル、椅子なども味があり、特に純喫茶で食べるホットケーキ、パンケーキ、トーストが好きなので、何れは一人で入られるようになりたいと思っている。
 お父さんは必要な買い物をしてから職場に戻るということで、別れ際にお母さんから頼まれたという手土産の紙袋を受け取り、駅で解散した。
 両親が離婚しているとは言え、お父さんは幼い頃から仕事で遠方に長期滞在をすることも多かった、今もその感覚の名残で特に違和感もなく、携帯を持っている今、いつでも連絡を取れる利便性もあり、幼い頃よりも寂しさは感じなくなっている。
 
 その後、100均の店や大型電化店、大型スーパーなどに立ち寄る。この時間になると、かなり人が多く、休日ともなると家族単位も増えるので、本当に人が多い。
 それでも、ライブ会場で普段会えないファン繋がりの人達に、ちょっとした気持ちを渡すのに何がいいかを物色する為、人の多さを気にしている場合ではない。
 基本的には挨拶のような物なので、その内容は分配しやすい小包装の菓子であったり、CUのシールを貼った小物であったりと様々。自分たちも前回は予期せずお土産を貰った為、今回は積極的に、文字だけとは言え、同じファンとして関わって貰えていることに感謝の意を込めて準備することに決めた。
 やっぱお菓子?ティッシュにシール入れる?お菓子の袋にCUのシール貼る?シールは作る?・・・取り敢えず物色。あ、りーちゃんからだ。
 りーちゃんからのLINKを開けると、何やら画像が添付されている。思わず”は?”と声に出てしまった。どういうこと?
〔乙藤君 次のライブでこの衣装に似たのを着るんだって〕
 何を言っているのだ、りーちゃん?と思ったが、今、糸こんにゃくの袋を切って開けた時のように、ぶわわわわ~っと記憶が甦って来た。
 ファンの中にはライブ参戦するにあたり、二人の衣装を真似た物を作成し、それを着て参戦する人たちがいる。そして、その画像は探さなくても拡散されるので、殆どを目にする。
 思い出した、今思い出した。あの中に乙の顔あった!!!!!!あの衣装着けてたやつじゃん!うわ~、そうじゃん、あれ乙じゃん!!!!!!
 超高速で画像を探す。スクロールし過ぎて、指の指紋無くなるんじゃないのかぐらいにスクロールした。保存しているワケではないので、Mutterに検索を入れて、とにかくスクロールしまくり。
 ほ~ら、ほらほらほらほらほらっ!!そうじゃん、これ乙じゃん!!うわ、ちょっとマジで頭パニック。てか、あたしの記憶力すごくない!?てか、マジか、え~~~!?いや、え?りーちゃん、チケ譲ってもらうだけじゃなくて、遣り取りしてるの!?え?あの乙と!?は?ちょっと意味分からん!!んNOー-----!!!!!
 
 自宅に戻るとまだお母さんは外出中で、お父さんから預かった紙袋をテーブルの上に置く。中は包み紙から、一つは“ずんだ餅”で、一つは恐らくお母さんの大好物である牛タンスモークであろうことは予想がつく。
 まだ離婚していなかった頃は、お父さんの途中帰省が決まると、その際に買って来て欲しい物を注文し、お父さんは従ってお土産を購入して来るのが定番だった。恐らくその理由は、土産は好意とは言え、お父さんのチョイスに些かズレがあるからであろうと推測できる。
 というのも、お父さんが自分宛てに買って来たことのあるお土産と言えば、デンデン太鼓、、スノードーム、『誠』と書かれた提灯、富士山の絵のタペストリー、ビードロの鐘、関西のプロ野球チームのユニフォームとメガホン、赤べこと猫べこ、直径15㌢の将棋の駒、さるぼぼ、絵本で読んだ『かさこじぞう』のお地蔵さんに被せたような傘、でっかい杓文字などで、お土産を買って来て貰えることは嬉しいのだが、どう反応して良いか判らないものばかりで、父親のセンスは理解不能。
 唯一、木工品のお椀と皿、スプーンは好きで今でも使っており、まるでCMに出て来そうなログハウスで食事をするような気分になる。が、それ以外は、部屋のカラーボックスの一番下の段に入る物は入れ、ユニフォームやメガホン、傘などは、壁に飾るにも自分の趣味とは合わず、クローゼットに服と一緒にハンガーに吊るしている。
 ある意味、日本の工芸や民芸品に詳しくなりそうだが、特に系統も決まっていないので扱いに困る。
 流石に消費出来ない物が増えると次々場所を奪われ、先を想像すると思いやられるので、ある時お父さんに、”お母さんと同じ物買って来て”とお願い(ある意味懇願)をし、それからは母親の注文した物が倍になって土産として渡されるようになった。
 とは言え、お父さんはどうしても残る物を買いたいらしく、それらがキーホルダーとなった。ここまで来るともう笑えてしまう。それらは取り敢えず失くなっては困る家や自転車の鍵に付けて使っている。
 そして今回も紙袋の中に小袋があり、手触りですぐキーホルダーと分かる。開けると、はい、こけしでした。
 まあ、各地の名産を口にすることが出来るということは有り難いことだとも思っているので、キーホルダーが増えるぐらいならどうってことはない。それに、カラーボックスの一番下の段にある民芸品なども決して厄介に思っている訳ではなく、それはそれで長く一緒に過ごして来た分愛着も持っており、小学生・中学生の時の修学旅行先で何気に民芸品を見てしまい、“ゲ、影響受けてる”と実感。
 
 部屋に行き、鞄を入り口の椅子に置き、ジャケットを脱いでクローゼットからハンガーを取り出しカーテンレールに掛け、ポケットからキーホルダーの入った小袋を机に置き、携帯に充電器を差し込む。
 ライブ用に金銭の計算をしたノートを取り出し、予測されるお父さんからのお年玉(仮)を書き込み、再度計算を始める。チラっとオッサンの姿が見えたが、そこはスルー。
 恐らく予算はこれでいける。良かった~。
 小さくガッツポーズをしながら足をバタつかせ、携帯を手に取りCUの画像に向かって語り掛ける。
 もうすぐ会えるからね。くぅ~~~~~~~~~!!!!!
⦅キモい~⦆
 ウルサイ~。キモイとかぜ~んぜん平気だもん、ね~、CU☆
⦅”ね~、しーゆー”やって。キモっ⦆
「だからウルサイってば。あっち行ってよ!」
⦅あっち行ってよ!⦆
 オッサンがお尻をフリフリ目の前を歩いているのが見える。このオッサンは、人を揶揄うのが楽しいらしい。何とも性格の悪い。
⦅いやいや、オマエに言われたないねん。オトコマエは正しいことしたっつ
 ーに、いつまでも忌み嫌ってイヤっそぉ~に⦆
「はあ?何の話よ」
⦅え~、前、オトコマエの画像見て、”いいな~”言うとったやん⦆
「はあ?」
⦅ワシは知っとるぞぉ~。オトコマエ、衣装着てんの見て、”いいな~、似合
 ってるよね~”て梨穂ちゅわんと言っとったやん♪⦆
「え?は?言ってないし!」
⦅いやいやいやいやいやいやいやいや、覚えてへんだけや。ワシ、聞いとっ
 たもんw 梨穂ちゅわん来てた時、見ながら言うてたっちゅーねん⦆
「言ってない!」
⦅フン、梨穂ちゅわんから連絡来るまで忘れとったクセに⦆
 ・・・大体、何よ、梨穂”ちゅわん”って!オッサンか!
⦅ええええ、オッサンですよ?言い返されへんからって、あ~ヤダヤダ⦆
「ウルサイっ!」
 オッサンを睨みつけていると、微かに玄関の方で鍵を開ける音がした。
「あ、お土産。お帰り~」
 サッと携帯を置いて椅子から立ち上がり、そそくさと部屋を出る。
⦅うぇ~い、逃げよってからに⦆
 何がオトコマエだ。ヤなヤツはヤなヤツなんだよ。CUの衣装真似てるとか何だよ!?何でよりによって乙なんだよ!?しかも、チケット譲ってもらうのが乙って、何でサクッとチケ当たっちゃって何なんだよ。
 家が病院でお金に困ってなくて頭が良くて?別に特段顔がいいワケでもないのに、雰囲気イケメンみたいに扱われて?それでもってチケが当たる運があって、どうやって調達してるのか知らないけど、衣装作って一緒に着て参戦できる、ベクトルが同じファン友がいて?みんなから写真撮られてチヤホヤされちゃって、何なの!?
 頭にあれこれ浮かぶコトバでどんどん虚しくなってくるのを感じたところで、キッチンのテーブルに置いた、お父さんから渡された紙袋から包みを取り出し、包み紙のテープを剥がす。包み紙をガサガサ言わせながら開くと、中から牛タンスモークの塊が姿を現す。ビンゴ。表示などを確認したりしながらテーブルの上に置き、もう一つの包みを取り出す。同様に包み紙を開くと、ずんだ餅。思わず笑み。
 視覚的な情報が入って来ると、余計な思考が止まってくれる。お父さん、感謝、感謝、大感謝。
 
「そろそろ2回目の学校説明会の季節だね~」
「もう1年前になるのか~」
「あたしは6月のに行ったから、既に1年以上経ってるけどね」
「早いね~」
「あっという間に2年か~。すぐにオバサンじゃ~ん」
「え~、オバサンは早くない!?」
 お弁当を食べながら、他愛もない話をする。これは普通のことのようで普通でない。他愛もない話ができる友だちがいる有難さ。
 眞理子たちはきっと、自分がそんなことを考えながらお弁当を食べたり、話を聞いてるなんて知らないと思う。時々この空間がまったりし過ぎて忘れそうになるけど、本当に有難いと思ってる。
「ホント、早いね~。何かいっつも数ヶ月先のこと考えないといけないし、
 余計だね。千華?」
 琴乃の声が疑問形だったのでよくよく千華を見ると、お弁当の中身が減っていない。再度、琴乃が千華を覗き込むように声を掛ける。
「ん?ああ、うん」
「千華、どうしたの~?何か疲れてるっぽいよねぇ。寝不足?」
「あ~、うん、そ~」
「大丈夫?」
「めっさ勉強してるとか!?」
「いや、そんなことない」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫よ、ちょっと眠いだけ~」
「だいぶ眠そうだけどw」
「寝ないと頭の中整理されないって言うしね。しっかり寝ないとね~」
「だよね~」
 千華は止まっていた手を動かし始めるが、何となく無理しているような感じがして、ちょっと保健室ででも仮眠取った方が良いのでは?とも思ったり。
 いつも元気で、ヘアスタイルもメイクも完璧に仕上げて来る千華に勢いが、活気が感じられない。眠そうというより、疲れているようにも見える。眠気と疲労感って似て非なるもの。
「ていうか、まさかの恋煩い?」
「“恋煩い”て、昭和かw」
「だって、うちのばーちゃんが」
「ああ、あの大阪のw」
 いつもなら、眞理子の面白いお祖母ちゃんの話に乗って来る千華が乗って来ない。反応が鈍い。しかし、”大丈夫”と言っているところに”大丈夫?”と聞き続けると、千華は余計に”大丈夫”と言ってしまうかも、と思うとツッコめない。
「お祖母ちゃん・・・」
「そ~。ばーちゃんの昭和話がもう、何て言うか、ネタ?みたいなw」
「眞理子のお祖母ちゃんの話、好きー。聞きた~い」
「それがさ~・・・」
 眞理子のお祖母ちゃんの話がいつも面白過ぎて、前のめりになって聞いてしまうのが、今日は千華の様子も気になってしまって・・・でもやっぱり面白過ぎ、眞理子のお祖母ちゃん!あ・・・千華も笑ってる・・・眞理子のお祖母ちゃん、恐るべしw
 
