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唯我的社会貢献論

そんなわけで、カイシャイン2年目に突入した。
どういうわけなのかはまあ、これを読んでくださっている物好きな諸氏であれば、何となーくは察していただけるかと思う。

カイシャインにしてみれば、土日というのは天国であるのは間違いないかと思う。
だというのに、この2日間、カイシャのことがどーしても頭から離れてくれなかった。何たる不覚。

自分で言うのもあれだが、多分自分は「仕事が出来る人間」として見られているように思う。実際のスキルや能力はさておき、そういうレッテルを貼られているように思うのだ。
別にそれ自体は決して悪いことでは無いのだろう。でも、優秀学生表彰を受賞してしまったばっかりに期待され、それにそぐわない行動したら怒られた、という経験をした僕にとっては、良いことであるようにはどうしても思えないのだ。。。

で、なんでそういうことになっているのかの原因も、僕は把握している。それは、必死こいて勉強したからだ。大学生の頃、劣等感を覆したい一心で警備員さんに追い出される時間まで大学に残っていた。傍から見れば、勉強熱心以外の何物でもないわけだから、まあそういう結果に落ち着いたとしても不思議は無い、ということなんだろう。

カイシャインな今だってそう。何だかんだ仕事が楽しいと思えるからこそ、あれも知りたいこれも知りたいと積極的と見られてしまうような行動を取るわけだ。そこに、会社や社会に貢献したい、みたいな気持ちは一切無い。単なる自分の好奇心を満たすための行動であり、利己的な行動に他ならない、というのが僕の認識だ。

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そんなわけでホンジツは、半ば放心状態(休日は大体これがデフォルト)で本屋に行った訳だが。

そこから思う。
僕にとっての社会貢献とは、「生をまっとうすることそのもの」なのだと。
意識が低い? ジコチュー? ご最もだと思います。
でもね、そう思えることってのは幸せなことだと思うんですよワタクシ。

ここで問いたい。
「一度本気で自殺を願った人間は、どうなってしまうのか?」

人によって回答は違うだろうが、私の場合、「生きる意味を常々考えるようになる」「特に何も起きてないのに気分が沈んで、死にたいと思うようになる」辺りが答えになると思う。
要するに生きるのが辛くなるのだ。

そんな状態でね?
「出世してお金持ちになりたい」とか、「自分の仕事で社会に貢献したい」
とか、思えるわけないでしょっつーの。
そもそも眩しすぎて直視できません。

今は大分ましになった。でも、大体小学生の事からずっと持ち続けている劣等感、高校、大学で付けてしまった心の傷、ってやつは、1年やそこらじゃ治ってくんない。多分、自然治癒じゃ10年はかかるでしょうね。

ですから、とりあえず死なないように頑張る。
そうすりゃ、人身事故で電車止めることも無くなるし、自分の後始末で周りに迷惑をかけることも無い。挙げた例がクソコンチクショーな感じだが、今でもふと、そういうこと思ってしまうんですよ。。。

とにかく、死なないように頑張る。あと10年は必死で生きる。それが今の人生の目標である。これは、自分の願望でもあり、また親からの呪いみたいなもんです。

そういう自分本位に見られてしまうような、「生きること=社会貢献」っていう、どう考えても認めてもらえるわけないだろ、っていう考え方。「唯我的社会貢献論」と名付けた。
フィーリングだけでしかないし、言葉の意味も合ってるか怪しいが、これが一番しっくり来た。

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そんなわけで、とりあえずスマホをしまい? 
今日はまたその辺を徘徊することにします。

ごきげんよう。

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