見出し画像

ワザワイ転じて山芋ウナギ ~とある女子高生の奇妙な回想録~其の2

“ピンポーン”
 部屋で塾に行く準備をしているとチャイムが鳴った。
 今日は特に荷物が届くといったことは聞いていない。回覧板・・・は何時もドアノブに掛かっている。足音を立てないように部屋からキッチンに行き、インターホンのモニタースイッチを入れて顔を確認・・・誰?
 基本的にお母さんが不在の時は知らない人の対応はしないように言われているので、応答出来る相手か否かを見極めるまでは音を立てない。
 最近は宅配を装った犯罪が増えているとニュースで見てから、自分の住む所には宅配ボックスなどというステキなモノはないので、お母さんは宅配ボックスを設置している所かコンビニ受け取りにしていて、家での受け取りはお母さんが確実にいる時のみにしている。
 今日は土曜日なので普段はお母さんも家にいるが、今日は朝早くから出かけている。ので、来るとしたら隣の人か管理人さんか勧誘か。隣の人でも管理人さんでもないから、勧誘か?
 インターホンのモニターには、落ち着きなくモニターに近寄ったり離れたりする、白髪が多めのシルバーヘアーでぴっちり一つ結び、細いフレームで楕円形の眼鏡を掛けた・・・いくつぐらいかちょっと分からないが、年齢はお母さんよりずっと上っぽい女性。どこにでもいるっぽいと言えばそうなのだが、何となく見たことがあるような気がしないでもない。
 誰だっけ?・・・てか、ちかっ!
 女性の顔がモニターいっぱいに映し出され、思わず仰け反る。ヘタクソか。こんなに近づいたら、顔なんか見えないのが分からないとか、ちょっと理解できない。と思っていたら、少し引いた。
 う~ん、どこかで見たような気がするが、記憶のどこに仕舞われてしまったか。喉までもでてはこないが、取り難い所に紙の切れ端が挟まっているのが、見えているのに手が届かない、そんな何となくムワ~っと気持ち悪い感じ。
 再びインターホーンが鳴る。
 応答するにはもう少し情報が欲しい。全く知らない人なら即無視だが、このぼんやり記憶がある、というのが厄介だ。
「すいませ~ん、ハナフサですけど~。あずさちゃん、いてる~?すいませ
 ~ん」
 ハナフサ?あずさちゃん?ハナフサ・・・で、お母さんの名前・・・このトーン・・・ハナ、はな、花・・・あ、そっか!
 ぼんやりしていた記憶が少しだけ鮮明になってきて、明確に誰かは分からないが、花ナントカってどんな字書くのか?と小学生になってから思ったことを思い出した。保育園ぐらいから小学校低学年くらい?とにかく、小さい頃に何度か会っている人であることは確か。
 知らない人、というワケではないが、こんなに記憶を引っ張り出すのに時間が掛かる人というところで”知り合い”と位置付けしていいのか?悩む。
「サキコちゃんとお友達だったハナフサですぅ」
 間違いない、小さい頃にお祖母ちゃんのとこで会っている。サキちゃん、”幸喜子(サキコ)はお祖母ちゃんの名前だ。
 幸喜子・・・何と罪な名前を付けたんだか、ひいじいちゃんとひいばあちゃん、って存在自体知らないけど、記憶の中のお祖母ちゃんはこの名前に反していた印象しかない。
 というのは置いておいて、知り合いを追い返したとなると、それはそれで後で何か言われるかもしれないから、取り敢えず要件だけ聞いておこう。
 インターホンの応答ボタンを押し、お母さんが不在であることを告げる。
「あ、すばるちゃんね!ハナフサのおばさんよ、覚えてる?」
「あ、はい・・・何となく・・・」
「お母さんいないのね。じゃあ、ちょっと渡しておいて欲しい物があるの
 ぉ」
「あ、はい・・・」
 一瞬、”ん?”とは思ったが、その一方で、”一応知っている人”に“渡しておいて欲しいものがある”と言われ、”大事なモノかもしれない”と咄嗟に思ってしまった。この判断がそもそもの間違いだった。
 玄関を開けると、薄いイエローの、襟元にビーズをあしらった薄手のアンサンブル、こげ茶の膝下ぐらいのフレアースカートに、黒のローパンプス、皮だか合皮だかの茶色い大きめのバッグを引っ提げている。地味を絵に描いたような・・・
 あ~はいはい、思い出しました。以前はもう少し太いフレームの眼鏡を掛けていたけど、装いは以前もそんな感じでしたね、はい。
「あらま~、いいお嬢さんになってぇ」
「・・・や、そ~でも・・・」
 それが例えお世辞で、社交辞令で、ご機嫌取りであったとしても、そんな風に言われて悪い気はしない。
「あ、最後会ったのって、すばるちゃんがまだちっちゃかったもんね、覚え
 てないかしらぁ。お祖母ちゃんのお友達のハナフサですぅ。生前、お祖母
 ちゃんにはすごくお世話になったのよぉ。あ、お母さんはまだお仕事?」 
「あ、はい・・・」
 仕事じゃないけど、何か用事があると言って出かけましたね、はい。
 ずいっと顔を寄せて来て、今にも家に入りそうなグイグイ感。圧がスゴイ。思わずたじろぎ。
 小さい頃を知っているとは言え、何かちょっと馴れ馴れし過ぎるような気もするが、小さい頃を知っている人なんてこんなものか。会う度に“大きくなって”と言う人もいるが、あれは本当にそう見えているのか、それとも他に話すことがないから、それを言っておけば遜色ないという感覚なのか。
 いや、そういう次元の話ではなく、この人は何だかちょっと距離感がヤバい。”家に入れて”とか言って来たら、全力で阻止しないといけない案件か?
「あのぉ・・・どういうご用件でしょうか」
「あ~、先日道端でお母さんに会ってねぇ、久々だから積もる話もあるかな
 ~って思って寄ってみたんだけどぉ、残念だわぁ。あ、すばるちゃん、ケ
 ーキは好きかしら?」
「え?あ、はあ・・・はい」
「わぁ、よ~かったぁ。良かったらこれ、お母さんと食べてぇ」
 ハナフサさんが鞄を徐に開け、いそいそとケーキと思しき箱の入ったお店の袋を取り出す。いや、ケーキの箱だ。お店の名前が印字されているビニールの手提げの形で、ケーキの箱であることは明らか。
 鞄から出すんかい!漫画の異次元ポケットか!と心の中でつっこむ。というよりは、どうりでデカいカバンを持っているハズ。この華奢な体系にこのカバンだと、体の殆どが隠れてしまってカバンが歩いているように見えそうだ。
 ケーキの箱の入った袋と共に更にハナフサさんの笑顔の圧が強くなり、更に更にカバンから何か冊子のようなモノを取り出し、ケーキの袋の中に入れる。満面の笑顔が不気味。ではあるが、激しくニコニコしながら“はい”と手渡され、思わず手を出して受け取ってしまう。これは反射的だよな~。
 “あげる”と言われて何かを差し出されると、取り敢えず一旦受け取るべく手を出してしまう。小さい頃、それでトカゲを乗せられて泣き叫んだことがあり、それ以降は”あげる”に対して警戒心を持っていた時期もあったが、その記憶を上書きするように、手に渡されるものが自分にとって利益のあるものが続くと、再び自然と手を出すようになったという。なんと現金。
 手渡されたビニールの印字、見たことがある。これは・・・
「あー!ゲルストナー!」
「あら~、知ってるぅ?美味しいのよぉ、ここのアプフェルシュトゥルーデ
 ル」
「えー!それ、個数限定って・・・」
「あ、今日知り合いがまとめて買って来てくれたから、お裾分けもらったの
 よぉ。お母さんと一緒に食べて。また寄らせてもらいますぅってお母さん
 に言っといてぇ。それじゃ」
 最後まで不気味な満面の笑みでぐいぐい来て、最後はケーキの箱と何か冊子だけ渡し、それだけ言って肩透かし的にアッサリと引き上げていった。思わず”あ”と引き止めそうになった。というか、呆気に取られてお礼を言い忘れた。
 ただのいい人??????だとしたら、怪しんでゴメンだけど。
 ドアの鍵を掛け、思い掛けず手にしたゲルストナーの箱を手に、ビニールの印字を再度確認。
 間違いない。自分にとっては幻のアプフェルシュトゥルーデル。並んで買うといっても、平日三日間と土曜しかやっていない上に、学校があるのに朝から並べるわけなかろうという代物で、自分の中では幻のスイーツ。だった物が、今目の前にある。これは開けずにいられるわけなどなかろう。
 小走りにキッチンへ行き、テーブルの上で袋から冊子と箱を取り出し、一旦冊子はまた袋に戻した。そして、蓋された日付印のシールをゆっくり剥がす。キレイにシールを剥がせた。心の中は“あたし、グッジョブ”。
 シンプルな白い箱の蓋をゆっくり開けると、ネットでしか見たことがないアプフェルシュトゥルーデルが二つ。と、更にザッハトルテが二つ。
 おおおおお~、これかぁ、まぶしっ!すんごっ・・・って二つずつ?お父さんいないの知ってるってこと、だよね?ま、いっか。しかし、その知り合いって人、朝から並んだってことよね~。てか、一人で何個も買えないんじゃないの?何人もで並んだのかな~?稀有な人だな~・・・しかし、まさかのアプフェルシュテュルーデル!
 見た目は派手ではないが、“アップルパイ”とは言っても普段見るアップルパイとは違い、何となく上品でおしとやか、優雅さを纏っているようだ。差し詰め、アップルパイは向日葵、こっちはジャスミン、といったとこ?いや、自分の表現力の乏しさは自分がよく知っている。ジャストな表現が見当たらない。
 ただ、自分の中ではウィーンの片隅の老舗カフェに足を踏み入れ、店内を見渡し、高い天井を仰ぎ見ているところにウィーンの風が吹き込んで来るような・・・と、ネットの受け売り情報が想像を膨らませる。
 小さく興奮気味で自分の部屋に携帯を取りに行って戻り、画像を数枚シャコシャコ。心が躍るとはこういうことだ。
 撮った画像の写りを確認し、ある程度納得した画像が撮れた後、箱の蓋を閉めてまた袋に戻し、冷蔵庫に入れてから部屋へ戻る。
 冊子がケーキの箱の下敷きになったことは言うまでもない。おかげ様で、ビニールの底板となり、箱の安定に役立ちました。

 眞理子、千華、琴乃のLINKグループに、ゲルストナーのアプフェルシュテュリューデルを入手したことを報告(自分でじゃないけど)。みんな忙しいので即返は望んでいないけど、必ず反応してくれるから、ちょっと心の中では”早く来ないかな~”と思っていたりする自分がいることは否めない。
⦅ご機嫌やのぉ~⦆
 ゲ、出た。
⦅”出た”て、バケモノやあるまいし⦆
 似たようなモノじゃん。
⦅どこがバケモンやねん、こんな”きゅ~と”なん掴まえて⦆
 ”キュート”だって。バカじゃないの!?
⦅”バカじゃないの!?”⦆
 一々言い方真似すんなっつーの。
⦅真似すんなっつーの⦆
 ・・・溜息。
 出没したのは少し前なのに、この状況に慣れてきてしまっている自分がバカなのか、若しくは柔軟性があるというのか。
 最初はあれだけ恐怖を感じていたのに、喋って来られるというよりは突然声が頭に響く感じで”うわっ”という感覚だったのが、今やただ鬱陶しいだけ。出没するタイミングも不明だし、存在自体もイミフ。何故に自分がこんな目に遭わないといけないのか。人の家に勝手にいて、いい迷惑。目障り・・・じゃなくて耳障り。
 あ、姿見えた。目障り。折角の楽しい気持ちが台無し。早く消えてくれないかな~。
⦅おま、アホちゃうん。消えろとかオマ、失礼やろ。大体やな、ワシはずー
 ---------っとおったっちゅーねん。妖精さんやぞ!?見えたと
 か聞こえたとか言うて、いきなし騒ぎ始めたんはそっちやろ~⦆
 何が”妖精”だ、オバケのクセに。
 オッサン曰く、そいうことらしい。キツい関西弁で、TVで見るキツい関西弁の芸人さんが、他のゲストの存在を無視して思いつくまま独演するとこんな感じなんだろうな、と思うぐらいイミフなことも少なくないので、そうなるともう同じ言語を扱わないのがワーワー言っている程度でしか聞こえない分スルーしているから、話は掻い摘んでしか分からない。その中で拾った情報。
 何でも、自分の部屋の入口横に置いている椅子が原因らしい。
 その椅子は、お父さんがどこからか質のいい『木』を譲って貰ったから、自分で加工してレンガ色の皮張りダイニングチェアーを作る、と言って出来た一脚だが、結局この一脚以外は途中で終わっている。仕事であちこち行くようになり、作った時のようにまとまって時間が取れない(というより、仕事をしていなかった、というのが正しい)ので、この一脚しかないのだが、この『木』は元々大阪の何処か大きな家の庭に生息していおり、何かを理由に伐採された後(理由は聞いたような聞いてないような)、大阪から流れ流れて来たものだと言う。
 そして、お父さんがその木の一部を加工して作った椅子がお気に入りで、自分の部屋に貰った。のが災いの元らしい。この椅子の木の部分がまだ大木だった頃から”住んでいる”というが、ちょっと意味が分からない。”住む”って何!?
 いつも聞こえるワケではないが、鬱陶しいので部屋から出そうとしたら、お母さんから理由を聞かれたので、”邪魔になったから他の場所に置きたい”といったことを伝えると、”気に入って欲しいと言ったんじゃないの?ほかに置くとこなんかないわよ、そんなの”と言われた。そして、間髪入れずお父さんからLINKが来て、暫く椅子のことなんか何も言ってなかったのが、突然椅子の話になり、流れ的に結局部屋に置いておくこととなってしまった。
 ぜー-------ったい何かの力が働いている。あのオッサンの、よく分からない何かの力が働いているに違いない。どうしてあの椅子を気に入ってしまったんだろう・・・今更後悔。
 いろんな部分を端折っても、”お父さんが作った”という事実は消すことができず、サラっとゴミとして捨てるにも忍びない。ので、仕方なく現状に甘んじている。というよりも、自分の中では、きっと捨てても何かの力が働いて戻って来るであろうホラー的な椅子、という位置づけで諦めている。大体、オッサンのことばかり考えている暇なぞない。しかし、どうしてこんなことに・・・残念で仕方がない。
⦅言うとくけどな、わし、この木に三百年以上おんねんど。その木を切って
 勝手にバラバラによってからに。文句言われる筋合いないわい⦆
 はあ、さんびゃくねん・・・江戸ですか。
⦅は?江戸?大坂やっちゅーねん⦆
「いや、場所の話じゃないしw」
⦅知っとるわw⦆
 ああ、腹立つ。何年前とかど~~~~~~~~~でもいいんですが。
⦅何言うとんねん。年上は敬えよ⦆
 オバケのクセに何を言ってるんだ、このオッサンは。
 あ、返信来た!ん~、みんなステキなリアクションしてくれるから好き~!この3人ってホントいい子~!
⦅オマエとちごてな⦆
「ウルサイわ!」
 オッサンの相手をしている暇はない。返信、返信・・・”感想伝えるから楽しみにしててね”と、送信!
⦅オマエの感想なんか待ってへんて。みんなええ子やから、取り敢えず返事
 しとったろ~、てなもんやろ⦆
 ・・・無視、無視。
⦅やあ、そこの⦆
 無視、無視。
⦅なあ、そこの⦆
 ”そこの”って何よ、しつこい。無視、無視。LINK打つのに集中、集中。
⦅あ~あ、ええこと教えたろ思たのに⦆
 オッサンの言うことなんてロクなことないし、バカじゃないの?(笑)
⦅ふ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。ま、ワシはええ
 ねんけどな⦆
 と、オッサンの姿が現れ(というか見え始め)、ヘラヘラ、というかニッタラニッタラしながら、ポケットに手を突っ込んで左右にカニ歩きしている。ガラの悪いオッサンそのもの。
 フッといなくなり、今度はどこからかカンカンと音がし始めた。
「なに、ナニ、何!?」
 音のする場所を探すと、バッグを鉛筆でカンカンと叩いているオッサンがいる。鉛筆なぞで叩いたところで、壊れたり・・・
 塾!!!!!!時間!!!!!ご飯食べてく時間がないっ!!!!!
⦅知らんがなw⦆
 オッサンに構わず塾の準備を入れているカバンを奪い取り、部屋を飛び出した。オッサンの叩いていたのは塾の準備を入れているカバンだったとか、こんなことで気づくなんて屈辱。
 水筒にお茶を入れる時間がない!食べる時間がない!コンビニ寄って、飲み物と何か買うしかない!いらないお金が出て行く~!(泣)

