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アサヒくんについて書いてるだけの文

※紅蓮の解放者シナリオについてのネタバレめっちゃあります※


紅蓮の解放者シナリオ後半に出てくるアサヒくん

彼が紅蓮シナリオに登場し、当時の14フォロワーさんが彼の画像を「新キャラ」としてTLに流したことでその存在を知りました。私がFF14に興味を持ち、かつてフリートライアルでエオルゼアに降り立つきっかけになったキャラでした。だって和風黒髪優顔イケメン。

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彼について、14プレイヤーは「憎らしい」と思っている方は多いようです。まぁ当然ではあると思う。嘘をつき、人を騙し、自分の目的のために身内すらも利用した上あっさりと見放し、目の前で殺されることも、また自ら殺すことも厭わない。典型的なザ・悪役ムーヴ。文章だけ見るとほんとひどい。

紅蓮シナリオを進めている最中、やっとアサヒくんが登場したとSNSに載せたところ、フォロワーさんに彼に対する「許せない」等のマイナス方面の感情がこもったリプをもらったりもしました。守護天節の仮装イベントでは、彼に変身したPCを攻撃系アビで執拗に攻撃しつづけるする人も見た。どんだけ憎まれてるんだアサヒくん…!(当時は姿と名前だけ知ってた)とドン引きながらその光景をみていた記憶があります。

ただ、数少ないシナリオを代表する変身キャラに選ばれている時点でそれなりに色んな意味で人気はあり、ネタになるキャラだと公式も認識しているんだろうとも思いました。実際エオルゼアカフェで彼にちなんだ飲み物なんかもあったらしいですしね。


私は彼が紅蓮シナリオで初登場した時から、私なりに彼を見てきました。周囲の方が言うように本当にひどいキャラなのか、はたまた違う印象を持つことになるのか。なるべく先入観を持たず、自分なりに彼を見て彼の考えや行動がどういう動機から来てるのかを知りたいと思いました。

そしてアサヒくんの記憶がまだ新しいうちに、彼について感じたことを残しておこうと思います。ただただアサヒくんについての私の考えとか気持ちを綴っただけの気持ち悪い文です。

「実際はどうか知らないし、他の人からしたらそう思わないかもしれない。でも私はそう思った、そう感じた」というだけの文です。

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まずアサヒくんの性格の軸となる部分について親の影響が大きい。

思いのほか親が屑すぎた。私はあんまりゲーム内NPCに対して心から屑だなと思うことは少ないのですが、それにしても屑過ぎた。貧しい田舎の農村、ただでさえ食べていくのがやっとだという状況でいくら血がつながっているとはいえ(義)姉の子供の面倒を見るのは大変です。それはわかる。子供の頃、あまりに態度がひどい冷たいと思っていた火垂るの墓のあのおばちゃんの気持ちが大人になって「そりゃそういう対応したくもなるよね…」て多少なり理解できるようになったくらいわかる。

わかるけど、ヨツユへの差別があまりにひどすぎた。彼女が本来受けられるべき教育を受けさせることもなく、ただ働かせ、年が上がればめっちゃ年上のおっさんに嫁という名目で売り、おっさんが死ねば今度は遊郭に売る。まさに屑オブ屑。ただの刺殺じゃなくてもっと惨たらしい方法で死んで頂いてよかったとすら思います。

そんな親の姿を幼いころから見ていたアサヒ少年は、そりゃあその状況が当たり前なのだと、このヨツユという女は蔑み貶し、自分たちに都合のいいように使って良い存在なのだと認識して育つに決まってます。ここで「あぁ、なんて可哀想な姉さん…」なんて気持ちが芽生えるのは乙女の夢を大事にする少女漫画世界のヒーローだけだよ。

元々の素質なのか、自分の出来が良かったのも拍車をかけたのでしょう。自分は人の上に立つ人間で姉は下で這いつくばっているべき存在なのだと、そういう認識が育ってしまった。それは親がそういう扱いしかしてなかったから。やっぱ親が屑。アサヒの親は珍しく回想ムービーの初登場~この世からの退場まで清々しいまでの屑だったNPCでしたね。アサヒへの期待の掛け方だって、結局自分たちが出世した息子に便乗して帝国内でいい暮らしがしたいんだろうなって感じでしたし。


正直、あの親父のほうにいたっては、ヨツユが器量の良い娘だとわかっていたのに幼いヨツユを手籠めにしたと受け取れるような描写や台詞がなかったのが意外だったくらいです。金持ちに売るなら生娘じゃないとダメだからかな、それにしても出戻ってきたヨツユにそういうことしててもおかしくないくらい屑だよなぁと思ってました。14てそのへんの生々しいひどい経験してると思わしき描写の女性NPCたまに出てくるので…。

