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202407_雑多書き

頭に思い浮かんだけどまとまらなかったこと、別にスレ立てて書くほどでもないな、と思ったことなどをここに書いて供養します。

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7/21 13:05
フロムの「生きるということ」という本を買った。新品で2000円くらい。ちょっと値段に面食らったが、でも読みたいと思った。先に「愛するということ」を読んでその後は同じそういう「愛を語る」ジャンルに手を出すものと思っていたが、すっかりフロムの思想というべきものにハマってしまったようだ。

思うに、フロムの「愛するということ」に書かれている思想と、自分が今学んでいるカウンセリングは、根本の考えが同じ部分があると思うのだ。今日余力があったら別のスレ立てて書く。

そういえばふと思ったのが、フロムはゴリゴリの資本主義アンチだ。間違いないと思う。「愛するということ」にもはっきりと書かれてたし、「生きるということ」の序文も、そのことが書かれていた。(間違ってたらごめんなさい)
よく「社会人は社会の歯車」みたいな表現がされるが、多分フロムも賛同するだろう、という気がした。だからこそ、多分フロムは「社会を根本から変えていかないといけない」と思っているクチだと思う。

ただ、フロムのやったことは全然分からないが、社会革命みたいなことはしてないだろうし、そのやり方にも反対するだろう、と思った。…長くなりそうだ。後でまとめて書くか、気が向いたら。

こんな感じで、散歩とかしてたら色んな考えが頭をグルグル回る回る。でも、いちいちスレ立てて書くのはめんどくさいから、こういう書き方をすることにした。ちなみに方式はパクリである。ゴメンナサイ。そしてアリガトウ。

X(旧Twitter、ここ重要)でもいいけど、文字数制限あるし、タイムラインうるさくさせちゃうかもだしなー。ここならサイレントで誰にもバレずに書ける。そういう意味で、この方式は良いなと思った。

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7/21 13:31
なんか妙に頭であれこれグルグル回る。でも、なんだかんだいつも考えてる事だからここで供養する。

・私のそっくりさんや魂を分けたような兄弟(血の繋がり的な意味ではない)は存在しない
(なぜか確信を持っている。悲しいけど)
・正義という表現は大抵は人のエゴ、恣意的なものである
・なんかあと1個ぐらい追加したいが、特に思いつかない

問い合わせは個別にオナシャス。

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7/23 12:06
最近口数が減ってきたように思う。いや元々無口であったけど、その後コミュ力を上げようとお喋りであることを頑張っていた時期が今までであった。今はどうかと言うと、喋りたい時に喋る、喋りたくない時は喋らない。そんな感じである。かと言って、無口になったかというとそうでもなく、割と喋っている方である気はする。

ただ相変わらず、沈黙の時間は慣れない。まあ周りの皆も慣れてないのかもしれないが、私は基本お喋りでもなくかといって無口でもない、喋りたい時に喋りたいタイプ。つまり口を利きたくないわけではないものの、喋りたくない時があるタイプの人間である。

加えて仲良くなった人だと特に、喋るネタがなくなる。自分の趣味のベクトルがズレているのは百も承知だから話したいとは思わないし、かと言って場を繋げるための雑談をしたいとも思わなくなる。そうなると、必然的に喋ることが無くなるのである。

好きな歌の歌詞に「仲深まるほどに消える口数」というのがある。その歌詞を信じて無理に喋らないようにしてはいるけど、まだちょっとその歌詞を、というか自分を信じ切れていないように思う。人と仲深める経験に乏しいからだろうな。

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7/24 3:06
眠れない。
あっちくて目が覚め、目が冴えた。
今日はもう、寝るのは厳しいかもしれない。

それはそうと、最近言語ゲームのことを思い出した。
きっかけは、人間関係について考えた時。俗に言う「両想い」(友愛、恋愛は不問)はどうやって成り立つか。お互いに好き合ってる時? でもそれが事実だと分かる人は、この世のどこにもいない。だって、お互いがお互いの心が見える訳では無い。傍から見てる人だったら尚更、あの2人が何を考えてるか、分かったもんじゃない。
そこで、言語ゲームのアイデアが使えると思った。お互いが「両想い」のコミュニケーション、いわば言語ゲームをしている、できている状態。それが重要なのではないかと。

つまり、お互いが心から好き合ってることは、あんまり重要じゃない? そう考えると、ちょっと背筋がぞわっとした。
でも、そもそも言語ゲームってなんだろう。手元にはその入門書みたいな本を3冊持っているけど、正しく理解できているのか、全く自信が持てない。なので、積ん読状態の入門書3冊目を読もうとしたが、やめた。