 それから数日経つが、千華が眠そうというか疲れている様子が何回かあり、授業中もうつらうつらし、次の授業までの間もうつ伏したままということもあった。
 一番驚いたのは、千華は現代社会が好きで、政治、経済、国際関係その他諸々に興味も多大にあり、その上担当が話の面白い鬼塚先生なので、絶対寝ることなどないハズが、寝てしまっていたこと。これは由々しき事態。
「千華、どぉおおおおおおしたの!?鬼塚の授業寝てるとか、ビックリする
 じゃん」
「ん~・・・ちょっと保健室に行って来るわ~」
「え、どうしたの!?大丈夫!?ついて行くよ!?」
「ううん、大丈夫、ちょっと片頭痛みたい。次の国総、保健室って言っとい
 て~。ゴメンね~」
「うん、分かった~」
「アリガト~」
 千華が授業遅れたり、休んだりするのは珍しい。からこそ、心配。自分が生理痛で保健室に行くのは通常運転だが、生理痛もないという羨ましい体質なのに、その千華が片頭痛というのも初めて聞く。
 結局、お弁当の時間も戻って来ず、途中保健室に様子を見に行った。
 保健室には保健の高宮先生がいて、千華の様子を聞くと”起きないのよ~
”と。5限が終わっても起きなければ、流石に叩き起こして帰宅させると言う。
 一体どこまで寝不足なのか。いや、片頭痛で薬が効くまで頭痛が続いていたら、暫くは眠れないから、漸く薬が効き始めて・・・それにしても長い。
 結局千華は5限が終わってから教室に戻って来て、結構スッキリした表情をしていたので安心した。
「寝不足ヤバいわ」
「何でそんな寝不足なの!?何か動画にはまったとか!?めっさ勉強してる
 とか!?」
「まあ・・・不可抗力、かなあ~・・・無遅刻無欠席だったのに立て続けに
 穴開けちゃったから、今日は早く家に帰っ・・・て元に戻すわ~」
「しっかり寝なよ~」
「うん、アリガト。心配かけてゴメンだよ~」
 千華のあの一瞬の”間”が気になる。家で何かあるのかもな~。となると、
余計にあれこれ聞きにくい。そうなると、聞いたところで何も出来ないのが現実。ここは、元の元気な千華に戻るのを待つしかないんだろうな~。
 千華が教室を出て行くのを、何となく三人で見送った。二人とも同じように、何となく付いて行くのは憚れるのを感じたよう。何となく、千華が何かを背負っているような、見えない何かを感じ取った、そういうことなのだろう。
 というよりは、自分が感じるならこの二人が感じないワケがない。間違えなくて良かった。
 お風呂の中でも、お風呂上りにも、千華のことが気になって考えてしまい、ドライヤーで髪を乾かす手も止まる。
「いたっ!」
 ドライヤーを持つ手の甲に何かが当たり、ドライヤーを持ったまま腕が落ち掛け、顔に温風が掛かる。
「あつっ!」
 オッサン以外にない。構ってちゃんか。あ~腹立つ。
⦅誰が構ってちゃんやねん。元祖構ってちゃんに言われたないっちゅーね
 ん⦆
「誰が元祖よ!危ないでしょーが!」
⦅大丈夫、大丈夫、何かあってもワシに害ないし⦆
 このオッサンの根性の悪さ、何とかならないのか。
⦅オマエのない頭で考えてもしゃ~ないやろ~⦆
「ない頭ですいませんでしたねーだ」
⦅ホンマじゃ⦆
 ・・・あ~~~~~腹立つ。
⦅早よ寝れ、ウルサイ⦆
「言われなくても寝るし」
 イライラしつつ、再びドライヤーで髪を乾かし始める。
 くっそ~、オッサンのほうがウルサイだろ~が。何なんだよ、邪魔ばっかしてさあ。いろいろ頭に浮かぶのは仕方ないじゃん。勝手に聞こえてるくせに、ウルサイとか知らないっつーの、フン!
⦅フンフンフ~ン しっかのふん~♪⦆
 聞こえない、聞こえない。髪の毛乾かすのに集中集中。
⦅フンフンフ~ン くぅろまぁめよ~♪⦆
 もういい、勝手に歌っとけ。ああ、平和な日々はいつやって来るのか。
⦅辻斬りあったり、爆弾上から降って来るような日々よりずっと平和やろ⦆
 はいはいはいはい。
 ”平和”の意味が違い過ぎて話にならない。オッサンの声が聞こえないよう、怒りに任せてドライヤーの音のゴーゴーさせながら再び乾かし始める。
「あ~、夏休みに準備できるんだったらいいのにな~」
「あっち(母国)の活動の時季との兼ね合いがあるんじゃない?仕方ないよ
 ね」
「どうせなら、あっちの活動も観に行きたーい(泣)」
「大学生になってからだね」
「はあ」
 ちーちゃんの部屋で、ライブの前に会って人に渡す手土産と、作成する団扇についての作戦会議。
 手土産と言っても挨拶とほんの気持ち程度なので、それほど大袈裟な物ではなく、言ってもたかが高校生でお金も多くない中、CUへの愛だけは込めたい。
 団扇は、彼らに見える席が当たるとは限らない。が、それでも淡い期待、”まさか!”が起こることを期待して作成をする。それにはまず目立たないといけない。周りと同じでは意味がない。そこがなかなか難しい。
 Tシャツのデコも予定はしているが、まだグッズ販売が始まっていないのでツアーTシャツは入手できておらず、それはまた後、ということで。
「あ、これ~、こんな感じどうかなと思って」
 りーちゃんが、勉強机の上に置いてあったA4サイズのスケッチブックを取り、こちらに手渡す。開いてみると、数枚団扇のアイデアが描かれている。愛に溢れている。これは愛あってこそとしか申しようがない。
「や~ん、りーちゃん天才、か~わい~!二人かわい~!早くCUに会いた~
 い!」
 CUを少しデフォルメ気味にしたものと、二頭身系にしたものなどの一人ずつのものや二人のもの、裏に名前や”こっち見て”や”大好き”などに当たる、日本語やハングル、英語、その他の装飾などについて描かれている。
「早く会いたいよねえ。この中から選ぶ?それとも、何か他にアイデアある
 かな?」
「ないないないない!この中からでぜ~んぜんいい、十分十分。もう、アリ
 ガトね~。二人を一つに収めると小さくなっちゃうから、一人一人のほう
 がいいかなあ?」
 考えているだけでワクワクでキュンで、目に留まらないかもしれないのに、目に留まった時のことだけ考えて、アドレナリンにドーパミンがドッパドパでテンションMAX。
「何か任せっきりでゴメンね~。もう、こういうアイデアとかになると、絶
 対りーちゃんの方がスキル高いんだから~」
「ううん、こういうの好きだから、全然。でも、配色とか、実際細工するの
 はすーちゃんの方が上手だから」
 いや~ん、もうそんなこと言ってくれるのりーちゃんだけよ。あのオッサンの耳の穴かっぽじって聞かせてやりたいわ。
「あ、朝ね、お母さんとオートミールクッキー焼いたの。持って来るね~」
「おお!あのお祖母ちゃんのレシピの?マジで!?」
「うん。お祖母ちゃんのには敵わないんだけどね。ちょっと待ってて~」
「おおお~、お祖母ちゃんレシピのオートミールクッキー、久しぶりぃ♪」
 正しくは、ひいお祖母ちゃんの、だけど、噛むとザクザクと小気味いい音を立て、バターの風味良く、レーズンの時はレーズンの、チョコチップの時はチョコが丁度良く、何とも形容し難い、素晴らしく美味しいお祖母ちゃんのオートミールクッキー。思い出しただけでも美味しい。
 今でこそオートミールも健康志向に乗っかり、シリアルやグラノーラバーみたいなものだけでなく、オートミールそのものも普段使いになってきてはいるものの、それでもまだまだメジャーではない中、初めて食べたのは小学生。りーちゃんの家に、鳥取に住むお祖父ちゃん、お祖母ちゃんが遊びに来ていた時。
 実は、りーちゃんのお母さん方のひいお祖母ちゃんはウクライナ系カナダ人で、りーちゃんを見ても、その純日本人的な顔立ちからはそういった面影は全く見られないものの、生活の中で所々その影響が見られる。
 りーちゃんの家は雑誌から飛び出て来たようなカントリー調で、何をどうしたらここまでまとめらるのだろう?と思うような感じ。”木”や”緑”を感じられる中に、コットン系とが上手く調和し、初めて見た時、ここは日本ですか?とキョロキョロ見渡した。
 クッキーなんかでも、お皿に可愛いペーパーを敷いた上に並べられてあり、自分の家にこんな可愛いペーパーなんてあっても使わず、何処に仕舞ったか分からず、気付いたら色あせてしまってそうだ。
 ハーブも幾つか栽培したりもして、それも普通に使っている。自分の家なら、結局使い方が分からず伸びっ放しにして、それ自体をどうしたらいいか分からなくなってしまいそうだ。
 そしてりーちゃんが持って来たクッキーも、相手が幼馴染だというのに、やっぱりキレイなレースのペーパーが敷いてある上に乗っている。そして、ティーバックではない、ティーポットに入ってやって来る紅茶。これも通常。
 しかし、使用しましたるはマグカップ。ここが良い。友達同士でカップアンドソーサーなぞ使われた日には、もうどう振る舞ったらいいか分からない。しかもこのマグカップ、りーちゃんのお祖母ちゃんからの贈り物なので、家に持って帰らず、りーちゃんの家に置いてもらって、来た時に使うようにしている物。マイカップだ。
「食べていい?」
「うん。上手くできてるといいんだけど」
「いただきま~す♪」
 一かじり。あ、この感じ。うん、ザクザクといい音してる。フワッとバターの香り。レーズンとの適度な甘み。鼻から抜ける美味しさのハーモニー。思わず”宝箱や~”と言ってしまいそうな。
「美味しいよぉ~、りーちゃん、天才☆」
 