「ただいま~」
 荷物を部屋に置き、ヘロヘロとそのままキッチンへ向かう。
 結局、コンビニで何か物色している時間はなく、入り口すぐに置いてあるエナジーバーを手に取り、そのまま真っすぐペットボトル飲料の入った冷蔵庫軍の前に行き、目に入った麦茶のボトルとを持って即効会計し、即効塾に向かったため、塾が終わる頃にはヘロヘロにもなる。エナジーバーなんて一瞬空腹は誤魔化せても、勉強でエネルギーを使ってしまえばすぐにエネルギー不足になる。アプフェルシュテュリューデル、いや、オッサンのせいだ「お帰り」
 お母さんは既に入浴を済ませ、TVのバラエティを観ながら髪の毛をドライヤーで乾かしている最中。
 髪を乾かす手段としてドライヤーを使うというのは別段可笑しなことではないが、昔のドラマの再放送を見ても、何時の時代も形や風量、音は違えど、ずーっとドライヤー。もっと素早く乾かす手段が出来てもいいのでは?と思ってしまう。なぜなら、ドライヤーを使われると、音は聴こえ難いし会話もし難い。せめて、音がなくなるとかそういうドライヤーが出て来ないものだろうか、と時々思う。
 テーブルの上に食事が準備されている。ということは、お母さんは確実に冷蔵庫の中を見ているワケだから、その報告をせずに先に食事を摂ると絶対に嫌味を言われる。こういう時、お母さんからは聞いて来ない。サラっと「冷蔵庫の中のアレ、どうしたの~?誰かから貰ったの~?」と聞いてくれれば会話もスムーズな気がするが、お母さんはそれをしない。一切こちらを向かないということが、既にこちらからの報告を待っているという空気をガンガンに醸し出している。一体何なんだろうな~、あのワケの分からない無言のプレッシャーは。 小さい頃からだけど、人から何かを貰って来たりすると、何だか嫌そうな雰囲気を醸し出す。どうしてそういう姿勢なのかも意味不明だし、お母さんのこういうところ、イヤなんだ。
「あ・・・あのさ~」
 聞こえたらしく、お母さんがドライヤーを止めてこちらに顔を向ける。これはどっちの意味の表情なのか。”なあに?”とも言わないところから、”待ってたんだけど”といった感じか。
「今日さ~、塾行く前にハナフサさんって人が来てさ~、ゲルス・・・」
「花房さん・・・?」
 報告を始めたばかりなのに、言葉を遮られた。記憶は間違っておらず、やはり以前会ったことのあるハナフサさんのようだ。ただ、お母さんの語気が気になる。怪訝そうな。イヤな予感がする。どう言えば正解、いや、どう言えばこの場を穏やかに収められるのだろう。と、脳をフル回転させようとするが、既にエネルギーを使い果たしている。ここは取り敢えず・・・  「や、うん、あの~、お祖母ちゃんの知り合いっていう。ほら、よくお祖母
 ちゃんとこによく来てたじゃん?名前は記憶なかったんだけど、何となく
 顔は覚えてて。で、お母さんいないって言ったら、また来ます~って冷蔵
 庫の・・・」
「ふ~ん・・・」
 え、なになに、その”ふ~ん”は!?どう捉えたらいいの!?
「”また来ます”って?」
「うん」
 イヤな予感どころか、どうやら関わりたくない相手のようだ。何か考えるように別の方向を見ているが、声、醸し出す雰囲気、この居心地の悪さ、何なんだよ、何かあるならサッサと言えよと思う反面、何もなかったようにサラっと終わらせてくれよ、とも思う。絶対的に後者希望。
 次にお母さんがこちらを向いた時には、顔は曇り、眉間には皺が寄り、完全に怒りモード。自分、何したって言うんだ。こちらは疲れているのに勘弁して欲しい。
「何か、こないだお母さんと道端で会ったって」
「あたしと?あたしと会ったってそう言ってたの!?」
「え?うん。って言ってたけど・・・」
 ”言ってたの!?”の声色には驚きと怒りが混ざっている。おいおいおいおいおい、どういうことだよ、ハナフサさんよぉ(汗)あのお母さんのリアクションだと、どう考えても”道端で”なんか会ってないって感じじゃないですか。全く自体が呑み込めない。
 何となくお母さんが既に怒り恥得ていることは分かった。ただイラっとしたとかそういう次元ではない。ハナフサさんは間違いなくお母さんが知っている人。自分も記憶の隅にあったので、それは確実。でもお母さんは”道端”なんかで会っていない、ということはほぼ確定。どこか別のところで会ったのにハナフサさんが嘘をついているとか?それとも、何かで絶交したにも関わらずやって来たとか? 
「・・・で、その他は何て?」
 お母さんは冷静を装っているが、お母さんのこういう物言いは全く冷静でなく、ただ怒りを抑えようとしているだけ。今にもドアを開けた自分が咎められそうな雰囲気が醸し出されている。判断を間違ったか!?いや、お祖母ちゃんの知り合いで、お母さんを下の名前で呼んで、でもって自分の記憶の中にも存在する”知ってる人”だとドアを開けてもおかしくないよね?話も特に大したことしなかったし・・・
「いや、ホントに、ただ“また来る”って・・・」
「・・・で、例のケーキを置いてったわけね。あの人ならやりそうだわ」
 ”やりそう”って・・・この吐き捨てるような言う言い方、この人のイヤなところ。内容は分からないけれど、何かあったことは想像に難い。でも、この人は少し自分の気に食わないことがあってもこういう言い方をする。今は自分に対しては減ったが無くなったワケではないし、今でも一瞬漠然とした不安が過る。
 そしてこの人の溜息も嫌い。無言で人の気持ちを貶めるのに、こんな簡単な手段が他にあるだろうか。あの溜息は、”疲れた~”とか”ざんね~ん”とかそんな明るいモノではなく、”何やってくれてんのよ!””バカじゃないの!?””落胆”といったダークサイドだ。
 あれにどれだけ翻弄されたことか。溜息を聞く度、体が硬直し、心臓が小さくなる感覚。今でこそ一瞬ドキっとするもののスルー出来るようになったが、最近は不快感や苛立ちを感じるようになった。そしてこの人は、娘がそんなことを考えているとは、露ほども思っていない。
 自分は別に悪くない。お祖母ちゃんの知り合いで、お母さんも知っていて、自分自身も会ったことがあると記憶し、特に関わるなとも何とも聞いていない。でもって、態々並んで買わなきゃならないような手土産を持って家にやって来てたのだから、無碍にしろという方が無理、自分の性格では。何か文句でもありますか。
「そういう人よね・・・悪いけど、もしまたあの人が声掛けてきたら無視し
 てちょうだい」
「え、何で?」
「関わって欲しくないからよ」
「ふ~ん。何で?」
 何そのそちら都合の言い方。あんな特別な差し入れくれるような人なんだから、ちゃんと理由を言えっての。小さい頃から”仕方ないから”とか”そう決まってるから”とか”とにかくそうしなさい”とか、こっちが”何で?”って聞いても明確な理由などをあまり言わず、母親や大人を盾にした誤魔化しや適当な言い負かしが大嫌い。子どもが質問しているんだから、大人としてちゃんと回答しろよ、と思っていた。
「・・・お母さん、花房さんと道端で会ってないし、ここの住所も教えてな
 いから」
「は?」
 ?何の話をされているのでしょう?それは・・・ストーカーということですか?誰か近しい人に聞けばわかることではないだろうか。
「どこからこの住所知ったのか、お母さんは知らない。けどやって来た。気
 持ち悪いでしょ!?」
「え?あ、うん、それは」
 まあ、こちらは教えていないわけだから、教えちゃった誰かがいるか何かだから、まあまあ気持ち悪いです、はい。事実がどうかが分からないけど、お母さんが不信に思っているなら最初から言えば、こちらもゴチャゴチャ面倒なことを考えずに済んだのに、どうして最初にそれを言わないのか。
「だから、今後やって来ても関わらないで」
「うん」
 それを聞いていれば、こちらだって素直に要求を受け入れたのに、ヘタクソか。
 しかし・・・この雰囲気だと、どうもアプフェルシュテュリューデルに手を出しにくい。どうせなら、食べ終わってからにしてくれればいいのに。こんな機会、なかなか得られないの、どうせお母さんには分かりませんよね、はいはい。楽しみにしていたのに・・・取り敢えずここは何も考えず、サッサとご飯を食べて部屋に戻りますか。
 あ~あ、折角のアプフェルシュテュリューデル。すぐそこに、冷蔵庫の中というすぐそこに君がいるのに、ボクはキミを見ることも許されないのか?手の届かない存在がすぐ手に届く場所にあるというのに、ボクはキミに出会うことは許されないのか?出会ってはいけなかったのか?高値の花の存在として、遠くで見ているべきだったのか!?廃棄される!?そんなこと・・・そんなこと、愛しいキミをそんな風にするなんて、ボクにはできない!
「・・・で、あれ、何なの?」
「へ?」
「冷蔵庫の中の、あの人が持って来たっていう・・・」
 おっと!形勢が変わって来たか!?
 アプフェルシュテュリューデルを食べられるなら、ここは取り敢えずこっちが大人になって乗ってあげますよ・・・と言うか、流石に食べ物を粗末にしてはいけませんよね、はいはい、そうですよ、ダメですよ!
 取り敢えず、最近結構人気のウィーン菓子のお店のアップルパイ的なヤツであること、数量限定で、本来は朝から並ばないと買えない貴重なモノなのだということを説明。母親はそれに対し、“そう、じゃあ、後で頂いたら”とシナリオを棒読み。
 棒読みでもいい、アプフェルシュテュリューデルが食べられるのだから。ハナフサさんというキモい人が持って来たものだけど、別にあの人が作ったワケではない。食べ物に罪はない。ああ、何と言うことでしょう。疲れていた脳が元気になるぞ、これは~!!こんな時間から元気になったら寝られなくなるかも~!?なんて。ということで、まずはご飯、ご飯 ♪
 お母さんはTVを観続けているが、恐らくTVに没頭しているワケではない。お母さんのことだ、あれこれゴチャゴチャ考えて、悶々としているに違いない。しかし、そんなことは知ったことではない。自分にとっては、憧れのお菓子を持って来てくれた、ただの・・・キモいオバサンだ。もしまた来ることがあれば、突き放せばいいだけのハナシ。そっちの都合で大人たちのゴタゴタに巻き込まないでくれ。
 ご飯を終え、食器も片づけ、遂に憧れのアプフェルシュテュリューデルが目の前に!
 アプフェルシュテュリューデルはある意味アップルパイらしいが、一般的なアップルパイは艶々テカテカで、誰にも元気を与えそうな明るい系、という印象である一方、こちらは昔からの清楚なお嬢様といった感じ。味は、一般的なアップルパイよりあっさりしているという。有難い。
 実は一般的なアップルパイ、まあまあ苦手で、自ら選ぶことはない。貰ったら食べるが、自分で買うことなどない。元々、果物を調理してグンニャリクッタリしてしまったものがあまり得意ではなく、温かい果物も苦手。だから、食事となる料理の中に入っているのも苦手。
 前に酸っぱい系リンゴで作ったというアップルパイを食べた時、それは美味しいと思った。が、以降それに出会ったことがないので、殆どアップルパイを食べることがない。
 このアプフェルシュテュリューデル、恋焦がれたアプフェルシュテュリューデル。イヤな思いはしたけど、有難く頂戴致します!感謝!
 なんと!見た目そのままのお上品なお味ですこと。一般のアップルパイとは似ても似つかない。パイがしつこくなくて、調理したリンゴにも関わらず全然気にならない、寧ろ美味しい。ああ、何故お紅茶を入れなかったのかしら!?って、今から紅茶なんて飲んだら眠れなくなるかもしれないではないか。これはティータイムにお紅茶と食すべきね、残念!ああ、ウィーンの風を感じる・・・恍惚・・・っと、ハナフサさんが映像に一瞬入って来たから追い出さねばw 

「ユーコさん、聞いて~!昨日、初めてゲルストナーのアプフェルシュテュ
 リューデル食べたの~!フツーのアップルパイはあんま好きじゃないけ
 ど、あれ、あっさりしててめっさ好みぃ。美味しかった~」
「あー、あたしもあれ好きー。と言ってももう随分食べてないなー。前に食
 べたの、いつだったかな~?」
「ゲルストナーの?」
「いや、ゲルストナーは知らないけど、前に」
「ユーコさんのことだから、本場でとか食べたことあるんだよね~」
「あ~、うん。でも、一番最後に食べたのは、日本のお店だよ」
「本場かあ。スケールが違うな~w」
「いやいや、航空券買えば行けるって 笑 あたしも久々に買って食べてみ
 ようかな~」
「ゲルストナーは朝から結構並ぶんだよ、個数限定だし」
「え、そこまでしなくていいかな~w じゃあ、別のお店にしよ。ていう
 か、よくそんなの入手出来たね~」
「貰ったんだよ~」
「へ~、稀有な人だね~」
「う~~~~~ん、そ~~~~~~・・・なのかな?」
「時間があるか、ヒマがあるか、自分がめちゃくちゃ食べたいか、流行りに
 乗りたいか、よっぽどあげたい人がいるか、だよね~」
「ふ~む」
 現在週に一回、小さい頃から家族ぐるみで付き合いのある若松家に英語の勉強の為に通っている。
 若松家の健一おじさんはお母さんが小さい頃近所に住んでいたそうで、裕子さんと結婚してからも付き合いが続き、自分も小さい頃からよく知っているし、よく遊びにも行った。若松家の杏ちゃんはお姉さんみたいだし、航くんはお兄さんみたいで、一人っ子だったにも関わらず、きょうだいがいる気分を味わわせてもらっている。有難い。
 そして裕子さんはバリバリ帰国子女のトライリンガル。裕子さんのお父さんの会社で海外勤務があり、転勤について行っている間に英語とドイツ語を身に着けたそう。海外旅行も結構してきたみたいで、面白いエピソードや失敗談を聞くのは刺激的だ。もしかしたら、裕子さんの話し方もあるのかも。
 裕子さんは教え方が上手くて、こちらが分かりやすいように、覚えやすいように教えてくれるし、英語の成績は良い状態を保てているのは確実に裕子さんのお陰。出来る人なのに、こちらの分からないところを分かってくれる、覚え難いところを分かってくれる。
 その上余談は面白く、お母さんより年上であるものの、話をしていると少し年上のお姉さんにでも話しているような感覚があり、多岐に渡って相談にも乗って貰っている。
 裕子さんは以前は会社勤めをしていたが、杏ちゃんも航くんも自立し、その辺りぐらいから塾講師をしている。英語の勉強は裕子さんが自ら申し出てくれ、中学の時から裕子さんの家で英語を教えてもらっている。勿論月謝は払っているが、高校生になり、塾の相場を見るとかなり安くしてくれていて、うちが母子家庭なのを気遣ってくれて申し出てくれたんだろうなと今は分かる。如何せん、お父さんからの仕送り(養育費という感覚でないのは何故だw)も不安定で、きっとそれもお母さんから聞いて知っていると思う。
 お母さんが今勤務している職場も、健一おじさんの紹介だと聞いているし、若松家にはこれでもかというぐらいお世話になっているから、いつか恩返しができたらいいな、と思っているものの、何でするのかと言われると・・・まるで皆目見当がつかない。
 裕子さんのところでは途中休憩が入るが、実はこの時間が一番好きで(勉強をしに行っているにも関わらず)、裕子さんと杏ちゃんもCUが好きだからその話もできるし、雑談が楽しい。それに、何時もいろんなお茶を用意してくれて、それに合わせてちょっとお菓子も出してくれ、それが見栄えもステキで。
 今日はバナナブレッドとダージリンティとで暫しの休憩。家じゃこんなオサレな空間作れない。まず内装が違う。空間プロデュースって大切だなあ、とつくづく思う。
「・・・裕子さんね、ハナフサさんって人知ってる?」
 お母さんと付き合いの長い裕子さんなら何か知っているかもしれない、と思い、思い切って聞いてみる。お母さんとと言うよりもお祖母ちゃんとの知り合いみたいだから知らないかもしれないけど、まあ一縷の望み。
「ハナフサさん?ん~~~~~~~、いや~、心当たりないなあ」
「お祖母ちゃんの知り合いだったみたいで、アプフェルくれたのがそのおば
 さんだけどー、お母さんの反応が・・・」
 人差し指で両目尻を引っ張り上げて、目を吊り上げて母親の怒りを表現。 それで裕子さんはお母さんがどのぐらい怒っていたかを理解してくれる。
「あ~、お祖母ちゃんの知り合いね~、ん~・・・あずさちゃんがそんな感
 じで怒るような相手で・・・レアなスイーツを並んででも購入してくれる
 人、ってことは・・・ふむ」
「何か思い当たることがある!?」
「う~ん、何とも。まあでも、あずさちゃんがそういう反応なら、何か因縁
 でもあるのかな~」
「う~ん・・・」
 とっても曖昧模糊。裕子さんは知っているのかもしれないし、詳細は知らなくても何か知っているかもしれないし、本当に何も知らない、かもしれない。何かモヤモヤする。
「はい、は~い、じゃあ、帰るの遅くなっちゃうから、あと少しやっちゃ
 お!」
「は~~~~~~い」
 バナナブレッドを食べ終えたところで裕子さんに促され、何時もは癒しである時間を悶々とした状態で休憩を終える。いまいち気分がうまく切り替わらないなと思っていると、渡された文章に目をやるや否や思わず声を上げる。
「キャー!裕子さん、サイコー!」
 渡された長文に”CU”の名前を発見。脳に電流が走るようにテンション爆上げ。ハナフサさんのことなど何処へやら。
 ああ、何と楽しい!愉快的悦!裕子様様様!