その3冊目曰く、言語ゲームのアイデアが出てくるヴィトゲンシュタインの「哲学探究」は言語ゲームのアイデアが体系的に述べられている訳ではなく、いわば彼の哲学の過程を体験するもの。言語ゲームを理解したかったら、自分の頭でしっかり哲学して、感じ取りなさい。(意訳)
なかなか手厳しい事を言う、と思った。でも、それこそ哲学の醍醐味であると思った。個人的感覚では、言語ゲーム、あるいは「哲学探究」はまさに形而上学。トップクラスに「何言っているか分からない」哲学であることは間違いないように思える。それに対して、自分の頭で立ち向かう。出来る見込みがあんま立たないが、こういう哲学をすることこそ、自分の趣味でもあるように思えた。

だから、「哲学探究」を買って、手元に置いた上で3冊目を読もうと思った。確か新品で3000円くらいしたはずなので安い買い物では無いが、一生こいつと付き合っていく気がすると思うと、高い買い物でもないと感じた。
今月、買えるなら買いたいな。

そう考えると、フロムの本(「愛するということ」とか、「生きるということ」とか)って考えが明確に示されているという意味で、分かりやすかったんだな。比較対象がおかしいような気もするけど。

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7/24 12:05
孤独は良い事なのか悪いことなのか。

ちょっと前に、あんまり期待しないで個人主義をググったことがある。そうしたら、某有名大学の論文みたいな何かが出てきた。曰く、
「日本で個人主義でいる人は、幸福度が低い。」
ということらしい。ただ、個人主義=利己主義と思われることが多いようだが、フロムの著書では「利己主義」という言葉がはっきりと出ていたのを鑑みるに、イコールでは無いように思う。むしろ、全く異なるもの、という見方が主流なようだ。どちらかと言うと、ここで言う「個人主義」は単なるボッチのことを指しているように思える。

じゃあ、友達が多かったり、恋人がいたりしたら、幸福度は高い?
そうでもない、というのが私の見方。
私の交友関係が狭いのもあるかもしれないが、恋バナで愚痴は聞いたことがあっても、惚気というのを聞いたことがない。聞いたことがない、というだけで実際は山のようにあるのかもしれないが、「恋人がいる=幸せ」という等式の反証にはなる。

あと、個人的に思うのが、友達とか人と話していると、そこに居ない人の噂話になる。皆にとってはそれが当たり前のことなのかもしれないが、僕は噂話というのがどうも苦手だ。特に悪い方向の話題だと特に、聞きたくもなくなる。前にも書いたけど、それくらいイヤなのだ。

じゃあ、どう生きる?

分かんない。分かんないなりに、字面通りの「人間」として生きるのが、今の最善なんだろうな。

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7/26 4:04
ヴィトゲンシュタインの『哲学探究』が届いたので、早速読み始めた。ちなみに夜更かしはしていないし、スマホのバッテリー履歴上では、20時くらいから多分寝ている。ただ、起きたのが午前1時くらいだっただけなのだ。
だいたい600ページぐらい。辞書に匹敵する分厚さで、自分の手元にある本の中で最もページ数が多いのは間違いない。

で、読み方としては入門書3冊目と並行して読むやり方を取っている。ちょっと笑ってしまったのが、『哲学探究』の最初の1, 2ページぐらいを説明するのに、入門書3冊目の16ページ分を使っていたことだ。入門書3冊目曰く「最初の項に『哲学探究』そのものが凝縮されている印象を受ける」ということらしいが、いくら何でも、そこまでの行間があるとか聞いてない。この先がちょっと、というか割と心配になった。

でも、『哲学探究』自体はかなり分かりやすい文体で書かれているのが幸いだったかもしれない。ヴィトゲンシュタインのもうひとつの著書たる『論理哲学論考』がかなり難しく書かれている印象が強かったから、これもその類なのではと思ったが。そこに関しては少し安心した。

僕が大学生の頃にお世話になったある人の友達が、哲学のやりすぎでやつれ果てた姿になっていた、という話を思い出した。これも下手すれば、その方向に直結する危険な旅なのかもしれない。でも、かつての僕が抱いた言葉の不思議さ、その一端を理解することが出来るかもしれないと思うと、その旅を辞めたくはない。
今まで散々な目に遭ってきたくせに、興味されあれば虎穴に入ろうとする癖は治りそうにない。これもまた、『僕』という人間ということか。

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