【引越し】
台風19号が去ってから、町内で引越しをしました。
避難中に、空き家を猫可で(!)貸してもらえるよう交渉が進み、
1年強お世話になった大日向をバタバタと去ることになりました。
決断に迷いがなかったかといえば嘘になりますが、
全てはタイミングなんだと言い聞かせ、前を向くことにしました。
自分の行動がどこかに対して背面的になってしまうかもしれないという後ろめたさと、
致し方ない事情とはいえ、こんな形であっさり大日向を出ることになるとは思ってもみなかった悔しさと・・・
気持ちの整理と、引越しの実作業と・・・
そんな親の揺れを子どもに悟られまいとなるべく平常を装い、子どもに引越しに前向きになってもらう必要と・・・
心の折り合いをやりくりしながら、引越しを終えました。
引越し絡みの各手続きと罹災の手続きも終えました。
色々な惑いが重なった反動からか、新居では最短で落ち着きたいと、片付けに全力を注ぎました。
色々惑いの中にいる状態であるときが一番疲れました。
早く平常に戻りたい一心で急いだけど、それでも諸々片付くのには台風から一月半もかかりました。(それでも被災度合いは大したことないし、全然早い方なのかもしれない)
生活が落ち着いてできるかどうかってすごく大事だということを今回痛感しました。
あと、「なんでもない日常」な一日一日がより大事に感じるようになりました。
当たり前に今ある今日が明日あるとも限らないのだと。
あれ以来、「丁寧な暮らし」を真に心がけるようになりました。(おしゃれな暮らしという意味でなく)
災害からの教訓はいろいろありましたが、それを振り返るのも今はまだエネルギーいりますね。
引越しを終えて、再び朝までぐっすり眠れるようになって、ちょうど1ヶ月が過ぎたところです。
家が安らげるというのはありがたいことなんですね。
2011年に都会で災害を体験して、その後の混乱で営みを維持することに危機感を覚えました。(食の危機、職の危機、多方面において)
その時は子どもがいなかったけど、子を授かり一人で育てることになったとき、あれがもしまた来たら一人では乗り越えられない…
という不安から、災害の少ない地域へ移住をして、まさかの被災。
でも、人口11000人の小さな町では混乱も少なく、収束も早く、たくさんの方々に助けてもらえたおかげもあり、乗り越えられました。
この数ヶ月、もう一つ自分に言い聞かせたのは「心は自由であれ」ということ。
所詮流れ者である移住者。
流れ者が根を張るのは本当に難しい。
でも、「石の上にも三年」なんてイマドキもう言わないのかもしれないけど、新しく流れ着いた地でまた根を張れるように一つ一つやっていこうと思います。
ここで子どもを育てていきたいーそれは被災の前後も変わらなかったです。
大日向のお家はお宮(諏方大明神)の近くでしたが、
新しいお家もお宮(諏訪大社)の近く。
「おせわになりました」の挨拶と「よろしくおねがいします」の挨拶をそれぞれにしてきました。
お宮の近くで安心感あるなと思ったら、佐久穂町内だけでも「諏訪社」で検索するとこんなにいっぱいあるんですね。
また、新しいお家のある地域は、江戸時代には陣屋があったところらしく、
その後も佐久甲州街道の宿場町として栄え、
物流の中心地として市なども開かれていた場所なんだそう。
明治時代には栄村となり、村役場もあったのだとか。
へ〜、だからここにある保育園は栄保育園っていうのか〜
ゴミステーションになっている公民館に設置された史碑を見て、同じ佐久穂町内でもまだまだ知らないこといっぱいあるんだな〜としみじみ。
台風の影響で、同じ佐久穂町町内ではありますが、全然違う生活のリスタートを切って、気付けば師走を迎えているという状況です。
被災された皆様がどうか年越しは心安らかに過ごせますように。
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