 小学校低学年の時、クリスマスの日が土日に被った年があり、お父さんは仕事が遠方にて帰宅出来ず、お母さんはまだ入院中だったお祖母ちゃんからの執拗な呼び出しに応じ自分を連れて出向こうとしたが、自分は泣いて拒否した。
 只でさえ頻繁にお祖母ちゃんのところに一緒に行かされ、文句や怒鳴り声を聞かされていたので、この時は感情レベルで全力拒否。玄関先でお母さんに泣いて激しく抵抗を示し、お母さんは次第にイライラし出して強く腕を引っ張り、イヤさと痛みで火が点いたように泣き叫んでいた時、りーちゃんのお母さんから電話が入った。
 りーちゃん家族はカトリックで、教会でクリスマスパーティがあるので、良かったら一緒に行かないかというお誘いだった。きっといつもならお母さんも”迷惑が掛かる”とか何とかで反対したと思うが、自分の二つ返事に何事もなく承諾してくれた。あの時ホッとしたのは、お祖母ちゃんの、あの頭が痛くなる程の金切り声を聞かなくていいと思ったのだと、後から気づいた。
 教会という場所は、TVでは見ても自分には全く関係のない場所だと思っていたので、突然異国にでも連れて来られたような衝撃があり、高い天井、空間、柔らかい間接照明、その照明が当たることで更に教会の中が輝いているような錯覚に陥るパイプオルガンの金色の筒、日本人ではない、柔和そうな井出達の神父さん、どれも不思議な空間。集まって来る人々も何だか穏やかそうで、厳かな雰囲気が余計に声を出すことに躊躇。小さい頃に持っていた、絵本の挿絵の中にいるような気分になった。少し前の時間まで喉が擦り切れるぐらい、吐きそうになるぐらい泣いていたことを忘れてしまった。
「後でサンタさんが来るんだよ」
「サンタさん?」
 りーちゃんがコソっと耳打ちした。
 この教会ではクリスマスにはミサがあり、後に大学生による聖劇を教会全体を使って実施し、後から神父さんがサンタに扮し子ども達にお菓子を配って回る。
 来ている人の年齢もバラバラで、家族で来ている人もいれば一人で来ている人もいる。皆が歌っている歌もよく分からず、りーちゃんの“次はこうするんだよ”という誘導に従い、立ったり座ったり。それでも周りを見ると、自分と同じように流れが分からず周りを見て動いている人も多少いてた。
 神父さんの前に行き、自分のために祈って貰ったことも新鮮で、カットされたパンを一欠と葡萄ジュースを貰い、何となくふんわりとした安堵感というか平等さを感じた。
 終わった後、別の部屋に移動すると軽食が用意されており、クリスマスだからと言って何か特別な物ではなかったが、クリスマスのイラストの紙コップで手渡された、掌からじんわりと体の芯に伝わる温かいミネストローネは、今で忘れられない特別な物。
 きっと、りーちゃんには“さびしい”なんて感じることないんだろうな、と少し羨ましさを感じたが、それも、りーちゃん家族やその場にいた人々、温かい空気に包まれ一瞬にして消え去った。
 りーちゃんの家まで迎えに来たお母さんに、道中のみならず帰宅をした後も、ずっと教会での出来事を話し続けた。お母さんの複雑な表情に気付くことなく。
 その後、また一度教会でクリスマスを過ごしたが、その時はりーちゃんのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが一緒で、その時が初対面だった。にも関わらず、挨拶と共にハグをされ驚いた。
 自分の家には”ハグ”の文化はない。というか、日本には感激した時ぐらいはそういった行動を取るが、普段的にはあまりない。
 保育園年長だったか小学校1年生だったか定かではないが、ある日お父さんと出かけ、手を繋ごうと手を伸ばした時、お父さんは腕組みをした。その時漠然と、“あ、もう手は繋いじゃいけないんだ”と思い、それから手を繋ぎに行くのをやめた。
 実のところ、お父さんが拒否をしたか否かは不明だが、それを確認するという頭は微塵も存在しなかったので、もしかすると思い込みかもしれない。ただ、父親から手を繋いで来ることも無かったので、それきり。
 お母さんはと言えば、夫婦喧嘩も頻繁にあり、お祖母ちゃんのこともあってかとにかくイライラしていることが多く、何時の頃からか、悲しいことがあって泣くことがあっても、嬉しくて大喜びすることがあっても、抱きつきに行けるような空間はお母さんとの間に存在しなかった。
 そんな時期にりーちゃんのお祖母ちゃんのハグは衝撃的だったし、何となくりーちゃんに悪い気がしたものの、笑顔でこちらを見るりーちゃんを見て、”いいんだ”と思い、思わず抱き着いてしまった。言葉で表し難い嬉しさ。
 りーちゃんのひいお祖母ちゃんはウクライナ系カナダ人で、それが受け継がれて、りーちゃんの家では時々ウクライナ料理が出る。りーちゃん曰く、お祖母ちゃんのが一番美味しいので、自分でも美味しく作れるようになりたいそう。
 以前、そのお祖父ちゃんお祖母ちゃんが来た時に食べさせてもらったウクライナ料理は本当に美味しく、好奇心と、そしてりーちゃん家族の温かさに包まれ、更に美味しさを引き出した、かもしれない。
 その時から自分の中では、りーちゃんのお祖母ちゃんの料理は特別。滅多に食べられない、遠い国の料理なのに近い家庭料理。
「今度、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが来るんだけどね」
「え?」
「島根のおばあちゃん、今度お祖父ちゃんの仕事でこっちに用事があるらし
 くってね」
「そうなんだ~。会いたいなあ~」
「ここに泊まるからね、その時はすーちゃん来てね」
「え?いいの~?」
「うん、おばあちゃん、すーちゃんのこと好きだもん。会いたいって」
「ほんとぉ!?嬉しい~!」
 今まで、嫌われてるような気はしても、”好き”とはっきり言われる機会が殆ど無いので、顔の筋肉が緩みそうになるのを堪える。
「え~、でも、何であたし?」
「お祖母ちゃん、すーちゃん、カワイイ、カワイイって言ってたし、おばあ
 お祖母ちゃんの料理、凄く美味しそうに食べるでしょ~?」
「え、だって美味しかったじゃん」
「あたしも勿論美味しいと思ってるし、食べられるの楽しみにしているんだ
 けど、慣れちゃってて・・・すーちゃん見て、ちゃんと言葉にしてあげな
 いといけないと伝わらないな~って思ったよ。すーちゃんが“美味しい、美
 味しい”ってモグモグ食べてる姿がカワイかったんだって」
「え~、“ガツガツ食べてて卑しそう”の間違いなんじゃないのぉ!?」
「すーちゃんはカワイイよ」
「は?」
 りーちゃん、いきなり何を言い出す!?
「りーちゃんはカワイイよ」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
 オイオイオイオイオイ~、何でそんな歯が浮くようなこと言えちゃうかな~・・・やっぱ、こういう穏やかな家庭で育つと、こういう子になるのかな~。そうか~、だからあたしはこんな歪んでるのかぁ・・・いや、てか、話題を変えないと、くすぐったいぞ、落ち着かないぞ!
「お祖母ちゃん、久しぶりなんじゃないの?」
「うん、こっちに来るのはね。こっちから行ったりもしてたし、お祖父ちゃ
 ん、お祖母ちゃん、長い休みになると親戚が来たり行ったりするからね。
 今回はお祖父ちゃんの学会に付いて来るんだって」
「学会・・・」
 そうだった、りーちゃんのお祖父ちゃん、大学教授だった。何だか、りーちゃんって幼馴染だけど、住む環境が違い過ぎて、時々何故に自分が友だちなのかが分からなくなる。
 りーちゃんのお祖父ちゃんは日本人で、お祖母ちゃんの穏やかな陽気さとは逆にとても静かな人で、何か”見守ってる”という表現がピッタリ。いつも小難しそうな本を読んでいて、でも話し掛けると相手をしてくれる。今は島根に住んでいるが、そこが地元ではないらしく、退職をしたらお祖父ちゃんの実家の方に戻ると話ていた。
 って、どこだっけな?今度また聞いてみよ。
「お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも楽しみにしてるから来てね」
「あ、うん、絶対来る~」
 序でに、お祖母ちゃんのペローギとミートボール食べたい、とか言い掛けて止める。卑し過ぎる。
 オートミールクッキーを食べながら、団扇のデザインをどうするか、あーでもない、こーでもないと話し合う。CUに費やすこの時間さえも愛おしい。
 しかも?お祖母ちゃんがあたしに会いたい?カワイイって?もぉぉぉぉぉぉ、この感情、どうしよぉぉぉぉぉぉ!!!!!
「これ、今日中に全部仕上げたいね」
「うん。ばんばりばっふふ(頑張りMAX)!」
 ニヤけそうになるのを抑えるのにオートミールクッキーを頬張り過ぎ、必死で口を動かして紅茶で流し込む。危なく喉に痞えるところだった。
 
⦅何か、えらいご機嫌やな⦆
 ふっふ~んだ、正しくその通りっ。オッサンに何言われても気になんないも~ん。りーちゃんのお祖母ちゃんに”カワイイ”とか”会いたい”とか言われちゃって、も~♪
⦅りーちゃんのお祖母ちゃんって視力大分悪いねんな~⦆
「じぇ~んじぇん気にならな~い♪」
 スゴい、こんなにオッサンの言葉が気にならないなんて。ナルホド、自己肯定感があるとか自信があると、小さいことや下らないことは気にならない、とはこういうことか。ナルホド~。
 自己肯定感とか自信があるナシとか、そんなことを考えなくてもサラ~っと生きている人たちがいる中、”自己肯定感が低い”とか”自信がない”とか考えている人たちがいて、自分は後者。前者の人たちの頭には、そんなものを図る物差し自体が存在しない気がする。なぜなら、そんなことを考えなくても、できるし、やれるし、自分を卑下しないし、失敗しても”やっちゃった~”だったり、人前も平気だったりして、そしてすぐ次に進める。
 こうやってすぐ次に進める人たちは、自分のような人間よりもずっと多くのことを得るチャンスがあり、やり直すチャンスも多くあるんだろうなと思う。羨ましい。
 でも、何かちょっと今日は感覚が分かった気がするぅ~☆
⦅ニヤニヤしてきっしょいねん⦆
「気にならない、気にならな~い♪ さ、ご飯た~べよっと」
⦅おーおー早よ行け。うるさぁて、かなわんわ⦆
「はいっは~い、行っきますよぉ、うふ♪」
 こんな感覚が長く続くワケがないが、どうでもいいことを弾き飛ばせるエネルギーというマントを纏った感じ。いいね~♪
 数日経つうち、千華が元気になってきた気がした。
 顔色も良く、政治・経済の時間も眠気に襲われている感じはない。お昼もフツーに食べてるし、喋りもいつも通り。元気な千華。安堵。
 そうなると逆に、あの時どうして保健室で寝入ってしまうほどの状態だったのか、そっちのほうが気になってしまう。
 かと言って、理由を聞くのもどうなんだか。眞理子も琴乃も楽しそうに話をしていて、そこを聞きそうな雰囲気はない。ということは、今は聞かないのが正解。態々この雰囲気を、自分のエゴで壊す必要はない。
 でも、何故、どうして、が気になってしまうこの性分。落ち着け、自分。
「すばる~」
 琴乃の声がして、目の前で手を振っている。
「ん?何?」
「またどっか行ってたでしょ~」
「え?いたいた」
「ホントにぃ?w」
「うん。ホントに・・・」
 ・・・あれ・・・?ちょ~~~~~~っと嫌な予感・・・かも。
「というか・・ん~~~~~、もしかしたら早く来たかも(汗)」
「え、マジで?早く行っておいでよ」
「うん、ゴメン」
 急いでカバンの中を探り、ダッシュで教室を飛び出た。
 油断した。薬持って来るの忘れた。忘れたと言っても、実際あまり効かない時もあるので、気安め的な位置付け感も否めないが。午後からの授業、耐えられるヤツ!?
 で、お手洗いから戻り、皆に報告。
「ああ、なんて女子って面倒なんだろう(泣)って毎回言ってるよね~」
「とりあえず間に合って良かったじゃん」
「うん。微妙に不順なのがウザい。女子ばっか何なのって感じ」
 お腹が痛くなる前にマッハで残りのお弁当を平らげ、サッサとお弁当を片付けてカバンに突っ込む。
「でも、子どもを産む装置なら仕方ないのかな~」
「眞理子、”装置”ってw」
「いやいやいやいや、まず女子しか産めないっていうのが問題よ」
「え、そこまで話飛ぶ!?」
「だってそーじゃん。眞理子と千華はいいよ~、生理痛ないもん。でも、あ
 たし、これで動けない日とかあるからさ~、理不尽じゃない!?確率で言
 ったらさ、男子はただの腹痛だけだけど、女子っていうだけで別の痛みの
 可能性が増えるんだよ?」
「まあね~、あたしのは軽いけど、すばるのは時々かなりキツそうだもん
 ね」
「確かにね~。生理痛ないとは言え、邪魔くさいのは事実だし」
「男子が産むような時代が来ると思う!?」
「その時はあたしらもう空の上じゃね?」
「うわ、そんな先のこと考えたら、頭爆発しそう(汗)」
 などと話をしている間は特に何もなかったが、案の定、ジワジワとやって来た下腹部の痛み。何と表現すればいいのか。漬物石(TVでしか見たことないけど)が下腹部の中をドンドンと叩かれているような感じ?
 途中まで耐えたが普通に座っていることが難しくなり、とりあえず保健室に薬をもらいに行くか、横にならせてもらうか、相談に行くことにした。休憩中だとみんなが付いて行こうか?と気を遣ってくれるので、敢えて授業中に行くことにする。
 これまで何とか騙し騙し逃れ来られていたが、今回は無理そうだ。できれば授業は抜けたくないのだけれども、授業中に抜け出すと目立つのでできれば避けたいのだけれども、背に腹は変えられない。
 ただ、中学校の時と違って、結構今のクラスはみんな目が優しい気がする。他の子が授業中に抜けた時に、何となくそう思った。
 