 裕子さんの家から帰る前に家から逆方向に自転車を走らせ、街で一番大きいショッピングモールの駐車場に到着。夜になると流石に日中の暑さは随分と緩和されるが、一度止まるとやっぱりまだまだ暑い季節なのを感じる。
 このショッピングモールには全国展開しているカフェや、フードコート、上にはレストランが多数入り、お店だけでなく、マッサージ店、ジム、眼科、歯医者、美容室、そして映画館も入っていてレイトショーが観られるので、夜遅くまで人気はそこそこある。というよりも、郊外だと商業施設はそこまで多くないので、結局そこに集中してしまうというのが現実かもしれない。それでも、自転車で行ける距離にあるのは有難いことなのだ、と高校生になって行動範囲が広がって初めて気づく。
 この時間だと、モールの中も人が多すぎなくていい。自転車を停めるのに空いている場所を探さなくてもスーッと停められるし、週末の日中みたいに、家族みんなでやって来て、楽しそうにしている群衆の中を歩かなくていい。以前よりは気になりにくはなっているが、余程のことがない限り、週末の日中にはあまり一人で来たくない。
 駐輪場から入り口に向かう。入り口近くには全国展開しているカフェがあり、外に設置してあるテーブルが幾つか並び、季節が良い時は何時も埋まっている。今はまだ暑いので微妙だが、夜なので多少過ごしやすい時季とも言えるかも。そして、それが家族や友達が楽しく戯れている分には全然問題ないのだが・・・今いるのは、あまりガラのよろしくない三人の女子。苦手系。
 椅子の上に膝を立てて座り、サンダルだから辛うじて靴のまま椅子に足を置いているわけではないものの、ショーパンなのに股は開いているし、それぞれ携帯をスクロールしながら、時折膝を叩いて爆笑し、会話も雑音並みの大声。しかも、テーブルの上には、そのカフェのカップではなくペットボトルが置かれ、スナック菓子が広げられている。彼女らが視界に入る人は必ずそこに目を向けてしまうぐらい悪目立ちをしているが、彼女たちは気にならないらしい。
 見た目で決めてはいけないと言われても、醸し出す雰囲気や行動からはどうも受け入れられないし、以前、実際にこういう感じの女子にいきなり絡まれたことがあったので、その記憶も相俟って苦手は仕方ない。必要以上に一瞬緊張してしまう。再び絡まれませんように・・・

 モールの中は時間的に人もまばらで、その先にあるフードコートも人が疎らで静か。どの場所を行っても人にぶつかりそうになりながら歩く必要がないし、子どもたちが走り回ってぶつかりそうになる心配も少ない。時々、本当に小さい子が自分にぶつかって、あんな小さな頭を床で打ってしまったらどうしよう!?と思うと、結構ヒヤヒヤもの。
 そして目指すは、ショッピングモールに入る中型の本屋。そこは何時も時間に関係なく人はコンスタントに入っており、会計時でも並ぶことがある。ネットでの購入も出来るご時世だが、自分は本屋が好きだ。
 帰り道にあった本屋が閉店してしまい、ここまで来ないといけないのは少し面倒だが、ぶらぶら見歩きながら偶々手にした本が秀逸だと悦。“見つけた自分ってスゴイ”と人には言えないけど、ちょっとした優越感。
 ネットは便利だし、携帯で本も読める。でもそうじゃない。ページを捲る作業も自分にとっては“本を読む”の一部だ。と、言ったところで、資源の無駄とかミニマム生活を持ち出されると、もうそこは見解の相違なだけで、言い返すつもりも議論するつもりもない。ただ、やっぱり本屋が閉店してしまうのは、一つの文化が消えていくようなうら淋しさを覚える。
 今日はCUが載った雑誌をお迎えの日。楽しみ過ぎて踊り出しそうな勢い。きっと、今日は自分と同じ気持ちの人が日本中にいて、”ググる地球”でオンタイムライブができるなら、”雑誌を手にして嬉しい人手を挙げて~!”というのをやってみたい。
 そして、山積みされているであろう雑誌が置いてある場所へ行こうと角を曲がったところ、同じ高校の制服を着た先客がいるが・・・男子?“女性誌の所に男子!?”と、一瞬怯み、影に隠れる。
 だ、誰?上級生?というか行き辛い。雑誌を見ながらニヤけている姿を見られるとかちょっと、イヤ、めっさイヤ過ぎる。
 亀が甲羅から首を出すように、そろりと陰から覗き込む。家政婦か万引きGメンか?この姿のほうが、さっきの三人よりもよっぽどヤバイのではないだろうか?きっと傍から見たら怪しい。でも行くに行けない。逸る気持ちを抑えて、どこかぐるっと回って来るべきか?
 ・・・ん?あ、あれって乙ではないか。何故にこんなところにいるのか。家はこの辺りではなかったハズ。アヤツは女子の読む雑誌に興味があるのか?マジか!
 ”乙(おつ)”とは高校の同級生、乙藤宏介(おとふじ こうすけ)で、クラスはスーパーサイエンスなので接点もないが、やや近寄り難い雰囲気を持っている。それだけでなく、彼の経歴が意味不明で、相当の変わり者なのではないか、と思っている。
 が、何故か女子にはそこそこ人気はある。正直、顔の造形が取り立てて素晴らしいというイケメンではないが、トータルすると雰囲気がイケメンと女子が錯覚するタイプ、なんだろう、多分。まあ、頭はいいワケで、背も低くはないし、チャラチャラはしていないし、所謂”硬派”に見えんでもないし、意味不明な経歴が更に陰があるように見えている、のかもしれない。
 彼の周囲は”おと”と呼んでいるが、気づいたら自分の周りでは”おつ”と呼んでいた。得てして経緯なんて覚えていないものだ。
 しかし、いつまであそこにいるのか。早々に立ち去れ!と念じてみるが、まあ、そんな能力のない自分はただ只管立ち去るのを待つだけ。早くCUをお迎えしたいのに、なんてことだ。
 年配の女性が訝しげにこちらを見ているのが視界に入り、そろそろ自分もこの状態に限界を感じ、仕方なくぐるっと何処かを回って来ようと思ったが、携帯を取り出し、乙の方に背を向けてLINKを開く。
〔なぜか○○に乙〕
〔え、乙君?〕
 たまたま携帯を見ていたらしい千華から即返信。”君”はいらないぞ、”君”は。
〔CUの雑誌んとこにいるからお迎えに行けない(泣)〕
〔え、なんで?面識ないんだしサクッと取っちゃえば?〕
〔同じ制服ってだけで、何かヤくない?〕 
〔気にし過ぎ~ていうか乙君だったらいいじゃ~ん〕
 千華は行けてしまうのか、ちくしょー!よくない、何となくイヤなんだ、あの”何にも動じません”みたいな感じがいけ好かなーい。
〔おし!行くべ(サムズアップ)〕
 と返しつつも、暫く携帯を持って立ち竦んだまま。“よし!”と自分に活を入れ、再度亀になって覗き見ると・・・いない。
 一気に気が抜け“はあ”と溜息を吐き、気を取り直してやっと目当ての雑誌を目の前にする。何と神々しい。表紙にも鎮座していらっしゃる。雑誌に後光が見えるとか、きっとファンにしか分からない。
 やっとお迎えできるというハヤる気持ちを抑えつつ、雑誌を手に取ってちょい読みをしてみるか、帰宅してゆっくり拝むべきかで悩む。暫し悩む。
 暫し、暫しを繰り返して表紙を眺め、悩んだ挙句一番上の雑誌を手に取り、表紙を捲り、目次でページを確認してゆっくり捲る。
 おうふっ!これはいけない、鼻血モノ。これはぶっ倒れたらダメだから、帰ってからゆっくり見るべし。
 雑誌を閉じようとしたとき携帯のLINKの着信音がし、ポケットの中の携帯に気をとられた瞬間、手から雑誌が滑り落ちる。
 わ、ヤバ!
 慌てて雑誌を取り上げ、特にページが折れたりしていないか、表・裏表紙に傷はないかの確認をし、雑誌の山に戻す。
 CUに傷がいかなくて良かった。なんて罰当たりなことを!携帯に気を取られて手を滑らせるとか、自分の判断能力に愕然。CU様のことを考えたら、そこは冷静に動かないといけないところなのに、まだまだ修行が足りません。申し訳ない!心から陳謝。ソーリー、ジュスィデゼレ、ルシエント、ミアナムニダ、メディスペアーチェ~!
 胸を撫で下ろすように一呼吸し、再び雑誌の山の中から一冊を手に取り、大事に抱えてスキップしそうになる衝動を抑える。

「あのさ」
 不意に横から声を掛けられる。これはきっと自分に掛けられている。声の風向きはこっちを向いている。ここは声の方を向いても、”や~い、誰がオマエなんかに声掛けるか~”的な、あのオッサンが言いそうな引っかかった的なことはないだろう。しかし・・・何でございましょうか?
 不信に思いつつも声をするほうに顔をやると、先ほど立ち去ったはずの先客が憮然とした表情で立っている。
「あ、オツ・・・藤くん」
 不意を突かれ、思わず口を突いて出た呼び方。こういう時、普段から気を付けておかないといけないのだと改めて思い知らされる。ほぼ初対面の相手に“おつ”と言いかけ、咄嗟に“ふじ”をつけてしまい、もう既に別の名前。自分の顔が激しく引き攣るのが分かる。
「あのさ、自分で落とした雑誌置いて、新しいの持ってくってどうなの?」
「え?」
 ほぼ初対面に“おつ”などと呼ばれてるなぞは全く意に介していないようで、思わず心の声が”そっち?”とツッコむ一方で、”オツ”の方は無罪放免かと少し肩の力が抜ける。
「今、自分、雑誌落としたよね」
「え~・・・はい」
 ”はい”じゃないよ、そうだけど、落としたけど、『蛇に睨まれたカエル』とはこんな感じなのか!?物凄い威圧感というか、目ヂカラというか、頭真っ白で何も言葉が思い浮かばない。
「自分の不注意で落としたんだったら、それ買うべきじゃないの?」
「え、あ~、え~っと・・・」
 間髪入れず、乙が「はい」と目の前に手を出す。
「え?」
「持ってる雑誌、こっちにくれる?」
「え?はい・・・」
 思わず抱えていた雑誌を手渡す。目の前で何のやり取りが行われているのか、さっぱり分からない。というか、思考が動き出す間もなく、言われるがままに動いてしまっている。
「はい。これ、さっき自分が落としたほうの雑誌」
「あ、え~・・・っと・・・」
 乙は手渡した雑誌を元の場所に置き、別の雑誌を態々CUの表紙を正面に向け、CUがこちらを見ているかのように、真正面に来るように突き出す。
「はい、コレ。自分さ、人が落としたモノ、喜んで買う?」
「・・・」
 自分が落とした雑誌でない方を手にした、かどうかというのは正直微妙で、でも言われてみれば、今しがた取った雑誌は一番低い山からで・・・戻したのは置きやすい一番高い山にだったかもしれない。それにしても別にわざとじゃないんだし・・・
「何、無意識とか思ってる?無意識という思い込みの意識的行動だよね」
「は?」
 何だかこちらを無視して話をどんどん進めていかれていて、頭が追い付かない。というか、何なのこの人!!!!!
「はい」
 大好きなCUの表紙を目の前にずいっと突きつけられ、雑誌の表紙とは言え、何か自分が悪いことをしているのを見られてる感じで拒否することができず、観念して乙から雑誌を受け取る。何だろう、このモヤモヤした感じは・・・
 乙の脇に他の本が挟まれているところを見ると、理由は不明だが、どうやら一旦別の本を取りに行き、再度ここへやって来た様子。さっきここにいたのだから、その時この写真集持って行けば鉢合わせなかったのに、何なの!?憤怒。
 乙は自分が購入する分の同じ雑誌を手に取り、サッサとその場を立ち去る。恥ずかしさと苛立ちが混ざったような、言い表しようのない感情。ああ、吠えたい。叫びたい。だがここは店の中。家にいたとて、枕に沈んでしか吠えられない、叫べないが、何もできないよりはマシ。この悶々とした感じ、どうしてくれよう!?いい気分でCUをお迎えに来たのに、何が”人が落としたモノ、喜んで買う?”だ。フツーに言えば良くない!?ふんだ、フンだ、憤だ!何なんだよ!
 ヤツが出て行ってからレジに行こう、と思っている自分にもやや腹が立つ。堂々と行けばいいじゃないか、ではあるのだが、既にお客さんが少ない中、今レジにいるのは乙だけ。近くに因りたくないから仕方ない。CUの顔を見て心を落ち着けよう。
 ああ何と言う素晴らしい鎮静剤。CUの顔を見ただけで心が穏やかになる。うん、もう気にしない、放っておこう。クラスは違うし、教室も離れている。そうそう会うことはない。大体、まともに口をきいたのだって今日が初めてだ。これがなかったら卒業まで一切関わることなく卒業していた可能性だって高いのだ。
 漸くレジに行き、店員さんの手慣れた無駄のない作業工程を経て、CU2人の姿が丁寧に袋に収められていく。
 有難うCU。あなたたち二人のお陰で、今日もすばるは健やかでございます。一緒に帰りましょうか、王子♡
 自宅のドアを開け、ゆっくり閉まるドアを無理やり引っ張り鍵を閉める。 
 このゆっくりと閉まるドア、バタン!と大きな音を立てて閉めない為のものなのか不明だが、不審者に追いかけられるなどして逃げている時、絶対追いつかれる、足なんか挟まれたら入られてしまうのに、というのが何時も頭を過る。
 そんな確立は人生の中で〇・〇〇・・・%かもしれないが、実際にそんな目に遭った人にすれば200%ぐらいの感覚かもしれない。そう思うと、時々このゆっくりドアに恐怖を感じる。のは、推理小説の読み過ぎか?
 部屋に走り入り、カバンとサイドバッグを机の上に置き、椅子に座ってカバンの中から雑誌の入った袋をそろそろと取り出す。袋から雑誌をそろそろと取り出し、再びCUとご対面。
 ひゃ~、カッコい♡ いや~んもうカッコいい♡ いらっしゃいませ、わが家へ♡
 表紙を見ているだけで勝手に顔がニヤついてしまう。恐らく、今この瞬間、同じように至福の時間を過ごしているファンが沢山いるだろう。今の自分には不可能だが、『見る』『保存する』『ファンを増やすかの如くステキなところをアピールするための広報』として数冊買っているファンもいるそうで、数冊自分の前に並べるなど、呼吸困難起こしそうだ。
 ファンのみんなの感想を見ようと携帯を取り出し画面を見ると・・・しまった、引き戻されてしまった・・・
 それは確実に自分のせい。自分で自分の首絞めた。感情的というのは本当に良くない。こういう時、LINKのポップアップをONにしておくべきではないんだろうなとは思うが、トータルして便利なのでOFFにできない。ということは、兎にも角にも勢いで打つということをしないようせねば、と心に刻む。
 だって、自分のLINKに返事をくれるというのは本当に有難いし、気にかけてくれる友達がいるというのは本当に有難いのだ。あんなことがなければ、本来その後のレポートをガッツリ提出しているのだから。
 今返信をしてイライラぶり返して憤怒MAXの後で雑誌を見て沈静化させるか、雑誌を見て穏やかな気持ちで充満させれば憤怒MAXにはならないか・・・これは前者だな。穏やかさ満タンでも、きっと話し始めたらやっぱり憤怒MAXになると思う。それなら先に聞いてもらった方がいいに決まっている。よし、グループLINK開けよ。

〔すばるー 結局どーなったー?〕
〔乙くんよね~ いいな~ 喋ってみたいw〕
〔いや~ あいつムカつくから(怒)〕
 乙との一連のやりとりを、怒りと共に感情いっぱいに皆に訴える。これでもか、これでもかと、勢いで普段打たない長文を打った。のに・・・
〔なに ちょっと乙くんカッコいいw〕
 ちょっと待ていっ!!なんでっ!!どこがっ!!イヤなヤツじゃん!!千華っ!!目を覚ませっ!!
 3人ともこちらの怒りは理解してくれているが、どうやら乙に対して良い印象を持っているようで、今回の行動が逆に信念を持って行動している男子に映った様子。その上、“カッコいい”とまで言い始めている。マジか。
〔タダでさえ謎めいてるのにね〕
 謎めいているというか、又聞きというところでどこまで本当かは分からないが、まあ聞いた話だけでは”何だ、その漫画やアニメのイケメン枠にありそうな経歴”なので、そう思われているのかもしれない。
 乙の曽祖父が病院の理事長で、父親がそこの院長で、兄が医学部在学中で、乙自体は初等部から通っていた有名私立の高等部に上がらず、うちを受験したという変わりモノ(変わりモノでしょ!?)で、進学の際に成績足りずに放り出されたんじゃないかという噂もあったが、自ら受験して来たらしい。どこまでホントなんだか。それに理由は何だ!?
 入学してから初めてのテストでトップだったし、流れてくる話では模試も結構いいらしいし(自分は見てないから信じてないけど)、運動神経も悪くないそう。男子の中には疎ましく思うのもいるんじゃないかと思うが、そういう話は入って来ないし、いつも周りに誰かがいる。
 救いなのは、見た目はものすごーくイケメンというワケではないと思うところ。身長も175㎝ぐらいと聞くので、恐らく173とか4㎝なんだろう(人は高めに言うことが多いから、と思っているw)。何だか周りから聞こえるのは”カッコいい”なのだが、持っているモノが良すぎることによる、雰囲気イケメンなだけなんじゃないかと思っている。でも、自分の中ではそれも却下!!
〔謎めいてるんじゃなくてタダの正体不明の未確認物体よ!〕
〔ツチノコか!〕
〔シーサーペント!〕
〔え、何それ?〕
〔UMAの1つだよ~〕
〔聞いたことな~い〕
〔小さい時に従兄弟がそういう本持っててよく読んでたんだよ~w〕
 琴乃って案外マニアック。見た目激しくゆるふわカワイイ女子なのに、時々男子が興味を示しそうなことを口にするのでちょっと驚く。と同時に、自分が一番されたらイヤなことなのに、自分は結構決めつけ系なのだと反省する。
〔カッパはUMA?妖怪?〕
〔知らんwwwww〕
 ある意味”脱線”ではあるのだが、彼女たちのお陰で、中学の時みたいに自分の中で悶々とせずに生活していけていることをヒシヒシと感じる。乙がナンダ!?シーサーペントという物体のほうが気になる 笑
 乙はムカつくけど、ちょっとばかり緩和された気がする。
 が、今日で自分の中の“関わりたくない人リスト”に名前が刻まれた、“乙藤宏介”。と言ったところで、接点もないことだし、あちらはスーパーサイエンスだから同じクラスになることは一生ないので、学校で出会さなければいいだけのこと。心頭滅却すれば火もまた涼し。みんな、ありがとう。

