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ワザワイ転じて山芋ウナギ ~とある女子高生の奇妙な回想録~ 其の9

「ねえねえ、すばる、西嶋くんのこと好きなんだって~」
「きゃー、ホントに!?」
「だって言ってたもぉん」
 誰が?別に好きな男子はいないって言ってないし。無理やり、”いないなら、クラスの男子だったら誰がマシ?”と聞かれ、”マシ”というならと名前をあげただけだったのに・・・
「ねえ、川西くんがさあ、クラスで一番すばるがいいって言ってたよ~。す
 ばるはどうなのぉ!?」
「え、別に何もない!たまたまクラスがずっと一緒なだけだってば」
「え~、いいじゃん、照れなくても~!いいじゃん、いいじゃん!付き合っ
 ちゃえば?」
「何言ってんの!?」
「え、何がダメなの?」
「いや、ダメも何も・・・」
「じゃいいんじゃ~ん!」
「いや、ホントに良くないから!」
 好きとかそういう気持ちもないところに、しかも別に仲がいいワケでもない子たちが、こんな話を振って来て、何かと言えばそんな話ばかりで、勝手なことばかり言わないで欲しい。けど、そこまで言い切ることができない自分も不甲斐ない。
「すばる、街田くんとこぉ~やって手、つないでたよぉ」
「え~、やだぁ~w」
「こぉ~やってよぉw」
「付き合ってんじゃん?w」
 はあ・・・男女数人で腕相撲やってて、何故か自分だけそんな風に言われるとか、もうストレスでしかない。この子たちのこういう感覚、全く理解不能。
「有本さん、川上くんのこと好きなんだってぇ」
「へ~、そうなんだぁw」
「川上すばるw」
 え・・・また!?何で、フツーに喋ってるだけじゃん!他の子だって喋ってるじゃん!美咲ちゃんが川上くんこと好きなのに、よりによって何であたし・・・あ~あ、美咲ちゃんの顔が引き攣ってる、最悪・・・
 小学生の頃からこういったことが何回あっただろう?
 朝学校に行ったら突然こんな話が勝手に広まっていて、誰が発信したのか不明なまま、誰かの嫌がらせなのか、ただそういう話ばかりしているグループが、自分たちが楽しむために起こしているのか。ある日突然、教室の戸を開けると空気が一変していたりする。
 正直なところ、自分は男子を好きだの何の話すのは苦手だし、好きになってもなかなか告れもせず見てるだけで終わってしまう傾向はある。とは言え、好きになった男子がいれば、少なくともりーちゃんには話している。ただ、誰にもかれにも話せるタイプではないし、りーちゃんも人に漏らすような子ではないし、実際のところ、好きな男子の名前で噂をされてことはない。
 恋バナよりも、この過酷な女子生活の中で如何にサバイブするかの方が比重が大きく、“皆で仲良く”が希望の自分としては、好きな男子に想いを伝え、もし万が一仲がギクシャクしてしまうことがあるなら・・・と思うと、伝えずに関わっていられることを選択してきた。
 こういう恋バナ好きの火種女子に勝手に噂されたことで、何もなかったハズのその男子とギクシャクしてしまったことがあり、それからは更に距離を保つことを心がけ、小学生から彼氏、彼女がいるような子たちとは全く違うところを歩いて来た。
 噂を立てられると、激しく否定すればする程火種女子が喜ぶことに気付き、それからは噂が立っても、ただただ噂が消えるのを待った。ただ、男子によっては関わり難くなる男子もおり、心の中では”ヘタレか”と思っていた。言えないけど。
 “みんな仲良く穏便に過ごす”を望む自分としては、火種女子の井戸端会議好きは迷惑極まり無かったが、対抗できるワケもなく、火が沈静化するのをただ只管待った。
 不思議なのは、ターゲットになる子とならない子がいて、自分は定期的にターゲットになってしまう。分かりやすくイジメられてるワケでもないが、困った反応が面白いのか、特に好きな男子がいない様子なのがつまらないのか、その辺は自分では俯瞰して見ることができない。 
 今の高校に合格した時は、火種井戸端会議好き女子は全て別の高校だから、離れられることに胸を撫で下ろした。
 ただ、高校生になり、新たな場所で何が起こるか分からないので、仮に同じようなことが起こったら、気にしない風に”は?”と返す練習をしていたことがある。
 その一方で、高校に入ったら大学受験が待っているので、それどころではないか、と思っていたが、なんのなんの。
 結構な進学校だと思うが、フツーに恋バナもあるし噂話もあり、少し違うのは、授業中も隠れてその遣り取りをして楽しんでいたりする子がいないので、基本的にそれに費やしている時間が短い。
 そして、眞理子たちと出会い、”〇〇くんってカッコいいよね~”とか、”〇〇くんの顔ってマジタイプ”などとサラっと言うのを日常的に聞くようになり、少しぐらいそういうことを口にしていた方がターゲットになりにくいのか?と思ったりすることもあり、少し自分もそういうことは言えるようにはなった。
 最初は、残りの歯磨き粉を絞り出すように、自分の中から表面的に感じたことを”感想”として述べるだけのことに、もの凄く労力を要した。慣れないことをしようとすると、スルッと出て来ないものなのだと実感。逆に、CUの好きなところを述べよと言われれば、ゴゴゴと音を立てる滝のように流れ出るように次々と出てくるのだけど。
 CUのどちらかが彼氏になったらとか、街中で突CUと出くわしたら、などという妄想の日々に、虚を衝かれた。予想は可だったが、想定内ではなかった。久々の洗礼。
 学校の中では特に大きな出来事もなく(?)何とか1年数か月、のハズだったが、千華からのまさかのLINKに蘇る忌まわしい記憶と感情。
 自転車置き場のあれだろな~、とは思ったが、普通告る時に人が次々来る自転車置き場なんかでしないだろーが(泣) 違うって分かるでしょー⁉てゆーか、何で乙がりーちゃんと歩いていても誤解されないのに、何で自分!?
⦅おお、とうとうオトコマエと・・・⦆
「違う、違う、違う!!てゆーか、オッサン、聞かなくってもわかってるク
 セに、何なん!?」
⦅おっコワ、お~コワw⦆
「はあ!?」
 オッサンの声の方向を追い、素早く睨みつけたものの、ベッドの上をスキップしながらクルクル回っていて、戦闘意欲が一瞬にして萎えた。
 はあ・・・忌々しい・・・
 大きな溜息を吐き、項垂れ、また火消しに沈黙を貫かなければならないのかと思うと、やっとお母さんの体調も戻って来て、ほぼほぼ普段通りの生活に戻っていけていると思っていた矢先に、と思うと遣り切れない。
 いや、待てよ。あの文面は、少なくとも千華たちは信じてないってことじゃん。そーじゃん、そうだよ。乙に告ってなんかないんだし、んなわけないって分かってくれてる子たちがいる。それだけでも全然違う、うん!
 携帯に手を伸ばし、千華からのLINKに返信を始めようとしたところ、眞理子と琴乃から、千華から少し遅れてそれぞれ同じような内容のLINKが来た。
「マジか!」
 軽く目眩。これはまとめてグループLINKに返信。
 朝、学校の門をやや俯き加減で自転車で滑り込み、そそくさと自転車を置き、足早に教室に向かう。廊下も俯き加減で足早に通り抜け、そのまま真っ直ぐ自分の席に向かう。
 教室前で一瞬立ち止まり、深呼吸をし、頷いて教室に入ろうとすると、“おはよ!”と勢いよく肩を叩かれ、そちらの方に顔を向けると、千華の笑顔。
「あ、おはよ・・・」
「も~、びっくりしたよ~、すばるってば、もー」
「あ、ははははは。いや~、あたしもびっくりしたって(棒読み)」
「けど、確かにすばるが言うように、あのチャリ置きって結構オープンで人
 も行き交うんだし、人が多い場所で誰が告るんだってなるよねぇw」
「ね~」
 席にカバンを置き、先にカバンを置き終えた千華が寄って来る。
「けど、乙藤君なら噂になっても良くない!?笑」
「え、嫌です、結構ですw」
 誰かと噂になるのとかって最高にキライなのに、よりによって、よりによって乙よ 泣
「だって、結構人気あるよ~、乙藤君」
「え~、そんなの知らん」
「あたし1年の子から聞かれたんじゃん?他の学年に人気なかったら、チャ
 リ置きのとこで告られてても気にしないんじゃない?」
「いや、告ってないから・・・?ちょっと待って、アイツが知られてるのは
 分かった。でも、他の学年であたしのこと知ってるってなったら、部活の
 子ぐらいしか知らなくない?」
「う~ん、あたしに聞いて来た子は中学が一緒だった子なんだけど、どこか
 ら回って来たかまでは聞いてないな~。“何年のさ~、あのこういう人でさ
 ~”みたいに聞いていくと、結構行き着くじゃん。まあ、もしかしたら、あ
 の子自身が、かもしれないし」
「う~ん・・・でもすごーい迷惑なんだけど」
「え~、あたしは乙藤君なら喜んじゃうな~w そのついでに付き合うこと
 になれちゃったりしたら、ちょっと嬉しいかも」
「え、じゃ、替わってぇ」
「替わってあげたいけど、あたし彼氏いるしな~」
「いやいや、そういうことでは(汗)」
 ふと目に入った教室の中は、自分が乙に告白したという話が回っているようには見えず、自分を見てヒソヒソ話をしている姿もない。
 昨晩は千華たちがLINKでネタにして笑って終わってくれてホッとしたし、どうやら噂として回っているような感じもなく、胸を撫で下ろす。
 昨晩は、オッサンから、”自意識過剰過ぎんねん。アホけw みんなテストのが大事じゃ”などと言われ、反論をしたものの、強ち間違いではない。
 朝のバタバタの最中はそれどころではなかったし、千華たちがイヤな感覚を緩和してくれたこともあったが、自転車を漕いでいる間に嫌な感覚がゾワゾワと這い上がって来て、過去のイヤな感覚を思い出してしまった。
 再び頭の中をぐるぐると不快な記憶が巡るも、学校に行かないわけにいかず今に至るが、過去に経験したような状況は何処にもない。
 高校になるとそんなもの・・・?と言うか、オッサンの言う通り、ミニテストの点の方が大事よね、そりゃそうだ。
 “乙藤君なら喜んじゃうな~”じゃないよ・・・お~ぶるぶる。
 頭を小刻みに左右に振り、千華のことばを振り払う。
 
 一旦は普段と変わらず授業を受け、気が付くと昼休みに入り、お弁当を食べながら談笑し、お弁当箱を片付けてすっかり気の抜けた状態の時にそれはやって来た。
「あの~、森北さん?」
「はい?」
 えっと~、何だこの3人は・・・同じ学年の・・・今どこのクラスか知らないが、寺田さんと春川さんと渡瀬さん。全く関わりがないぞ?
 確かこの3人、競技かるた部だったよね~。また揃いも揃ってのサラサラ黒髪ロングヘア―なのは、漫画の影響なのか何なのか。ま、うちの学校はカラーリング禁止なんだけど(と言いつつ、微妙に色変えてるだろ?という子はいるよね)。
 一瞬何事かと固まってしまったが、ハッと我に返り、眞理子、千華、琴乃の方を見て何か情報を得ようと試みた。が、眞理子は目を見開き小刻みに頭を左右に振っていて、千華と琴乃は目をパチパチさせて”何だ、ナンダ⁉”といった様子。
「ちょっと聞きたいことがあって」
「はあ・・・」
 寺田さんが黄門様で、スケさん、カクさん引き連れて来ているようなこの感じ。妙な威圧感があるのは何故?こっちが座ってあっちが立ってるから?いや、何だか友好的な感じではないことは分かる。
「乙藤君のこと好きって本当?」
「はあ?」
 うわ~、きた~、今日が何もなく過ぎればOKと思ってたのにぃ。ていうか、すげ~直球でビックリ。何、このお初な感じ⁉というか、どこからどう回ったのかな~(泣)何もなく一日を平穏無事に終わらせてくれよ~。
 噂というのは、曲がる、捻じれる、絡み合う、非常に不確かな物であるにも関わらず、聞いた方はそれしか聞いていないから、その曲がっている途中、捻じれている途中、絡み合っている 部分は知らされることもなく、そのままを受け取ってしまうのは仕方ない。しかし・・・
「え、全然」
 寧ろ、苦手な部類ですが。
「でも、森北さんが乙藤君に好きって言ってたって聞いたけど」
 誰からだよ、誰からだよ、誰からだよ~(泣)そんなこと言ったヤツどこだ、出てこい、ぶった切ったるっ!てゆーか、こんな直球で聞かれるとか初めて過ぎて、どう対応するのが正解かが分からない。”告った”という言い方をされなかったのは、何だか救いな気がするのは気のせいか。
「いや、言ってないし、微塵も思ったことないんだけど・・・」
 冷静に対応しているつもりだが、内心ドキドキで、下から上に血液が上がって行く感じで、耳まで沸々。また何だか悪いように揶揄されたらどうしようかということだけが頭の中をグルグル駆け巡る。
「ホントに?」
「ホントに」
 これ以上何かいろいろ被せていくと余計に疑いをかけられるだろうから、もう事実だけを淡々と。ホントだから、やってないから、事実無根だから。
「そうなんだ・・・わかった。お昼ご飯中にゴメンね」
「え?あ、うん」
 ええええええええ~!?こういうシチュエーションで謝られるとか初めてなんだけど!!!!!どゆこと?どゆことー!?凄く構えてたのに、意表を突かれて唖然。
 3人は踵を翻し、シャラン♪と音が聞こえそうな長い髪の印象を残し、あっという間に教室から消えていった。
「え、確認?」
「寺田さんが乙藤君のこと好きっていうのは聞いたことあるけど、あれ、ホ
 ントだったんだね~」
「え?琴乃知ってたの?」
「何か小耳に挟んだだけだし、直接聞いてないから噂程度な感じだったんだ
 けどね~。ただ、見てるとやっぱりそうかな~、と思ったことはあるよ」
 そういうことを小耳に挟んで一瞬見かけても、すぐには周りに言ったり騒いだりしない琴乃。見習いたい。
「へ~、寺田さん、そうなんだ~。しっかし、サクっと聞くだけ聞いて去っ
 て行くって、何かスゴイね」
「食い下がりもしなかったしね」
「”お昼ご飯中ゴメンね”とかって、お育ちがいいのかな~?あたしだった
 ら、”あ、そうなんだ~”までだわ」
「すばる~、起きてる~?」
 千華の手が目の前で振られ、我に返る。これって不思議だが、なんと簡単に我に返る手法なんだろうと改めて思う。
「お!あ、うん。ビックリした~」
「え?驚いてたの?あんなに淡々と返してたから、わかんなかった~」
「いやいや、何かめっさ責められるのかと思って固まっちゃったわ」
「颯爽と去って行ったね」
「うん」
 今までとは比にならないぐらいあっさり終わり、それこそ”一体何だったのだろう”感。狐につままれた、というのはこういうのを言うのか。
「掃除しに行こか」
「そだね」
「じゃね~」
 眞理子と琴乃がお弁当のバッグを持って教室に帰って行った。
 結局一日、お昼時の件だけで、以上のことは起こらず、驚くほど拍子抜け。午後になると頭をかすめる程度で、通常運転。
 廊下で向こうから歩いて来る乙が見えた時、思わずササっと隠れてしまったが、“しまった、これが自意識過剰ってヤツか~”と自分の行動が口惜しい。帰宅後、オッサンから相当いじられるであろうことが予想される。
 学校から出て、いつものように家路に着き、お母さんの体調を伺い、洗濯物を取り込んで畳み、それぞれを片付けた後、海老シュウマイをチンして食べ、再び家を出て塾へ向かった。
 お母さんはまだ体力が本調子ではないが、仕事には時短で行っているし、体力を戻すべくできる家事は進んで行い、食事も時短でできる物を選んで作り、少しずつ作り置きも始められている。
 今回、学校に行きながら家事をすることで、手際の差を省いてもどれだけ大変かということとを実感し、また、お母さんがれるという考えも及ばなかったアクシデントを経験したことで、能動的に自分にできることをすることにした。
 学校が休みで塾がない休日には自分が洗濯を引き受け、お風呂掃除かトイレ掃除もすることにした。平日は、洗濯物の取り込みと片付けができる時はし、食後の片付けもすることにした。
 お母さんが、勉強が疎かになる程にはしなくていいと言うのと、自分も慣れていないので多くはできないことも認識しているので、本当にできそうな時のみ、ではある。
 今回、身をもって知った。自分が治療不可能な病になるか事故に遭うかが無い限り、親が先にいなくなってしまうこと。年齢に関係なく、突然親が母親が逝ってしまう可能性もあること。そうなれば、何も知らない、何もできない自分でいると、路頭に迷ってしまうことを。
 現実自分にはきょうだいがいないし、まともに付き合いのある親族もいない。いつも自分に手を差し伸べてくれるのは知人や友人で、親交が深いとは言え赤の他人。お父さんも遠方にいることが多い。
 社会人になっているならともかく、高校や大学の間にそういったことが起こった時、何もできない自分ではいけないと思い、少しずつでもできることを増やしておかなくては。路頭に迷わないための準備。
 考えたくないが、事実。考えたくないが、今回の事象と、あと、保志さんと再会したことが大きく影響していると思う。
 これだけの人口がいる中、同じ年齢の人間も多くいて、いろんな生活を送っているのは当然だが、SNSという文明の利器があるとは言っても、凡人高校生のいる世界は狭く、自分と大きく違う生活をしている同級生に出合える機会は少ない。
 保志さんと再会し、現在の生活の話も聞いていなければ、ここまで深く考えることはなかっただろう。
 考えたくないけど、考えないといけないこと。保志さんが話をしてくれたお陰で、こういう機会を与えられた。感謝!
 そう思うと、乙に告っただのナンダのなんて、激しく下らない話よね~!
⦅何言うとんねん。たまたまネチこぅない子ぉやったから何もなかっただけ
 やんけ⦆
 塾から戻り、入浴を済ませて椅子に座ってタオルドライしながらうんうん頷いていると、いつものツッコミ。
「や、そうかもだけど、あたしもサラっと冷静に事実返せてたじゃん」
⦅何言うとんねん。しかも、キラリ~いう子は、オトコマエが会わせてくれ
 たからやろ~。感謝ないとか、あっかんわ~⦆
「結果良ければじゃん。それに乙がいなくても、どこかで保志さんと再会し
 てたかもしんないじゃん」
⦅んなもん、オカン倒れる前ちゃうかったら意味ないやんけ。アホけ⦆
 ・・・あーはいはい、さいですねー、さいですねー。
⦅え~やん、オトコマエ。何があかんねん。大体、オマエがアイツに悪態吐
 く程何したっちゅ~ねん。言うてみ?⦆
「は?何で?アイツ、感じ悪いじゃん」
⦅どこが?言うてみ⦆
「いやだって、雑誌の時さ~・・・」
⦅あれはオマエが悪い⦆
「いやいやいやいや、だってあんな言い方しなくっても良くない?だから感
 じ悪いって言ってんじゃん」
⦅言い方?うわ~、ケツの穴ちっさいわ~、いや~、ちっさいわ~ 笑⦆
「あのさ、前からそれ言うけど、意味わかんないんだけど」
⦅あ~、ちっさ~。ケツの穴、ちっさ~wwwww⦆
 意味分からないのに、何だかもっすごく侮辱されてる感。何だろうな~、何だろな~⁉
⦅だって、事実やも~ん、も~ん、も~んw⦆
「“も~ん”じゃねーし!」
⦅オトコマエのお陰でキラリィに会えたんは事実やろー?ひいては、改心す
 るに至ったワケやろ?大体、なんや、雑誌がっちゅーやつも、あっちのほ
 うが真っ当なこと言うとったやんけ)
 真っ当って・・・
⦅ぐうの音も出んっちゅ~んはこういうコトやなw⦆
 ここで何かを思うとまたくだらないツッコミを食らう。ので、とりあえずドライヤー、ドライヤー。
 そそくさと結んであるドライヤーのコードを解き、コンセントに差込んで髪を乾かし始めるが、ブゥ~ンと音と風を立ててすぐに勢いを失う。
「は?」
 オッサンが、ドライヤーの抜いたコードをブンブン振り回しているのが目に入り、思わず睨みつけるも、オッサンは我関せず。
⦅人が話してる時は、静かに聞かなアカンて習たやろ⦆
「オッサンの話なんて聞く必要ないし」
 ドライヤーのコードを引っ張って自分のほうに引き寄せ、再度コンセントに刺し、抜かれないように片手で押える。
 取り敢えず抗ったとてどうにもならないことは百も承知なので、無心になって髪を乾かし始める。コンセントを持ちながら髪を乾かすなんて、なんて面倒臭し。
 ある程度乾いた時点でドライヤーを片付けるや否や、小さいおじさんが開口一番、“恥かかされた、思たからやろ”と言った。
 恥?は?
⦅おうよ。あかん思とんのにやったん指摘されたからや。お前はそれがただ
 単に気に食わんかっただけや。自分、間違てること指摘されてキレたりす
 んねんからな。悪いことしたら、“すんません”言うて習たやろ。自分悪い
 のに、何でキレんねんw)
「・・・別に悪いことしたわけじゃないじゃん」
 何となく自分でも声が小さくなっていることは認識。
⦅ほな、何であん時オトコマエに、“間違うたことしてへん”て言われへんか
 ってんや。自分、間違うてへん思てたら、それ言うたらよかったんちゃう
 ん⦆
 何か腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ。
⦅図星やから腹立つねんw ほらみ、どこが”サラっと冷静に”やねん。相手
 の子ぉがサラっとしてたから、早よ終わってん。オマエがネチこいわ。雑
 誌のんなんかいつの話やねん⦆
 ネチこいって・・・今ここで何かを思うと負ける。やめよう、とにかくやめよう。考えない、考えない、ドライヤー、ドライヤー・・・
 オッサンがベッドの上で、カエルのようにピョコピョコと飛び回っている姿が目に入るが、向きを変え、背中にして見ないようにして、途中になっていた髪を乾かす。
 コンセント持ちながらとか、めっさウザいんですけど!!
 