 結局、保健室で薬を貰って飲んでも即効きもしなかったので、保健室のベッドで微妙な痛みに悶えながら、気付いたら眠っていた。腕時計を見ると、5限目もあと15分で終わる。まだ少しボーっとした頭で起きてすぐ教室に行ったとて、多分すぐ終了。ならばもう諦めて、ゆっくり教室に戻る準備をするのみ。
 痛みはかなりマシになった。世の中では、”生理休暇”なるものが出来始めているのだから、学校でも導入してもらいたいものだ。不公平過ぎる。この不公平な事象のせいで授業を休む羽目になるのだから、そういうお目こぼしがあってもいいのではないか。
 制服で寝ると、何となく寝心地が悪い。スカートを脱いで寝るワケにもいかず、ブラウスも柔らかくないし、普段靴下なぞ履いて寝ないので、この状態は自由に寝返りを打ちにくく、寝るのには非常に不適切。
 とは言え、深い眠りにつく必要はないし、どうせ起きなければいけないのだから、寝心地が良くてはいけない・・・寝心地・・・
 そう言えば、千華、こんな寝心地良くない状態で、よくあれだけ長く寝てたな~。よっぽど眠気キツかったということよね。
 ボーっと考えつつ、ベッドに腰かけ、制服のジャケットを着用し、ボサボサになっているであろう髪の毛を、手櫛で整える。
 立ち上がると、当然スカートのプリーツに変な跡がついており、できるだけ折れが薄くなるよう手で伸ばす。消えるワケはないが、一縷の望みを掛けて手を出してしまうのは、もう無意識の領域。というか、化学は進歩しているのだから、制服のスカートに皺が付きにくくするとか、そういう繊維を作るとか、何か考えてくれてもいいのに、と思う。
「さて・・・あの~、先生?」
 そろ~っとカーテンを開け、先生の手が空いているか確認。
「あ、痛みどう?」
「や~、大分マシになりました」
「CUのこと以外で来るの珍しいからビックリしたよ~。痛み、初めてじゃな
 いよねえ?よく今まで授業休まずにいけたね」
 保健の高宮先生は、実はまさかまさかの自分と同じCUファン。これが結構、なかなかなファン。
 手渡された紙コップに、ピンク色の温かい飲み物。香りは・・・これはピーチかアプリコット。
「たまたまうまくすり抜けてたんですけど、とうとうです(苦笑)生理休暇
 とか、学校で導入してくれないですかね~?」
「ホントよね~。案外切実よね~」
「あ、先生はどの公演に参戦するんですか?」
「可能な限り頑張るわよ~!」
「いいな~」
「社会人の特権よ♪」
 授業に出ていないのに、CUの話にワクワクしていることを頭の片隅ではやや罪悪感を感じつつも、勢い止まらず。
 と思っていたが、ここは上手にまとめて終結してくれる高宮先生。授業が終わるまで、後7分也。
「もうすぐ授業終わるから、そろそろ教室向かわないと、友だちが荷物持っ
 て来ちゃうんじゃない?」
「あ、それは申し訳ない」
 急いで水分補給をし、紙コップをゴミ箱に入れ、保健室滞在表にクラスと名前を書き込んでいると、用紙の一番上に千華の名前があった。
「あ、ねえ先生」
「何~?」
「あの~~~~~~~~え~っと~~~~~~~」
「何、なに?」
「ん~・・・」
 一瞬迷ったが、やっぱり・・・
「先生、あの~、千華のことなんですけど・・・」
「チハナ?ああ、岡本さんね。どうかした?」
 先日の強い眠気を呼ぶ程の寝不足について、高宮先生は何か理由を聞いているのではないかと問うと、”ん?”と目は笑っていないのに、両口角が上がり、首を傾げるまでにいかない微かな頭の動き。
 ”何でそんなこと聞くの?”のリアクションと受け取った。しかも、良い意味でないほうの。やっぱりやめておくべきだったか。
「や、ちょっと続いたので心配だったので、どうしたのかな~?と思って」
「ん~、彼女は何て?」
「寝不足って」
「じゃあ寝不足なんじゃない?」
「でも、あんなに授業に出られなくなるぐらいのって、大丈夫なのかなっ
 て・・・」
 何か背景に大変なことがあるのでは?とか、ただの寝不足じゃないんじゃないか?まで言うと、突っ込み過ぎと思われる気がし、敢えて”大丈夫なのかな”で誤魔化した。
「うん、まあ友だちが体調悪いと心配よね。でも、聞いてどうするの?」
「どうって言うか・・・」
 確かに。何する?何ができる?何という明確な何かはないけど、話を聞くぐらいはできるし、話して楽になるなら・・・相談だって・・・
「”話を聞くぐらいはできる”、な~んていうのは、その程度の内容だった
 ら、だしね~」
 えっ!?気持ち読める!?何、どういうこと!?えっ!?えっ!?
 高宮先生がにっこりと微笑みながら話しているのが、何か見透かされているようで怖い。自分の顔が引き攣るのが分かる。
「ま、どっちにしても私は何も聞いてないから知らないのよね。本当にただ
 の寝不足かもしれないし、何か理由があるかもしれないし、話したくなっ
 たら自分から話すでしょ」
 サラっとしてるな~、先生。でも、状況わかんないとどう接してあげたらいいかとか、声を掛けてあげたらいいかとか・・・
「ねえ、有本さんも皆に話してないこととかなあい?」
「え?」
「話してることもあるけど、ないものもあるでしょ。ね、それ、今一緒にい
 る子達に話したことある?」
「ん~・・・いや、でもそれは前のことだし、別に話す必要無いかなって思
 うし・・・」
「じゃあ、今聞かれたら話せる?」
「ん"~~~~~~~・・・」
「じゃあ、その渦中、人に聞かれて答えられてた?」
「ん""~~~~~・・・」
 自分にとっては絶妙な例え。思わず腕組み。
 話せるレベルなら面白おかしく話をすることはできるが、まだ自分の中で消化しきれていないことはサラっと話せない。そのレベルは人それぞれ。
 自分が大したことはないと思っていることが、人にとっては大層なことであったり、自分が大層だと感じていることが、人にとっては大したことではないなんてことは常。
「はい、早く教室行かないと、来ちゃうでしょ」
「あ、はい!」
 高宮先生の一拍で思考中断。
 保健室を出ると、丁度授業のベルが鳴った。
 
 中2の終わり頃、何となく体調が思わしくない状態が続いた時期があった。が、小学生の時に一日休んだ次の日に登校した時の、慣れ親しんでいるはずの教室の違和感が漠然とした不安感を生んで以降、何となく学校を休むことが不安になり、そのまま更に体調の不具合を来したことがあった。
 体調の不具合は空腹感の鈍麻を起こし、元々ダイエットをしているつもりではなかったものの、”ちょっと痩せたんじゃない?いいな~”と言われた時、体重が減っていくことに喜びを感じた。
 朝はギリギリに起きて朝食抜きで登校し、給食ではダイエットをしていると思われたくなかったので、牛乳は飲み、おかずだけ食べ、パンは半分残して持ち帰り、近くの公園の鳩にあげていた。夜も少しだけ食べて、「あんまりお腹空いてない」と伝えていた。
 自分では、学校にも行けているし、全く食べていないワケではないので大丈夫と思い、毎日体重計で示される数字が下がっていくことが嬉しかった。
 が、自分では大丈夫と思っていても、周囲はそうは思ってはくれず、お母さんから”もっと食べなさい”と言われる度イラっとし、周りから心配されても、何を心配されているのかがさっぱり分からず。体力が下がっても、華奢で体力がない方が女の子っぽくていいじゃん、とも思っていた。しかも、身体が重く感じるので、もっと軽くならないと。
 なのに、お母さんがしつこく食べろと言ってくるので、”お腹いっぱいって言ってるじゃん!”と反発し、帰宅するとすぐに部屋に入り、勉強するようにした。
 途中からお母さんは食事は用意はするも、しつこく言わなくなった一方で、後から知ったが、自分の知らない間に、お母さんは児童精神科医のいるクリニックに通っていた。
 自分はというと、途中から体重の減りが遅くなり、給食を食べるせいだとは思っていたが、カーストの上の子たちが”あれ、絶対ダイエットだよね。痩せたからってカワイくなるワケじゃないのにw”とコソコソ言っているのが聞こえたことがあり(態と聞こえるように言ってたんだろうけど)、食べないワケにいかなかった。後から思えば、全く食べないまでに至らなかったのは彼女たちのお陰かもしれないけど。
 りーちゃんや裕子さんたちからも心配してると言われたが、本当に何を心配されているのかさっぱり分からず。
 そんな生活をしていれば当然だが、ある日とうとう体育の時間に貧血で倒れ、保健室に運ばれた。横になっていると、連絡を受けたお母さんが仕事を早退して迎えに来た。授業を休みたくないと訴えたが、担任も保健の先生からも帰宅を促された。
 タクシーを呼んでいて、歩いて帰るんじゃないのか、と思っていたら、降りてみると知らない景観が目に飛び込んで来る。
 外の景色を見る余裕がなく、ボーっとしていたら着いてしまったので、タクシーを降りて初めて家ではないことを認識する。
 ここどこよ?と思ったが頭が回らず、お母さんに”貧血の受診”と言われ、誘導されるままクリニックに入って行った。
 クリーム色を貴重にした内装に観葉植物の緑が生え、キレイな感じではある。
 お母さんが受付で診察券を出していたので、お母さんが通っているクリニックかと漠然と思い、何となく周囲を見渡していると、入り口のガラスの壁に反転した『精神科・心療内科』とあり、ギョッとした。慌ててカバンから携帯を取り出し、検索する。
 ”心身症””統合失調症やうつ病、双極性障害””摂食障害””神経症性障害や発達障害、認知症””基本的には全ての精神疾患の治療”といった言葉が並び、自分には関係ないこととお母さんに訴えたが、両肩を持って押えたまま”静かに”とだけ言って聞いてくれない。他に患者さんも待っており、目立ちたくなかったので、取り敢えず大人しく呼ばれるのを待った。
 診察で、”何もない”と言えばいいだけのこと。点滴で貧血がマシになるのであれば、それだけやってもらったらいい。学校は休みたくない。今日の早退でも、明日教室に入るのが不安なのに、学校は休みたくない。
 精神科、心療内科というのはもっと殺伐としているのかと何となく思っていたので、一見、小児科や眼科の待合と特に変わりないことに少し安堵。
 漸く名前が呼ばれ、重い足取りで診察室の前に進みドアを開けると、”こんにちは、よく来たね”とニコやかに挨拶する男性の先生。何と形容したらいいか。ガタイがよく、恵比須顔の人畜無害といった雰囲気の先生。
 軽く会釈をし、先生の前にある回る丸い椅子に座るよう促され、取り敢えず座る。お母さんも横にある椅子に座り、”お願いします”と会釈。
 どこに目を向けたらいいのかがよく分からず、一応先生の顔を見る。
「お母さんから聞いてるよ」
「・・・え、何を・・・ですか?」
 大谷先生がお母さんの方を見て、またこちらに顔を向ける。お母さんの顔を見ようと思ったが、自分より少し後方に座っていたため、振り向いたが間に合わなかった。何か無言の会話が為されている。少しイラっとした。お母さんは何を話したのか。
「今日、倒れたんだよね?」
「・・・ああ、ただの貧血です」
 何だ、貧血で倒れたことか。
「うん。どんな風に倒れたか覚えてる?」
「いえ・・・気づいたら、保健室で寝てたので・・・」
「頭打ったとか、どこか体を打ったような痛みとかはない?」
「あ~、はい、それは・・・」
 ということは、ヘナヘナっと倒れたということか。良かった、どこも怪我なくて。
「倒れたのは初めて?」
「あ~・・・はい。でも、ただの貧血なんで大丈夫です」
 点滴打って終わりなら、サッサとやって帰らせて欲しい。
「最近、学校の椅子に座ってて、お尻が痛くなったりしない?」
「へ?いえ、別に・・・」
 何の話だ。雑談か?今それって関係なくない?
「今、身長は何㎝?」
「・・・へ?」
「身長ね」
「え・・・と、158㎝ぐらい・・・」
「体重は?」
「・・・わかりません」
「じゃあ、ここで測ってもらおうかな」
「え・・・服着てるし・・・」
「着たままでいいよ」
 いやいや、服着たままだと重くなるじゃん。
「服の分は引くから」
「いや・・・」
 お医者さんは言え男性なんだから、体重なんか見せたくないっつの。
「ナースさん、そこで測ってくれる?」
 あ、目の前じゃないのか。じゃなくて、測りたくないのー。と言っても、どうせ拒否できないんでしょうね。
 測りたくないと思いつつも、ふらふらと立ち上がり、ナースさんに誘導されるまま、先生の後方にある電子体重計に靴を脱いで乗る。そろ~っと乗ってもサッと乗っても数字は変わらないのに、なぜゆっくり乗ってしまうのだろう。
 その後、血圧を測り、後から採血もすると言われた。
「取り敢えず今日は点滴打って帰ってもらうね。1週間後、また来てくれ
 る?」
「え・・・また来るんですか?」
「また倒れても困るでしょ。採血もしたから、検査結果を踏まえてまた倒れ
 ないようにするにはどうしたらいいかを伝えるからね」
「はい・・・」
「あ、そうそう、ご飯はあまり食べられなくても、水分はちゃんと摂って
 ね」
「え?あ・・・はい・・・」
 水分・・・
 で、採血の後、点滴を受けてその日は帰宅。
 点滴を受けると、少しふらつきがマシになったような気がする。でも、点滴で体重が増えたらイヤだな。水分だから、おトイレに行けば減るか。
 そして次の受診までの一週間、食事はこれまで通りで、体育は見学にしてもらった。カーストの上の子たちも気にならなくなった、というか、そちらを気にする余力はない。まずは何とか倒れず乗り切ること。ちょっと身体が痛いけど、そのうち治る。大丈夫、やっていけてる。
 受診の日。何の結果を聞かされるのか分からないが、妙に動悸がする。よく分からない不安が体中に充満し、少し吐きそうになったが我慢した。今、何か少しでも体調不良に見える行動があると、自分が想像だにしない悪い方向に向けられそうな気がして怖い。我慢、とにかく我慢。
 が、脈の速さや動悸は自力では止められず、少し胸が苦しい。落ち着け自分、大丈夫、何もない。
 深呼吸をしてから診察室のドアを開け、”こんにちは”と会釈をして入室し、前回同様、先生の前の椅子に座る。
「体調はどう?」
「はい・・・大丈夫です」
「そっか~。じゃあ、また血圧測るね~」
 機械ではない血圧計で測るって、どれだけアナログ。大谷先生って大丈夫なのか。
 大谷先生が聴診器を耳から外し、腕に巻いてあるものをビリビリっと剥がし、血圧計を畳んで脇に置く。電子カルテに何かを打ち込み、それからこちらに身体を向ける。
「こんなおっちゃんに聞かれたらイヤかもしれないけど、先生、お医者さん
 だから聞くね。生理止まってない?」
「・・・止まってる?元々結構ズレるので・・・」
 止まってるっけ?ん?前いつ来たっけ?
 先生がチラっとお母さんの方を見た。お母さんが知るワケないのに。
「うん、そうだね。えっとね、ん~、あともう少し体重減ったら入院コース
 かな~」
「え?・・・入院?」
 入院って、何の話ですか?
 
