人間宣言

最近、というかずっとしばらくだが、創作が出来ていない。というより、出来なくなったと言った方が正しいのかもしれない。

心当たりは無いことも無くて、最近自分がリアリストになりつつあると感じる。つまり、思考が現実的になってきた、ということ。理想はある。誰もが思い悩み、苦しむことのない世界。でも、現実に即して考えたらそんなんムリに決まっとるやんけ。だから考えないことにする。出来る可能性の高いものからやっていこう。そう考えるようになった。

製造メーカーのメカトロニクスエンジニア、という職業柄も大きいのかもしれない。理論に沿いつつも、やはり1番は現実的で実現可能な設計であることが求められる。ある種、リアリズムの極みがそこにある、と言って良いように思う。

まあ、それはそれで理想と現実のギャップに悩む、と言ったことは減ったように思うし、ちょっと前の自分と比べたらそれなりに生きやすくなっては来たと思う。

でも、理想は捨てられない。そこがやっぱり、自分の根っこにあるようだ。
やはり人類みな幸福が一番いいじゃん、結局はさ。実現不可能、と言われたらご最も。偽善?完璧主義?  そうかもね。
でもそうだとしても、そういう気持ちを持てた以上、捨てたく無いんだよ。せっかくあの頃の人間不信から脱しつつある今なのに、また昔に逆戻りはしたくないし、そういうことを本気で思える人間こそが、私の理想像だからさ。

そんなわけで今、また理想と現実のギャップに悩んでおります。カウンセラーの基本的な態度たる自己一致が出来てない状態、ということでもあろう。
高すぎるといってもまだ全然これっぽっちも足りない理想を追い求める自分と、リアリストでどことなく冷めてる自分。どっちも自分だし、どっちも受け入れたいけど、主人格がリアリスト側なせいで、自分の理想を受け入れられていないように感じる。

そんなわけで、ココ最近思い悩むことが多くなった。きっかけは間違いなく、恋やら愛やらを考え始めた時で、フロムの「愛するということ」を読んで以降、より一層あれこれ考えるようになってしまった。
「愛するということ」は、所々思うところはありつつも、概ねその考えを受け入れられたし、かといってまだまだ理解できてないところも多いと感じる。

これからも色々と思い悩むだろうし、こういう投稿も増えてくるだろう。言うことがコロコロ変わることも珍しくないかもしれない。

ただ、これだけは宣言したいと思った。

私はひとりの人間として沢山考え思い悩み、人生をかけて自らの愛を育んでいくことを、ここに宣言します。

「自らの愛」と言う言葉に引っかかった方は、フロムの「愛するということ」へゴー。

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