 そもそもだ、そもそも乙がりーちゃんの方に言ってくれりゃいいのに、通信ツールだってあるワケだしなのに、偶々いたから、偶々見つけたからとこっちに話しかけて来なくてもいいのに、そのせいで要らぬ誤解を与えてしまうような事象となってしまい、自分も要らぬ労力を使ってしまったワケだ。
 話し掛けられた内容は、CUの出る夏フェスのチケットが4枚当たり、ユンジュン君も来るのでどうか?という話。
 毎回思うが、後から徴収するとは言え、取り敢えずは4枚分支払うお金があるというはどういうことなんだ?同じ高校生だぞ?バイトをしているからとは言え、金銭感覚おかしいんじゃないのか?
 と、とこはさて置き、確かに抽選結果出てすぐ見かけたのが自分だったのかもしれないが、だからと言って別にこっちに直で声掛けなくても、りーちゃん探して声掛ければいいワケだし、LINKででも何でも伝えたらいいじゃないか。
 チャリ置きでね、声を掛けて来たのが乙の方だというのを知らず、途中から見ていたら、こちとらオタオタしているワケですからね、ラフに談笑しているようには見えなかったでしょうからね、まあ、認めたくはないですが、何だか乙はおモテになるそうですから、最悪、こっちが乙に告るなどという構図に見えた”かも”ですよ。
 と言うか、男子と女子がいるからと言って、すぐそういう風に見えるというのはどうなんだ!?と思う一方で、それをCUに置き換えて考えると、CUと仲良く喋っている芸能人や、親密そうにしている同じ事務所の人との画像が上がっていると、激しく胸がザワザワする(別に彼氏でもなければ知人でさえもないにも関わらず)。好きだからこそ怪しく見えてしまう、というのは多少仕方ないのかもしれないとも思ってはいる。
 そういう意味では、たまたまあの忌まわしい現場を見かけたのが、千華の後輩だか後輩の友だちだったとしたら、そういうバイアスが掛かっているというのは仕方のないことかもしれない。
 というか、結局、乙がりーちゃんに言えば良かったんじゃね?に落ち着く。でもって、何で4枚取ってんだ?ユンジュン君と行くなら2枚で良くね?と思い、4枚取る理由を聞いたが、聞いたとて理解不能だったので考えても無駄。乙はただ単にいつもそうするのがフツー。理解不能の人種。
 そして夏フェスは行きたいが、そのつもりでちまちまとお金を貯めて来たが・・・毎度のことながらあたくしにはたっか~いハードルがあり、乙みたいに行きたいからと言って”はいはい”というワケにはいかない。
 りーちゃん通して聞いた話だったら、多少フィルター通して濾過されて、
”ああ忌々しい”などというドロドロした感情は多少生じにくくなっただろうに、ただでさえ苦手な乙から直でその羨ましさをぶつけられるとイラつきは倍増。
 その上こういう場合、なぜか”乙が”じゃなくて”あたしが”告ったように見られるというのが・・・何だか悶々とする。何というか、乙が人気者というよりは、自分なんか誰にも相手されないのに自分から告るのかよ的な感じで見られているモヤモヤ感。
 乙だって誰が見てもイケメンというワケじゃないのに、いろんな物が付随して”イケメン風””みなしイケメン”になってるだけなのに、その付随している物が周りが羨むであろう物であったり、女子とあまり積極的に関わらない感じとか、そういった何だか女子ウケしそうな設定(?)が相乗効果となっているだけじゃないか、と思うワケで。
 などと次の日の通学途中、授業の合間などに悶々とした感情が出ては引っ込んでを繰り返す中、特に変わったことはなく、乙の名前が出されることもなく、その次の日も、その次の日も、数学のミニテストの点が思ったより悪かったこと以外は、平穏無事に過ぎた。
 家に帰ると、相変わらずオッサンに”しつこい”だの”ネチっこい”だの言われたが、オッサンにこっちの気持ちが分かってたまるかってんだ、てやんでぇ!
 兎にも角にも、小学校や中学校みたいに事象が引きずられなかったことに拍子抜けしたことは事実。構え過ぎた分、徒労に終わった。
 そして事の発端の夏フェスのチケットに関しては、うちと違ってりーちゃん家は気を付けて行く分にはサラっと許可を得られるので問題なく、こちらも行く許可をお母さんから勝ち取った。そのエピソードは、ライブの時よりはスムーズだったので割愛。
 2年生になると更に忙しい感じもあり、早めに夏フェス参戦準備をすることにした日曜日。
 毎日天気予報では気温の上昇が言われ、春もあるのかないのかあっという間に暑くなり、梅雨が来て即猛暑、が続く昨今。何月かというだけで季節を認識するしかないような日本。大丈夫か?
 自転車で、熱気を帯び気温を上昇させるアスファルトの上を走り、太陽からの光とガラスの反射から受ける太陽の光をガンガンに受け、風を浴びようと早く漕ぐと信号で止まった際に滝汗で、仕方なくもわっとした空気の中をゆっくり自転車を漕ぎ、りーちゃんの家に向かう。
 これだけ科学が発達してるのだから、日本列島全体がここまで湿気が起こらないような装置でも考えてくださいよ、といつも思う。
 この先、また季節が進めば殺人的な猛暑だよな、と想像するだけでゾッとするので、ただ只管、CUの応援グッズを作りたい一心で自転車を漕ぐ。
 漸くりーちゃんの家に着き、自転車をガレージの隅に停め、籠から荷物を取り出し玄関へ向かい、一旦チャイムを鳴らす体で扉の前に立った瞬間にドアが開く。
「暑かったよね~。入って、入って」
 そう、自分は知っている。いつも来る時、玄関に一番近い部屋で待っていて、自転車を停める音がするとすぐに玄関まで出て来てくれる。どうしてそんなことが出来てしまうのか、りーちゃん。
 玄関に入ると、もう既にいい感じのひんやり感。
 リビングを通るも、おじさんもおばさんも出掛けているようだったので、りーちゃんに誘導されるまま先に部屋に行った。
 カーペットの上に腰を下ろし、汗拭きシートを取り出して汗を有る程度落ち着くまで拭い、その後、トートバッグからまだ何も施されていない黒い団扇、作業道具を取り出してコタツテーブルの上に置く。
 いつ来ても、オールドカントリーな雰囲気のりーちゃんの部屋は女の子だ。ベッドカバーはりーちゃんのおばあちゃんの手作りのパッチワークで、クッションもカーペットも同様でとってもカワイイ。勉強机も棚もカントリー。唯一、コタツテーブルだけは真っ白で、逆にそれが更に可愛さを増している気がする。
 一般の小学生なら、よくある学習机を買ってくれと言いそうなのに、りーちゃんが小1の頃から使っているのは、オールドカントリー風な机。高校生になると、逆にそっちのほうがお洒落に見える。
 小さい時からカントリー風な中で育つと、自然とそういうのを好むようになるのか。自分も憧れはするが、実際問題、自分の家の中でそれを叶えるのは不可能なので、まともに考えたことはない。そもそも、コーディネートしながら必要な物を自分で買えるワケもないし、オッサンの椅子とかお父さんからの数々の地方土産がある時点で無理。
 そして、りーちゃんの家に来ると何となく家の中に家族の温もりが充満しているのを感じるが、うちをオールドカントリーにしたところで、この雰囲気は出ない、家族の仲睦まじさや喧嘩しもってでも仲が良いなんてものは、出そうと努力して出せるものでない。
 ふと、棚に立て掛けてあるりーちゃんのおじいちゃん、おばあちゃんの写真と目が合う。
 おじいちゃん、おばあちゃん、お元気ですか?な~んて、写真からもおばあちゃんの優しさ、感じるな~。
 写真を見ながらうんうんと一人頷いていると、“どうしたの?”とりーちゃんの声。
「え?あ、いや、写真見てさ~、自分のじゃないのに、おじいちゃん、おば
 あちゃん、元気かな~?と思って」
 りーちゃんがトレイに乗せている紅茶とガラスの器に入った物をテーブルに其々起き、トレイを横に除けて、同じくおじいちゃん、おばあちゃんの写真に顔をやる。
「うん、元気だよ。でも、年齢も年齢だから疲れやすくはなってるみたいだ
 し、おばあちゃんは、時々膝に痛みを感じ出したみたい。このあいだ、お
 母さんがおばあちゃんに膝に効くって言うサプリメントをまとめて送って
 たよ」
 りーちゃんにジェスチャーで、紅茶とガラスの器の白いデザートを勧められたので、有難く頂戴する。
「え?ホントに効くの?CMとかじゃ、観たことあるけど・・・」
 すばるは“いただきます”のジェスチャーをし、紅茶を口に運んだ後、白いデザートに手をつける。
「う~ん、どうかなあ?膝の周りの筋肉も自分で鍛えないといけないみたい
 だし、おばあちゃんにも頑張ってもらわないと。今年は、日本の花火観に
 来たいって言ってたから」
「おじいちゃんとおばあちゃん、来んの!?」
「膝が大丈夫なら来るって」
「会いた~い!」
「うん、おじいちゃんもおばあちゃんもすーちゃんに会いたがってるの」
「ホント!?」
「うん」
 わお!
「わ~、楽しみぃ!・・・って、これ、何のアイス?」
「あ、これ?豆腐とハチミツの」
「豆腐とハチミツ!?へ~、やさしい味」
「味、大丈夫だった?」
「え~、全然美味しいって!」
 いや~、手作りで体に優しいデザートとかって、ホント、りーちゃん家って感じぃ。しかも、チャリ漕いで暑かったし、アッサリ系アイスとか嬉し過ぎでしょ~。
 アイスを食べ終え、冷えた胃に温めになった紅茶がじんわりと染み渡る。
 んんん~、美味い♡
 目を閉じて、この優雅な昼下がりの午後を堪能。漸く汗も引いて、落ち着いて来た。
「じゃ、そろそろ始めよう」
「うん」
 りーちゃんが空いたガラスの器をトレイに乗せてテーブルを空け、団扇にどういうデコを施すか、話し合いを始める。
 ある程度決まると、CUの曲を聴きながら、万が一、当たった席が神席で近くで見ることができたら、の場合を想定し、期待を作業に込める。
 途中、りーちゃんが空になったティーカップを持って行き、今度は温かいハーブティーを持って戻って来る。
 初めてハーブティーを飲んだ時はぼや~っとした味で美味しさが分からなかったが、自分はきっと暗示に掛かりやすい。裕子さんの所でも、りーちゃんのからも、効能を聞くと”美味しい”と思うようになり、家で飲むことはないものの、とっても体に効いている気になる。
「ねえ、すーちゃん」
「ん?なあに?」
 CUの文字をカッティングしている手を止めず、りーちゃんの声掛けに答える。
「うん、あのね・・・大丈夫だった?」
「ん?ハーブティー?」
 カッティングしている手を止め、りーちゃんの顔を見る。
「ううん・・・何か、また誤解からの噂みたいなのあったでしょ?」
 一瞬、何のことか分からなかったが、その後すぐに乙の件だと気付き、思わず目を見開く。
「え、りーちゃん、知ってたの!?」
 いや、チケットの件は乙から聞かれたとは言ったけど、チケットの返事はりーちゃんにお願いしちゃったけど(乙苦手だから)、告ったという勘違いの件はりーちゃんに言ってなかったハズ。
 昔からこういうのに巻き込まれては滅茶苦茶心配してくれるから、今回は自分で何とかできるならと思って言ってなかったけど、どこから知ったの!?寺田さんたちが来たのを見た子もいたけど、内容まで聞かれてないハズ・・・誰かが寺田さんたちから聞いたのかな!?ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待って!まさか、張本人の乙にもどっかからその話、耳に入ってないよね⁉
 汗が引いたはずが、今度は変な汗かいてきた・・・
 