「あの・・・入院って・・・?」
「うん」
 大谷先生が再び何かをカルテに打ち込み始め、それを終えると傍に立っていたナースさんに何かを伝える。
 長い長い、”うん”の後が長過ぎる。何なの、この間は。ナースさんも何だか神妙な面持ちだった?お気の毒、みたいな顔してた?何、何なの?凄い動悸がする。いや、大丈夫、大丈夫。
 漸く先生が再度こちらに身体を向ける。
「うん、これ以上体重が減るとね、内臓がちゃんと動いてくれなくなった
 り、意識が朦朧として突然倒れたることば頻発する危険性があるからね、
 入院しないといけなくなるんだよ」
「え、でもただの貧血・・・」
「貧血だけならお薬だけで対応できるんだけどね、すばるさんの場合、敢え
 て病名をつけるとしたら“摂食障害疑い”になるんだよ」
 は?摂食障害?あたしが?何言ってんの?ご飯食べてるじゃん。
「摂食障害は聞いたことあるかな?」
「・・・はい・・・でも・・・あたしは食べてるので摂食障害なんかじゃな
 いです」
「うん、そうだね、“敢えてつけるとしたら”だから。でも、このままの状態
 が続いたら”疑い”じゃなくなる”可能性”があるんだよ」
「それはイヤです、入院なんかイヤです、学校休みたくない・・・あたし
 は病気なんかじゃ・・・」
 有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない、あたしがそんな病気なんて有り得ない。入院したら学校休まないといけないじゃん。しかも入院なんかしたら、そんなので入院なんかしたら、またあの子達の話のネタになっちゃうじゃん。
「そうだよね。せっかく勉強も頑張ってるしね。でも、このままいくと、そ
 の勉強も集中力なくなってくるし、入院しちゃうと学校休まないといけな
 くなるよね。じゃあ、そうならないように今日から僕の言うことを一つ一
 つこなしていくこと約束してくれるかな?そうすれば、ボクもすばるさん
 が入院にはならないように頑張るからね。ほら、ボク、これでも長くお医
 者さんやってるからね、すばるさんより知識はあると思うんだ」
「はあ・・・」
 そりゃそうだけど・・・受け入れ難い。気が進まない。頭が回らない。けど、入院して学校を休むとか有り得ない。どうしたらいい、どうしたらいい、どうしたらいい!?
「でも、今より食べないといけないんですよね。お腹空かないし、頭にカロ
 リーが浮かんで・・・」
「そうなんだね。それはなかなか払拭できなかったりするよね。じゃあ今日
 は取り敢えずね、点滴受けて帰ってもらうね、水分も足りてないから。そ
 れから、暫く毎日ここに点滴受けに来てくれるかな」
「え・・・毎日はちょっと・・・」
 ここに入るの誰かに見られたら、ネタにされるかもしれない。家から離れていると言っても学区内だし、それは避けたい。
「来にくいかな」
「・・・はい」
「ま、そうだよね~。そうだな~・・・」
 大谷先生はマウスをカチカチしながらカルテを見て、”それじゃ~”と、近くにある内科・小児科の名前を出し、そこで受けられるようにすると言った。
 そこまでしなければならないことなのか?そこまで?
「紹介状書くからね、入院にならないために必要なことだから受けに行って
 ね。お母さん、今日すぐはお渡しできないけど、明日から受けられるよう
 にしたいから、明日取りに来てもらっていいですか?」
「わかりました。ありがとうございます」
 お母さんが深々と頭を下げる。自分は”なぜ、ありがとうございますなんだろう”と思ったりした。
 入院を避ける為に、毎日点滴を受けなければいけない。嫌なことをさせられるのに、病人みたいで超絶嫌なのに、学校を休んで入院はしたくないから仕方ないのだろう。一度倒れているから、もう倒れないとは言い切れず、取り敢えず点滴を受ければ入院を避けられるのであれば、暫く受けるしかない。それだけなのに。
 一度倒れてから、カースト上位の子たちにどう思われているか考えると怖いので、とにかく勉強に没頭していたものの、少し記憶に時間が掛かるようになってきていた実感はあった。頭が働いてないような、着ぐるみの中にいて生活しているような、何か現実感が薄いような感覚。
 いろいろ頭で考えようとするが、先生に”大丈夫です”と言いたいが、何かもう頭が働かない。”摂食障害の疑い”と言われ気も動転もしている。頭の中がプチパニックを起こしている。
「それからもう一つ」
 大谷先生が再びこちらに身体を向け、続ける。まだ何かあるのか。
「入院にならないように、お腹空いてなくても今より少しず食べるようにし
 ていこうか。取り敢えず〇Kgキープぐらいになったら大丈夫かな。何かを
 守るためには、そのための行動を起こさないとね」
 正論です。でも、お腹空かないのに食べるとか、せっかく痩せたのに食べるとか、結構苦痛なんですが。頭にカロリー浮かぶと、手を付けるの躊躇するし。
「じゃあ、また1週間後ぐらいに予約入れておくからね~」
「はい、ありがとうございました」
 え、また来ないといけないの?近くの内科・小児科で点滴行くならいいんじゃないの?どういうこと?
「はい、じゃあ、今日は来てくれてありがとう。点滴受けたら今日は帰って
 いいからね、来週待ってるからね~」
「はい。ありがとうございました」
 お母さんが再度深々と頭を下げ、自分も取り敢えず礼儀として会釈をして診察室を出る。大谷先生がニコやかに手を振ってくれる。全くもってそんな気分になれない。
 診察室を出ると、先ほど大谷先生の後方に立っていた看護士に誘導され、そのまま点滴室に入って行く。
 点滴か・・・部活、出られるかな・・・
 それから毎日、日曜以外は近くの内科・小児科に点滴を受けに行き、最初はお母さんが仕事を早退し付き添っていた。一人で行けると言ったが、次の大谷先生の診察までは付いて来た。もしかしたら、自分がかなり不承不承だったから、サボるのではと疑われていたのかもしれない。
 勿論、食欲は無くても何かを口にする努力をした。水分も摂るようにした。食べると吐きそうになるし、なかなか喉を通過してくれないし、それこそもうヤケクソ。
 気持ちなのか身体なのか分からないが、最初は家ではあんぱんやくるみパンをちびちび食べるとか、お母さんがいろんな具材を小さく切って入れた雑炊を作ってくれ、それをちびちび食べるとかでないと喉に詰まるような感覚でなかなか進まないのに、なぜか学校ではそれまでも、全部とはいかないが食べて来た。知られたくないからこその意地。
 とにもかくにも、“入院=学校を休む=摂食障害になる=ネタにされる”という思いと、”太りたくない”という気持ちで大葛藤を起こしつつ、”食べれば入院はない”と言い聞かせながら、ただ食べるだけなのに物凄い修行でもしているような状態だった。
 1週間後の診察では、体重が減っていなかったことを褒められ、4回目からは2週間に1回の診察になった。その間、体重は減りはしなかったが、なかなか増えなかった。先生曰く、栄養の吸収が悪くなっているのかも、とのことだった。どれだけ食べればいいのか。結構苦痛なのに。
 それでも、大谷先生のところの待合に小、中、高校生と思われる患者が出入りするのを結構見かけることにより、大谷医師の元を訪れることに抵抗感は少し薄れた。
 体重が2㎏増えたところで毎日の点滴は免除され、5㎏増えたところで診察は月1になった。最初はイヤイヤだったが、次第に行くのはイヤでなくなった。それは恐らく、大谷先生が自分の言葉を否定しないので、話をしても嫌な気がしなかったことが大きいと思う。寧ろ、思わぬところから褒め言葉を受けることで、逆に受診に積極的になったかもしれない。
 そんな折、実はずっと心配をしてくれていたりーちゃんから、最近CUにはまったという話を聞かされ、その時初めてCUと出会うこととなる。
 ここが沼の始まりだった。

 りーちゃんがファンになった時期、たまたまライブの告知があり、というか、ライブの告知があるからTVへの露出が多かったので知ることとなり、りーちゃんがお母さんとチケットを入手。が、りーちゃんのお母さんが用事で行けなくなったとのことで誘われた。
 今思えば、りーちゃんがお母さんと行くはずだったというのは建前で、実は自分を誘い、元気付けよう考えたのかもしれない。
 うちの家では結局ライブはいろんな理由からお母さんに反対され、りーちゃんのお父さんが迎えに行ってくれると申し出てくれ、りーちゃんの家に泊まるということで了承を得た。自分だったら、そんな面倒な子を誘い続けず、すぐ家族が了承してくれる子を探しそうだ。
 自分の性格を知るりーちゃんは、”摂食障害の疑い”と闘っている(ことは伝えていないが)のを傍から見ていて、心配になる様子が見てすぐ分かる状態だった、かもしれない。楽しいCUのライブに行ったら気分も上がるかもしれないと踏んだ、かもしれない。りーちゃんはファンになってから過去のライブDVDを観たと言っていたので、自分なら気に入るかもしれないと思っ た、かもしれない。
 後から聞いたとて、もしそう思っていたとて、りーちゃんはこちらの気持ちを鑑みて絶対そうは言わないと思うので、こちらも敢えて聞いていない。
 何にせよ、りーちゃんの先見の明があったワケで、というか、自分がりーちゃんを知るよりももっと、りーちゃんはこちらをよくよく知っていたということなのだろう。
 ライブに参戦した日、自分の体力のなさに大後悔。周りはCUが”すわって~”と言わないと座らなかったり、隙間時間に座ってはいても、曲が始まるとすぐ立ち上がる。周りがほぼ総立ちの中、途中で座らないと持たなかった悔し悟を噛み締め、その日から一層体調回復に奮闘。
 お母さんに言うと、どうせ下らない理由だと言われるだろうと思ったが、大谷先生にはライブでずっと立っていられる体力に戻したいと言ったら、目標が出来るのはいいことと喜んでくれた。そのうち、受診は一旦終わった。
 中三の受験前、再び食が細くなった時期があったが自覚が無く、お母さんから指摘されるも受験前のイライラが先立ち、再び大谷先生の元を訪れた。
 ただその時は、”クラスのカースト女子たちが絶対に入れない高校に行きたい”一心で、余裕を作らな過ぎたことが原因ということがわかり、受験前の心得や、メリハリが必要ということを説かれ、それらに対してどう対応するかという話だけで済んだので、3回ほどの受診で終わった。
 まあ、CUという沼にハマり、彼らが”よく食べる子が好き””美味しそうに食べる子が好き”と言ったばかりに、意地でも”摂食障害の疑い”を脱出してやる!と頑張るしかなかった。そりゃ、自分のファンが元気で体力があるほうがいいのは当然。
 今も”摂食障害の疑い”の後遺症と言えば大袈裟だが、一度に多くの量は胃に入らないので、スイーツを食べたい時は食事を減らしたり、一回の分量を少な目にして回数を増やすなど自分で調整を続けている。
そして、食べたくないのではなく、食べたことのない物に対しては興味が強く向き、とても食べたいし、“おお~”と声をあげたくなるような物を目の前にした時はテンションも上がる。のに、勝手に自分の中でオオヨソのカロリーが頭に浮かぶ。
その状況に一瞬怯むことがあるが、CUの言葉を思い出して”体力、体力”と言い聞かせて乗り切っている。
しかし、”沼にハマる”とはよく言ったものだ。
 