と、書いていたのですが、フォロワーさんにヨツユとアサヒの最後の会話のフランス語でのやり取りを日本語訳し紹介してくださってるロドストを教えて頂きそれを拝見したところ、そういうことがあったのでは、そしてアサヒはそれを知っていながら見て見ぬふりをしていたと思われる表現の台詞になっていました。日本語の台詞はずいぶんとマイルドになってるんですね。幼いころから義理の親に好き勝手され、そしてそれを知りながら見ないふりをする弟、ヨツユが人生に早々に絶望するには充分ではないですかね…。あーしんどいですね。

まぁあの当時の年齢のアサヒがそれを見たところで止めようとは思えないでしょうし、逆に猶更「なんて汚い女なんだ」と思うだけなんでしょうけど。汚いのはあなたの親だけどね…。


子供の性格は親の態度と環境が作る。ただそれだけのことであり、アサヒ少年のあの性格や思考の軸はなるべくしてそう育ったと言えると思います。これはアサヒにはどうしようもないこと。ガレマール帝国は周りを蹴落としてより良い地位につこうとする人間しか生き残れない世界ですから、帝国内で改心するルートに進むのもまず無理でしょう。本当のペーペーの一般兵ならともかく、それなりにエリートコースに乗ってたであろうアサヒならなおさらです。



そして実際の紅蓮シナリオでのアサヒくんの行動に大きく影響したのが、彼の最推しであり、ある意味神のように仰いでいたゼノス。

「自分はエリートだ」と思ってそこそこ順調に進んできたであろうアサヒが、戦場で自分より下の存在だと思っていた農民・町人兵に命を脅かされたとき助けてくれたゼノス。

存在や名前だけは知ってた、自分より遥か遥か高みにいるはずのゼノスが自分を助けてくれた。ただの帝国一般兵だからと見捨てなかった。つまり自分にはあのゼノスが行動を起こすだけの価値があると思ってくれたのだと、そう感じたのでしょう。それはアサヒにとってどれほど嬉しいことだったか。


それはゼノスにとってはたまたま目の前いた邪魔な敵兵を軽く薙ぎ払ったに過ぎなかったのかもしれません。アサヒたちを助けるつもりがあったのかもわからない、ただそこに帝国兵がいるから、聞きたいこともあったしついでに聞こうくらいの些細な行動だったのかもしれない。でもそんな気まぐれな行動ひとつがアサヒという1人の人間を変えてしまった。ゼノスにはそれだけの魅力と生まれながらに持っているものがあったのだと思います。あの顔と声ですしね。顔と声が卑怯なまでにいい。


帝国の次期継承者であり、現皇帝の息子というまさに天上の人物が自分を助けてくれた。しかも声までかけてくれ、短いながらも会話が成立した。それはアサヒにとって突然得た輝かしい経験であり、自分自身の価値が高まったと感じた瞬間であり、彼がゼノスに傾倒するに充分すぎる材料だったんだと思います。


誰だって自分が関わると思ってもみなかった存在と言葉を交わせたなら、自分の顔を見てくれ、目が合い、自分を認識してくれたなら、もう嬉しくて誇らしくて自慢したくてたまらないでしょう。私もSNSで一方的に憧れてファンだったアカウントの方に緊張しつつリプつけて返事がきたときや、一方的にフォローして見ていた方、フォローすらしてなかった関わるとも思ってなかった世界の方から偶然の巡りあわせでリプが来た日なんかもうもう嬉しくて顔がにやけて何度ももらったリプ読み返しながら小躍りしたくなりましたので、この時のアサヒの嬉しさはわかります。めっちゃ嬉しいよねわかる。

この時からアサヒの中では「自分はあのゼノス様に助けられ声をかけてもらえた、会話をした」という経験、その時得た気持ちを大事に大事に育てていったのでしょう。もしかしたらまた会えるかもしれない…もっと手柄を立てればあわよくばもっと近づくことができるかもしれない…そんな風に考えだしてしまったのかもしれません。そしてそんな未来を望み始めてしまうと、もう止まれなくなるのもまたわかります。ゼノス本当に顔と声がいいだけじゃなく罪な男。


その後反乱を収めたゼノスによって、奇しくもかつて格下の存在だと蔑んでいた姉ヨツユがドマの代理総督に任命されたのも、大きく彼を変える切欠になったのでしょう。本来なら自分がゼノス様の命を受けドマを統治する立場だったはずだ。そして自分がドマを統治していれば反乱軍に負けてゼノス様を失望させることもなかった。あの女が自分とゼノス様を邪魔しているんだ、と思い込んでしまったが最後、彼はもうヨツユを憎む以外できなくなります。