 結局、乙とはクラスも違うこともあり、ほんの一部だけ”らしい”という話を小耳に挟んだ程度で済んだようで、りーちゃんも、クラスの乙を気に入っている女子から聞かれて初めて知ったそう。
 ただ、小、中の時のようにクラス内でのことでなかったことや、仲の良いりーちゃんに聞いて来た子たちも、否定されるとあっさり引いていったので、気にはなったが、少し時間を置いてから大丈夫だったかどうかを聞こうと思った、ところで現在に至る。
「すーちゃん、昔っからああいうの苦手だから・・・小、中の時みたいにク
 ラスの中じゃなかったから大丈夫かな~と思ってたんだけど・・・」
「あはは~、ホント、どこに行ってもこういうのに巻き込まれるんだよね
 ~、ホントにイヤだわ~、しかも乙とか」
「乙藤君も直接聞かれてて、それを偶々見かけたんだけどね」
 え?は?何?なにー-------!?
「え、あの有り得ない噂、乙、知ってんの~~~~~~!?」
 おーまいがー!ウソだ、ウソだ、ウソだ、ウソだー----!!イヤ過ぎ、イヤ過ぎ、イヤ過ぎー----!!ああ、何でよりによって乙に知られるなんてー-----!!てゆーか、直接聞くとか、その子頭おかしいんじゃないの!?あり得ない、有り得ない、有り得ない!!!!!
「でもね、聞いて来た子に、“下らないこと聞くね”って返してて、聞いた
 子、唖然としてたよ。だから、広がらないだろうなとは思ってて」
 うわ~、ちょっと聞いただけでも”乙”って感じぃ。塩、すんごい塩、超塩だわ。
「まあ、見えるような場所で遣り取りしてたら、気になって見ちゃう子もい
 るよね。乙藤君、密かに人気あるみたいだから」
 でもきっとまた、りーちゃんと話をしていても噂にはならなくて、自分だとなるって寸法だい。なんだってんだ、てやんでぃっ!乙が人気って、一体何なんだよ。
「けどさ~、乙ってそんなモテんの?眞理子たちも同じようなこと言うけど
 さ、どこがいいの?」
 あの、塩漬けオトコ。とは、口には出さず、心で名付ける。
「頭いいかもしんないけど、特にカッコいいってわけでもないと思うし、ま
 あお家はお金あるだろうけど、な~んか淡々としてて、“オレは正しい!”
 みたいな感じで、な~んかな~」
「私立中高一貫から公立受けるというのは、ちょっと変わってるなと思うけ
 ど、まあでも、いい人かなって、乙藤君」
「え、うっそん!?」
 りーちゃんの言葉に思わず耳を疑う。
「やさしいところもあるしね」
 やさしい?やさしいぃ~!?りーちゃん、本気で言ってる?本気で言ってる!?塩漬けオトコよ?塩漬けに唐辛子の輪切り入ってるよ?と、りーちゃんには言えない。
 ユンジュン君と仲の良い乙だし、言っちゃうとユンジュン君否定してるみたいだし、”うっそん”と言っておきながらだけど、それ以上を音声として発することはできぬ。意識しておかないと、思わず出そうでヤバい。
 と、珍しくりーちゃんが言葉を続けた。それは、自分としては初めて聞く話。乙と最低限の関わりしかないので、知らなくて当然なのだけれども。
 
 乙の家は病院で、父も兄も医師で、当然乙も医学部受験予定というのは知っているが、医者ではなく医学の研究の方に進むつもりでいて、それは幼馴染の存在によるそう。
 小学生の時、小児科に心臓に問題を抱え入退院を繰り返している同学年の男の子がいて、乙と同じく私立受験をするつもりでいたこともあり、“勉強になるから”と父親にその子と会わせられ、入院している時は時々病院に出向き、退院した時も時々会い、お互い切磋琢磨して勉強していた。結構気が合っていたようで、乙も彼と会って話をするのを楽しみにしていた。
 その男の子はサッカーと天文学が好きな子で、思いっきりサッカーもしたいし、大人になったら宇宙に関する仕事をしたいと話していたが、結局、サッカーに関しては激しい運動はNGということで、思うようにできずに来た。
 その後、その彼は乙と共に同じ中学に無事に合格し、現在もその高校に通っているし、友だち関係も続いているそう。
 りーちゃんもユンジュン君から聞いた話らしく、詳細なところで”え、どういうこと?””え、どうしてそうなったの?”と聞いたところでりーちゃんも詳細は知らないので、ざっくり。
 そしてりーちゃんが話したかったのは、医学の研究のほうに行きたいと思ったのは小学生の時で、その友だちを見てそう思い、今はもしかしたらもう少し大きい括りで研究と考えているかもしれないが、その思いが消えないまま現在に至る、というところは、友だち思いないい人な感じするよね、ということと、そして更に、その男子もCUのファンに引き込んだという功績までプラスされていたという・・・
 先の話は、まあまあナルホドいい話ではあるだろうし、友だちと思うということは自分にだって気持ちはある!と思っていたところに、後者が投入されるという暴挙。
 男性グループにとっては男性ファンというのは尊い。やはり同性に”カッコいい”とか”ステキ”とか認められるというのは、女子のファンが増えるよりも嬉しい。のに、それを一人でも増やしたという功績。ん~~~~~~~~~、それは本来なら賞賛に値する。でも!でもでもでもでも!・・・何故に自分はこんなに悶え苦しんでおるのだ。あ・・・!
「あ、でもでも、その乙の幼馴染だか何だかって人、ライブに来たことあん
 の?こないだのツアー、乙の周りにいた?」
 本当にそういう人が存在するのか?もしかして作話なんてことだってあるかもよ?
「何か、彼女さんと来てたみたいだよ」
 彼女と!いや、そりゃまあ体が弱いってだけで、そりゃいてもおかしくないよな。体が弱いから彼女いないなんて法則もないし。友だちと言うからには、乙が引き入れたとなるからには一緒に参戦するだろうという、まあ、自分の安易な思考が残念過ぎる。そんなオチがあるとか頭にないし。
「ユンジュン君も乙藤君経由でその人ともお友達になって、そこから聞いた
 んだって」
「はあ」
「小学生からその思いを持ち続けてるってスゴイよね」
「あ~、まあ、うん・・・そぉぉぉだねぇ」
 そうなんだけどな~、何だろな~、何かいけ好かない。
 と、ふとオッサンが以前言った、”何かいけ好かんちゅーんは、イジメの首謀者と変わらんやんけ”が頭に浮かび、”いやいやいやいや”と心の中で否定をし、頭をふるふるしてしまったので、りーちゃんが”どうしたの?”と心配そうに声を掛けてくる。
「あ、うん、何でもない。うん、そうだね、乙って優しいんだ、そうか、そ
 うか。うん、モテるんだ、へ~・・・あ、でも、それと何だか人気がある
 というの、関係ないよね?だって、その話、みんなが知ってるワケじゃな
 いし・・・」
 学校の生徒みんながCUのファンではないし。
 りーちゃん曰く、勉学的に賢いことは証明済だし、スポーツも適度にできて、見た目も悪くなく、男子にも結構慕われていて、自分から女子にチャラチャラ話し掛ける様子もないし、かと言って愛想がないワケではなく、話し掛けたら普通に対応はする。その上、前に行っていたのは周囲も憧れる有名私立で、ドロップアウトでなく自ら公立で生活してみたいと受験して来た上に、中学での話を出して比較したり嫌味を言ったりなどもない、となると、女子にとってはちょっとした憧れ的な存在に映るのではないかと。
 愛想ある!?う~ん、淡々としてるよね?所謂、”突っ慳貪”じゃない!?
 でもまあ確かに、相手が”乙”でなければ、ここに”イケメン”という条件が付けば、恋愛漫画の主人公だか、若しくは、あまり目立たない主人公の女子が、何だかの形で近づくことになって、目立つ子たちに邪魔されつつ最後はくっ付く系か、幼馴染の主人公が次第に好きであることを認識していって、最後はハッピーエンド、の相手になるエピソードではある。
「ふむ、そうか、なるほど」
 りーちゃんの説明に、納得し切れてはいないが、自分の気持ちは横に置いておき、周囲はそのように見ているのだという事実だけ受け取ることにした。
 恐らく、そこを自分が必至で否定したところで、眞理子たちの反応を見ていると賛同は得られない。そして、自分の周りでは一番よく関わっているりーちゃんの評価も良。どう考えても多勢に無勢。抗ったとて良いことは今まで一度もいいことはなかった。
 兎にも角にも、乙とワケの分からない噂が広がらなくて良かった、というところで手を打とう。
「よし!今日中に仕上げよう!」
 この話を一旦終えるべく、大袈裟に張り切った様子を装う。いや、本当に今日中に仕上げようという気持ちはあり、それもこれもCUのためなので張り切るのは然り。ただ、少し唐突だったような気もするので、テンション上げて応援グッズ作成に集中!
「うん。団扇は今日仕上げたいね」
「ところでさ~、りーちゃん、結構ユンジュン君と話してるんだね~。スカ
 イライブ?LINKで?」
「あ、どっちも・・・」
 や~、まあでも乙よりユンジュン君のがいいよね~。やっぱりーちゃん、ユンジュン君のこと好きだよね~。ん?あれ?もう付き合ってるとか?まあそうなったら言ってくれるよね?いや、彼氏いない自分に気を遣って言わない?・・・いやいや、取り敢えず、自分が”好きなの?”とか”付き合ってるの?”とか聞かれてイヤなのに、自分がそれをやっちゃいかん。それがたとえりーちゃんであっても。
 りーちゃんがしてくれてきたように、自分もりーちゃんが話をしてくれるまでは聞かない、突っ込まない。仮に突っ込んでも事実が明確になってから。でも・・・
「え、日本語で?韓国語で?」
 そこは気になる。
「両方と、英語と・・・かな?」
「え、りーちゃん、いつの間に韓国語!?」
 いや、りーちゃん賢いけど!
「あ、でも、ユンジュン君は日本語覚えたいから、基本的には日本語なんだ
 けどね」
 マジか~。外国の人と関わるってそういう得があるよね~。話そうとするから外国語が身に付きやすくなるよね~。
「あ~、あたしもCUとお友達になれないかな~!?」
「ファンの多くは同じこと思ってるよ~」
「だよね~。寧ろ、付き合いたいとか結婚したいと思ってるよね~」
 頭では分かってはいるが、繰り返される無謀な妄想は果てしない。
 
 何とか団扇だけは仕上げ、出来上がりに満足し、高揚した気分でりーちゃんの家を後に、お母さんから頼まれていた物を買いにスーパーに立ち寄り、必要なものだけをピックアップしてカゴに入れ、最後に決まった銘柄のヨーグルトを買おうとするが、・・・ない。
 偶々その日はそのヨーグルトが特価で、その部分だけ空間がディスプレイされているような状態。
 マジか~・・・
 一応、店員さんに在庫が無いかを確認するも全て売り切れで、その商品の部分だけ妙な空間となった棚の前で、新たに出てくるワケも無いのに奥を覗いてみたり、他の商品の後ろに隠れてないかなどを確認してみたが、ない。
 う~む・・・
 違う銘柄で似たものを探すが、カルシウムと鉄分を含んでいることを謳っている銘柄が無い。ここは、カルシウムを謳う物、鉄分を謳う物を両方買うか、若しくは買わないか・・・困った・・・
 毎日食べている物が無いとなると別の物でも180度違う商品でもないのだから、一度ぐらい違う物を冒険してみてもいいハズ。でも何となく・・・
 う~ん、やっぱそうだな~・・・
 一旦、カゴの中の物を清算しようとレジに行き、一番早そうな列に並ぶ。
レジに並ぶ際に、前の人のカゴの中の量を推し量りながら、一番早いと踏んだレジを選ぶ。その推測が当たった時の自分の判断力を、一人自負しているなどと小さいことは人には言えない。
 偶にしか来なくても毎度聞かれる“ポイントカードお持ちですか?”に面倒だな、とその頃は思っていた。今や聞かれることもなく自分でスキャンするところも増えているので、面倒なやりとりが減っているのは有難いハナシ。
 店員さんだってきっとそんなことは承知で、それでもマニュアル通り尋ねなければならないんだろうななどと考えながら清算を終え、カゴの中を空にするとすぐ自転車置き場に向かい、自転車でスーパーを離れた。
 さて、あっちのスーパーにはあるのかなー?
 同様のことになっていないことを願いつつ違うスーパーに向かうことを決め、ここから最短ルートを頭に浮かべる。
 家から少し遠くなるが、無ければ無いで違う物、もしくは”無かった~”でいいはずなのに、何故か意地になって自転車を漕ぐ。何と闘っているのか。
 季節的にも、自転車を漕いでいる間は特に感じなくても、信号で止まるとじんわりと汗を感じる。次第にイヤな季節が近づいているのを、こんなところで感じる。
 ああ、何という・・・
 結局、大型ショッピングモールの中のスーパー内で見つかり、買うだけ買うと、微妙にかいた汗がイヤでサッサとリュックに入れて駐輪場に向かった。
 せっかくやって来たショッピングモール。普段ならぷらぷら歩いて、雑貨や服を見たり、ペットショップで猫や普段見ない動物を見たりもするが、たった1種類のヨーグルトのためだけに駐輪場から一直線にスーパーに行き、そのままただ駐輪場に引き返すだけって、自分、何やってんだろ?と自分でつっこんでみる。
 スタスタ歩きながら、これでまた立ち止まると汗が出るかもと思い、無駄な動き無く自転車に乗ってスタートできるよう、歩きながら自転車の鍵を取り出して手に握る。
 無駄な動きなく何かをする、ということを考えてしまう時があるが、自分でも何と闘っているのか全く分からない。が、無駄な動きなくスムーズに何かを成し遂げた時、自分が何となく嬉しい、という感じ。あまり人と共有できないので、自分の中の自分と共有して喜んでいるだけ。
 あ、眞理子が喜びそうな黒塗りの車通った。って、車の名前も知らないけど。あれ、夏だったら暑苦しい感じの車だよね~。と思ったら、おおっ!?今通り過ぎたの、あれは眞理子が”幻の”と画像見せてくれた車じゃない!?あの~、”悪魔のなんちゃら”っていう・・・名前何だったかな~・・・車に今日ないからちゃんと覚えてないけど、丸いライトで、あの車の形は絶対そうだよ~。停まってたら写真撮って眞理子に送ったのにぃ、残念!
⦅アホちゃうん⦆
 帰っていきなりコレかよ、オッサン。
⦅口悪いな~⦆
 いやいや、オッサンに比べたら自分なんてお上品過ぎるぐらいだっつの。こっちは微妙に汗かいて鬱陶しいんだから、存在自体が鬱陶しいオッサンが出てきたら”コレかよ”って思うに決まってんじゃん。オッサンのほうが”アホちゃうん”だわ。
⦅変な関西弁使うなや⦆
 ん~、この遣り取りもう飽きたってば。
⦅いやいや、オマエが変な関西弁使わんかったらえ~だけやん。自分で自分
 の首絞めとんのやんwwwww⦆ 
 ベッドの上で、お腹を抱えて笑いながらゴロゴロと転げるオッサンにイラッ。微妙に汗をかいたことの不快感にイラッ。
「・・・あ~、ウザウザウザっ!」
 イライラに任せてリュックを開け、購入した物が入ったビニール袋を引っ張り出し、リュックのファスナーを閉めてオッサンの方に投げつける。
⦅ま、当たらんけどな⦆
「知っとるわいっ!」
⦅あらま~、何てお口をお利きになるのかしら、や~ね~⦆
 あ”~~~~~~~~イライラする~~~~~~イライラする~~~~~けど、まともに相手したらドツボ。もうここは立ち去るべし。深呼吸しろ~、深呼吸~・・・
 オッサンが何か言っていたが、大袈裟に深呼吸をすることでやや声がかき消えていて良い感じのまま、部屋を離れた。
 キッチンに行き、テーブルの上に購入した物をビニールから出して置き、冷蔵庫に入れるべき物だけ冷蔵庫に入れ、後はそのままにしてビニールを畳む。
 このぐらいの時間だとキッチンにいるハズのお母さんがいない。転寝は結構ソファーが多い。まだ本調子にまでは回復していないか、ガッツリ部屋で寝るぐらい疲れが出ているのか。
 そういうことを考えると、あの日の不安がふっと甦り、一瞬血の気が引くような錯覚に陥る。どれだけ治療できたと聞いても、あの時のあの光景が思い起こされてしまうと、勝手に全身が恐怖感や不安感に支配される感がある。
 いやいやいやいや大丈夫、と頭をフルフルと左右に振り、恐怖感や不安感を振り払い、大きく息を吸い込んで吐いて・・・で、気を取り直す。
 とりあえず洗濯物がまだ干してあるのが見えたので、ベランダに出て洗濯物を取り入れ、TVを点けてソファーに座り、洗濯物を畳み始める。
 TVを点けても何だかイマイチ興味を惹かれる番組がなく、お母さんもいないので、ここぞとばかりに録画しておいたCUが出演した番組を観る。
 これ、何回観たか分からないが、彼らの魅力が駄々洩れで、先が分かっているのに何度も笑ってしまい、それを引き出してくれる芸人さんに感謝。
 洗濯物は畳み終わったものの、CUの姿がステキ過ぎて、麗し過ぎて、楽し過ぎて、中断できずそのまま鑑賞を続ける。
「あ、買って来てくれたのね、ありがとう」
「うわっ!」
 おおお~ビックリした~(汗)気配ゼロって、マジ怖いんですけど~(泣)動悸が(汗)
「ご飯、作ってあるから適当に食べて」
「あ、うん」
「あ、それから・・・・・・」
 え、なに何?何、この間は?え?こういう時って、何か深刻な話だったり、そういう感じというか空気というか不気味な雰囲気というか、なに、ナニ、何!?どんだけ溜めるのよ~~~~~(汗)ていうか、お母さんってそんなキャラじゃないよね?胃潰瘍が治らない?まさかガンになったとかじゃないよね?それなら聞きたくないかも・・・何なのよー----!
「え・・・何?また・・・入院とか・・・?」
「あ、それは今のところ大丈夫。順調に体力も戻っていってるから」
「ふ~ん、そう。ん~・・・じゃあ、何?」
 病気のことではないと分かると気持ちが軽くなり、逆に、話があるならサッサとしてくればいいのに、と思う。
「あの~・・・おじいちゃんのことなんだけど・・・」
「おじいちゃん?誰?ん?誰のおじいちゃん?」
「あんたの」
 あんた=自分。あたしのおじいちゃ・・・・ん?はあ?
「あの~、何の話してんの?おじいちゃん?って、両方とももう亡くなって
 るってんで、会ったことないし、お母さんの方はもう写真さえないじゃ
 ん」
 話しそうでなかなか話が進まない。
「ちょっと意味わかんないんだけど」
「・・・う~ん・・・そうよね~・・・」
「も、何なの、どういうことよ」
「ん~・・・あんたのおじいちゃんがね、会いたいって言ってるらしく
 て・・・」
「はあ?????」
 オイオイオイオイオイ、亡くなってるんじゃないんかーいっ!どういうことよ、会いたいって!?てゆーか、どっちのおじいちゃん?おじいちゃんとかいたことないから、どういう存在かもまーったく分からないし、大体その情報どこから?お母さん、何かに騙されてんじゃないの!?病気になって、何かワケの分からない新興宗教とか擦り寄られたワケじゃないよね!?一体何なのー--------!!
 