 と、自分の場合、学校を休むことには不安が大きく、反面、そのお陰で取り敢えず入院を回避すべく意地になれたワケだけれども、今自分が休んでも、眞理子も千華も琴乃も次の日学校で会えば「おはよー!」と言ってくれて、”どうしたの~?”とか”大丈夫~?”とか言ってくれる子たちだと思えるから、入院回避はできなかった?
 いや、そもそもあの状態にならなかったような気がする。学校が楽しかったら、適当にみんな仲良くできる状況なら、カースト上位にいることを然とするべく人を嘲笑するネタ探しをするような、あんなワケの分からない、目に見えないヒエラルキーなんかなければ・・・中学の時に出会えてたら、自分ももっとマシな中学生活だったんだろうな~、と思ってしまう。
⦅フン、“たられば”は“たられば”じゃ、ボケ⦆
 あ~、ここで出てくんだ。ウザ。
⦅は~、何でも人のせいにしよって、お前ホンマ、いちいち性格悪いの~⦆
 あ~はいはい、そうですね~、自分の性格悪いのは自覚してますよ~だ、あ~腹立つ。
⦅腹立つ時点で自覚ナシwwwww⦆
 分かってはいても、いざ言われるとイラっとするもの。いや、オッサンに言われるから立腹というところか。
 最近、本当に性格が良い子というのは、両親の仲や家族仲が良いと感じることが増えた。取り繕った良さとかではなく、滲み出る感じというか、そういう空気を漂わせているというか、オーラが柔らかいというか、ただ優しいとかではなく、何と説明をすれば良いのか。一介の女子高生の自分にはそれを説明、表現するに値する言葉を持ち合わせておらず、何となくそんな感じ、としか言いようがない。
 その子たちは、不思議と周りから嘲笑のターゲットになることもなく、間をスルスルっとすり抜けるような。自分と同じことを言ってもやっても、受けての捉え方が違う。
 その違いは何なのか、とずっと思っていたが、最近、先に述べたような共通点を見出した。それは、両親が揃っているとか揃っていないとか、きょうだいがいるいないとかは関係なく、家族の話の内容が平和なのだ。喧嘩をしても、言い合いがあっても平和で、そして、言いたいことを言い合えている。それが全てではないかもしれないが、今は自分の統計の中間報告ではそういうところ。
 そして、自分にはそんなものは滲み出ていないが、今自分を”友だち”と見做してくれている子たちと話をする度発見があり、”ああ、こんな捉え方があるんだ””ああ、こんな言い方があるんだ”と、ショックや関心の蓄積によって知識や経験値が上がり、人工的に滲み出させることも可能になるのでは?などと思いながら日々を過ごしている。
 にも拘わらず、オッサンは人の努力を無にするかのうように一言瞬殺で終わらせようとする。如何ともし難き愚行。
 捕獲することも弾き飛ばすこともできず、毎度毎度イライラさせられては、拳を握りしめ沈静化を図るしかないというこの構図。いつまで続くのか。
⦅おえ~、まだ笑いネタにでけへんのんかい、修行が足らんのぉ⦆
 足らなくて結構。別に修行なぞする気サラサラ無し。
⦅え~、つまんな~い⦆
 はあ?知るか!
⦅う~ん、ノリもツッコミもできんて、ええ芸人になられんぞ?⦆
「はあ?誰が芸人になるって言った!?」
⦅あ~、あかんわ、ツッコミ長いて⦆
 いや、ツッコミじゃなくて否定ですから。いや、もうホントにイミフだし。
⦅モウイミフ出汁?⦆
 発音おかしいやろ。
⦅おい~、オカシな関西弁使うなや、きっしょい⦆
 ”きっしょい”って何よ、意味わからん。てゆーか、ホント腹立つ~!!はあ・・・神がこの世にいるなら、この煩いクソじじいを黙らせてください。いや、消して下さい!
⦅だーかーらー⦆
「あ~はいはいはいはい、こっちが勝手に見えてて聞こえてるだけなんです
 よね!しつこい!」
⦅いやいや、”しつこい”て何度も言わせてんのはオマエやろ。何回言うたら
 分かんねん⦆
 オッサンが手をこまねいて踏ん反り返っている。ああ、ピッと指で弾き飛ばせたらどれだけ楽だろう。これなら、すぐにいなくなるGのがマシかも。
⦅ほんな今度、ゴッキー呼び寄せとったろか?笑⦆
 ないないないないないない!!絶対イヤ!
⦅オマエ、もちょい考えて物言いや~。思いつきで言うとったら、いつか痛
 い目遭うど~⦆
 Gがワサワサ現れた状況を想像してしまい、脳の中まで鳥肌で、オッサンの言葉なぞ耳筒抜け状態。
 そから千華が1日休み、土日を挟んで月曜日に千華が登校して来たが、どうも睡眠不足だか疲労が蓄積しているような様子。
 休んだ時にLINKをしても、”大丈夫”と返って来ていたが、どう見ても大丈夫ではない。かと言って、”どうしたの!?”としつこくも聞けない。
 自分は昔、それをやり過ぎて避けられた記憶があり、相手が言い出すまで土足で踏み込むものではない、と教えられた。ただ、聞いたら何か力になれるのでは?とか、何か一緒に打開策を考えられるのでは?と思い、聞こうとしてしまう衝動を抑えるのはまだまだ自然にはできない。
 痛恨の極みではあるが、オッサンの嫌味が頭を過るようになり、それが歯止めになっていることは否めない。
⦅オマエのない頭で考えたって何もでけんわい⦆
 それはそうですね、ハイハイ、という遣り取りが脳内で執り行われる。これがもう一人の自分でなく、”オッサン”というところが腹立たし。
「ちょっと、千華大丈夫?」
「え、あ・・・うん。自分じゃなくて、家のことで休んだから」
「そうなの?って、違う、違う。顔色悪いよ?」
 眞理子は休んだ理由ではなく、今の千華の状態を心配しているのだ。当然だ。ただ、自分だったら、そこから突っ込んで更に理由を聞いてしまいそうだったので、やはり声を掛ける時は自分は一番最後まで待った方がいい。結論。
「顔色?あ~、マジで?メイクしてないから~」
「いや、そういうことじゃないよ。千華、もし授業中でも無理と思ったら、
 すぐ保健室行こう、ついて行くから」
「え、そんな顔色悪い?」
 千華は顔をペタペタ触り、明るく振る舞おうとしているようだが、どう見ても活力がない、覇気がない。
「うん、悪い。自分では分からないかもだけど、周りから見たら分かるもん
 だよ」
「そっか~。ん~大丈夫だと思うけど、わかった~。寝不足続くとヤバいよ
 ね~」
 千華はえへへと笑って誤魔化そうとしているが、今言ったよね。何故に寝不足が続いているのだ?勉強には寝るのが大事だと以前言っていた千華が、勉強のために寝不足になるとは思えない。
 で、結局、ランチタイムの前に保健室に行くことを決め、全ての授業が終わるまで保健室で寝ていた千華。
 1日休んでいたから、自分みたいに体調悪くても休みたくない、というところで今日登校したワケではなく、普通に出席日数は必要なので寝不足なまま登校した。が、ダウン、という感じなのか。
 というか、そうか、”家のこと”と言っていたから、家の事情で寝不足になるような状況があるということだ。
 家の事情・・・現状を考えると、どう転んでも良い内容ではないワケで、益々踏み込んではいけないワケで。
 うちの離婚の時も、できるだけ何もないように装っていた、小学生であっても。知られたくなかったし、可哀想と思われたくなかった。今でこそその時の話もできるし、何ならお父さんの愚行も、夫婦喧嘩の内容も笑って話せる。でもそれは時間が経って現状で落ち着き、自分の中でも今がベストな形だと思えているからだ。
 千華はできるだけ元気を装って、周りに心配掛けないよう取り繕っている。途中で保健室に行くぐらい調子が良くないのに、見てすぐ分かると思っていないのは千華だけなのに、それでも大丈夫と言い張る。
 気持ちが分かるだけに、見守るしかない。どれだけ心配してこちらが千華から事情を聞き出したとしても、たかが高校生の自分に何も力になれることはない。
 できるとしたら、授業ノートの画像を送るぐらい?これが続いてしまうと、出席日数に響くのでは?などといろいろ思うが、何もできない。
 眞理子が言う。
「早く寝不足解消されたらいいのにね~。ホント、寝不足続くとかツライも
 ん」
 琴乃が答える。
「ホントだよね~」
 そこで、”何があったんだろうね?””お家、大変なのかな!?”と詮索することなく、千華の体調をとにかく心配し気遣う二人。やっぱり自分とは違うステージにいるんだなとしみじみ思う。
 
千華は別に不登校なワケではなく、どう見ても寝不足や体調不良がある様子だけれども家の都合で休んだと言っているし、所留年になるほど欠席はしていないし、成績も問題ないのでその辺は大丈夫だと思うが、本当に家の都合なの!?と思うほど体調が万全に見えない。
 本当に家の都合なのか、実は大変な病気に掛かって休んでいるのか、と実は自分の中では後者の心配をしていた。
 折角こんないい友だちが、自分にとってはとても有難い、そんな友だちが自らの意思でなく、病気という不条理な事象によって自分の前からいなくなるなどと考えたら、心穏やかになんていられない。
 そのままでもサラっと友だちができる子もいるが、自分は違う。自分でいろいろ考えはするがどうしても無理をする自分がいて、クラスで友だちになっても、いつもどこかで”ハブられてしまうのでは”とか、ハブられはしなくても何となく疎外感を感じるとか、目に見えない線のような囲いのような、事件現場に張られる黄色い”立ち入り検査テープ”のようなものがあるような、そんな感覚が脳のどこかにこびり付いた汚れのように、いつもくっついていた。
 それが今、千華たちといるとそんな感覚が薄らぎ、何だろう、これまでと比べ物にならないぐらい”学生生活”を送っている。どうして友だちでいてくれるのかは分からないし、最初は”またそのうち誰かが引っ張ってっちゃうのかもな~”と思っていたが、そんな不安を感じる瞬間が減少している。りーちゃん以外で初めてかもしれない。
⦅け~っ。ツレの心配してんのかと思たら、なんや、自分の心配かい。ま、そういうんが醸し出してんねやろな~。そら友だちでけんわ⦆
「はあ!?何なの!?ホントに病気だったらどうしようって心配してるん
 じゃん」
⦅や~や~や~、友だちおらんくなったらどうしようて思とるやんw友だち
 のお陰で良い学生生活送れてんのにぃ、言うて⦆
「それは・・・」
⦅あ~ヤダヤダ、純粋に心配ができひんとか、あ~ヤダヤダ⦆
 そうじゃない、そうじゃない、そうじゃない、本当に千華の心配してる!確かに彼女たちのお陰でって思ってはいるけど、こんな自分を受けれてくれて有難い、尊いと思っているけど、本当に千華が病気だったらどうしよう、ただただ病気じゃなく、ただ睡眠不足、ただ顔色がいまいち良くないだけで、すぐ元に戻って、いつもの元気な千華に戻って欲しいと思ってる!
⦅ふ~ん、物は言いようやな⦆
 はっっっっっら立つ!・・・けど、言い返したらまたウザく絡まれるだけだから、やめておこ。何も考えるな、落ち着け自分、自分落ち着け。大きく深呼吸。
 と思いつつ、お風呂に入っている時にオッサンの言葉が頭の中をグルグル駆け巡る。頭が爆発しそうだ。それは、卵が先かニワトリが先か、宇宙の果てはどこで、果てが存在するとしたらその向こうは何なんだ、ということを考えている時と同様のカオスぶり。
 いや、本当に、うん、千華が病気になってなったらイヤなんだよ。本当に大事な友だちだから、自分を受け入れてくれた友だちだから、そんなの絶対にイヤなんだよ。彼女たちのお陰で、きっとこれが”学生生活”っていうものなんだっていうのを、楽しいものなんだっていうのを感じられているんだよ。それが無くなるのは勿論イヤなんだけど、そうじゃなくて、自分みたいなのを受け入れてくれた千華みたいな子が、大病患って生活がままならなくなるとか楽しい時間を失くすとか、尊い友だちがそんなことになるなんていうのがイヤなんだよ!
 次第に視界がぐるんぐるんと回り出し、マズイと思い浴槽のサイドに手を付いてゆっくり立ち上がると、身体がゆらゆらと前後に揺れ、まるで体の中で音がするようにガクンと前のめりになり、浴槽の端に丸まって置かれた浴槽の蓋に頭を打ち付ける。
 構造的に固くはないので痛くないが、のぼせたせいか余計に痛くない。心臓のドクドクが顔全体で成されているのではないかと思うような、自分の体でないような変な感覚のまま、何とかお風呂から上がらねばと浴槽から出て脱衣所に辿り着いたが、バスタオルを手に取るとバランスを崩し、洗面所に手をついて心持踏ん張ったが目の前が真っ暗になった。
 次に気がつき、ぼ~っとする頭で思った。
 自分、死ぬのか?
 薄っすら目を開けると、超目の前に真っ白い物体。そして、徐々に感覚が戻ってきて、体が冷え始めていることに気付く。が、何となく動けない。状況把握のため、とりあえず周囲の確認。をしようとするが、視線を動かすのが精一杯。体が重い。
 ああ、これは洗濯機か。ていうか、ちかっ!
 痛みを感じている部分は無さそうだから、どうやら大きな音を立てて倒れるような事態は免れたようだ。それに、そんな大きな音がしたらお母さんが駆け付けてきて、こんな状態見たら、心配とか言いつつ激怒するに決まってる。
 こんな裸体で倒れているのなんか他人に見られたら・・・いや、自分がそんな状態の人を見たら、”お風呂でのぼせたとか、恥ずかしい~!”などと言って爆笑してそうだ。
 とか言っている場合ではない。このままでは風邪を引く。起き上がれそう・・・人間というのは、意識が明確でないとこんなに体が重いものなのか。いや、これは意識の問題なのか?取り敢えず立ち上がれ、自分。
 ん~~~~~と声にならない声を支えに何とか起き上がり、腕で支えつつ何とか上半身を起こし、はあ~~と大きく息を吐く。
 重い、体が重い。のぼせるなんて初めての経験で、まさかこんなにキツイとは知らなかった。今度から本気で気を付けよう。
 既に水滴が蒸発しつつある体に、手に掴んでいたバスタオルを広げて何とか肩からかけ、脚を引き寄せてやっと体育座り。一つ一つの動作に一呼吸。まだ立ち上がるに至らないが、とにかく早くパジャマを着ないと、本当に風邪を引く。
 洗濯機と洗面台の淵に手を伸ばし、何とか掴まり立ち。をしたものの、そのまま自力で立つにはまだクラクラしているので、洗濯機に前のめりに寄り掛かり、その状態のままカゴの方に手を伸ばしてパジャマを手探りで手繰り寄せ、不格好な状態のままパジャマ着用に至った。
 ふぅ~・・・ああ、これで部屋に戻れる・・・
 壁を伝ったり何なりで部屋へ辿り着き、そのままベッドに倒れ込んだ。
 いかん、喉が・・・
 ベッドからずるずるべったりと、サイドバッグに手が届くぐらいまでに這いつくばり、ゴソゴソと手を突っ込んで水筒を探り当て、どう見ても飲み辛い体勢で何とか水分補給。
 髪、濡れたままだけど、顔も乾燥するけど、ちょっと今無理・・・
 そのまま暫くベッドに沈んだ。何となく薄っすらぼんやりオッサンの姿が見えたような気がするが、知ったことではない。
 それから気が付くと、次第に千華が元気になっていき、欠席もなくなっていった。寝不足感もないし、顔色もいい。元々の千華の姿。
 とても喜ばしいことである。喜ばしいことであるのに、自分の悪い癖だ。ふとした瞬間に、あれは何だったんだろう?と思うことがあり、そう思う度、”言いたくなったら自分から言うし、ずっと言わないかもしれないし、されてイヤなことは人にやらない”と言い聞かせる。
 が、その時はサラっとスーっとやって来た。
 眞理子の面白い大阪のおばあちゃんの、相変わらずファンキーな話を聞いて爆笑していた。
「いや~もう、眞理子のおばあちゃん、いつ聞いてもw」
「会ってみたいわ~、眞理子んとこのおばあちゃん」
「なかなかこっちには来ないからな~。でも多分、友だちが会いたいって言
 ってるって言ったら、喜ぶと思うわ」
「じゃあ来た時には是非」
「ホント、是非是非」
「おばあちゃんて言えばさ~・・・」
 千華が話の流れでサラっと言ったので、千華のおばあちゃんもおもしろネタ爆出しているのかと思いきや、その後少し間があったので、何か話したいんだろうなと思い、話し始めるのを待つ。
 それは、千華の寝不足や顔色の悪さ、欠席は、やはり家事都合だったという、自分の生活とは少し乖離していて、TVの情報番組を観ているような内容だった。
 