 部屋のドアをノックする音がし、一緒に片付けるから早く食事を済ませてくれというお母さんからの責っ付き。
 今日はお母さんのほうが帰宅が早いし、裕子さん家から帰宅して食事が摂れる日だから、帰宅後の食事の片付けは自分でしないといけない。洗って貰えるのであれば有難いので、勿論行かないワケはない。
 「はーい」と快さそうな返事をし、携帯を机の上に置き、扇風機のスイッチを切りながら、制服のままでいいやと着替えを諦める。取り敢えず食事。
 雑誌は後で読もっと♪
⦅雑誌は後で読もっと♪⦆
 出たー・・・ゲッソリ
⦅オバケみたいに言うなや⦆
 気のせい、気のせい、ご飯、ご飯。
 慣れてきたとは言え、鬱陶しいことには変わりない。気にしないフリをして部屋を出ようとしたが、何となく振り向き、何となくアッカンベーをしてから部屋を出る。
 小松菜としめじのオイスター炒め、卵巾着煮、冷ややっこのキムチ海苔を食べながら、洗濯物を畳みながらお母さんが観ているドラマをチラ見。
 連ドラではなくシリーズもののサスペンス。主人公の家庭は和やかで、文句を言いながらもお互いを思いやっているのが分かるように作られている。うちの家にはない光景。そして、ここに出ている”おばあちゃん(姑)”も、ぶちぶち言いつつも愛嬌があるし、何となく”カワイイおばあちゃん”に見える。そう思うと・・・
 お母さんのほうのおばあちゃんは・・・いい印象残ってないな~・・・お父さんのほうのおばあちゃんは・・・いつから会ってない?????おじいちゃんは、気付いたら両方いないし。まあ、今更だけど。
 おばあちゃんと言えば、やっぱりりーちゃんとこのおばあちゃんが理想だよな~。
「世の中、不公平だな~」
「世の中は不公平よ、そんなの当たり前じゃない」
 ボソッと口から出ただけの呟きに、態々反応しなくても。しかも、こういったことを言う時のお母さんは険がある。何時ものことながら、子どもに夢を与えることのできない人だ。
 小さい頃から変わらないそんな返しのせいで、あたしがこれまでどれだけ一部の大人に“可愛くない子ども”認定されてきたことか。夢を持つ、なんて小1ぐらいの時までしか記憶がない。
 家の中がゴタゴタしていたり、ポロっと言った夢を全否定されたりで、小学校の何年生だったか”将来の夢”なんて作文を書かされたが、何を書いていいか分からず、大人が喜ぶような内容を、ドラマなどで見て記憶していることを引っ張り出して、引っ張り出して、引っ張り出して書き切った。褒められた。嬉しくなかった、当然だけど。
 だから、周りがどう考えてもなれそうにない(失礼かもしれないけど)ような夢を語っていても、何故そんな楽しく夢を語れるのだろう?と思っていた。ある時ふっと、自分がそういう無邪気に夢を語れる環境になかったんだなあ、と気づいたが、今のお母さんの言葉を聞いて再確認。物心付いた時から、妄想・空想は頭の中でいつもグルグルしていた気はするが、それと夢を語るのは別モノ。
 おばあちゃん・・・ん?あれ、今何か脳裏を過ったぞ?あれ、あれ、あれ?朧気過ぎて、何か気持ちワルいぞ!?何だ~・・・・・?あ、何か思い出してきたぞ!?
 映像が断片的に浮かんで来る。おばあちゃん・・・そう、ピーマンとナスの白みそ炒め・・・お母さん・・・には何となく聞いてはいけないような感じがして、白みそ炒めと共に飲み込んだ記憶。今頃思い出す・・・?
 徐々に徐々に・・・記憶って、ジグソーパズルのピースを合わせるように、という表現をすることがあるが、今まで自分にはあまりないと言うか、パッと映像が浮かぶのが常だったので、こんなスッキリし難い気持ち悪い記憶の想起があったのか、と。いや、今までもあったのかもしれないが、こんなに部分部分しか思い出せないというのはあまりない。
 そう、まだおばあちゃんが入院していない頃だった。おばあちゃんが、“あたしは昔、美人さんと持て囃されたんだ。なのにあんたのお母さん、誰に似たんだろうねぇ”などと、明らかにディスった言い方でそんなことを言っていたことがあった。お母さんも一緒にご飯を食べていた。
 それは暗に、というか明らかに“自分はキレイ、自分は可愛かったが、母親は父親に似てキレイでも可愛いくもない”と言っていたということだ。
 普段からお母さんに対しての対応は優しくなく、辛辣、よりも全体的に威圧的、高圧的、攻撃的といった様子だったので、いつも不快だったが、その言葉はそれ以上に、お母さんだけでなくおじいちゃんへの恨みや妬みのようなものも肌で感じた。
 その少し後にお母さんにおじいちゃんのことを聞いたら、お母さんが生まれる前に死んだらしく、特に写真などもなく、お母さんが小さい頃に一度おばあちゃんに聞いたら発狂されたそうで、お母さん自身もよく知らないと聞いた。おばあちゃんは常に眉間に皺を寄せ、鬼の形相で喚き散らす人だったから、”発狂した”というのを聞いて、記憶に蓋をしてしまったのかもしれない。
 今でもピーマンとナスの白味噌炒めがあまり好きではないが、今思えばそれも影響しているのかな。
 あの鬼の形相で喚き散らすおばあちゃんしか記憶がないので、”美人さんと持て囃された”という表現はどうも信憑性に欠ける。昔の写真も殆ど見た記憶がない。かと言って、今おかあさんに”おばあちゃんて昔キレイだったの?”なぞと聞いてもいけないような気がするので、ここは取り敢えず記憶が甦った、だけにしておこう。今ここでおばあちゃんの話を出し、特におばあちゃんのことに関してはどこで怒りのスイッチが入るか分からないお母さんに、そんなことを聞いてもしスイッチがONになったら面倒だ。
 TVの中の家族が、思いやりながらもそれぞれが気持ちをちゃんと伝えられている。何と羨ましいハナシだ。自分の家族では夢のまた夢だ。
 何となく思い出した記憶にややゲッソリ感を覚えながら部屋に戻ると、机の上にCU様。一瞬にしてテンションが跳ね上がり、頭の中はお祭り状態。一旦落ち着くと、何と現金な、と自分でも思う。
 自分の周りに音符をまき散らしながらトスンと椅子に腰掛け、雑誌を手に取り、雑誌を上に掲げたり近づけたりしながら表紙を眺める。
 お待ち申し上げておりました。
”さて”と表紙を捲り、CUの掲載ページを確認し、そろそろとページを捲る。文章の前に飛び込んで来る二人の雄姿。
 まあ、何ということでしょう。神々しいお姿。
 今、日本には同士達が自分と同じことを感じながら、同じようにページを捲り、同じように発狂しているのだろうと思うと感慨深い。一人で見ている気がしない。
 映画館やライブ会場なんかで、同じ場所にいて喜びを分かち合い、同じようなリアクションが生じるのは当然だが、其々の生活をしているのに同じような喜びを感じ、同じようなリアクションを取っている可能性があるワケで、それを感じるだけでも楽し過ぎる。歓喜の歌を。
 CUを知ることがなかったら、遠く離れていても仲間を、同士を感じられる喜びを得ることはなかった。世の中はこんなにも広いことを知る機会もなかったし、話を聞くだけでは知ることができなかった世界を実感する機会もなかった。幾らSNSがあっても、キッカケや夢中になるものが無かったら、ここまで広く多くのことを知るまでに至らなかっただろう。ああ、何という・・・
 おお~、ヤバ!
⦅おっほっほ~、ヤバ⦆
 出た、人がいい気分に浸っている時に・・・
 視界の端に携帯の上でエアギターをしている姿が見え、慌てて携帯を取り上げ、携帯に不具合がないか必死でチェックし、何事も無かったことが確認。
 何故に人の気分をぶち壊すか、この意味不明な物体め。
 そんな中でも雑誌は落とさない、落とせない。雑誌も携帯も無事であることを確認し、安堵の溜息。
「ちょっと!人の物、勝手に触んないでよ!」
 既に姿を見失ったオッサンを探すも、すぐに見つからない。胸糞悪い、というのはこんな感じなんだろう。頭というよりも、体の芯から湧き上がるムカつき感。
「そのうちその椅子捨ててやるから!」
⦅どんぞ~。別に置いてくれとか言うてへんし⦆
 バキバキに壊してやる。
⦅でけへんクセにw⦆
「はあ?勝手に決めないでくれる!?」
 あ~腹立つ、腹立つ、腹立つ!けど、すばる、無視だ、無視。労力の無駄遣いをするな。使うなら、CUに浪費すべし。
 椅子に座り直して姿勢を正し、携帯を手に持ったまま再び雑誌に着手。
 おほ~!うはん、カッコい~!!も~、ど~しよ~!!
 一つのページをまじまじと眺めながら、二人の雄姿にニヤニヤ。次のページに行きたいが、今のページを離れるのも難し。
 “眉目秀麗”とはこの二人の為にある言葉だわ~。もう素敵過ぎるーー!!ホント、オッサンのせいで雑誌を落としたりして傷つかなくてヨカッタ~ん・・・あ、イヤなこと思い出した。折角素敵男子を見ているのに、思い出すなよ~自分。CU見ながらあんなこと思い出すとか最悪~!
⦅雑誌見て笑ろたり泣いたり、キモいのぉ⦆
「だから、う・る・さ・い。てゆーか、いい加減出てくんのやめてくれ
 る!?」
⦅だーかーらー、出てくるとか言うけどな、ワシは知らん。ワシはずっとお
 ったのに、オマエが出てくるとか言うとるだけや⦆
「じゃあ、何で聞こえない、見えない時があんのよ」
⦅知らんがな⦆
 トドノツマリ、自分の状態はこのオッサンにとって“サト○レ”状態なのだ。小さい頃に再放送のドラマを観たことがあるが、架空の話であるにも関わらず、何故に自分にこんなことが降り掛かっているのか。これからどうなってしまうのか、想像力にも限界が。
 気にしなければいいだけなのだが、反応してしまう。いや、頭の中で考えていても、心で思っていても、勝手に反応して出てくるのはオッサンの方であり、また腹の立つことに、揶揄われているとしか思えないあの大阪?関西?弁。何を言っているのかわからない時もあるが、口調からは明らかに揶揄っているとしか思えない内容だ。取り敢えず、反応しないようにするしかない。捨ておけ、捨ておけ、捨ておけ、捨ておけ、捨ておけ、捨ておけ・・・ 
 しまった。“捨て置け”と言ってる時点で意識丸出しではないか。残念で仕方ない、自分。
 と、気付くと、雑誌の上でオッサンがゴロゴロ転がっているのが視界に飛び込んで来る。
「ヲイーーーーーーーーー!!」
 咄嗟に携帯と手でオッサンを払い除けるが、空振り。というより消えた。どれだけ素早く手を振っても当たらない。それでも、雑誌のCUのページが傷つくのを守るために、一旦雑誌を閉じ、携帯と雑誌を抱える。
⦅オツってヤツ、オトコマエやのぉ。最近の若造にしてはなかなか⦆
「はあ?何よ、突然!?」
 いや、ホント、マジで突然。
⦅いやいや、なかなかええオトコやぞ?今どき、正しいことをちゃんと言え
 る。素晴らしいやないかぇ⦆
「は?アイツのどこが?人を悪人みたいにさあ」
⦅や~や~や~や~、オマエ、分かっててやったやろ~⦆
「はあ?」
⦅いや、無意識ちゃうやん。分かってて、落としてへんほうの雑誌取ったや
 ん⦆
「何であんたがそんなこと分かるのよ」
⦅オマエ、いっつもやってるやん。立ち読みして、買う時はそれより下の雑
 誌買うとるのん。それを当然のように普段からやってるから、そういう時
 に自然にやってもてるんや⦆
「・・・」
 ・・・図星。ぐうの音も出ない。いや、待て。
「いや、でも、立ち読みしてる時っていろんな人が手に取ってるやつを読
 むワケだから、微妙に読み跡とかついてたりするじゃん。だから新しいの
 を・・・」
⦅いーや、そういう時は新しいのを買うんは分かるけど、キレイなんを立ち
 読みした時もオマエは更にキレイなん買うとる⦆
「は?何でそんの分かるのよ!?」
⦅んっふっふっふ、ワシ舐めたらあかんど。オマエの頭ん中丸見えや⦆
「はあ?バカじゃないの!?」
⦅はいはいはいはい、よう言い返さんからて”バカじゃないの!?”⦆
 机の上のペン立ての周りを、ニヤニヤしたオッサンがスキップしながらくるくる回っている姿があった。
 頭の中が丸見えってどういうことなのか。自分の見聞きしたことが伝わっているということか?漫画みたいに、自分の周りにフキダシでもいっぱい出ているとでも?と、考えたところで、このオッサンの存在自体が非日常で、何を言われてもまともに受け取って考えていたら、宇宙の果てを考えている時ぐらい頭がおかしくなりそうだ。やめておこう。
 ああ、マジでウザい、このオッサン。かと言って、このまま言われっ放しなのは耐え難い。どうしてくれよう、このモヤモヤ感。
⦅あのCUとかいうのがオトコマエと同じことを他のヤツに言うてんの聞い
 たら、”カッコいい~♡”とかなるクセにな⦆
 え?2人がたまたまそこにいるのに気づいたら・・・テンパって固まる
・・・驚き過ぎて事態が吞み込めず、ただ固まる・・・てか、ホントにそんなシチュエーションがあったらヤバくない!?すぐそこに二人がいたらヤバくない!?カッコ良過ぎて失神するかも!!
⦅アホか、そこちゃうわ》
「いや、固まるでしょ」
⦅知らん。なんしか、オトコマエ決定や⦆
「はあ?オトコマエっていうのは、この二人への言葉よ。ね~♡」
 雑誌の表紙に話し掛ける。
⦅いや、アイツこそオトコマエや。信念も持っててカッコええオトコや⦆
「しつこいなあ。アイツは只のイヤなヤツよ」
⦅自分のやったこと注意されたからて、欠の穴小さいヤっちゃの~⦆
「はあ!?」
⦅まあ、見とき。オマエ、オトコマエのお陰で二度と同じことせんからww
 www⦆
「はあ!?」
⦅ほぉら、何も言い返せへんからてwwwww⦆
 オッサンが目の前で、全身で爆笑し転げまわり、立ち上がって踏ん反り返り、腕組みをして大きくウンウン頷き、勝ち誇ったような様子。それを見て、いろんな感情が複雑に入り乱れ、何か言ってやりたいが言葉が浮かばない。このオッサン、人の痛い所を突いてくるいやらしいタイプ。一体このオッサン、マジでどこまで何を知っているのだろう。
 アイツのことを思い出すと腹立たしいのに、更にアイツを”男前”などとふざけないで頂きたい。こうやって長引かされると、早く抹消してしまいたい記憶が、逆に焼き付けられてしまうから避けたいのだ。
 ・・・ワザとか?それなら・・・
「や~ん、CU、嫌いにならないで~、今度から気をつけるから。何時誰が
 見てるかもわかんないもんね。どっかから話が回ってって、“あのアーティ
 ストのファンって最悪”とか言われたら二人に迷惑かかるもんね♡」
 再び表紙の二人に話しかける。そしてCUは“大丈夫”と笑って返してくれる。
⦅も、アホやな⦆
 机の上のマグカップの取っ手に攀じ登っている途中のオッサンが視界に入る。
 オッサンなんてどうでもいい。吹っ切れ、吹っ切れ、そのまま突っ走って仕切り直し。これから雑誌の中の二人を堪能するのだ。目次も逃さない、記載されている名前も見逃さない、小さな写真も見逃さない、頭の中を全て二人で埋め尽くすのだ。
「きゃー!何コレ、カッコいー!!アーティストなのにモデルみた~い、も
 う、マジでやば~い♡」
⦅頭、虫沸いてんちゃうん⦆
 聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。