 TVのバラエティ番組で、会ったことのない自分の母親に会いたい、ということで採用され、番組が探し出して、突撃番組として突然インタビューに家に訪れ、応募者はディレクターとして帯同して部屋に入り込み、最終的に子どもだとバラしてお互い大号泣、というのを見たことがある。
 それを見た時、会ったことがなくても記憶がなくても、”会いたい”という思いだけでここまでの感情が沸き起こるのだと、家族、親、という感覚だけでここまでになるのかと、感心?驚き?だったことを記憶している。
 が、お母さんの方のおじいちゃんが生きている?何、どういうこと?死んだと思っていた人が生きている?元々死んでなかった?なかった物が突然”ある”と言われると、全く現実味がなく、ただただ”は?”だけが頭を駆け巡る。
 TV番組で見たような感動や感激をいったものが湧き起こらないのは、血縁ではあるが、自分から見て”親”ではないからか?そもそも、その”おじいちゃん”という存在はホンモノなのか?お母さん、実は何か騙されているのでは?
 ん~~~~~~~~、実感が無さ過ぎて、ちょっと頭の中がプチパニック。
 ・・・ん?普通、孫より自分の子どもに会いたいんじゃないの?お母さんは?お母さんは・・・確か、生まれた時には既にいなかったって聞いているから会ったことはないハズだし、写真・・・見たことないのかな?その状態で、”お父さん”という存在が突然現れて・・・でも、あの番組に出ていた人みたいに、歓喜だとか感涙だとか、そういう表情じゃなかったよな~・・・
複雑?いや~まあ、よく考えると、お母さんのほうのおじいちゃんの話って情報がほとんどないんだよね~。もし愛別離苦なんてものを感じていたら、それこそいろいろおばあちゃんから聞き出してたかもしれない、と思うと・・・いや、あのおばあちゃんから何か聞き出すとか、ちょっと出来る気がしない。そうか、聞いてないかもしれないな。
 てか、おじいちゃん、探偵とか使って探し出したのかな?お母さんが生まれて半世紀近く経ってんだよ?探偵使うって結構お金が掛かるって聞いたことがあるから、まあ、払える程度はお金を持っていると考えると、生活に困って云々という感じのおじいちゃんではないということか。
 別の家族がいるのにそんなことを言っているのか、将又、子どもであるお母さんを想い続けて独身を貫いているか・・・ダメだ、自分の乏し過ぎる情報では、想像に限界が。
 お母さんからは、”会いたかったら先方に伝えるから”と淡々と言われただけで、お母さんの感想などは全く聞くことなく。どうしてこんな唐突に、ワケの分からない話が飛び込んできたのか。
 お母さんには聞きにくい。何だかブチ切れられそうな・・・”あんたは人の気持ちも分からんのかー!”と、大したことでもないことでキレられたことがある。しかも、ただのサスペンスドラマか何かだったと思う。しかも小3とか小4の時の話。
 ただ端に、本当にどうしてこの流れで役の人が泣いているのかが分からなかったから聞いただけなのに、そんなことでキレるんだから、実際となるとキレるどころか首でも絞められるんじゃないかとさえ思ってしまう。
 となると、裕子さんなら何か知っているかもしれない。けど、知らなかったとしたら、自分の方から知ったことをお母さんが知ったらまたキレるか?いや、”相談”という形なら大丈夫か?う~ん・・・
⦅オマエ、う〇こ長いなあw⦆
 じゃないし。
 トイレに行ってあれこれ考えている間に、気付いたら自分の部屋に戻っている。無意識にいつもの行動をしているという不思議。
⦅何かオモロイことんなってんなあw⦆
 あ~、全然面白くないですけどね。
⦅フツーに聞いたらええやんけ⦆
 いやいや、聞きにくいから困ってるんだし。
⦅なんや、ムズムズすんな~⦆
 いやいや、オッサン関係ないし。
⦅なんや、つれないな~⦆
 意味分かんないし。
⦅オマエのない頭で考えても何も出ぇへんねんから、聞いたらええやん⦆
 おー--------、分かってますよ、分かってますよ、今更言われなくてもぜーんぜん分かってますよ、オッサンの言うことなんか、フン。でも、お母さんに聞くか、裕子さんに相談するか、迷うに決まってんじゃん。いい加減分かれ、このクズゴミオヤジめ。
⦅口悪いのぅ。覚えとけよ⦆
 オッサンに言われたくありませ~ん。
「てゆーか、ウルサイなあ。考えらんないじゃん。ちょっと黙っててくれ
 る!?」
 あ、しまった・・・
⦅勝手に聞こえとるクセに、知らんやんけ。何回言うたら分かんねん、脳み
 そ、豆か⦆
「あーそうですねー、ハイハイ、すいませんでしたー、だ。あ~あ、せっか
 く団扇完成したっちゅーのに、気分台無し~。ご飯食べて来よ」
⦅文句あるなら、オマエのじいさんに言え⦆
 ・・・それもそうだな。取り敢えずお腹空いた。
 キッチンに行き、テーブルの上の鯵の塩焼き、ネギと油揚げのぬた、卯の花煎り煮を前を見てテンションが上がり、お母さんの後ろ姿を見て怯む。気分はジェットコースター。
 油揚げ好きには、ぬたと卯の花の煎り煮の両方に入っているのはたまらなくYES!焼き油揚げも、お味噌汁の中の油揚げも、巾着玉子の油揚げも、油揚げ餃子も、煮物に一緒に入っている油揚げも超大好き。自分でお金を稼げるようになったら、いつかTVで見た、福井のあの分厚い油揚げが食べたい! 
いろんな意味で、落ち着きなく心揺さぶられて酔いそう。
 とにかくレンチンする物をレンジに入れ、時間をセットしてスタート。お母さん、どうかそのままTVを観ておいて下さい、と念じる。今あの話を振られても、どうリアクションしたらいいか皆目見当がつかない。
 お母さんがどう思っているかが分からない限り、迂闊なことは言えない。ので、このまま静かにご飯を食べていたい。とか思っていると、何だか美味さ半減になりそうなので、食べることに集中。というか、この状況だと、やっぱお母さんには聞けないってことじゃん。ということは、裕子さん一択っということで。
 いつもよりドキドキしながら裕子さんのところへ英語の勉強に行くも、長文読もうとしても集中できず、裕子さんにどう聞こうか?ということばかりで頭の中が満タン。全く単語が入って来ない。
 リスニングなら多少マシかと思ったら、英語ではない言葉が頭の上を飛び交っているような状況で、全くお話にならない。マズイ。こんな状況じゃ、休憩時間取る時間なくなるし、そうなると、話聞く時間なくなる。
「ね、すばるちゃん、全然集中できてないよね。超早すぎる休憩しようか。
 美味しいフィナンシェ貰ったの~♪」
 フィナンシェ!って、一瞬意識が逸れた(笑) 自分って食に引っ張られるって、食い意地張ってて悲しい~(泣)
 と、運ばれてきましたるは、その表面に深緑色も垣間見えるフィナンシェ。これはもしかしての抹茶味なのでは!?
「これね~、ふか~い抹茶味がまた美味しいの~。あ、お茶は茉莉花茶ね」
 おお~、やっぱり抹茶!深い?ほぉぉぉぉ~。でもって、前に他所で”まりはなちゃ”と言って笑われたヤツね。これ見る度思い出す。
「茉莉花茶の効能って何だっけ?」
「自律神経を整えてリラックス効果を促進することにより、乱れがちなホル
 モンバランスを整える、よね」
「ん~・・・確か、前も聞いて、何だか抽象的でいまいち理解しにくい、と
 思った気が」
「ま、すばるちゃんの年齢だとそうなのかもね。あたしたちなんて、わかり
 やすいわ~、って思うもん。あ~、若いっていいわ~、羨ましい、戻りた
 い!ま、まずは食べて、食べて♪」
「うん」
 そのフィナンシェはとても深い抹茶の味がした。フィナンシェの持つキレイな焼き上がりの甘い茶色に負けない深い抹茶色も、ああ、これは抹茶の分量を示しているんだろうと。でもきっと、何の考えも悩みもなければ、もっともっとその美味しさを堪能できたハズ。口惜しい。残念過ぎる一期一会。次いつ出会えるか分からないというのに・・・
「ねえ、すばるちゃん。多分、今日は全く集中できないでしょ」
「え?もしかして、お母さんから何か聞いてる?」
「ん~・・・何か聞いてるというか、逆にお願いされた感じ?」
「感じ?」
 って何!? 
 
 まさか裕子さんから”逆に”と言われると思っていなかったので、そこで初めて、お母さんは裕子さんに既に相談済である上に、よく分からないが、お母さんからではなく裕子さんから経緯?状況の説明?が為されるらしい。
 正直、お母さんから話を聞くより聞きやすいので、ある意味有難いと言えば有難い。が、結構重大な案件な気がするのに、他人に任せるお母さんはどうなの?とも思っていたりして、自分も矛盾しているなと気付いてはいる。
「さて・・・お母さんから聞いてることだけ伝えるね。まず・・・」
 と話し始めた内容は、フィナンシェの濃い抹茶味が更に薄くなるような、頭の中を整理するので精一杯。取り合えず理解したのは・・・
・おじいちゃんは隣の市に住んでいる
・おじいちゃんがおばあちゃんと出会った時は大学生で、おばあちゃんと伯
 父さんのいる家に転がり込んでいて、最終的に家に連れ戻された。お母さ
 んがお腹にいることを知らないままだったそう
・その後、お母さんを探し出すと、自分という孫がいた。おじいちゃんには
 2人の息子と3人の孫がいるがその孫は全員男子
・この度仕事から退いたので、女子の子どもと孫はお母さんと自分だけだか
 ら会いたいと言っているそう
・会いたい、という話が来ていたのは1年ぐらい前からで、お母さんはずっ
 と断っていた
「ねえ、これ、何の話?」
「ん?おじいちゃんがいるって話でしょ?」
「ん~~~~~~~~、うちは別に金持ちでもないから、騙しても得られる
 物はないし・・・騙して身包み剥がしてやりたいぐらい、何か恨みでも買
 ってるとか?」
「身包み剥がすなんて最近聞かないな~(笑)でも、そういう感じじゃない
 みたいよ」
「何でそう言い切れるの?」
「ん~~~~~~~~、それはですね~~~~~~~~、おじいちゃんの肩
 書がしっかりしてたからかな~」
「仕事辞めたんだよね?」
「辞めたというより、退いた?」
「退いた・・・となると、何かの社長とか?」
「県会議員さん」
「県会議員!?へぇぇぇぇぇぇ~。まあ確かに肩書はしっかりしてるって感じ
 か。何かその人がおじいちゃんと言われても、ピンと来ないな~」
「そもそもがピンと来てないでしょ」
「そうなんだよ~」
 おじいちゃんという存在にもピンと来ない、県会議員という仕事にもピンと来ない。ただ、おじいちゃんという存在がいるという事実、県会議員という肩書を持っていたという事実があるということ。
「でもさ~、女の子がいないからって会いたいとかってどうなの~?それっ
 てさ~、こっちが男子だったら会おうとも思わなかったってことじゃな
 い?」
「確かにね~。ただ、そういう言い方をしてるだけで、ただ会いたいだけか
 もしれないしね~。それに、秘書だか何だかの人がお見舞いも持って来た
 らしいよ、”いただけません”ってそのまま突き返したらしいけど」
「へえ~・・・ん?どうやってお母さんの入院知ったの?」
「ああいう人達は人脈が多いから、情報を得る方法は幾らでもあるんじゃな
 い?」
「え~、そうなの?個人情報の観点で、それってどうなの?だわ」
 しかし、韓国ドラマじゃあるまいし、何か突然、“ホントかよ~”だわ。現実味無いんだよ、現実味が。
 雲をつかむような話に、聞きたいことは次々出て来るが、結局裕子さんもお母さんから聞いたことしか答えられないだろう。
 頭の中が?マークでいっぱい過ぎて、頭が重い。両手で頬杖をついているのが頭の重さを支えることだという、何と可愛げのないハナシ。
 しかし・・・
「お母さんずっと断ってたんでしょ?何で今になって?お母さんが実の父親
 に会いたくなったってこと?」
「そこはね~・・・」
 裕子さん曰く、恐らく会ってみたい気持ちはあるものの、おばあちゃんはそのおじいちゃんの存在に対してかなり悪態を吐いており、お母さんとしては良い印象がないこと、そのおじいちゃんと顔が似ているというところでも、かなりおばあちゃんから虐げられる要因になっていたとのこと。その為、お母さんの気持ちも思考と感情との整理がつかず、揺れている様子が見て取れるものの、どうしていいか分からないからこそ全拒否をしているようだと。
 そして今回、その話を自分にしてきたキッカケが、お母さんが倒れて入院したことにあるそうで、突然子どもが一人になるかもしれない、という不安が生じたそうだ。
「お父さんもいるのに?」
「お父さんだっていつ何が起こるか分からないし、お母さんの心配は、頼れ
 る親族がいないってことみたいよ」
 親族・・・まあ、お母さんのほうのおばあちゃんが生きていたとて、頼りにはならなかっただろうし、伯父さんとは絶縁状態だし、お父さんの方は・・・おばあちゃんも伯母さんも殆ど会ってないし、会いたいとも言って来ないし、入学とかのお祝いの言葉も何もないから、親族だけど存在感ぺらっぺら。そういう意味では、確かに頼れる親族はいない。
 裕子さん一家は頼れる存在ではあるけど、言っても血縁でもないから限界がある。”遠くの親戚より近くの他人”という言葉もあるが、気持ちの部分は助けてもらえると思うが、生活の面倒まで見てもらうなんてことは流石にできない。
 お父さん、お母さんがいなくなったら、今の家は賃貸だから家賃を払い続けないといけないし、大学生になったらバイトもできるが、家賃と必要な費用、それに関しては小さい頃から”このぐらい掛かっている”というのは聞かされて来ているから、大学は奨学金で行くとしても、勉強しながらその生活費を稼げるだろうか。
 家は一人暮らし用に移ったとしても幾らか費用が減るだけで、結局掛かることは変わらない。となると、大学を諦めて、正社員での仕事に就くということになるのか。
「金銭的なことだけじゃないのよ」
「え、裕子さん、エスパー!?あたし、何も言ってないよ!?」
「え?あ、そこ考えてたのねw」
「真っ先に浮かんだのがそこって、何か嫌だわ~(泣)」
 だけじゃない、としたら、お母さんの心配は何かと問うと、親族や血縁といった人がいなくなることの喪失感や不安感は、人によってはすぐに復活できないぐらいに精神的にやられてしまうことがあるそうで、そういった部分なのだそう。
 と言われても、それこそ裕子さん一家のほうが近しいので、突然現れた”親族”は赤の他人と変わらないのでは?と思う。それで精神的な部分の支えになるのか?という疑問。
「お母さんとしては、今から少しずつでも関係を作っていけば、何かあった
 時に、と思っている感じなのかな」
「う~ん、そんな簡単にいけるぅ?息子がいて孫がいるんでしょ?その人た
 ちにしたら、あたしん家って邪魔なんじゃないのかな~?・・・あ、県会
 議員ってことはさ、もしかして名前検索したら写真出て来るんじゃない
 の!?」
「あ~、あたしは名前までは聞いてないのよ~」
 え~、もしかしたら知っていても言わないだけじゃないの~?という疑惑はあるが、そこは敢えて言わない大人なすばるさん。
「な~んだ、知ってたら検索したのにぃ」
「お母さんも秘書って人に名刺は貰ったけど、調べたりはしてないみたい
 よ。いろいろ思うところあるんだろうね」
「思うところ・・・」
 まあそりゃいろいろ考えて当然だよね。いないと思っていた人が”いる”って言われたワケだし、しかも、おばあちゃんが悪態吐いているのを聞いていたワケだから、きっと印象の悪いだろうし。
 しかし、名前分かったなら検索しちゃわないかな~?しないかな~?あたしだったら調べるよね~。
 てか、秘書なんているんだ。県会議員とかになるとそうなんだ。これはまた世界の違う話で・・・
「で、あたしはどうしたらいいのかなあ?お母さんは会うのかな?」
「お母さんはどうだろうね~?ずっと拒否してたワケだからね~。すばるち
 ゃんは会いたかったら会う、会いたくなかったら会わない、でいいんじゃ
 ない?」
「や~、それがさ~・・・」
 裕子さんに、突然現れた”おじいちゃん”という存在に対して特に何の感情もないので、会いたいという気持ちも会いたくないという気持ちもないことを伝える。その一方で、今話をしていて、ちょっと怖い物見たさ的な興味はちょこ~~~~~~~っと出て来ていたりする。ほんのちょこ~~~っと。
 
