勝負

DAZNで野球中継を見ていたら、中日の立浪監督の采配に驚いた。
0対0の同点のまま迎えた9回表。ここまで無失点だった中日の先発ピッチャーが、ツーベースを打たれた。すると立浪監督は、交代を決断。守護神にスイッチした。
見ていた僕は、えええ、と声に出して驚いた。

解説は、僕の大好きな阪神の前監督、矢野さん。
矢野さんも、キャッチャー出身の自分としては腑に落ちない投手交代だ、といった趣旨のことを仰っていた。
だよなあ、と僕も頷いた。

しかしその少し後で矢野監督は、ここで立浪監督は勝負に行くという決断をしたんだと思う、といったことも仰った。
結果、中日の守護神はこの回、阪神打線を封じ込めた。
僕は反省した。
そして、矢野監督が好きなことを再確認した。

監督時代の矢野さんは、勝負にいった結果は問わなかった。
勝負をしたことそのものが大事なんだ、とよく仰っていた。


そもそも小中高の頃の体育祭や、運動の大会のことを振り返ると、クラスが勝ったか負けたかはほとんど覚えていないな、と気がつく。
覚えているのは、何気ない風景。
応援席から見た誰かの笑顔だったり、躍動する肉体だったり、空模様だったり、帰り道だったり。

そして映画というのは、まさにそういうことなのだ、とも。

僕は今、自分がかつて見た、感じた「特別さ」を思い出しながら、その一方で、とにかく勝負に出ていこう、ここではないどこかに行こう、と藻搔いている最中だ。

そんな、あまりに曖昧な旅。
楽しみたいな。

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