 学校の昼食時間は忙しい。学食に走る生徒、売店に走る生徒、教室で弁当を広げる生徒、校内放送も聞いているか否かに関わらず、毎日放送委員会が頑張っている。
 うちの高校の売店には、お昼時、売り切れ必死の大変人気なパンが売られている。海外に飛び、フランスやイタリアのレストランで修行を積み、最終的に地元に戻って来てパン屋を営んでいるという卒業生がいて、後輩にの為にと、種類はいつも3種類だけではあるものの、安価で置いてくれている。なんと奇特な。
 これが本当に美味しくて、お店で買うと倍ぐらいの値段なので、特に女子はこういうのに目がなく、人気の為、希望者が名前を書き込んで順番に整理券を得て、その日付に取りに行くという形になった。
 置き始めた当初は早い者勝ちだったそうだが、平等には買えないということでそういう形にしたらしい。まあ、そのほうが有難いのだけど。
 自分も普段は家からお弁当を持参しているが、折角だから名前を書き込み、順番が回って来るのを待っている。前に手に入れた中でのお気に入りは、ベーコンチーズのエピと焼きカレーパン。ありがとう、先輩。どういう思いでこんなに素晴らしいことをして下さっているのかは知らないけれど、母校をここまで思える先輩のように、自分もこの高校に来て良かったと思える生活を送りたい。
 昼休み、いつも通り眞理子、千華、琴乃の四人で集まって弁当を広げる。今日はみんな、家から持参のお弁当らしい。
 千華が朝から妹とバトルをし、お弁当を作る時間が短くなり、如何に大変でチャーハンになってしまったか、という話をしながら、ブロッコリーの塩茹でとプチトマト以外全てチャーハンのお弁当見せてくれる。
 しかしながら、鶏肉ゴロゴロ、卵、玉葱、葱のみじん切りが入っており、ブロッコリーとプチトマトも添えているわけで、栄養としては悪くないように思う。。何より、自分で作っているところがエライ。
 そのバトルの大元は、千華のお気に入りのシュシュを勝手に使ったというもので、自分には一生あることのない姉妹のやり取りに、大変さよりも少し羨望のほうがやや上を行く。ただ、もうその羨望も随分前に小さくはなってしまってはいるが。
 千華は思い出すと腹が立つようで、ブロッコリーにフォークを刺し、怒りの勢いそのままに齧り付く。怒りながら食べると、味分からなくなると聞く。千華は、味を感じられているのだろうか?
 ご飯を食べながら、日常の他愛もないことを話す。きょうだいや家族の話、授業や先生、他の生徒の話、テストの話、TVや映画、趣味の話。毎日、本当に些細なことから話は広がり、この短い時間の間に話は尽きることなく山盛りだ。中学の時と比較にならないぐらい楽しい。集まる人の種類が違うと、こんなにも話の内容も広がり方も変わるのか、とういことを日々ヒシヒシと実感している。
「ところで昨日、怒り玉と喋ったんでしょ?いいな~♪」
「イカリダマ?」
「すばるが怒った発端の♪」
 千華の言葉に、口に運ぼうとした卵焼きが箸から滑り落ちる。ポトっというよりボテっという感じ。ああ、良かった、お弁当の上で。
 え、ヒシヒシと楽しさを感じているところに、それをぶっ込んで来ますか、千華さん?あ、思い出して腹立ってきた。沸々。
 その一方で、怒りの発端を”イカリダマ”と表現する千華のセンス。ああ、乙はイカリダマだ、イカリダマ!
「え、全然ヨクナイ。けどまあ乙はさて置き・・・ほら、あの~、なんだ。
 CUの前で同じことできないな~とか思ったら、まあ、もういっかぁ、と
 思って」
 オッサンに言われた言葉を使うのは不本意だが、結局これが一番話が収まり良く、早々に話を終えられるではと判断。でもちょっとオッサンに負けた感じが屈辱感。
 アハ、と乾いた笑いをしつつも、その話が広がらないことを願いながら、滑り落ちた卵焼きを再度口に運ぶ。美味い。大好きな卵焼きだ、けど・・・喜びが半減。
「あ~、そういう基準w ま、あたしも山下先輩の前だったら、“あ、コイツ
 最低”とか思われたくないからな~、自分で落としちゃった雑誌の方をレジ
 に持ってくかな~」
 千華は同調しているのではなく、空想に耽っているのだ。噴出しが出ているであろう方向に視線を向けているのが分かる。千華に関しては、時々妄想の具合は同士なのではないかとさえ思う。ただ、自分はよく、”今ここにいなかったよね”と言われるので、言われない千華は常識の範囲内での妄想なのだろう。
「山下先輩とかハードル高っ!」
「見た目良くて、頭良くて、運動神経良くて、友達多くてって、牛久大仏ぐ
 らい高いんじゃない?」
「富士山とかスカイツリーとかじゃなくて、何でそんなマイナーなとこいく
 のwwwww眞理子、オモシロ過ぎwwwww」
 皆で爆笑。つられて、言い出しっぺの眞理子も爆笑。何故にw
 思った以上に話が逸れてくれそうな感じ。いいぞ、いいぞ。
「山下先輩ぐらいか分からないけど、乙君もいいとこいくんじゃない?」
 どうした、琴!?何故にそれを持ち出す!?収束を願ったのにぃ 泣
 思わず目を剥いて琴子を見る。
「うん、思う。何かクールな感じだし、何でこの学校受験したのかも聞きた
 いしさあ、ミステリアスだよねぇ。喋ってみたあい」
 待て、千華、ミステリアスなんじゃない。あれは只の意味不明な生き物だよ。怪しいんだよ、スケッチ―のほうだよぉぉぉぉぉ 泣 
 ”何故にオツの話を持ち出したんだよ~”と思いながら、何とも表現し難い表情であることは容易に想像できたが、今この表情を解こうとしても、感情と表情筋が連動して元に戻せない。相手がオッサンなら、瞬沸だけどな。
「すばるの好きなウズラ、いる?」
 和やかな微笑みの琴乃に見つめられながらウズラ卵を差し出され、思わず「うん」と頷き、琴乃が手に持つ串に一つ残ったうずら卵に食らいつく。美味い。
 琴の可愛さはズルい。色が白くて、髪と瞳の色が茶色でふわっとしていて、見つめられると思わずニコっとしてしまう自分がオヤジのようだ。
 そう言えば、あのうちに居座っているオッサン、じゃなくて、小さいオッサンを見たことがあるか、を聞いてみようと思いつつ、只の噂話でなく、実際にうちの部屋にいちゃっているから逆にサラっと聞けずにいるが、今日こそ、今日こそ、で、今日も聞けず。
 こうして昼休みはあっという間に終わる。
⦅ふっふん、どうやらオマエの惨敗みたいやな⦆
「は?」
⦅な?周りもオトコマエや言うとったやん⦆
「は?”男前”なんて言ってませんでしたけど」
⦅意味合いは一緒や。往生際悪いのぉ⦆
「うるさい!」
 家に帰ってまたその話を蒸し返すとか、勘弁してくれ。くどい。しつこい、執拗。もっと良い表現はないのか。
⦅オトコマエの姿が頭に浮かぶ~⦆
「うるさいってばっ!」
 テストが近いので、裕子さんに英語を見てもらおうと、序にCUのライブのチケット争奪戦についても相談をしようと休日にも関わらず時間を作ってもらった。
 オッサンがぐちゃぐちゃ何かを言っているのを背に準備をし(少しずつ時今の環境に慣れていっている自分てスゴイ)、お母さんから裕子さんへ渡すように託された物が入った紙袋を持って家を出た。
 今日は曇りなので暑さもマシで、遠くの海上で風が渦を巻いているからか結構風が吹いていて、ある意味気持ちがいい。天気でこの風ならもっと心地良いのだけれど。
 最近は”秋”と言っても、どこからが秋なのか分からないぐらい暑い時期が続くが、お店に秋の味覚や装飾が秋を感じさせるものに変わるので、”ああ、秋なのか”と気づく。大丈夫か、四季がウリのニッポン。
 自転車のカゴにトートバッグと紙袋を入れ、駐輪場から自転車を出して移動し、さて、というところで呼び止められた。
「すばるちゃん!」
 この声・・・まさかとは思ったが、聞き違いであることを切に願いつつ、恐る恐る声のするほうに顔を向ける。
 やっぱりー--------!
 せっかく曇っていて風が吹いているのに、今日は汗かかずに済むと思っていたのに、なんてことだ。一瞬にしてイヤな汗が噴き出るのを感じる。この状況は、小学生の頃に見た、”蛇に睨まれた蛙”のようだ。
 小学生の頃、たまたま浅い側溝を見ながら歩いていたら、蛇にグルグル巻きにされ、色を失って固まっている蛙を見た。その時は、蛇のチロチロ出す舌に慄いているのか、もう逃げられない恐怖を感じてのことなのかが分からなかったが、とにかく蛙の色は、緑色の絵の上から白い絵の具を塗っているような色の抜け方をしていた。きっと、自分も今全身色が抜けているに違いない。どうせ抜けるなら、思いのままに姿が消せるといいのに、とどうでもいいことばかり頭に浮かぶ。どうする!?どうするよ自分!?
 一応“どうも”と会釈。とにかく立ち去れ、自分がサッサと立ち去ればいいだけのハナシ。どうせ気の利いた言葉は浮かばないのだから、非礼を承知で立ち去ればいいのだ。
「すばるちゃん、これから塾か何か?」
 しまった、質問をする隙を与えてしまった。ほんの少しの躊躇が失敗を招いたパターン・・・いや、適当に答えて”じゃあ”と立ち去ればいいだけのハナシ。
「あ、え~っと・・・」
「おばさんとお茶しない?」
 はあ?何を言ってっておるのだ、行くワケなかんべ。
「あ~、いや、それはちょっと・・・あの、友達以外で何処かに行くとかは
 は母に止められてますので。それじゃ」
 よし、逆にオバサンの突拍子もない申し出に”はあ?”と呆れたことで、緊張の糸がぶっち切れた。言えた言えた、このまま自転車に乗ってマッハで距離を取れば良いのだ。
 と、自転車を跨いで動き出そうとしたが・・・自転車が動かない。重い。嫌な予感。それこそ”まさか”で、いい大人が子どもみたいなことをすことはないだろうと思いつつ(願いつつ?)も、それしか考えれらえない。考えなくても何が起こっているか容易に思いつく。ホラーだ。
「ま~あ、そう言わずに。あ、じゃあ、これ一緒に食べない?」
 ハナフサさんが両脚を突っ張り、右手で自転車の後ろの荷台を掴んだまま、左手に持つ何かを掲げる。こんな華奢な体形のどこからこんなとんでもないバカ力が出て来るのか。しかもその表情には笑みが浮かんでおり、その姿に戦慄が走る。
 これは非常にマズイ。蛇だ、貞子だ、メデューサだ。いや、今はそんなことはどうでもいい。とにかく逃げなば。
「あのっ!」
 一旦自転車から降り、自転車を引っ張ろうとすると更にグイっと引っ張られ、左手に持った何かをズイっと突き出される。
「ね、これ一緒に食べましょ!あ、お家、お邪魔してもいいかしら?」
「あ、ダメです。母の許可無しに人は入れられないので!じゃ!」
「あ、じゃあ、あそこの公園でどお?座るとこあるし」
「は?」
「ね、ね、行きましょ、行きましょ。これ『Bread Guarden』というお店の
 ブレッドプディングなの」
 え、マジで?
「あ・・・」
 ハナフサさんがあっという間にハンドルを奪い、自転車を押して公園の方へと歩いて行く。
 『Bread Guraden』の、というところに気を取られ、あっという間にハナフサさんのペースに引きずられてしまった。もうこうなってしまうと、抗う気持ちが失せてしまう自分の情けなさに溜息。というか、勝てる気がしない。成すがままになる自分の心の弱さを呪う。
 お母さんの鬼の形相が頭をよぎったが、自分なりには抗ったという気持ちと、裕子さんの家に行くのに早めに家を出たので時間がないワケではないという事実と、あまり人を無碍にするのもどうなのか、というところが働き、これ以上抗うことを諦めた。
 公園のベンチの横に自転車を止め、こちらを見て手招きしているハナフサさん。何をそんなにニコニコしているのか、何とも不気味な微笑み。あたしを手懐けても何もない気がするが、ハナフサさんの目的は恐らくお母さんとコンタクトを取ることだと思うので、取り敢えずここ、これきりで終了しよう。
 しかし・・・多少ねちっこい感があるが、悪い人にも見えないし、あのお祖母ちゃんと友達になれるぐらいだから、結構気が長い優しい人なのでは?とも思う。
 確かに、後をつけて来て家を特定したというのはキモいが、自分がちょっと懐かしい人を見かけても、もしかしたらコソコソっと追いかけてしまう、かもしれない。まあ、そこで声を掛けたり、家に押しかけたりはしないが。
 この公園は大き過ぎず小さ過ぎず最低限の遊具があり、ボール遊びだけは禁止なので、幾つかあるベンチで座っていても危険は少ない。殆どは、周辺の住人が利用するサイズ。
 ただ最近、遊具が危険だということで撤去されることがあるとニュースで見て、いやいや、自分が小さい頃はそんな危険を感じたことないぞ、と思ったが、昔の映像プレイバック的な番組を見ていると、”え、無理!”と思うような遊具や遊びがあり、時代と共に身体能力が低下しているのか、若しくは危険察知能力が低下しているのか、若しくは勇気が低下しているのか。きっと、”昔は””昔は”という言葉は消えることはないのだろう。
「さ、さ、そこ座って!」
 無駄に元気なハナフサさんの勢いに乗せられ、誘導されるままにベンチに座る・・・しかない感。
 小さくキョロキョロと辺りを見渡し、まだ帰宅するハズもないのに母親がいないことを確認し、借りて来た猫のようにベンチで大人しく座っている自分。ソワソワして落ち着かない。やはり断るべきだったと思うが、正直、断ることが苦手という・・・
 ハナフサさんは座る前にも何かでベンチを拭いていたし、いそいそと何か手際よく準備を進めている。こうにうのに慣れてるっぽい。
 『Bread Guraden』と書かれた袋からそろそろと箱を取り出すが、その箱の中に噂のブレッドプディングが入っているのかと思うと、思わず体が乗り出してしまう。これまたTVで観たことのある、しかも並ばないと買えない系。
 ハナフサさんが箱を開けると・・・ロックオン 泣
「すばるちゃん、どれがいい?」
 ハナフサさんから、箱に添えられているお店の紙ナプキンとプラスチックのフォークを渡され、好きなものを取るよう促される。高揚する衝動を止められず、ブルーベリーと思われるカップを手に取る。ああ、なんと言う・・・
「や~ん、すばるちゃんってツウね~。それ、一番人気なのよぉ」
 お願いです、褒めないでください。悪いことをしているような感覚の中で褒められると、普通に褒められるより褒められた感が強い気がするのは自分だけか?入手困難スイーツの威力の強さよ。
 まじまじといろんな角度から見つつ、意を決しておそるおそる口へと運ぶ。まだ口にしていないのに、もう匂いだけでも美味
しい。これだけでヒーリング効果。
 口に入れると、丁度良い触感、絶妙な味のバランス、口から鼻に抜ける香り、全身に染み渡る幸福感。う~~~~~~~ん美味しい~~~~~~~~!!
「美味しい?」
 思わずハナフサさんを見て、超高速で頷いてしまう。もう、ハナフサさんの捉えどころのない微笑みとかどうでもいい。誰がどうやってこんな幸福感満載なスイーツを思いつくのか。
 ブレッドプディングに感動している自分の横で、ハナフサさんはテキパキと、ベンチの上に敷く布巾だの水筒だの紙コップを自分のバッグから取り出し、何やら進めている。
「はい」
 ハナフサさんから手渡された紙コップ、思わず手を出してしまう。紙コップの中には、キレイなルビーのような色の濃い紅茶(?)が注がれていて、紙コップの色が白いので、そのルビー色っぽさが鮮やかだ。
「あ、すいません」
 紅茶の入った紙コップを受け取り、そろそろと口に運び一口含む。適度な温度で飲みやすく、丁度味を感じられる程度の程良さ。紅茶だ。が、只の紅茶ではない、というか、飲んだことのない風味で、芳醇な紅茶の香りと適度な渋みが口の中をスッキリさせる。
 ・・・うわ~、ウマ・・・何か恍惚・・・
「美味しいでしょ~、この組み合わせはサイコーなのよぉ!食べて、食べて」
 まだ心のどこかに悪いことをしているような罪悪感があるので、あまりガンガン進められると罪悪感が増し、ちょっと遠慮したい気持ちになるが、美味しいのは事実。きっとここにいるのが裕子さんであれば、素直に“そうなんだ~”となると思うし、もっともっと美味しいのではないだろうか。
「すばるちゃんは今何年生?賢い学校に通ってるのねぇ。お母さん似なのね
 ぇ」
「え?お母さん?」
「あら~、お母さん、お勉強よく出来たのよぉ。知らない?」
「へ~、知らないです」
 知らない。お母さんが高卒で就職したことは知っているが、そうい言えばお母さんの卒業した高校も知らないし、成績や勉強ができるできないといったことは聞いたことがない。お祖母ちゃんはお母さんをあまり良く言わなかったが、学校の成績に纏わるようなことは何も言っていなかったし、お母さんも言わない。そう言えば、お母さんはあまり昔の話をしない。
 ハナフサさんの話では、どこかの国立大学には受かったが、お祖母ちゃんんが進学を反対したとのことだ。受験もお祖母ちゃんに黙ってし、受験料も誰か知り合いに借りたのだそうだ。
 残念なことに、ハナフサさんはその大学名を覚えておらず、こちらにすれば”覚えておいてくれよ”だ。というか、その話はそもそも本当なのか!?
 ハナフサさん曰く、進学よりも働いて欲しいという祖母の要望を受け入れたとのことだが、あのお祖母ちゃんがそんな要望の仕方をするとは思えない。自分の記憶に残るお祖母ちゃんはいつも怒鳴っていて、“お願いだから、大学は諦めて働いて欲しい”などと愁傷な感じで懇願したなんて有り得ない。 
 まあそうか、ハナフサさんはお祖母ちゃんの友だち?知人?なのだから、悪くは言わないか。
「ところで、すばるちゃんは今何が好きなの?」
「え?何って?」
「ほらぁ、何か趣味とか、好きなアイドルとか」
 いきなり話飛ぶのかw てかアイドルって”推し”ですよ、ハナフサさん。
 と、話の流れでCUの説明を始めたのはいいが、この素性もよく判らないハナフサさんの相槌と絶妙な誘導に乗り、CUに対する溢れる思いを話し始めると、これがほら、止まらないというヲタの悲しい性。思いが募り、口から次々と滝が流れ出るようにあ溢れるCUへの想い。
 しかもこのハナフサさん、何処までも話を聞いてくれる。お母さんに話をしても興味がないので大して聞いていない。だから今は家でこんな風にCUの話をすることはなく、専ら裕子さんや友達、SNSの中で話す。
 CUをあまりよく知らない人にプレゼンしまくり、調子に乗って話をしていて止まらず、後から自分のバカさ加減に呆れてしまうぐらいだったが、知らない人に良さを知ってもらいたい、という気持ちで話をしているワケではないが、どうしてもそんな感じになってしまう。大抵は”はいはい”と返されるが、こんなに聞いて貰える嬉しさにゾーンに入ってしまった。
 と、ハナフサさんの腕時計が見え、一瞬脳がその時間を認識しようと目を覚ました。
「あ、ヤバっ!あたし、行かないと!」
 習性というものはスゴイなと思う。時計を見たら、脳はすぐに時間を認識しようとする。
 ブレッドプディングに脳をトロトロにされ、溢れる想いを垂れ流しでも誰にも止められることなく緩い時間にどっぷりの中でも、その習性はしっかり働く。
「あら、大変」
 ハナフサさんが手際よく布巾の上を片付け始めると、あっという間に元のベンチ。自分が手を貸すまでもなく、自分の手が宙を舞っただけの行き場のない手。
 そして、ハナフサさんに持って帰るようブレッドプディングの箱が入った袋を差し出されたが、お母さんに母親に怒られるからと拒否をしてもグイグイ押してくる。
 この現状を知られたらまたの激しく不機嫌になられて鬱陶しいので、また貰ったりしたら二の舞だ。
 が、変わらずグイグイ押してくるこの力、この細い体からどうやったらこんな力が出るのか。いや、押し付ける力と言うほうが正しいかも。
「いいから、いいから!じゃ、またね」
 ハナフサさんは無理やり手に袋を握らせ、笑顔で何度も振り返りつつ、手を振りながら去って行く。釣られて小さく手を振り返す。
 我に返り、どうしたものかと思ったが、よく考えれば今から裕子さんの家に行くのだから、裕子さんに理由を説明して貰ってもらおう。勿論、今日のことは口止めをして。
 緩い時間を過ごした後でお母さんの不機嫌そうな顔を思い出し、やや憂鬱に感じながら急いでカゴの中に鞄と箱の入ったビニール袋を入れ、自転車に飛び乗り公園を後にする。