 一応話はざっくり分かったが、正直、昨日の今日と言っていいぐらい時間が経っていなくて、会いたいも会いたくないもない。ただ、ちょっとした興味があるだけ。
 お母さんにとっては複雑な事情や事象があるワケで、それを飛び越えて”興味があるから会ってみたい”と言う勇気はない。また、”あんたは人の気持ちが分からないのかー!!”という言葉が飛んで来そうな妄想が頭に浮かぶ。
 でも、もしお母さんがそう思うとしたら、おじいちゃんが会いたいと言っている、などと言って来るだろうか?言わなければ知らない話だ。
 いや、後ろに怖い人たちがいて、会わないとどうなるか分からないぞ、的な脅しを掛けられているとしたら言わざるを得ないか?
 これは、お母さんの言葉を素直に聞いていい話なのか、将又、言葉の裏を読んで判断すべき話なのか・・・難題過ぎる・・・いやいや、これはそんなにすぐ返事をしないといけない話なのか?突拍子もない話なんだぞ?
 お母さんと顔を合わせるのが憚られ、帰宅してすぐ部屋に入った。入る前にお母さんに気付かれても、”裕子さんから聞いたよ”とサクっと言えない。
 一緒に住んでいる以上、どうせ顔を合わせるのだから逃げようがないのに、出来るだけ引き延ばそうともがくのが自分。多分、眞理子も千華も
・・・琴乃もか・・・3人は自分と違って潔くて、同じ状況になっても自分みたいにジタバタしないと思う。案外、りーちゃんも考えはするけど、自分みたいに”逃げ”のために考えるのではなく、前に進むために考えるとは思う。
 無論、同じ状況に陥ったらどうかは分からないけど、逃げようのない場所でチマチマ逃げ場を探したりしないと思う。自分今、できれば部屋の隅にネズミの入り口があって、そこにサッと入り込めたらいいのに、という妄想が頭の中を駆け巡る。小さい頃、歯医者のモニターで流れていた、ト〇とジェ〇ーというアニメそのもの。何と羨ましい。
 そんなこんなで、部屋に入ればうっさいオッサンがギャーギャー言うのは分かっているが、今はお母さんよりオッサンのギャーギャーのがマシ・・・と思ったのが運の尽き。
 いつもの通り、オッサンの意味の分からない戯れが始まり、結局後悔するという・・・この家には落ち着く場所がないのか!?
⦅いやいやいやいや、ワシがおるだけでこの落ち着いた空気感♪⦆
「オッサンの頭って湧いてるよね」
⦅オマエに言われたいないっちゅーねん⦆
「いやいや、あたしはオッサンと違って至ってフツーだから」
⦅けひょっけひょっけひょっけひょっ!アカン、笑い過ぎてヘソが茶ぁ沸す
 わw お、番茶か?麦茶か?⦆
「くっっっっっだらない」
 ほんっとーにくだらない。何でこんなヤツの相手しないといけないのよ。
こっちはそれどころじゃないってば。
⦅それどころ?じゃあ、どんなところ?台所w⦆
「・・・台所・・・変な返しすんの、やめてくれる!?」
 一瞬、韻が頭に浮かんだ自分、萎える。こっちはオッサンの下らないダジャレに付き合う気分じゃないっつの。
⦅下らないダジャレ~!?何言うとんねん。ダジャレっちゅーんはな、一種
 の遊びやぞ。言葉知らんかったらできひん崇高な遊びやぞ⦆
 あ~、はいはい、また始まったオッサンの持論。そんなのどうでもいいんだよ、こっちは。あ~、溜息。
⦅溜息吐く度、シアワセ逃げるっちゅ~な~w⦆
「てゆーか、オッサンいるだけで逃げるし」
⦅何言うとんねん。ワシはシアワセを呼ぶ妖精さんやぞ⦆
「は?まだ言う?妖精?あっか~ん、爆笑wwwwwwww どう見てもオ
 ッサンの?こんなボサボサ頭の?関西弁喋る、口の悪いオッサンが?まだ
 妖精とか言うとか、ムリムリムリムリムリ~!!」
 思わずベッドに寝転がり、これが”転げ回って笑う”なのだということを全身で表現するかのように、笑いの勢いで体が勝手に左右にゴロゴロと動く。
⦅何笑っとんねん。ヘタな関西弁使うなや⦆
「あ~笑うw あ~笑い疲れた、いや~笑った、笑った。いやいや、シアワ
 セは取り敢えず置いておいたとしても、ここまで爆笑させてもらったって
 いうのは、いやはや何ともw」
⦅よう言わんのやったら言うなや、語彙力ないの~⦆
「あ~、はいはい、どうせ語彙力ありませんよ~だ。あ~笑った、笑った。
 腹筋使い過ぎてお腹空いたし、ご飯食べに行こ」
 オッサンがまだ何か言っているが、無視して部屋を出た。
⦅まあ、あんじょうおきばりやすww⦆
 部屋を出たはいいが、洗面所に手を洗いに行き、手を洗おうと水を出して水が手に触れてからフッと我に返る。
 ご飯を食べに行く=お母さんがそこにいるかもしれない=おじいちゃんの話が出るかもしれない、が一瞬にして体を充満し、キッチンに向かうことをやや躊躇。
 キッチンにいないかもしれないが、いたらどうしよう⁉と考えながら、洗った手をタオルで拭き、目を閉じて耳を澄ます。
 が、もしTVの音が滅茶苦茶小さかったらここまで届かず、お母さんがキッチンの隣の部屋にいる可能性だってある。お母さんがTVを観ていなくても、転寝をしている可能性もあるワケで。
 お母さんの部屋のほうに向けて耳を澄まし、お母さんがどこにいるかを探る。こんな時、念聴力とかあればなあ、などと非現実なことを考える。
 取り敢えずTVが点いていないことだけは分かったが、お母さんがどこにいるかは分からない。そして、お腹が空き過ぎて、このまま洗面所にいてもどうにもならないので、ここは腹を括ってキッチンに行くことを選択する。
 意を決し、そろ~っと洗面所を出て恐る恐るキッチンに近付く。
 自分の家なのに”恐る恐るって”と思うが、今お母さんにおじいちゃんの話が出ると、どうリアクションしていいか分からないし、自分からその話を出して最後カオスになっても、そこからメンタル自力復活できる気がしないので、今はなるべく接触せずに済ませたい。
 キッチンの入り口からチラっと中を見ると、どうやらお母さんは自分の部屋らしい。良かった~、とホッとする自分。今のうちにご飯、ご飯。
 と、順調に回復しているとは言え、体調不良を起こし入院したお母さんが作ってくれたご飯を食べるワケで、それに対して、自分は何て非道な娘なんだろうという罪悪感も一方である。
 ”見つかったらどうしよう?”という気持ちが先か動悸が先か分からないが、どちらにしてもこの不快な動悸は、いくらJKとは言え心臓に悪い。
 この不快な動悸や、の中の居心地が悪かったことは小さい頃からあったが、いつまで経っても慣れない。穏やかな家庭に憧れるのに、どうしていつまで経ってもこういったことが定期的に生じるんだろう?いつになったら家の中が穏やかになるのだろう。
 キッチンのテーブルに置いてある、キャベツ、ニラ、豚こまの炒め物、芋ひじきと油揚げの煮物を順番にレンジで温め、魚皿を見て、グリルの中を見て、スズキの塩焼きを魚皿に入れ、まだ少し温かいものの、レンジで少し温めることにした。
 TVを点け、番組表を開いてみるが、目ぼしい番組が見当たらない。と思ったら、救急救命の現場を追う特番をやっていたので、ちょっと見てみることにした。以前から医療モノは好きで見ていたが、お母さんが突如倒れて入院して以降、あの時を思い出して恐怖というよりも、サッサと判断をして処置をしていく様子に興味津々。
 今処置を受けている人の中には一旦心肺停止し、蘇生して心拍再開して入院後、元気に病院から出て行く人もいる。そんな切迫した状況に追い込まれた様子を見ながら、”こんな風にするんだ””こんなことがあるんだ”などと思っていると、自分の置かれた状況がそんなに大したことではないように思えて来た。
 夜にお母さんが倒れて、死んでしまうんじゃないかと思ったあの時から考えると、今自分に生じていることは大したことではないのでは?と救急救命の現場を観ながら思った。が、食べ終えて食器を洗っている間に再び現実に引き戻され、やっぱり”どうしよう⁉”と考えている自分がいる。
 そして自分には考える隙がない方が良いのかも、と思い、食器乾燥機に食器を入れてスイッチをONにし、部屋でCUの情報収集をしようとそそくさとキッチンを出た。
 オッサンに邪魔されながらCUの情報収集することには慣れた、という環境は一体どうなの⁉そっちのほうが、おじいちゃんのこと考えるよりマシってどういうこと⁉
 
 お母さんがなぜあれから何も聞かないかよく分からないし、裕子さんに聞いてはみたものの、裕子さんも、お母さんもいろいろあるんだろうね、止まりだったので、聞かれるまで放っておくことにした。じゃないと、JKの若さでハゲてしまう。
 夏フェス当日、運良く(?)快晴な分朝早くから気温と湿度が高く、空の青さは爽やかさに結びつかないぐらい熱帯感。
 あらゆる物の技術開発が進んでいるものの、気温と湿気に対しての対策が成されているどころか、毎年ニュースでは“今年の夏は猛暑となりそうです”“今年の夏も暑くなりそうです”と報じられ、暑さと湿気が苦手な自分は、申し訳ないが、りーちゃんに愚痴りまくり。
 りーちゃんは絶対に“また言ってる”とは言わない。自分だったら言ってしまいそうなのに、何なんだろうな~、このりーちゃんの菩薩感。そして、“ゴメンね”と思いつつ、結局また愚痴る自分の下衆感。まあ、思わず口を突いて出てしまうのを自分が止めればいいだけのことなんだけど、さあ、それがなかなかどうして・・・
 りーちゃんと電車で会場に向かう。会場の駅が近づくと、電車の中も夏フェスに向かうと思われる人の姿が増え、其々のアーティストへの思いが充満し、ややもすれば夏フェスに全く興味のない乗客の中には、冷房が利いているハズの電車の中に充満する暑苦しさで、迷惑を被っている人もいるだろう。
 自分はCUのファンですと言わんばかりのTシャツを着ている為、CUのファンは最悪と言われることを避けるのに、電車の中では絶対にテンションを上げないと決めている。同じファンが電車の中で騒音と化しているのを見て、本当は注意をしたいが年上も多いし、そもそも自分にはそんな勇気もなく、できず、それなら気にしなければいいのにと思うができず。
 ということで、心の中で”すいません”と呟き、りーちゃんとはせめて他の乗客に迷惑を掛けない努力をする。なぜなら、CUのファンは最低だというレッテルは貼られたくないから。目指せ、ファンの鏡。
 