 千華の話はこうだ。
 千華の母方のおばあちゃんが、少しずつ認知症が進んでいて、それまで母方の叔父と同居をしていた。
 元々、千華のお母さんの実家の近くに叔父の家があり、数年前におじいちゃんが他界し、一人暮らしをするおばあちゃんの家に時々様子を見に行く生活だった。
 が、ある時から少しずつおばあちゃんの可笑しな言動や行動が生じるようになり、「どこも悪くない」と嫌がるのを病院へ連れて行ったところ、軽度の認知症と診断された。
 ただ、当初はまだ可笑しな言動や行動は軽く、天然ボケのような、笑って済まされる程度のものであったことと、足腰には特に問題がなく、一人で家事や身の回りのことも一通りは可能であったので、叔父家族の誰かが毎日一回は様子を見に行き、生活は成り立っていた。
 月に一度通院し投薬を継続するも、目に見えて少しずつ悪化。担当医に尋ねるも、一般的にはおばあちゃんの程度であれば投薬で進行は遅らせることが可能なはずで、きちんと服薬が出来ているかを逆に尋ねられ、おばあちゃんは「はい」と言い、その繰り返しだった。
 千華はあまり詳細は聞かされていなかったそうだが、聞いた話としては、いつも身綺麗にしていたのがそうではなくなっていき、未開封の食器用洗剤やキッチン漂白剤、醤油、みりん、砂糖、塩などが押入れに、ストックとしては多すぎる量が入れてあったり、シンクに洗い物が溜まっていたりということが増えた、ということだそう。
 ある日、叔父の奥さんが掃除の手伝いに行ったところ、ベッドの上の敷布団の下に、飲んでいない薬が沢山見つかった。飲んでいないので徐々に認知症が進行しており、元々”しっかりしていたというおばあちゃん”であったことが先入観として気付かせるのを遅らせてしまった。
 認知症では、薬が布団の下に隠されていたりすることもあるあるなのだそうで、一人でいさせるのは良くないということで、叔父家族の家で同居することとなった。
 千華の叔父の家は歯科医だそうで、自宅下で開業をしており、叔父の奥さんも受付の手伝っていたので、おばあちゃんの面倒も看ながらの生活。
 既に服薬が出来ていなかった時期に認知症は確実に進行しており、反面足腰はしっかりしている為、おばあちゃんは幾度と無く徒歩で実家に戻ってしまい、ヘルパーも併用するが、介護度により時間が十分でなく、デイサービスも嫌がり、次第に叔父家族が疲弊。悩んだ末に施設入所を検討したものの、足腰が丈夫な分介護度が足りず、対象にならなかった。ただ、入所できそうな施設を何とか探し、今は空き待ちをしていたそう。
 そこまでは何とかやってきたが、叔父の奥さんが疲れてしまい、そこから千華の家に叔父が相談に訪れ、バトンタッチをして施設入所まで千華の家で過ごしてもらうことになり、暫し同居をすることとなった。
 千華のお母さんはドラッグストアに勤める薬剤師さんで、事情を話して仕事を休職。おばあちゃんの通う病院を決め転院させ、ヘルパーも決まり、いつになるか分からない、お祖母ちゃんの施設入所までの間ということで千華の家にやって来た。
 元々は聡明で、千華も好きなおばあちゃんなので、最初は”そうなんだ”ぐらいで、全然ウェルカムだったらしい。
 が、家に来てから、家の中をウロウロする、ふとした瞬間に「家に帰る」と言っては玄関に向かう、引き止めると、年齢と比較すると想像出来ないような怪力で、引き止める千華たち家族を振り払おうとした。
 ただ、時折元の祖母に戻ったように話をしたり、懐かしそうに昔話をすることもあり、千華は混乱することも少なくなかったそう。時系列が無茶苦茶で、おばあちゃんの中で、あちこちの時代にタイムスリップして話をしているような感じで、千華と認識している時と千華のお母さんだと思っている時、おばあちゃんの妹だと思っている時があったそう。それでも、”今ここ”に戻って来ている時は、素直に服薬にも応じていた。 
 柿の実が熟し始める頃、おばあちゃんが「柿取らないと」と、実家の敷地に生えている柿の木のことを言って聞かず、実家から離れて環境の違うところで生活するおばあちゃんを気遣い、千華のお父さんがお母さんを少し休ませる意味も含め、千華と弟も同行でおばあちゃんを連れ実家へ行った。
 その時は叔父夫婦も顔を出し、一緒に柿を獲ったまでは良かったが、一度実家に入れてしまうと戻らないのではと思い、実家には寄らず叔父の家に移動させようとした。が、駄々っ子のようにイヤイヤし始め、何とか叔父の家に誘導。
 おばあちゃんが疲れて寝入ったところで車に乗せ帰路に付いたが、千華たちが帰宅した時、お母さんは丸一日寝ていたらしく、お母さん抜きでおばあちゃんの家に行って良かったと思ったと。
 おばあちゃんとの同居が始まって数ヶ月、最初は張り切っていた千華のお母さんの疲労が確実に蓄積され、家族総出でおばあちゃんを看てはいるものの、やはり家に居ておばあちゃんのと接する時間の長いお母さんに多大な負担が生じる。
「え、千華んとこ、そんなことになってたの!?大変じゃん」
「そうなんだよね~。まあでも最初は大変というよりも、何ていうか、戦隊
 ものの妖怪みたいに、何かに呪われて人格変わった!?ぐらいの感覚だっ
 たんだけどね~」
 千華は再度大きな溜め息を吐き眉を顰めるが、口角は上がっていて、”呆れた”という様子が見て取れる。これは既に落ち着いた状況があるから話せてるんだな、と思った。
「でさ~、寝てる時に何となく物音で目が覚めてさあ。ゴソゴソする人影見
 えたら、誰だってキョーフじゃん!?」
「おばあちゃんだったワケね」
 眞理子がドラマの犯人当てのように、顎に当てていた手を大袈裟に振って千華を指さす。
「そぉ~~~~~なのよ、マジで怖いって!真っ暗なとこに人影って。最初
 起きらんなかったもん。布団被ってさ~。で、何かちょっと声がして、ひ
 ぇ~!?と思ってたら、おばあちゃんの声だったからさ。違う意味で驚い
 て電気点けて“何してんの!?”って聞いても、こっちも向かず人の引き出
 し開けてゴソゴソしてるのよ~」
 まあまあなホラー感だな。
「毎日?」
「いやいや、偶にだったんだけどね」
 偶にであんなフラフラになるのかな?多分、もっといろんなことがあったんだろうなと思うが、敢えてそこは突っ込まない。
「まあ、介護って大変って聞くしね。それで千華は目の下にクマ2匹飼って
 たのか」
「そ~なのよぉ。この麗しきJKがクマ2匹よぉ」
「コトバのチョイスwwwww」
 千華が楽しく笑ってるし、取り敢えず落ち着いて良かった。大病じゃなくて良かった。
「しっかし、何なんだろね~?同じ状況になってもさ、弟は朝まで起きなか
 ったって言うんだよ」
「え?人が寝てるところに入って来てもってこと?」
「そ~」
 何でも、千華の弟の部屋で同じことがあっても、朝起きたら引き出し開けっ放しで部屋散らかっていて気付く、という状態だったらしい。何と図太い、というか鈍感というか・・・自分だったら、やっぱり千華と同じように起きてしまうだろうな~・・・
「でもさ~弟君、火事とか起きても気付かないとかありそうで、それはそれ
 でヤバくない?そういう意味では、起きちゃうほうが良くない?」
「火事になる確率のが少ないっしょ」
「ま、確かに。って、じゃあもうおばちゃんは施設に入ったの?」
「うん。”施設”って響きは何だかビミョ~だなあと思ってたけど、キレイな
 ところでさ~、スタッフさんたちもいい人でさ~。まあ、あたしなんてず
 っと別々で生活してたワケだから、おばあちゃんがただ引っ越ししただけ
 で、そこは自分で鍵開けて出られないし、気に掛けてくれる人がいて安心
 かな~ってとこかな」
「あ~なるほど、そう言われてみればそうか」
「実は1回さ~、一人で家から出ちゃって大変だった時あったからさ~」
 その内容は、おばあちゃんが勝手に家を出て徘徊をし、家族総出で探したが、結局警察に行ったら保護されていて事なきを得た、というもの。
 千華は既に過ぎた事だからか軽い感じで話すことができているのか、それとも、軽く話すことで逆に”大変だった”という気持ちを吐露することができたのかは分からないけど、徘徊途中で事故に遭って命を落としているお年寄りがいる、というニュースも見たことがあるので、実際、千華の家族は本当に大変だったし、見つかるまで生きた心地がしなかっただろうと思う。
「いや~、おばあちゃんのことがあって、政治家の奥さんになろうとか思っ
 たね」
「え、政治家じゃなくて奥さん?????」
「そう。政治家なんて無理。男ばっかだし、オッサンたちばっかの中に突っ
 込んでいく勢いはない。よほど有名人ならともかく、地盤もないし。とな
 ると、政治家の奥さんになって、いろいろ要望を伝えて頑張ってもらう」
「え~、笑うw」
「流石に超有名が付く国立に合格する自信はゼロだけど、法律は元々興味あ
 るし、法学部に入って、大学から選挙事務所でバイトして知り合い作って
 おいて、意地でも政治家の妻になって、法律の知識駆使して旦那を裏から
 手薬煉引いて、福祉制度をもっと変えて、認知症を持つ家族の苦悩を解放
 する!みたいな」
「何か、スゴw」
 ぶっ飛んではいるし、どうやったらそこまで思考が繋がるのかと思うが、とりあえずおばあちゃんの存在によって、何か考えることがあったということだろう。
「だって、認知症でも歩けるからって介護度低いっておかしくない?施設入
 所希望しても、介護度のせいで出来ないし。そりゃ、家族が“可哀相”って
 入れない人もいるらしいけど、施設入所が“可哀相”と思わなくていいよう
 にしたいじゃん」
「すごいビジョンw 政治家の奥さんって大変って言うけど。まあ~、頑張
 れw」
「てか、お母さん薬剤師さんって言ってたけど、そっちは?」
「あたし頭文系~」
「あそ~」
 千華がいつもの千華に戻っていて良かった。
 