 裕子さんの家で”ハナフサさんと出くわした”とザっと話をし、数個余分に入っていたブレッドプディングを貰ってもらい、お母さんには内緒にして欲しいと懇願。流れで一緒に食べてしまったが、勢いに負けたことも事実だし、詳細なんか話すと長くなるし、勉強の為に行ったワケだから、ザっと。
 裕子さんは分かってくれるので不安もなく、いつも通りに英語の勉強をし、いつも通りに帰宅した。多少、バレやしないかというドキドキはあるが、裕子さんが話さなければ大丈夫、だと思う。と言いながら、今日はお母さんと顔を合わせたくない、という気持ちがムクムクと出てくるということは、やっぱりどこか罪悪感を感じている。落ち着かない。
 玄関を開けると、当然だがお母さんの靴。余程のことがなければ、用事を終えれば帰宅するワケで。動悸が激しくなり、耳から心臓が出そうな・・・バレずに終わったと思えるまでこの胸のザワザワ感が消えないのかと思うと何とも面倒だ。
 取り敢えず玄関から「ただいま」と言い、そそくさと部屋へ滑り込み、大きく溜息を吐く。
 恐らく、無言でご飯を食べていると、それはそれで何か勘繰られそうだし、いや、いつ気付かれるかと思って落ち着かないから、”言われたのを裕子さんに渡しておいたよ”ぐらい言っておけば、取り敢えず普段通りか。
⦅いや~、そんな簡単にいかんやろ⦆
 はあ?イヤなこと言うな~、このオッサン。
⦅オッサン言うな⦆
「バケモノよりマシでしょ」
⦅何言うとんね、わしゃ、妖精さんやぞ⦆
「妖精って!はっ!バカじゃないの!?見た目オッサンのクセに妖精とか自
 分で言う!?爆笑wwwww」
⦅まあ、笑ってられるんも今のうちや⦆
 ベッドの上で、ニワトリの真似(?)をしてヒョコヒョコ歩くオッサンの姿。声が聞こえても腹立たしいのに、姿まで見えるとか、本当に苛立たせてくれる。が、幾ら追いかけてもどうせ消えることは学習したので、捕まえようとか払いのけてやろうとか、そういったことは思わなくなった。というのも、消えられると余計に消化不良を起こしてしまうからだ。
「はあ?今のうち?」
⦅オマエみたいな浅はかなクソガキが、何隠してたっていつかバレんねん。
 どんなけ頑張っても、いつもとちゃうことしてまうねん⦆
「クソガキじゃありませ~ん」
⦅いや、クソガキや、クソや、ミソや、ハナクソや~⦆
「ちょっと、何でそこまで言われなきゃいけないのよ!大体ねえ、あたし、
 別に何も悪いことしてないもん!ちょっと知り合いのオバサンに声掛けら
 れただけじゃない!」
⦅お~、そうやな~。ほんなオカンにそう言うたらえ~やん⦆
「はあ?」
 そう、自分は何も悪いことはしていない。確かに、勝手に家を見つけ出したというのはキモイと言えばキモイが(自転車の荷台を持って引き止めるののもどうかと思うが)、もし自分の気になる人や懐かしく思う人を久々に見たら、声を掛けたいと思いながらなかなか声を掛けられず、少し後ろをついて行ってしまうことはあるのでは?とも思う。街中でCUを見つけようものなら、遠巻きに時間が許す限り追い掛けてしまうに決まっている。本当に声を掛けることはできなくても、何処に行くのだろうと気になるに決まっている。
 現に、他のグループのファンたちが、日本にライブに来て、メンバーが1,2名ずつぐらいで大阪の街中でオフを過ごしているのを見つけ、”メンバーを探せ”状態の様子がMatterに上がって来ていた。みんな近寄らないし声も掛けないが、遠巻きに見て少し後からついて行き、Matterで逐一報告したり、入ったお店などがあれば後からお店に入り、何を購入したのか、何を食したのかをサーチして、同じものを購入したり、食べたりし、歓喜し躍り上がる様子が文字や画像からでも伝わってきていた。
 おばあちゃんの知り合いで、お母さんにとっては良い印象はないものの知り合いで、自分もおぼろげな記憶ではあるが知り合いで。そして、お母さんにとってはイヤな人でも、自分にとっては別に害もなければ、寧ろ普段手に入れられないスイーツを提供してくれ、話もお母さんより聞いてくれ、話がしやすい。推しの話を楽しくただけだ。そうだ、何も悪いことはしていない。
⦅そう思とるんやったら、そう言うたらえ~やん♪⦆
「言えるワケないでしょ!?お母さん、キレるとウザいんだよ。キンキン声
 でブチ切れるんだから」
⦅ま、どうせ隠されへんねんから、おきばりやすぅ~♪⦆
「意味わからん。ホント、腹立つ!」
 
 暫く部屋で勉強し、流石にお腹が空いてきたので、意を決してキッチンに向かう。少しの間忘れていたが、キッチンに向かうと決めると、一瞬にしてドキドキし始め、一瞬行くのを躊躇。
 が、空腹が収まるワケではなく、葛藤の末に空腹が勝ってしまい、再度意を決してキッチンに向かうことにした。
 そう、自分は別に咎められるようなことは何もしていない。確かに、お母さんが「しないで」と言ったことに対し「分かった」と了承したにも関わらず約束を反故にしたということではあるが、あの状況で逃げるのは難しかったし、ただ話をしただけだ(ブレッドプディングも食べたけど)。何も悪いことはしていない。
⦅ご飯食べに行くだけやのに、えらいこってですなあ⦆
「ウルサイ!てか、何言ってるかわかんないんですけど」
⦅さいですか~⦆
「も、ホント、イミフ」
⦅はよ行ったらえんちゃうん⦆
「行くし!」
 このオッサンもウザい。何言ってるかわかんないし、何なの!?
 部屋を出て、大きく深呼吸。大丈夫。
 テーブルの上にご飯の用意がして置いてある。今日は帰宅した時から香りがしていたので、カレーであることは知っていた。そして、こういう時はサラダが冷蔵庫に入れてあるので、冷蔵庫を開け、ラップのかかったお皿を取り出す。サニーレタス、キャベツの千切り、ブロッコリー、キュウリ、プチトマトが皿に盛られている。
 何を掛けて食べよう?と思いながら冷蔵庫を見る一方で、ハナフサさんの話が出ないことを切に願って、早く食べて部屋に戻ろうという焦りが邪魔をし、サッサと決められない。思考というのは、気も漫ろになると、いとも簡単に乱されてしまうのだなと、たかがサラダに何を掛けるかだけのことで思ってしまう。
 結局、いつもの胡麻ドレッシングを取り出し、カレーを温めるのに鍋をコンロにかける。玉ねぎを飴色になるまで炒め、ジャガイモと人参は小さめ、時々ミンチを使うが、今日は鶏もも、それがうちのカレー。
 コトコトと音を立て始め、鍋が焦げ付かないようにゆっくり混ぜる。うん、いい匂い。香りを嗅いだだけで余計に空腹になるような気になる。
 アツアツに温め終わり、お皿にカレーを盛る。ご飯は本当に少しだけ。ご飯で味が薄まる感じがして、カレーは殆どルーだけでいい。周りからは「えー!?」と言われることがあるが、そっちの方が好きなのだから仕方ない。なので、ご飯とカレーをぐちゃぐちゃに混ぜてしまう人の気持ちは分からない。自分にとってご飯は、飽くまで口直し。
 箸とスプーンをセットし、テーブルに着いて「いただきます」をし、まずはサラダにドレッシングをかけて食べ始める。
 お母さんは入浴を済ませ、TVを見ながら髪の毛をタオルドライしている。TVは何やら動物や子どものオモシロ動画を流し、その動画を出ているいろんなタレントがコメントしたりと、和気藹々とした様子が伝わってくる。
 滞りなく食事を終え、食器を洗い終わって水を止めたところで何やら声がした気がしたが、水の流れと蛇口を捻った瞬間との音が重なり、気のせいと思いきや、再度後ろから声がした。
「ねえ、すばる」
 ”ドクン!”と漫画みたいな音が体の中から聞こえた。そんなことってある!?いや、落ち着け、まだハナフサさんのことと決まったワケじゃない。
「え、何?」
 いけた?自然ぽく返事できた?
「裕子さんに渡してくれた?」
「え?あ、うん、ちゃんと渡した」
「そう、ありがとう」
「うん」
 良かった~、ハナフサさんの話出てこなくて~・・・じゃない、違う。裕子さん、自分通してお母さんが何か遣り取りした時、それを伝えたら、”裕子さんから連絡きた”って毎回言うじゃん。今日だって絶対連絡しているはず。何だか気持ち悪い・・・
「今日、誰かと会ってたんだって?」
「は?誰って、裕子さんとこ行っただけだけど・・・」
 と言ってみたものの、え?何その切り口!?一気に機嫌悪そうな声!?いや、裕子さんが言うワケないし、何、なに、ナニ!?
「じゃなくて」
 後ろ振り向けないぞ~、振り向けないぞ~、映画で見るゾンビが背後に迫っている感じ!?いやいやいやいや、ちょっとホラーなんですけどっ!!!
 布巾を取って食器をフキフキしながら、裕子さんじゃなければどうやって知ったんだよ!?と、まだハナフサさんのことだとも何とも言っていないが、何をどう言えばいいんだ!?と思いながら只管食器をフキフキ・・・数がないので、すぐに拭き終わってしまう。
 いや、まだハッキリ言われてない。けど、もしハナフサさんの名前が出たら、どうしたらよいのだ!?
 どう言えばいいのかあれこれ思考を巡らせフル回転だが、ただ闇雲に頭の中を掻き回しているだけで、何を言うべきか、何を伝えるべきかが導き出せない。何か口から突いて勝手に出てきてくれればいいのにとさえ思う。しかし、そうすると著しく的外れな言葉が出てきて、もっと修羅場になる可能性も・・・それは危険過ぎる。
「お隣の鹿島さんが教えてくれたのよね。一緒にいた人の姿形、また花房さ
 んよね」
 はい、アウトー--------!!!!!どうするよ自分?どうするよー----!?あの、金切りキンキン声で感情的にキレられるのとか、ホントにマジで無理なんですけど~~~~~~~~~!!!!!

「声掛けられても無視するよう言ったわよね」
 はい、言いました。それに了承しました。その通りでございます。
「何でまた?またお菓子で釣られた?行列のできるスイーツか何か?」
 また?またとは何でしょう?その、吐き捨てるような言い方はどうなんでしょう?というか、お菓子で釣られたとは何という言い草。行列はできているけど、落ち着いてハナフサさんの持っていた袋見るまで、それがどこの何か分かりませんでしたけど?
 自分の中で、カチン、カチンと音がする。”カチンとくる”とはピッタリな表現で、一体誰が考え出したのか、表彰モノ。
 しかし、隣りの鹿島さんは別に詮索好きでもお喋りでもないのに、何故にお母さんにその話がいったのだろう?”親戚の方ですか?”とでも聞いたのか、若しくは、お母さんが先手を打って両隣に”もし見かけたら教えて下し”とでもお願いをして、菓子折りでも渡していたか。まあ、聞いたとて教えてくれるハズもないが。
 裕子さんを口止めしていれば大丈夫だろうと思っていたあの時の自分に、グーパンをお見舞いしてやりたい。どうせ咄嗟の嘘なんてつけないのだから、もしバレてしまった時の言い訳をどうして考えなかったのだろう。今思い出したが、あの場所に座った時に、確かに“誰かに見られたら・・・”と頭の隅を過った。のにだ。
 しかし、何だかじわじわイラついてきた。それは、お母さんが更に今回のことと関係のないことまで引っ張り出してきて、こちらを攻撃しているからだ。これは人格否定に匹敵するんじゃないか?そう、この感情的なところが嫌い。完膚なきまで叩きのめして、自分の正当性を誇示する。
 お母さんはあの勢いを知らないからそんな風に言えるんだ。こっちの苦悩も知りもしないで、ただただ非難されるのは納得がいかない。ムカつく。
「べっつにお菓子で釣られたわけじゃないし。あのオバサン押しが強いか
 ら、拒否れなかっただけじゃん。大体さあ、何がダメなの!?ちょっと押
 し強いけど、話聞いてくれるし、気がいいただのオバサンじゃん!理由も
 言わないでダメダメ言われて文句言われてさ、何なの!?あの押しの強さ
 知らないからそんなこと言えるんだよ。拒否るのが大変なのに、こっちの
 身にもなってよ!!」
「ちょっと、あんた!」
 出た、「あんた!」。最近は減っていたけど、お母さんの張り上げた声、金切り声でキーキー言い始める何秒か前。今まともに対抗すると、現状と関係のないことまで引っ張り出してきて、とにかく”こちらに非がある”ことを認めさせようとする。そして、攻防戦がいくらか繰り返される中でお母さんに手の内がなくなると一瞬黙るが、少し経ってから怒りが充満するようで、ブチ切れて部屋に飛んで来る。どちらにしても面倒。
 と、これだけ頭は冷静でも、未だにその「あんた!」を聞くだけで体が勝手に強張る。なぜなら、小さい時は感情的に怒りをぶつけられること、なぜ怒られるのか意味不明なことも少なくなかったから、対抗できなかった頃はただ恐怖でしかなかった。
 お母さんはブチ切れると話し合いができない。相手を諭すということができない。それは、おばあちゃんがそうだった。おばあちゃんこそ、本当に本当に本当にワケの分からないことで怒り、ブチ切れ、それこそ何でもお母さんのせいだと言っていた記憶がある。恐らく、お母さんはおばあちゃんにされていたようにしかできないのだろう可哀想な人なのだ。おばあちゃんよりはまだマシだとは思ってはいるが、こちらにしたらたまったものではない。
 今は自分の部屋があるので、小さい頃は固まって動けず怒鳴られ続けていたが、その頃とは違い、今はそれを察知するとすぐにその場を立ち去る。部屋に鍵があるから、とりあえず鍵さえ掛けてしまえば部屋の外からしか怒鳴れなくなるので、距離を取って反論ができる。
 お母さんの声を無視し、拭いた食器をそのまま放置し、「ふん!」とだけ言って部屋へ走り込み、勢いよくドアを閉め鍵を掛ける。
 ああ、イライラする!!!!!
 ベッドの上に勢いよく倒れ込み、次第に苛立ちが膨らんでいく一方で、いつ来るんだろうというホラー映画のようなドキドキ感で体力が奪われる感覚。早くこういうことに動じない自分になりたい。
⦅え、一生無理やろw⦆
 出た・・・なぜ今出てくるかな。
⦅いやだから~、ワシはずっとおる言うとるやん⦆
 感覚的にだよ、感覚的。こっちにしたら、突然出て来てんの。いい加減そのツッコミはいらないっつーの。
⦅こんなんツッコミちゃうし。オマエが間違うとるから教えたっとんねや。
 物事は正しくやで⦆
 何がよ。
⦅いやだから~、物事を正しく教えたってんねや⦆
 はあ!?バッカじゃないの!?
⦅”バッカじゃないの!?”やってぇ。言い返されへんからってその返しw
 感情的やな~、人のこと言われへんなあw⦆
 うるさい!
⦅おっコワ~wwwww⦆
 目の前をオッサンが、昔の泥棒の抜き足差示唆しみたいな様子で通り過ぎて行く。揶揄われているような感覚が腹立たしい。
 