 会場に着くと、Mutterで既に情報入手はしていたが、既に個数限定グッズ入手のために長蛇の列ができていて、並んでも入手できるか否かは不確実なところ。自分たちの可能な中での早い時間で出て来て、一応並ぶ用意はしてきているので、りーちゃんと小さい折り畳み椅子を取り出して座り、お母さんから借りて来た日傘を差す。
 小さく畳んだレジャーシートの上に、凍らせたペットボトルの入った重い荷物をやっと下せた。夏フェス参戦は嬉しいが、その分、日焼け&熱中症対策も入念にすると、こんなにも荷物が多くなることを初めて知った、初参戦。
 前後も変わりなく、日傘を差している人、タオルを頭から掛けている人、座っている人、立っている人、一人で並んでいる人、友人達と並んでいる人、カップルと思われる人、夫婦と思われる人、親子と思われる人、いろんなファンがお目当てのアーティストのグッズを得るために、時間と共に気温と湿度が上がることも厭わず、後ろに後ろに続いていく。
 ある意味、列の長さはそのアーティストの人気のバロメータのようなもので、長蛇であればある程ファンは挙って“スゴいでしょう!?”とばかりに、其々がSNSに画像をアップし、あっという間に拡散されていく。
 この行動の裏には、自分のアーティストも見るのではないか?という期待と、アーティストに直接伝えているような高揚感があるからかな、と思う。
 自分たちも例に漏れず、りーちゃんと喋りながらもSNSをチェックし、長蛇の列が動き始めるのを只管待つ。保冷バッグに入れている凍らせたペットボトルはまだ凍ったままなので、少し飲めるように外気に晒すべく取り出し、汗拭きシートを取り出し、じんわりと吹き出してくる汗を拭う。
 これ、参戦が終わるまで持つのか!?
「あ、ユンジュン君、飛行機着いたって」
「あ、そ~なんだ」
 そうだ、テンション上がってて忘れかけてた・・・いや、しかし・・・
「あ、え~と、一人でこっち来るの?」
「ううん、乙藤君とどこかで合流して来るって言ってたよ」
 ん~、りーちゃん、嬉しそうだな~。まあ、ユンジュン君来るんだもんね~、そりゃそうだよね~。しっかし・・・嬉しい反面、乙のお陰っつーのがな~・・・しかも・・・まあまあな良席っぽいチケットに印字された数字。
 実際入ってみないと、ステージからの距離やトロッコの通路なども分からないが、何よりも自分がこの会場で夏フェスに参戦するのが初めてなので、これまでのライブ参戦状況からの想像しかできない。
 チケットに記された乙の名前を見て、もし自分がエントリーしていたら、当たらないか、若しくは当たってもスタンドだったのだろうと想像すると、何と忌々しい・・・などと思ってしまった。
 いや、りーちゃんはいっつも自分に優しいのに、いっつも助けてくれるのに、いっぱい迷惑かけちゃってきてるし、自分、性格悪いからりーちゃ
んみたいにはできないけど、できることはやってあげたい。
 乙がナンダ!りーちゃんのためなら、乙なんて蟻んこだ、ミジンコだ、ミドリムシだ!大したことない、大丈夫!
 自分も少しは成長したではないかと“うんうん”頷いていると、りーちゃんからの、“グッズ販売、始まるみたいだよ”の声に我に返る。
 自分の思考、まさか口から出てないよねと思いつつ、日傘を差していたことに安堵する。
「限定、買えるかなあ?」
 お、突然思い立ったとは言え、いいボール投げた感じ?
「どうかなあ?1人一個って決まってないしね、友達に頼まれて沢山買っち
 ゃう人もいるかな~」
「どうせなら1人一個とかって制限掛けてくれればいいのに。この間スーパ
 ー行ったらね、胡瓜が一本38円だったから、“お一人様5本”って書かれてて
 ね、まあ、そりゃそうだよねって思ったもん。買って帰ったけど。次の
 日、違う物買いに寄って見てみたら一本78円になっててさ、できれば多く
 の人に行き渡るようにってなったら、制限掛かるのって仕方ないよね」
「そうだね。限定買えたらいいけど、買えなかったら、縁が無かった分何か
 いいことあるって思おうね。それに、席はすごくいい席なんだもん」
「え、やっぱそうなの?」
「うん。チケット貰ってからね、昨年のMutterで検索してみたの。どの辺り
 かな~って」
「え?りーちゃんも席気になるの?」
「うん、それは気になるよ~」
 え?いつも”CUと同じ空間にいられるだけでシアワセって言ってるりーちゃんが?マジで?
「場所によっている物、いらない物が変わるでしょ?」
「いるもの、いらないもの・・・?」
「スタンド2階だと、どれだけ頑張っても団扇は見えないけど双眼鏡いる
 し、アリーナだとファンクラブタオルいるでしょ?」
 そこかいっ!育ちなのか遺伝なのかの違いをヒシヒシと感じるJKの夏。
 グッズ販売も入り口でスタッフたちが人数調整をしながら進んでいるようで動きは遅く、まだグッズ販売の入り口にも着いていないところで、前方から“え~!!”という驚きと落胆が入り混じった女子たちの声が聞こえ、限定グッズが売り切れたことを悟る。
 りーちゃんは"仕方ないね”と言ってくれたが、明らか、うちのお母さんがもっと早い時間から出ることをOKしてくれていたら、買えたかもしれないのにと思うとちょっとイラっ。
 りーちゃんは、残念そうにガックリと肩を落とす自分を慰めてくれる。が、今しがた、りーちゃんよりも欲しかったのは自分で、それにりーちゃんは付き合ってくれてたのであろうことの察しがついた。なんと・・・すまぬ、りーちゃん。
 グッズというのは、全てを買うファンもいれば、必要最低限の物だけ買うファンもおり、自分は小遣いの中で遣り繰りをするので後者。
 買いたい物を買いたいだけ買える大学生や社会人、主婦の人たちを羨望の眼差しで横目で眺め、“いいな~”と呟く。その一方で、以前お母さんに、“全部買っても、増える一方で整頓できないでしょ”とつっこまれ、確かに今の自分の部屋では限界があり、グッズ全部を有効利用するのかと言えばそうではない。
 CUの物だけのコレクションなら意地でもなんとかするが、お父さんの各地土産が侵食している上にとなると場所がない。その状況は認識しているし、自分の小遣いで遣り繰りもしており、身の丈に合った行動を取ることの必要性も重々承知しているので、“いいな~”と口を突いて出はするものの、そこまで悲観的なわけではない。諦めの境地。
 ライブツアー時などはMutterで時折、中学生や高校生のファンが、『こちら高校生でお金がありません。ですが、本当に彼らのことが大好きであきらめきれません。何とかタダで譲ってもらえないでしょうか?』と、丁寧なコトバで書いてはいるものの内容は相当図々しく、送った相手から玉砕されて激怒し、罵詈雑言を呟いているファンを見ることがあるが、同じ学生として見ても、中学生の世間知らずさはともかく、高校生にもなると流石にこの厚顔無恥さに呆れて見ている。自分って大人~、などと思ってみたり。
 取り敢えずグッズを購入し終え、カバンの中の整頓が終わると、りーちゃんが携帯で遣り取りをし始めたので、恐らくユンジュン君だろうと思いつつ、りーちゃんの姿をじーっと見ているのも違和感を感じ、周りを落ち着き無く見渡し、辺りにいる人々の姿や行動を観察し始める。
 フェス自体は昼からだが、屋台は既にオープンしており、それぞれのアーティストがお勧めのB級グルメの屋台であるため、他県からの参戦も少なくなく、フェスではなく屋台目当てで訪れる人もいると聞く。
 恐らくメニューが被らないようにしていると思われ、余計にどれにも興味をそそられるも、また並ぶのかと思うと少し憂鬱になる暑さと湿度。CU推しの店さえ、既にグッズ購入を終えたファンたちの長蛇の列を見ると躊躇。
 りーちゃんが遣り取りを終えたようで、今から移動の提案で、どうやらまたまた乙が予約を入れてくれた店があると言う。
「え、どこの店?」
「ほら、あのCUがおばんざい食べた店があったでしょ?」
「え、あの、Cが手羽煮で、Uが玉子焼き選んで、二人で金目鯛食べたあの
 店?」
「うん、そう」
「えーーーーーーー、マジでーーーーーー!?そこ行くの!?」
「だって」
「え、え、え、そこって高いんじゃないの!?」
「ん~、一応それも聞いたんだけど、乙藤君は大丈夫って言ってたよ。何
 か、ユンジュン君がどうしても行きたいって言ったんだって」
「あ、そ~なん・・・」
 わ~、行きたいけど、お、お金、大丈夫かあ!?・・・アイツは家庭教の
バイトしてお金あるかもだけど、あたしはお小遣い貯めて参戦してるんだぞ!?グッズだって、団扇とタオルしか買ってないんだぞ!?Uが食べた玉子焼きもCが食べた手羽煮も、材料は農家と契約して厳選したもの使ってるって言ってたぞ!?米も味噌も同じよなこと言ってたぞ!?ホントに大丈夫なのか!?
 不安が渦巻く中、CUが撮影した店な上に、りーちゃんがユンジュン君と過ごしたい気持ちも理解できる。行かない手はないよね~・・・ああ、自分て現金・・・
 とは言っても、りーちゃん、お店に入っても、値段見て“無理”と思ったら、“お腹空いてないから”ってご飯とお味噌汁だけにしちゃうかも~ 泣 ギリ、払えますように。お腹空いても、お腹鳴りませんように・・・なーむー!!
 
 待ち合わせの駅に着き、改札を出て階段を下りて行くと、ユンジュン君の姿が見える。特にユンジュン君は日本人の中にいるとかなり背が高い方なので、何だか目立つから見つけやすい。
 その向こうに乙が見えると、やはり一瞬脳が”うっ”という反応をする。これはもう反射的に反応しているのでどうしようもない、と思う一方で、正直、乙のお陰で美味しい思いをしていることは確か。
 CUゆかりの店訪れるなんて大学生以上しかできないと思っていたし、まさかのCUが座った場所に座れたとか”神”だったし、本来スタンドだったであろう自分にアリーナの良席というご相伴に預かるワケだから、塩対応はよろしくない。
 のは頭では分かっているのだが、何と言うか・・・こちらは必死で漸く低入れるチケットも、何故かヤツはしっかり当たる上に良席。Mutter見ててもいつも書かれているが、一度いい席が当たった人には次は当たらない、などというシステムにはなっていないので、続けて当たる人は当たるし、自分みたいに周りからのオコボレで何とか辿り着いているファンも少なくない。
 なのにヤツは当たる上に、まあ、コスプレを楽しめるほど金銭的余裕もある。何なんだ、この差は⁉この世に神はいるのか⁉何だこの不公平感はー!
 と言いつつ、特に信仰もなければ、実際”神頼み”の時は、頭痛や腹痛で苦しんでいる時に早く治ってくれと思う時や、チケット当落、テストや試験などの時ぐらいで、最近だとお母さんが入院した時は”神様”と思った記憶はある。
 しかし、なぜ乙ばかりに幸運が寄って来るのだ?良席が当たるとか、金銭的にも困ってないだろうし、バイト禁止のうちの学校でも、知り合いの子に勉強を教えて謝礼を貰っているという状態ならバイトでないと言い切ることもできる。
 そのように考えると、再び闇な感情が沸いて来たので考えるのをやめよう。今日は折角の夏フェス初参戦だ。オコボレだろうとなんだろうと、CUがヘッドライナーとして出ると聞いた夏フェスに参戦できるのだ。まずはそこを喜ぼう。
 乙が苦手だろうと何だろうと、CUに会えるならそこは割り切れ、すばる!しかも、CUのゆかりの店まで行けるんだ。超絶大袈裟に、”わあ、すごぉい!ありがとう~!”と、ユンジュン君に言うつもりですれば何とか乗り切れそうな気がする。気がする~!
 スラッと背の高いユンジュンは、白い襟の濃い臙脂色のポロシャツのボタンを一つ外し、ダークインディゴブルーのデニムパンツ、白いスニーカーと何か特別なものを身に付けているわけではないが、180㎝を超える長身はやはり目立つようで、通りかかる人が一瞬目を遣るのが見える。
 乙の身長は知らないが、ユンジュン君よりかなり低く見えるものの低いワケではない。ダークグレーとライトグレーの太目ボーダーの、ブイネックで7分袖Tシャツに、ライトブルーのデニムパンツを少しロールアップ気味で、こちらも白のスニーカーで、何だかちょっとオサレさんみたいに仕上がっているのが腹立たしい。イケメンではないと思うが、雰囲気イケメンに仕上げているといった感じか。
 何だかいろいろモヤモヤするし、何となく腹立たしいような感覚から、一旦深呼吸をして心頭滅却を試みたところ、イケてない男子と歩くよりいいか、と思い直した。また、2人がフェスのCUグッズである生成りのトートバッグを肩から提げているのを見て、CUにメンズファンがいるということはいいことだ、とも思うようにし、気持ちを切り替えることに尽力。
 2人に近付いて行き、丁寧に挨拶をするりーちゃんに続いて同じように挨拶をしておいた。りーちゃんのする通りにしておけば間違いはない。自分の気持ちをそこに乗せてしまうと、りーちゃんが折角ユンジュン君に会える貴重な日でもあるので、良い空気を壊してしまうのは忍びない。
 ということで、とにかくりーちゃん同様、ニコニコしておくことにした。りーちゃんは自然だが、自分は人工的なので変に鋭い乙にはバレるかもしれないが、取り敢えず雰囲気を壊さなければいい、の気持ちでフェスまで持ちこたえさせて見せよう。
「ジャ、イキマショッカ」
「うん」
 ユンジュン君のことばに恥ずかしそうに返事をし、一緒に歩き出すりーちゃんを見て何だか嬉しくなり、ニヤニヤしてしまっている自分。きっと傍から見たら超怪しい。
 しかし、ユンジュン君、ホントにデカいな~。この身長差で手を繋いだら、親子が繋ぐような感じになっちゃうのかな~。それより、りーちゃんが腕を組む方が楽?とかって、自分何考えてるんだろう、キャー!!!!!
 キャーから顔をあげると、りーちゃん、ユンジュン君の後ろ姿を、くるっと振り向いてその視界を遮る顔。
「あのさ、ついて来なくてもいいけど、場所知ってんの?」
「あ!え、いや、はは、そうだよね~」
 言い方っ!
 そーだよ、そーだよ、そーだよ、りーちゃんがユンジュン君と行っちゃうと、自分はコイツについて行かないといけなくなるんだよ。りーちゃん、かむばーっく!
 店に辿り着くと、確かにTVで見たその映像と同じなハズなのに、映像で見るよりも小さいような錯覚。見たことはないが、噂よく聞く札幌の時計台もそんな感じなんだろう。
 ただ、焼杉と白い壁とのコントラストが如何にも“日本”といった趣きで、そこに違和感を与えない絶妙な色の格子状に組まれた木の扉とが庭木の色を際立たせ、眺めていると暑さどころか涼しさを感じるほど。何とステキな趣。頭の中は、CUが訪れた時の映像しか流れていない。
「ニホンミタイデ イイデスネェ」
 ユンジュン君、ホント、そうだよね~、いいよね~、いい感じだよね~、CUがいたところだよ~。大興奮をもっすごく抑えてるんだよ、コレでも~。
「じゃ、入ろうか」
 小上がりを上がって行く乙とユンジュン君の後をついて行こうとした時、横から視線が突き刺さる感覚。うん、知ってる、この感じ。
 前を向いたまま、超横目でちょーっと視界に入る様子だけでも分かる。見えましたるは、自分のお母さんぐらいの年齢のお姉さまが2人。先着予約が先だということは御存じではあるハズだが、羨ましい的な視線ならともかく、どちらかというと”この若造が”に感じてしまうのは自分が歪んでいるかからか?見ない、見ない。
 足早に小上がりを駆け上がり、扉を開けて待ってくれている割烹着の店員さんに“こんにちは~”と言い、そそくさと駆け込む。
 店内に入ると、概観と遜色無い佇まいの内装で、観察しながら店員さんに誘導されるままに移動し、一つの四人掛けのテーブルに案内される。
「すーちゃん、ラッキーだね」
「え?」
「そっち、CUが座った席だよ」
「え?え?え?やっぱり!?マジで!?うっそぉー!!ってことは、こっちがCでこっちがUよ?ね?ね?うっわー、マジでやっば!」
 ちょっとマジで、予約で入れただけでもスゴイのに、またCUの席に案内されるとか、スゴ過ぎ~♡ これはオコボレでも何でもいいわ、良過ぎだわ、オコボレでもぜんっぜんいい、いい、いい!夢心地~~~~~~♡
 高揚感を抑えられずその席を画像に納め、早速Mutterにアップをしようと思ったが、その作業をするのをりーちゃんは待ってくれるが、ユンジュン君を待たせるワケにはいかない(乙は知らない)ので、それは止めた。
「そっち座ったら?」
「え、いいの~⁉マジでぇ⁉」
 やだ、乙、いいヤツじゃ~ん♪
「ありがとう」
 りーちゃんが乙とユンジュン君に小さく会釈すると共に謝意を伝えている。これは、りーちゃんの真似をしておいた方が無難。
「あ、ありがとう」
 サッとお礼が出るりーちゃん、見習うべきよね、うん。事実、めっさ嬉しいもん、CUの座った席に座れるなんて。ニヤニヤが止まらない。
 そして、心臓の鼓動が全身で感じながら、そーっとUの座った方の椅子に腰掛け、“やっば~い!”と声にならないまま口パクのようにりーちゃんに訴える。
「良かったね、すーちゃん」
 りーちゃんの言葉に、口を開けたままハイスピードでうんうんと頷く。
「ま、椅子自体はいろんな人が座ってるだろうし、何かの作用で入れ替わっ
 てる可能性はあるけどね、場所は確実にここだよ」
 ・・・乙よ、余計な一言を・・・何故にこの感動をぶち壊すようなことを態々言うんだ?嫌がらせか?ん?態とか?うん、やっぱ絶対好きになること
ナイナイ、良かった、良かった。
 