 夕ご飯を終えて部屋に戻り、充電中の携帯を手に取り、勉強机の椅子に座り携帯チェック。
 とりあえず食事時に携帯持ち込みは禁止で、それはもうクセのようになっていて別に困りはしない普通のこと。

 携帯を持ち始めた頃、一応約束として、食事時には使用しながら食べることはしないように、ぐらいのことは言われたが、Mutterに流れてくるCUの情報を見たり、そこから疑問に思ったものをチェックしたりに躍起になっていて、食べながら使用をしていた。
 そして、携帯を買ってもらえるというその出来事に気分は高揚し、その事象の勢いだけでお母さんとの約束に「わかった」「大丈夫」「ちゃんと守る」と言い切ってしまうという浅はかさ。実際携帯を持つと、そういう約束は頭の端に追いやってしまい、お母さんの採算の注意を無視し、持論を展開して使用し続け、そしてその日はやって来る。
 なんと、お母さんが携帯をを取り上げ、浴室に入って鍵を掛け、お湯のたっぷり張られた湯舟にドボンと投げ入れた。お母さんを追い掛け、鍵を掛ける音と共に締め出された自分は、薄っすら見えるお母さんの姿とドボンという音で何が起こったかを容易に知ることができ、”ちょっと!!”と大声で叫んだのを覚えている。が、後は何を言ったか思い出せないが、とにかく頭の中はパニック。
 どのぐらい経ったかお母さんが浴室から使えなくなった携帯を持って出て来て、結構いろいろお母さんに泣いて喚いて訴えた気がするが、”ながら携帯でないと生きていけないのか!”と怒鳴られ、唖然としてしまった。言われていることが極端過ぎて、”え、そこまでじゃないけど”と心の中で冷静に呟いていた。
 それよりも、情報から置き去りにされてしまうこと、LINKで繋がってる子たちと遣り取りがなくなることの不安が押し寄せて来たことにより、再度涙が溢れて来た。
 結局、携帯を修理に出す間、お母さんの携帯を家にいる時だけ借りる形にになり、かなり不便な数日を過ごした。ヘタするとやり取りも見られる可能性があるので、思うままの言葉で返せない。修理費用も自分の小遣いからいくらかずつ差し引きされていった。
 というワケで、そんな不便な状況よりも、大人しく約束を守っていたほうが無難であることや、特に外での”ながら”は危険もあるので、それは守るようにし、現在に至る。
 姫芽奈たちとのLINKグループアカウントが携帯から消滅してから、LINKでの会話は格段に減ったが、画面上に表示される会話の数字に重荷を感じることはなくなり、時間に余裕が出来たことに喜びさえ感じている。
 CUの情報はSNS情報通の人が発信すれば得られ、あちこちから拡散もされる。姫芽奈達と繋がっていた時ほど、より多くの情報は得られなくなったが、多くの情報を得ているのは自己満足というか、ただの優越感というか。そのために、感覚やペースを同じくしない同士の関わり合いの疲労感も同時に抱えるというのは、割に合わなかったように思う。
 勿論、他の人が知らない情報を際に得て、彼らの状況を理解できることの優越感は心地よかったけれども、常識を極端に外れ過ぎているように感じることを強いられることと天秤にかけると、後者は負担が大きすぎる。ので、今は切れて良かったのだろう。
⦅なんや、ワシのお陰やな⦆
「う・る・さ・い。フン、勝手にそう思っとけ」
⦅素直やないな~。てか、口悪いな~⦆
「オタクに言われたくありませ~ん」
⦅え、ワシ直球やぞ?⦆
「そっちじゃないっ!」
⦅おっこわ~⦆
 ベッドの上に、既視感のある動きをするオッサンの姿が見える。昔の泥棒が唐草模様のほっかむりをし、抜き足差し足歩くような感じか。
 聞こえなくていいのに、見えなくていいのに、何故に聞こえ、見えるのか。鬱陶しい。
 気を取り直し、Mutterをチェックする。
 現在、CUは現在母国で活動中で、音楽番組出演時の動画が既に幾つかアップされており、それを見られるだけで気分が一気には跳ね上がる。
 日本ではこんなに次々上がって来ることが有り得ないので、本当にスゴイし、有難い。
 普段直接観られない海外のファンにしたらそれで観られるので、日本もそれぐらいして海外のファンも増やせばいいのに、そうすれば音源やDVDの売り上げに繋がるかもしれないのに、とぼんやり思ったりもする。
 そう言えば・・・
 今日、千華から聞いた言葉を思い出し、何となく検索に掛けてみる。
 介護度 認知症・・・介護度認定・・・ふむ、”その判定結果に不満”とい
う家族の声が普通に上がっていて、普段、車椅子を使っていても要支援1か2という判定になったり、寝ていることが多い人でも要介護程度の判定になったり・・・“”要介護1、立ち上がりや歩行が不安定。排泄、入浴などに一部介助が必要・・・”云々。
 う~ん、千華のおばあちゃんがどのぐらいか、ざっくりとした話からはよく分からないし、認知症にもいろいろあるみたいだし、情報が膨大過ぎてよく分からない。
 初心者が即座に理解できるサイトが選択し切れず、項目が多すぎて何から手を付けていいか判らない。ただ分かったことは、介護度の認定基準を上げてもらって、より多くのサービスを受けたいと考えている家族は少なくないこと、施設の入所待ちをしている家族が少なくないことだ。
 ワードを次々検索することを止め、認知症の家族を介護している人の話を次々読んでみた。
 読んで読んで、千華はきっとかなり端折って話をしたんだろうなと思ったし、結局は経験した人にしかその大変さは分からないだろうと思う。
 うちはおばあちゃん入院のまま亡くなったので、千華の家みたいなことはなかったし、あれはどう見ても認知症にはなっていなかった。認知症になると人格が変わることもあるとあるが、あのおばあちゃんが更に悪い方へ人格が変わるとしたら、恐怖でしかない。
 お父さん方のおばあちゃんは・・・分からない、ホント分からない。会いたいと言って来ることもないし、お年玉とか誕生日プレゼントとかも貰ったことないし・・・って、それはお母さんの方も一緒か。ホント、小さい時に数える程しか会ったことがないから、全く想像がつかない。
 というか、何かうちの家って・・・
⦅人間、長生きすると大変やのぉ。平均寿命がもっと低かった時代は、認知
 症なんかなる時間もなかったっちゅうこっちゃなあ⦆
 何時の時代の話してんだか。
⦅人生五十年て言うやろ⦆
「そのぐらい知ってますぅ~」
⦅あ、もっとアホか思てたわww⦆
 ふん、何かもうちょっと“アホ”に慣れてきたし。
⦅アホになったんwwwww⦆
 なってねーわ(怒)まあでも、若年性は置いておいて、認知症になる平均年齢より寿命が短かったら・・・でもそんな時代って、今より移動も家事も時間が掛かるし、もし寿命が五十や六十五十年だったら、あっという間過ぎて何もできない、気がする。
⦅何言うてんねん。お前らみたいにチャラチャラしてる間ぁなんか無いか
 ら、余計なこと考えへんで毎日精一杯生きとったんや⦆
「や~まあ、そうだろうけど」
⦅何でも多かったらシアワセなんちゃうぞ。少ない中から自分の些細な楽し
 みを見つけるっちゅー、昔はみんな、頭ちゃんと使こて工夫して生きとっ
 たんじゃ。やから、“あーでもない、こーでもない“とかだらだらだらだら
 考えへんねん。選択肢少ないから、ちゃっちゃと考えてちゃっちゃと決め
 て、無理なんは諦めてやな。そら家事とかどっか出かける言うたら時間か
 かるかもしれへんけどやな、お前らは“あ~でもない、こ~でもない”て、
 どうにもならんことぐちゃぐちゃと。贅沢やねん⦆
 いや、てゆーか、何であたし、説教食らってるみたいになってるの!?こんなワケのわからないオッサンにゴチャゴチャ言われる意味が分からない。
 しかし・・・平均寿命五十を超えたのが戦後を超えてからって聞いたことあるけど、昔ってどうやって平均寿命出してたんだろう?江戸時代に、今みたいに戸籍管理をしていたと思えないし、そもそもその時代に平均寿命なんか出してたのか?出生届とかも出していたと思えないし、どうやって統計取るんだよ。
⦅オマエは浪漫がないのぉ⦆
「はあ?」
⦅どうやって調査したとかそんなとこばっか目ぇいって、寿命が今ぐらいな
 い時にどんな生活してたんかとか、何を楽しんどったんかとか、そういう
 ことに思いを馳せるとかないんかっちゅーねん⦆
「そんなのあたしの勝手でしょ!?」
⦅お~、別に勝手や。只単に”浪漫がない”て事実言うただけやん⦆
「じゃあ、態々言わなくて良くない!?」
⦅言いたいねん 笑 それもワシの勝手やwwwww⦆
 ・・・やめよう、とりあえずやめよう。疲れるだけだ。別のことを考える、別のことを考える、別のことを考える・・・そう、千華が元気になって良かった。
 おばあちゃんが施設に入れたから見守りもいる中の生活で、夜中の徘徊や、知らない人扱いされて、家族がツラい気持ちを抱えるということもなくなったそう。施設に入れる時は辛かったようだが、会いに行くし、元々一緒に住んでいなければ、”時々会いに行く”スタンスは変わらない。
 いつか自分にも同じような出来事が起こる可能性はあるし、自分がいずれ年を取った時も・・・・・いやいやいやいやいや、今自分が高齢者になった時のこととか全然考えられないっ!ちょっと頭の中軽くパニック!!ヤバい!怖すぎる!どうしよう!?
⦅オマエ、やっぱ面倒いのぅ。自分の想像でパニックとか、アホちゃうん⦆
「はあ?別に、アホちゃいますぅ」
⦅ヘンな関西弁使うなや⦆
「関西人って、すぐそれ言うってね~。あ~ヤダヤダ」
⦅け~っ、よう言い返さへんからって”あ~ヤダヤダ”で終わらすとか、芸無
 さ過ぎで、あ~ヤダヤダw⦆
 なんんんんんんかムカつくけど、もう相手しない、相手しない、相手しない、図に乗るから相手しない。
⦅て言うて、結局言い返すねんなw⦆
 ”無”だ”無”、”無”になれ、”無”。心頭滅却すればだ。そうだ、それに”千華が元気になって良かった!”ってハナシだったのに、何でこうなるかな!?よし、見てろよ!
「千華が元気になって良かった、元気になって良かった、元気になって良か
 った!千華が元気になって良かった、元気になって良かった、元気になっ
 て良かった!」
 他のことを考えないように、声に出して繰り返しながらお風呂の用意をし、部屋を出た。
 扉を閉めた後、扉に向かって”べー”をして部屋を離れた。自分でも子供じみているなと思ったが、思わずやってしまった。ざまーみろと思ったのも束の間、何だか何だかの敗北感。

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