 どのぐらい時間が経っただろう。普段なら、怒りの勢いそのままにドアを叩きに来る母親が来ていない。来ようが来まいが部屋の鍵を開けるつもりはないし、待っているワケではない。この状態で部屋からは出にくいので、お風呂にも入りに行けない。
 言い返す言葉をあれこれ考え、ある程度まとまっているのに何もないと、何だか肩透かしを食らったような気分。
 ただ、怒りとオッサンの相手でいらぬエネルギーを費やしてしまったため、疲労感からかやや動くのも億劫で、暫しボーっと同じ状態でいると、部屋の扉をノックする音。ぼーっとし過ぎていて、スリッパの音に気付かなかった。
「すばる、ちょっと来て」 
 のっそりとドアの方を見る。お母さんの淡々とした口調。
 文句言われるのを分かっていて、誰が喜んで部屋から出ると思うのか。バカなのか?顔を合わせたくないことぐらい分かるのでは?と、心の中で毒を吐く。
「理由、ちゃんと話すから来なさい」
「そこで言ってくれたらいいじゃん」
 今お母さんの不機嫌な顔なぞ見たくねーですわ。
 理由を言えと言ったのは自分だ。しかし、こんな形で聞きたかったワケではない。最初にちゃんと説明をしてくれてさえいればこんな状況にならなかったし、そんな命令口調で言われる意味が分からない。
 取り敢えず聞きたくないワケではないので、話すと言うならそこから話をしてくれればいいのでは。
「お饅頭貰ったから、食べながら話しよ」
 ていうかさ、先に”ごめんなさい”じゃないの”!?何食べ物でなかったことにしようとしてんだか。
⦅まあ、そう言わんと聞いたりいな⦆
 はあ?あんた関係ないじゃん。
⦅オマエ、アタマ悪いな~。聞くだけ聞いて、最後の最後に”ほんなんやった
 ら最初に言ってくれたらよかったやん”言うて謝ってもろたらえんちゃう
 ん⦆
 そう・・・言われたらそうだけど、なんだけどさ~、何か食べ物で釣られたみたいなのが納得いかない。大体、アンタ関係ないじゃん。
⦅いやいやいやいや、オマエ、いつまでもごちゃごちゃウルサイねん。はよ
 終わらしてくれや⦆
「はあ!?」
 思わず体を起こして声を上げてしまう。
「え、なに?」
「いや、何でもない。も、分かった、行くから先そっち行ってて!」
「分かった。お茶入れておく」
 スリッパの音が遠ざかっていくのが聞こえる。
「ちょっとぉ、ウルサイって何よ!」
⦅オマエ知らんやろうけど、あれこれぐちゃぐちゃ考えてんのがまる聞こえ
 やねん。ウルサイねん、取り敢えず。も、え~やん、はょ行けや、オカン
 待ってるやろ~⦆
「うるさいぃ~」
 ていうか、行く羽目になっちゃったじゃん、このクソオヤジ!お菓子に釣られるんじゃないから!

 あ~何か気が重い・・・
 キッチンに行くと、和菓子とお茶がセッティングされている。これは、中心川のちょっといい栗きんとん。前に食したことがある。
 茶巾絞りをしたような形で、でも口の中でホロホロと崩れ、優しい甘さでほんのり栗を感じる、お上品という感じの栗きんとん。くれた人、有難うございます。でも、タイミング悪しでした。
 折角の美味しそうな栗きんとんが目の前にあるというのに、頭ではそう思っていても、感情がついていっていないというのはこういうことなのか、本来ならばもっと高揚感があるハズなのに、グン!と上がり切らない。
 このシチュエーションで食して、果たして本来の美味さを味わえるのかどうか・・・残念でならない。
 お母さんに促され、取り敢えず椅子に座る。何とも重たい空気。とは言え、自分は何も悪いことはしていないのだから、話があるならサッサとしてくれ、と思う。あまり沈黙を続けられると、先程声を荒らげてしまった自分のほうが悪いような感覚が増幅してしまう。
 栗きんとんを目の前に、今即座に食すべきか否かを考えながら、まずはお茶を啜る。
 いい話ではないことは雰囲気で察しているので、そういう話を聞いた後に甘いモノで癒せるのか、甘いものを先に食べて脳をややぬるっとさせてからそういう話を聞くべきか。結果、どちらが自分にとってマシな結果を及ぼすのか皆目見当がつかない。はて・・・
「食べたら?」
 あ、さいですか。それなら取り敢えず頂きます。よく考えてみたら、どっちでも結局一緒か。それなら、サッサと食べてしまおう。もっと味わって食べたかったな~・・・
 と、こちがらまだ食べている最中に、お母さんが話を始めた。食べ終わる待つんじゃないんかいっ!
「あー・・の花房さんは、おばあちゃんの昔からの知り合いで、すばるも会
 たことある、小さい時から何回も、おばあちゃんの病室でも」
 あ~、やっぱり会ったことあったんだ。自分の記憶力絶賛!
「けど、あの人はおばあちゃんと同じ宗教の人で、引き入れるためなら何で
 もするのよ。人の話だって幾らでも聞くし、気を引くためなら情報も収集
 するし、流行にも敏感に反応するし、食費が足りないと言えば食料とかま
 で持って行く。でも、それは全部あの人一人でやってるんじゃなくて、宗
 教挙げて皆でやるの。一人でも多く宗教に引き入れる為。だからあのお菓
 子も、宗教の人たちが並んでまとめて購入したものを分散したものだと思
 う。食べるお金がないとか言ってお米でも受け取ろうものなら、もう信
 者、なんて人もいる。お母さんは、あの宗教で苦労させられることはあっ
 ても、助けられたことなんて一度もなかった。入信してた記憶もないし。
 おばあちゃんが死んで縁が切れると思ったから、引越し先さえ教えなけれ
 ばもう二度と関わらなくて済むと思ったのに」
 話の出だしが余りに突飛で、既に話に付いて行けないでいる。宗教挙げて?引き入れる?入信?ドラマかニュースの話ですか?
 自分は無宗教だと思っているし、りーちゃんの家の影響でカトリックに興味はあるものの基本的に無宗教で、今の年齢であまり周りに宗教の話をする子もいない。オカルト宗教がやらかしてニュースになることがあれば、それについて友達と話すことはあるが、普段の生活で有名な宗教の名前は聞くことはあっても、内情に関しては全くの無知。
「宗教・・・はあ・・・何の宗教?」
 やっと聞けたのが、それ。自分でも不甲斐ないなと思う。
「まあ、あの~、“新久の園”っていうね、新興宗教」
「ああ、何か聞いたことある、名前だけ」
 ホントに名前だけ、薄っすらぼんやり。
「まあ、とにかくお母さんは二度と関わりたくないところ」
「はあ・・・新興宗教とかよくわかんないけど、苦労させられたってどうい
 う・・・あの、ハナフサさんって人見てると、ちょっと強引だけどいい人
 っぽいから、何でそんなに嫌なのかよくわかんないっていうか・・・」 
「すばる、いつか社会人になって自分で自分の身を守らないといけなくなる
 時が来るけど、“いい人”に見える人はみんないい人というわけじゃないこ
 とは頭に置いておきなさい。よく見て、自分でちゃんと見極める目を持た
 ないと」
 お母さんは、自分が小さい頃からこういったことをよく言う、しかも怒り気味に。どうしてそんなことを言うのか理解が出来ない上に、何となく自分の周りにいる人を次々否定されているような不愉快さを感じ、反発をしたこと数回に非ず。まあ、実際はその”宗教”とやらが原因だったことをここで知るとは。
「そんなの、何回も聞いてるし」
「花房さんはね、あれが生きがいだから。周りが何と言おうと同じものを信
 じる仲間がいて、貢献できることは喜びだし、いい人に見えるかもしれないけど、やってることは結局一緒よ」
「はあ」
 お母さんの話では、おばあちゃんも幸せになりたくて入信したのだろうが、どう見ても幸せではなく、ただ、大黒柱のような人がいないから、慰めあう仲間や何か縋る物が欲しい気持ちは理解できるが、お母さんは嫌な思いをさせられた記憶しかないと。
 おばあちゃんが入信したのはお母さんが生まれてすぐで、最終的にそれが原因で親戚とも完全に疎遠。その理由は、お布施(と称した貢ぐためのお金だそうな)を集めるため、親戚にも金の無心をしたこと。おばあちゃん曰く、”大変だった時に一度も助けてくれなかったクセに、こんな時ぐらい”と言っていたらしい。
 お母さんが物心付いた時はいつもおばあちゃんは”うちには金がない”と言っており、時折仲間が食料を持って来てくれ、おばあちゃんは甚く有難がっていたが、お母さんとしては、お布施さえ出さなければ自分達で買えた物なのに、理解出来なかったそう。学校で必要なものがあっておばあちゃんに言っても用意してくれず、言っても“そんな金はない”と言うのが口癖だったそうだ。
 お母さんは感情を抑えて話をしているつもりのようだが、お母さんが怒っている時は眉間に皺がより、口が歪んでいるので、この話をすることが激しく苦痛なのだろうことが見て取れる。
 自分のおばあちゃんの印象は、正直”コワい人”。小3の時に他界したが、入院していた頃は、お母さんに連れられ何度も病院に行った記憶はあり、その頃の印象が強すぎて、それ以前の印象や記憶が曖昧。
 その入院していた時のおばあちゃんは最悪で、いつも怒鳴り散らしていて、出来れば近寄りたくなかったし、病院にも行きたくなかった。病院から帰ると、お母さんの機嫌はいつもにも増して最悪で、怒られるようなことは何もしていなくてもいつもビクビクしていた。毎回そんな対応をされるのに、なぜ行くのかが全く分からなかった。
 お母さんの話を聞きながら、左程思い出すことのなかったお祖母ちゃんの顔は、いつも般若のようであったことを思い出した。が、今お母さんも似たような顔をしている。やっぱり親子だ。
 それでもお母さんを助けてくれる大人が周りにいたそうで、担任の先生がいい人で、周りに気付かれないように手を打ってくれたり、裕子さんの旦那さんのご両親・若松家も、おばあちゃんに気付かれないようにとてもよくしてくれ、それで何とかやってこれたという。
 謎が多すぎて聞きたいことが沢山あるのに、一気に情報を投げられて、差し詰め運動会の玉入れのカゴになった気分。次々飛んで来るけど、取りこぼしも絶対あるはず。短時間で頭の中を整理することができず、何から突っ込んだらいいのか分からない。
「おばあちゃんって飲食で働いてたって言ってたよね。お給料低かった
 の?」
 口を開いたものの、自分でも”え、そこ?”と心の中でツッコミ。他にも山盛り聞くことがあるでしょうが。
「夜の仕事」
「あ~、ふ~ん。お給料高そう」
 ”夜の仕事”とはまたザックリしてるな、と思ったが、お母さんからすればあまりハッキリ言いたくない仕事内容なのかもしれないので、そこは敢えて触れず。ヘタに触れて、この形相が更に険しくなられても面倒。
「その宗教にいいように利用されてたのよ。そうすれば幸せになれるって思
 ってたのよ。自分が不幸なのは周りのせいって思ってる人だったから」
「ふ~ん・・・」
 あんな般若みたいな顔して、いつも怒鳴ってて、どう見てもシアワセそうじゃなかったけどね、おばあちゃん。仲間といる時は楽しかったのかね~。
 しかし、益々リアリティがない。今目の前で繰り広げられている話は、本当に現実なのか?あの激しく気の強いおばあちゃんが、”頼るものが欲しい”だと?????サッパリ分からない。

「あれ?高知の伯父さんは?それに対して何も言わなかったの?」
「あ~、おばあちゃん、あの人にはやたら優しかったから」
 お母さんが鼻であしらうように言う。お母さんは勇司伯父さんのことを“あの人”と言う。既に絶縁しているらしいので、自分も随分前に見たっきりで、もしかすると今見ても気づかないと思う。
「男性至上主義で、何でも伯父さん優先で、伯父さんにはちゃんと学校の物
 も揃えてたし、食べるのも伯父さん優先だった」
「あ、男が上ね。ふ~ん・・・」
 って、いや、こっちの質問にちゃんと答えてないじゃん。
「う~ん、すばるに話したことなかった?あの人とお母さん、異父兄妹だけ
 ど、あの人のお父さんは普通にお祖母ちゃんと結婚して、あの人が三歳の
 時に交通事故で亡くなって。で、それから数年経って出会った人との間に
 生まれたのがお母さんで」
「は?え?ん?」
 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、聞いたことな
いぞ?????は?イフキョウダイ?いふ・・・異父!?え、知らない、知らない、知らない、知らない、何の話だ!?
「え~っと・・・あれ?お父さんが違う?う~ん・・・聞いたことあったか
 な~・・・」
 いやいや、ねーし、何テキトー言ってんだ自分。というか、驚き過ぎて思わず言ってしまった。人というのは時として、予測のつかないことをしてしまうものなのだ、と自分に納得させてみる。
 自分が生まれた時から母方のおじいちゃんはおらず、“死んだ(らしい)おじいちゃん”の写真を何処かで見たことがある。でも、それは伯父の父であって、お母さんの、ではなかったということを今更ながらに知る。頭の中がプチパニックを起こしている。
 今まで、正直そんなにおじいちゃんの存在を考えることはなかったが、漠然と自分のルーツとして認識していた自分の“死んだおじいちゃん”と思っていた存在は、全くもって只の真っ赤っかーの真っ赤っかーな赤の他人、という事実をたった今知らされたことになる。情報過多で頭がクラクラしてきた。
「おばあちゃんは男尊女卑が激しかっただけでなくて、何でもお母さん、お
 父さんと顔が似てるらしくて、それでイライラするとかって、おばあちゃ
 ん、お母さんには当たりがキツかったのよね」
「はあ・・・」
 おばあちゃんはお母さんに、”私たちを捨てたクズの子””アイツに似て薄情””アイツの分も償え”となどと言っていたそうだ。何だそれは?その暴言は虐待なのではないのか?その時代はOKだったのか?何だかもう既にお腹いっぱい。これはホントにリアルな話なのか?段々冷静に聞いていられなくなってきた。もうそろそろ終わってくれないかな(泣)”これはフィクションです”というテロップと共に、ただドラマのあらすじを聞かされていることを願いたい。
 とは言え、お母さんにはこんな作り話をする程のお茶目さは皆無なので、“お母さんが聞いた、体験した”リアルな話なのだろう。
 話は一瞬逸れたが、また宗教の話に戻って来た。もういいのに、と心の中では思っているが、何となく体を椅子に縛り付けられているような感覚があり、スッと立ち上がって立ち去るといったことができるとどれだけいいだろう、などと思ったりする。
 そして、お母さんは大学に進みたかったが、宗教仲間が次々家にやって来て、「お母さんにここまで育ててもらったんだから、今度は恩返しをしてよくしてあげてね」と何度も言われ、奨学金を借りて返す暇があったら働いて家に金を入れろとおばあちゃんに阻止され、抗う気持ちが削がれ、結局諦めてしまったこと、仕事の給料も次々おばあちゃんに搾取されて自分で思うように使えなかったこと、それに対して強く反論出来なかったこと、早くおばあちゃんから離れたくて、お父さんと結婚をして家を出たことを次々話をされるが、もう頭の中はパンク状態。更にプチ情報として、男性至上主義のおばあちゃんは、お父さんとの結婚に反対はなく、やたらお父さんにチヤホヤしていたそうだ。それは男だから?もしそうだとしたら、自分の嫌いな人種だよな~。もう何か、おばあちゃんの人格ヤバくない?取り敢えず、得た情報は後から整理させて頂きます。
 自分が小2の頃におばあちゃんの病気が発覚して入院となり、それまで結婚によって多少離れられていたおばあちゃんとの接触が再び密になり、携帯という文明の利器にて気が付くと毎日呼び出された。生活がままならないぐらいに逼迫していたのに、伯父夫婦は滅多に来ずで、おばあちゃん亡くなった後は、同じ宗教に身を置く伯父に全てを仕切られ、葬儀も宗教のほうで行い、遺骨も教団で保管すると持って行かれたそうだ。そう言えば、自分もお葬式に参列した記憶がない。病院で亡くなった姿を見て、それっきりだった。
 それっきり遺骨や遺品などもどうなったのかは不明で、伯父からの連絡もなく、連絡先さえも分からないのだそう。
 というか、あんなおばあちゃんで迷惑被りっ放しで、イヤな人なんだったら、そんな人の遺骨も遺品もいらなくない?何かお母さんの話聞いてると、欲しかったように聞こえるんだけど・・・気のせい?
「お母さんはね、別に全ての宗教を否定してるわけじゃない。それで救われ
 る人だっているだろうし。でも、お母さんは新興宗教が大っ嫌い!特にあ
 の名前を聞いただけで吐き気する!」
 うわ~、激しい(汗)ちょっといろんな意味で動悸なのかただのドキドキなのか、オエッて感じ。ハナフサさんを拒否る必要性について話を聞くだけのハズが、何でこんなヘビーな話を聞く羽目になっているのだろう!?
 おばあちゃんは何かに縋っていないと生きていけない人だそうで、その宗教の勧誘組は、如何にも”いい人”といった雰囲気の人を選出し、“この人は自分のことを分かってくれる”と思わせるように持っていくらしく、それにまんまと引っ掛かったのがおばあちゃん。風邪を引いたと知ればすぐにやって来て、ちょっとお金に困ったと思ったらお米や食材を持って来て、辛いと言えばどんな話をでも愚痴でも聞き、一人でも会員が増えれば目的達成で、その為なら足繁く通い続けるのは厭わない、と。
「花房さんが、お母さんを見つけて後をつけて来て家を見つけたでしょ?あ
 んなの、あの宗教では当たり前のことなのよ」
「はあ・・・」
 そう聞かされると、何だかハナフサさんの笑顔が・・・不気味(苦笑)
「お母さんは、すばるはそんな所と少しでも関わって欲しくない。花房さん
 は昔の誼でと近づいて来るんだろうけど、お母さんはあの宗教に嫌悪感し
 かないし、あっちはお母さんが嫌っていること、多分判ってないと思う。
 だって、自分が信じてるものは正しいと思ってるんだから。おばあちゃん
 が死んでから、お祖母ちゃんの知り合いとは全部連絡を絶ってるからもう
 二度と会わなくて済むと思ってたのに・・・虫唾が走る!」
 まあ、そんなのは見ていたら分かります。必要なことだけ伝えてくれれば良かったのに、感情が入りすぎていてちょっと怖い。
 口を“チッ!”と言いそうに歪めるお母さんのクセ。機嫌の悪さが頂点に行く前に無意識になるのだが、あの表情を見ると瞬時に全身の筋肉が萎縮する。眉間に皺を寄せるよりも嫌いな、お母さんのあのクセ。自分が原因ではないことであっても、その表情を見ると何となくビクっとしてしまうのは嫌な記憶がこびりついているからだ。ふとした瞬間にもあの表情をしている時があり、正直ギョッとするけど、果たしてお母さんは気づいているのかどうか。お母さんの中でそうなるような思考がグルグル回っているのかと思うといつもゲッソリする。
 何と返せばいいのか。こんな短時間に膨大な量の情報を与えられても、お母さんの感情についていけるワケはないのに。
 取り敢えず、おばあちゃんがその宗教に入っていることで大変な思いをさせられたこと、だからハナフサさんに近寄るべきではない、ということは分かった。そして、おあばちゃんがお母さんに対して冷たかったのには理由があった、ということも分かった。理由は、おばああちゃんの男尊女卑思考とか、お母さんのお父さんに顔が似てたからとか、お母さんのお父さんに捨てられた(詰まるところオトコに捨てられた)という憎悪からだとか、いろいろな要素が絡み合ってのものではないか?というところまではわかった。それでも、ハナフサさんを拒否る話に、ここまでの内容はいらなかったよね。
 それよりも何よりも、自分が衝撃を受けたのは、自分のおじいちゃんだと思っていた人が実はそうではなかった、ということ。異父兄妹とか聞いてないし・・・漠然と”そうだ”と思っていたものが”違う”と言われた、この何とも言えない、頭の中が”!””?”でいっぱいの状態や如何に。いや、”母方祖父”なんて実際には見たことはないわけだから、自分の中ではそんなに存在の認識をしていなくて、ただ写真を見ただけで”そうなんだ”と思っていただけだったけど、それでも微妙に喪失感を感じている自分。というよりも、”信じられない”という感じ。
「だから、花房さんが寄って来ても絶対に避けて。よく考えたら、すばるも
 もう高校生なんだし、ちゃんと話しておけば良かった」
「え?あ、うんわかった・・・そうだね」
 “そうだね”、じゃねーですよ。一気にここまでの情報はいらなくないか?もっと小出しで良かったんじゃないの?
 そして、お母さんは一通り話をしたつもりだろうが、こちらは突然話を終わられてしまった感が拭えず、いろいろとモヤモヤしている。とは言っても既にキャパオーバーなので、これ以上聞きたいわけでもない。そう、整理を怠っている引き出しを、開けっ放しにして放置されてるような感覚。
 15歳の少女は一気に十歳ぐらい歳を取り、倦怠感でグッタリ。栗きんとん、後から食べたほうがエネルギー補給になったかも。目の前の空っぽの小皿と菓子切が侘しい。
 明日が学校が休みの日で良かったような、悪かったような。
 きっと放っておいても、今聞いたことが頭の中をグルグル駆け巡るに決まっている。そう思うと、学校があったほうが気が紛れたか、若しくは、学校に行っても気になって授業どころか上の空か。どちらにしても時間は掛かりそうだ。