 最初は相変わらず乙を前にするとぎこちなかったが、”食”や趣味というのは”和気藹々”を可能にしてくれる素晴らしいツールだということを再認識。
 その最中、“早く食べて出て行きゃいいのに”という声が耳に聞こえ、一瞬手が止まった。声の感じでは若く、お母さん世代かそれより上?
 前に行ったゆかりの店の時みたいに、”撮らせてもらってもいい?”とフツーに言ってくれれば、こっちだって素直に”あ、ど~ぞ~”ってなるのに、同じファンとして、譲り合いでなく”退け”みたいなのは受け入れ難い。
 こちらの手が止まり、表情が曇った様子にユンジュン君が気付き、乙に何が生じているのかを聞いていたのだろう。その返答に思わずひょえ~。
「ユンジュン、早食いは身体に悪いからな~、ゆ~~~~っくり味わって食
 べような~」
 それは明らかにユンジュン君にではなく、暗に”早く退け”と言わんばかりの言葉を投げつけて来たお姉さま方に対しての言葉。
 お~、そんなこと言えるのはキミだけだよ~、コワい、コワい。
「ハヤグイッテェ ナニ?」
 そこ(笑)
「味も味わわずにササ~っと食べてしまうことだよ」
「アア~。ダイジョーブ オイシイッカラァ ユックリタベナイト?モッタ
 イナイ デショ?」
「そ~だよ~、そ~だよ~、ほんっと~~~~~に美味しいから、味わって
 食べような~」
 おお~、お姉さま方、こっちに睨んでるよ睨んでるよ、睨んでるよ~、ちょっとぉ(泣)運悪しく、こっち側からあのお姉さま方の顔、めっちゃ見えるっってのぉぉぉぉぉぉ!大体あちらもこんな若造をそんなに睨まなくてもいいのに、大人気ないよな~(汗)
 それに、既にメイン自体は既に食べ終わり、CUが注文したというスイーツに着手していて、それを食べ終えるぐらい待てないのかと思う。
 年配の女性たちは憎憎しそうな顔で乙の後ろ姿を睨んだり、頭を突き合わせて何かぶつぶつ言っているが、諸にその刺々しい雰囲気が目に飛び込んで来るので気が気でなく、“ちょっとすごい睨んでるんだけど”と小声で訴える。
 乙は特に驚いた様子も見せず、”言わせておけば?”と言って来たので、聞こえるだけじゃなくて、こっちはそのお姉さま方の視線も悶々とした空気も見えて気ではないので、右手で口があちらに見えないよう何となく陰にし、口パクでこちらを見て睨んでいることを訴える。
「ふ~ん」
 ”ふ~ん”じゃねーよ、オッサン!空気読めよー----(怒)
「じゃ、そろそろ僕たちもそっちに座らせてよ。ね、ユンジュン」
「ン?」
「折角だから、そっちでサジン、サジン」
「アア~ サジ~ン」
 乙の誘導でりーちゃんはユンジュン君と、自分は乙と席を交代し、座ってからスイーツと飲み物を移動させる。乙が写真を撮るよう乙の携帯を手渡して来たので、乙とユンジュン君の写真を数枚撮る。
 スイーツも途中で、写真を撮るタイミングとしては何だか微妙ではあったが、お姉さま方のあのイガイガした視線が直球で来ないだけでも大きい。それに、席を交代してから声が聞こえにくくなったような気がする。お姉さま方も男子には嫌われたくないってことか。
 乙とユンジュン君は、撮った写真のシェアをしており、お姉さま方のことなど我関せず。というより、ユンジュン君に至っては全く気付いていない様子。日本語の勉強中と言っていても、人の悪意やコソコソ話の言葉をサッと拾うまでには至ったいないよう。乙も態々伝えていないのだろう。それでいいと思う。
 折角の楽しいイベントに日本に来たんだから、嫌な記憶を持ち帰る必要はないと思う。しかし・・・やっぱ乙の心臓には剛毛が生えていて、もしかして、イカやタコみたいに心臓が3つぐらいあるんじゃないの⁉
 異生物を頭の中であーでもないこーでもないと描いていると、りーちゃんが”乙藤君って優しいね”とコソっと呟いた。”異生物=乙”の状態に”優しい”をぶっ込まれて来て、一瞬頭が混乱し思考停止し掛け、言われた言葉が理解できず、思わず”え?”と聞き返す。
 りーちゃんが、乙がこちらの意向を組んで自然に席を替わってくれて、といった内容の説明をつけて、”優しいよね”と再度言ったので、漸く頭が追い付いた。やっと返せたのが、”あ、うん”。
 自分の性格が歪んでいるからか、ホッとした一方で、”言わせておけば?”の前にそうやって動いてくれればいいのに、最初からそうしてくれれば良かったじゃないか!という思いが頭を過ったのも事実で、りーちゃんのように思えなかった。”言わせて”おけなかったこちらに対し、”そんなこともできないのかよ”ぐらいの感覚だったんじゃないの⁉というブラックすばるが頭の上を飛んでいる。
 が、そんなことはりーちゃんには言えない、りーちゃんの中にるのはいつも真っ白な天使しかいないから。でも、そのりーちゃんの白天使のお陰で、ブラックすばるだらけにならずに済んでいるし、捉え方の勉強になるから有難い。
 しかし・・・何と言うか、Sっぽいというか・・・好意であるはずの言動行動の前に、ど~も引っかかりがあるんだよな~。そう、スマートじゃないんだよ、スマートじゃ。何か、危ないから手を先に差し伸べるのでなく、コケてから立ち上がるのには手を貸す、みたいな。我ながら、いい例だな。
 1人自画自賛し頷いていると、“モリキタサン ドウシマシッタカ?”のユンジュンの声でハッとし、何故か苦笑状態で”何でもないよ~”と首を横に振る。
「じゃ、そろそろ会場向かう?」
「え、まだ食べ終わってないし」
「うん知ってる。自分の世界に入ってるみたいだったから、もういらないの
 かと思って」
「はあ?」
 見渡すと、三人とももう食べ終えている。マジか!ていうか、あんたさ~、いちいち言葉のチョイス!
「イソガナイヨ~ ユックリタベテ クーダサイ」
「あ、ありがとう」
 心持ち急いでスイーツとドリンクを消費すべく黙々と食べ飲み進めるが、何となく3人に見守られつつ食べてる感じがイヤ過ぎ!
 
 夏の屋外イベントは、アーティストたちもファンたちも暑さとの闘い。
いくら水分を補給しても水分が蒸発していき、フェス会場周辺の氷水に浸かったペットボトルが、色とりどりのカキ氷が視覚的は涼しさを多少提供してはくれているが焼石に水。
 結局は補給せずに潤わされることはなく、大気と熱されたアスファルトから上がる熱気で掻き消され、手持ちの水分が飲み干されると、必然的に新たな水分を入手に走らざるを得ない日本の夏。
 この夏フェスは同じレーベルに所属するアーティストが出演するので、最初から最後までフェスに参戦する人、自分のお目当てのアーティストまで参加する人、自分のお目当てのアーティストから参加する人と様々なのだそう。
 自分のお目当てではないアーティストでも、よく知る曲が流れると一気に会場が盛り上がる。また、普段あまり聞かないアーティストの曲が聞けたり、こういった機会で知られることとなるアーティストもいて、フェスというもの自体を楽しむ人も多いと聞いている。
 後半になればなる程出演するアーティストの知名度が高くなるとも聞いていたので、ファンの如何に関わらず、後半になればなる程会場が埋まっていく。きっと前半に出演するアーティストは、何時かは自分も後半、果てにはオーラスを飾ることができるアーティストにといった思いを持っていたりするのかな、と勝手に思ってみたりする。
 CUも例に漏れず、日本デビューを果たしてから、外国人ということだけでなく、国同士の関係によりハンデのある厳しい条件の中、同じ道を辿り今の地位を築き、ヘッドライナーを勤めるまでに成長。いつ母国の兵役に着くタイムリミットが来るのかファンが気が気でない中、其の日が来るまで、暫し会えない期間が来るまで、とにかく会える間に会いたいとばかりに、各々ができる範囲で彼らが姿を現す場所にファンは足を運ぶ。
 毎年この夏フェスに参戦している人たちの中にも、CUの応援カラーを記憶してくれていて、態々100均で同じ色のサイリウムを調達し、一緒に盛り上がってくれる人がいるというのをMutterで見た。それを見た時、自分がもし夏フェスに参戦できる時が来たら、他のアーティストがパフォーマンスを披露する時もしっかり応援しようと心に決めていた。
 今年は頗る良席なため、特にファンということでなくても、普段TVでしか観ないアーティストが近いというのは、それだけでも興奮度が高まる。
 乙とユンジュン君の後ろをついて歩き、まず後方入り口から前方まで会場の広さや雰囲気を味わいながら進み、大方半分ぐらいの席を過ぎたところから、一気に胸が高鳴り気分が高揚し始め、席番は聞いてはいたものの、実施に前へ前へ歩いていると動揺を隠せない。
「ちょ、マジで!?ちょ、マジ、やっば!!どーしよー!!」
 りーちゃんの腕を掴んでジタバタしていると、先に席に辿り着いた乙とユンジュン君の後ろ姿のある席を見て更に動揺。
「え、あ、あそこー----⁉やっば!」
 数字で見て”え、めっちゃ良席じゃないの!?”と言っていた以上に良席。
 ユンジュン君がこちらに振り向き、手招きをしている。わかっている。わかっているが、足がすくんで前に進めない。
「ど、ど、ど、ど、どうしよー----⁉」
「よし、行こう」
 りーちゃんに腕を引っ張られ、席の方に向かう。こういう時思う。いつも柔らかい、人に嫌な気も与えない大人しい感じかと思いきや、自分より絶対にりーちゃんの方が芯があるし、信念があるし、逞しい、と。
 何とか席に辿り着くと、目の前のステージの近さにボーゼン。一番前ではない。けれども、三列目のほぼ中央。自分にとっての未体験ゾーン。
 後ろ、遠い~~~~~~~~~~~~、わ~~~~~~(汗)
「スゴーイ チカイ デッスネェ」
 ユンジュン君の言葉に高速頷き。激しく同感。首振り人形上等。もう何と言われてもいい、自分にとってこの超ミラクルな神席(キラキラ)
 りーちゃんに促され、大きめのビニールにカバンを入れてパイプ椅子の下に置き、更に促されて日焼け止めを塗る。
 りーちゃん、なじぇにそんなに冷静に物事を進められるのだ⁉あたしゃあもう倒れそうだよぉ(ちび〇子ちゃん風)。
「そろそろ始まるよ」
 乙の言葉にハッとし、水分補給のためのペットボトルと汗拭きシートを出しやすいように、保冷バックから出して取り出しやすい場所に入れ直し、継いで、タオル、ハンディファンなどを慌ただしく取り出すべく屈んでいると、生バンドの音が地鳴りのように響き、驚きと共に起き上がる。
 まだ席は空いているところが多いが、トップバッターのバンドが暑い中、渾身の力を込めて楽曲を響かせている。
 名前は聞いたことがあるがあまり良く知らないバンドではあったが、この空気が、雰囲気が、手拍子をせずにいられない。知らない曲だが、楽しい!どうしよう!?CUの出番になったら、楽し過ぎて死ぬるかも⁉
 
 オーラスを勤めたCUの雄姿の背景に、次々打ち上がる大輪の花火が一気に会場を一つにし、拍手の嵐を巻き起こした。
 もう、最高過ぎ~~~~~~(泣)カッコ良すぎ~!汗までカッコいい~!しかも花火って、マジで夏フェス最高~~~~~~(泣)
 CUが汗と笑顔を振り撒きながら、笑顔で手を振りながら舞台袖に捌ける姿に、腕が千切れそうな程に振り返す。姿が見えなくなっても、きっと声は聞こえるだろうとばかりに手を振りながらCUの名前を呼ぶ。それは無意識。
 駅の混雑を避けるため、終わるとすぐにそそくさと会場を後にする人もいれば、逆に混雑を避けるためにその場に居座り余韻に浸る人もいる。ただ、その余韻をぶち壊すように、出口の混雑を避けるための誘導アナウンスが流れ、それだけは残念。仕方ないが。
「あ~あ、終わっちゃった・・・」
 脱力感でさっきの勢いはどこへやら、椅子に座り込む。
「終わっちゃったね。でも、CUカッコよかったね~!」
「うん、うん、うん、めっさカッコよかったあ~!何、あのカッコよさ⁉同
 じ人間と思えない!しかも、目が合ったんだよ~⁉」
「うん、うん、うん」
 りーちゃんの”カッコよかったね~!”で一気に記憶が甦り興奮の時間に引き戻され、体が記憶した高揚感を想起し、矢継ぎ早に捲し立てる。
「ニホン チカクデ ミルノ ムジュカッシイ?」
「だって、見てぇ?ほら、この後ろの席の数!」
 後ろを向いて両手を広げ、スタジアムのスタンド席の左右と後方まで視線を向ける。
「こんな前の席、神だよ、神!ドームなんても~っと広いし、TVの収録なん
 て、うちのお母さん、仮に当たっても一緒に行ってくれないから応募もで
 きないし、番組によっては27歳までとかって書いてあるんだよ?チャンス
 少な過ぎでしょ!?」
「ン~ン~ン~ ナルホドォ。カンコクデハ スッテンディングゥハ ウゴ
 ケルッカラァ チカク ミエルコト アルヨ~」
「そうなんだ!参戦してみたいわ~!」
「キッテクダサ~イ」
「わ~、頑張ろ!ね、りーちゃん!」
 何を頑張ればいいのかなど考えなしに、何だか頑張ろうという気持ちになる。
「うん。いつか行こうね」
 少しずつ人がはけていくと熱気や湿気が少し緩和されていくのか、それともスタジアムという場所がだだっ広いからなのか、普段の夜よりも何だか心地よい風を感じる。ああ、何というシアワセ。
 と浸っている間に、乙が”あ、オレらだ”と言い、一瞬何かと思ったが、自分たちの座席列番号のアナウンスが流れたらしい。
 乙とユンジュン君、りーちゃんがサッと立ち上がったため、余韻に浸り過ぎて鞄の中を整理しつつ時間もなく、しかも、自分が通路側にいるのでまず自分が動かないといけないというシチュエーション。
 マジか(泣)
 鞄の中にそそくさと荷物を適当に突っ込み、取り敢えず椅子から立ち上がって通路に出た。
 皆、何でそんなにサッサと準備できちゃうんだよ⁉この余韻に浸ることなく、サラサラっと荷物片づけてアナウンス聞いてって、どういうこと⁉せっかくこのステキな風に当たっていたのに、一瞬にして汗かいたわいっ!!
 などと自分が思っている間に、乙とユンジュン君が誘導するように先に歩き、りーちゃんに”行こう”と言われ、今日一日が幻だったかのような感覚に陥りそうになるのを、ステージの方を振り返り振り返り、一日を振り返り振り返り出口に向かう。
 出口まではまだ列ができていて、微妙に立ち止まってはまた歩くという状態。ならば、もう少し後から呼んでくれればいいのに、と思っていると、りーちゃんが乙の肩を叩いた。
「乙藤君。チケット分けてくれて、本当にありがとうね」
 お・・・りーちゃん、今言う⁉後からLINKでいくない⁉
 りーちゃんが乙に謝意を述べながら軽く会釈するのを見て、思わず目をむいて怯む。
 そうだ、悔しいけど、そうなんだよな~。や、CUみたいに、ちゃんと挨拶する時は挨拶する、お礼を言うべき時はお礼を言う、謝るべき時は謝る、CUが誇れるファンになると決めたんだから、乙にって言うのは悔しいけど、ちゃんと言わなきゃ、なんだよ。
 LINKのほうが文字だけで済むから後からでいいかな~、とか頭の隅で何となく思っていたが、りーちゃんがここで謝意を述べているのに、自分だけ傍観者みたいに見ているワケにはいかない。りーちゃんの行動が正しい。その通りだ。しかも、放心状態になるぐらい神席だったワケで、自力でそんな神席当てられるとは到底思えない。ん~・・・
「あ~、え~っとぉ、うん、あの~、ホントにありがとう」
 顔を見られる前に、サッサとお辞儀をしてしまう。いや、ちゃんと謝意の気持ちはある。本当に有難いと思っている。ただ・・・改めてとなると、何と言うか・・・いやはや。いや、でもちゃんと言った、ちゃんとお礼を言えた。CUのファンとしてのスタンスを守れた。良かった。
 そろそろいいかと思い頭を上げると、めちゃくちゃ目が合ったー---ー‼
「お・・・」
 思わず仰け反ってしまった自分に、”それ、どういうリアクション?”と乙からツッコミを受けた。そりゃそうだ。
「え・・・っと・・・、条件・・・反射?」
「意味分からん」
 ええ、ええ、そりゃそうでしょうよ。
「ジョウケン・・・ハンシャ?」
「ジョゴn バnサ」
「アア~ ジョゴn バnサ ハァ ジョウケンハンシャ ッテェ イイマ
 スカ~。ベンキョウ 二 ナリマス」
「私も勉強になった~」
 ああ、ユンジュン君、グッジョブ!あれ以上ツッコまれても、何も言えねえ、になるとこだった。危ない、危ない・・・
 胸を撫で下ろし、再度振り返ってステージの方を見る。人がいないと、より広く見えるスタジアムに驚く。そして、アリーナだけでなく、スタンドも沸かせたCUを思い出し、CUの色一色に染まった瞬間を思い出し、再び頬がだらしなく緩む。
 誘導されたのが最後でも、スタジアムの外は牛歩状態で駅に向かう人々、人の群れが落ち着くのを待っているのか携帯をいじりながら座っている人、人を待っているのかキョロキョロ辺りを見渡している人、とにかく人の群れはなかなか途切れず、特に駅に向かう方は行き詰っている状態だ。
 は~、こりゃ、いつ電車乗れるかな~(泣)
「すーちゃ~ん!」
 少し前の方からりーちゃんの声が聞こえたが、周りを見ると、どうやら群れの中で揉まれて、いつの間にかりーちゃんたちと少し離れてしまっていたことに気が付く。
 お~、マジか!
 何とかりーちゃんの声のする所まで行こうとするが、流れに乗るしかないこの状況。
「こっちこっち!」
 りーちゃんのシュシュを巻いた手を振るのが見え、群衆の流れから横に逸れていく様子から、自分も群衆の流れの間をぬって横に横に流れて抜け出した。
 流れから抜け出すと、ビックリするぐらい開けている。そりゃそうだ、外のスタジアムなんだから、電車に向かう群衆から抜ければ、その辺は広々としている。
「あ~、また汗かいてしまった(泣)」
 バッグから汗拭きシートとハンディファンを取り出し、”あじゅ~”と言いながら忙しなく、ハンディファンを顔に当てながら汗拭きシートで首や服の中を拭く。
「電車、乗るの時間掛かりそうだね~」
「あ、あのね、乙藤君がね、車で途中まで送ってくれるって言うんだけど」
「は?車?誰の?」
「何かね、乙藤君のお兄さんが迎えに来てくれるんだって」
「え?お迎え?」
 え~、兄がお迎え?弟の?姉が弟のとか、兄が妹の、じゃなくて、兄が弟のお迎え?う~ん、乙っていいご身分だな~~~~~~。
「うちの兄貴、ユンジュン、お気に入りなんだよ」
「ボクモォ オニサン ダイスキデス イロンナコットォ イッパイシ
 ッテルネッ オニサン ノ ハナシッ オモシロ~インダヨ」
 へ~・・・って、あ!乙のお兄さんって、あ、そぉ~じゃん、保志さんが好きっぽいっていう、あのお兄さんじゃん!うわっ、見たい~♪
「え~、や、どうしよっかなあ~、何か悪いしな~」
 などと、心にもないことを言ってみる。電車に乗らなくていいとかそういうことではなく、乙のお兄さんを見てみたい衝動の方が強い。なぜなら、そもそも元々家に車がなかったので、他人様に乗せてもらうしかない自分としては、乗せてもらった楽さより、他人様の家にお邪魔しているような落ち着かなさを感じてしまう。
「でも乙藤君、お邪魔じゃない?」
 りーちゃんは当然のことながら本気で気を遣って言っている。うむ、これで”じゃあやっぱ別々で”となると、何だか残念過ぎるのだが。
「大丈夫、問題ない」
「そうなの?」
「ダイジョーブ。オニサンノクルマ ノレル ノレル」
 ユンジュン君は数の問題と思ったのか、若しくは、それこそ気を遣ってそういう風に言ってくれているのか・・・読めない。
「車の混雑避けるのに、逆方向にちょっと歩かないといけないけど」
「そうなんだ」
 それは全然問題ないのだよ、ふっふっふ。乙のお兄さんが見られるなら、全然歩きますよ~、はいはい。あの保志さんが憧れるというお兄さん。是非是非拝見させていただきたいですな。
 りーちゃんが”大丈夫?”と小声で聞いてきたので、これは恐らく、乙のことがちょい苦手ということに気付いていての気遣いだろう。
 全然問題ないのだよ、りーちゃん。それよりも、自分のせいでユンジュン君との時間がなくなる方が申し訳ないところに、車に同乗させていただく口実ができ、良い条件しか揃っていない。
 できるだけりーちゃんの恋路のお手伝いはしたいし、出来る限り、ユンジュン君との時間、援護するからねっ!
「大丈夫。あたし、歩くの好きだし」
「そ。じゃ、あっち」
 乙がそれだけ言い、ユンジュン君と話をしながら歩き出し、りーちゃんと共に2人の後をついて行く。なんとあっさりとした誘導。まあ、ぐちゃぐちゃ言うよりマシか。
 暫く乙の誘導に従って歩くと、道沿いに車が並ぶ中、乙が“あれ”と言って指差す車。アバウト過ぎてどれか分からないと思っていると、一台の黒い車に乙が寄って行き、助手席のガラスを宏介がノックする。
 助手席の窓が下がり、乙とユンジュン君が乙のお兄さんと思われる人と話をしている。
 車のところまで歩いて行くが、乙とユンジュン君が窓を塞いでしまっていて、そのお兄さんとやらが全く見えない。
 のけー!のけー!見えないじゃないかー!
 と、心の中で茶化してみたのが聞こえたのか気のせいなのか、乙がクリっとこちらを向いき、思わず、うぉっ!と仰け反る。
「じゃ、乗って」
「あ、はい・・・」
「オニッサ~ン アリガトゴジャイマ~ス」
 乙が助手席の方に行き、ユンジュン君が後部座席に乗り込む。ここは、やはりユンジュン君の隣りに座らせてあげたいので、りーちゃんを先に乗せるべく誘導・・・だったハズが、やはりりーちゃんが先に行って正解だったと思ってしまう、自分が残念過ぎる。
「あの、初めまして、住友梨穂と申します。今日はお世話になります。あり
 がとうございます」
 助手席の方から乙兄に挨拶をするりーちゃん。自分が先だったら、”お邪魔しま~す、こんばんわ~”だけで終わってしまって、その後にりーちゃんなんてことになっていたら、ちゃんとした挨拶もできない子認定だったハズ。
 りーちゃんが挨拶をして後部座席に向かい、次は自分だと思うと、先程、保志さんの好きな人を見たいなどという邪な気持ちで軽々しく送ってもらうことを受け入れた自分を殴ってやりたい。
「あ、あ~の~・・・は、初めまして、森北すばるです!」
 あああああああ~、声が上ずったぁ~~~~~~(泣)しかも乙の前とか、さいっっっっっあく!てか、次りーちゃんが何て言ってたか記憶がないぞ、いや、思い出せないぞ?体中が恥ずかしさで充満し、これが昼なら湯気でも出てるんじゃないかというぐらい、目眩が起きそうなぐらい。逃げ出したい。
「あ~、陽子ちゃんの」
「・・・はい?」
「あ、陽子ちゃんから、”すばる”って特徴的な名前聞いてたから覚えてた
 よ。どうぞ、どうぞ、乗って」
「え・・・あ、はい・・・お、お邪魔します・・・」
 保志さんから・・・何て聞いてるんだろうな~・・・ま、乙から出る言葉なんてとんでもないんだろうけどさ、ケッ。しかしお兄さん、乙とは違って随分と優しそうな、爽やかそうな感じであらっしゃる。きょうだいでこんなにも違うかね~?
 と、とりあえず車に乗り込みドアを閉めようとすると、乙が外からドアを閉め、それから助手席に乗り込んだので、その行動にやや驚いてしまった。
 乙がそんな行動を取るなんて、Noooooooooooooooooooooo!
 