ヨツユが遊女だったというのもそれに拍車をかけたでしょう。かつての自分の親のように、もしかしたら憧れのゼノスにこの女の手が伸びたのかもしれない。ゼノスは素晴らしい人だと思っていればいるほど、そう思いたくない、でももしかしたら…と考えだしてしまいそうです。「きっとヨツユが汚い手を使ってゼノスに言い寄ったに違いない」と結論を出すまでにはそう遠くなかったでしょう。そしてさらにヨツユへの憎しみがマシマシになっていくアサヒ。


ドマの民のみならずこの世の全てを憎む半面全てを諦めているような目をしたヨツユを気に入り、ドマ代理総督に任命したのは紛れもなくゼノス自身の意志ですが、アサヒにそんなことは関係ないんですよね。ただただヨツユが自分を差し置いてゼノスに目をかけられたという事実だけが憎い。わかる。好きな人が気にかけた、ただそれだけのことでその相手に勝手なマイナス感情が沸き起こるものです。アサヒはゼノスへの気持ちが大きすぎてちょっと感情の振り幅が大きいだけ。



最後、倒れたヨツユに対し執拗に何度も銃弾を撃ち込んだアサヒ。「蛮神と化した者は生かしておけない、ちゃんとトドメを刺さないと」と笑いながら言ったアサヒ。この展開がまるで自分の望み通りだと言わんばかりの様。この時のアサヒの声優さんの演技力が本当に素晴らしく、とても惹き込まれたシーンの1つです。

彼の台詞には「ドマが蛮神を召喚したという事実を帝国にもたらす」という元々の命令もあるのでしょうが、アサヒ個人のヨツユへ溜めに溜めた(一方的な)憎しみや、「もしヨツユがこのまま生き延び”蛮神の力を手に入れた女”として、ゼノスにさらに気に入られることがあってはならない」というような感情があったのでは…とつい想像してしまいます。ゼノスに目をかけられるのはお前ではない、自分であるべきなのだとヨツユに知らしめるため、そして大事なゼノスに気に入られた憎い女に自分で直接手を下したかったのではないかと。


「俺を殺しますか、全権大使のこの俺を!?」というあの有名な彼の台詞も、「自分の後ろにはあのゼノスがいるのだ、自分はあのゼノスから直接全権大使に指名されここにいるのだ」という含みを持っていそうな感じです。それは彼のプライドであり、誇りであり、今の彼の行動の全て。自分を攻撃するということはゼノスを攻撃するに等しいのだと、そして自分はゼノスにそれだけの価値を認められた存在なのだと。

帝国とドマの和平のための重要な使者、そしてゼノスに全権を任されたという事実。目の前のにいる神すら殺せる英雄でも絶対自分に手を出せない。手を出したら英雄が救おうと奔走していた大事なドマと帝国との和平がなくなってしまうから。この時のアサヒの気分の良さといったらもう最高だったでしょうね。


結局、そんな絶頂にいたアサヒはヨツユによって命を奪われることになります。生きてきて一番最初に憎んだ相手を自分の手で殺すことができたヨツユの台詞は嬉しそうでした。ゴウセツと柿の思い出とともに、彼女の最後の慰めになったのかな、そうだといいなと思いました。



アサヒくんのことを考えれば考えるほど、本当にゼノスのこと好きなんだなぁとしみじみと感じます。だって「どうしてこういう言動になったのかな?」て糸を手繰っていくと最終的に全部ゼノスに行きつくんですから。

彼の本性が最初にでたシーンで私が彼に感じたのは「ゼノスのこと大好きすぎない?」という一点のみ。あと「そのお前が好きなゼノスは私のことが大好きだったんですけどね…」という優越感もプラスで。

全てはゼノスに認められたい、自分の存在を認識されたいという、憧れのような信仰のような、そんな感情がアサヒくんの全てだったのかもしれません。

戦場でのゼノスとの出会いがなかったらアサヒはどういう人生を送っていたのでしょう。ヨツユが代理総督になったと知って憎らしいと思ったかもしれませんが、ここまで憎悪をこじらせることもなかったかもしれません。


アサヒがやったことは卑劣で外道で一方的でした。ヨツユだって、彼がいなければあのままゴウセツとどこかの田舎で穏やかに過ごせる人生を歩めていたのかもしれない。そのことを考えるとアサヒが鏡を渡さなければ、アサヒが親と引き合わせなければ、と思わずにいられません。

でもたった1人の人をあんなにも慕い、尊敬し、その人に近づきたいと必死だったアサヒの生き方は好きです。やっぱり私はアサヒを嫌いにはなりませんでした。

アサヒくんすきです。来年の守護天節では一緒にSS撮ろうね。


おわり






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