 ああなんだろう、今日はとっても疲れた。体の疲労は脳の疲労だと聞いたことがあるが、今日はそれを大層実感させて頂いている。疲れて何も考えられず、新しく入って来た情報がただ頭の中をグルグルと駆け巡り雑然としているが、整理できる程のエネルギーは残っていない。が、頭の中はグルグルとして止まってもくれない、一向に頭を休ませられない。
 何か心臓はバクバクいってるし、余計に疲れるではないか。お風呂に入らないといけないんですが、ちょっと今すぐに入れなさそうな・・・
 ベッドの上に仰向けに大の字で寝ころぶと、部屋の電気がいつも以上に眩しい。というか、痛い。ので、目が開けられない。疲労困憊だと、こういったちょっとしたことも鬱陶しく感じるものなのだな~、などと別のことを考えてみたりもするが、結局また元に戻ってしまう。
⦅オマエのオカン、苦労してんねやなあ⦆
 え~・・・今出るのか~~~・・・反応するエネルギーないんですけど~・・・
⦅いやいや、オカン、大変やったなぁ、うんうん⦆
 やあ、まあ、そうかもしれないけど、今何も考えられませんって。
⦅オカン、辛かったやろな~⦆
 しつこいな~、もう、わかったってば、そうでしょうよ、はいはい。
⦅ま、クソガキには理解できひんねんから、無い頭で考えても無駄ムダやろ
 うけどなw⦆
 クソガキ・・・はいはい、そうですね~、クソガキですね~、考えてもわかりませんよ~。というか、考える気力もありませんが。・・・ん?おや?
「オッサン、この部屋から出らんないよね?椅子に住み着いてるんだから。
 遣り取りなんか全部見られないよな~」
⦅住み着いてるちゃうし。ワシはこの椅子やねんって。前に言うたやろ~⦆
 あ~はあそうでしたっけ~、まあどうでもいい。
⦅ほんな聞くなや⦆
 ああ、もういいです、面倒くさい。今日はもう相手なんてしてられません。あ~疲れた、疲れた。
 ただ疲れている時に、つまらないことや下らないことを言われたり聞かれたりするとイラっとする。が、体力消耗していたり疲労困憊の時は、それを飛び越え、もうどうでも良くなる。元々、よく考えなくてもこの現状自体が有り得なくて、このオッサンが自分の目の前にいて、普通に会話していること自体が異常なのだから、考えても仕方ない。いや、面倒臭い。
⦅オイ、無視すんなや~⦆
 え~~~~~~面倒なんだけど~~~~~~(溜息)
 暫し目を瞑っていると、何だか体がベッドにズブズブと沈むような感覚。実際にはそんなことはあり得ないが、人の感覚というものは不思議なものだ。お母さんに話を聞いてから、多少あったハナフサさんへの違和感が確信に変わり、一瞬にして”話を聞いてくれる人”から、白装束でも来て集団で山奥の集落に暮らす”怪しい宗教集団”みたいな印象に変わってしまった。勿論、後者の印象は飽くまでも自分の印象で、どちらかというと、世の中にフツーに生活して潜伏している集団なワケなのだけど。
 取り敢えず・・・お母さんがあの宗教を憎んでいるのは分かった。次、ハナフサさん見つけたら、捕まらないように猛ダッシュで逃げればいい。しかし、何だあのドロドロしたドラマみたいな話は?あれがあたしのおじいちゃんじゃなかったって?どう整理つけたらいいんですか、マジで。
 ふうと溜息を吐き、これ以上今日は何も考えられそうにないな・・・と思った時、イテッ!
⦅ナイッシュ~!⦆
 も~何なのよ~~~~~~オッサ~~~~~ン、ちょっとやめて~泣 
 オッサンに頭に何かを当てられたようだったが、何が当たったのか、オッサンがどこにいるのか、もう探る余力が残っておらず、漸く重だるい腕を上に上げて、頭の周りを虫を払うように動かしてみる。そんなことをしても、どうせオッサンに当たるとも思っていないが。
⦅しかし何やな~、オマエのばあちゃん、スゲ~こえ~な~。あんな形相で
 怒鳴られたらキョーフやでw⦆
 あ~オッサンそんなのも見えるのか。ん~・・・まあ恐怖だったのかな~・・・あれ?
 今、頭を何かが過った。
 ん?ん??????何、なに、ナニ、何だか気持ち悪いぞ。何だろうな~、ん~・・・
 お母さんの話で整理がついていない頭の中で、何かがその雑然とした中からゆっくり出て来ようとしている。人混みの中を、態々誰かがそれを押しのけて出ようとしたり隠れたりしているような感じのイメージが、自分の意思と関係なく遂行されている。
⦅何だろな~♪何だろな~♪⦆
 あ~もうウルサイ、黙れ、オッサン。出ようとするのが引っ込むから、マジで黙ってくれ、オッサン。
⦅何だろな~♪何だろな~♪⦆
 少し横になっていたからか少し体力が回復したようで、次第にオッサンの言葉にイラっとし始めた。
⦅お、ヤルか?来いっ!⦆
 いや、だからってオッサンの相手とかしないから。どうせどこかでまたファイティングポーズでも取って、こっちを挑発しようとしてるんでしょうよ。はあ?だわ。
 と言っている間に、何度もオッサンが邪魔をするので、思わず起き上がってしまった。
「ちょっとっ!」
⦅お、元気やんけw⦆
 いや、元気とかそういう問題じゃないっ!どこじゃ、オッサン!人が疲れて横になってんのに、邪魔すんなっつの!
⦅やーやーやー、思考に隙間作ったってんねや⦆
 はあ?ワケわかんないこと言ってんじゃないわよ、腹立つ!あ・・・何か何か微かに浮かんだんだ!けどな~、う~ん・・・
 今日聞いた話に関係ある?ような気はする。記憶の倉庫から何か出てこようとしている・・・何か・・・
 漫画や小説でも読んだことがある。本当は記憶は膨大に蓄積されていて、繰り返し思い出すことや、その人にとって都合の良いものなどが手前に収納され、辛い記憶や悲しい記憶、思い出したくない記憶などは奥に押し込めて封印してしまうことがあり、何かの刺激で思い出されることがある、と。ただ、思い出せると言うことは、それを受け止められる状態だから出て来るのだとも書いていた。
 もしそれが本当だとすると、今奥から出て来ようとしている”何か”は、記憶の底に押し込められていたもので、今受け止められる状態だからこそ出て来るということか。押し込めたいような内容なら出て来て欲しくないような、逆に、ここまで来て何も出て来ないほうが気持ち悪いような・・・この、出そうで出ないというのは、何であっても気持ち悪い。
⦅出ってこ~い出ってこ~い出ってこ~いこい♪⦆
「ちょっと黙っててよ~、調子狂うじゃん(汗)」
 あ、何か、何か、ちょ、ちょっと待て、いや、ホント、マジで何か出そう・・・誰がいるわけでもないのに、思わず出る独り言。
⦅ワシがおるがな⦆
 あんたは数に入らない。 
 喉まで出掛かって、なかなか出て来ないような気持ち悪さから、断片的な映像が少しずつ・・・絞り出そうとするのではなく、あくまでも自然に出て来るように、あくまでも自然に・・・
 あ・・・来たかも!いや・・・ちょっと来た?・・・え?あれ?ん?
 それは、保育園の制服を着ている自分。カバンにあのマスコット付けてるということは、年長さんの時だ。
 あ・・・スルッと出た・・・
⦅お、ウ〇コか?w⦆
「消えちゃうから黙ってて!」
 無邪気に“おじいちゃんてどんなひと?”おばあちゃんに聞き、元々いつもしかめっ面のおばあちゃんの表情皺が更に深くなり、両肩を潰されるかと思う程に掴まれ、“今度同じこと聞いたら引っ叩くよ!!”と言いながら今度は両頬を強く掴まれ、般若のような顔を近づけて来た。ただただ恐怖と痛みで、確かあの時は・・・そう、その時自分には記憶がなくて、頬が赤くなっているのに理由も言わず泣きじゃくって、お母さんが何度もどうしたのかを聞いたが泣いてそのまま寝て、次起きたら泣いたことも覚えておらず、おばあちゃんに聞いても”知らない”と言っていた、とそんな話を聞いたことがある。
 そうか自分、おじいちゃんに興味が無かったんじゃなくて、おばあちゃんに言われたあれが原因か。いや、マジで今思い出した。今の今までま~ったく覚えてなかったな~、ホントに断片的にも出て来なかったって。今の今まで本当に全く・・・いや、あれ、フツーに怖いよね。てか、もう恐怖でしょ、ホラーでしょ、そうじゃん、そうだったじゃん。
 しかし・・・しかし、おばあちゃんもあんな子どもにマジギレって、オカシイよね、激しく大人げない。余程お母さん方のおじいちゃんに恨みの気持ちを強く抱いていたのか。
⦅オマエにも小さい時があってんな 笑⦆
「うるさい!」
⦅おっこわ~w⦆
 横目に、机の上でオッサンが昔の泥棒みたいに歩いているのが見えるが、それよりも、頭に浮かんできたおばあちゃんの鬼の形相と頬を掴まれた映像が頭にチラついて、思わず「おっこわ」と肩を竦める。
⦅下手な関西弁使うなや。大体な~⦆
 またそれかよ。もういいって。お風呂入ろ。てか、やっとお風呂入れそう。
 次の日、言っていた宗教を検索にかけ、手当たり次第に文章を読んでみた。勿論、ホームページは良い事しか書いていないが、ネットという文明の利器がある限り、それだけを見て信じるなんてことはあるハズも無い。なのに、どうして引っ掛かるんだろう?
 検索を進めると、家族が被害に遭った人や、それに反論をする信者、抜けて注意を促す元信者などの話も多く掲載されている。読めば読むほど、おばあちゃんが入信に至った感覚は理解が出来ない。ただ、あのハナフサさんの聞き上手感を醸し出す信者がフツーの人の感じで沢山いたら、もしかしたら、自分があの時次々話をしたように、話を聞いてもらって心を許してしまう人が出てくる可能性があることは理解できた。しかし、お金を吸い取られている、ということに関しては理解できない。
 すがる物ね~・・・でも、お金吸い取られてるのに?
⦅オマエもグッズとやらを買うやろー?吸い取られとるやんけ⦆
 ま、出てくるよね~
⦅”ま、出てくるよね~”ちゃうわ⦆
「はいはい、あたしが勝手に聞こえてんだよね、はいはい」
⦅“はい”は一回じゃ、ボケ⦆
 ああ、ウルサイ。ていうか、自分は吸い取られてんじゃないもん、欲しいから買ってんだし。それに、小遣いの中だから最低限しか買えないし。
⦅使いたいモン、ちゅうーので言うたら同じやろ⦆
 う~む、如何とも返し難い。
 欲しくて買う物とお布施は違う、と思っていても、オッサンからしたら”使いたい物”という意味では同じ。自分は小遣い内で購入する。別に学校に行くのに困ってないし、スッカラカンになるような使い方はしない。寧ろ、お金が無い状態を考えたらゾッとするので、そこはキッチリ考えて使っている。おばあちゃんは宗教に貢いで、お金無くて生活にも影響出て、お母さんは学校に行くのさえ大変だった。使ったその後が違うじゃないか。
⦅縋るモンが欲しくてお布施を出す、欲しい物が違うだけのこっちゃ⦆
「う~ん・・・まあ・・・う~ん・・・でも、あたしはCUの物が手に入る
 と超絶嬉しいし、歓喜の雄叫びだけど、おばあちゃんはいっつもイライラ
 してて幸せそうに見えなかったし、それでさ、”お金ナイナイ”言うのって
 どうなの?子どもがいるワケだからさあ、子どもをちゃんと育てようとい
 う信念とかさあ、子どもが支えとかさあ」
⦅信念?オトコマエみたいな?⦆
「ちがー----うっ!そこじゃねえっ!」
⦅そんなん知らんがな⦆
「わ、無責任~」
⦅知らん。んなもん、父親だから母親だからって、皆が子どもを好きとは限
 らん。大体な、ばあちゃんもうおらへんねんから、考えたってわかるかい
 や⦆
「や、そうかもしれないけど・・・」
⦅”かも”ちゃうねん。そうやねん。オマエのない頭で考えてもどーせわから
 んねんから諦めぇ⦆
「そうなんだけどぉ」
 初耳だらけなんだから知識もないし、それを言われるとぐうの音も出ない。
⦅ぐう⦆
 くっそ~、腹立つ!
 それ以上、オッサンの声はしなくなった。
 都合よく消えるとか最悪だな、クソオヤジ。
 今でもあの宗教の名前を聞くと何となく気分悪い。おかあさんから話を聞いた時の感覚が蘇る、ゾワっと毛が逆立つような嫌な感覚。
 今では、どんなイケてる女子でも男子でも俳優でもアーティストでも、その仲間だと知ると引く。人が何を信じようと勝手だが、取り敢えず自分は関わりたくない。
 しかし、こんなドロドロの韓国ドラマに足の指突っ込んだような話、リアルに受け止められるワケない。たかだかハナフサさんとの接触を避ける理由を聞くのに、ここまで話を広げられても・・・お母さんは何を考えてるんだか。
 で、その後一度背後からハナフサさんの声がしたから、振り向かずにマッハで逃げた。というか、反射的に逃げていた。我ながら、すごい反射神経。その絵面を思い浮かべると、それこそ漫画みたいで笑える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?