 帰宅するとお母さんは既に寝ているようで、音を最小限にすべくそろそろと部屋へ移動。“あまり夜分に入浴をすると近所に響く”としつこい程に言われ続けて来たので、遅く帰宅した分、余計に従っておこうという気になるのは後ろめたさからか。
 それに、お母さんはそもそもライブに行くことなどをあまり良くは思っていない。そこを拝み倒して何とか参戦に辿り着いているので、帰宅が遅いことも良くは思っていない。ので、せめて最低限の言うことは聞いておかないと、行かせてもらえないなどという愚行を選ばれたら死ぬる。
 荷物を置くとすぐさま準備をし、再びそろそろと浴室に向かう。できるだけ音がしないよう動いてはいるが、その分逆に少しでも音がするとピキーンと体が硬直し息が止まる。お母さんが起きて来ないのを確認できると、漫画で言うと”はぁぁぁぁぁ~”と大きく文字で書かれるぐらいに息が吐き出される。
 湯船に浸かっていると、再び頭の中は今日見たCUの姿が繰り返し湧き上がり、画面に大きく映し出された際に見えた汗さえもキラキラしていた映像まで頭に浮かび、思わず”キャー!”と声に出しそうなのを無音にして、一人湯舟で暴れる。
 傍から見たらさぞかし奇妙だろうと頭の片隅で思いつつも、実際は誰も見ていないので感情のまま百面相を散々繰り返した挙句、もう動画が上がっているかも!?と突然スイッチが入り、マッハで湯舟から出て一連の作業を進める。
 ライブでの隠し撮りは禁止だが、CUのライブの隠し撮り画像や動画は必ずアップされる。日本人よりも韓国人や中国人のファンの隠し撮りのほうが確実に数が多く、日本ではあまり見つかって追い出されるという現場を見かけることはないが、韓国や中国では結構あるそうな。
 良くないことと頭では理解しているが、Mutterを覗くと必ずアップされる動画に対しては、有難さで手を合わさずにいられない。もう、スライディング頭擦りの感謝、感謝。
 お風呂から出て部屋に戻ると・・・やられた・・・が、散々歌い叫んで入浴もしてしまい、怒る気力がない。
「ちょっとぉ~・・・もうマジ勘弁してよ~・・・」
 ベッドの上に置いたバッグの中の物が、ビックリするぐらいベッドの上にぶちまけられている。
 こんなの、どうやってやるんだよ、超チビのクセに(呆)
⦅チビとはなんや、チビとは。存在はワシのが偉大やぞ⦆
「あ~はいはい」
 も~、今から細々片づけるの無理だし。バッグの中に取り敢えず入れて、ベッド横に置いて明日片付けよ。あ・・・ファンタオルだけは汗まみれだから洗濯機行きか。
 カバンの中が汗の匂いで充満するのは流石にアウト。渋々洗濯機の中に入れに部屋を出る。
 部屋に戻って来ると、オッサンがベッドの上でスキップをしながらくるくる回っている。
⦅や~や~、オトコマエの兄ちゃんに会うたんやて?⦆
 え~、そっちぃ?聞くならCUの話にしてよ~。
⦅あ、オトコマエや思とんやwwwww⦆
「いやいやいやいや、どうせ訂正したって、それ言い続けるじゃん」
⦅いやいやいやいや、車のドア閉めてもろて”ひゃ~”なんたんやろ?オトコ
 マエや~ん⦆
 もう、何の話してんだよ、オッサン。
⦅でもって、兄ちゃんもオトコマエやったんや⦆
「顔はどう見てもお兄さんのが造形が良かった。お顔が良くて、頭も良く
 て、優しくて、声まで優しい・・・そりゃ保志さんも好きになるよね~」
 ”勇作さん”という乙のお兄さんは同じきょうだいなのに、縦にしても横にしても、どう見てもお兄さんの方がソフトで、北風と太陽どころか吹雪と太陽でしょ、あれは。
⦅え~~~~~~~~~、ゆかりの店まで予約してもろて?神席もろとい
 て?それは~オマエ、オマエがクズ過ぎやろ?⦆
 ・・・それはその~~~~~・・・
⦅あ~あ、CUのファンとしての恥ずかしないようにとかい~っつも言うとる
 クセに、心から感謝できひんとか、CUとかいうんも大したことないのぅ⦆
 ん~~~~~~~~~~~~・・・何も言えねえ。
⦅大体なあ、オマエ、ひつこいねん、いつまでもいつまでも。しかも元はと
 言えばオマエが悪いんやんけ。やのに、あ~ひつこ⦆
 オッサンの関西弁が分かるようになってくると、引っかかることなく聞こえてくる言葉にグッサリ来る。
 ええ、ええ、どうせ自分はしつこいですよ~だ。そりゃ、乙のお兄さんみたいにどう見ても優しそうとかなら・・・いや、お兄さんだったら、そもそもあんな遣り取りにならないって。
⦅しかもやで、オトコマエのお陰でめさくさ待って電車乗らずに済んで、座
 って駅着いて、スーッと帰って来れたんやろ?⦆
「いや、乗せてくれたのはお兄さんだし」
⦅いやいやいやいやいや、そもそも、そもっそもオトコマエがチケット分け
 てくれたからやろ~。オマエ、そんな性格しょったら友だちおらんくなる
 で⦆
 ん~~~~~・・・まあ・・・ん~・・・あ、髪の毛乾かさないと!あ、化粧水もまだじゃん!
 一気に化粧水やら乳液やらを顔に塗りたくり、ガチャガチャとドライヤーを手に取り、一気に髪の毛を乾かしにかかる。オッサンが何か言っているが、丁度良く聞こえない。
 結局、思った以上に疲れていたらしく、エアコンで部屋の温度が適度にいい状態でドライヤーをかけていると、急に眠気が襲って来た。まあ、朝早くに出て、とっくに午前1時を超えていたので当然と言えば当然で。
 突然大音量が耳を劈き、それと同時に飛び起きて、音元が携帯と分かりすぐに音を止める。まだ止まらないほうの動悸を鎮めようと深呼吸をしていると、目の前をヒュッと横切る物体。
 まあ、オッサンしかいないわな。ウザいわ~~~~~~。
⦅おっそよ~さ~ん⦆
 え、何それ?ジュラ紀白亜紀辺りのギャグですか?って、わ、もう10時回ってるっ!
 特に用事があるワケではないが、流石に10時となると飛び起きてしまった。
⦅てゆーかや、オカン、2回ぐらいドア、ノックしとったぞ。やから、起こしたったんやん
け。根ぇ生えるぞ⦆
「“ねぇ?”」
⦅根ぇもわからんのんかいw⦆
「ウルサイ。で、お母さん、何?」
⦅知るかいやw⦆
「え、うそ。絶対分かってるクセに」
⦅知ら~ん⦆
「ふんだ。ま、取り敢えず起きて歯磨こ」
 ベッドから降り、頭をくしゅくしゅっと掻きながら部屋を出る。
⦅御愁傷様w⦆
 洗面所に向かい、歯磨きペーストと歯ブラシに乗せ、オッサンのせいで既にパッチリ目覚めた中キッチンに向かう。
 TVを観ながら三度豆の筋を取っている母親を見て、“暫くご無沙汰だったけど、あるとしたらお祖父ちゃんのことだよね”と思いつつ歯ブラシを動かす。
「も~、歯磨きは洗面所でやってって言ってるでしょ!?」
「べふにおほははいっては~」
「いいから、あっちでやって」
「へ~い」
 踵を返し、すごすごと洗面所に向かう。
 お母さんが特に何か言いたそうに見えなかったので、”いつまで寝てるんだ⁉”だったのだろう、と自分に言い聞かせたりなんかする。
 洗面所からキッチンに戻り、一旦水分補給をしてから味噌汁を温め、箸を出して納豆の準備。胡瓜の糠漬けを一切れ口に入れ、更に納豆を混ぜる。
 五穀米をよそい、自分に当たるように扇風機を向けて座り、”いただきます”と手を合わせる。
 お母さんは筋を取り終わったようで、冷凍保存の準備をしている。何かを言って来そうな雰囲気もないので、流れている情報&ワイドショー系番組を観ながらご飯を進める。
「昨日は楽しかった?」
「え?」
 え、珍しくそんな聞き方する?いつもは、”楽しかったみたいで良かったね~”と、何だか奥歯に物が挟まったような言い方で、嫌な気分にさせられることが多いのに、ちょっと不気味。嵐の前の静けさ?
「うん、楽しかったよ」
 何だかこえ~。いや、多分この感じ、多分来るんだ。ずっと考えてなかったのになぁぁぁぁぁ~。
 食事を終え、サッサとシンクで洗い物をし水切り籠に食器を立て、マグカップにどくだみ茶を注いで立ち去ろうとすると、また後ろから呼び止められる。
 おっほっほ~、腹を括れって話だよね~、ヤダな~、どうしたらいいかなんかわかんないっつーの。
「ねえ、すばる」
「ん?」
「あのさあ」
「うん」 
 ん~、ヤダな、面倒だな~~~~~(泣)
 お母さんは自分で声を掛けておいてしばし黙っていて、こちらもどうしたらいいか分からない、このイヤな雰囲気。何この間?すっご~いイヤな気しかしない。まさか、ドラマみたいに“あのね”“うん”を繰り返して“・・・(沈黙)”の後に爆弾、とかやめて下さいよ、マジで。そんなの望んでないし、あんな楽しかった昨日の今日で奈落の底とか地獄とか最悪。
 え、まさか、また入院とかじゃないよね?いやいやいや、もう一旦は大丈夫って話だったよね?お父さんと再婚するとか?いやいやいやいや、それはないか。今も別にお父さんが単身赴任してるようなもんだもん。
 じゃあ、何だ?やっぱ、あれだよね。
「ねえ、すばる」
「んだから、何?」
「あのね」
「うん」
「あの・・・お祖父ちゃんに会ってくれない?」
「はあ!?」
 え、選択肢なしのそっちー----!?会ってみたくない?とかじゃなくて、会ってくれないぃ!?
 いや、あれからこっちは暫く悶々と考えてたけど、何ももう言って来ないから一旦ドローになったか、若しくは話がなくなったか?ぐらいだったのに、会ってくれない?と来た。どういうこと!?何?何がどうしてそんな話になった!?
 楽しいことがあったからもういいだろう的な感じ?いやいやいやいや、夏フェスの楽しさと関係ないよね?それとこれは別よね?これまでの間にナニがあったー------⁉


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